1960年代おすすめ映画ランキング(37作品)
1.ティファニーで朝食を
劇中にヘプバーン自身が歌った挿入歌『ムーン・リバー』。よく聞く曲で、どこの誰の歌か知らなかったのだが、この映画を観たときに流れて、ある種の感慨を感じた。50年も前の映画なのに、なんだか妙に時間の感覚が狂って、彼女がこの歌を歌っている間は、時が止まっているかのような錯覚を覚えた。
2.俺たちに明日はない

世界恐慌時代の実在の銀行強盗であるボニーとクライドの実話である。アメリカン・ニューシネマの一つとされる作品で先駆的作品として有名。この作品が他のアメリカン・ニューシネマと違うのは、やはり実話ベースだからである。
3.007シリーズ
『007シリーズ』は1962年代から始まり、『ミッション:インポッシブル』よりも35年以上先輩の映画だ。ショーン・コネリーから始まって、ダニエル・クレイグまで。イギリス秘密情報部 (MI6) の工作員であるジェームズ・ボンドは、世の男性に『ジェントルマン』と『ダンディ』たる男が何かを教えてくれた。この作品も、往々にしてその相手はテロリストだ。過激なことをやる相手は、犯罪者、テロリスト、軍人などだが、犯罪者は警察、国家レベルの軍隊が相手になると軍隊や戦車、戦闘機が必要になるから、スパイの相手は常にその中間の過激なテロリストということになる。
007は、ダニエル・クレイグというイメージに生まれた世代だ。だからそれ以外の人とは『ダンディ』という概念を共有できないかもしれない。多くの人々が、この映画からダンディな男の生きざまを学んだ。日本では『しゃべくり007』のテーマ曲としてもおなじみだろう。孤高に戦う男の生きざまは、007から学べる。彼らには武士道精神ならぬ、騎士道精神が存在する。そんな西洋の騎士道精神を学べることも、この映画を観ることのメリットの一つだ。
4.奇跡の人
目が見えない。それだけでとんでもないことだ。我々の脳が認識している一切の事物が、その人にはすべて無縁の存在となる。本、テレビ、人の顔、花、川、山、木々、ご馳走。子供たちが楽しそうに走り回る微笑ましい光景や、大自然の圧倒的で壮大な芸術に触れ、心が動くこともないのだ。
だがこのヘレンケラーにはまだ障害がある。『耳も聞こえない』のだ。こうなるともはや、我々が持っているありとあらゆる常識や道徳、マナーや哲学といった一切の『理性』は無力である。彼女にあるのは『野性』だ。それは同じ病を持って生きた実在の女性を描いた『奇跡のひと マリーとマルグレット』の映画を観ても分かることである。
大変なのは当人だけではない。当人を『導く』ための教師もまた、壮絶な人生を強いられることになる。この二つの作品は軽はずみに見ることはできない。最低でも『4人』の人たちの壮絶な人生を覗くことになるからだ。だが、この世に存在する親も含めたすべての『教師』は、彼女たちの人生を直視しなければならない。
それで何を思うかだ。それがその人が親、そして教師に相応しいかどうかを決める試金石となる。
ヘレンケラーは言った。
『盲目であることは、悲しいことです。けれど、目が見えるのに見ようとしないのは、もっと悲しいことです。』
5.101匹わんちゃん
『クルエラ』の為に大人になって再鑑賞。たった80分の映画なのに、やはりとてつもない名作だったということに驚かされる。子供のころの自分に映画の価値や細部のクオリティなどがわかるわけがなく、ただ『目に入ってくる映像が、子供に分かりやすいか、受け入れやすいか』、『音楽が耳に残るか、怖くないか、中毒性があるか』など、そうした浅い考え方でしか観れていない。
だが、『システム2』が育った大人になった私が再鑑賞しても、いや、成長した私だからこそ、この映画が名作だと気づけた。それもそのはず。ウォルトディズニーはこうして世界中の名作を集めてアニメーション映画にしていたのだから、彼らが認めただけある作品である。
『クルエラ』は、この作品からあの展開があることは一切想像できないほど底の浅い脇役に仕上がっているが、それは80分しかない時間と、当時のアニメ映画の描き方なども影響しているだろう。『シンデレラ』もそうだが、悪い役柄の彼女以外の家族たちも、全く同じ底の浅い脇役に仕上がっている。当時は、子供がはっきりと『悪人』と分かりやすく仕立て上げただろうから、クルエラからもそういう奥行きを一切感じないのだ。だが逆にそれが想像力をかきたてる材料になっていていい。詳しくは『クルエラ』の感想文にでも書こう。
6.スパルタカス
スタンリー・キューブリックの名作の一つとして数えられるが、監督兼主演のカーク・ダグラスが大物すぎて、実際には思い通りには描けず、自分の作品とは認めていないという。しかし、その意に反して高い評価を受けている映画で、彼の経歴の傷には決してならないということである。確かに、スパルタカスの話は映画化するべきである。彼は、紀元前400年代にあったペルシャとギリシャの戦いで、たった300人で立ち向かったスパルタの戦士たち、そして、世界で三番目の帝国を作り上げたアレクサンドロス、ローマ帝国と激しい戦いをした世界史上最高の名将と言われたハンニバルに続き、この世界の大きな戦いの歴史を作った高名な戦士だからである。
元は奴隷だった彼の兵は、最大で12万人まで達したというのだから尋常ではない。普通、戦で5万人が動けばそれはとてつもなく巨大な規模となる。女、子供、老人もいたかもしれないが、そのエネルギーの集め方、求心力の凄まじさは、極めて異例であり、彼の生き方そのものを忠実に描くだけでそれが映画になるのだからすごい。時代は過ぎた。またいつか最新の映画技術で彼の話は映画化するべきである。
7.クレオパトラ
『トロイ』のアキレス、ギリシャのペルシャ戦争とペロポネセス戦争(スパルタ300人の伝説)と、アレキサンダー大王、ハンニバルとスキピオに、スパルタカスの反乱を経て、カエサルとクレオパトラの時代になる。ヨーロッパの歴史というのは数百年に一度は必ず歴史的な人物が出てきて、歴史の記録に大きな痕跡を残す。では、クレオパトラという人物は、どういう人物だったのか。
『国を支配しているのは男。その男たちを支配しているのは私。』
彼女のこうした名言だけを見れば、彼女がその美貌を利用して野心を燃やした、現代の世ですらもどこにでもいる、単なる美女であり、それがたまたま皇族の地位にあったというだけのことだ。そして、確かに彼女はそのイメージ通り、30歳以上も離れたカエサルの愛人となり、その子供をローマの皇帝にしようと企てる。アレキサンダー大王が支配したエジプトのアレキサンドリアで生きた彼女は、何かと圧倒的な支配者や帝王に憧れがあったのかもしれない。
だが、映画を観ればそうした印象も少し変わるだろう。彼女は単なる野心家というわけでもなかったのである。一人の女性であり、そして高潔な精神を持った、女王だったのだ。
8.2001年宇宙の旅
観た後にいくつかの解説を見てようやく意味が理解できたくらいだ。もちろん、人間にそう行動させるキューブリックの意図があっただろう。これが1968年に放映されたということを考えたい。宇宙も、そして人の想像も、無限である。
9.マイ・フェア・レディ
オードリー・ヘプバーンの代表作の一つであり、最大のヒット作という今作。私はミュージカルが得意ではないのに、その私に『名作』のしるしを付けさせる実力を持っている。
2016年に『マネキンチャレンジ』というマネキンのように動きを止める遊びが世界的に流行したが、その60年前の1964年のこの時代に、その先駆けのような奇抜で斬新な動きや振付が展開されている。
この時代独特の、『美女の相手がおっさん』という図式は違和感があるが、しかしそのおっさんの能力が高いことが事実。『七年目の浮気』に『パリの恋人』、どれも美女の相手がおっさんで、マリリン・モンローなどはそこに違和感を持っていたようだが、しかし逆に『若いだけで無能な俳優』がヘプバーンの相手ができるか定かではない。ヘプバーンは容姿だけではなく、才能にも溢れていた。
10.用心棒
黒澤映画はよく『七人の侍』が挙げられるが、同じ三船コンビならこの映画の方が分かりやすくて面白いのではないだろうか。『羅生門』『蜘蛛巣城』などもいいが、分かりやすいのはこれだ。海外の人に前者が評価されているのは、専門家なら専門的な技術のことがあるだろうが、一般の人は恐らく『字幕』があるからではないだろうか。音がモノラルで聞こえづらいし、字幕なしで観る日本人は、何を言っているんだかよく聞き取れない。結果、何をしているのかという細部が分からないし、それが3時間半も続くので、世界が絶賛するほどの驚きを得られないのが本音だ。
それが1954年。それから7年経ったということもあるのかどうか知らないが、『用心棒』は110分だし音は普通に聞こえるし、声も聞き取れて何をやっているかが明白なので、分かりやすくて面白い。するとやはり、『夕方時代劇のハイクオリティバージョン』のような印象を覚えることができた。これが黒澤、三船かと絶賛できる『ガチ』の時代劇は、完全にエンターテインメントだ。
『七人の侍』は『マグニフィセントセブン』が相当ツボで個人的に好きなドラマだから、あれを字幕で観れた世界の人がうらやましい。続編に『椿三十郎』がある。これと併せて観ていきたい。
11.暗くなるまで待って
オードリーヘップバーンの俳優魂が感じられる作品である。彼女は自由でわがままな女性や、気品ある王女、コミカルでリズミカルなミュージカルやダンスもそつなくこなして、容姿にかまけない才能の人だが、この映画でも更にその実力の幅を見せてくれている。
今調べたが、『極妻』でおなじみの女優の岩下志麻はこの映画のヘプバーンを素晴らしいと思い、私もこういう役をやってみたいと会社に企画を出したという。盲目の役だと、つい動作が遅くなったり間を取り過ぎたりしがちだが、それを普通のテンポで演じたのは素晴らしい、同じ女優として難しさがわかると書いているようだ。
プロの女優にもそう言わせるほどの緊迫感とリアリティがあるのだ。1967年という時代にこれだけ本物の演技をする人間がいたということは、俳優界、演技界にとっては最高の遺産となるだろう。
12.シャレード
最初の20分ほどは、時代を感じる古臭く、陰気臭いイメージを感じるかもしれないが、それは人が死ぬからだ。実は、そこはあまり重要ではない。いや、確かに物語の中ではその死が全ての始まりだが、その陰気臭さはすぐに消え、そこからすぐに物語は面白くなっていくから、黙って30分観続けることを推奨する。
何がすごいって1963年、つまり60年も前の映画なのに面白いということだ。80年代の日本のドラマに妙に古臭さを感じてそこからチープさに繋がる中で、これはそれより更に古くて面白いんだからすごい。
最後まで展開が読めない。これがヘプバーンの代表作の一部として挙げられる理由がわかる。3000本も映画を観てる私が読めないんだから、これは緻密に計算されてるわけだ。
13.大脱走
1943年3月にチュニジア戦線で乗っていたスピットファイア機がドイツのメッサーシュミット機の機銃掃射を受け、パラシュートで脱出した後にドイツ軍の捕虜となったポール・ブリックヒルが、送られた捕虜収容所で体験した脱走計画が元になっている実話映画である。
アメリカやイギリスの兵士が、第二次世界大戦時にドイツに捕まり捕虜となったが、そこから皆で脱走を企てようという話だ。70年も前だからあり得る『大人数での大脱走』ということで見応えがある。
つまり、もう『大脱走』という考え方はこれ以降に見られなくなっていくからだ。『アルカトラズからの脱出』や『ショーシャンクの空に』など、単体での脱走ならあるが、どんどん技術が発達していくし、管理も監視も厳しくなってきて、もうこのような大規模な脱走はあり得ない。
『戦争時に捕虜を一時的に収容する仮施設』ということも関係しているが、『地下にトンネルを掘って脱出する』など、よく聞く定番の、しかし現実離れした脱出劇は、この時代であればまだ通用したのだ。その辺りが歴史的にも貴重かもしれない。
では、本当に『大脱走』は成功したのか。そして成功したとして、その後の人生はどうなったのか。とにもかくにも、中途半端なフィクションと比べて、実話というものは圧倒的にその存在価値が違う。
14.天国と地獄
「当時の誘拐罪に対する刑の軽さ」に対する憤りがこの映画を黒澤明が作った一つの理由だという。三船敏郎が『ワイルドな侍』の役ではなく、その逆で、洗練された東京のビジネスマンの役だから、最初は違和感がある。
私は冒頭のその狙いを全く知らずにこの映画を観たのだが、意外と観ていくと緊張感やリアリティが『よくあるドラマ』のそれとは違って、卓越していることに気づく。事実、舞台となった横浜の黄金町は、1950年~1960年代当時、今では考えられないような荒んだ環境だったらしい。
wikipediaにはこうある。
戦後の黄金町はヒロポンやヘロインといった麻薬密売の温床でもあった。特に昭和20年代は、大岡川を境界に密売組織による縄張り争いが頻発した。警察官の巡回すら身の危険を感じて出来ない程荒んだ環境であったという。
このような現実の『地獄絵図』が、まさにこの映画の階層を深くしている。マルクスが1800年代に言った発言にも関係していて、色々と考えさせられる映画になっている。事実、この映画の影響で誘拐事件が多発。国会でも取り上げられる社会問題となった。
15.アラバマ物語
戦前の米国映画は、「ボーイ・ミーツ・ガール」という典型的な法則に支配されていたという。つまり、一人の青年が一人の少女に会い、恋に落ちる。そこへごたごたが起きて二人の仲はピンチになるが、その危機は克服され、二人はめでたく結ばれる。というハッピーエンドである。
1950、1960年と時代をつないで積み重ね、この映画は1962年に上映された。だからかは分からないが、やはりこれより一昔前の時代の名作映画と比べると、物語に深みがあり、切り取る角度に違いがある。アラバマ州とは、ミシシッピの隣である。つまり南部だ。アメリカ南部と聞いてすぐに思い出すのはなんだ。そう。黒人差別である。差別映画は多いが、古い映画ほど当時の記憶が生々しく反映されている。
だが、それと同時にこの映画の主役は子供たちである。だからこそ、単なる差別問題を提起する映画に留まらない。この映画はどこか哀愁漂う、『アラバマ物語』なのである。
16.アラビアのロレンス
1916年のサウジアラビア。第一次世界大戦の真っ最中で、イギリス陸軍将校のトマス・エドワード・ロレンスという人物が活躍していた。このアラビアのロレンスという人物は、歴史的に見ても重要人物。オスマン帝国からのアラブ独立を率いた人物ということもさることながら、彼とセットで考えられるのが『イギリスの三枚舌外交』である。この外交によって3つの方向に都合のいい話をし、戦争などの局面でイギリスが有利になるように、周りを固めてたわけだ。
| 話した相手 | 対象 | 話し合いの名前 |
| フセイン | アラブ人 | フセイン=マクマホン協定 |
| ピコ | フランス、ロシア | サイクス=ピコ協定 |
| ロスチャイルド | ユダヤ人 | バルフォア宣言 |
しかし、結局この『つじつまの合わない話』のツケが回ってきて、後の『パレスチナ問題』に繋がってしまうのである。だが、この映画ではそのあたりの歴史を学ぶというよりは、これらの外交があったちょうどその時代、そしてそれに巻き込まれたアラビアのロレンスという人物の一生を描いた、歴史作品である。
17.エル・シド

11世紀後半のレコンキスタで活躍したカスティーリャ王国の貴族エル・シドことロドリーゴ・ディアス・デ・ビバール(Rodrigo Díaz de Vivar)の生涯を描いた作品。主演を務めるのは『ベン・ハー』でベン・ハー役を演じたチャールトン・ヘストンで、それを考えるといくつかの想像ができて面白い。例えば、『あれから1050年後』というシナリオだ。全く同じ顔の生まれ変わったベン・ハーが、今度はスペイン人かつキリスト教を守る信者として生まれる。そういう見方も面白い。
18.荒野の七人
黒澤明の日本映画『七人の侍』(1954年)の舞台を西部開拓時代のメキシコに移して描いたリメイク映画だ。音楽が印象的だから、この音楽で心躍るアメリカ人は、その後に作られる『マグニフィセントセブン』のエンディングでこれが流れたとき、鳥肌が立っただろう。私はどれも観ているから展開が分かるので特に感想はないが、これはこれで文句はないだろう。
最後のセリフも七人の侍のセリフと同じ的を射る言葉であり、オリジナルのエッセンスはしっかりと受け継いでいると言える。
19.招かれざる客
この映画が出たのが1967年という時代だ。60~70年代というのは、多くの黒人指導者が亡くなったわけである。黒人の公民権運動家の代表格メドガー・エヴァースが暗殺されたのが1963年、マルコムXが暗殺されたのが1965年、キング牧師が暗殺されたのが1968年。ジョン・F・ケネディもその弟のロバート・ケネディも暗殺された。これを見ればこの時代の黒人たちがどのような心境で人生を生きていたかが見えてくるだろう。
だから登場する黒人俳優は、差別的な目を向けられて当然という態度を示し、自然な振る舞いをする。ちなみにこのシドニーポワティエは、黒人俳優としての先駆者的存在のひとりで、男優としては初めてアカデミー主演男優賞を受賞した。KBE(大英帝国勲章)を与えられた人物である。
そこまでの実力者である彼が、差別に慣れているように振舞うのを見ると、黒人差別は大分薄まってきたことと、そして間違いなくそれが濃厚に植えついてしまっていたことがよくわかる。更に知りたいなら、『私はあなたの二グロではない』というドキュメンタリー映画を観ればいい。この時代の彼らや映像を見ることができ、平気で暴力を振るわれている映像も多く見ることができる。
また、アポロ計画とは有人月面着陸についてのアメリカの計画で、こ1961年から1972年にかけて実施されたわけだが、映画『ライトスタッフ』、『ドリーム』などを観ると更にこの時の状況が見えてくるようになる。実はドリームで描かれるように、黒人たちもNASAをはじめとする重要な役職に就いて仕事をしていた。だが、当時を描いたそうした映画の職場には黒人がおらず、その理由をドリームで観ることができる。
招かれざる客。それは『歓迎されない客』ということである。当時の白人と黒人の間にあった距離を見てみたい。
20.悪い奴ほどよく眠る
デュマの小説『モンテ・クリスト伯』を参考にしており、シェイクスピアの戯曲『ハムレット』の影響も指摘されている。ある映画批評集積サイトでの批評家支持率は100%で、『ゴッドファーザー』の監督フランシス・フォード・コッポラは本作を高く評価しており、冒頭の結婚式のシーンについて
「本音とたて前がまるっきり違うところなどは、シェイクスピアなんかよりずっとおもしろい」
「このシーンほど完璧なものを、他の映画で観たことがない。現代的なストーリーの要素が、分かりやすく、秩序立てて構成され、謎めいた悲劇が詩的に解明されていく」
としていて、『ゴッドファーザー』の冒頭の結婚式のシーンも、この映画に影響されたと言っている。
『黒澤映画』というのはいつその概念を知るかによって評価が分かれる。彼が出始めた時、彼の名が海外で知られるようになった時、またあるいは、彼が死んでしばらく時間が経って『世界の黒澤』という言葉が浸透した時、色々な状況で彼のことを知ることになる。だが、往々にして映画を観た後は、彼がなぜ有名なのかということを知るだろう。そこで疑問なのだが、
(なぜ彼のような映画監督が次々と出てこないのか?)
ということだ。とりわけ、この日本においてはデータが豊富にあり、その解析も簡単なのに、後に続いていない。真面目で勉強家が多い日本人が、これを取りこぼすことがあるだろうか。理由があるとしたらたった一つしかない。黒澤明が宮崎駿同様、見えないところで並々ならぬ努力と研鑽をし続け、『無知の知』を理解して越権的にならず、自分の人生を貫いたからだろう。
シェイクスピアは言った。
『うわべになにか「徳」のしるしをつけないような素直な「悪」はない。』
この映画を通して言うなら、『真理から目をそらさない』ということは、越権的な人間にはできない。そして、その真理の実態をより多く理解している人間は常に、秀逸である。
21.博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか
この映画は『アンハッピーエンド』の傾向になるアメリカン・ニューシネマの流れの中で作られたアンハッピーエンド作品とは違って、大きな力に逆らって作られた芸術作品である。『カッコーの巣の上で』や『時計仕掛けのオレンジ』がその流れの中で出来た作品だとしたら、そこにはそこまで大きなエネルギーはいらなかったわけだ。いやもちろん無難な作品を作るよりはエネルギーを要するだろうが、流れに逆らう方が物理的に考えても難易度が高い。
だがこの作品は、『冷戦』という世界が滅びるかもしれない大きなエネルギー、その真っ只中にあって、その流れに逆らって風刺した希少な作品なのである。その意味で、キューブリックという人間はやはり稀代の鬼才映画監督である。黒澤明と互いに認め合っていたというが、『時計仕掛けのオレンジ』が流れに従って楽をした作品というわけではなく、それとは別に『アイズワイドシャット』や『フルメタルジャケット』のような世界観を作り上げるのだから、その才能と実力は確かなものだ。
アメリカの有名な映画評論家は「おそらく20世紀最高の風刺映画」と評価したらしいが、週刊風刺新聞『シャルリー・エブド』の本社にイスラム過激派テロリストが乱入して起きた『シャルリー・エブド襲撃事件』の例でみても分かるように、渦中にあって大きなエネルギーに逆らって風刺をすることは、時に命を危険にさらすことになる。
ただ、このストレンジラヴ博士のモデルには『熱核戦争論』の著者ハーマン・カーン、マンハッタン計画の参加者ジョン・フォン・ノイマン、ナチス政権下でV2ロケットを開発したヴェルナー・フォン・ブラウン、「水素爆弾の父」と呼ばれるエドワード・テラーが挙げられているわけだが、『シャルリー・エブド襲撃事件』と違うのは、ここで風刺された人物たちは、心底では本当は分かっているからだ。
『核戦争になったら地球は終わりだけど、そんなこともわかんないのか』
ムハンマドを通してイスラム教とそれを信じるムスリムの存在を否定するのとは違い、『心底ではわかっているはずのこと』をチクリと刺しただけなので、この映画を観て激昂する人というのはいないわけである。例えば登場人物のリッパー准将のモデルは、キューバ危機の際、全面核戦争を覚悟してでもキューバ空爆を行うべきだと主張したカーチス・ルメイ空軍参謀総長だが、
『トランス状態に入って高揚しているところ悪いが、冷静に落ち着いた考えた時、それは自分の死も意味するんだぞ』
として、風刺を通して諭しているので、これは『冷戦の抑止力』にも貢献していると言えよう。『トランス(高揚・盲信)⇒暴走(核爆弾の使用)⇒地球の終わり』というこの簡単な図式をこの映画を通して全体的に客観視することで、どの『部分』に問題性があり、テコ入れをするべきかが見えるようになる。
アメリカは第二次世界大戦以降から、イギリスとフランスに変わってこの世界のトップに君臨していて、それは現在進行形で続いている。両国が戦争で多大なるダメージを負い、またアメリカがこれらの国にお金を貸していたこと、そして自国が戦場とならずにノーダメージで切り抜けられたことなどが関係しているが、ソ連というのはその『アメリカ一強時代』を崩す可能性がある唯一の不安要素だった。
そのソ連からの転覆を阻止するのはいいが、「共産主義者によって既にアメリカは侵食されている」「水道水フッ化物添加はアメリカ人の体内の『エッセンス』を汚染する陰謀だ」などという過剰反応や、カーチス・ルメイのような常軌を逸した考え方は、権力に溺れた人間が陥る越権的なものである。
アメリカがトップでいるのはいい。だが、それに『執着』してしがみついた結果、この世界ごと失ってしまうような滑稽な事態に転落するようであれば、この世界にまともな人間はいない。皆『異常』だよ。この映画はトランス状態にあった当時の要人たちに、そういう視点を与えたのではないだろうか。
22.卒業
テーマ曲の、サイモン&ガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」。そして、「花嫁を結婚式の最中に、花婿から奪うシーン」というこの世界に完全に根付くことになる歴史的かつ伝説的な作品だ。だが、『それだけ』で、後のことは微妙である。だがそれは、1967年から60年も経った今を生きる私だからこそそう言っているのであり、もし私が当時を生きる人であれば衝撃を覚えただろう。
これもアメリカン・ニューシネマの代表作の一つだとは考えなかったが、確かにそういう毛色だ。ニューシネマと言われる作品は、反体制的な人物(若者であることが多い)が体制に敢然と闘いを挑む、もしくは刹那的な出来事に情熱を傾ける傾向にあり、50年代、60年代と続いた映画界の流れからの脱却や、当時のアメリカの『ベトナム戦争』などの強烈な現実が強い影響を与えていた。
同じ代表作の一つである『カッコーの巣の上で』も、確かにこの映画同様に伝説的な作品で、それらしい気配がぷんぷん漂っているし、現代でもあの映画を観て『名作すぎる!』というような話をする人がいるが、実際のところ、そうでもなかった。
私は『ディパーテッド』のジャックニコルソンにしびれたし、映画を3000本観ている。これは、映画が好きじゃなければできない。また、その一つ一つに真剣に感想文を書くことは、好きだけではできることではない。その私が、名作と言われるその作品を、無意味に揶揄することなどあり得ない。ハードルが上がり過ぎたのである。
だがそれも先ほど言ったとおりだ。それは、1975年から50年も経った今を生きる私だからこそそう言っているのであり、もし私が当時を生きる人であれば衝撃を覚えただろう。
23.サムライ
「侍ほど深い孤独の中にいる者はない。おそらくそれは密林の虎以上だ ――『武士道』より」
そのメッセージが現れ、アラン・ドロンが『フランス版の侍』を演じる。侍といっても、そのスピリッツを持った孤独な男のことを言う。だが、それは新渡戸稲造も言い回しが下手か、あるいは抜き取ったこの製作者が青い。『孤独』と『孤高』は違うからだ。
新渡戸稲造の著書『武士道』にはこうある。
武士道が掲げる”7つの神髄”、
『義』─武士道の光輝く最高の支柱
『勇』─いかにして胆を鍛錬するか
『仁』─人の上に立つ条件とは何か
『礼』─人とともに喜び、人とともに泣けるか
『誠』─なぜ『武士に二言はない』のか
『名誉』─苦痛と試練に耐えるために
『忠義』─人は何のために死ねる
この『7つの神髄』を注視しても、武士が抱えるプライドが『孤高のもの』であることが一目瞭然となっている。
だが、それをあえて『孤独』とし、明るさや肩身の狭さを主張したいなら、確かにこの『ヒットマン』という認められざる職業に就く闇の住人は、そうなるだろう。
未だに世界中から日本が『侍、忍者』と言われ、それらの人気が衰えないのは、それらが『辿り着いている』からだ。ブッダ(釈迦)や孔子もそうだろう。辿り着いている。新渡戸稲造の本には『自分をもっと深く掘れ』というものもあるが、そうして自分の道を専門家のごとく深く深く掘り下げていくと、そのうちある境地に辿り着く。
その境地は、まるで日本刀だ。研鑽して鍛錬し、いくつもの辛酸をなめながら一朝一夕にはいかない試行錯誤を重ねて、ようやくたどり着く名刀の境地。あれもまた、世界に通用する『巧が辿り着いた終着点』の一つである。
もちろん葛飾北斎が言ったように、
『天が私にあと十年の時を、いや五年の命を与えてくれるのなら、本当の絵描きになってみせるものを。』
職人は『これで完成した』とは言わないだろう。だが、侍や忍者も、あれ以上の境地に辿り着くことは、有限の制限がある人間には困難を極める。フランスという日本から遠く離れた場所で、しかし一致した一つの精神。それは、たった一人で己と向き合うことを強いられた、人生と戦う男の終着点だった。
24.アルジェの戦い
第27回ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞し、1966年にイタリアで公開されたこの映画は、アルジェリアのフランスからの独立までのアルジェリア戦争を描いている。アルジェリア戦争というのは、1954年から1962年にかけて行われたフランスの支配に対するアルジェリアの独立戦争だ。歴史的にも価値のある映画となっている。イタリア人が描くフランスとアルジェリアだから、偏りは少ないはずだ。
『ラストエンペラー』は中国とイタリア、フランス、アメリカ、イギリスが製作したが、そこに描かれる日本の描写は、日本が描くそれよりも公正なものである。あの映画では、私が今まで普通にして日本で生きていたら気づけなかった、かつての日本軍の悪事が描かれている。日本ではそれを公共の電波や学校で積極的に教えることはないが、世界規模の視点を持ち、自分の判断に公明正大な説得力をもたらせるためにも、常に真実は包括的な視野から得た純粋なものでなければならない。
1830年以降、フランスはアルジェリアを支配下に置いた。アルジェリアだけではない。地図を見てみよう。アルジェリアは『北アフリカ』で、エジプトやモロッコなどと同じで、あまりアフリカと言われてもピンと来ないエリアでもある。我々が認識するアフリカは動物と砂漠と黒人たちがいる王国だ。
イギリスとフランスは1700年の後半の産業革命、そして1800年の後半にあった第二次産業革命によって
植民地をもっと増やして商品を売らなければ!
という考えに支配されていた。そういう考えが、当時の資本主義国の頭をよぎっていたのである。そんな中、イギリスとフランスの勢いはけた違いだった。
植民地化させた国
| イギリス | 約70か国 |
| フランス | 約30か国 |
この詳細については下記の記事に書いたのでゆっくりと確認したい。

そうした経緯の中、特にアフリカ、東南アジアという『弱小国家』とされたエリアの人々は、イギリスとフランスを筆頭とする強国に不平等な関係を強制され、このような現象が起きてしまったのである。だが、第二次世界大戦ももう終わり、世界中で植民地の人々が声を上げるようになる。例えば下記は東南アジアについてまとめた表だ。
列強諸国が植民地から手を引いた年(東南アジア諸国が独立した年)
| ビルマ(ミャンマー) | 1948年 |
| ラオス | 1953年 |
| ベトナム | 1945年 |
| カンボジア | 1953年 |
| フィリピン | 1946年 |
| マレーシア | 1963年 |
| ブルネイ | 1984年 |
| シンガポール | 1965年 |
| インドネシア | 1949年 |
| 東ティモール | 2002年 |
ベトナム戦争が起きたことで、東南アジアの5か国は結束を強め、1967年、各国は『バンコク宣言』を行い、これが『ASEAN(東南アジア諸国連合)』の始まりとなった。詳細は下記の記事に書いたが、こうしてASEANというEU連合よりも大きな連合体が誕生した。

こうした動きと全く同じ動きが、ここアルジェリアでも起きていたということだ。そしてその描写はとてもリアルであり、緊迫感漂う当時の状況が臨場感たっぷりに展開される。
25.イージー☆ライダー
70年代前後にあったアメリカン・ニューシネマの代表作であるからして、その衝撃的な結末で知られる。それがアメリカン・ニューシネマの特徴だ。他にも、
- カッコーの巣の上で
- タクシードライバー
- 時計仕掛けのオレンジ
- フレンチコネクション
- 明日に向かって撃て!
- 俺たちに明日はない
- チャイナタウン
これらが挙げられるわけだが、それら全てに共通点があることは鑑賞者であればわかるだろう。劇中で登場していたマリファナは本物を使用していたというが、最後に使用するLSDも怪しいところである。しかしそれがこの時代の特徴だ。特典映像には、この時代の映画のリアルを描いた映画があまりなかった、というコメントがあるが、ベトナム戦争に逆らう形で生まれたアメリカン・ニューシネマや、ヒッピー文化の中で、彼らのようにドラッグを乱用する人たちは大勢いたのである。
このあたりのことを知っていると、ディカプリオの『ザ・ビーチ』の集団の意味や、一瞬だけ描かれるサイケデリックトランスで踊り狂うシーン、そしてこの映画に登場する謎の集団たちの目的、『ワンハリ』に出てくるマーゴットロビーが演じたシャロンテートを殺害する、狂信的カルト指導者チャールズ・マンソンの信者グループの目的などが見えてくるだろう。
音楽が有名。映画自体は子供が見るような内容ではなく、当時の時代背景を切り取ったものである。
26.ウエスト・サイド物語
この名作映画を観た時、(ロミオとジュリエットに様子が似てるな)と思ったので、その2つを『ロマンチックで危険な恋』というレシピで、セットで紹介していこうと今の今まで考えていた。しかし、今調べると、ウエストサイドストーリーの原作は、まさにシェイクスピアのその『ロミオとジュリエット』を元にした、レナード・バーンスタインの音楽による同名のブロードウェイ・ミュージカルだという。
この映画は、1963年5月17日まで511日にわたるロングラン上映となり、前年の『ベン・ハー』を凌ぐ記録だという。そしてそれは2012年9月15日に公開された『祈り〜サムシンググレートとの対話〜』が1192日のロングラン記録を達成するまで更新されなかったという。だがそれは、1位の記録を持つ2015年(平成27年)7月1日に公開された日本映画『未来シャッター』然り、
なんやねんその映画
ということなので、『ベン・ハー』と聞くとインパクトがあるが、あまりよくわからない結果になってしまっている。だが、そういうことは抜きにしても、やはり根幹にシェイクスピアがいるということも手伝って、クオリティは高い。そこにミュージカルという要素を取り入れたことで、唯一無二の境地を得ているのである。
27.噂の二人
性同一性障害は、性別不合と言わなければならなくなった。LGBT問題もかなり進んでいて、かつてイギリスでは同性愛者というだけで逮捕されていた時代があったが、現在ではその多様性を認めないと、柔軟性のない偏屈者として扱われる。流れ的に、あと100年もすれば女性の権利もこれらの問題も大きく進歩しているだろう。『進歩』が何を意味するかは一つだが、『人間の進歩は真理に近づくとは限らない』事実がある。
例えば『ナウシカ』が分かりやすいだろう。あれは3000年後の話だが、途中人間たちは『進歩』し続けて、世界を破滅できるほどの化学兵器を作り上げたわけだ。だが、それは『真理』から遠ざかる行動だった。100年後我々の世界は、『化粧』やその系統の云々が、進歩しているのだろうか。それとも化粧がなくなり、ムダ毛を処理せず、より自然のままの姿でいることに、何のためらいも恥じらいも、罪深さもないようになっているだろうか。
性別不合に関しての答えはどうだ。いやとにかく、1961年のこの時代、原作は更に古い1934年だが、その問題だけでここまでの騒ぎになるか、という、そういう事実を突き付けられる映画である。
当時としては、オードリー・ヘプバーン、シャーリー・マクレーンという『噂の二人』の共演ということで話題になっただろう。この映画はそれだけで価値があるが、更にスパイスになっているのが『クソガキ』の怪演である。
あの少女の存在はTHE・邪魔でしかない。だが、それがないとこの映画は面白くならない。最高の役を演じた彼女が、MVPだろう。
28.サイコ
10代の頃に恩師から『音楽も前振りもなしに急に襲われるシーンがあって、本当に怖い』と聞いていたので、以前見たはずなのだが、内容を把握したのは今回である。とにかく人間は、映画も勉強も、主体性がなければ内容を理解することはできない。では、今の私がこの映画を理解しながら観るとどうなるか。残念ながら、展開は読めてしまった。1500本映画を観ているから、逆に読めない映画が昔にあるならすごい。だが、もしこの映画に多くの監督がインスパイアされて現在に繋がっているなら、これはとても貴重な作品である。
29.ロリータ
1997年の、2度目に映画化された方を先に観ていたが、スタンリー・キューブリックの方が面白いかもしれないとして鑑賞。だが、この作品でキューブリックが『性的な部分を思うように描けなかった』と言っているように、時代が邪魔して物語の本質を正確に演出できているのは97年版の方だと言えるだろう。
97年版は、制作中にアメリカの児童ポルノ禁止法が制定されたこともあり、アメリカより先にヨーロッパなどで公開されたが、児童の性犯罪事件が問題化していたイギリス、ドイツ、ベルギーでは上映反対運動が起こり、62年版のこれでもカトリック団体からの抗議があった。そのカトリックが児童に対して性的虐待をしているのだから何の説得力もないが。その真相は『スポットライト世紀のスクープ』で見ることができる。
「ロリータ・コンプレックス」、つまり『ロリコン』とは、この映画の原作から生まれた言葉である。少女を愛してしまう中年男性のこの物語から生まれたその言葉は、今はもうこの世界にすっかり浸透し、ある種の軽蔑的なニュアンスを込めて、言い放たれることが多い。では、なぜ彼は少女を愛してしまったのか。その理由は、物語の最初の段階で明らかになる。
30.華麗なる賭け
スティーブ・マックイーンは『パピヨン』から観たこともあって異常に期待してしまっていたということもあるが、今この映画を観てもあまり通用しない印象がある。だが、はじまりのセンスなど総合的に考えると、1968年という時代にしては新進的で、業界をリードしているような気配がある。『荒野の七人』のマックイーンと『俺たちに明日はない』のフェイダナウェイのコンビというだけで、当時は十分な要素だっただろう。
31.日本海大海戦
1904年、日本は南下政策で不凍港を得ようとするロシアと衝突していた。日露戦争である。ロシア以外の列強は義和団事件で引き揚げたというのに、ロシアだけは残ったのだ。もしロシアに満州を占領されたら、そこを橋頭保にされて日本にとっての脅威となりうる。帝国主義が当たり前の時代のど真ん中で、それは何としても阻止する必要があった。陸軍には乃木希典(のぎまれすけ)、そして海軍には東郷平八郎がいた。乃木が旅順を落としてくれれば、東郷も動ける。世界最強と言われたロシアのバルチック艦隊を倒すためには、旅順攻略が不可欠だった。
32.シンシナティキッド
ギャンブルについて描く映画は少ないので面白いが、特にこれといって『面白い!絶対に観てくれ!』と人に勧めるほどの内容ではない。どうしてこういう映画を作ろうと思ったのかが気になるほどだ。例えばあり得るとしたら、『当時の事情』が関係しているとかそういうことだ。流行がどうとか、技術がどうとか。
33.西部開拓史
1839~1889年のアメリカを描いた映画で、歴史的にも勉強になる。インディアン、ゴールドラッシュ、南北戦争、西武の人たちの心境、鉄道、保安官、金の強盗など、当時アメリカにあったさまざまな歴史や問題の中で生きる家族の一生を描いた、叙事詩映画(壮大なスケールで人間ドラマを描くことに重きをおく映画のジャンル)である。もしこれが60年前の映画じゃなければ、もっと見応えがあっただろう。だが、当時からすればスターぞろいの豪華キャストだったようだ。
白人は、『文明程度の劣った植民地に近代文明を伝えることが先進諸国の責務である』として、『明白な天命(マニフェスト・デスティニー)』だと主張し、西部開拓を行い、先住民の人生を脅かした。カリフォルニア、ロスアンゼルス、オレゴン、テキサス等で生きる人々は、その土地の歴史を考えるたびに、複雑な心境になる。何しろ、先住民を追い払い、時には殺害してその土地を奪い、だが、彼ら開拓者がいなければアメリカの豊かな土地はあり得ないのだ。
34.続・荒野の用心棒
『続・荒野の用心棒』(ぞく こうやのようじんぼう、原題 Django)は、1966年のイタリアの映画。セルジオ・コルブッチ監督。クリント・イーストウッド主演、セルジオ・レオーネ監督作品のマカロニ・ウェスタン3作品は
- 『荒野の用心棒』(A Fistful of Dollars、1964年)
- 『夕陽のガンマン』(For a Few Dollars More、1965年)
- 『続・夕陽のガンマン』(The Good, the Bad and the Ugly、1966年)
で、その『荒野の用心棒』と同じように見えるが、原題を見ると『A Fistful of Dollars』と 『Django』なので大きく違うことがわかる。これは邦題をつけた日本人が間抜けとしか言いようがない。当時、このあたりの言葉を使ってれば『よくわからないけど面白そうだ』とでもなったのだろう。その時の歪みが残ってしまっている。
それならタランティーノのように『ジャンゴ』というタイトルをつけた方がいい。正当な続編ではないが本作に影響を受けたクエンティン・タランティーノが「Django Unchained」(邦題 ジャンゴ 繋がれざる者)を作った。「Django」で使用されたエンリオ・モリコーネの劇中曲を採用し、本作で主演のフランコ・ネロも端役で出演している。
この映画は喧嘩シーンのリアリティがすごい。60年も前なのにチープさというよりは、むしろ原始的な不変の迫力が伝わってくる。 いつの時代もエネルギッシュな人間たちがいたということを再認識させられる。
35.続・夕陽のガンマン
クリント・イーストウッド主演、セルジオ・レオーネ監督作品のマカロニ・ウェスタン3作品の一つ。『ドル箱三部作』と言われるこれらは、
- 『荒野の用心棒』(A Fistful of Dollars、1964年)
- 『夕陽のガンマン』(For a Few Dollars More、1965年)
- 『続・夕陽のガンマン』(The Good, the Bad and the Ugly、1966年)
最初の2作のタイトルに「ドル」(Dollar)が入っているのでそう呼ばれているようだ。これらの映画はWikipediaに『続編』として、つまり『2』として繋がって紹介されているが、全く繋がっていないのでややこしい。監督と主演が同じで繋がっているように見え、繋がっていたり繋がっていなかったりしてよくわからないので、そこだけがこのシリーズの失敗したところだ。もちろん、邦題をつけた日本人の失敗だろう。
一つ一つはとても面白い。だが、もう60年も前の話で部隊も荒野で武器も当時のものなので、これらはいずれ現在における『白黒映画』のような過去の遺物という位置づけになってしまうだろう。ただ一つ言えるのは、この手の映画を現代版にリメイクしても、オリジナルは超えられないという奇妙な現象があるということだ。だとしたら、この『不鮮明な過去の遺物』の状態にこそ、歴史的な意味があるのかもしれない。
36.ブリット
2007年には「文化的・歴史的・芸術的にきわめて高い価値を持つ」とみなされ、アメリカ国立フィルム登録簿に登録され、『太陽にほえろ!』の製作の参考にもなり、映画に登場する最高のカーチェイスを選ぶ投票で1位に選ばれ、登場したフォード・マスタングGTが競売にかけられ、当オークション過去最高額の370万ドル(日本円で約4億円)で落札されたたという。
確かにスティーブ・マックイーン自体がプロのレースカー・ドライバーになることを目指したくらいだ。熱心なオートバイとレースカー狂で、映画の中で車を運転する機会があれば、彼は自身のスタントを行い、その中には今回のカーチェイスや、『大脱走』のオートバイチェイスもあった。
運転関係者と映画関係者からすれば釘付けだろうが、50年以上経ち、『太陽にほえろ』も一昔前の時代の話となり、映像技術が飛躍的に進化した今を生きる世代からすれば、単なる映画としてこれを観た時、関係者ほど戦慄が走る作品とはならないだろう。
37.夕陽のガンマン
クリント・イーストウッド主演、セルジオ・レオーネ監督作品のマカロニ・ウェスタン3作品は『ドル箱三部作』と言われる。これは普通に考えれば彼らのコンビがたくさん稼いだのだと思うだろう。私だってそう考えてしまう。
- 『荒野の用心棒』(A Fistful of Dollars、1964年)
- 『夕陽のガンマン』(For a Few Dollars More、1965年)
- 『続・夕陽のガンマン』(The Good, the Bad and the Ugly、1966年)
というこの映画の原題を見ればわかるように、最初の2作のタイトルに「ドル」(Dollar)が入っているのでそう呼ばれているようだ。また、『マカロニウエスタン』とは、『イタリア人が作ったアメリカの西部劇』で、実際には『スパゲッティウエスタン』だった。それを映画評論家の淀川長治が「スパゲッティでは細くて貧弱そうだ」ということで「マカロニ」と呼び変えたと言われている。
この3つは全て続編として続くわけだが、名前がジョーだったりモンコだったり、何が続きで何がそうじゃないかがわからない。その辺りの問題が解決すれば、一つ一つのエネルギーは感じられるので見応えがある作品だ。
作品一覧(50音順)
一覧を見る
- 『アラバマ物語』
- 『アラビアのロレンス』
- 『アルジェの戦い』
- 『イージー☆ライダー』
- 『ウエスト・サイド物語』
- 『噂の二人』
- 『エル・シド』
- 『俺たちに明日はない』
- 『華麗なる賭け』
- 『奇跡の人』
- 『クレオパトラ』
- 『暗くなるまで待って』
- 『荒野の七人』
- 『サイコ』
- 『サムライ』
- 『シャレード』
- 『シンシナティキッド』
- 『スパルタカス』
- 『西部開拓史』
- 『続・荒野の用心棒』
- 『続・夕陽のガンマン』
- 『卒業』
- 『大脱走』
- 『ティファニーで朝食を』
- 『天国と地獄』
- 『日本海大海戦』
- 『博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』
- 『ブリット』
- 『マイ・フェア・レディ』
- 『招かれざる客』
- 『夕陽のガンマン』
- 『用心棒』
- 『ロリータ』
- 『悪い奴ほどよく眠る』
- 『007シリーズ』
- 『101匹わんちゃん』
- 『2001年宇宙の旅』
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