1980年代おすすめ映画ランキング(50作品)
1.バック・トゥ・ザ・フューチャーシリーズ(BTTF)
この映画の印象と言えば爽快さだ。だから『トゥモローランド』にあったスピーディな展開に、この作品の面影を感じたわけである。過去や未来を行き来したり、時間の概念を飛び越えて冒険するこの物語は、映画のエンターテインメント性を十二分に引き上げた。
映画といったらこのテーマ曲。観たのが子供だったこともあり、とてもワクワクした。音楽の力を借りて映画の中を冒険できた。過去や未来を行き来したり、時間の概念を飛び越えて冒険するこの物語は、映画のエンターテインメント性を十二分に引き上げた。何を隠そう、私がここまで映画のことが好きになったのは、この映画の存在があったからだ。
2.ニュー・シネマ・パラダイス
この映画があまりにも良かったので母親に鑑賞を推奨したが、なんとあまり感動には至らず、『男性向けなのかもしれない』と発言。私はとても残念だと感じた。それもそのはず、彼女は映画を観ているのに途中で何か違うことを初めて『ながら観』したり、トイレに行くときは一時停止をせず、それで『映画を観た』と発言する、私にとって考えられない軽薄な態度で映画(それ以外のあらゆること)に向かい合う人間だからである。
確かに私も最初は、聞きなれないイタリア語と、品のなさそうな子供とおじさんのやり取りを見て、B級映画のような気配をそこに感じてしまったことは認める。だが、この映画は2019年に観た映画の中で最も感動した作品となった。
必ずどこかで聞いたことがある音楽。そして、『パンと魚の話、やっぱりあれはあり得ないよ…』という、聖書を知っている人にしかわからないユーモア。きっと、この映画を『真剣に』観た人であれば、あの映画館とアルフレードとのお別れが惜しくなっているだろう。
3.となりのトトロ
以前、ジブリの映画をもう一度上映するということで、アンケートを集めるイベントがあった。その時は、『千と千尋の神隠し』が選ばれ、私も何度もエントリーしたが、予約を取ることはできなかった。しかし私が投票したのは千と千尋ではなく、このとなりのトトロだった。なぜか一つしか見れないとなったとき、私はこの作品を選んだ。
同もうそろそろ生まれてくる子供たちはこのような日本の景色にノスタルジーを感じることはなくなるだろう。だが、私の時代はギリギリ、子供時代の田舎はこういう大自然が周りにたくさんあった。今、松郷の景色はすっかり変わってしまったので、更に数十年も経てば、まるでもののけ姫か白黒テレビの時代の昔を観るように、異世界の話と思うだろうか。夏の日差しを思いっきり吸い込んで躍動した大自然の夏の景色が、人間の精神を解放させる。
4.風の谷のナウシカ
有機水銀分解菌と『風の谷のナウシカ』。この映画を観る前に、必ず見ておくべき記事だ。『腐海』が誕生した理由を、知っているだろうか。オウムが出てくるシーンや、久石譲の娘が歌うあの少女の鼻歌は怖かったが、心が躍動するシーンでかかる音楽はどれもこの作品の奥行きを何階層も深くしている。
5.魔女の宅急便
魔女の話と言ったらこの作品しかない。この映画であまり魔法は出てこないのだが、魔女の話となれば、この映画を『ファンタジー』ランキングにランクインさせないわけにはいかない。女性が独り立ちする。それも、15歳の少女がだ。純粋だけで生きていければいいが、人間がいる限り、純粋さだけで生きていくことはできない。しかしどうしてだろう。彼女なら、純粋さだけで生きていける気がするのは。光は闇をも凌駕する。『本当に純粋』な人は、周りの闇を、光に変える。
『海の見える街』、『ルージュの伝言』、『やさしさに包まれたなら』。いつ聴いても心が和んで、穏やかな気持ちになる。この音楽を聴くと、大人になってバラバラになってしまった私の家族の絆を、心底の根底で感じ取ることが出来る。キキが清々しく、澄み渡った大空をほうきで飛んでいるシーンが印象的で、この映画は夏の映画という印象がある。とんぼたちとの思い出も、夏休みの思い出のような、儚く切ない、それでいて色濃い時間だった。きっと人生最後の夏にこの映画を観ると、人生を清々しく振り返れそうだ。
6.戦場のメリークリスマス
『Merry Christmas Mr.Lawrence』。繊細な人間の心の隅々に染み渡るこの曲は、あるとないとでは、その作品の価値に天と地の差が出る。そして、この映画が他の戦争映画と一味違うところは、ラスト10分の次のセリフが存在するところである。
7.キング・オブ・コメディ
現代を生きる人なら誰もがこの映画を観て思い出す映画がある。『JOKER』である。とても贅沢な感覚を味わうことができる。なぜならJOKERのスピンオフを見たような、奥行きを見たような、そういう感覚を覚えることができるからだ。間違いなく、この二つの映画は併せて観るべきだ。
※この後、wikipediaに『ロバート・デ・ニーロが本作との関連を示唆している。』という記述が付け加えられた。ジョーカーとこの映画にはやはり関連があるという。また『フォックスキャッチャー』においては、俳優のスティーヴ・カレルと映画監督のベネット・ミラーが、本作の主人公であるルパート・パプキンの社会病質性を参考にしてジョン・デュポンのキャラクター像を造成したと言っているという。
8.スタンド・バイ・ミー
『Stand by me』。実は、大人になってからまだ見返してないのだ。しかし、線路を歩く4人の子供の姿と、この音楽が頭に焼き付いて離れない。
(追記:この間久しぶりにこの映画を観た。やはり、メインは線路を歩く子供たちだったようだ。死体があったという場所に、中学生になる手前の悪ガキ四人組が、半家出のような形で冒険に出るのだ。子供の頃、こんなことでも大冒険だった。子供時代を経験しているすべての男たちは、きっと彼らの冒険を通し、人生を内省する。)
9.インディジョーンズシリーズ
パイレーツ・オブ・カリビアンが世界を席巻するまで、冒険映画はこのインディ・ジョーンズだった。インディ・ジョーンズの映画を観て、よく冒険心をくすぐられたものだ。私も色々なところへ行ったが、彼のように世界中の秘境を見て回ることは、今でも私の目標の一つだ。
よくよく考えてみると、時代を作った映画は音楽もひときわ個性的であることがわかる。この作品を観て探検がしたいと思った人は大勢いる。私もそのうちの一人だ。当時、私は本当に、探検がしたかった。インディジョーンズのように。
ちなみに映画史『Screen』にて紹介された『アメリカ史に残るヒーロー10人』には、
- ダーティハリー
- ターミネーター
- バイオハザード
- ビバリーヒルズコップ
- スーパーマン
- ロッキー
- トゥームレイダー
- エイリアン
- ダイハード
- インディジョーンズ
この10人が挙げられている。
10.アンタッチャブル
アメリカでは、1920~1930年代で禁酒法として、酒を飲むことも販売することも禁止された時期があった。だが、麻薬と一緒でそういう人間の快楽を煽る商品というのは、ニーズがあるものである。それも強いニーズだ。だからそれらには依存性のリスクがあり、人間社会でも常に危険視されているのである。
実在したギャング、アル・カポネは、その人間の潜在的ニーズを熟知し、そこに働きかけて暗躍していた。多くの人々は彼に恐怖し、警察内部にすらその影響は回っていた。では、彼らは野放しのままでいいのか。そこで立ち上がったのが、『アンタッチャブル(誰も手出しできない者たち)』と言われた、信念の男たちである。
11.ガンジー
アインシュタインは言った。
将来の人たちはとても信じないだろう。このような人間が実在したということを。
革命家は大勢いる。どれも、支配からの脱却や、基本的人権の尊重、生来平等の主張等、正当性が認められるものばかりだ。だが、アインシュタインの言うように、ガンジーのような方法でその意志を主張し、多くの人を動かし、世界を変えた人物はいない。時代が時代なら、彼はブッダ(釈迦)やキリストのような扱われ方をされ、崇拝の対象となるだろう。これは30万人を超えるエキストラが参加した、人類史上に残る壮大な歴史映画であり、人はこの映画を観ることを避けて通れない。
12.ターミネーターシリーズ
『デデンデンデデン』。いや、今この音楽をテキストで入力しようとして『デデ』まで打ち込んだら、勝手にPCが冒頭のテキストに導いた。これがこのBGMの実力である。オンラインゲームなどをしていても、世代ではない少年たちが、ゲーム内でこの音を鳴らして遊んでいるのをいまだに見かけるくらいである。この地球においてサイボーグと言えば、ターミネーターだ。いつか本当のサイボーグが出来てサイボーグの概念が塗り替えられるまで、その常識は続くだろう。
なみに映画史『Screen』にて紹介された『アメリカ史に残るヒーロー10人』には、
- ダーティハリー
- ターミネーター
- バイオハザード
- ビバリーヒルズコップ
- スーパーマン
- ロッキー
- トゥームレイダー
- エイリアン
- ダイハード
- インディジョーンズ
この10人が挙げられている。
13.フットルース
誰もが一度は聴いたことがあるあの音楽。この映画のサウンドトラックは日本のオリコン洋楽アルバムチャートで1984年に通算18週1位を獲得したという。人間が歌や踊りを愛するようになったのはいつからだろうか。大切な人が死に、あるいは生まれ、美味しい食事を祝う。そう。自分たちの心が大きく揺れ動いたとき、我々の心も躍動してきた。
我々のこの情熱は、止めていいのか。確かに止めることによって得られる抑止効果もある。そう考えると、『リベリオン』。この映画と併せて観ることで、この映画はより一層深い奥行きを見せることになる。
14.普通の人々
この映画を事前情報なしに観るのは根気と想像力が必要だ。開始一時間半くらいまでのこの時間を、忍耐強く彼らの身になって考えることができるかが求められる。精神的なタフさがないと、状況の理解という境地までもっていくことはできないだろう。だが、私はこの作品があまりにも教訓性が高かったので、この後に口論した母親と二人で、もう一度この映画を観た。
『一緒に観て考えよう。あなたはこの彼女と同じ行動を取っている。客観視するんだ。』
我々にとってこの映画は、あまりにも感慨深い映画となった。
15.ブラック・レイン
マイケル・ダグラス演じる気性の粗いアメリカ人刑事と、高倉健演じる信義を重んじる日本人刑事。この2人が化学反応を起こさないと松田優作演じる稀代の悪人を倒すことはできない。果たして、価値観の違う2人の男は心を通じ合わせることができるか…
16.ラストエンペラー
1905年~1987年までの中国を描いた作品。中国の皇帝、溥儀(ふぎ)は、中国の最後の皇帝となった。ラストエンペラーである。彼が亡くなったのは1967年だ。だから内容的には溥儀の子供時代から老いて死んでいくまでの一生を描いた、壮大な歴史映画である。もし、日本人で彼の名や、その生きた道を知らなかった人がいるなら恥を覚えるだろう。それくらい日本人にとっても彼は重要人物なのだ。最後にはきっと彼の生きた壮絶な人生を想像し、感慨に浸るだろう。
17.フラッシュダンス
もしこの映画のファッションや音楽にある種の古臭さを覚える人がいるなら、問題ない。この映画にはそれを超越したエネルギーと見ごたえがある。人間は、あまりにも時代が離れていると違うが、少しだけ離れている時代のことは軽蔑するものである。『ダサい』のだ。だからそのダサい時代を生きた人間も同時に軽視してしまうことになる。だが、実際には違う。思い知ることになるだろう。いつの時代もそこに人間がいる限り、抱える悩みは同じで、進むべき道も一つなのだということを。
18.トップガン
なんといっても『Danger Zone』が有名。一度聴いたら耳に焼き付く名曲とともに、トム・クルーズ演じる空軍エリートの一時代を切り抜いた映画だ。
トップガン マーヴェリック
気になるのは『彼』の現在だ。実際の映画とほぼ同じだけの30年という年月が経った今、かつてのエネルギーは彼にあるのか。 この映画は『トップガン』の余韻ではないか?前作を超えられるのか?様々な想いが頭の中を駆け巡る。
トップガン。それは戦闘機乗りのエリート中のエリートをかき集めたわずか10数名の精鋭集団。 普通、無知とエネルギーが溢れる選りすぐりの天才たちは、『遺物のおっさん』を認めない。 ・・だがおかしい。なぜ『彼』の後ろをその天才たちが飛ぶのだ。何があった?『彼』は何をした?
当時、『F14』という戦闘機は有名だったが、今では通用しない過去の遺物である。・・なぜそんな話を私がするかって? まさか、『彼』が『F14』に乗って敵と戦うとでも言うのか。あまりにも無謀だ! ・・この男。やはり只者ではない。我々は最後、この男の伝説の雄姿を見届けることになる。
19.ビバリーヒルズ・コップシリーズ
子供の頃に聴いて耳から離れないあの音楽がどうしても聴きたくて、もう一度鑑賞。するとやはり、ほとんど初見だった。字幕も初だし、とても新鮮だった。そして最高だった。彼の爽快な活躍と、あのBGMは。一度聴いたら耳に焼き付いて離れない。クラブシーンでもよくこの曲が用いられることが多く、エディ・マーフィが演じる痛快な役柄とマッチした。警察と言えば、これと『古畑任三郎』、そして『刑事コロンボ』の音楽。一昔前になると『太陽にほえろ!』などが挙げられるだろう。
ちなみに映画史『Screen』にて紹介された『アメリカ史に残るヒーロー10人』には、
- ダーティハリー
- ターミネーター
- バイオハザード
- ビバリーヒルズコップ
- スーパーマン
- ロッキー
- トゥームレイダー
- エイリアン
- ダイハード
- インディジョーンズ
この10人が挙げられている。
ビバリーヒルズ・コップ2
ビバリーヒルズコップなのに主人公がデトロイトの警官という妙な設定だが、1と全く同じクオリティをキープしているあたり、嬉しい作品である。この映画と言ったらあのBGMと、白い建物だったのだが、どうやら幼少期の記憶はこの2のことだったようだ。
ビバリーヒルズコップ3
ダウンタウンの2人が久しぶりに2ショットトークをすることが決まり、菅プロデューサーが完全にいなくなって『ガキの使い』が一新された。新しいオープニングに、新しい服装。生まれ変わって、こぎれいになった。ビシッとスーツで決めてクールだ。だが、私はガキにクールさを求めてはいなかった。時にチープさは最大の演出となる。阿部寛のHPがいつまでも昔と同じでファンがいるのと同じだ。この映画のBGMも同じ。我々が好きだったのは、1、2で聴いたあの余裕のない中生まれたクオリティだった。シリーズが『3』で衰退するのには理由があるのだ。
だが、アメリカの映画界は『映画史に残るキャラクター10』の1人に、このアクセル・フォーリーを入れた。彼は歴史に名を刻んだのだ。
20.プレデターシリーズ
プレデター
父親が家にこのビデオを持っていたことが手伝って、この作品は子供の頃から常に見続けてきた。過度に依存はしていないが、そういう意味でとても貴重な映画なのだ。シュワちゃんがムキムキで友人と腕相撲をするシーンや、泥に隠れたはずがプレデターに見つかったシーン、ガムをくちゃくちゃ噛みながらマシンガンぶっ放すシーンなど、強烈に頭に焼き付いているシーンがいくつもある。その中でも、やはり最も強烈なのが音楽だ。すべてが絡み合ってこの映画の価値が引き上げられている。
プレデター2
『リーサルウェポン』のダニー・グローヴァーがたった一人でプレデターと戦う。子供の頃の印象は、シュワちゃん率いるあれだけの最強軍隊が総出でかかって負けたのに、一体このおっさんは誰なんだという印象だった。大人になって彼がどういう俳優かを知っていったのだが、この作品のピークはやはり1だったと言える。だが、興行収入が減り、オワコン化したのかというとそうでもない。この映画のコアなファンが大勢いて、新作が出るたびに話題になるのだ。それだけ強烈に人の心に侵入してくる。それがプレデターだ。
エイリアンVSプレデター
エイリアンはカウボーイとも戦っているが、実はそのエイリアンはこのエイリアンではなく、違うエイリアンだ。プレデターも色々な戦士と戦ってきた。その中で、もちろんシュワちゃんとの戦いが最も見応えがあったが、それ以外で見ものだった対決と言えばこれだ。怪物界の二大スターがこの作品で全面衝突する。
プレデターズ
とある人々が気づいたらパラシュートで落下していて、地上に降り立った。記憶をたどって考えても、状況的にも、自分の生い立ち的に考えても、それは歓迎されておらず、近くにいるのは敵であることは明白。急いで武器を見つけ、見つけた人間がいれば尋問し、状況を確認する必要がある。すると、気づけばそこに集まった人々は、傭兵、軍人、マフィア、ヤクザなど、世界各地から集められた問題児たちだった。
ザ・プレデター
20年以上も前にシュワちゃんの『プレデター』を何度も何度も見て、BGMが頭に焼き付いている私にとって、この曲がいまだに新作映画で、映画館で流れているのが不思議である。プレデターはエイリアンだ。賢く、高い攻撃力を備えている。人間は、彼らにどこまで対抗できるのだろうか。彼らの存在を通して、人間の潜在能力の高さを垣間見ることができる。この映画の音楽を、いまだに映画館で聞くことができるのは不思議であり、うれしい。
プレデターはエイリアンだ。賢く、高い攻撃力を備えている。人間は、彼らにどこまで対抗できるのだろうか。彼らの存在を通して、人間の潜在能力の高さを垣間見ることができる。
21.ランボーシリーズ
ランボー
ジョン・ランボー。彼の名はもちろん私の心にも轟いていた。だが、シュワちゃん好きだった父親の影響で、私が観る映画にスタローンの作品が少なかった。だが当然、いつかは観ると決めていた。するとやはり、この男は映画界の歴史に残るだけの破壊力を持っていることがわかった。シュワちゃんが『プレデター』で演じた同じ元グリーン・ベレーのシェイファー少佐と、もしランボーが戦ったらどうなるか。シュワちゃんびいきをしたい私でも、ランボーの持つ潜在能力を見てしまったら、頭を抱えるところである。ランボーは無敵であってほしい。見終わった後には、そう考えている自分がいるのである。
ランボー ラスト・ブラッド
この映画に低い評価をつける人がいたが、恐らくそれは動画配信サービスの普及による、映画に対する敬意が下がった証拠だろう。もちろんそれ以前にWeb2.0時代を経てから大勢がブログやTwitterや評価サイトで自由に意見できるようになり、玉石混交化したこも一つの理由だ。
単純に、70歳を超えた人間が映画の主演を務めるだけでも大変なことで、ランボーとて晩年を迎える。だから、もっと衰退した彼の姿があったって別に不思議ではない。例えば『Mr.ホームズ 名探偵最後の事件』のように、痴呆が進んだシャーロックホームズが描かれることもあるのだ。
そんな中、ランボーはよく頑張った。最後の最後まで孤高に戦い続け、映画界を盛り上げてくれたのだ。私にはそういう哀愁しか覚えなかった。
また、単純なシーンだが、人から情報を聞き出す際の手際の良さには笑ってしまうほどだった。(これがプロよ)と、いまだに現役の若者すら背筋を凍らせるほどの無駄のない行動は、賞賛ものだった。映画ファンなら思わず心の中で、(40年間、お疲れ様ランボー・・)と呟いただろう。
22.エレファントマン
19世紀のイギリスで「エレファント・マン」と呼ばれた青年ジョゼフ・メリックの半生を描く。やはり実話映画というのは圧倒的に重みが違う。1981年の日本での興行収入一位を記録。月曜ロードショーで放送された際、26パーセントの数字を記録した。これは1982年の洋画放送視聴率の一位である。
時は、現在のイギリス女王エリザベス2世の曾祖母、アレクサンドラ妃が息をする19世紀のロンドン。『象男』などと呼ばれた理由は、彼らのような人々が簡単に『奇人』として扱われた人生問題が緩い時代だったことや、彼が『サーカス』のような見世物小屋にいたことなどが影響している。
『グレイテスト・ショーマン』の人々とは違い、彼の場合は暗い。いや、『歩けない』のだ。サーカスなどとは無縁の、もっと悲惨な状態だった。彼を守ろうとしたホプキンスが演じる外科医と、彼が務める病院の院長のこのやり取りが、すべてを語っている。
つまり、この外科医が彼を見世物小屋で見つけて彼のパートナー的立場で展開されることから、つい皆は『彼だけが唯一の理解者である』という印象を覚えてしまうのだが、いささかそうではないというところが、この話の奥深いところなのである。
事実、アレクサンドラ妃は彼に理解があり、
『イギリスで最も不幸な人の一人に、安心の家を』
というメッセージを出し、彼を守っている。彼を世話する看護師たちもそうだ。
では、彼は幸せなのか。幸せになったのか。我々は最後、彼の一生を見届けた時、得もいえぬ感情がこみ上げてくるのを実感し、そして自然と自分の人生を内省しているだろう。
23.愛と青春の旅だち
私はしばらく探していた『粋な教官』を、この映画でようやく見つけることができた。まだ映画を真剣に観ていない頃、しかしそのシーンだけは心に刻まれていたのだ。それがこの映画だった。なぜか古い映画には、それだけで低いクオリティだと決めつけてしまうところがある。だが違う。不朽の名作というのは、やはりどれだけの歳月が経っても、人の心を揺り動かすのである。
24.火垂るの墓
私はスタジオジブリの映画が好きで、宮崎駿作品はすべて見ている。だが、家のすぐ近くにある三鷹にあるジブリ美術館にはまだ行っておらず、この作品やいくつかのジブリ作品は見ていないままである。そこにある感情は、『もったいない』というものだ。宮崎駿の作品はすべて見たいが、ジブリ作品は未開拓の状態でいたい。そういう気持ちがこのような結果に繋がっているのである。だが、今回ようやくこの作品を見ることになった。
かつて、大島渚やダウンタウン浜田雅功と殴り合って喧嘩をした野坂昭如の壮絶な戦争体験を基に作られた、実話ベースの衝撃の作品。これを観ると、宗教に悩まされ、宗教が嫌いになった私ですら、宗教がこの世にあってほしいと願ってしまうのである。また、暴れん坊で品性がない印象があった野坂に対する見方も大きく変わることになる。彼がどういう思いで戦後の人生を生きてきたかを考えると、あんな事件もこんな出来事も、彼にとっての戦争(戦い)だったのだ。
25.乱
シェイクスピアの悲劇『リア王』と毛利元就の「三子教訓状」を元にしており、主軸となる人物は架空である。シェイクスピア三大悲劇のもう一つ『マクベス』は『蜘蛛巣城』で描かれている。黒澤の最高傑作の一つとして国内外で高く評価されていて、実に多くの名誉ある賞を受賞している。それだけ見応えのある映画だ。玄人たちや製作者側の意見だけじゃなく、視聴者側の私が観ても、素直にそう感じることができる映画だった。
まずはこういう裏話を見てみよう。
主演の仲代達矢は「60年以上俳優をやってきて、一番多く出演料をいただいた作品」と語っている。高倉健はこの作品の出演を断り、黒澤に「あなたは難しい人」だと言われたが、その後偶然『乱』のロケ地を通ったことがあって、出演すれば良かったと後悔したという。それだけ迫力のある映画を作っているのが遠目からでも分かったということだ。
アメリカからクォーターホースを50頭輸入して調教しているが、それは『影武者』を観た調教師から「戦国時代にあのような格好のいい馬(サラブレッド)はいない」と指摘されたためであったという。劇中で読まれない手紙の中身まで書く黒澤明の細部へのこだわりが、こんなところにも出ているのがわかる。
落城シーンは、富士山麓の御殿場に4億円をかけて巨大な三の城のオープンセットを作り、実際に火を放ち炎上させた。この撮影地は奇しくも『蜘蛛巣城』と同じ場所だったという。そしてその落城シーンはワンカット一発撮りで撮り直しは不可能なため、リハーサルに1週間をかけ、撮影本番では城内に仲代ひとりを残してスタッフが撤収してから火を放ち、8台のカメラで撮影した。
死んでしまう可能性だってある。『蜘蛛巣城』では三船敏郎に本当に矢を射て撮影したが、今回は仲代達矢が体を張ったのだ。彼が一発で演技を決めなければ大損害が出たという。だがそれを一度で見事に成功させ、仲代は顔半分に火傷を負い1週間休んだ。そして、「役者って、画(え)になりさえすれば、何だってやってしまうんですよ」と語っていたという。
これを見るだけで、もうこの映画が半端ではないことが何となく伝わってきたはずだ。命がけで撮影されている。それは絵から十分伝わってくるのである。表層より実際を好む高倉健が嫉妬したのが一つの証拠でもある。
私は映画を『ながら観』することがあるが、それは映画の展開がわかってしまうからである。だが、これは私にそうはさせない。テレビの真正面に来て、真正面から見て、その目で焼き付けろと言わんばかりに、テレビの方向からただならぬ気配が漂ってくる。白黒映画もそうだが、彼が色を操るとここまでを描くか。
26.キリング・フィールド
1960年のカンボジア。1955年11月から1975年4月30日まで行われたベトナム戦争を考えてもわかるように、この時代の東南アジアは、荒れてしまっていた。『クメール・ルージュ』と言われる過激な武装集団が存在していた。彼らの中には10代の若者も大勢いて、その荒れた地を生きていくために、彼らなりの自己防衛を主張し、カンボジアを力づくで統制しようとしていた。これは、後にピューリッツァー賞を受賞したシドニー・シャンバーグの体験に基づく実話を映画化したものである。そこら中に死体の山が転がっている光景を見たとき、人は何を想うだろうか。そこにある遺骸は、我々に何を訴えかけるだろうか。
27.フルメタル・ジャケット
この映画の主人公は一人ではない。どう考えたって、前半と後半で雲行きが違う。いや、確かに全体的には戦争という歪んだ現実に対する風刺である。悪く言えば大げさなのだが、これは映画だ。そういうエンターテインメントが観客を大いに喜ばせる。その意味で、やはりスタンリー・キューブリックという人間は、鬼才である。1957年の『突撃』と並び「反戦映画」と称される事があるが、キューブリック監督自身には本作と『突撃』いずれにも「反戦映画」という意識はないという。
また、作中に流れるミッキーマウスマーチだが、これはこのベトナム戦争を継続し続けたニクソン大統領を、あのウォルトディズニーが支援していたということで、『ベトナム戦争はニクソンもウォルトディズニーも応援する活動だ』というメッセージに見えるが、この話を聞くとこの映画が反戦映画ではないということなので、そこにメッセージ性はないだろう。だが彼は常に、『生のカオスを描きたい』とか、『戦争そのものを描きたい』として、真実の描写にこだわりがあったようで、
ベトナム戦争=ニクソン=ウォルトディズニー=ミッキーマウスマーチ
という図式を考えた時、やはりこれはある種の風刺なのかもしれない。『ほほえみデブ』の狂気は映画史に残る伝説となった。またこの教官だが、当初、訓練教官役への演技指導のために、海兵隊の訓練教官を務めた経験のあるこの男が選ばれた。しかしその迫力が余りにも生々しく圧倒的だったため、自ら訓練教官を演じることになったという。
28.プラトーン
監督でもありアメリカ陸軍の偵察隊員だったオリバー・ストーンの実体験に基づき、ベトナム戦争の際にあった虚無たる真実が映画化された。強奪、放火、強姦、ドラッグ、虐殺、裏切り、仲間割れ。戦争を生き抜く人間の精神が荒んでいく。そのような戦争の地獄を生き抜いた人の意見はいつも一致するのだ。それは、ただひたすら戦争には虚無しかなかったことの証なのである。
29.シャイニング
この名作は様々な映画でも取り上げられることがあるので、一度見ておいた方がいいだろう。そうすれば映画の中で置いてけぼりにならない。それぐらい、多くの映画人がこの映画を観ているのである。例えば、『レディプレイヤー1』ではこれを観ていなければわからないシーンが重要シーンで盛り込まれている。2019年にはこの40年後の話『ドクター・スリープ』も放映された。
30.その男、凶暴につき
一言で言えば、混沌としている。秩序がないのだ。従って、狂気に満ちている。正義があるようでないから、そこに広がっているのは光ではなく闇である。しかし昼間には太陽が差し込み、音楽は名曲が流れる。だが、どこかそれが歪んで聞こえる。それは、この作品が狂気に満ちているからだ。
31.愛は静けさの中に
とにかく主演のマーリー・マトリンが美しい。当時21歳だった彼女は史上最年少でアカデミー主演女優賞を受賞。彼女は実際に耳が聴こえない人である。この映画には驚かされた。1986年という古い映画に不変的なインテリジェンスを感じるのは珍しいことで、むしろほとんどない。私がこの時思い出した他の類似映画は『インセプション』などの類だ。展開が読めず、その展開が理にかなっていて、そのスピード感が賢いのである。人間は、
- 直線脳
- 迂回脳
として、脳の使い方を分けるものだ。分かりやすく例を出そう。
『これやっておいて』『はいわかりました!』
『これやっておいて』『え?・・えーと今日は用事が・・あったかな・・たしか、あ、はい。でも、できるかな・・あの人の方が』
どちらがどっちかということは説明する必要はないだろう。質問や直面する問題に対し、スッと来たら即答でサッと返す。こういう脳の使い方をする人は、何も考えていない無責任な人間か、相当な下積みがあり、基礎を積んでいて、そのデータを元に算出したから紛れもなくそれができる、という算段の上での人かどちらかだ。
だが迂回脳的な使い方の人は、未練がましく、自信が持てない。責任転嫁に慣れていて、なるべく楽をして生きていきたい。それによって誰かに負担が回ることになっても自分本位だからそこまで気にならない。そう考えた時、どちらが知的な脳の使い方であるかということは一目瞭然だ。もちろん短絡的に直線脳だから賢いということではない。基本的な考え方がこれである。
そうした一つ一つの事実を照らし合わせて考えると、この映画の展開と彼らが織りなす会話や意思疎通は、とても感心するレベルである。障害を負った人という、『常識から外れた人生』を送る人と、それを教育する人を『猛者』と考えた時、この要素を受け入れることができる。壁があることが当たり前という前提で展開される知的な物語からは、尊ささえ感じたのである。
32.遠い夜明け
南アフリカで人種問題と戦った人間と言えば、真っ先に思い浮かぶのがネルソン・マンデラである。だが、彼は1964年から実に27年間もの間投獄されてしまったのだ。では、その間に社会では誰が黒人解放の指揮を執ればいいか。そこで活躍したのが、スティーブ・ビコである。彼の名を知らないのも無理はない。彼は30歳でこの世を去った。それも、人種差別という理不尽な問題が原因で、命を落としたのだ。
彼の役を演じたデンゼル・ワシントンはその他にも『マルコムX』、『グローリー』等で信念のある知的な黒人男性を演じたが、黒人コメディアンのエディ・マーフィがハリウッドで大受けしていた時代に、デンゼルはコメディーだけが黒人俳優の仕事ではないと主張するため、敢えて人種間の緊張を引きずる作品に出ていたという。
33.レインマン
サヴァン症候群の兄レイモンドは、確かに異質であり、さっさと死んでもらうか何かして、遺産を自分だけのものにしたい。兄がいたことなんて知らされていなかったんだし感情移入もできない。自分の会社の経営のことを考えても、悪いが遺産は俺のものだ。弟のチャーリーはそう思った。だが、彼は兄との策略に満ちた短い生活の中で、とあるキーワードを耳にする。『レインマン』である。
おかしい。兄が言ったその言葉、どうも聞き覚えがある。チャーリーは自分の心の中で、大きく何かが動いたのを感じた。
34.いまを生きる
原題の「Dead Poets Society(死せる詩人の会)」は劇中の教師ジョン・キーティングがウェルトン校在学中に結成した読詩サークルの名前で、没した古典的詩人の作品 のみ読むことから名付けられた。ロビンウィリアムズが演じる『決して道を逸れない信念の男』は、
- グッドモーニング, ベトナム
- グッドウィルハンティング
- いまを生きる
- パッチアダムス
- レナードの朝
このあたりの映画がそれに共通している。その中で『道を逸れない』というのは往々にして非暴力を意味するが、今回の場合もそうで、かつその中では力強い意志を持った人間が描かれる。彼のドラマで感動が生まれるのはやはりそのポテンシャルがあるからに他ならない。ただ弱気で内気な人は大勢いる。そして、ただ暴力的でガサツな人間も大勢いる。しかし、知性の上に成り立つ静けさを持ち、かつ心底に決して折れない一本の槍を抱えた人間というのは、稀である。
したがって、彼のような人間は失った時にその存在の偉大さに気づくことが多い。なぜなら、彼のような人間は普段『群の中』にその身を潜め、自分が群を抜く存在だということを誇示しないからだ。
35.ウォール街(ストリート)
ウォール街
ゴードン・ゲッコーの圧倒的存在感が世界中に大きなインパクトを与えた。特にアメリカでは彼に憧れて投資業界に入る者が続出したという。監督は倫理が崩れたことについて遺憾の意を述べたが、スタンリー・キューブリックはこう言っている。
『芸術家は作品の芸術性にだけ責任を持てばいい。』
彼も『時計仕掛けのオレンジ』の宣伝コピーを、『レイプとウルトラ暴力とベートーベンがオレの生きがい。』というセンセーショナルなものに作り上げ、多くの批判の声が上がった。この映画に触発され、犯罪に走る若者が増えたのだ。
ウォール・ストリート
1987年の映画『ウォール街』の続編。注目するべきはこの映画が2010年の映画ということだ。23年という時間が経って金融市場はどのように変化があったか。そしてその間に起きたサブプライムローン問題(2007年)はこの映画にどう影響を及ぼすか。だが、最も注目したいのは『チューリップバブル』というキーワードだ。
経済学の巨人と言われたガルブレイスは、1636年のチューリップ狂の経験以来、 何も変わらないある法則を見極め、こう言っていた。著書『バブルの物語』にはこうある。
『個人も機関も、富の増大から得られるすばらしい満足感のとりこになる。これには自分の洞察力がすぐれているからだという幻想がつきものなのであるが、この幻想は、自分および他の人の知性は金の所有と密接に歩調をそろえて進んでいるという一般的な受け止め方によって守られている。』
このチューリップバブルの話が作中に登場する。ゲッコーの家にこれを記載した張り紙があるのだ。その意味で、非常に教訓性の高い内容となっている。
36.ゴーストバスターズシリーズ
ゴーストバスターズ
強烈に耳に焼き付くあの音楽のおかげで、まだ子供だった私にもこの映画に対する恐怖心はなくなっていた。お化け屋敷は怖さを前面に強調して楽しませるが、こういう切り口でゴーストを楽しむことができるのは嬉しい。音楽というのは映画にとって欠かせない要素の一つだ。それ自体が広告になり、『この音楽なんだっけ?』という会話の時に自然発生的に『ゴーストバスターズ』の名前を各人に浮かび上がらせることができる。
ゴーストバスターズ(2016年)
思わず踊ってしまいそうになる、あの軽快な音楽、30年経ってもその感覚は全く変わらない。映画館にいた外国の女性たちもこのBGMが流れた時、楽しそうに体を揺らしていた。当時、興行収入1位を取った映画だ。バスターズが女性になることに多少の違和感はあったが、実際は全く関係なく、面白かった。
37.ビッグ
大きい。それがビッグという言葉の意味だ。何が大きいのか。それは『子供』である。子供なのに2mくらいある人間の話だろうか。違う。では、子供なのに大きな器を持った人間の話だろうか。それも違う。それは映画を観始めればすぐに分かることだ。常識ではあり得ない展開が待ち受けていることになる。
だが、これは単なるファンタジーの話で終わらない。それは、教訓性に富んでいるからである。妙な感覚に包まれる。現在の自分の既成概念や固定観念、思い込んでいるすべての常識を、再検討したくなる。そして、自分にとって何が一番大切で、本来人は、どんなことに魅力を感じ、それに忠誠を誓っていくべきか、そういうことを思い知ることができる。
38.グーニーズ
ゲームの音楽があまりにも強烈で、あれがゲームオリジナルBGMかと思い込んでいたが、そう言えばシンディ・ローパーだった。子供が楽しめる面白い冒険ものなのだが、とにかく終わった後もあの音楽を口ずさんでしまって仕方がない。
39.スカーフェイス
『ゴッドファーザー』でイタリアマフィアを演じたアル・パチーノが、今度はキューバからアメリカにやってきたチンピラ役を演じる。だが、野心溢れるこのアウトローは、裏家業で頭角を現し、みるみる出世してく。彼はそのまま天下を取るのか。それとも、『天下』など最初からこの世界にはないのか。
40.青い珊瑚礁

10代の頃では真価が分からなかった。美女の裸に過剰反応して、茶化して終わり。だが、こんなに深遠で美しい映画だったのだ。大人にならなければ分からない映画である。最後に大きな決断を2つするのだが、それが深遠で美しかった。美男美女だから映画だが、教材に等しいテーマだからだ。親が死んだときの子供に対する『死後の話』もいい。
41.ミシシッピー・バーニング
1964年に米ミシシッピ州フィラデルフィアで公民権運動家3人が殺害された実際の事件。犯人はKKK。つまり、白人至上主義の過激集団だ。黒人というだけで人間の権利を持っていないと考える彼らは、教会の前で祈ろうが子供だろうがお構いなしに襲撃する。そして、必死の思いで家族を逃がした父親を首で吊り、そのまま殺害しようとした。あまりにも衝撃的なこの事件を通し、人種問題の根深さを思い知ることになる。とりわけ、南部であるミシシッピでは黒人=奴隷という意識が強く根付いていたのだ。
42.太陽の帝国
イギリスの小説家J・G・バラードの体験をつづった半自伝的な長編小説を映画化。大日本帝国時代に捕虜にされたイギリス人の映画は、
- アンブロークン
- 戦場にかける橋
- 戦場のメリークリスマス
- レイルウェイ
などいくつもあるが、これもそのうちの一つである。クリスチャンベールの子供時代が見られるだけで貴重だが、物語自体もスピルバーグが監督をしていることもあってクオリティが高い。たまたま見かけるまで知らなかったのが不思議なくらい見応えがある映画である。様々な視点からこの時代を切り取ることによって、ようやく真実が浮き上がってくる。戦場のメリークリスマスも名作だが、それ以外の作品にもすべて目を向けたい。
43.ドライビング Miss デイジー
1940~70年代のアメリカを描いた映画で、やはりその話の節々には黒人差別問題が展開される。だが、南部では黒人だけではなくユダヤ人も迫害の対象で、KKK(白人至上主義)が集会所を襲撃するなど、そういう当時頻発した悲惨な出来事を交えて、モーガン・フリーマン演じる黒人運転手と、高齢のその雇い主である老婆の奇妙な関係が描かれていく。
この時代だから、キング牧師の話も出てくる。彼の説教を聞こうというのだ。主人公のデイジーは意固地な見栄っ張りだが、人種差別をするような人間ではなかった。その根幹にある優しい心は、運転手の男の誠実な心とリンクしていた。性格がゆえにそれが中々表面化されないが、晩年を迎える時、彼らの真の絆が明らかになるのだ。
アメリカは難しい時代だった。それに加え、彼らのような人間同士は水と油のように絡み合うことは自然ではなかった。そんな難しいシビアでリアルな現実が、この奇妙な二人の関係の絆の希少さを、盛り上げてくれるのである。
44.ライトスタッフ
ライトスタッフの意味は『正しい資質』だ。映画全体としての意味は、『選ばれた人間』というところ。宇宙飛行士になれる人間はごくごくわずかしかいない。『アポロ計画』よりも前に存在した『マーキュリー計画(宇宙に人間を送り出す国家プロジェクト)』を題材として、アメリカ人がソ連の『スプートニク』、そして『ガガーリン』の世界初の有人宇宙飛行の成功等に急かされながら奮闘する時代を描く。
このあたりの物語はぜひセットで観たい。『ドリーム』、『ガガーリン』、『ライトスタッフ』、『アポロ13』、『ファーストマン』である。これらで直接描かれるわけではないが、私は事前情報としてこれらの計画が『米ソ冷戦』に関連しているという話を押さえていた。そうした目線で見てみると、確かに水面下で彼らは確実にそれを意識している。その詳細記事がこれだ。
抜粋してみよう。
世界の人間と経済を支配するのは誰かを見極める闘争の渦中で、共産主義ソ連と資本主義アメリカが第二次世界大戦から学んだことは、より高く飛行できる方が敵の行動を監視する優位を得て、兵器の力を制御して、ついには世界の軍事的覇権を勝ち取れるということである第三次世界大戦すなわち『冷戦』においては、ドイツのロケット工学に刺激された米・ソは地球外宇宙空間に砲台をもっとも多く保持する者が、全地球上の軍事力を制御できると考えていた。月は、まさに『永遠の』空の優位性をもたらす星だったのである。
知らなかった人は、ぜひこの目線を踏まえた上でもう一度この米ソの宇宙競争を見てみよう。
45.タップス

トム・クルーズの映画デビューが1981年。これはその年の映画だ。それだけで貴重である。たまたまFilmなんたらの感想を見たらやれ『青春映画の域を出ない』だのなんだの。的を射ていないのはその視聴者である。
46.告発の行方
名作というものは時代を超えて伝わるものだ。私はこの動画配信時代の恩恵を受け、しらみつぶしに映画をリスインしまくって鑑賞をするのだが、中には正直退屈さを覚えるものや、何かの模倣、完成度の低いもの、偏ったものがある。
だが、こうして(これはすごいぞ・・)と背筋を伸ばして画面の前に座る映画もあるのだ。するとやはりこの映画で主演のジョディフォスターは、第61回アカデミー賞主演女優賞、第46回ゴールデングローブ賞主演女優賞 (ドラマ部門)を受賞していた。
まさにそのジョディフォスターの迫真の演技、体当たり演技がこの映画の鍵となってくる。『アリスの恋』はまだ子供だし、『タクシードライバー』もまだ未熟だ。だが『ダウンタウン物語』を含めたその時期から異彩を放ってはいたが、1988年のこの映画から彼女は完全に地位を不動のものにしたと言っていいだろう。
47.卒業白書
やはり現在生き残っている俳優というのは実力があるのだろうか。1983年の映画でも、最後まで見応えがあるのだ。『画が持つ』というやつなのだろうか。他方、今生き残っていない、現代人があまり知らないような俳優が出ている昔の映画を観ても、展開が面白くなく、ただ会話しているだけの日常風景が流れる場合、見る気が失せてしまう。これが名優の実力なのだろうか。
21歳の若いトムクルーズ観れるということでファンにとっては嬉しいだろう。現在の彼を知る人からすれば、『7月4日に生まれて』と合わせてこの映画は彼の意外な一面、あるいはスターではない彼の時代を見ることができる。『エージェント』も彼が一般人を描いていることが売りだが、それよりもこっちの2つだろう。彼にもこういう役をやった時代があるんだ、と感じることができる。『マグノリア』などもそれに含まれるかもしれない。まだ私も彼の9割ほどしか観ていないのだが。
当時、彼のダンスがある種のブームを呼んだということも考えると、『フットルース(1984年)、『フラッシュダンス(1983年)』という同時代にあった映画との共通点も見えてくる。まさにこの時代は日本で『バブル』が発生し、『お立ち台』で女性が踊り狂い、1万円札を手に取ってタクシーを止める時代があった。
彼が演じる少年はまだ高校生だ。17、18歳という年齢。そんな時期の少年が考えることは世界中の誰だって同じだ。その未成年の未熟な思考回路と、これから訪れる不透明な将来が、怪しくミステリアスな美女の実態と絡み合い、物語をこんがらがせていく。
48.旅立ちの時
『スタンド・バイ・ミー』のリバーフェニックスが主演。妙に奇妙で違和感のある設定だが、彼の両親がテロリストだ。これは説明が必要だ。主人公の両親のモデルは、1970年代に政府ビルの爆破などのテロ行為を行った過激左翼グループ「ウェザーアンダーグラウンド」の指導者ビル・エアーズと妻のバーナディン・ドーンとされる。2008年、この左翼テロリスト夫婦はバラク・オバマと大変親しい関係が過去より続いていたと報道されたという。
この情報を知っていればこの映画の奥行きが変わってくるだろう。爆破などは相当過激で正当化はできないが、70年代前後のあの頃のアメリカは、国の指導者が狂っていた。まず63年にケネディ大統領が暗殺され、弟のロバートケネディも暗殺。そしてニクソン大統領になり、ベトナム戦争に対する強硬姿勢は続いた。罪のない人間が戦争で命を落とし、多くの人たちがPTSDになる。
そのベトナム戦争のきっかけ『トンキン湾事件』もアメリカが仕組んだことなのだから、これはアメリカの指導者側が国民たちに大きく反対されるのも無理はないと言えるだろう。私とてそういう理不尽な状況で戦争に繰り出されたらそれくらいのことを考えるだろう。少なくとも妄信的に国に従うということは絶対にない。
この映画の主人公は両親ではなく彼らの息子だから、そこに直接は触れない。だが、そういう時代背景を考えると『そんな両親の子供の人生とは』という一つの疑問が浮かび上がるようになり、彼の心境を想像しながら映画にのめりこむのであった。
49.ビルとテッドの大冒険
90分しかない馬鹿馬鹿しい少年映画だが、キアヌリーブスの『さわやかな馬鹿』さ加減が大笑いしてしまう。そんな彼らが、
- ナポレオン・ボナパルト
- ビリー・ザ・キッド
- ソクラテス
- ジークムント・フロイト
- チンギス・カン
- ジャンヌ・ダルク
- エイブラハム・リンカーン
- ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン
といった偉人たちに出会ってしまうという奇天烈な内容も、中々面白い。馬鹿馬鹿しさの中にちょっとした教訓性があって、気軽に、かつファミリーで楽しむ映画として、ちょうどいい。
50.フランティック
タイトルの Frantic は「パニックに陥った」「混乱した」と言った意味らしい。フランスが舞台だから、フランス系の言葉なのかと思ったが違うようだ。フランスが舞台だから、聞きなれてなくて最初は(つまんないかな・・)という感じだったが、知らぬ間に夢中になってた。聞きなれない言語を聞くとなぜか退屈さを覚えてしまうのは不思議な事である。
ハリソンが外国の難しさを上手く表現してて、自分もミステリアスな渦に巻き込まれた気分になる。謎のフランス人美女役の女性が、ジャマイカ系アメリカ人のグレイス・ジョーンズの歌で踊るシーンがまた不思議な気配を醸し出していていい。この歌は葉加瀬太郎の曲などが収録されている『Image』でよく聞いていたので、原曲を知れて嬉しかった。
ランキング外おすすめ映画(50音順)
ランキングには入らない1980年代を代表する名作映画をまとめました。(クリックでレビュー表示)
『アウトサイダー』
『ゴッドファーザー』のフランシス・フォード・コッポラ監督映画で、マットディロンらが主人公で、トムクルーズが脇役として出ている貴重な作品である。ヤンチャな男なら誰もが共感を覚えるような少年たちの生き様が描かれる。特に意味はなく、計画性もなく、刹那的で、排他的である視野の狭い若者独特の世界観は、大人が見ていて非合理的そのものである。
だが三島由紀夫が言ったように、
『青春の特権といえば、一言をもってすれば無知の特権であろう。』
これが青春時代というものだ。方向的に、『スタンド・バイ・ミー』の後、あるいは『理由なき反抗』の系統、としてまとめると、より全体像が見えてくるかもしれない。
『アナザー・カントリー』
性別不合の人でなければあまりよく分からない作品かもしれない。このテーマの話はまだまだ一般人には難しい内容なので、コリンファースの元々の誠実な印象で保たれているように見える。
『アマデウス』
天才の一生を客観視するのは、爽快である。モーツァルトは、単純な曲なら一度聞いただけですぐにその音楽を演奏することができ、更にそこに追加要素を付け足し、より豪華なものに演出する。しかし、そんな人間と同時代に生きた作曲を生業として生きている人からすれば、彼は天才というより『天災』。しかし、ディズニー映画に出てきそうな彼の愉快な性格は、時が時なら彼を更なる高みに上らせた天性の素質だったと言えるだろう。
『アンタッチャブル』
アメリカでは、1920~1930年代で禁酒法として、酒を飲むことも販売することも禁止された時期があった。だが、麻薬と一緒でそういう人間の快楽を煽る商品というのは、ニーズがあるものである。それも強いニーズだ。だからそれらには依存性のリスクがあり、人間社会でも常に危険視されているのである。
実在したギャング、アル・カポネは、その人間の潜在的ニーズを熟知し、そこに働きかけて暗躍していた。多くの人々は彼に恐怖し、警察内部にすらその影響は回っていた。では、彼らは野放しのままでいいのか。そこで立ち上がったのが、『アンタッチャブル(誰も手出しできない者たち)』と言われた、信念の男たちである。
『インドへの道』
まだガンジーが活躍する前の1915年あたりのインドは、大英帝国イギリスがこの地を植民地化していた。つまり、イギリス人とインド人という異文化の交流が必然的に行われるわけだ。だが、やはり異文化というものはそう簡単には受け入れられない。ほんの少しの価値観の違いときっかけが重なって、彼らは対立してしまう。それは、心底に『イギリスがインドを支配している』という決定的な事実が存在するからだ。
『ウィンター・ウォー ~厳寒の攻防戦~』
『冬戦争』とは、第二次世界大戦の勃発から3ヶ月目にあたる1939年11月30日に、ソビエト連邦がフィンランドに侵攻した戦争である。フィンランドはこの侵略に抵抗し、多くの犠牲を出す。北欧の厳寒というのはもうけた違いに寒い。海上や空中、ジャングルなど世界各地で行われる戦争だが、北欧映画ならではのこの映画だ。フィンランドはソ連から独立を守れるのか。
『カラーパープル』
黒人女性。このキーワードだけで、生きる時代によってはもう人生が決定してしまう一面がある。男性でさえ奴隷にされてしまうのだ。女性はもっとひどい扱いを受ける。『女性差別』という言葉があるだろう。日本でもつい最近まで、女性が残業をしていると白い目で見られた。ましてや黒人ともなるとその風当たりは『先進国で生きる平凡な男性』のそれの何倍にもなる。
彼女らの人生を見て何を思うか。自分がそれと比べて幸せだと思うのもいい。だが、それだけで終わらせるのはいささか何かが足りない。子供でもそこまでは考えられるはずだ。大人は違うところまで考えを巡らせたい。『世界一稼いだ黒人司会者』として有名なオプラ・ウィンフリーや、陽気なはずのウーピー・ゴールドバーグが出演するところがポイントだ。また『リーサルウェポン』でお堅い刑事役を務めたダニー・グローヴァーの怪演ぶりもこの作品の階層を一層深くしている。
『グレート・ウォリアーズ』
カエサルが行った『ガリア戦争』、その詳細を書いた『ガリア戦記』も有名である。しかし、実はこの戦争で対峙したガリアのウェルキンゲトリクスには、相当てこづったのだ。もし彼が一つ選択肢を変えていれば、この戦争でカエサルは死んでいただろう。色々と映像やキャストに気になる点はあるが、歴史を知っている人からすれば重要なシーンだ。
『グローリー』
1862年のアメリカは、黒人に対する考え方の違いで、南北に分裂する危機を迎えていた。南北戦争である。南はその温暖な地域の特徴を生かして、黒人を奴隷として扱いたいが、北部の人々は違う考え方で、奴隷ではなく一人間としての労働力として考えるべきだと主張。南部は『アメリカ連合国』を立ち上げ、アメリカは真っ二つに割れようとしていたのである。北部からリンカーンが大統領に選ばれ、奴隷解放宣言がなされるが、黒人たちに対する扱いはそう瞬間的に変わるものではない。
アメリカ初の黒人部隊が、白人の指揮官の下で士気を高め、南部と衝突する。最後まで頑なに白人を恨んでいた黒人は、どうなったか。白人と黒人の和解はあるのか。その時、指揮官が先頭切って相手陣地に突っ込んだ。ーその時だ。
『グロリア』
どこに書いてあったかは忘れたが、Wikipediaとかその手のきちんとした映画説明ページでこの映画が『子連れ狼』の影響で作られたことが記載してあった。そしてそれは確かにうなづけるような内容だった。更に、あの映画史に残る名作『レオン』はこのグロリアが軸になっているという。これもどこにあったかは忘れたが、今Wikipediaなどを観ても見当たらない。つまり、
・子連れ狼
・グロリア
・レオン
・ロード・トゥ・パーディション
このあたりの『子連れ系』の映画は、どちらにせよ日本の子連れ狼が軸になっているのである。子連れ狼というのはダウンタウンもあの伝説のコント番組『ごっつええ感じ』で『ちゃーん!』と叫ぶパロディコントを作っていたように、この世界の実に多くのクリエーターに影響を与えたようだ。私はこの映画の中で一番感動したのは『レオン』で、その次に哀愁があったと感じるのは『ロード・トゥ・パーディション』である。
もちろん、グロリアも当時に生きてこれをそうした何の先入観も色眼鏡もなく観ていたなら、きっと感動できただろう。
『コマンドー』
シュワちゃんの映画は父親の影響で家に『プレデター』を筆頭とするビデオがたくさんあったのでよく見ていた。バトルランナー、コナンザグレート、ツインズ、キンダガートンコップ、ゴリラ、トゥルーライズ、ラストアクションヒーローなど、ほとんどを観ただろう。コマンドーもそうだ。だが、大人になってからもう一度観るべきだ。そう考えて視聴を試みた。
シュワちゃんは、ビルドアップされた肉体と、それを存分に活かしたアクションを披露し、この作品で正義の味方としてのイメージを確立し、アクションスターとしての地位を不動のものにしたという。また、日本でのこの映画の人気は異常で、本作が(2013年当時で)地上波テレビ放送洋画最多作品であると紹介されている。日本ではテレビ放映されるたびに、インターネット上でいわゆる「祭り」になるほど人気が高いと報じられていて、インターネット掲示板「2ちゃんねる」での実況板ではピーク時には毎分2,000レスポンスを記録する、関東ローカルの昼の放送にもかかわらず30スレッド(1スレッド1000書き込み)を消費する、サーバーがダウンするといった事象が発生するという。
だが、実際にはあまり大したことはないだろう。アクションをド派手にかます映画のジャンルだが、今の技術で彼を演出した方がもっと強そうに映るはずだ。『ワイルドスピード』だとか、『エクスペンダブルズ』だとか、これを超えるアクション映画の方がむしろ多いと言える。だが、主人公のメイトリックスの強さということで考えると、一人でマフィアさながらの敵陣地に乗り込むくらいだから中々のものだ。だが、それでも『ランボー』を超えることはないだろう。そういう映画である。勧善懲悪と、わかりやすい展開ということが多くの人に訴求できたことが人気の要因かもしれない。
『シャイニング』
この名作は様々な映画でも取り上げられることがあるので、一度見ておいた方がいいだろう。そうすれば映画の中で置いてけぼりにならない。それぐらい、多くの映画人がこの映画を観ているのである。例えば、『レディプレイヤー1』ではこれを観ていなければわからないシーンが重要シーンで盛り込まれている。2019年にはこの40年後の話『ドクター・スリープ』も放映された。
『ダイ・ハードシリーズ』
ブルース・ウィルス演じるニューヨーク市警察のジョン・マクレーン刑事は、世界一運の悪い男である。彼が行く先ではいつもテロリストが大事件を起こし、ビルを爆破したり飛行機を乗っ取ったりする。また、黒人達が多く住むハーレムのど真ん中で、「黒ん坊は嫌いだ(I hate Niggers)」というカードを下げさせられ、それを見た黒人ギャング達に半殺しにされかける。しかしそれは逆に彼が世界一運のいい男ということの証明でもある。それだけのことがあっても生き抜いているのだから。
『ドゥ・ザ・ライト・シング』
マルコムXとキング牧師は、考え方が違う。前者は融和を考え、後者は自衛の為の暴力を『知性』と呼んだ。しかし、彼らは互いに心底では尊重し合っていた。それは彼らのルーツが、同じアフリカだからだ。アフロアメリカン。彼らは自分たちのルーツにプライドを持っているが、それと同時に劣等感を持っている。そのせいで今回のような事件が起きてしまうのだ。だが、忘れてはならない。我々は何人たりとも、同じ人間なのだと。
『トッツィー』
ダスティンホフマンがとある理由でやむを得ず女装をするのだが、これがまた本当の女性に見えなくもないのが彼の演技力のすごいところだ。もちろん、身長が元々167㎝と小柄だということも関係しているだろう。だが、ほぼ同じ170㎝という身長のロビンウィリアムズの場合、体格が良すぎるので『ミセスダウト』の彼の女装は無理があった。それは悪口ではなく、笑える女装なので、あの映画の色と合っていてそれはそれで成功だった。
人間というのは面白いことに、『もうすぐ死ぬ』とか、『着ぐるみを着る』、『サングラスをかける』、『コスプレをする』などの『別人になり切る』ことで全く新しい『なりたい自分』になることができるもの。最近ではyoutuberにおけるVtuberだとか、その類もそうだ。そしてその思い切りの良さが大胆かつユニークに移り、人々の注目の的になってしまうことがある。
だが、フランスの作家プレヴォがこう言ったように、
『女は自分の美点のために愛されることにときとして同意するが、常に好むのは、自分の欠点のために愛してくれる人のほうだ。』
その『違う自分』が受け入れられることの複雑さは本人が一番よく理解している。では、訳あり女装をした彼の場合は、どういう結末を迎えるのだろうか。
『ブレードランナー』
シリーズを通して言えるのは、とても不思議な世界が広がっているということである。それがこのアンドロイドが蔓延した世界観の表現なのかもしれないが、何か無機質なものを見ている気がして、逆に我々が人間であることがよくわかる映画だ。ライアン・ゴズリングは感情を押し殺す演技がうまいから余計にそう感じる。
『ポリスアカデミー』
『ビバリーヒルズコップ』同様、子供の頃によく見たはずの映画だったが、ほとんど初見だったようだ。当時の何となくの感想は『面白い』、『サングラスの人がいる』というものだったが、あれから随分経ってもう一度見てみると、その感想は大きく違うものではなかったようだ。
『ヤングガン』
後世に弱きを助け強きをくじく義賊として創作で伝説的に描かれたことで、西部劇の英雄となるビリーザキッドが登場する。西部開拓時代のアウトローの代表的な名前である。1878年、リンカーン群戦争が起き、そこには実際に彼の姿があった。そこを舞台にして切り取った映画である。だがここで描かれる彼は正当化されておらず、『アウトローとして歴史に名を刻む』だけの勢いのある、危険な男だった。
彼の名はよく映画に出てくるので、アメリカ映画を観ることが多いなら知っておいて損はないだろう。
『愛と哀しみの果て』
2009年まで、デンマークの50クローネ紙幣に肖像が使われていた女性、カレン・ブリクセン。ペンネームは『イサク・ディーネセンもしくはアイザック・ディネーセン』である。その彼女が主人公の映画だ。この映画が名作な理由は、
・一国の紙幣に使われるような人間の話であること
・実際にその人生が波乱に満ちていたこと
・メリルストリープとロバートレッドフォードという二大スターが共演していること
などの要素が挙げられるわけである。内容も中々哲学的である。ロバートレッドフォードが演じる男の説明をWikipediaから引用してみよう。
[デニスは、ぜいたく・所有・肩書きといったヨーロッパの習慣よりも、雄大な土地で牧畜生活を営むマサイ族の自由で素朴なアフリカを好んでいた。デニスはカレンの家に移ってきたが、カレンの、物や人までも「所有」したいという欲望を批判し、結婚することも自由な生き方をやめることも拒否し、ただ一枚の紙切れに過ぎない結婚が、デニスの彼女への愛を増やすことにはならない、と話す。]
そう。波乱に満ちた人生を送る彼女だが、実際には彼女というよりは彼女が生きた『第一次世界大戦』が起きた時代、ケニア(アフリカ)という無限の可能性を持つ広大場所、そしてこの男が持つ一つの哲学的な思想が、中々興味深いのである。
彼女は元々、裕福な身の出身だ。周りに貴族がいることが普通。そして、人生に違和感を覚えて何かを求めてアフリカに。そこで出会ったのが、自分の人生に足りない内科を持っていそうなデニスという男だった。彼の主体的な人生は『自由』なのか。人はどのようにして生きるのが本当の生き方なのか。彼女たちが生活したアフリカの空のように広漠とした大きなテーマが、彼女の人間としての位と格式を引き上げていく。
『愛と追憶の日々』
残念ながらあまり感想がない。申し訳ないが、私にはこの映画を語る資格はないようだ。しかし、以下の輝かしい賞の数々を見てわかるように、わかる人にはわかる、至極の名作のようである。
第56回アカデミー賞
・受賞・・・作品賞/監督賞/脚色賞/主演女優賞(シャーリー・マクレーン)/助演男優賞(ジャック・ニコルソン)
・ノミネート・・・主演女優賞(デブラ・ウィンガー)/助演男優賞(ジョン・リズゴー)/作曲賞/美術監督・装置賞/音響賞/編集賞
第41回ゴールデングローブ賞
・受賞・・・ドラマ部門作品賞/脚本賞/ドラマ部門主演女優賞(シャーリー・マクレーン)/助演男優賞(ジャック・ニコルソン)
・ノミネート・・・監督賞/ドラマ部門主演女優賞(デブラ・ウィンガー)
第49回ニューヨーク映画批評家協会賞
・作品賞/女優賞(シャーリー・マクレーン)/助演男優賞(ジャック・ニコルソン)
第9回ロサンゼルス映画批評家協会賞
・作品賞/監督賞/脚本賞/主演女優賞(シャーリー・マクレーン)/助演男優賞(ジャック・ニコルソン)
その他
・第18回全米映画批評家協会賞 主演女優賞/助演男優賞
・第38回 英国アカデミー賞 主演女優賞 ノミネート
・第58回 キネマ旬報ベスト・テン 委員選出外国語映画第4位
・第8回日本アカデミー賞 優秀外国語映画賞
『危険な関係』
1988年のアカデミー賞で脚色賞、衣裳デザイン賞、美術賞の3部門を受賞しているようだが、貴族のこうした話が非日常的すぎてついてこれない人は大勢いるだろう。
・グレン・クローズ
・ジョン・マルコヴィッチ
という華を度外視した完全な実力派俳優が主演ということも相まっている。だが同時に、日本でも昼ドラでドロドロの人間関係が展開されてそれが人気のように、こういう展開が好きな人も大勢いるだろう。真っ二つに分かれる作品だ。だが、映画でなければこういう世界を覗けないことを考えると価値があるのかもしれない。
私のような浅薄な人間は、とにかくユマ・サーマンの美貌に目がいくだけである。女性ならキアヌリーブスだろうか。ユマ・サーマンはこの前年に一つ小さな映画に出ているが、1988年にこれ。彼女の存在感を確実にこの世界に売り込んだ作品だろう。
『危険な情事』
とにかく相手の女性役のグレン・クローズが完全にはまり役である。タイトル通り、してはいけない男女関係をしてしまった男女、いや男性の物語である。時代背景は特に決められていないようだが、87年の映画ということもあって好景気真っただ中と言えるだろう。そのせいか、絶好調だった日本の波が映画にも影響していて、日本人をいじるシーンがいくつか見ることができる。やはり、彼らにとって『お辞儀』というのは興味深い異文化の習慣なのである。
さて、なぜ男女関係があったのに『男性の物語』なのか。それは、この女性があまりにも『危険』だからであった・・。
『空海』
800年頃、富士山は噴火し、一か月間も社会に緊張が走った。そんな時、人はどのような考え方でもって、その問題に直面すればいいだろうか。空海は、その時日本に蔓延していた仏教を信じ、その教えに則って多くの人を助けたいと考えるが、まずその前に自分が知っている教えが本当に正しいのかどうか、疑わしかった。そこで、まず唐に渡って本物の仏教を学ぶことを決意する。同じころ、最澄も遣唐使として唐に渡って学んだが、仏教の神髄を習得したのは、空海の方だった。
『己一人が救われればいい、ではなく、万人を救い、国を鎮めて、この世に極楽浄土を作る考えこそ、真の仏教。悪人こそが救われるべき』という最澄の教えは、確かに真理だった。だが、空海が得たものはそれより更に広大な規模。最澄が得たものは、空海の会得した密教の一部でしかなかった。したがって、最澄は空海に教えを乞うことになる。
この世で成仏できなくて、なぜあの世で成仏できる。この世で逃げては、あの世でも成仏できない。この世から目をそらさず、考え方を最適化し、最後まで人生を諦めてはならない。ブッダの教えは様々な人間を通じて解釈が分かれたが、忘れてはならないのは、真理は正しく、人間は間違えるということだ。
『恋人たちの予感』
この映画でのメグライアンの、カフェでの『喘ぎシーン』は有名なシーンだという。確かに私も2000本近く映画を観てこれと同じようなシーンがある映画を観たことはないので、目立つシーンだった。それと個人的には挿入歌の『トマト、ポテト』というルイアームストロングの歌がお気に入り。何だかこの映画の雰囲気はとてもいい。また、この映画をクリスマスの映画として認識されることは少ないだろうが、最後にクリスマスのシーンがあれば皆クリスマス映画になる。
テーマとしてもそれにふさわしい。この映画の中で過ぎる時間は10年以上。つまり『そのクリスマス』にたどり着くまでに10回のクリスマスを過ごすわけだが、そこまでの過程が物語を盛り上げるのだ。誰もが自分の運命の伴侶を探し求めている。『ソクラテス・イエス・ブッダ 三賢人の言葉、そして生涯』にはこうある。
[喜劇作家であるアリストパネスは演説でこう言った。
『かつて人間は二つの肉体が背中合わせとなった存在であった。』
一体となっている二つの肉体のどちらも男である場合、どちらも女である場合、そして男と女である場合(両性具有=アンドロギュロス)があった。残念なことに、ゼウスの決定により、彼らの肉体は二つに分断された。それ以来、私たちは分離されてしまった片割れを求めている。元の肉体の組み合わせにより、求める片割れは男もしくは女である。アリストパネスによると、この探究こそが私たちが愛と呼ぶものである。愛とは、失われた原初の結合を回復しようとする欲求である。愛によって自分と一体であるべき片割れを見つけ出し、私たちの本来の姿を完全に回復できた時、私たちは最高の幸せを手に入れることが出来る。]
アリストパネスの話はもちろん神話だが、今よりもうんと知識も事実も明確じゃ無い頃から、我々はこの『不思議な吸引力』について、神がかり的で謎めいた奇跡を見出していた。
『月の輝く夜に』
第60回アカデミー賞では作品賞を含む6部門にノミネートされ、主演女優賞(シェール)、助演女優賞(デュカキス)、脚本賞を受賞しただけあって、それなりの見応えはあるが、例えば日本でいう『あぶない刑事』を今観るといくつかのジェネレーションギャップと時代の違和感を覚え、そこまで大絶賛をすることができないように、この映画もそのレベルだと言えるだろう。午後のロードショーで『テネット』がやっていたらTwitterのトレンドに上がるが、これがやっていても上がることはない。というレベルではないだろうか。
『東京裁判』
この映画はドキュメントであり、かなり正確に真実を表していると言える。第二次世界大戦、そしてそれに至った経緯を満州事変やそのあたりからひも解き、日本がやった世界的な罪、そして原爆で人がどうなってしまったのかということを、テレビでは決して見られない方法で描き出している。一言、真実はとても残酷である。天皇に対する過剰に反応する人がまだ大勢いる中、その天皇に対しても公正にジャッジするあたり、これは貴重な戦争の資料と言えるだろう。東条英機らが一体どういう最期を迎えたのかということも、明確に伝えている。
だが天皇は、
『自分はどうなってもいいから国民を助けてほしい』
と言い、それに感動したマッカーサーによって、天皇に対する敬意でこの制度は残した。この東京裁判には連合国から一名ずつの裁判官が参加した、極めて異例の裁判だった。
『13日の金曜日』
3000本映画を観ているがホラー映画は観ない主義なので、トップホラーであるこれらの映画だけを観る。もし時間が無限であれば、ホラー映画もB級映画もすべて見尽くしただろう。映画が好きだからだ。
しかし、子供のころはジェイソンや13日の金曜日が怖かった。13日が金曜日の日は、それだけでどこか鳥肌が立ってしまうようなところがあった。それだけの存在感がジェイソンにはあるのだ。
1980年のこの映画にはケビンベーコンが出ていて、1984年の『エルム街の悪夢』にはジョニー・デップが出ている。その時には未来がわからずB級に落ちそうなホラー映画には、後にその世界に君臨する金の卵が出ていることがあるから、見逃せないところがある。
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