キリスト教の礎 イエス・キリスト
内省
結果論だ。結果的に、人々や動物、昆虫や草木が『幸福だ』と考えてのびのび生きるのはいいが、なぜ最初から『人の幸せと平和』を叶えなければならないのだ。
『神』を一体なんだと考えているのか。『神』は、人間の味方ではない。味方なのだとしたら、なぜ宇宙の果てに何があるか、未だにわかっていないのだ。天災や事故、ウイルスや事件、病気や障害、不和や戦争から人々を救わないのだ。もし『神』がいるとしたら、それは『=愛』であり、『=真理』である。対象は『人間』だけではない。全ての森羅万象が、その対象である。
そこまで考えたら『人間の平和』など、二の次であることに気づくはずだ。それよりもむしろ、『鋭い剣』となって、ズバズバと世界を裁いていくだろう。その時に、もし、人間が動物を虐待し、森林を燃やし、酒池肉林の欲にまみれたまがまがしくもおどろおどろしい生き様を見せていたなら、その『人間』たちは、あっけなくその『鋭い剣』によって裁かれるだろう。
その時に、もし人間が動物を愛護し、森林を大切に扱い、人に感謝し、配慮し、助け、愛で、教え、説き、育て、守り、働き、そして与えられた分だけを楽しむのであれば、その『人間』たちは、頼もしい『鋭い剣』によって守られるだろう。
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[alert title=”注意”]※これらの言葉は参考文献や史実に基づき、運営者が独自の見解で超訳し、自らの生きる糧、自らを戒めるため、内省の為に日々書き留めたものです。史実を正確に把握したい方は正当な書物をご覧ください。[/alert]
参照文献
[memo title=”聖書”]シラの書 第26章。[/memo]
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