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『2000年代』のおすすめ映画一覧

目次

2000年代おすすめ映画ランキング

1.ダークナイトシリーズ

ダークナイトシリーズの順番

ダークナイトシリーズの順番は、

  1. 『バットマン・ビギンズ』(2005年)
  2. 『ダークナイト』(2008年)
  3. 『ダークナイト・ライジング』(2012年)

となる。その前に出ているバットマンシリーズの映画は以下の通りである。

  1. 『バットマン』(1989年)
  2. 『バットマン リターンズ』(1992年)
  3. 『バットマン フォーエヴァー』(1995年)
  4. 『バットマン & ロビン Mr.フリーズの逆襲』(1997年)
  5. 『Batman Triumphant』(1999年)

特にこのようなシリーズの名前がついているわけではないが、『ダークナイト』の飛躍的なカリスマ性の影響で、『ダークナイトシリーズ』と呼ばれることが多い。また実際にこの三部作は『クリストファー・ノーランの三部作『ダークナイト トリロジー』』としてまとめられている。これも二作目であるダークナイトの名前を使うということは、一作目が不評であれば打ち切りになることを考えても、記録的なヒットをしたダークナイトという名前のインパクトの大きさを表していると言える。

またスーパーマンやワンダーウーマンなどが登場する『ジャスティスリーグシリーズ』としてのバットマンは、

  1. 『マンオブスティール』(2013年)
  2. 『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』(2016年)
  3. 『スーサイドスクワッド』(2016年)
  4. 『ワンダーウーマン』(2017年)
  5. 『ジャスティスリーグ』(2017年)
  6. 『アクアマン』(2018年)

と続くが、もちろんダークナイトシリーズとは違うものである。これは『DCエクステンデッド・ユニバース』と名がついていて、DCコミックスを原作とするメディア・フランチャイズであり、『マン・オブ・スティール』を皮切りに、同一の世界観のもとでDCコミックス原作の実写映画作品を複数展開している。つまり、まず原作のバットマンがあり、その利権を複数の方向に売っている為、その多方向から様々な形でこのコンテンツが演出・展開されているというわけだ。

その他にもアニメ版があったり色々な角度から描かれているが、元々コミックスが原作なのでそれが普通である。また、コロナで延期になり、『テネット』にも出演したロバート・パティンソンが主演の『ザ・バットマン』(The Batman)と言えば、『バットマン』を原作として製作陣を変更、設定をリニューアルしたリメイク作品。2004年から2008年にかけてアメリカで放送されたテレビアニメシリーズだが・・映画の場合はそのテレビアニメとは無関係のものである。これはまた独自の路線で描かれるバットマンのようだ。

各シリーズのヴィランや登場キャラ

さて、このバットマンシリーズの第5作目にあたる『Batman Triumphant』は、第4作目の酷評によって製作されることがないまま終わった幻の作品である。ここでは『ダークナイト』にヴィラン(敵役)として登場した『スケアクロウ』が登場する予定で、その攻撃の幻覚の中で『ジョーカー』が再登場し、更に『ハーレイクイン』も出てくる予定だったという。

バットマンシリーズの詳細

作品ヴィランや登場キャラ
バットマンジョーカー
バットマンリターンズペンギン、キャットウーマン
バットマン フォーエヴァートゥーフェイス、リドラー、ロビン
バットマン & ロビン Mr.フリーズの逆襲ミスターフリーズ、ポイズンアイビー、ベイン、バットガール
Batman Triumphantスケアクロウ、ハーレイクイン、ジョーカー(予定だった)

ダークナイトシリーズの詳細

作品ヴィランや登場キャラ
バットマンビギンズラーズアルグール、スケアクロウ
ダークナイトジョーカー、トゥーフェイス
ダークナイトライジングキャットウーマン、ロビン、ベイン

『バットマン4(バットマン & ロビン Mr.フリーズの逆襲)』は、史上最悪のスーパーヒーロー映画のひとつとして挙げられているようだが、私は別にこの作品にだけ『クソ作品』という印象は得なかった。ユマサーマンのポイズンアイビーがセクシーだし、シュワちゃんとジョージクルーニーの共演が豪華。3までの流れも受け継いでいるし、その流れのまま普通に楽しめた。

しかし『ダークナイトトリロジー』はこれらとは一線を画すものであり、芸術作品に近い領域にある。事実、監督のクリストファーノーランは『メメント』やその他の映画で芸術的な作品、つまり『現実を違った角度で描写する』作品作りをする特徴があり、その思想がこの作品の格式を引き上げることに成功している。

ダークナイト。それは、闇の騎士である。バットマンだ。バットマンの異名が、ダークナイトなのである。だが、ジョーカーはどうだろうか。なぜ彼には圧倒的なカリスマ性があるのだろうか。それは、彼もまた、孤高の男の一人だからなのかもしれない。節々で鳴らされる闇の夜空に響き渡る雷鳴のような壮大なBGMが、この作品に厳かな気配を演出する。鳥肌が立つようなBGMは、そう多くはない。

それは、監督のクリストファーノーランが温故知新的な発想で自国の資産に違った角度からスポットライトを当てた結果だ。つまり、我々日本人に『ジャパニーズアニメ』があり、スタジオジブリ作品を筆頭とした資産があるように、アメリカにはアメリカンコミックスという唯一無二の資産がある。その『眠っていた伝家の宝刀』をノーランという凄腕の剣豪が手にしたことで、我々はこの作品が本来持っている秀逸な世界観を存分に味わうことができるようになったのだ。それまでのバットマンシリーズはあくまでも『アニメを実写化したもの』だったが、ダークナイトシリーズは世界規格のエンターテインメントになった。

もちろんそこには役に対して妥協を許さないクリスチャンベールや、脇を固めるモーガン・フリーマンら数々の名優、そして28歳の若さで世を去ったジョーカー役のヒースレジャーの怪演が、大きく関わっている。



2.THE 11 HOUR

私は3000本映画を観てきて、その感想を書いてきて、やれ実話じゃないとか、フィクションならもう少し派手にしろとか、実話でも脚色されているとか、実話だから信憑性があり考えさせられる等のことを散々書いてきた。よって、これがドキュメンタリー映画ではあるが、『実話映画』の『ガチ版』と捉えることができていて、これを『映画』として一つのくくりにに入れたい。またもちろんジャンル分けで、『ドキュメンタリー映画』として括ってもいい。

結論から言うと、この映画を超えることができる映画はないだろう。



3.パイレーツ・オブ・カリビアンシリーズ

当時、冒険ものと言えばインディ・ジョーンズだった。しかし今を生きる人間の冒険映画は、このパイレーツ・オブ・カリビアンだ。ジョニー・デップは、何をしてもいいわけじゃない。例えば、ローン・レンジャーやチャーリー・モルデカイは、あまりぱっとしなかった。個人的には、チョコレート工場も好き嫌いが分かれる。だが、この作品は違った。彼にとっても、運命の映画だろう。

公開から随分経った今でも、あの音楽が最高のタイミングで鳴れば、鳥肌が立つ。初めて観た時は、このテーマ曲を口ずさみながらウキウキしながら映画館を出たことを覚えている。しばらく携帯の着メロにしていたほどである。



4.ブレイブ ワン

この世に『正義』はあるのか。それとも、『ない』のか。規範意識についてこれほど考えさせられた映画はない。



5.バタフライ・エフェクト

過去の時点に戻れる能力がある事に気づいた主人公は、過去に戻り人生を狂わせてしまった運命を変える事を決意する。最後、主人公の男は悟りを開いたかのようにも見えた。『あまりにもいろいろと経験し過ぎた』からだ。だから、あの若さで人間の理性を超越した、真の愛を理解することになった。彼は最後、彼女を『愛』した。そこにあったのは『本当の愛』だった。

実は私はこの映画を偶然見つけた。部下にレンタルしてもらった時に『あと1枚で割引適用』だったため、スタッフお勧めのものを適当に選んでくれと頼んだのだ。するとこの映画と『ゴーンベイビーゴーン』という映画をチョイスしてもらったわけだ。私はその時のその2本のことを、いまだに印象強い映画として覚え続けている。私は部下に返却してもらう時、そのスタッフを見つけて礼を言って欲しいと頼んだ。



6.チェンジング・レーン

これは『ブレイブワン』同様、同率一位だ。真理から逸れるほど虚無に近づく。これは、それがよくわかる映画だ。真理を自分のものにした人間の放つ圧倒的な威厳と、『神は人間をいがみ合わせたいのだ』という『彼の一時的な解釈』にも注目したい。これだから映画鑑賞はやめられない。



7.アレクサンドリア

391年のエジプトアレクサンドリア。キリストが亡くなってからおよそ400年後のことだ。ヒュパティアという女性の天文学者がいた。彼女はガリレオやコペルニクス同様、天動説に疑問を感じ、地動説に焦点を当てて真実を見極めようとしていた。だが、時代がまずかった。時のローマ皇帝テオドシウス1世は、キリスト教徒以外の人間を迫害し、ローマ帝国においてキリスト教の地位を絶対的なものにしようと画策。実は、これは歴史的には非常に重要なシーンだった。

下記の記事に書いた要点を見てみよう。

カエサル等を筆頭にローマ帝国は作られました。しかし、その帝国の中には様々な国家や民族があるわけでで、そうなると当然、それぞれが持っている宗教観に違いが出てきます。帝国は無理矢理制圧して作っていくわけですが、支配下に収められた人々の『宗教(思想)』までをも完全に統一することは容易ではありません。最初は力づくでまとめていましたがそれには限界があり、どうしても帝国をまとめるために『優秀な宗教』の存在が必要でした。

そこで、必要な条件をクリアした『優秀な宗教』を探し、たどり着いたのが『キリスト教』でした。これによってキリスト教はローマ帝国の国教となり、多くの人に受け入れられ、世界宗教へと発展していったのです。

ローマ帝国に軸を置いて考えると、キリスト教というのは『救世主』だった。だが、それ以外の人々、つまり『クリスチャンではない人』、『それを強要される人』からすればこんなにもひどい扱いは無かった。私はとてもよく似た境遇で生きたから本当に気持ちがよくわかる。私も両親がクリスチャンであり、それに従えない場合は家から出ていかなければならないという強迫じみた迫害を受け、育った。

しかし、ヒュパティアのような人間にしか見えない真実がある。彼女がどうなったかは映画で観たい。一つ言えるのは、彼女が死んでから800年経ってから、彼女が見抜いたことが真実であったことが証明された。



8.グラン・トリノ

見慣れないベトナム人や、態度の悪い老人、そしてその老人を煙たがるその家族。最初の掴みとしては、あまり印象が良くない。だが、それすらも演出。この映画に無駄な時間は存在しないのだ。人はどう生き、どう死ぬべきか。



9.ディパーテッド

作品の展開が常に想像の先を行ってくれる為、最後の最後まで先が読めず、楽しめる。衝撃的なシーンが淡々と表現される。いや、淡々と表現されるから衝撃的なのか。



10.オーシャンズシリーズ

『オーシャンズ11~13』。そしてその主人公の妹であるサンドラ・ブロック演じる女性が主演の『オーシャンズ8』まで、人を殺さない爽快な強盗技術で観る者を楽しませてくれる。『オーシャンズ8』だが、ほとんどブランド化された歴史的作品をリメイクしたり、違う角度から演出するのはリスクも伴う。だが、ゴースト・バスターズと一緒で、このオーシャンズ8は、全く遜色ない。セクシーでクレバーな『8人』の女性の暴れっぷりをとくとご覧あれ。



11.コラテラル

この映画を観て私はこれがどのジャンルに当てはまるか考えた。すると、この映画のために『極上のエンターテインメント』というジャンルを作り、分別する必要があると悟った。これは映画館で観たかった。『Ready Steady Go』が流れるクラブのシーンでは、きっとしびれて、鳥肌が立っただろう。これは極上のエンターテインメントだ。

また、この映画のとあるシーンではアーネスト・ハスキンズのこの言葉が頭をよぎった。

『毎月少しずつお金を貯めていきなさい。そうすれば年末にはびっくりすることでしょう。あまりの少なさに。』

中々考えさせられる話でもある。



12.千と千尋の神隠し

千尋という少女は、せっかく仲良しになれた友達たちと引っ越しを理由に別れることになり、憂鬱な気分に陥っていた。マイペースな両親たちの性格も相まって、余計に孤独は強まった。そんな千尋を、更に孤独な状況に陥れるあり得ない展開が繰り広げられる。一体ここはどこなのか。名前すら奪われ『千』となり、少しでも自分を見失うと自分の存在自体が消えてしまう。そういう追い込まれた状況の中、千尋は両親のもとへ帰ることができるのだろうか。この経験から何を得ることができるのだろうか。



13.サマーウォーズ

夏にあのオープニングテーマを聴くと、夏の到来を感じる。エアコンが嫌いな私は、本当はああいう広い和の家で、自然の風を思いきり浴びて涼みたい。

昨日まで普通の高校生だったはずなのに、気が付いたら世界中の人々の運命を背負っていた。ある夏の日、インターネット上のよくできた仮想世界から始まった『あるバグ』によって起きた小さな暴走は、自分の家族や親戚、そしてちょっと気になっていた後輩の男の子、そして恐らく世界中にいるとてつもない大人数の人を巻き込む最悪のウイルスへと悪化してしまった。果たして少女と少年は、この暴走を止められるか。



14.ジェイソンボーンシリーズ

ボーン・アルティメイタム』

エンディングで死んでしまったボーン。だが、そこから『Extreme ways』が流れ、音楽を最後まで聴くまで動けなかった。

『ボーン・レガシー』

主人公のアーロン・クロスも予告動画ではスナイパーライフルを使いこなす狙撃手として登場する。そのほかにも、ボーンシリーズのボーンもスナイパーライフルを使いこなせる。スナイパーライフルのような遠距離攻撃も、近距離での格闘技もすべてマスターしている最強の兵士たちの戦いは見応えがある。



15.ブーリン家の姉妹

世界一有名な女王がエリザベス女王なら、それを産んだ母親はどういう存在だっただろうか。歴史の勉強をしていると『アン・ブーリン』という名前を目撃することが多々あるが、それは、ヘンリー8世が『英国国教会』を立ち上げたときに絡んでくる要素だからである。歴史的にはそっちの方が重大なことでピックアップされることが少ないが、実はこのアン・ブーリン。エリザベス女王よりも波乱に満ちた人生を生きたかもしれない。しかも、その家族全員がだ。



16.レッドクリフ

漢の400年後、つまり200年。項羽と劉邦の時代が紀元前200年頃だから、この『赤壁の戦い』があった200年というのは400年後になる。時代は『後漢末』。つまり、前漢を興した劉邦の時代から400年、漢の時代はすでに末期へと移り変わる。曹操は、漢の末裔である劉備を狙う。

  1. 蜀(しょく)=劉備
  2. 呉(ご)=孫権
  3. 魏(ぎ)=曹操

こうした三国が衝突することから、この時代の歴史を『三国志』ということがある。いや、10年以上ぶりにこの映画を観たのだが、あの時と比べて違うのは、私の映画鑑賞数が圧倒的に増えたということだ。そんな私から見たこの映画の感想はこうだ。

これは傑作だ!

間違いなく、中国の歴史映画で一番にプッシュできる作品である。この映画で学んだ叡智は、恐らく一生忘れることは無いだろう。『草船借箭の計(そうせんしゃくせんのけい)』、『『メタ』の世界』。知性溢れる作品だった。



17.パトリオット

1780年、アメリカ合衆国が作られようとするまさにその時、しかし男は戦争には無関心だった。男は過去を背負っていたのだ。だが、ある時戦争に巻き込まれ、手負いの敵の兵士を介護すると、それを理由に理不尽な目に遭う。その時、男の中で堰止めしていた煮えたぎる野生の本能が爆発した。



18.トランスポーター

孤高の人間は、完璧主義者であるイメージがある。完璧を求めるからこそ、周囲に足を引っ張られないように一人で行動することが多い。この男は、完璧主義であり、孤高である。孤高な男の生きざまにしびれる人には持って来いの映画だ。



19.A.I.

アイロボット』という映画とこれが同じ作品だと思い込んでいて、観ていなかった。実際には全然違う作品で、かつスピルバーグ作品という見逃せない要素だった。元々はキューブリックの企画で、スピルバーグが監督を任された経緯があるらしいが、一度断り、彼が死去し、死後にスピルバーグがメガホンを取ることを決意した流れだ。つまり、キューブリックとスピルバーグのほぼ合作みたいな映画なのだ。

ホラーのような緊張感と、宗教のような教訓性、役者の使い方に世界観、これはとても深遠な映画だった。だから、アメリカでは興行的に失敗したらしい。なぜならアメリカでは難解な哲学映画としてマーケティングされたからだ。だが、日本は成功した。日本では「母とロボットの愛」として宣伝されたからだ。

『眠たい時には哲学を読め』というが、世界中どこに目を向けても、難解な話は敬遠されるものである。『楽、得、安全』に支配されているのが人間というものだ。そんな中、『母と子の愛』という普遍的なテーマは、『安全』と『安心』を与える。日本ではジブリ映画が人気のトップを占めるが、あの映画の根幹にあるのもそうしたテーマが多い。『だからヒットしている(多くの人に訴求出来、多くの人の心を動かすことができ、多くの売り上げを上げることができている』のである。

とにかく、観るべき映画というものはこういう映画だ。教訓性とエンタメ性が強く、まるで『確かに存在するもう一つの世界線』を見て自分たちの現在の人生を俯瞰視できるような、『資料』とも『アトラクション』とも言える、名作である。



20.ヴィレッジ

映画の感想など、別に十人十色あっていい。制作側も、より多くの人に観てもらう為に、きっとそう言うだろう。だが、この映画を観て言うべき『本当の感想』を言える人はどれだけいるのだろうか。あの『村』は、あっていいのか。それとも、いけないのか。

※ネタバレあり

この村(ヴィレッジ)に住む人々は、過去に理不尽な形で家族を失っている。まさに、『ブレイブ・ワン』のジョディ・フォスターのような事件を経験したのだ。そして、子供たちの未来のために、そして自分たちの心の平安のために、お金持ちの力を借り、小さな村を作った。そしてそこで子供が生まれる。子供たちはその村がこの世界のすべてだと思っている。

村を出たら化け物に襲われる。そういう伝説を作り、大人たちは子供たちの『好奇心』を抑制する。それで何とかこの村の平和は保たれてきた。私はあえて、老子の理想としたこの小国寡民の批判はしない。しかし、『国が乱れることなく治まる』はずの小国寡民システムは、実際にはどう機能するか。それをこの映画を通して体験してみたい。

では一体どうすればよかったのか?この大人たちは子供たちの未来や可能性を奪った?彼らにこんなことをする権利はない?子供を理不尽に殺されたから、二度とそうならないように防衛することは、間違っている?

後は自分で考えたい。そして、最後に子供が取った行動にも注目だ。もしこの映画の意味が分からなかった人も、私のこの話を聞いた後に観れば、見えなかった部分が見えるようになる。私はクリスチャンの家庭で生まれたからたまたま分かった。私の親とて、私のことを守りたくてクリスチャンを勧めたのだ。



21.プラダを着た悪魔

人は誰でも、表層的な美しさや幸せに心を奪われるものである。だが、本当の幸せとは表層を象ることではない。ファッションは大事だ。だが、ファッションで何が一番大事かと言えば、『自分にとって最適な洋服を着ること』だ。もちろんこの言葉の意味は、映画を真剣に観た人にしかわからない。



22.チェンジリング

クリント・イーストウッド映画というだけで、期待できる人がいるかもしれない。この映画は、1920年代のロサンゼルスで実際に発生したゴードン・ノースコット事件の被害者家族の実話を元に映画化されている。

題名は「取り替え子」という、自分の子供が醜い子供に取り替えられるというヨーロッパの伝承に基づいている。だが、実際には『醜い子供』というわけではない。普通の子供だ。ただし、親というものは常にか保護に陥りやすく、(私が育てなければいけない)という愛や責任感が『逸れる』時、そこに排他的な家族優先主義の発想が生まれる。

すると、自然と自分の子供だけが可愛くうつり、それ以外の子供は目に入らない現象が起きる。そうなるとそこにいるのは『醜い子供』ということになるかもしれない。いや、そんなことはどうでもい。今回最も『醜い』のは他にいる。あまりにも醜すぎて、『この映画で全容が明かされない』ぐらいだ。

こう書くと人は好奇心が煽られ、興味本位で事件の真相を覗きに行くだろう。だが、軽はずみな覚悟ならやめたほうがいい。それを知った後、自分の心が歪み、世界へ向ける目が濁ってしまう可能性があるなら、調べない方がいい。それだけの事件が、この時起きたのだ。『面白い』とか『見応えがある』と言ってはいけないレベルの話。だが、実話であり、私はこの映画を観たことを忘れることはない。



23.禅 ZEN

偏った宗教観を持っている人はそれだけで観ることができないだろうが、極めてニュートラルな視点を持ち、この世の真理を直視することができる識者であれば、この映画で道元が主張することの重要性を理解し、それに一生をささげた彼に敬意を示すだろう。

『世間では、阿弥陀様にお願いをすれば死んで浄土に行けるという教えが流行っているようですが、本当にそうでしょうか。浄土とは今ここ。生きているこの世こそが浄土でなければならないのです。』

真理である。



24.世界でいちばん不運で幸せな私

久しぶりに『超越』した映画に出会った。

超越というのは例えばこの『マズローの5段階欲求』の画像を見てイメージしてみよう。このマズローの話に特に厳密に合わせる必要はなくイメージでいい。例えば、『ブッダ(釈迦)』や『孔子』のような聖人たちをイメージすればいいのだ。彼らを見て、『自分たちと同じような人間』という風に解釈する人よりも、『彼らは自分たちとは別格にいる、神のような人間』と解釈している人の方が圧倒的に多いだろう。



25.猟奇的な彼女

この映画でたったの一度しか鳴らない携帯の着メロを聞いて、涙が出そうになった理由を、私はもう忘れてしまった。だが、脳裏に焼き付いていたのだ。物語の内容は断片的にしか覚えていたなかったが、この映画から伝わる胸が熱くなる気持ちは、私の心底に植えついていたようだ。恋愛映画は観ない。少女漫画と違って、少年漫画には恋愛ではなく格闘が多い。

男には男性ホルモンのテストステロンが色濃く存在していて、そのせいで攻撃的な性格になる。だから街中でクラクションを鳴らす9割が男性で、傷害事件を起こすのも圧倒的に男性である。では、この女性は男っぽいのだろうか。いや違う。彼女は誰よりも、女の子なのである。



26.アバター

彼らのことを具体的に想像しなければならない。彼は、あの星に残ったのだ。人間とは全く様相の違う異星人とともに、余生を送ることを決した。そこにあるのは純愛以外のなにものでもない。私はこれをSF映画というより、美しくも尊い、純愛映画だと思って観た。



27.アメイジング・グレイス

誰もが聞いたことがあるはずの名曲、『アメイジンググレイス』。実は、あの歌がこの世に生まれた背景にあったのは、人類が刻んだ哀しい黒歴史だった。その尾は今も尚引いてしまっていて、この世界の悪しき因子として世界中に散りばめられている。黒人に対する奴隷制度問題である。

イギリスの政治家、ウィリアム・ウィルバーフォースは、ヴィクトリア女王よりも優れた偉人かもしれない。ヴィクトリア女王は、大英帝国のトップに君臨し、その恩恵を食事から側近の世話まで、甘んじて受け入れた。だが、その豪華で贅沢な暮らしの元になっているのは、奴隷制度で『所有』する奴隷の労働力と、世界各地にある植民地なのである。

しかし、確かに難しい選択肢がちらつく。『イギリスがやめてもフランスが横取りするだけだ!』それはその通りだっただろう。奴隷制度、帝国主義の渦中にあって、ウィルバーフォースとピットが立ち向かうために燃やした正義の炎は、この世界に永遠に残る、勇気の炎である。きっとあなたは、映画の最後に流れる『アメイジンググレイス』を観て、背筋を伸ばすことになるだろう。



28.最高の人生の見つけ方

自分の余命が短いとわかったとき、人は一体何をすれば悔いなく死ねると考えるだろうか。そして、その時に作成するリストは、本当にそういう時にだけしか作る必要がないのだろうか。

ゲレルトは言った。

『ほがらかに死んでいくために、私は生きようと思う。』



29.キングダム・オブ・ヘブン

十字軍を追い詰めたイスラムの英雄サラディンと、ライ病にも関わらずそのサラディンを追い詰めたことがある十字軍の英雄ボードゥアン4世。本物の戦士同士、彼らはその実力をたたえ合っていたが、ボードゥアンが死に、十字軍のパワーバランスが崩れると、その均衡も崩れた。この時、時はすでに1200年。古代イスラエルが滅亡してから2000年もの時間が過ぎていたが、この時も、そして現在進行形で、パレスチナ問題としてエルサレムの奪い合いは続いている。

十字軍の一人が、サラディンに『あなたにとってエルサレムとは何か』と尋ねると、サラディンは言った。

無だ。…だが、すべてだ。



30.スクール・オブ・ロック

もしこの映画のタイトルやジャケットを見て何らかの『距離』を覚える人がいれば、その感覚は錯覚だったことを知るだろう。予期せぬところで最高の出会いがある。それが映画鑑賞の醍醐味の一つだ。主役の彼の熱量と歌唱力、そしてユーモアのセンスが、この映画のクオリティを何段階も引き上げている。



31.アレキサンダー

世界で三番目の世界帝国は、マケドニアのアレクサンドロス三世の時代に存在した。アッシリア、ペルシャの次がそうだ。そしてその後、ローマ帝国の時代が到来することになる。しかし、若くして世界を獲ったと言われたアレキサンダー大王はヨーロッパの人々にとっては伝説的存在で、母親がアキレスの末裔、父親がタイタン、ヘラクレスの末裔だと言われるほどである。

映画ではアリストテレスが彼の知性の軸となる教師として登場するが、ある文献によると、アリストテレスは大した影響を与えなかったともある。だが、よく考えればアリストテレスが家庭教師をしたという事実は確かなのだから、あれほどの人物が教えた者に対した影響を与えなかったというのも妙である。

彼が支配した都市、アレキサンドリアは、エジプトにある。そして、その300年後にそこに存在したのが、かのクレオパトラである。彼女はそこでローマのカエサルと出会うのだ。『トロイ』のアキレス、ギリシャのペルシャ戦争とペロポネセス戦争(スパルタ300人の伝説)と、アレキサンダー大王、ハンニバルスキピオに、カエサルとクレオパトラ。このどれもが見逃すことができない圧倒的なヨーロッパの伝説的な人物と戦いの歴史である。



32.13デイズ

1962年、アメリカはキューバ危機を迎えていた。キューバ革命でカストロとゲバラがソ連側に寝返り、アメリカとしては中南米に位置するキューバへの対処に頭を悩ませていたところだった。そんな時、ソ連がそのキューバにミサイル基地を設置したのだ。これにより、アメリカ大陸全域がソ連の射程範囲内に収まり、いつでもソ連が先制攻撃という有利な選択権を得ることができる。それは、外交でも利用されるだろうし、核爆弾を所有したソ連が相手となると、ただ事ではない。果たして、アメリカとソ連はこの絶体絶命のピンチをどう乗り切るのか。そしてそれは同時に、人類にとっての絶体絶命の窮地でもあった。



33.300 〈スリーハンドレッド〉

実際にあったと言い伝えられている、古代最高の戦い。『ペルシャ戦争』と『ペロポネセス戦争』で、アテネとスパルタは手を組み、ギリシャVSペルシャの戦いが行われた。この世界で二番目に帝国の覇者となったペルシャ帝国の数と勢いは圧倒的で、それに対抗するためには自らの命を武器にする以外には選択肢はない。実に100万人以上のペルシャ軍に対し、男の中の男たち、スパルタ軍はたったの300人で彼らに突っ込んだ。

300 〈スリーハンドレッド〉 〜帝国の進撃〜

上にある『300 〈スリーハンドレッド〉』と同じ時間の別の戦い、エーゲ海での海戦を軸にしている。つまり、これもペルシャ戦争である。前作があまりにも有名な歴史の一場面を切り取ったものだからそれよりは劣るが、前作と併せて観れば、ペルシャ戦争を思う存分体験することができるだろう。戦争の悲惨さや、法律もなく警官のいない当時の秩序などの状態を想像することができる。

この作品の主役である実在する人物でもあるテミストクレスは、ペルシャ帝国の王、ダレイオスにめがけて矢を射る。その矢が、この物語の運命を大きく変えることになった。



34.ゴーン・ベイビー・ゴーン

ブレイブワン同様、規範意識について考えさせられる映画である。これらの正確な結論を出せる人間は、この世にはいない。



35.ナショナル・トレジャー

もっと続いてもよかった。それだけ、先の読めない展開とニコラス・ケイジの迫真の演技は見ごたえがあった。もし次回作があるなら、観るのが楽しみだ。



36.アメリカン・ギャングスター

実際にあった話を基にしていることもあって見ごたえ十分だ。ただ、この映画は悪人としての生き方に少しも共感できない人は、爽快さを感じることはできないだろう。こういう事実があるから、私はたまにフィクションとノンフィクションの境目を見失うのである。そして、何が正義で、何が悪かの境界線も。

キング牧師が暗殺された1968年、当時のハーレムのヘロイン密売人で組織犯罪のボスであるフランク・ルーカスは、ニッキー・バーンズと並び麻薬業界の大物として、一大勢力を築き上げていた。物心がついたら家族がショットガンを口に突っ込まれている。そういう環境で育ったら、そこで生きていくために、子供は、どういう人間に育つだろうか。断片的に見れば当然間違っている。だが、そうも言い切れないのは、彼の生きた環境と哲学が稀有なものだからだ。



37.きみに読む物語

私はいつも『恋愛映画が嫌い』というのだが、実は洋画であまり嫌いな恋愛映画というものはないのだ。ただ、先日日本の恋愛映画を観たら思い出した。私が嫌いなのは『空想を煽る非現実的な恋愛ごっこ』だ。本音が飛び交わない、恋愛の綺麗な部分だけ、つまりうわべだけを切り取った真実味のないキュンキュン映画には、男の私が胸を躍らせることはできない。

いや、日本の恋愛映画すべてがNGというわけでもないのだが、『狭い』のだ。だが洋画の場合はターゲットが往々にして全世界だから、遠い異国の男性である私にも響く内容が詰め込まれている。もちろん、日本語だと『絶妙に腹が立つ言い方』などに細かく気づいてしまい、英語だとそれが一切わからずテキストだけで観るから、余計な考え方にむしばまれないということも関係しているかもしれない。

さて、この映画の恋愛はどうか。中々類まれな状況である。映画として相応しいインパクトとシナリオ、そして見応えがある。『キュンキュン映画』という狭い価値観を大きく超えた、『命の使い方』という深遠なテーマが、ここにある。



38.トレーニング デイ

デンゼル・ワシントンが悪役をやったら怖い。彼は善人役をやっていても、笑顔の奥が笑っていないように見える。しかしそれは、彼が偽善者だからではなく、彼が演じる悪役のインパクトがあまりにも強いからだ。その恐怖を忘れられないのだ。この映画で見られる彼は恐怖というより、狂気である。



39.守護神

名作だ。これは名作としか言いようがない。そこまで有名ではない映画だが、ケビンコスナーというのは『粋な教官や父親』をやらせたらピカイチである。『マンオブスティール』でそう思った人が大勢いるように、この映画でも同じ感動を得ることができるだろう。

『アメリカ沿岸警備隊』を描いた、いわばニッチな専門的な映画なわけだ。だが、それをこうしてただの映画好きの私に『名作』と言わせるのは、条件が整っていなければあり得ない。『ザ・ダイバー』もそうだが、人間の躍動が、その狭いカテゴリーを飛び出るのだ。



40.アイ・アム・サム

父親が知的障碍者である。そんな事実を考えた時、世間一般はまず見て見ぬふりをしたい。それだけ困難な状況がそこにあるのがわかるからである。自分の人生でもこんなに大変な思いをしているのに、そんなところにまで目を配ることはできないのだ。私の兄の結婚式があったとき、ある女性が私に近づいてきて何かを催促した。ご祝儀がどうのという話だったのだ、こっちはこっちで様々な事情を抱えていて、それどころではなかった。式の時間が書いてある紙が、お洒落な演出からか手紙の中の小さなメモに入っていてそれを私が見落として、式に出られなかったのだ。

私は元々人に合わせない性格だし少年時代は荒れていたから、多くの人々は私を悪く思っただろう。わざと出なかったとか、だらしないとか。しかし私は30分前に着いて、隣の公園で読書をしていたのだ。私は人一倍念入りに用意をしたはずなのに、その真逆の印象を与えてしまったのである。とにかく複雑だ。その女性が何を目的としているとかそんなことはどうでもよく、とにかく皆が集まる会の方には間に合った。

そうして帳尻を合わせながら落ち着こうとしたその時、女性が私に暴言に似た捨て台詞を吐き、私のそばを離れたのである。正直、ぶん殴ってやりたいくらい理不尽だった。怒号をまき散らし、胸倉をつかんで地面にたたきつけ、『なぜ今俺に暴言を吐いた?』と脅してやりたいくらい、理不尽だった。

・・さて、『世間一般』の人間の人生を少し覗いてみた。人は往々にしてこんなものだ。皆自分本位であり、人生に余裕はない。であるからこそ、彼のようなハンデを負った人のことを気遣おうという発想は生まれないのだ。

だが違う。そういう人こそこうした映画と向き合わなければならない。それは映画を観ればわかることだ。何を焦っている。何を欲している。我々が本当に大切にすべきことはなにか。思い出すべきである。



41.アポカリプト

ホラー映画よりも怖い。なぜなら、これは本当にあった可能性が高い話だからである。『パッション』、『ハクソー・リッジ』を作ったメル・ギブソンが描く、マヤ文明の実態。どこまでが本当かはわからないが、蓋然性は十分高いようにも見える。生贄があり、自然を神格化したのは、狩猟採集時代、つまり原始時代を生きた人間からすれば当然の神話だった。当時は動物も神に近い存在だったから、ジャガーを恐れたのもうなづける話である。この映画はとても見ごたえのある話だ。



42.シャーロック・ホームズシリーズ

頭脳と言えばシャーロックホームズだ。あの名探偵コナンも憧れる、世界一の探偵なのだ。頭の中で一度論理的に戦いを想像し、それをそっくりそのまま実行に移す。その際、想定の範囲外の行動が起きることも、『想定の範囲内』だ。相手の性格を正確に把握する、鋭い洞察力と推理力。そして思慮深さがなければこんな芸当はできない。



43.イルマーレ

2000年の韓国映画『イルマーレ(時越愛:シウォレ)』をリメイクした恋愛映画。確かに違和感を覚える。キアヌリーブスのようなアメリカ人が、日本や韓国のような発想のシナリオの中で演じているのが、少し妙だ。だがそれは文句ではない。アメリカではなかなか発想されない展開だから、それをハリウッドスターが演じることはとても新鮮な絵に見え、斬新である。

ふと考えたのだが、我々アジアの映画は『宇宙』について描くものが少なく、どちらかというとこの映画のように『時間(タイムスリップ)』とかその手の映画が多いイメージがある。外ではなく内で起こる不思議な現象。それはもしかしたら仏教や儒教、またガラパゴス的島国の環境も関係しているかもしれない。もちろん単純にCGの技術不足かもしれない。『宇宙戦艦ヤマト』は大失敗だったように、単純にヘタなのだ。

だが、トムクルーズが演じた『オール・ユー・ニード・イズ・キル』、あるいは『アリータ:バトルエンジェル』、『ゴースト・イン・ザ・シェル』、『トランスフォーマー』、『ATOM』のように、ロボ、あるいは時間関連のシナリオは得意だ。いずれ、世界各国のその得意同士のタレント(才能)たちが集まって、ドリーム映画のようなものを作ってほしいと、考えるのである。

ちなみに、この映画を朝早くの静かな時間から見た。すると、とても清々しい気分になった。湖畔の静かな空気感が、環境とリンクしたのだ。



44.きっと、うまくいく

『その国のいい映画』とは、歴史映画でもないのにその国の歴史や息遣いが観える映画である。『パラサイト』などもそうだ。韓国でしか作れないエンタメ性がそこにあった。インドは何かと負のイメージが強い国であり実態も見えづらい。だが、私はこの映画を通してインドの『正道』を見た。この映画はインドにとっての宝物だと言えるだろう。



45.ミスティック・リバー

人の心は歪むものである。それは、歪んだ現実を直視したからだ。白く純粋な色ほど黒いものに触れたとき、それに染まりやすいものである。だが実は、反面教師や、ピンチはチャンスという言葉がある。それにホイットマンがこう言っているのだ。

『寒さに凍えた者ほど、太陽の暖かさを知る人生の悩みをくぐった者ほど、命の尊さを知る。』

一体なぜこのような話をするのか、それは映画を観てみなければわからない。注目すべきなのは、大人になった『かつての悪ガキ3人組』だ。



46.ミュンヘン

1972年に起きたミュンヘンオリンピック事件と、その後のイスラエル諜報特務庁(モサッド)による黒い九月に対する報復作戦を描いたスピルバーグの衝撃の一作。まるで007のように殺人を許可された暗黙の存在が、フィクション映画のように事件の当事者を追いかけ暗殺していく。

これもパレスチナの歴史を知っているのとそうじゃないのとでは、奥行きが全然変わってくる。だが逆に歴史を知らない人は、『この映画を観る為にそれだけの下準備がいる』という、ある種の贅沢な気分で前向きに勉強することを推奨する。これは、実話であり、そしてその奥行きはあまりにも深い。未だに、そこにある根本問題は未解決であり、それはかれこれ、1000年を軽く超えるあまりにも複雑な問題なのである。



47.モンスター

15年以上前に観た映画は、やはりほとんどが『観たことがない』に等しい。だが、そんな主体性のない当時の自分の中にも、この映画が持っている壮絶でエネルギッシュな種は、植え付けられていた。この映画をもう一度観なければ後悔する。そう思った私の決断は、間違っていなかった。彼女を許すことはできない。だが、『赦す』のが愛だ。そして彼女もその愛さえ正しく理解できていれば、こんなことにはならなかった。

実在した元娼婦の連続殺人犯、アイリーン・ウォーノスをシャーリーズ・セロンが怪演。美しい容姿が売りの彼女が体を張って演じたのが特徴で、この作品で彼女は、アカデミー主演女優賞、第54回ベルリン国際映画祭銀熊賞、ゴールデングローブ賞 主演女優賞(ドラマ部門) などを受賞した。モデルとなった人物は2002年に薬物注射によって死刑が執行された。それはこの翌年に放映された映画だ。



48.レジェンド・オブ・メキシコ/デスペラード

『デスペラード』

メキシコの雰囲気がビンビン伝わるこの世界観の影響で、『リメンバーミー』でああいう展開があっても動じない。メキシコがどういう国か教えてくれたのが、この映画だ。前作の『エル・マリアッチ』は7000ドルという低予算で制作されたが完成度の高さから、当時無名であった監督ロバート・ロドリゲスを一躍有名にさせたという。これは二作目、そして三作目が『レジェンド・オブ・メキシコ』である。

ラテン系の夏。Juno reacterのあの音楽とジョニー・デップのくりぬかれた目が衝撃的。この音楽はクラブシーンでも最高に盛り上がることで有名だ。

レジェンド・オブ・メキシコ/デスペラード

とにかく音楽の『Pistorero』(Juno Reactor)が格好いい。そしてジョニー・デップとW主演というだけあって、贅沢な映画だ。彼がマフィアにされた衝撃的な仕打ちが強く印象に残る。まだ映画に何の主体性もない当時の私でも、その衝撃的な映像だけは強く脳裏に焼き付いた。



49.BROTHER

彼らには宗教的観念はない。だが、なぜか彼らの生きざまからはある種の宗教臭さを感じる。それは、彼らに『迷いがない』からだろうか。それだけでは、『信念』でもそうだ。ということは、信念とも断言できない、違う何かが彼らの思想にはある。それは、『歪んだ心』だ。フランスの小説家、プレヴォは言った。

『宗教は大きな河に似ている。源泉から遠ざかるにつれて、絶え間なく汚染している。』

宗教の源泉は純粋だったとしても、川下にいけばいくほど、幾多もの人間の複雑な心が相まって、実体が歪んでしまう。最初に観た時はあまりにも衝撃的だった。なぜ主人公である男の口数が少ないのかもわからなかった。しかし、媚を売らないと決めている人間の口数は、自然と少なくなる。彼らの『命の使い方』には、目を見張るものがある。



50.オーロラの彼方へ

きみがぼくを見つけた日』の感想で、無理があると書いた。この手のシナリオは技術がいるとして、『千と千尋の神隠し』の成功と『メアリと魔女の花』の大失敗について書いた。要は、あんなことはあり得ないわけだ。そういうフィクションたるファンタジーを、いかに現実を生きる我々が無理なく

なんかありえそう・・

と感じられるかは、監督の腕にかかっている。『なぜこのような不思議な現象が起きてしまったのか』ということをもっと明確に視聴者に伝える必要がある。それを考えた時、その映画は少し無理がある。『未来のミライ』然り、なぜそういう現象が起きるのかをきちんと分かるように説明してくれないと、視聴者が置いてけぼりになる。

ではこの映画はどうか。この場合、その問題を上手く解決していると言えるだろう。『声のタイムスリップ』という現象。無線機からかすかに聞こえる声は、『どんな周波数をキャッチするか分からない』というその要素を上手く突いたシナリオである。更にこの時、太陽フレアの活発化(太陽嵐)の影響により、ニューヨークでは異常気象によるオーロラが観測されていた。そういう非日常的な状況もいい。これなら何かが起こりそうだ。宇宙といういまだ特定不能のフロンティア(未開拓エリア)の圧倒的な潜在能力も手伝って、このような現象があってもおかしくはないと受け取れるのである。

だからこそ、物語にすんなりと入っていける。私は久しぶりに次の展開を楽しみにするワクワク感を覚えた。そして、この卓越した緊迫のシナリオを見て、(これはゲーム化されてもおかしくはない)という感想まで抱いた。

一体どうなる?何が真相なんだ!

私は素晴らしい映画に出会ったのだ。



ランキング外おすすめ映画(50音順)

ランキングには入らない2000年代を代表する名作映画をまとめました。(クリックでレビュー表示)

あ行

『あぁ 結婚生活』

売り上げも大赤字で、90分程度しかない。また、年齢も高いということで、この映画に世界的にヒットする要素を見ることはないだろう。だが、そうしてハードルを下げると意外と面白い。わざわざ1953年の原作を引っ張り出してきているだけあって、シナリオ自体は中々面白いと言えるだろう。高齢になるとこういうことも、身に覚えが出てくるかもしれない。

『アイデンティティー』

大雨のせいでモーテルに一晩閉じ込められることになった11人の男女。しかし、なぜか彼らは何者かに襲われ、次々と殺されてしまう。一体なぜだろうか。そして誰がそんなことをしているのだろうか。この結末を読めた人間はいないはずだ。

『アイム・ノット・ゼア』

2016年にノーベル文学賞を受賞し、2019年現在ではまだ存命のボブ・ディランの半生を独特な演出で描いた映画。彼が歌手なのに文学賞を得ていることからもわかるように、彼の中には様々な要素が存在していた。つまり、彼をただの歌手と断定するのは浅薄であると判断したのである。彼の、特に歌詞のファンは世界に大勢いるので、彼の音楽や歌詞を知る彼らにはたまらない映画だろう。

『アイランド』

ユアン・マクレガーとスカーレット・ヨハンソンの豪華共演で、内容も壮大、かつワーナーブラザースとスピルバーグのドリームワークス作品ということで注目度は高いはずだが、全く知らなかった。しかし、世界的に200億円近い売り上げを出しているので実力はある映画となっている。

スピルバーグ作品の『A.I.』、トムクルーズの『オブリビオン』、ゲームなら『ニーアオートマタ』や『テイルズオブアライズ』など、様々なシナリオと併せて考えると面白い。エンタメ作品として十分に見応えがある作品で、人にお勧めできるレベルである。

『アキレスと亀』

幼い頃から、自分の好きな絵を描く行動を大事にしてきた。自分が好きなんだし、うまく描けるし、それを大事にしていくことは当たり前だ。こんな自分を好きになる人と結婚し、子供ができれば、それで一つの完成された人生だ。そういう、とある画家になる男の話である。だが、心底に常に妙な棘が刺さっている。この違和感の正体は、一体何だろうか。

ちなみに歌手の加藤ミリヤはこの映画に強く共感を覚えたようで、その熱い思いを伝えると、たけしが彼女に絵をプレゼントしていた。彼女はそれを家宝にするとのことだった。

『アドレナリン』

これは笑うというよりも馬鹿。馬鹿過ぎて笑う感じ。やり過ぎだろって感じ。

『アバウト・ア・ボーイ』

映画館にわざわざ見に行かない内容だが、見ると面白い。基本、ヒューグラントの映画というものはそういうものである。彼は女性からはハンサムとして人気かもしれないが、男から見ると『ワイルド・スピード』には絶対に出ないキャラだから、根強い人気はない。ラブロマンスが多いこともある。

だが、彼の映画を観て(つまらない)と思った事はあまりないのだ。これが彼の演技の実力である。彼と『英国王のスピーチ』のコリンファースは、同じ1960年生まれのイギリスの名優としてピックアップされることがあるが、その通り彼らは実力ある俳優である。

また、意外と遺産を得る40代以下は多いし、最近の日本では独身も多いから、多くの人に刺さる映画となるかもしれない。最後には心が温まるクリスマスの映画としてもピックアップできる。

『アバウトシュミット』

ジャックニコルソンにはもっとクレイジーな役を演じてほしいのだが、彼はもう高齢で、ショーンコネリーのようにもうすぐいなくなってしまう。2022年現在、2010年の『幸せの始まりは』以降の映画がないので、85歳の彼の寿命もわずかとなってしまっているだろう。

その前に『最高の人生の見つけ方』でモーガン・フリーマンと名作映画を作った。その前は『ディパーテッド』だ。私が知る限り彼の一番の映画は『カッコーの巣の上で』よりも『バットマン』よりもこれである。

『シャイニング』、『ア・フュー・グッドメン』もいいが、私が観たい彼はディパーテッドのような彼だった。その意味で、こうして彼が高齢者の役を演じるのを見ると、残念な気分になる。それは、北野武が『アウトレイジ』でどんどん活舌が悪くなっていくのを観てしまうのに近い感覚だ。彼らのような鬼才をもっともっと観続けたい。そういう気持ちが、高齢者の彼らを受け付けないのである。

それがまずの第一印象だ。だからこのような普通の男の役にも、『その狂気』の影を見ながら観ることになる。私はこの映画の内容というよりは、彼がいなくなることの惜しさの方が頭の中を駆け巡ってしまう。

『アパルーサの決闘』

ヴィゴモーテンセンは渋い作品にも多く出るので、今回もその節がある。例えば、『約束の地』や『涙するまで生きる』、フロイトを演じた『危険なメソッド』も意外と渋かった。また、『アラトリステ』もそう言えばそうなる。アカデミー賞を獲ったが『グリーンブック』も、地味と言えば地味だ。だがあの方がまだ分かりやすい豪快さがあった。

『アビエイター』

潔癖症の母親の影響もあり、青年時代から伝染病、不潔なものへの嫌悪感の強かった実在の大富豪、実業家であるハワード・ヒューズ。20世紀を代表する億万長者として知られ、「資本主義の権化」「地球上の富の半分を持つ男」と言われた彼だが、強迫神経症に悩まされる特殊な性格を持ち合わせていた。元々父親から莫大な遺産を受け継いだのは確かだが、そうは言っても二世で潰れる例はたくさんある。しかし彼の場合はそうならなかった。そこがポイントである。彼の性格は『諸刃の剣』の刃の面なのか、それとも。

『アメリ』

ジャケットの彼女の顔写真では、機会損失を起こしている。事実、ずっと前にこれを観た時私は、血気盛ん男の人生を生きていたこともあるが、この映画に魅力を感じなかった。だが、実際に観てみればそういうことはない。私の成長も関係しているだろう。この映画はとても穏やかで純粋であり、心が温かくなる。観る人が女性なら余計にそうだ。彼女はとてもキュートで、この繊細で可憐な世界観に共感を覚える女性は大勢いるだろう。

『アラトリステ』

1620年代後半のマドリードで最強の剣客だったと言われるディエゴ・アラトリステ・イ・テノーリオ。通称アラトリステは、世界最強のスペイン帝国を支えるスペイン歩兵連隊の中心人物だった。同時代、日本には宮本武蔵という剣豪がいたが、アラトリステは武蔵よりは人間らしく、強いと言っても人間的な弱点を備えた、一人間だった。スペイン帝国はこの時すでに斜陽を迎え、衰退過程にあった。孤高の剣士アラトリステは、この時代をどう生き、どう死んでいったのだろうか。

ちなみに彼は小説の中の架空の人物だが、この時代のスペインの歴史を考えられる映画として『実話』に位置付けている。

『あるスキャンダルの覚え書き』

これは今調べて私も驚いたが、アメリカ合衆国で起きたメアリー・ケイ・ルトーノーの事件がモデルになっているという。その事件の概要は内容に触れるので書かない方がいいだろう。それを知らなくても中々見応えのある内容だった。女性がメインの作品で男の私にそう印象付けさせるのは中々だ。特に私は多くの映画を観ているので、中途半端な内容ではそうはならない。

また、印象に残ったのはケイト・ブランシェットのトイレのシーンだ。私はいたってノーマルだが、(なんでいちいちトイレのシーンを流すねん)と思いながらそのわずか数秒を見るのだが、汚らしいという感想を一切持たなかった。更にジュディ・デンチだが、よく彼女に『さすがベテラン』という評価があるのを見るのだが、特にその時の映画ではそうは感じなかった。だが、この作品ではそれを感じた。実は、偶然にも同時期にエリザベス1世を演じたことがあるらしく、二人の演技合戦がスタッフの間で噂されたという。そうした事情もあったかなかったか、この二人の切磋琢磨する実際がにじみ出て、こちらにその迫力が伝わってきたのかもしれない。

『アルフィー』

興行的には大赤字だが、作品の内容としてはむしろ見応えのある映画となっている。たまにこういうことがあるので、興行収入というのはあくまでも一つの目安に過ぎないことがよくわかるパターンだ。1966年の映画をリメイクしていることもあり、シナリオ自体は卓越しているのだ。このように生きる男はいくらでもいるし、そこに教訓性がある。ジュードロウもプレイボーイ役に相変わらずハマっているし、人生の教訓とか、恋愛の教科書的な意味でも、いい映画である。

『ある公爵夫人の生涯』

デヴォンシャー公爵夫人ジョージアナ・キャヴェンディッシュの伝記小説を映画化した作品。彼女は1757年6月7日 – 1806年3月30日を生きた人で、イギリスの貴族女性だ。だからイギリスのこの時代を描く映画として、貴重なシーンである。貴族という文化が当然のように存在し、その人たちがどのような生活をしていたかがわかる。更には、彼女があのダイアナ妃の祖先にあたる人物ということもまた、注目に値する事実だ。

彼女もまた、最初は貴族ではなかった。だが、結婚して貴族になった。女性は皆『白馬の王子』を求めると言うが、もちろんこの時代にもそれは通用する物語だった。そこまではいい。迎えに来るところまではいい。だが、いざ迎えが来た後の生活はどうだ。具体的にどういう人生が待っている。そこには、『待つ』ことを強いられた女性の儚く、切ない切実な現実があった。

『アンダーカヴァー』

私は見応えがあると思い、評論家は酷評しているところを考えてもわかるが、これはあと一歩の映画となっている。ベンアフレックの『夜に生きる』と似ていて、あれもこの映画同様、『妙に説得力ある実話っぽい話なのに、実話ではない』というところが、世界に通用するためには惜しい作品である。

(いや実話じゃないんかい)

と。テレビドラマならいくらでもフィクションでいい。あれは無料で見れる暇つぶし要素の面を多く備え持っている。だが映画となると実話ベースの話が多く、海外の歴史や大事件、アングラの世界などを見ることには勉強の要素も乗っかってきて、一つ次元が違うのだ。

『アンハサウェイ/裸の天使』

内容が刹那的すぎてついてこれない視聴者が多いようだが、現実にこういう若者は大勢いるから、低評価をつけるのは間違いである。アメリカや海外となると更にその時期の過激さは強くなる。何気にチャニングテイタムが脇役で出ているのも見ものだ。彼は2005年に映画デビューして、その年に3本映画に出ているが、そのうちの一本がこれである。

『愛を読むひと』

普通愛は、『読まない』。伝えたり、育み合ったりするもので、読むのは『本』だ。では、一体なぜ彼は愛を読むのだろうか。何か事情があるのだろうか。そう。読んだ相手に事情があるのだ。彼は彼女を愛した。しかし彼女には『愛を読む必要』があった。それは届くか。それとも届かないか。いずれにせよ彼らはとても数奇な人生を歩むことになりそうだ。

『新しい人生のはじめかた』

人間は、麻痺する。決して悪い人じゃないのだけれど、なぜか人生で出る結果が悪いことがある。実はそれこそがその人が『善い人』である証拠だ。人生を数字的に、事務的に考えていない。『だから場当たり的に』人生を生きるのである。しかし、結果を捻出するためには時に計算と戦略が必要である。そうじゃないのならいつの間にか人生は、思い通りにならない展開で埋め尽くされているだろう。

では、もし老後になってそれに気づくのでは、もう手遅れなのか。いや、フォスディックがこう言っている。

『A弦が切れたら残りの三本の弦で演奏する。これが人生である。』

『イエスマン “YES”は人生のパスワード』

私はすでに別の記事で書いているから『インサイド・アウト』の重要性を知っているが、まだ知らない人にはうってつけの映画だ。きっと、私のテキストよりもこの映画を観て勇気を貰えたという人の方が多いだろう。

『イエロー・ハンカチーフ』

山田洋次監督と高倉健の名作『幸福の黄色いハンカチ』のリメイク版だ。桃井かおりもカメオ出演していて、嬉しいシーンもある。原作と比べて評価をつけたがる人もいるだろうが、私は切り離して観ることができるから、これはこれで一つの作品として見応えのある内容だった。

『イン・ザ・カット』

メグライアンは

  1. 『ゴースト/ニューヨークの幻』
  2. 『プリティ・ウーマン』
  3. 『誘う女』
  4. 『羊たちの沈黙』

を断る『勘の悪さ』を持った女性で、何となく当時の黄金時代の彼女からはそういう『何となくでいけるっしょ』という、カジュアルな気配が感じられるが、もしかしたら現実世界でもその通りの人だったかもしれない。悪く言えばそれは浅薄で無責任であり、ラッセルクロウとの不倫が原因で、人としての価値を下げていった。また、演技派への転向を図って出演したこの『イン・ザ・カット』も失敗した。

更には『整形』で、整形した彼女はもはや一度もスクリーンで見たことがないというくらい、浅薄な選択肢だった。アメリカでは普通かもしれないが、世界規模になるとまだ駄目だ。整形をしてしまった女性が第一線で活躍するのを世界中の人に見せるということはあまりにもハードルが高い。この映画でも、彼女は中途半端なキャラに甘んじる結果になる。

『イングロリアス・バスターズ』

ただ、ナチスのことが嫌いな人に限る。ユダヤ人のことをよく知る専門家からすると、『シンドラーのリスト』は首をかしげるらしい。彼はもっとユダヤ人のことを商売道具としてしか考えておらず、神格化されているというのだ。だが、私が観る限りでは映画で彼はそのように描かれていたので、あれで十分だったと言える。人の心に深く突き刺さる演出をしなければ、ホロコーストの話を受け入れる人の数は減ってしまうのである。だが、そんな専門家からしても、この『イングロリアス・バスターズ』は『気に入った』という。こっちは完全な作り話なのに、不思議な話である。

『イントゥ・ザ・ブルー』

この映画の舞台は中南米のバハマ諸島である。キューバの上あたりにある場所だ。だから目の前に広がるのは絶景の海というわけである。若きポール・ウォーカーや、ジェシカ・アルバが水着姿で優雅に泳ぐ姿が観れるため、なんだか南国のバカンスに来たような気分を味わえる。『ラム・ダイアリー』が30代以上の男性向けなら、これは20代の男女も楽しめる映画だろう。

『インフォーマント』

日本の味の素が出てくるから日本人としては目が離せない内容となっている。実話である『リジン国際カルテル事件』を元に作られているので、事件に関わった実在の企業や人物が実名で登場する。

だが、エンタメ性を含めてそこまで大絶賛というほどではないだろう。ソダーバーグ、ジョージクルーニー、マットデイモンという『オーシャンズ組』のちょっとした挑戦といったところだろうか。

マットデイモンは『どっちに転ぶか分からない』役がうまいが、これなら10年前の1999年上映映画『リプリー』の方が確実に見応えがあると言えるだろう。

『インベージョン』

途中まで『ニコールキッドマンのエイリアン・感染映画』というかなり軽い層の方向だと解釈してた。だが凄い。表層はそうだが、メッセージ性が凄い。啓蒙染みている。この作品一つだけでは確固たる証拠にはならないが、『じゃあ反論できるのか』となると誰一人反論できない。

恐らく表層が『よく見かける映画』だからほとんどの人はそこに分別するだろう。でも実際にはその他の感染、ゾンビ、エイリアン映画とはメッセージ性の重さが違う。

これは細胞学、心理学、脳科学、歴史、哲学、宗教と様々な本を読んだ人ほど強烈に刺さる。

何しろ私は『このテーマ』で記事を書いていて、そしてそれは自分にとっての『最終結論』に近い膨大な知識と事実を積み重ねたものだった。

これと一致しているのだ。この90分の映画で出してる結論が。これは深い。表層に惑わされるな。

※最後にネタバレの一言

見たくない人は見ない方がいい。この映画の最後に流れるこのコメントがこの映画のすべての肝である。

『争い無くなると、人間ではなくなる。』

『ウィンターズ・ボーン』

お金がない。親もいない。幼い弟と妹がいる。もし10代の女性がそんな状況に陥り、娼婦のような真似を『しない』で生きていくとしたら、一体どういう生き方を選べばいいというのだろうか。その方向は考えなかった彼女はもう一つのやむを得ない選択肢として『軍隊』を選んだ。そこである程度の報酬が期待できるからだ。

それにもしかしたら、父親は生きているかもしれない。麻薬を売って逃げたとか、怪しい話しか聞かないが、そんな親でもたった一人の親であり男手だ。ギリギリの綱渡りの生活の中、藁をもすがる気持ちで父親を捜索するが、様子がおかしい。核心へと近づけば近づくほど、周囲の人間の態度に異変が見られるのだ。一体父親の身に何が起きたのか。

『ウェディング・クラッシャーズ』

この9年後の2013年の映画『インターンシップ』では、批評家が

「ヴィンス・ヴォーンとオーウェン・ウィルソンのカリスマ性に大きく依存している定型的な脚本と、詰めこまれた展開で抑えている」

と酷評し、この『ウェディング・クラッシャーズ』の余韻でしかないような言い回しがされたようだが、私はこれよりもインターンシップの方が面白かった。こればかりは趣味だろう。私はインターネットを使ったビジネスをしているから、Googleが出てくるこっちの方が共感ポイントが多くて面白かっただけのことだ。

だが別に、こっちの映画も面白かった。オーウェンウィルソンはいつも、二流俳優っぽい雰囲気がある割には、一流の演技をして必ずと言っていいほど満足させてくれる。彼は確実に一流俳優である。多分髪形に問題があるだけ・・

『ウェルカム ・トゥ・コリンウッド』

スティーブン・ソダーバーグとジョージ・クルーニーが設立した映画プロダクション「セクション・エイト」の第1回作品。つまらなくはないのだが、やはり『オーシャンズ』で成功した実績から、このコンビは『強盗系』の作品が多く、どれも似たような内容になってコモディティ化している傾向がある。

コモディティ化とは、同じような作品がたくさんあって、どれも同じくらいの価値にしか見えなくなる現象のことだ。90もない第一作目ということで、テスト的な映画だったかもしれない。

『ウォーク・ザ・ライン/君につづく道』

カントリー・ミュージシャンのジョニー・キャッシュの伝記映画で、特に彼の2人目の妻となった歌手のジューン・カーターとの関係を描いている。アメリカでは有名な話だが、彼のことを知らなくてもエルヴィス・プレスリーという男の名前は知っているだろう。彼と同時代を生きた破天荒な男の物語である。だからこの映画に出てくる登場人物はほぼ実在する有名人で、知る人には豪華なアメリカンヒストリームービーとなっている。彼らの後に出てくるのがボブディラン、ビートルズという面々である。

世界的に脚光を浴びたエルヴィスに隠れ、ジョニーキャッシュ自体もかなり波乱に満ちた人生を送っている。その奇天烈ぶりをホアキンフェニックスが見事に怪演。あるワンシーンなど、実際にドラッグをやっているのではないかと思うほどの迫真の演技を見ることができる。

銃やドラッグが簡単に手に入るアメリカでは、自由の権利と引き換えに、事件に巻き込まれ、中毒死したり人生を転落するリスクが高い。『ロケットマン』、『ボヘミアンラプソディー』でもエルトンジョンやクイーンにおける同じような展開を見ることができる。名声を得て、お金を得て、そのお金で夢にまで見た私利私欲を満たす。その時アメリカでは、そこにドラッグがあることがある種常識的な光景なのだ。果たして、彼の人生は一体どうなるのか。

『ウォッチメン』

マーベル漫画の実写化なのだが、『アベンジャーズ』と当然比べることになる。だが、そうなるとやはり後者の方がヒットすることになるだろうと、すぐに分かってしまう。何というか、これの場合は『原作に忠実』。だが、後者の場合は『ヒットする要素が盛り込まれている』印象だ。例えば、原作でドロドロとした不気味なキャラクターが出てくるからといって、それを忠実に描いても、『万人受け』の枠の中に入らなければそれはマイナーな階層へと転落することになる。

原作を見てないから『原作に忠実』かどうかは知らないが、どちらにせよヒットさせる気であれば、キャストからキャラクターから、その登場の演出から、もっと視聴者のニーズを満たしてハラハラさせる必要がある。これがこの映画が後者よりも目立たない理由の一つだろう。せっかく後者の無敵の大ボス『サノス』よりも強い(下手したら瞬殺レベル)のキャラクターが出てくるのに、もったいない。

『宇宙戦争』

一度見たような気がしていて、もし『庭つきの同じように並んだ家から人々が空の異変を見上げる』という展開があれば頭に焼き付いているので見たとしていたのだが、やはりその映画だったようだ。

これをもう一度見た理由は小説家としてはジュール・ヴェルヌとともに「SFの巨人」と呼ばれるイギリスの作家ハーバード・ジョージ・ウェルズ(H・G・ウェルズ)の名作SFだからということを知ったからである。

私はホラー、SFの類のフィクション性が高い話を好んで多く観ず、基本的に自分の人生にきちんと反映される、教訓になる人間ドラマを見るイメージで映画を観ているが、そんな私にもここまでの人物の話となると、押さえておかなければならないということになったのだ。『タイムマシン』とか、『タコの火星人』とか、そういう大勢が認識しているイメージはすべて彼の影響である。

このトム・クルーズの映画はスピルバーグ作品だが、彼がこのような侵略物の映画を作った理由は、、2001年9月11日に起きた同時多発テロ事件が関係しているという。映画には墜落したジャンボ旅客機、掲示板に貼られた無数の人探しの張り紙などが登場し、これらは9.11のテロを連想させるため、あえて描いたものである。

一度目に見た時はテレビの放送かなにかで何一つ構えず、だからこそ最初のそのシーンとか、地下室でひっそりと息をひそめるシーンなどを覚えているだけだったが、これらの情報を知った上で観るとまた、全く別の顔を見せてくる。

『エターナル・サンシャイン』

先に誰かが勧めているのを見てしまって、私は誰からの影響も受けたくないことからこの映画のハードルを上げてしまっていた。だが実際にはこの映画は、そういうことをすべて飛び越えて、そんな斜に構えた私に『名作』と言わせる実力を持っていた。

ジムキャリーというコメディ俳優が主演ということも不安要素の一つで、どうしてもそっちの方に偏ってしまうが、逆にそのイメージが初期設定としてこっちについていたのが良かったのかもしれない。そのおかげで、『迷う人』がピッタリとハマったのだ。シリアスかコメディか、どっちなんだろうという右往左往する感じが、彼のイメージとハマった。

マーク・ラファロとキルスティン・ダンスト、それにイライジャ・ウッドという名優たちが脇を固めるのも強かった。彼らのシーンに切り替わる時は、まるで彼らがメインかのような錯覚すら覚える存在感を持っている。だがあくまでも彼らは脇役で、想定できない展開などと相まって、物語を確実に盛り上げていく。

『エディット・ピアフ 愛の讃歌』

実在のシャンソン歌手エディット・ピアフの生涯を描いている。印象的な化粧をする女性なのでしり込みしてしまうところがあるかもしれないが、名曲『愛の賛歌』を聴けばこの人物の偉大さを知るだろう。日本では美空ひばりのカバーが有名で、その他にも『紅の豚』のジーナの声優である加藤登紀子、そして宇多田ヒカルもこの曲をカバーしている。

だから日本語で初めて知った人は、この歌が日本の歌だと誤解していた人もいるはずだ。私がそうだ。それくらい日本語にしても歌詞と歌がピッタリとハマる、不思議な魅力があるパワフルで哀愁のある、人の心を揺り動かす名曲なのである。このような名曲を生み出すためにどれほどの波乱万丈なドラマがあったか。やはり、一筋縄ではいかない衝撃的な人生を過ごしたようだ。

『エネミーライン』

ボスニアヘルツェゴビナのセルビア人武装勢力により撃墜された戦闘機WSO(兵器管制士官)の逃走劇をメインとする。1992年から起きた旧ユーゴスラビアの民族紛争がシンシナティ協定により、ボスニアの停戦合意が実現。戦闘の鎮静化に伴いNATO軍が撤退を始め、米海軍空母カール・ヴィンソンはアドリア海上で不測の事態に備えていた。この民族紛争とNATO軍の介入や撤退についての動きは実際にあった話である。

この話が実話かどうかが明言されないが、wikipediaで調べるとこうあった。

物語の基盤は、1995年7月22日撃墜された米空軍F-16Cパイロットスコット・F・オグレディ大尉が友軍に救出されるまでの6日間の逃亡劇とする説があり、当人自身も退役の翌2002年に主人公のモデルに無許可での映画化であると主張して製作会社に対し提訴した。1994年に撃墜され脱出した英国海軍FRS Mk.1シー・ハリアーパイロットニック・リチャードソン大尉や、湾岸戦争帰りの元英国空軍ナビゲーターで作家のジョン・ニコールの作品とも類似するといわれる。

どうやら2つの実在した事実を基にして作られ、この映画の売り上げがハリーポッターに次いで全米2位となったことで、そこからお金を得ようという当人たちの動きがあったという、裏話もあるようだ。ただ、どうかこういう裏話は気にせずに映画で展開されるシリアスで緊張感ある展開だけに注目したい。旧ユーゴスラビアの民族紛争という歴史と共に国家間における緊迫した関係などを実感でき、見応えがある。

その見応えはこの映画の売り上げや、『エネミー・ライン2 -北朝鮮への潜入-』という本作とは無関係の二番煎じ映画が出ていることからもよくわかるはずだ。

『エボリューション』

インパクトのある『ゴーストバスターズ』のようなジャケットだから、内容はシリアスであっても、どこかおかしい。そういう映画である。しかし単純に、46億年分の進化を1ヶ月で成しとげる恐るべき成長力を持つ細胞生物が隕石からやってきた、というのはあり得なくもないシナリオなので、どこか妙な説得力もある。

『宇宙について知っておくべき100のこと: インフォグラフィックスで学ぶ楽しいサイエンス』にはこうある。

地球上のあらゆる生命は、宇宙から来たのかもしれない。地球上の最初の生物は、およそ36億年前に現れた。ちょうどそのころ、地球は小惑星からの『重爆撃』にさらされていたんだ。極限性微生物として知られる、ある種の生き物は、大気がない小惑星でも生き延びることができる。宇宙の至ところに生命が存在し、小惑星を通じて広がる、という理論をパンスペルミア説という。

『エリザベスタウン』

キルスティンダンストという女優は、実は『スパイダーマン』の時にはあまりヒロインとしては違和感がある美貌だった。なぜ彼女が選ばれているのかわからない、例えば『アベンジャーズ』で『キャプテン・マーベル』を務めたブリーラーソンもそうだ。彼女がもしワンダーウーマンを務めたガルガドットだったら彼女の人気はもっと伸びただろう。アメリカではとても人気がある女優さんらしいが、全世界的に見るとそうでもない。オードリー・ヘップバーンが世界的な美女として認められるように、世界規格というものがあり、酷な話かもしれないが、その規格から漏れる人がいるのが事実だ。日本でもよくその規格から漏れる役者を『個性派俳優、演技派俳優』などと呼んでいる。

だが、実はそれは私が無知だっただけで、彼女は『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』という映画でトムクルーズやブラッドピットらと一緒に共演している過去があり、子役時代から活躍していた名優なのである。だからそんな彼女がスパイダーマンに選ばれるのは自然なことなのである。

さて、そんな彼女だが、しかしこの映画では全く違う顔を見せる。正直、彼女の出ている映画で一番キュートなのはこの映画ではないだろうか。もしかしたら彼女のような展開が嫌いな人もいるかもしれないが、無意識に彼女のような女性が可愛いと刷り込まれている私は、この映画を彼女が一番可愛い映画としてお勧めしたいと考えたものである。

誰にでも失敗はある。だが、主人公の彼はあまりにも大きな失敗をしてしまったようだ。その規模が桁違い。環境次第では、数万人の人が路頭に迷い、最悪の場合は命を落とすこともあったかもしれない。そんな人生の窮地に偶然にも自分の父親が死に、絶望と現実のはざまのギリギリを生き永らえながら、何とか自分の故郷エリザベスタウン(ケンタッキー州)へとたどり着く。

では、そのキルスティンダンスト演じる女性はどのようにして彼に関係するのだろうか。そして、遺された遺族や親族、故郷の人々。彼らは彼に、何を与えてくれるのだろうか。

『エリン・ブロコビッチ』

大手企業PG&E。『P&G』ではない。この企業に対し、エリン・ブロコビッチという女性がある記録的な事実を作り上げる。多くの女性に勇気を与えるだろう。女性だけではない。一般人とは言ったが、その中でも結構『はみ出し者』に近いような生き方をしていても、まだあきらめる必要はない。何を隠そう、彼女こそがその類の人間だったのだ。彼女は一見すると非常識で目立ってしまうが、どうも心底に『一本の槍』を抱えていたらしい。その槍がアメリカという強大な国に根を張る巨大組織に、どれだけ通用するか。見応えがある。

『エンジェル』

『貴族の恋愛』というテーマが苦手なのだが、とりあえずマイケルファスベンダー作品をしらみつぶしに見ていてぶつかった。あまり印象に残らなかったので、また機会があれば書くことにしよう。

『英雄の条件』

『英雄の条件』。原題の「Rules of Engagement」は『交戦規定』という意味である。その意味は、軍隊がいつ、どこで、いかなる相手に、どのような武器を使用するかを定めた基準のことだ。つまりこの映画は、登場する人物(サミュエル・L・ジャクソン)が軍法会議にかけられ、戦争(デモ事件)における対応の仕方が本当に適切だったかどうか、ということを考える作品である。

それゆえ、軸は裁判となる。裁判で、『どういう理由で、何があって、誰がどのような規範意識で行動し、誰が正しいのか』ということを決めていく。その都度状況を振り返りながら、全員でその旨を考えていく。

ギリギリの綱渡りでもある。一歩間違えれば『越権的な殺人』であり、一歩間違えれば『戦争の英雄』である。人が死ぬ。だがそれが味方か、敵か、やるべき相手だったか、テロリストだったか。いや、実際はどちらにせよ戦争が起きた場所に、勝者も敗者もなく、誰かが正しいという一方的な結論を出せば、穿った現実が映し出されるだろう。だから評論家やアメリカ・アラブ反差別委員会は、この映画に対して

「おそらく、これまでのハリウッドの作品で最もアラブ人に対して差別的な作品」

というしかなかったのだろう。

『オーケストラ!』

世界で唯一指揮者のいない管弦楽団は、オルフェウス管弦楽団だと以前PRESIENTで読んだ。指揮者がいなくても個々に主体性があればコンサートは成り立つ。だが、もしそこに天才指揮者が加わったらどうなる。全員が主体性を発揮したとき、奇跡は起こる。

『オー・ブラザー!』

相変わらずコーエン兄弟の英愛は私には刺さらない。これは完全に毛色の趣味のレベルだろう。例えば漫画でも、『その系統のタッチの漫画は、どうしても見れない』という人がいる。またスポーツでも、なぜか野球中継を好きになれなかったりして盛り上がってる人達との距離を感じてしまったり、海外では紫や黄緑などのカラフルな色が、お菓子、アニメ、洋服等に頻繁に使われるが、そういう原色系が苦手な人もいる。

カラフルな色は、瞳の色と髪の毛が黒ではないから似合う事実もあったり、こうして人の毛色の趣味の違いには、根幹に様々な理由がありそうだ。ウディ・アレンとコーエン兄弟の映画は、毎回(今度こそ頼む!)として毎回なるべくリセットして観るのだが、残念ながら『ファーゴ』のあの狂気的なシーン以外は、受け付けないようだ。

キャストも揃っていてシナリオも『絶対に面白そう』なのに、別に大したことは起こらない、という不思議な毛色の作品が多い。

『オール・ザ・キングスメン』

評論家からの評価もかなり低いが、

  • ショーン・ペン
  • ジュード・ロウ
  • アンソニー・ホプキンス
  • ケイト・ウィンスレット
  • マーク・ラファロ

という豪華キャストが揃っていながらその期待を超えない期待外れ感がある。話が実話ならまだいいが、そうでもないので退屈さがぬぐえないのが正直な感想だ。

ただ、原作がピューリッツァー賞を受賞作品ということやこの豪華キャストだから、ガチで名作を狙いに行った感じはあるのだろう。だが、どちらにせよ内容が大人過ぎて、実話でもないのにこの手の話を展開されても、万人受けはできない。

『お買いもの中毒な私!』

お買いもの中毒な私!』(Confessions of a Shopaholic)は、2009年の映画。原作はソフィー・キンセラの『レベッカのお買いもの日記』。女性の多くが彼女の衝動に共感を覚えるのではないだろうか。私も20歳前後の時はそうだった。ブランド物を持つと自分の格が上がった気がするから、他人が持っていない新作のアルマーニやプラダの服を見ては買い物をしていた。

誰もが一度は通る道。もちろん彼女の場合は私よりも重症だ。お金がないのに買ってしまい、友情さえ傷つけてしまう。酒、麻薬、恋愛、お喋り、タバコ、甘いもの、お菓子、これらの共通点は衝動買いと同じだ。脳内の『ドーパミン』という報酬系物質が放出される。だから私の場合、買い物をしたらそれで気が済んでしまうところがあった。つまり私は買い物というより、ドーパミン中毒だったのである。

『脳とこころのしくみ』にはこうある。

ネズミは、最初の頃はボタンを押した後に一旦はボタンから離れるが、次第に自由に歩き回れるにもかかわらず、ボタンから離れず、体が衰弱するまで押し続けるようになる。これを自己刺激行動という。ドーパミンがもたらす快感はそれほど魅力的なのだ。

上記の記事に『クレプトマニア』について書いている。この病気も、実はこのドーパミンが関係している。我々が『やめられない止まらない』状態に陥っている時、実は脳内では『重度の麻薬依存症』と同じ現象が起きているのだ。この映画も、大体の人も、その根幹には目を向けずに表層だけでてんやわんやすることになる。それは直接根幹に問題解決の働きかけをしないためだ。だから行くところまで行ってしまう。そしてそれがドラマになるのだ。

こうした目線を一つ持つと、映画の奥行きが変わってくる。

『王妃マリー・アントワネット』

1770年、マリー・アントワネットがルイ16世の元にとついだときには、すでに王室は腐敗していた。ルイ14世の時代に『王権神授説』が唱えられ、絶対王政の体制が取られてから、ヴェルサイユ宮殿のような世界遺産ができたのはいいが、民衆との間には深い溝ができ、民衆の宗教すらそれを阻害するための危険因子として警戒された。

『パンがなければお菓子を食べればいいじゃない。』

兼ねてからこの言葉の真意について論議されてきたが、あるフランス人の意見としては、『高い物が食べられないなら、安い物でも十分よ』という意味で、多くの人がこの言葉だけを短絡的に解釈して、浪費癖のある王妃のイメージを想像してしまっていたようだ。しかも、この言葉自体も、彼女が言っていたかどうかが定かではないという。

映画でも、これが彼女の言葉ではないと断言している。だが、続けて『そう言われてもおかしくない生活をしてしまっていた』として、結局彼女らに浪費癖があり、散在するだけの浮世離れした悪しき習慣があったというのである。仮面をつけて外で遊び、大きくお金を浪費。自分のドレス代は年間10億円というのだから、やはり彼女に悪い噂が立つのは仕方ない。

そこに起きるのが『首飾り事件』である。とにかく、王妃の支出が増えるたびに、国民の生活は窮地に陥り、聖職者と貴族は課税を免除される。包茎が理由でルイ16世と交わることができず、王室に窮屈さを感じていたことは同情するが、そんな事情を抱えている人間は大勢いるのである。『フランス革命』は起こるべくして起こった。これは、歴史をテキストで読んでも、こうして映像で観ても、やはり変わらない結論だと言えるあろう。処刑は、不安定だった国のブレーキ替わりであり、見せしめだった。ナポレオンが登場する直前のフランスの歴史である。

『大いなる陰謀』

ロバート・レッドフォードというのは本当にいい映画を作る。いや、私にハマっているだけかもしれないが、だとしたら彼は東洋に通じる内向的な精神修業を積んでいる人間だ。アメリカ人を筆頭とした西洋人は、その逆でもっと大雑把で、よく言えば豪快な印象があるだろう。だが、コロナ騒動で最も感染者が出たのが群を抜いてアメリカであり、自由の権利と引き換えに銃の乱射事件等の理不尽な事件を多発させ、その代償を支払っている。

そのように、まず豪快に行動して、後でその行動を考える。そういう、悪く言えば後先考えないような、頭より先に体を動かすという姿勢からは、教訓性も得られるし、反面教師性も得られる。リチャードギアが来日した時、『日本の女性は奥ゆかしい』と言ったが、その通り日本というのは、一歩引いた立ち位置から人をじっと見守ったり、応援する習性がある。

海外では、もっと過激にパフォーマンスをし、大げさにリアクションするのが普通だ。だから、この間日本のアニメ映画の鑑賞中に、映画館で大騒ぎしたフランス人が、出入り禁止になる騒動が起きた。これは、

  • ドラゴンボール
  • 呪術廻戦
  • 鬼滅の刃
  • ワンピース

等のアニメ映画ではよく見られた行動で、今回更に大きな騒動に発展したという。日本でそういうことがあるだろうか。

そういう西洋の文化が合わない西洋人もいる。キアヌリーブスは来日すると黙ってラーメンを一人で食べにくるというし、クロエグレースモレッツも、日本人のように一人でご飯を食べたいと言っていた。アメリカでは、一人でご飯を食べる習慣がないという。そういうアメリカで、彼のような人間は貴重だ。

アメリカにも内向的な人間はいて、例えば、『PRESIDENT』、2015.1.12号にはこうある。

ビル・ゲイツもアル・ゴアもガンジーもみんな内向型だった

(省略)あらゆる物事に対し、自分の意見を表明するのが当然のアメリカ、意見を表明したい場合のみ、その機械が与えられる日本。初等教育からそうなのだから、かの国で雄弁で行動的、人々の先頭に立つ外向型人間がもてはやされるようになるのも当然だ。ところが、そんなアメリカで、まるで対極の書籍が売れている。現代が『Quiet』、邦題は『内向型人間の時代』。

アメリカでミリオンセラーになり、日本でも2013年に発売。14年に入り続々と関連の書籍が出版され、テレビでも特集が組まれている。著者はスーザン・ケイン。自身も、内向型人間であり、外向型を理想とするアメリカ社会での生きづらさを抱え、ウォール街で働く弁護士からライターに転身したという女性だ。

学者や芸術家に内向型が多いといわれれば違和感はない。たとえば科学者のアインシュタイン、音楽家のショパン、小説家のプルースト、映画監督のスピルバーグなどだ。もちろん、ビジネスや政治の世界でも内向型のリーダーは多く存在する。マイクロソフトの共同創業者ビル・ゲイツ、同グーグルのラリー・ペイジ、政治家アル・ゴア、インド独立の父ガンジーなどをケインは例として挙げる。

・・このように、内向的な人間には偉大な人間が多い。『普通の人々』もそうだったが、ロバートレッドフォードの映画というのはそういう内向的な人間じゃなければ描けない作品が多い。

彼のように、容姿が揃っていて美男子というのが売りで、しかもそれが大きく仕事に関わってくる役者というビジネスをしていて、内向性を大事にできているというのは、一言で偉い。この映画はイラク戦争の真っ最中に公開されている。そのことが、アメリカ人にとってどれだけ重要か、わかるだろうか。

『狼の死刑宣告』

ケビンベーコンは申し分ない。だが、2時間じゃこのシナリオでは足りなかった。5時間は欲しかった。犯人側の心境も掘り下げると更に奥が深くなった。また、ケビンのグラデーションも時間をかけたかった。2時間で急変は違和感がある。私は銃をハワイで撃ったが、反動がすごい。いくら銃社会と言えど一般人はギャングと撃ち合いはすぐにはできない。

その意味で『ブレイブ ワン』というのはこのテーマの最高峰だ。『一般人が銃を撃つ』ことの重みをあれほど上手く描いた映画はない。男女の差異もあるが。ただ、ブレイブワンに比べてアクションの豪快さはこっちに軍配が上がる。映画は色々な年齢層が見るんからこっちがあってもいい。どちらにせよ好きなテーマで、時間があっという間に過ぎた。中々面白い映画だ。

か行

『かいじゅうたちのいるところ』

モーリス・センダックによる世界的ベストセラーとなった同名絵本をスパイク・ジョーンズ監督によって実写映画化した作品。子供の映画だが、不思議な狂気があるから大人も楽しめる。だがまあそうは言っても子供向けだ。元々が『絵本』なのだから当然である。

ただ絵本の中には深いエッセンスが詰められているものがあるからその辺りを期待するところだが、そこは絵本のままの方が深みが出る場合もあり、これはそのケースのように見える。

『カサノバ』

1725年、ヴェネツィアに生まれた伝説のプレイボーイ、ジャコモ・カサノヴァを扱ったロマンティック・コメディ。彼は彼の自伝『我が生涯の物語』Histoire de Ma Vie(訳題『カザノヴァ回想録』)によれば、その生涯に1,000人の女性とベッドを共にしたという。

物語は1753年頃のイタリア、つまり28歳頃の一番盛りの時代から始まる。その少し前の17世紀に『ドン・ファン』というスペインの伝説上の人物がいて、彼も『プレイボーイ、女たらし』の代名詞とされているが、彼に負けないレベルのプレイボーイと言えば彼になるだろう。

その後、『ポルノ俳優』という職業やジャンルが作られるが、そのようなものや、不可抗力で多くの異性関係を持ってしまった人々は大勢いても、中々地でこのように名前まで広がる人物はそういない。

『カポーティ』

作家のトルーマン・カポーティ。彼はあの『ティファニーで朝食を』の原作者だ。これは、彼が代表作『冷血』を取材し書き上げるまでを中心に描いた伝記映画でもある。幼馴染で『アラバマ物語』の女性作家ハーパー・リーも出てくる。だから、それらの映画とセットで見ると、よりこれらの時代と世界観を満喫することができるだろう。アラバマ物語に出てくる『ディル』という少年のモデルは、カポーティなのである。

カポーティは同性愛者であった。作中では明言されていないので今調べるまでわからなかったが、秒で納得する『癖のある喋り方』をするので不思議ではない。映画を知ってる人には当時の裏事情などが知れて贅沢な作品だ。だが、もちろんそこには映画になるほどの難しい問題があった。

『カンダハール』

アフガニスタンというエリアは、地理的に荒れてしまう特徴がある。例えば、人々が『様々な理由』で作った道路は、人が見ると自然であり、交通や物流に便利だが、真理の面から見たら不自然だ。それを作ったとき、埋め立てられた時に死んだ昆虫の命はどうなる。植物や動物はどうだ。それが真理から見た真実の姿である。

アフガニスタンの都市カンダハールは、その『人間が踏みつけた足跡』であることもさることながら、元来人が生きづらい地域だ。水があり、豊富な資源がある場所がある一方、この地のようにあたり一面が砂、砂、砂であるところもある。イスラム教は『砂漠の宗教』と言われるが、それを言うならアブラハムの宗教すべてがそうだ。モーセはエジプト、キリストも中東出身である。だからこそ救いが必要であり、上に目を向け、現実から目を逸らす知恵を身につけ、人々はその過酷な環境で生きる意義を持ち続けた。

カンダハールを含めた中東の荒れた現状を見ていると、彼らの根幹にある『生きる苦労』が垣間見え、複雑な気持ちになる。我々はたまたま豊かな土地に生まれ、他人事のように彼らを見ているが、直視する現実がここにある。

『カンナさん大成功です!』

私が観たのは韓国版。この映画は、主役の女性のキュートさだけでランクインしたかもしれない。当時、しばらく携帯の着信音は、『マリア』だった。下記の動画は韓国版へのページをリンクさせておく。

『ガーディアン ハンニバル戦記』

世界史上最高の名将『ハンニバル』と、それに勝利した『大スキピオ』。紀元前300年頃、アレキサンダー大王が世界を支配した数十年後のヨーロッパ、地中海を仕切っていたのは、北アフリカにあるカルタゴだった。だが、その80年後にはローマ帝国が台頭してくる。カルタゴとローマは、地中海の覇権をかけて戦争をする。『ポエニ戦争』である。ハンニバルについて正確に描かれた最近の映画はほとんどないので、とても貴重な映画だ。半分ドキュメンタリー映画のようにもなっているが、NHKあたりが作る歴史ドラマなどと比べれと、そのクオリティの差は雲泥である。

彼がなぜ世界史上最高の名将と言われたか。それは、この映画を観ただけではわからないだろう。だが、確かにその異名にふさわしい人徳と冷静な頭脳が彼にはあった。あのローマ帝国を滅亡寸前まで追い込んだのは、決定的な事実なのだ。つまり、もし彼が『名将』という純粋な称号が相応しくない『猛将』どまりの人間であれば、ローマ帝国はここで滅亡していたかもしれないのである。

『華氏911』

アメリカ合衆国大統領史上初、パレードの際に卵を投げられた男がいる。ジョージ・W・ブッシュである。彼は、ライバルのアル・ゴアを父親のコネを駆使しながら押しのけ、半ば力づくでその地位を勝ち取った。だが、それは悲劇の始まりだった。彼が大統領に就任したのが2001年1月20日 。そして、その8か月後に同時多発テロ事件は発生した。その時、彼はどこにいたか。彼は近くの小学校にいて、その緊急速報を側近から何度も耳打ちされた。

イラクに大量破壊兵器があると断定し、大量殺人を行う。無実の人々がアメリカの暴走によって殺されていく。この映画はドキュメントタッチで描かれるが、なんとその内容が映画よりも濃厚で、目を覆いたくなるものである。真実を直視する勇気がある全ての大人は、これに目を通すべきである。それは、核爆弾や強制収容所の惨劇を直視するのと同じことだ。

『蟹工船』

小林多喜二の小説を映画化。プロレタリア文学の代表作とされ、国際的評価も高く、この小説はいくつかの言語に翻訳されて出版されているという。確かに私も感慨を受けた人間の一人だ。小林多喜二の好きな言葉があって、

『困難な情勢になってはじめて誰が敵か、誰が味方顔をしていたか、そして誰が本当の味方だったかわかるものだ。』

それがこれなのだが、だからということもあり、この映画は真剣に観たいと兼ねてから考えていた。すると、やはり中々教訓性の高い映画だった。『プロレタリア』と言えばマルクスだ。キーワードは以下の通り。

  • ブルジョワジー(資本家)
  • プロレタリアート(労働者)

先に小難しく書くが、マルクスは、『資金奴隷たる労働者は団結し、暴力革命によって資本家階級を打倒し、労働者(プロレタリアート)独裁社会に移行していくのが歴史の必然だ』と考えた。社会は常にそうして革命を起こしてきたから、当時支配していた『資本主義社会』から、もうそろそろ違う社会に変わると考えた。それが『社会主義社会』である。

簡単に言うと、マルクスは労働者(プロレタリアート)として強いられている人がいて、それを雇う人(ブルジョワジー)がいて、まるで後者が前者の支配者で、その格差は埋められないのだというまかり通っているが、実際にはそうではないと、主張した。今回、この話を押さえておくだけで随分印象が違うだろう。

ここで終わらせてもいいが、上級者はここからが本番だ。更に考えたいのはニーチェの言うルサンチマンである。ニーチェは、『ルサンチマン(弱者の強者への嫉み)』の感情のせいで、人間が唯一無二の人生を台無しにすることを嘆いた。キリスト教もそうした人間のルサンチマンから始まったのだと。

自分の上に裕福な人や権力者がいて、自分たちにはこの人間関係、主従関係をどうすることもできない。だが、その人たちの上に、神がいると考えれば救いが見出せる。神がいれば必ずこの不公平な世の中を、公正に判断してくれるからだ。

そういうルサンチマンたる感情からこの世にキリスト教が生まれ、イエスを『主』として崇めるようになったのだと。このあたりの人の心の動きを押さえることで、この世界にどのようにして宗教が生まれ、そしてそれが根深く蔓延していったのかということが見えてくるようになる。


支配する者来世もまた権力を維持したいと願う
支配される者来世は今よりも良い境遇であるように願う


つまり、『キリスト教=奴隷の宗教』と解釈し、ニーチェ

『もうそんなものは必要ない!』

と主張したのだ。ここで言う『弱者』は=強いられている者。貧困、圧政、外国の軍事介入、他宗教の傲慢、どんな理由かは知らないが、そうして追い込まれた人々らが『来世』なり『神』なりといった『現在の自分や人生ではないなにか』に夢を見るようになってしまい、それを盲信するが故に独自的な方向へと逸れる。そしてそうして見誤る人間たちの集合体だからこそそれを真理(正しい道)に戻そうとする『本当の意味での救世主』がおらず、逸れるだけ道を逸れてしまうのだ。

だが、それもニーチェの言う考え方に耳を傾ければ違う解決策が見えてくる。ニーチェは『ニヒリズム(虚無主義)』だと言われていて暗いイメージを連想させてしまいがちだが、実際はそうではない。ニーチェは、

『世界には君以外には歩むことのできない唯一の道がある。』

と言い、

『しかしその道がどこに行くのかを問うてはならない。ひたすら歩め。』

とも言っているが、 このようにして『唯一無二の命の尊さ』を強く主張した。この事実から考えればわかるように、彼はブッダの言う、

天上天下唯我独尊

の言葉の意味を理解していることになる。この言葉の真の意味は、『私以上に偉い人間はこの世に存在しない』という、釈迦の思いあがった軽率な発言ではない。

『この世に自分という存在は、たった一人しかいない。唯一無二の人生を、悔いなく生きるべし』

という意味なのだ。このような事実を理解している人間が、『未来に対して暗く、絶望的な人』であるわけがない。彼が『神は死んだ』と言い、『=虚無があるだけ』と言ったのは先ほども言ったように、奴隷と主人の人間関係が当たり前だったときの『呪縛』から、いい加減解放されるべきだと言いたかったのである。それは、彼が想定した、『永劫回帰』という考え方を見てもわかることである。ニーチェは、

ビッグバン(破壊&宇宙創造)⇒宇宙が誕生⇒人間が誕生⇒ビッグバン(破壊&宇宙創造)⇒宇宙が誕生⇒人間が誕生⇒

というループを無限に繰り返す考え方を提言する。もし、前世や来世等の発想があると、人はどうしてもその『もう一つの可能性』に未来を託し、あるいは希望を抱いてしまう。それが結果として現実逃避を生み出し、『今この瞬間』の否定につながる。

きっと来世ではもっとやれるはずだ!

しかし、もし永劫回帰という考え方があれば、今この瞬間、あるがままを受け入れるしかない。今この瞬間の、この自分以外にはあり得ない。『もう一つの可能性』などない。

だとしたら、今この瞬間、これが自分の人生なんだ!

と現実を直視し、今を全力で生きるようになる。ニーチェはそのようにして、その永劫回帰であったとしても、その事実を憂うのではなく前向きに受け入れ、既存の価値に囚われずに新しい価値を生み出す人間を意味する、『超人』であれと説いた。ニーチェが『この世に神は存在せず、人間だけが存在しているのだ』ということを強く主張したのは、こういう背景があるからなのだ。

彼ら蟹工船に乗った人々は、映画の冒頭からいきなり絶体絶命的な窮地を挫折し、人生を諦めようとする。だが、それでいいのか。我々は一体なんなんだ。道具なのか。支配される為に生きてきたのか。こういうことを考えさせられる教訓性の高い映画なのである。

『渇き。』

小松奈々、妻夫木聡、役所広司らの怪演ぶりが見もの。ストーリー自体がなかなか異常性が高い映画で、役所広司がここまで乱れた役柄なのも珍しい。もっとも印象に残っているのは、映画館のトイレで男性らが『役所広司格好良かったな』と、変人を演じた彼のことをそう評価したことである。一体何を見てそう思ったのか。私が彼にそう感じる作品は他にあり、この映画はただただ攻めた作品という印象で、しかし、日本映画で頭一つ抜けるにはこういう方向しかないという印象である。

『彼が二度愛したS』

ユアン・マクレガーは、あまり主演じゃない方が光るような気がしている。『ムーラン・ルージュ』や『アイランド』、『ドクタースリープ』や『ビッグフィッシュ』もそうだが、明らかに面白いのに、いまいち最高傑作とは言い切れない映画が多い。『スター・ウォーズ』の印象がどうしてもぬぐえないからなのだろうか。それらの映画は私は名作としてジャンル分けしてるし、今回の映画もそうしたのだが、うーむ、と、やはり彼の『華』について、首をかしげるところがあるのが本音だ。

となると、彼はもう路線変更をした方がいいかもしれない。適材適所だ。例えばヘレナ・ボナム=カーターだ。彼女は常に奇天烈な役を演じることが多いが、それがはまっているからだ。私も含めた世界の大勢が、彼女がその役にいることに何の違和感もなく、むしろ作品を盛り上げるための重要な要素として役立ってくれていて、有難いとさえ思う。

ヒュー・ジャックマンが設立した映画製作会社であるシード・プロダクションズの第一回製作作品ということもあり、ヒュージャックマンの使い方ももう少し磨けたように見える。彼があの位置にいるのはいいが、もっと彼の存在を悪く、面白くできたはずだ。

『チャッピー』が良い例である。あの映画での彼の立ち位置は最高だった。彼は王道の主演路線もいけるし、華もある。振り回される役も似合うし、ウルヴァリンのような激しい男の役も演じられる。ユアンマクレガーのヒール具合はというと、『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 BIRDS OF PREY』でのそれも中途半端だったし、すべてにおいて『普通過ぎる』という印象がぬぐえない。

だが、今回はその彼の普通人としての印象がピッタリハマった形だ。『アイランド』同様、結末も含めて好きな展開である。

『完全なる報復』

とある日。幸せの絶頂にあったその日、思わぬ来客があった。もしその男たちがその家を訪ねなければ、あんなことにはならなかった。もし、自分の家族が同じ目に遭ったとき、自分ならどういう行動を取るだろうか。

『完全犯罪クラブ』

レオポルドとローブによる実際の事件を題材にしている。これは今調べて知った。(なぜこういう映画を描くのか)という多少の疑問はあったのだが、これを知っていたらもっと楽しめたかもしれない。

加害者が終身刑プラス99年の懲役刑を受けたこの事件は、完全犯罪(になると彼らは思っていた)を遂行することで自分たちの優越性を立証しようという動機の異様さが話題を呼び、小説や戯曲・映画の題材にまでなった。レオポルドとローブは共にニーチェの超人思想の信奉者でどちらも非常に知能指数が高く、逮捕される恐れを一切感じることなく完全犯罪を成し遂げる力があると信じていた。

映画はまた無意味な『星の数の評価』が低かったことと、サンドラブロックたちのドラマに目が逸れてしまい、本筋の重みが軽くなってしまっていたようだ。やはり映画の他者の評価や、特に『★の数』は見ない方がいい。

『キスキス,バンバン』

タイトルといい『泥棒、探偵』といい、妙にインパクトがあって、かつロバートダウニーJrということまって期待してしまう作品だが、あまり期待はしない方がいい。ハードルは上げ過ぎない方がいい。そうすれば意外と絵になる映画で、友人と『真剣に観ない鑑賞会』なんかの時に、ピザやお菓子を片手に流す価値はある。

『キッド』

誰もが一度は思う事。それは、『大人になっても子供心を忘れないでいたい』ということである。しかしそれは家庭環境によって様々で、何か問題があればそうした心は心底に沈み、歪んだ現実に心の蓋を歪められ、そのまま開かずの蓋となって心底にこびりつき、忘れ去られることになる。だが、『ある』。それは、あるのだ。人間にとって一番重要なものは、実は人生の早い段階で気づいているのである。

『きみがぼくを見つけた日』

無理があると言えるだろう。何でこうなってしまうのかが納得がいかない人が多いはずだ。この手のシナリオは技術がいる。例えば『千と千尋の神隠し』だ。あれは上手い。その上手さは弟子的存在でもあるアリエッティやマーニーの監督米林宏昌の独立後の映画『メアリと魔女の花』の大失敗を見て思い知った事実である。要は、あんなことはあり得ないわけだ。そういうフィクションたるファンタジーを、いかに現実を生きる我々が無理なく

なんかありえそう・・

と感じられるかは、監督の腕にかかっている。千と千尋の神隠しでは、まずトンネルをくぐり、千尋が違和感を覚え始め、妙に大人との距離が空き、絶妙な不安感が漂い始める。そして久石譲の壮大な音楽と共にハクが湯屋に向かって魔法のようなまじないをかけ、日が落ち、灯りがともり『何かが動きだす』と同時に、何か得体の知れない世界が広がりだすという感覚に陥る。

だが、メアリの場合、平凡な日常があったはずなのい急に箒が空を飛び、急に魔法を使う人々が暮らす魔法の世界へと移動する。一番いけないのはメアリがそれを受け入れるスピードだ。千尋の場合はそれを受け入れまいと抵抗し続けるが、メアリの場合はあっけらかんとそれを受け入れる。私も最初、好意的に映画を観るからその状況を受け入れたが、やはりそれはNGだった。その急激な展開が今回の作品同様、

無理があるな・・

という感想を抱かせてしまうのだ。それは、サマーウォーズで有名な細田守の映画『未来のミライ』でも同じだった。なぜか急に未来の姉が現れたり、犬が喋りだしたり、自分にも犬のしっぽが生える。狙いとして、前作の『おおかみこどもの雨と雪』のパターンを展開したかったのか何なのか分からないが、同じく

無理があるな・・

ということにしかならなかった。したがって、『なぜこのような不思議な現象が起きてしまったのか』ということをもっと明確に視聴者に伝える必要がある。その点、同じくレイチェル・マクアダムスが出演する『アバウトタイム』では、同じように不思議な時間現象が起きるが、これも無理があると言えばあるが、その教訓性の高さ、メッセージ性の強さから、感動する心で満たされ、あまり不満で終わらない。

同じように細田守の『時をかける少女』も不思議な時間現象が起きるが、これは『あり得るかもしれない』という展開と演出が散りばめられていて、アニメということもあり、悪い感想を持つことはない。実写ともなればアニメよりも厳しい目で見られるわけだから、非現実的なこういう展開をする場合は、もっと無理のないようにする必要があるだろう。

『ベンジャミンバトン』、『イルマーレ』、どれも不思議な現象が起きる映画だが、それらとの違いをハッキリと感じる映画となってしまっているだろう。ただし、原作の小説は『ニューヨーク・タイムズ』のベストセラーリストに28週連続トップ10入りを果たし、映画版公開前の2009年3月までにアメリカとイギリスで合計250万部近くが売れたという。小説で読むと、また違った感想を持つのかもしれない。

最後のシーンは感慨深いものもあるので、妙に惜しさを感じる映画である。

『キャスト・アウェイ』

人間には選択肢が与えられている。それも、無限の選択肢だ。だが、多くの人はそうは思わない。なぜなら朝起きて見る光景が、いつも通りだからだ。昨日の延長線上にあると思う。だから限られていると思う。だが違う。本当は、違うのだ。

『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』

スウィフトは言った。

『一つの嘘をつく者は、自分がどんな重荷を背負い込んだのか滅多に気が付かない。一つの嘘をつき通すために別の嘘を20個考えなければならないということを。』

そう。この彼ほどの天才でも、いずれは重荷を下ろすのだ。

『キャットウーマン』

アン・ハサウェイのキャットウーマンもいいが、やはり彼女を乗りこなしているのはハル・ベリーである。10年以上前に観たときの印象はセクシー&クール。そして今回もう一度観てもその印象は変わらないという、時代を超えて通用するクレバーなエンタメが、この作品にはある。

『キャプテン・フィリップス』

2009年に発生した「マースク・アラバマ号」乗っ取り事件でソマリア海賊の人質となったリチャード・フィリップスの話。ソマリアでは海賊が一つの仕事として常識化していた。この映画を観ていると、彼ら海賊と、ターゲットになった人々の間に空いている距離が不思議になる。我々は同じ人間のはずなのだ。あのような状況にあったとき、人は一体どのように対処したらいいのか。観賞中は常に緊張感が漂った。

『ギャング・オブ・ニューヨーク』

1846年、大飢饉に見舞われた故郷を離れてアイルランドからアメリカ大陸にやってきた人々は、先住民の『ネイティブ・アメリカンズ』に対抗するために『デッド・ラビッツ』というチームを作り、敵対する。1863年7月13日にアメリカ合衆国ニューヨーク市で発生した、アイルランド系市民の暴動『ニューヨーク徴兵暴動』を軸にしながら、アメリカでの異民族の抗争を描いた映画。だから同族民族同士の争いというよりは、内輪揉めという形だ。

『キル・ビルシリーズ』

音楽だけは何度も聞いて、着信音にもしていた時代があるというのに映画は観ていなかった。だからその音楽のシーンが流れたときには鳥肌が立った。だが、このBGMが主題歌のように扱われていたが、一瞬で終わるし、タランティーノらしく様々なシーンで様々な音楽が流れるので、主題歌ということではなかった。その辺り、ハリウッドにしがみつこうとする日本の二流さが出てしまった場面だ。

だが、布袋寅泰の音楽はインパクトがあった。数ある音楽の中でも観客の耳に焼き付かせることに成功しただろう。もちろんそう考えるのは『日本でよくあの曲を聞いた私』だからであり、各国で同じような現象が起きている場合、違う国では違うことを言っているのだろうが。

殺陣をいくら千葉真一がやったからといって、ルーシー・リュウが出ているからといって、すべてにおいて『三流日本演出』である。ウルヴァリンのSAMURAIに出てくる看板やちょうちんに『だるま』と書いてあるくらい妙な違和感がある。ジョンウィック3のカタコトの日本語と同じだ。実はそのカタコトの彼は日本語がペラペラらしいが、あえてカタコトにしたようだ。となると、この私が言った『三流演出』は、世界から見たら『それが世界規格だ。お前が言う一流日本演出は、世界では通用しないよ。ドォモォ、アリガァトォが世界規格なのだ。発音しやすい。

例えば『PPAP』。あれが世界ヒットした時海外の人は『単語が3つしか出てこないだろ?シンプルなのはいいことだよ』と言った。トランスフォーマーでは日本製のコピー機に対し『日本は何でもかんでも複雑にすればいいと思ってる!』と、確かに感じているのであろう揶揄をするシーンがある。つまり、我々にとっての『三流日本演出』は、世界からすれば『一流日本演出』なのである。

日本を舞台にした有名映画は少ないのでどうしてもそういうことに目が行くが、そんなことを考えながら映画を楽しむのであった。すべてにおいて斬新なので、そういう意味で最後まで飽きない作品だ。

キルビル2

これは尻すぼみとなった。日本での売り上げも半分に落ち、世界でも少し落ちた。だがまあ『搾り取る』ことには成功しただろう。もちろん3までには発展しない。ここまでが限界だ。映画の2としてはインパクトが弱いが、ドラマの2話目とするなら何の文句もない。大体2というのはそういうものである。1でついたファンを楽しませるのが目的だ。その役目は果たすことになるだろう。

『キング・アーサー』

『キング・アーサー(2004年)』

イングランドがまだ『ブリテン』と言われている時代、やはりこのあたりを支配しているのはローマ帝国だった。ローマ帝国の最後の『最後の善なる皇帝』マルクス・アウレリウスが死亡してから100年経ってもローマ帝国は何かと争いを続けていて、ブリテンを侵攻、そしてこのあたりにあった少数民族は、ローマ帝国に組み込まれた。時は452年。そうした事情でローマと組んだ民族出身の騎士アーサーは、名剣エクスカリバーと仲間たちと共に、ローマの支配からついに自由を勝ち取る瞬間を目前としていた。

だが、そこに立ちはだかったのはゲルマン系の民族であるサクソン人。彼らはのちにこのヨーロッパ人のルーツになる民族。『イングランド』の語源となったのはアングロサクソンだ。アングル人ジュート人サクソン人のゲルマン系の3つの部族の総称である。この中でアングル人が、イングランド人としてイングランドの基礎を築いた。

このように、様々な民族が勢力を競い合い、ここでその縄張り争いを繰り広げ、定着していった。これは、まだイングランド(イギリス)がこの世に登場する前の、そうした民族同士の競り合いと「アーサー王と円卓の騎士」をモデルにした、『あったかもしれない』歴史の旅である。この映画でグィネヴィアというアーサー王の王妃が出てくるが、彼女が相当な腕前の弓の名手である。

キング・アーサー(2017年)

上にあるキング・アーサーと全く同じものをテーマにしているが、これは聖剣エクスカリバーにスポットライトを当てた映画。大赤字を食らった問題作という話だが、そういう細かい話を一切気にしなければ、私は全然普通に楽しめた映画だった。当時私は歴史を一切学んでいなかったから、そういう人で、アクションが好きで、エクスカリバーなどの冒険やRPGが好きな人だったら全く問題なく楽しめるだろう。

『奇術師フーディーニ 〜妖しき幻想〜』

「脱出王」の異名を取った、ハンガリーのユダヤ人で、アメリカ合衆国で名を馳せた奇術師奇術師ハリー・フーディーニを描いた作品。「不可能を可能にする男」という評価を得て、現在でも「アメリカで最も有名な奇術師」と呼ばれるほど認知度は高く、超能力や心霊術のいかさまを暴露するサイキックハンターとしても知られる。この基礎情報を知っておいた方がいいだろう。

90分程度だが、やはりそれだけの人物を描いた実話ということもあって見応えがある。彼は偉人ではなくても、間違いなく非凡な人間で映画になる人間として相応しいと言える。

『紀元前1万年』
  1. マンモスを狩る
  2. シャーマニズムがある
  3. 動物を神格化する(アニミズムがある)
  4. 紀元前1万年を描く

このような要素があるだけで、この映画の価値は高い。歴史映画をズラリと並べてみればわかるが、ここにスポットライトを当てた映画がほぼないので、人間と地球の歴史を考える際に非常に重要である。これが正確かどうかはさておき、全体像をつかむためには十分だろう。例えばよく知る四大文明、

  1. メソポタミア文明
  2. エジプト文明
  3. 中国文明
  4. インダス文明

これらは古くても紀元前2,3000年。今から5000年前ほどである。それよりも更に7000年も前なのだから、これは貴重である。キリスト教徒イスラム教の元祖ユダヤ教の創始者であるモーセが息をしたとされるのが紀元前1300年頃だ。映画で言えば『エクソダス神と王』の時代。世界で初めて公式に記録された戦争『カデシュの戦い』があったのもその時だ。中国の始皇帝も三国志ももっと遥かに後。孔子やブッダやソクラテスも紀元前500年頃。

この時代、確かに狩猟採集をして生活をしていた人間には『神話』があり、それはシャーマニズムやアニミズムという形で蔓延していた。何が神で、何を重んじるかは自由だった。自由に想像するからこそ『大きな存在』である自然や動物が神格化されたのだ。その後、人間が集団で暮らし始め、倫理とルールを必要として論理的な『宗教』へと移り変わる。さて、この時代の人間の様子を見てみよう。

『グアンタナモ、僕達が見た真実』

2001年9月11日、アメリカ同時多発テロは起こった。そして、多くのアメリカ軍人は、ムスリム=『ジ・ハード』という穿った目を向け、厳戒態勢を取った。それが功を奏して、水際でテロを防ぐこともあった。ちょうど、警察の職務質問に似ている。越権的で高圧的な態度を取る警官に良い思いをする人はいない。しかし、それらの行為によって、実は犯罪率の減少が証明されているのである。

では、これは許されるだろうか。彼ら無実のパキスタン人が、グアンタナモ基地で体験した数年間の壮絶な拷問は、本当に必要だったのだろうか。

『グッド・シェパード』

OSS(Office of Strategic Services)とは、『戦略情報局』である、アメリカ軍のためのスパイ活動をするために設置された。厳密な話はあるが、それを避けて大きく分けると、この後にCIA(中央情報局)という、よく世界に知られた組織になっていく。それが1947年の事。

作中でロバートデニーロが演じるウィリアム・ドノバン少将はOSS時代の長官であり、『CIAを作った男』と言っても過言ではない重要な責任を負ってきた人物である。

アメリカの情報コミュニティ(IC)の主要メンバーであるCIAは国家情報長官の直属であり、主に大統領と内閣に情報を提供することを目的としている。FBIは政府の汚職や大統領をも捜査するが、CIAは大統領直属というイメージである。よってFBI創始者のフーバーは、極めて長期間、長官の地位に居座ったこと、大統領や政治家の秘密を多く把握し、大統領も手を出せない超権力者になってしまっていた、という事実がある。

主役を演じるのはディカプリオの予定だったが、『ディパーテッド』の撮影があったためマットデイモンになった。まあ、そのマットデイモンもディパーテッドに出ているのだが。

モデルは実在の人物をいくつか掛け合わせたものだという。デニーロが監督したこともあり、これだけの要素が揃っているのでかなり期待してしまうが、実際はかなり『渋い』展開になっている。『ディパーテッド』のエンタメ性には敵わない出来だ。アメリカの歴史としてとても重要なワンシーンを切り取っているが、渋すぎて軽はずみに観る若者たちを完全に排斥する結果になっている。

『グッドナイト&グッドラック』

『赤狩り』とは、政府が国内の共産党員などを公職を代表とする職などから追放することを言う。この時代にあった冷戦とは、

『アメリカを筆頭とする資本主義VSソ連を筆頭とする共産主義』

で、そのソ連共産のシンボルマークの色が赤いことから、『アカ』とか『赤狩り』などとして隠語が当然のように飛び交っていた。

これは、その「赤狩り」の猛威が吹き荒れる1950年代のアメリカを舞台とする実話で、実在したニュースキャスターであるエドワード・R・マローとCBSの番組スタッフが、真実の報道のために赤狩りの代表格である政治家、ジョセフ・マッカーシーと「マッカーシズム」に立ち向かう姿を描いたノンフィクションドラマである。マッカーシーとそのスタッフは、「マッカーシズム」と呼ばれたアメリカ合衆国政府と娯楽産業における共産党員と、共産党員と疑われた者への攻撃的非難行動で知られている。

では、このエドワードは共産主義なのか。違う。実はマッカーシーは、自分の意にそぐわないものを「共産主義者」と決めつけ攻撃する暴挙が有名だった。そんなマッカーシーの手法に対して疑問をもつ良識的なアメリカ人も多かったが、誰もが自分自身が標的にされることを恐れ、マッカーシーの手法を表面だって批判する者はいなかった。

そんな中、彼はニュースキャスターという逃げ場のない立場にありながら、真正面からマッカーシズムに対立する。この映画のタイトル『グッドナイト&グッドラック』というのは彼が務めるそのニュースでのお決まりの挨拶だ。この問題が起きる前なら聞き流すような言葉だが、覚悟を持って勇気ある行動に出た彼の放送の後に口にされるこの言葉からは、彼の仕事に対する信念と覚悟を感じることができる。

当時の状況をよりリアルに体験するために全編が白黒であり、ド派手な銃撃戦はないが、信念と覚悟の人間の生きざまはいつの時代も別次元の異彩を放っている。

『グッバイ、レーニン!』

1989年、ベルリンの壁は崩壊した。ベルリンは、米ソ冷戦の影響を受けて東西に分裂してしまった、冷戦の象徴のような場所だ。その両者の境界線として、ベルリンの壁が存在したのである。それは、東西に思想の違いがあるということを意味していた。東『社会主義』、西『資本主義』だ。どちらにもメリットデメリットがある。では、心臓の弱い人がある日自分の思想を急に変化させなければならないとしたらどうだろうか。米ソ冷戦、ベルリンの壁が一般人に与えた影響の物語である。

『クライシス・オブ・アメリカ』

リメイクした作品だけあって、秀逸なシナリオである。最初の音楽にもインパクトがあり、作品全体が見ごたえがある。これは個人的に『極上のエンターテインメント』に分別することになる。実は馬鹿馬鹿しい部分があるのだが、全体のクオリティが高くてそれが全く気にならない。時代が古ければ古いほど多くの人が震え上がることになるだろう。その意味が分かる人間は、勤勉である。

『グラディエーター』

監督のリドリー・スコットは、『ベン・ハー』と『スパルタカス』を観て、強い影響を受けた。2000年という人類文明の一つの節目に、人類の歴史に影響を与えた大帝国の分かれ目を描きたいと考えたという。彼の映画には、

  • エイリアン Alien (1979)
  • ブレードランナー Blade Runner (1982)
  • ブラック・レイン Black Rain (1989)
  • キングダム・オブ・ヘブン Kingdom of Heaven (2005)
  • アメリカン・ギャングスター American Gangster (2007)
  • ワールド・オブ・ライズ Body of Lies (2008)
  • ロビン・フッド Robin Hood (2010)
  • プロメテウス Prometheus (2012)
  • 悪の法則 The Counselor (2013)
  • エクソダス:神と王 Exodus:Gods and Kings (2014)
  • オデッセイ The Martian (2015)

など、錚々たる作品がずらりとあるが、このグラディエーターはその中でトップを誇る彼のヒット作となった。よく、古い伝説映画をリメイクすると『する必要がなかった』という声が上がるが、私は違う意見だ。ぜひ彼に『スパルタカス』をやってほしい。ローマ帝国の最後の『最後の善なる皇帝』アウレリウスが死に、ローマ帝国は分裂したり飲み込まれたりして、ここから衰退の一途をたどることになる。この後もローマ帝国の形は残るが、ここが最盛期で、同時に斜陽のターニングポイントだった。

『エクソダス神と王』のwikipediaにはこうある。

ハリウッド・リポーターのステファン・ファーバーは本作に好意的な評価を下し、「リドリー・スコットは2000年に公開されてアカデミー賞を受賞した『グラディエーター』でローマの叙事詩を見事によみがえらせた。このエジプトの物語は『グラディエーター』と同じ水準であるとは言い難い。

『グリーン・デスティニー』

王度廬の武俠小説『臥虎蔵龍(がこぞうりゅう)』を原作とした武俠映画。『武侠(ぶきょう)映画』とは中国文学での大衆小説の一ジャンルで、武術に長け、義理を重んじる人々を主人公とした小説の総称である。とにかく、中華圏で多くの賞を受賞しているだけあって、そのアクションが圧倒的である。日本は歯が立たないと言っていいだろう。『るろうに剣心』のアクションが際立ったのは、その他の日本映画のアクションが世界と比べて歯が立たないからだ。

黒澤映画は世界的に有名で、多くの映画人にリスペクトされている。だが、あの映画の評価はアクションではなく、描かれる武士道精神をもった侍たちの心意気や、監督の映画テクニックである。例えば格闘技の試合を見る時、ドロドロ試合がいいだろうか、それとも一発KOのド派手な試合がいいだろうか。いくら『それがリアル』だとしても、『アクションがすごい!』と人に言わせるためには必要な要素があるのである。

もちろんワイヤーアクションとして笑ってしまうような非現実性もある。だが、それを排除してもこのアクションはすごい。普通の人間ではできない。明らかにこれは世界に誇る技術だ。中国はその誇張と虚偽の演出方法の展開を変えたら、『レッドクリフ』のように世界を震撼させる映画を作るだろう。

『クリスティーナの好きなコト』

90分もない短い映画で、内容が終始『俺達ニュースキャスター』のようにコメディタッチ。私は映画に教訓を求めているので私のニーズとは真逆。

・・なのだが、そんな私に『名作』としてジャンル分けさせるほどの吹っ切れた面白さを含んでいる。ここまで吹っ切れば面白い。私のような人間は一見真面目で堅物に見えるかもしれないが、なに、現実の私を見ればそんな気持ちも失せるだろう。私はいつでも髪の毛をピンク色にできるような人間だ。

つまり、ダウンタウンなどの本物のお笑いを見た後、すべての笑いがままごとに見えるように、『中途半端なことをするなら真面目にやって教訓を与えてくれ』という想いがあるだけなのである。往々にして若者はこういうものだし、おバカさ加減に違和感はない。だが、彼女の設定が28歳というところがまた笑ってしまうところである。

『グリッター』

評論家から最低の評価を得て、同年のゴールデンラズベリー賞では6部門で候補に挙がったほどの出来栄えで、私の感想も同じように低い。同じようにディーバを描いた映画はビヨンセやダイアナなどいくつもあるが、その中でもっとも稚拙な内容と言えるだろう。だが、彼女の名曲はそこに並ぶどのディーバにも負けない爆発的な求心力がある。二兎を追う者は一兎をも得ずだ。人は何か一つ秀でていればそれだけでいい。マイケルジョーダンが卓球をしなくてもいいのだ。

だが、彼女はこの映画が公開された2001年から2004年の間、テレビでストリップまがいのことをしたり、メンタルに問題を抱えたりと、低迷期を過ごしていたようだ。しかし、その後再ブレイクをする。どちらかというとその辺りの描写まで含めた映画を彼女の死後もう一度撮った方が面白い映画になる。2009年には『プレシャス』で彼女の存在感をほぼ消した、ノーメイクに近いような女性の役を演じて、しかしそれが無意味に前に出ず、縁の下を支えていて、いぶし銀の活躍だった。

『力』で押さえつけることは、『井戸の中』の世界だけで通用することで、『大海』に出ればむしろ逆のアプローチをしなければ逆効果になる。真理に近づけなければならないのだ。間違っても『虚偽、虚飾』は文字通り『空虚』であり、世界には通用しない。

『クリミナル』

どういう企画だったか。いつも脇役にいるが実力派の ジョン・C・ライリーで何か作品を作ろうという裏事情があったか。どちらにせよ普通に考えれば彼だけでは華が足りない。

それに90分だ。やはりどこか、B級的なにおいを感じざるを得ない。だが、製作にジョージクルーニーや、オーシャンズシリーズのスティーブン・ソダーバーグがいるところが、一つの鍵である。中々面白い展開が待っている。

『クレイジーハート』

『ハリウッドで最も過小評価されている俳優』ランキングでNo.1に選ばれていた主演のジェフ・ブリッジスは、この映画で見事アカデミー主演男優賞を獲得。ずば抜けた何かを得られるわけではない。だが、哀愁がある。

『クローサー』

群像劇チックで、不倫関係も描かれ、作品の着地も王道ではないので『大枠』から外れ、評価が低くなってしまっているが、私は中々感慨深いものを観た気分になった。『着地が王道ではない』というのはどういうことか。不倫自体が王道から逸れていることが分かるはずだが、ここで一度立ち止まってじっくりと自分に自問していただきたいのである。

『じゃあ自分は、王道を歩いてるの?』

人生というものは、こういうもののはずだ。アメコミのヒーローもいないし、アニメキャラもいない。ディズニーランドのような綺麗な世界だけじゃなくて、見るに堪えない凄惨な現実も多く存在している。

多様性という名の様々な正義が入り乱れ、それぞれの生きる価値観があり、人間だけじゃなくあらゆる森羅万象と共に、複雑な呼吸を交わしながら、一日一日を綱渡りのように生き、ある人は間違えて転落死し、ある人は頑丈な綱の上で優雅に寝転ぶが、しかしどんな人であっても必ず最後は死ぬ。そういう虚しく、答えのない、儚い一生を、我々は生きているはずだ。

だが、あるウェアショップが調査したところ、洋服を着るマネキンは『自分の体形に似たもの』ではなく、『美男美女』がいいという。それは一体なぜだろうか。それがこの作品と、皆がした評価に、どう関係しているだろうか。美男美女だったら最高級のキャストが揃っているはずだ。これが、色々と感慨深い理由なのである。

『ゲットスマート』

アメリカには『アメリカンジョーク』の文化があり、『スタンドアップコメディ』が一種の文化となっていることからも、魅力的な人間が持ち合わせていなくてはいけない一つの要素に『ユニークさ』がある。それは日本にももちろんある。だから芸人という立ち位置は、萩本欽一、ビートたけし、明石家さんまに、ドリフターズ、そしてダウンタウンやとんねるずたちの強い貢献もあって、現在は確固たるものになっている。

だが、アメリカ人からすれば『日本人はなぜいつも暗い顔をして真顔なんだ』と言うわけだ。ということは、日本よりもうんと幅広く、冗談や軽口を言う文化が根付いていて、それはむしろ強迫神経症に近い。

それが強く浮き彫りになったのが、2022年4月の米アカデミー賞で起きた『ウィル・スミス事件』である。あの時日本人の多くは妻を侮辱されて腹を立てたウィル・スミスの援護をしたが、アメリカではジョークを言ったクリスロックの方を援護する声が多かった。あの件の是非はさておき、どちらにせよ世界で論争を巻き起こしてしまうほど、アメリカ人は少し『特殊な要素』を背負った人々だと言えるだろう。

例えばジムキャリーがウィル・スミスを強く非難したわけだが、彼は『マン・オン・ザ・ムーン』でスタンドアップコメディの天才として生きたアンディ・カウフマンを演じたこともあるし、コメディ王とも呼ばれる立場だからそう行動したかもしれないが、それは『Mr.ビーン』のローワン・アトキンソンのこの言葉を『曲解』して『援用』したものである。

『ジョークのネタにできないものがあってはならない。』

これは『何もかもジョークにしていいんだ。だからネタにする僕らを非難するのではなく、戦争やテロをやめたら?』という意味が込められているのであり、『人を傷つけてもジョークを言っていい』のではない。

『俺たちニュースキャスター』のように、コメディ俳優で固められたがっつりコメディ映画なら分かるが、アンハサウェイのような一流の俳優もこういう映画に出るとなると、アメリカ全体が『何らかの強迫観念』を強いられているように見えるときがある。

高倉健は決して出ないわけだ。その辺りのところに違いがあり、このような映画を通して様々なことを考えるのである。海外の評論家の評価も「今年最も楽しめる映画の一つ」とか「驚くほど酷い映画」とか、評価が分かれている。私はとにかく内容を全く覚えていないが、その程度の映画である。

『ゴースト・オブ・ガールフレンズ・パスト』

評論家から酷評され、日本でも劇場未公開なだけあって、教訓性や深遠さはもちろん、エンタメ性としても一線を超えないが、イギリスの文豪チャールズ・ディケンズの中編小説『クリスマス・キャロル』をオマージュした作品ということで、そこに強く注目する人がいれば面白いかもしれない。また、『幽霊が現れる』、『不思議な体験で自己の成長がある』という点においては原作のそれと同じ軸が存在するので、柔軟性があればそう拒絶反応は起きることはないだろう。

『コールド マウンテン』

南北戦争時代を切り取った映画はたくさんある。『グローリー』など直接戦場を描いた話もそうだし、『風と共に去りぬ』、『The Beguiled/ビガイルド 欲望のめざめ』や、エミリー・ディキンソンの映画のように、戦場ではない場所でその時代を生きた人達の話もそうだ。それはもちろん南北戦争だけではない。アメリカ独立戦争の時もそうだし、先住民たちとのいざこざもそう。大恐慌時代もそう。なぜこのようにアメリカ映画がいくつかの大きなイベント周辺に集中しているかというと、シンプルにアメリカの歴史が浅いからである。まだ200年ちょっとしか経っていない。だから自然とその間に起きた大きなイベントを舞台にすることが多くなるのである。

だが、このコールドマウンテンはその中でもとても見応えがあり、私がもし人に南北戦争についての映画を勧めるなら、『グローリー』とこれを勧めたいぐらいだ。特に女性ならこっちの方が感情移入しやすいだろう。まだ愛し合ってもいない、しかし確かに愛し合った二人。戦争という非情な現実に抗うように、彼女たちの間にあった確かな想いは、『純愛』へと昇華したのだ。

『ココ・アヴァン・シャネル』

シャネル』

ココ・シャネルの生きざまを描いたドキュメント作品。映画らしい映画ではない。だが、彼女の生きざまを知るには十分だ。私と彼女には接点はないと思っていたが、いや、実は彼女の名言を通して、そう遠くもないとどこかで思っていた。するとやはり、似ているところがあったようだ。それは、孤独(孤高)に、戦う、生きざまである。

ココ・アヴァン・シャネル

上のドキュメンタリー映画を観たらわかるが、この映画では彼女の一部だけにスポットライトを当てた映画である。正直、二つ観なければ彼女の実態は見えてこないだろう。だが、逆にドキュメンタリーでは少ししか当てなかった部分を深く掘り下げているため、シャネルが女性としてどう人生を生きたかということを考えるには、うってつけの映画である。

『ゴシカ』

『リング』などをイメージしてしまい、そのパクリのような非常に浅い反応を抱いてしまうかもしれないが、オカルトが嫌いな私でも全然面白い。

  • ロバート・ダウニー・Jr
  • ペネロペ・クルス

という豪華な脇役に、『(BTTF)』のロバートゼメキスが製作にいることもあるのか、日本ではよく見るシナリオだとしても中々面白かった。ぜひ、映画館で観たいスリラー映画だ。

『ゴッド&ジェネラル/伝説の猛将』

南北戦争の実話をベースにした具体的な歴史映画である。南軍の名将として名高いロバート・E・リーとストーンウォール・ジャクソン、北軍の英雄ジョシュア・チェンバレン、後にリンカーン暗殺事件の実行犯となる俳優ジョン・ウィルクス・ブースを中心に描かれるが、この俳優がどこで出てきたのかはわからなかった。wikipediaのキャスト欄にも彼とその役者の名前が載っていないので、よくわからない。

ただ、南北戦争を南北公平な視点で描き、その戦闘の推移を具体的に見ることができるので、南北戦争がどのようなものであったかを知るためには、貴重な歴史映画となっている。何と、上映時間が214分(約3時間半)もあり、日本では未上映なので、アメリカがどれだけこの戦争に熱があるかがわかる。外国の反応云々よりも、この戦争を具体的に描くべきであるという使命感の方が上回ったのだ。

『コレリ大尉のマンドリン』

第二次世界大戦中の1943年、ギリシャのケファロニア島で実際にあった事件を元にしている。ネタバレになるので事件名は言わないが、確かにこれだけの規模の事件が、この小さな島で引き起こされたという事実は、映画化などして広めていくべきである。マンドリンを弾く男が実在したかどうかは知らないが、彼がいる占領部隊に大事件が起きるのだ。

『恋するレシピ』

この手の内容に軽薄さを覚える人も大勢いるだろう。だが、意外とこの手の映画は教訓性があるものが多く、浅薄な作品として一辺倒に切り捨てることはできない。それはこの星に、星の数ほど人間がいて、それぞれに違った個性があり、環境があり、事情があり、人生があるからだろう。だから逆に、

『あの作品は共感できるが、この作品は共感できない』

と言う人の意見の方が信憑性がない。包括的かつ俯瞰的に考えると、どの作品も十人十色。それぞれに個性があり、ドラマがあり、そこに人生の教訓があるのだ。

『恋のドッグファイト』

『ブス』というのは『醜い』という言葉と密接に関係していて、例えば容姿が太っている場合は、多くの場合でそれに該当する。なぜならそれは、自分が招いた現実だからだ。整形しなければいけない問題ではなく、自分で太った。

そこには、誘惑に勝てない弱い心や、自分を正当化したり、客観視できない視野の狭さや傲慢さ、あるいは強欲さが存在している。それらの悪しき感情に自分を支配されている状態は、孟子でも『善』とは言わない。また、『性悪説』を唱えた荀子でも、外部から後天的に善を積み上げて、善人になると主張しているわけで、こういう行動は『善なる行動』とは言えないわけだ。

だから太った場合は醜い。最近では太ることも多様性の一つだと認める風潮があるが、あるタレントが『カレーは飲み物』だと言って、マラソンでそれが原因となって心肺停止になり、瀕死体験をし、『生きて話ができることを喜んでいる』と言ったが、医学的に見ても、

  • 動脈硬化
  • 心筋梗塞
  • 脳梗塞
  • 糖尿病

等の生活習慣病にかかりやすいわけで、太ることを正当化するなら、彼のように生に執着するのは矛盾がある。結果、やはり往々にして、太ることはあまりよくない。最悪の場合がいいが、しかしその過程が『自堕落な生活の上で』のことなら、あまりそこに美しさはなく、むしろ怠惰の正当化がその多様性の大きな波に隠れて行われているのであれば、そこにあるのは醜さしかないのである。

また、人間は左右対称のものに美しさを感じる生き物だ。だから、世界遺産を代表とする世界に知られている建造物の大体は、左右対称になっている。美男美女と呼ばれる人々も大体が、左右対称の顔をしている。また、体も左右対称でバランスが取れている場合と、片方だけいびつな場合は、やはり前者の方が美しいと思ってしまうものだ。

では、今回『ブス』に選ばれた女性は、なぜ選ばれたのか。そして、彼女は本当にブスだったのか。そうじゃないなら、何が美しいのか。その辺りのことを考えると、色々と考えさせられる映画である。

『孔子の教え』

孔子。それは、ブッダやキリストやソクラテスと並ぶ、稀代の聖人の一人である。孔子は今でこそ大学者であると評されているが、当時の評価は低かった。この映画では評価が低い孔子は描いていないが、『顔回』という弟子との人間関係は、注目である。

『告発のとき』

米国内で実際に起きた事件をもとに、イラク戦争の現実を描いた作品。戦争がどれだけ人を狂わせるか、ということについて説く映画は大勢ある。この映画でも、イラクでの異常な体験が兵士たちのまともな人間性を完全に失わせてしまったことについて、描かれる。

そしてこれらは実話ベースだという。つい最近の2022年にもロシアがウクライナに侵攻したわけだが、そこで行われた惨劇は『悲劇』以外のなにものでもない。

例えば何もしていない一般のウクライナ人が、強姦され、その後にロシア兵に無残な形で殺害される。淡々とネットニュースに流れてきた内容だが、彼らは一体自分が何をしているか分かっているのだろうか。その一線を超えたら、もう人は『人間』ではいられなくなる。たとえ戦争が終わったとしても、未来永劫その傷跡は当事者たちを苦しめ続けるだろう。

そしてそれは、加害者であるロシア人側も同じだ。戦争が人を狂わせる。それはロシアだけじゃなく、すべての戦争に繰り出される兵士たちの上に起きている現象である。どちらも最初は、無邪気な子供だった。一つだけ確かなことは、『真理から逸れた者は虚無に近づく』ということだ。

さ行

『ザ・エッグ 〜ロマノフの秘宝を狙え〜』

モーガン・フリーマンが主演を演じて、かつ宝探し、大泥棒、一攫千金的なシナリオだから期待してしまう。今回の宝はロシアのロマノフ王朝の財宝「インペリアル・イースター・エッグ」だ。1885年から1916年の期間にロマノフ朝ロシア皇帝アレクサンドル3世、ニコライ2世に納められたイースター・エッグ50個を指す。モスクワ・クレムリン宮殿の武器宮殿で見ることができる。

現在『エッグ』は、ロシア革命後、国有資産に組み込まれながら国外流出し、収蔵先はロシアの次にアメリカに多い。その希少性からオークションで1000万米国ドル相当の値が付いたものもあるという。このうち10数個は所在地が公開されていないなど、トレジャーハンターにとっては胸躍るお宝だ。

アメリカ映画ではあるが、アメリカとロシアの貴重なコラボにその手のシナリオとあって、知名度とは違って中々面白い映画だった。個人的にはあの音楽がいい。ロシアの名作『Not Gonna Get Us / t.A.T.u』である。久しぶりにあれを聴いたが、現在でももしクラブかどこかであの音楽が爆音で流れたら思わず踊りだしてしまうような、それくらいのインパクトと存在感がある。

この映画ではそれが主題歌になっているので、そういうサブ要素も確実に作品の価値を支えている。モーガンフリーマンの使い方も、アントニオ・バンデラスで終わるラストシーンも、音楽も、すべて文句なしだ。

『ザ・コア』

人類の終末を描いた作品はいくつもあるが、この展開は見たことがない。問題がいつも通りの『宇宙』にあるのではなく、『地球の奥深くである核』にあるというのだから、斬新である。そして確かにそれはあり得る話だ。我々は誰もこの星の核がどんなものであるかを正確に言い当てることができない。ある種の小宇宙とも言える未知のエリアで問題が起きたら、我々人間は一体どのような対処ができるだろうか。

無駄な要素がないのもいい。普通なら恋愛ドラマが織り込まれるがそれがないから教訓性の高いドラマに分別できるようになっている。それはもしかしたら『この世界受けしない顔の俳優の恋愛は誰も見たくない』というシビアな裏話があるのかもしれないが、もしそうだとしても、無くて良かったんじゃないかと感じることができる。それがないことで、純粋に、この世界を救うために命を懸けた人間たち全員にスポットライトが当たり、全体的な底上げによってクオリティの低下を阻止することに成功している。

『ザ・シューター/極大射程』

かつて、天才的なスナイパーとして活躍したある男が、その腕に目を付けた悪党に『悪用』される羽目になる。だがこの男、たとえ格闘術であの『ボーン』に負けたとしても、総合力では彼に匹敵する。九死に一生を得た彼の、復讐劇を見よ。

『ザ・スナイパー』

『ザ・スナイパー』の邦題をこの映画が取ってしまい、『山猫は眠らない』の原題が『Sniper』なのだから残念な話である。この映画の原題は『THE CONTRACT』。意味は『その契約』という意味だ。全然こっちのままにした方がよかった。

この2つは見事に邦題ミスの作品と言えるだろう。この映画は中々面白いのに、『ザ・スナイパー』というタイトルを背負いきれていない。逆に山猫の方は、見事にそのタイトルを背負うだけの内容がある。

『ザ・ダイバー』

実在の人物「カール・ブラシア」(1931年-2006年)を描いた物語である。彼はアメリカ海軍史上、アフリカ系黒人として初めて『何か』をした潜水士であり、それを映画を楽しみながら観ていきたいわけである。彼の生年月日を見てわかるように、彼は黒人差別の真っただ中を生きた。例えば60~70年代というのは、多くの黒人指導者が亡くなったわけである。黒人の公民権運動家の代表格メドガー・エヴァースが暗殺されたのが1963年、マルコムXが暗殺されたのが1965年、キング牧師が暗殺されたのが1968年。ジョン・F・ケネディもその弟のロバート・ケネディも暗殺された。

その頃、ちょうど人類の視線は『地球の外』に向けられていた。『月面着陸』である。ソ連が打ち上げた衛星『スプートニク』を皮切りに、米ソの宇宙戦争が始まった。冷戦真っただ中でもあったその時期、より高い位置に行く技術を持っている国が強い。衛星写真や、ミサイルなどの設置や確保で優位性を得て、外交を有利に運ぶのである。そこには多くの資本家(大金持ち)たちも関与していただろう。

黒人問題もそうだ。白人至上主義(KKK)たちは黒人が世に出ることを許さない。黒人たちを暗殺する裏には往々にしてこういった人物たちの私利私欲、あるいは思想が関係している。カールもまた、潜水士という舞台でその『向かい風』を強く浴びてしまっていた。だが、彼は映画化されたのだ。一体彼の、何が稀有なポテンシャルだったのか。この映画は人種を超え、多くの人間に勇気を与えるだろう。

『ザ・ビーチ』

レオナルド・ディカプリオがあの『タイタニック』の後、100本以上のオファーを蹴って選んだのがこの作品。この年齢特有の体中に蔓延するエネルギーと好奇心が、当時流行した『サイケデリックトランス』というアンダーグラウンドな世界観と結合し、怪しい異彩を放っている。その要素は作中にひっそりとしか出てこないが、当時『レイブパーティ』と言えばドラッグの温床であり、彼らのような類の人々がよく散見された。果たして、彼は生きてそこを帰れるのか。

『サーファーのプライド』

wikipediaにも出てこないマイナー過ぎるニッチ映画だが、なかなかどうして、だからこそ見る価値はあった。中途半端に王道に寄せたコモディ化された埋もれる作品が多い中で、希少だ。

人間には実に色々な人がいる。こういう人もいるのだ。事実サーファーとして真面目に生計を立てる人だって大勢いる。海の近くに生家があるかどうかとか、色々な要素が関係して、この世に色々な人間を生み出している。何となく夏の映像を楽しみたい時に流していても絵になる。

『サハラ 死の砂漠を脱出せよ』

こんな面白い砂漠冒険映画がなぜ知名度が低いかというと、「馬鹿げた脚本による底の浅い冒険映画」と酷評されていたり、原作者が「製作側が自分の了承なしに大幅に脚本に手を加えた」とし、制作会社を提訴する動きを見せていたりして、どうやら事情を深く知る専門家たちの気持ちをないがしろにしたある種の裏切り行為が行われていたようだ。

ただ事情を全く知らない私はこの映画に数少ない『注目映画』としてのジャンル分けをしていたので、内容自体は『インディジョーンズ』や『ハムナプトラ』らと同じようにワクワクが詰まった面白いエンターテインメントとなっている。

それが原作の実力なのか、それを無視して大衆受けに脚色したせいなのかは知らないが、マシュー・マコノヒーとペネロペ・クルスのセクシーな美男美女コンビがいるだけでも絵になる作品である。

『サムサッカー』

内向的な少年で、親指をしゃぶる癖が未だに治らない。そういう癖のある人に対して使う言葉が『サムサッカー』である。ポスターだけを見ると異質な光景だが、これはこのポスターだけでは全くその映画の内容を想像できない。ある程度はできても、それ以上はできない。実際に親指をしゃぶるシーンは少なく、『それ以外の重要な問題』に全員で目を向けていくのだ。この映画は家庭内に問題がない人は理解できない。

  • 離婚
  • 死別
  • 確執
  • 軋轢
  • 思想の違い
  • 見栄
  • 愛情不足
  • 暴力
  • ネグレクト

何かしらの不和を抱える人には、深く深く突き刺さる映画なのだ。『普通の人々』、『英国王のスピーチ』を『本当に理解した人』が観るべき映画だ。キアヌリーブスが『キーマン』。だが、本当のキーマンは、たった一人しかいない。

『サロゲート』

この映画で考えることができるのは案外奥が深い。フランスの小説家、プレヴォは言った。

『女は自分の美点のために愛されることにときとして同意するが、常に好むのは、自分の欠点のために愛してくれる人のほうだ。』

確かにロボットを使えば、出来なかったことができるだろう。だが、その延長線上にあるものとは一体何だろうか。

『殺人の追憶』

実は最初はあまり乗り気じゃなかった。だからこそ、インパクトのあるジャケットであっても、この映画の存在に何年も前から気付いていても、見て見ぬふりをして作品を自分から遠ざけていた。そしていざ鑑賞が始まっても、あまり本腰を入れられなかった。一体そこにあるのはなぜだろうか。私が観る映画の9割が洋画で、邦画やその他の地域での映画を観ないことの理由には『格下として見下している』ような事実があるのだろうか。そんな複雑でクリーンではない心境から、映画の鑑賞が始まった。

そして作品が終わった。私はどうも引っかかった。

妙だ。妙にリアルだ。

そう思った私は作品を調べた。するとこれが1980年代後半に発生し、10人の犠牲者を出した華城連続殺人事件を巡る刑事たちの話だとわかった。・・身の毛がよだつ思いだった。脚色はされているようだが、実際にあった未解決事件だったのだ。そう思って作品を振り返ると、凄まじい映画だった。これは、とても見応えがある。何もかも間違っていたのは、鑑賞前の私だ

『座頭市』

勝新太郎の代表作である時代劇『座頭市シリーズ』を題材にしたが、たけし独特の演出のもと、全く違う世界観を作り出している。ウィル・スミスが演出を下『アニー』でも、街中の雑踏がリズミカルな音楽に変えられたが、この座頭市でもそういう演出が加わっていて、それがアメリカ映画のようにわかりやすくないから、不思議な世界観が出来上がっている。たけしの映画は、『菊次郎の夏』でもガングロのギャル男がダンスを踊って、途中で天狗になったりと不思議な世界観がたびたび演出される。

『しあわせの帰る場所』

日本では劇場未公開で大した情報もないこの映画なのだが、私はこの映画を『観るべき映画』としてまとめた。名優たちが揃っているというのもあるのか、興行的な問題とは一切関係ない次元で、こういう映画が刺さる人が大勢いるはずだ。

『しあわせの隠れ場所』

2009年のNFLドラフト1巡目でボルチモア・レイブンズに指名されて入団したマイケル・オアーのエピソードに基づく実話ベースの映画である。『僕はラジオ』、『小説家を見つけたら』、『グッドウィルハンティング』などと同じような内容で、それらの映画が好きな人はきっと感動できるだろう。同じような内容と言っても詳細は全く違うから心配はない。要は、こんな奇跡の出会いってあるのかなと、とても幸せな気持ちになるのだ。

生きる希望を見出せる。絶望的状況に陥ることは誰の人生にも起こり得ることである。そんな時、こういう映画の一つ一つが網を張り、人々に夢と希望を持ち続ける勇気をもたらしてくれる。

『シークレット ウインドウ』

ジョニー・デップ演じる売れっ子作家の周りで、不可解な現象が起き続ける。彼は警戒し、身構えて対策をするが、敵の正体がわからない。皆が怪しく見える。だが、そこには意外な真相があったのだ。スティーブン・キングは人間心理を描写させたらピカイチである。

『ジェシー・ジェームズの暗殺』

アメリカ西部開拓時代のガンマンであり大衆の英雄でもあったジェシー・ジェームズ。どこの国にも一人はこういう人間がいる。日本で言えば鼠小僧なんかがそうだ。富裕層から金を奪い、貧しい者に分ける。ある時彼が『タイムズ』に送ったのはこうだ。

「自分たちは何百万ドルを盗んでも咎められない政治家たちよりは道義的に優れていることと、自分たちは自衛のため以外に人を殺さず、金持ちから金を奪って貧乏人に配っている」

人を殺し、金を奪うが、哲学と信念があった。そう主張するのである。では、そんな大衆の英雄を暗殺するとなれば、それはどんな人物なのか。そしてそこにはどういう意図があり、哲学はあったのか。それ次第ではその人のその後の人生は、虚しいものになる。ジェシー・ジェームズとは確かに犯罪者だが、そういう男だった。

『シティ・オブ・ゴッド』

1960年代から1980年代にかけてのリオデジャネイロ、実話をもとにしたブラジルのアウトローの映画である。しかし彼らはアウトローとして生きたかったわけではない。たまたまその環境に生まれついただけなのだ。中でも『ファベーラ』といったら有名なスラム街だ。そこで生き延びる為に彼らは何をしなければならなかったのか。

『ジャーヘッド』

実際に1990年に中東へと派兵されたアメリカ海兵隊員、アンソニー・スウォフォードの湾岸戦争体験記が原作となっている。だが、ベトナム戦争やナポレオン戦争などに比べると、ここで描かれているものはそこまで壮絶ではない。クウェート侵攻、湾岸戦争がどのようなものだったかということを知るためには必要な映画である。油田に火が付き、炎が空高く舞い上がっている。そういう光景は、非日常的である。彼らは一体この戦争で何を得たのだろうか。

『シューテム・アップ』

「シュワちゃん」名付け親で有名な映画評論家淀川長治は、「どの映画にも見所はある」が持論で、どんなB級映画でも決して悪口を言わない。俳優の児玉清は『土曜洋画劇場』の解説を務めたとき、四流映画の解説を正直に酷評したところ、監修の淀川から「解説者がひどい映画と言ってしまってはいけない。それは見る人に対しても失礼だし、作った人に対しても失礼だ。必ず褒めなさい。よいところが必ずどこかあるはずだから、必ず褒めて視聴者に勧めなさい』と言ったらしいが、私は解説者じゃないので正直に言わせてもらう。

これは見ても見なくてもどっちでもいい映画だ。何を訴求したいのか、どんな時間と映画体験を視聴者に与えたいのか、上映時間86分というところも含めてすべてが中途半端である。

凄腕のガンマンがいる。『だから何なんだ』ということを映画で表現しなければならないのに、ただのガンマンを観た印象。これなら、『シティハンター』のように、『本当は天才ガンマンだが、普段は全くそれとは無縁のすけべなおっさん』を観る方が楽しい。

彼がいつ銃を取るかとか、なぜ銃から距離を置いているのかとか、そういうドラマが面白いのであって、SFチックでもあり、リアルっぽくも描かれて、結局作り話なんだったらもっと振り切ったものを作らないと、作品の端に追いやられるのがおちだ。この作品が「映画館スタッフが選ぶ、2008年に最もスクリーンで輝いた映画」第98位に選ばれるのも無理はない。

淀川さんも、こと評論においては非常に舌鋒鋭く映画に踏み込んでいたようで、何度か対談したことがあるビートたけしによると、「こうすれば売れるだろう」といういい加減な計算の作品をすぐに見抜き、酷評していたと言う。きっと『日曜洋画劇場』ではこの作品において『あの女性の脚が何とも色気があっていいんですよねえ』などと、評価しただろう。

『ショウタイム』

エディ・マーフィ、ロバート・デ・ニーロが共演する豪華な刑事バディ映画。現在、もうこの刑事バディのシナリオは通用しなくなっているようだ。飽きられているのか、ここ10年以上映画館でそのようなシナリオのものを見ない。『バッドボーイズ』があるかどうかというレベルだ。かつて、リーサルウェポンやビバリーヒルズコップ、ポリスアカデミーなど警察ものの映画や、刑事コロンボとか、マイアミバイスとか、その手の作品は多々あった。

日本でもドラマで刑事貴族、あぶない刑事などいくつもあり、さんざんやり尽くしたのでやはり飽きられてしまったのかもしれない。この映画もその延長線上にある2002年の映画だ。破天荒な刑事が暴れ回って、異質コンビ同士で反発しあうも最後には窮地を共に乗り越え、戦友になり、ジョークを言って終わる、というセオリー通りの展開である。だが、俳優が豪華なので画が持つというわけだ。

『ショコラ』

中々面白い、Happyな映画だなあ。チョコレートで人を幸せにするんだな。‥途中までそういう感想が頭をよぎっていた。だが、最後のシーンで状況が一変した。これは、宗教の話である。ルネサンスの話であり、人が生きるべき道を教える啓蒙の話であり、とても興味深い映画だ。

『ジョンQ -最後の決断-』

最初にこの映画を知ったときは、まだ20歳やそこらか、その程度だった。その時の私の頭の中は欲望でいっぱいだったから、映画を観るとして刺激的なもの。何も考えなくていいものがメインだ。だからこの手の映画は自然と自分の身から遠ざけてしまっていた。だが、心底の声は言っていた。本当はこういう映画を観るべきだと。映画を真剣に観ることができるようになった今、再びこの映画と真剣に向き合うのだった。

この映画は『教訓』映画でもある。その理由はアメリカ人ならすぐに理解できることだろう。切実な悩みだからだ。だが日本人がこの映画を教訓映画と位置付けるためには勉強がいる。アメリカの医療事情についてである。実はアメリカでの自己破産の原因第一位は、医療費の未払いなのだ。国民皆保険が適用されない彼らは、すべての治療に保険を効かすことができない。だからこそこうした事態に発展してしまうことも、いささか非現実的とは言えないのである。

命を救いたいと思って医者になった者が、いつの間にかこの国のシステムに支配され、大儀を忘れてしまっていた。この映画に出てくる『本当の医者』とは、一体誰のことだと思うか。

『シリアナ』

中東の架空の国・シリアナを舞台に、中東諸国やアメリカ、中国などの石油利権をめぐる陰謀を描いた群像劇。実際にあったようなリアリティがあるが、事実、CIA工作員であったロバート・ベアの告発本『CIAは何をしていた?(原題:See No Evil)』を元に制作された。出演と製作総指揮を務めたジョージ・クルーニーがアカデミー助演男優賞、ゴールデングローブ賞助演男優賞を受賞しただけあって、確かに重くシリアスな内容ではあるが、妙に説得力のある社会派映画である。シリアスだから『シリアナ・シリアス』という語呂で覚えていた。

『シルク』

日本・カナダ・フランス・イタリア・イギリスのドラマ映画だから日本人にとっては異色の雰囲気を味わえる。キーラナイトレイと役所広司や中谷美紀が共演するが、実際の絡みはないので『バベル』のようなものだ。

動画配信サービスでの評価が低いのは、日本要素が入ることで審査が厳しくなることと、大御所との絡みが直接的にないということ、また全体を通して(一体何がしたかったんだ)という不明瞭な目的が関係しているだろう。

だが私は、この映画を『観るべき映画』としてジャンル分けした。私がそう書くくらいだから私も同じようにそう感じたのだが、最後、この映画のタイトルがなぜ『シルク』とつけられているかを理解するような、そういう瞬間があった。すると、その瞬間に全体のその一見して退屈的な雰囲気に意味が芽生え、

(なるほどこういうことか)

と私を納得させたのである。

『シングルマン』

監督のトム・フォードは世界的なファッションデザイナーとして知られている。彼は次の作品『ノクターナルアニマルズ』でヴェネツィア国際映画祭審査員大賞を受賞しているが、どの作品も中々癖のある作品だ。私は全容を知らないが、それはファッションデザイナーの彼の私生活と思想が関係しているのかもしれない。彼を浅く調べても同性愛者だとは出てこないが、例えば彼が関与するイヴサンローランの創立者であるイヴサンローランは、そうだった。

デザイナーやクリエイターには本当に性別不合である人が多く見受けられる。ダンサー、デザイナー、アーティストの世界で群を抜くためには、『非常識』さが一つのカギとなる。常識とは往々にして『多くの人に当てはまる概念』だから、マイノリティ側にいる彼らのような人は、その点で少しだけ有利なのかもしれない。

刺さる人には深く突き刺さる。そういう映画である。

『シンデレラマン』

大恐慌時代の1929~1935年に活躍したプロボクサー、ジェームス・J・ブラドックを描いた作品。正直に言って、私はあまり格闘技の映画は観ない。だからロッキーという名作ですら見るのに大分時間がかかった。その理由は、私が男だからである。結果私は、剣道とボクシングを経験した。もちろんロッキーも全部観たし、ランボーだってこのシンデレラマンだって観た。結果はもちろんそうだ。

だが、男というのはそう簡単な生き物ではない。私が向き合った世の8000の言葉の中で最も好きな言葉に、

『力に屈したら男に生まれた意味がねえだろう。俺は決して人生に悔いは残さない。』

というものがあるが、女性が『美』を常に求め続けるように、男にも常に求めるものがある。その魂から目を反らさず、常に愚直に磨き続ける人のことを、人は『硬派』だとか『男らしい』と言う。そう。感情移入しすぎるのだ。男として、煮えたぎる何かを抑えきれなくなる。それと同時に、老化によってその求めるべきものを求められなくなる決定的な現実に打ちひしがれ、悔しくなるのだ。

彼もまた、大恐慌という世界的な不況と怪我、そして年齢といういくつものハンデを負いながら、自分の人生と向き合う。男としてこの世界をどう生き、どう死ぬか。そんな健気で儚い、それでいて尊い一人のボクサー(戦う男)の物語である。

『しんぼる』

松本人志の独特の世界観を切り取ったような、興味深い映画だ。彼の映画は、それぞれで自分の持っている個性の一つずつを切り取ったようなイメージがあり、『R100』ではマゾヒズムを前面に出したわけだが、皆が結局はMであるというような訴えかけが空振りして大コケ。以来彼は映画を作っていないが、この時くらいまでは彼の可能性にみんなが注目した。当然、まだまだあきらめずに映画を作り続けてほしい。失敗を積み重ねて人は成長するのだ。

『幸せのちから』

クリス・ガードナーという実在する人物の半生を描いた作品である。その男の人生がどういうものかということは、映画を観れば分かる。映画になるような人生を生きたのだ。波乱に満ちていた。あえて俯瞰で観たい。するとやはりこの物語にも当てはまるのは、『強いられて発揮された潜在能力』である。実は、偉人とは往々にして強いられている。病気、貧困、戦争、迫害、こうした様々な『負荷』を負い、そしてそれをはねのける為に力強い生きるエネルギーを発揮させるのである。

それはもちろん結果論だ。道中、そんな理論を冷静に説かれたところで、もがき苦しむ人間がそれを受け止められるかは分からない。だが、だとしてもその理論が人を救うこともある。この映画の原題はアメリカ独立宣言における「幸福の追求(The pursuit of happiness)※実際はHappyness」に由来するもの。幸福を求めない人は、既に幸福な人生を生きているか、幸福の持つ価値を理解していない人だ。彼があのようにして必死に幸福を追い求めることができたのも、『幸福の元へ向かうべきだ』という確固たる何かが、衝き動かしたからだ。

幸せになっていいんだ。幸福を追求してもいいんだ。それくらいなら余裕がなくてもいつでも願える。そして結果的にそこに向かう強いエネルギーが気運を呼び込み、自分の人生にスポットライトを当てるのだ。

『幸せのレシピ』

料理系の映画は珍しいのでそれだけで貴重である。だがこれは2001年のドイツ映画『マーサの幸せレシピ』のリメイク作品だという。そう考えると、日本でも料理系のドラマはたくさんあるから、国内ではどこに国にもたくさんあるが、世界規格のドラマが揃っている料理系の作品は、そう多くないということだろうか。

たしかにこの映画も、『三ツ星シェフ』も、『二ツ星の料理人 』も料理もきちんと映し出されるが、それ以上にドラマが濃厚であるという共通点がある。『大統領の料理人』はフランス映画だが、“フランス最後の国父”と称されるフランソワ・ミッテラン大統領に仕えた、仏官邸史上唯一の女性料理人の実話を映画化しているだけあって、その設定自体が稀有である。

では今回はどうか。やはり複雑な人間ドラマが繰り広げられる。いくらシェフとしては凄腕の技術を持っていても、その料理が家庭に持ち込まれ、相手が悩みを抱えた子供となれば、その魔法も通用しない。そこにいるのは、単なる無力な大人の女性と、悩める少女である。

しかしアーロン・エッカートはこの手の役がはまらない。『ダークナイト』のような憎しみにじみ出るこじらせ役や、恋愛が成就しない失敗役といったところが似合っていて、あるいは『ベティ・サイズモア』での彼のような、少しイってる非常識男が似合う。

だから、『ザ・コア』ではそんな彼の印象をよく理解されている展開が繰り広げられるから、最後にちゃんと安心できた。あの映画での彼の描き方が正解のように見える。彼ががっつり主役になると、要はロマンスもがっつり展開される可能性があるわけだが、その辺りの彼の使い方がうまいのだ。だからあの作品は隠れた名作と言っていいだろう。

『死ぬまでにしたい10のこと』

この手のテーマはよく見かけるはずだが、実は別に10個も20個もあるわけではない。一番有名なのがモーガン・フリーマンとジャック・ニコルソンの『最高の人生の見つけ方』だ。そのことをまず頭に浮かべる必要がある。そしてすぐに理解するべきなのは、この女性が23歳だということだ。だからヤフー映画でレビューを低くつけた人は、自分に『想像力』がどれだけあるか自問するべきである。すべて経験し終わった高齢者の話ではないのだ。

『女帝[エンペラー]』

シェークスピアの『ハムレット』を中国の五代十国時代(907年)のある王朝(後晋末期とされる)に置き換えて、脚色したもの。ハムレットでは脇役とされる王妃ガートルードが主役で、その役をチャン・ツィイーが演じる。女性の場合はエンペラーではなく、エンプレスだがあえてそうしたようだ。

中国の五代十国時代を描いた有名な映画はそうないので、私はその意味と、シェイクスピアリメイクという世界的な作品に並ぶから鑑賞した。チャン・ツィイーも好き。本家『ハムレット』は見たので、内容に驚きはありまへん。

『小説家を見つけたら』

この映画の監督は『グッドウィルハンティング』と同じ監督であり、展開が似ている。一方がハマらなくても、もう一方がハマる場合もあるから、ぜひ併せて観たいところだ。私は好きな映画である。その映画同様に哀愁があり教訓性があり、心温まる。『良い映画』として人に勧めることができる、素敵な映画だ。

『真珠の耳飾りの少女』

一度は見たことがあるかもしれない、フェルメールの『真珠の耳飾りの少女』の絵。『青いターバンの少女』、『ターバンを巻いた少女』とも言われる、印象的な女性の絵である。美術館でわざわざ絵を見るような人じゃなくても、なぜか脳裏に焼き付く。一体あの絵にどんな力があるというのだろうか。もしかしたらこんなストーリーがあったのだ。これを観た後は、きっとこの絵を見るたびにスカーレット・ヨハンソンと、あの耳飾りにまつわる物語を、思い出すだろう。

『白いカラス』

カラスは黒い。だが、白いカラスも存在する。アルビノのカラスだ。だが普通は黒だ。そして黒という色は欧米では往々にして『いわく』がついている。ことの発端は奴隷ビジネスだ。1500年頃にコロンブスを筆頭としたスペイン・ポルトガル人が大航海時代を切り開き、世界各地は彼らによって『発見』された。コロンビアはコロンブスからつけられた名前であり、アメリカ大陸にいた先住民はコロンブスがそこを『インド』だと勘違いしたことから『インディオ(インディアン)』と名付けられた。

世界各地は彼らの支配下となり、植民地化された場所では先住民や奴隷たちが彼らの駒として利用された。そこにはアフリカにいた黒人たちもいた。そして世界に黒人たちが住みついた。

  1. ペニンスラール(宗主国生まれの白人)
  2. クリオーニョ(植民地生まれの白人)
  3. メスティーソ(白人とインディアン、インディオとの混血)
  4. ムラート(黒人と白人との混血)
  5. サンボ(黒人とインディアン、インディオとの混血)
  6. インディオ(先住民)
  7. 黒人(アフリカから連れ去れらた奴隷)

中南米は、これらの人種が入り乱れ、混血が進んでいた。しかし、やはり奴隷の血は軽く扱われ、白人が一番尊重された。この上記のとおりのピラミッドとなったのだ。かくして、この世界において例えば白人至上主義の思想が植えつくようになり、それは同時に黒人差別の思想が根付いたことを意味した。

では、本題に戻ろう。『白いカラス』とは一体何のことだろうか。

『スウィート・ノベンバー』

(いい映画じゃないか)

そう頭をよぎったのが本当だから、実は多少の違和感を感じながらもこの映画を『名作』としてジャンル分けしていた。だが、今調べてみると私が感じていたそのわずかな違和感の詳細が、明らかになった。実はこれは、1968年のアメリカ映画『今宵かぎりの恋』をリメイクした作品である。やはり、リメイクしたくらいだから元々のシナリオ自体が卓越していたのだ。

だが、今回の映画ではその年のゴールデンラズベリー賞の、「最低リメイク及び続編賞」「最低男優賞(キアヌ・リーブス)」「最低女優賞(シャーリーズ・セロン)」にノミネートされた。

「感傷的な駄作で作為的な『スウィート・ノベンバー』の欠点は、非現実的なプロットと主演2人の相性の悪さである。」

そう酷評されていたのである。

確かに、この二人の共演の違和感はあった。だが、それは『いろいろやってみる時期』でただ共演しただけであって、特にそこに問題はないと考えていたが、確かに今振り返って考えてみると、サンドラ・ブロックとならまだしも、この二人がラブロマンスを演じる映画は他にはない。専門家から見て、『今宵かぎりの恋』とどうしても比べてしまった時に感じる妙な違和感が、私にもわずかに伝わっていたのだろう。

だが、だとしたらケイトウィンスレットとジムキャリーの『エターナル・サンシャイン』にだって感じるし、探せばいくつもそういう映画はありそうである。ということで、そういうことをなしに考えたら、この映画は原作を知らない場合に限るかもしれないが、素晴らしい作品だった。その通り、シナリオがとても良いのだ。

『スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師』

人が簡単に死ぬ。そしてその死んだ人間が、○○になる。これがもし、ミュージカル仕立てでなく、音楽もなく、映画でもなく、過剰な演出もしていなかったと考えたとき、そしてそれは『あり得る』と思った時、一瞬、胸糞が悪くなった。人間の心が歪めば、『あり得る』話である。

『ズーランダー』

ベンステイラーの映画は多くの有名人が出演する特徴があるので、その豪華ぶりを楽しむだけでも一つの見応えとなる。今回の場合は続編の『ズーランダーNo.2』と併せて、

  • オーウェンウィルソン
  • ミラジョボビッチ
  • ジョンヴォイト
  • キーファーサザーランド
  • ペネロペクルス
  • デヴィッド・ボウイ
  • ジャスティンビーバー
  • ベネディクト・カンバーバッチ

またファッション界からは

  • アナ・ウィンター
  • ヴァレンティノ・ガラヴァーニ
  • マーク・ジェイコブス
  • トミー・ヒルフィガー
  • アレキサンダー・ワン

などのデザイナーがカメオ出演している。続編は15年経っての公開だった。

『スキャナー・ダークリー』

かなり目を引く映像だから、多くの人が見る前から期待を膨らませるだろう。この映像は、専用に開発されたソフトウェアにより効率化されていたものの、基本的に手作業であり、完成には30人のアニメーターが15か月をかけて作ったというから、ほとんどアニメ映画のようなものである。

だが、実際に俳優が演じた実写映像をトレースするわけだから、演技もしているという、かなり手が込んだ作品である。麻薬の乱用がテーマの映画で、キアヌリーブス演じる潜入捜査官が、その麻薬に乗っ取られて理性や現実を見失う様子を描きたかったのだろう。確かに、終始不思議な作品である。

『スコア』
  1. ロバート・デ・ニーロ
  2. エドワード・ノートン
  3. マーロン・ブランド

という豪華な共演。ゴッドファーザー共演であるマーロンブランドとの絡みはわずか程度だが、過去作品が偉大だからこの映画にも奥行きがあるように見えるのが不思議である。

エドワード・ノートンは

「脚本は好きではなかったが、ロバート・デ・ニーロとマーロン・ブランドと自分がポスターに写っていることを想像したら出演したくなった」

と言って出演を決定したという。デ・ニーロとマーロン・ブランドの間の会話のほとんどは即興である。マーロン・ブランドの遺作ともなっていて、色々と貴重な裏話がある映画だ。

エドワードノートンはそう言うが、しかし私はその『内容』に緊張感があって中々面白かった。デニーロという男は完璧に仕事をこなす役目も似合っているが、(もしかしたらこの男がへまをするかもしれない)という危なっかしさも同時に持っていて、最後まで演技が見飽きないという特徴を持っている。

またそれで言うとエドワードノートンもそうだ。彼は『どっちに転ぶか分からない男』を演じさせたらピカイチで、『ファイトクラブ』でも『ハルク』でもそうだが、今回も癖のある男を演じて場をこじらせ、話を盛り上げている。ちなみに『スコア』というのは『ヤマ』という意味だ。『危険なヤマ』等。

『スターリングラード』

スターリングラード(現ヴォルゴグラード)は、ドイツとソ連の境界線のようなものだ。厳密には違うが、そこを境界線として、戦争があるとそこで争うのである。第二次世界大戦で活躍したソ連の狙撃兵、ヴァシリ・ザイツェフは、実在する人物だ。だが、ドイツにも名狙撃手がいた。数少ない名スナイパー同士の戦いという観点で見る、戦争映画である。だが、注目ポイントはそこだけではない。キーワードは『スパイ』だ。この映画の階層を深くしているのは、あのスパイの子供だった。

私はこの映画の話をした時『あのラブシーンが超良くて♥』というコメントをされたことがあるが、私はその人とは価値観が合わないようだ。あの子供のインパクトが衝撃的過ぎて、そんなシーンの印象など焼き付いてはいなかった。

『スタンドアップ』

1988年に行なわれた世界初のセクシャルハラスメント訴訟が基になっている、実話ベースの話である。セクハラというのは、無知な人間が生み出すズレである。男女の脳の形は同じだが、使い方が違っていて、それぞれに与えられた特性も性質も違う。同じ人間でひとくくりにしたいのはわかるが、別物だと考えなければならない。それでこの問題は解決する。差別はだめだ。だが、『区別』ならいい。むしろ、区別した方がいい。

『スナッチ』

15年ぶりに観たのでほとんど初見だったが、ブラピだけじゃなくジェイソンステイサムに、ベニチオ・デル・トロも出ていて、中々豪華な作品だったようだ。更に一番印象的だったのが、きっと大勢の人が見逃すであろう冒頭のシーンだ。私も実際に見逃していた人間の一人だ。『RAS(ラス)』である。『RAS(網様体賦活系)』とは、脳内にあるフィルターの事である。難しくもなんともない。必要な情報とそうでないものを見分け、不要な情報を遮断するフィルターがあるというだけの話だ。

例えば人がテレビを買いたいと本気で思っている時期、テレビやネットのCMがよく目につくようになる。その情報を本当に欲しいと願っているからだ。だがそうではない時期、我々はその情報をRASによってスルーし、違う情報に目を配らせるようになる。このRASのおかげで我々はこの世界に膨大に広がる情報を精査し、それらに支配されないように自らを守っているのである。

そのRASの影響でもある。だがここでさらっと行われる『聖書翻訳ミス』についての会話は、私にとっては中々興味深い話だ。9.11を経て、宗教についての疑問を爆発させた、『利己的な遺伝子』で有名なリチャード・ドーキンスの著書『神は妄想である』にはこうある。

『イブン・ワラクは、一人のイスラム教殉職者につき72人の処女を与えるという有名な約束において、『処女』は『水晶のように透明な白い干しぶどう』が誤訳されたものであると、愉快そうに主張している。 いまや、このことがもっとひろく知られてさえいれば、自爆テロの犠牲者となったどれだけ多くの罪なき犠牲者を救うことができていたことだろうか?』

実はある時代のある地域の人々は、命の源でもある水とは縁が希薄だった。まず見るべきなのはこの画像である。山梨県笛吹川フルーツ公園に行ったときに見たものだ。私はこれを見たとき、兼ねてから気になっていたある歴史的事実のことを思い出した。点と点が結び付き、線になったのだ。

アブラハムの宗教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)は『砂漠の宗教』と呼ばれていた。砂漠が当たり前の環境だった当時の彼らにとって、『ぶどう』は水に匹敵するほど貴重な存在だった。もしこれが本当に『翻訳ミス』ならば大変なことである。更に、『処女』と『翻訳ミス』についてあまりにも重大な話がもう一つある。『神は妄想である』にはこうある。

A・N・ウィルソンはそのイエス伝において、ヨセフがそもそも大工であったという定説に疑問を投げかけている。ギリシャ語の『tekton』は実際に大工を意味するが、これはアラム語の『naggar』という単語を翻訳したもので、こちらは職人や学者を意味することがあった。これは聖書を悩ませるいくつかの構造的誤訳のうちの一つである。 もっとも有名な誤訳は、イザヤ書が、乙女をさすヘブライ語『almah』を、処女を意味するギリシャ語『parthenos』に変えてしまったことである。簡単におかしてしまうまちがいだがこの一人の翻訳者の誤りが大きく膨らんで、イエスの母親が処女だったというまるっきり馬鹿げた伝説を生むことになるのだ!

‥つまり、

  1. ムスリムの自爆
  2. 処女から生まれたイエス

これは『翻訳ミス』から生まれた可能性が高いのである。 こういうことは『あり得る』。あり得るかあり得ないかで言えばあり得るのだ。 イギリスの哲学者、ラッセルは言った。

『世界の災いの一つは、何か特定のことを独断的に信ずる習慣である。理性的な人間なら、自分が絶対に正しいなどとむやみに信じたりはしないだろう。私たちは常に、自分の意見にある程度の疑いをまじえなければいけない。』

この事実がまさかスナッチの冒頭で触れているとは想像していなかった。9割がキリスト教徒であるアメリカでは珍しい話だ。

『スパイゲーム』

ブラッド・ピットとロバート・レッドフォードの新旧、二枚目スターの共演で話題になったというが、その話はもっと広げることができる。例えば私は兼ねてから彼らが似ていると考えていた。若き頃のロバートレッドフォードはブラッドピットに似ているのだ。骨格や背丈などが特にそう感じさせるのだろう。また、ブラッドピットはロバート・レッドフォードを尊敬しておりインタビューにて「師匠であり、もう一人の父親のような存在」と語っている。色々な意味で、彼らの関係性は近いのだ。

この映画は、実際にあった内戦中のレバノンにあったアメリカ合衆国の大使館が爆破された爆弾テロ事件である1983年のアメリカ大使館爆破事件が軸になっている。この事件が実際にあったので色々とリアリティの高い映画となっているが、その他のシナリオがどこまで本当かが分からずフィクションが混じっているので、『そのせい』で物語に上手に入っていくことができない。

それが『実話』と『フィクション』の決定的な違いである。緊張感と没入感が全然違うのが事実だ。では、フィクションを取り入れるならどのような展開にすれば映画が面白くなるのか。こと、実話を織り交ぜて展開させる場合は、様々な工夫が必要になる。

『アルゴ』も『15時17分、パリ行き』も実話で、緊張感と臨場感がまるで違った。今回のケースも二人の豪華共演というだけで喜ぶ人がいるのはいいが、それ以外の人も喜ばせて『名作』の域にまで達するとなると、人の死に方や、命の使い方など、普遍的な訴求力がなければ一線を画すことはできない。だが、案外いい線まで描く。そういう映画である。中々いい映画だった。

『スペース カウボーイ』

1958年の『マーキュリー計画』でチンパンジーが選ばれたというが、一番最初の宇宙飛行士は1947年のハエ。そして49年にアカゲザルで、51年に野良犬、59年にうさぎ、61年にハムという名のチンパンジーが宇宙に飛び立っている。では、彼らのような高齢者の場合どうか。

『スポットライト 世紀のスクープ』

一体教会で、何が行われたのか。敬虔なカトリックの牧師は一体、子供に何をしたのか。神の名を口にし、権威ある人間として尊敬される身分にある者が、許されないことをしていた。それを解き明かすのは誰だ。誰がその隠蔽された真実を明らかにするのだ。使命感に燃えた新聞記者たちが、立ち上がった。

『スラムドッグ$ミリオネア』

インドも中国も、10億人という圧倒的な規模の人口を占める大国である。しかし、そうなると格差も激しい。ましてや、インドの様に『カースト制度(身分差別)』が蔓延し、それが基礎となった国で生きていくのは容易ではない。そんなとき、一人の少年に千載一遇のチャンスが舞い込んできた。そこにあるのは奇跡か、それとも。

『砂と霧の家』

二方向の人物が登場する。両社とも、『家』を巡って対立する。一人にとっては当然、親が遺して自分が暮らしたこの家を守りたい。だが、お金を払って勝ったのはもう一方だ。イランからはるばるやってきて、生きる為に命がけの人生を送っている。アメリカとイランの関係は悪い。イラン革命とは、アメリカが脱イスラム化をさせようとしたエリアで起きたイラン(ペルシャ)人の革命。それでイランは、『イラン・イスラム共和国(1979年~)(通称イラン、あるいはペルシャ)』となった。アメリカの参入と、イスラム勢力の弾圧を力づくで行ったことにより、彼らの心底に眠っていたイスラム魂に火が付き、この革命は起こった。

両者は家を通してそういう規模での確執を抱えていたかもしれない。少なくともイラン人の方は頑なだった。これは、『チェンジングレーン』という映画と併せて観ることで、とてつもない教訓映画へと昇華する。この根幹にあるテーマはこの世で最も重要なものかもしれない。

『セックス・アンド・ザ・シティ』

馬鹿で痛快と言えばこれ。多くの女性が、まるでバイブルのようにこの映画を支持し、マカロンとこの映画さえ確保していれば最前線にいるという感覚を与え、社会的現象となった。

『セラフィム・フォールズ』

リーアム・ニーソンとピアース・ブロスナンの名優二人の共演が見れるというだけで満足、という人はこれで十分だろう。だが、興行的に大赤字という事実を見ても分かるように、『何かが足りない』という気配を常に覚えることになる。

ただ、最後のシーンは中々哀愁があった。その結末をクライマックスと考えるとかなり『渋い』作品だから、万人受けとはならないのだろう。興味がなく、ポップコーンを片手に食べるような主体性の人からすれば、『旬が過ぎたおっさんの渋い話を見せられている』という形になってしまうだろう。映画好きとファンが喜ぶ作品である。

『セル』

天下のスティーブンキング作品は、たまに見る価値のない映画があるが、今回がそうだ。ジョン・キューザックとサミュエル・L・ジャクソンが、『1408号室』以来タッグを組んでのキング作品だが、その作品とはまったく次元が違う。それくらい、無意味な映画である。

彼はホラーやSFが大好きだからその要素があるのはいいが、彼が本当に得意なのは人間心理の描写だ。その映画でも、『シークレットウィンドウ』でも『グリーンマイル』でも、『ペットセメタリー』でも『キャリー』でもそうだ。今回の映画にはその要素がない。批評家たちから「作りが甘く、サスペンスに欠ける」といった否定的な評価を受けたというが、その通りである。

『正義のゆくえ I.C.E.特別捜査官』

ハリソンフォードという名優に、レイリオッタが相変わらずの悪役ぶりで、雰囲気はいい。だが、興行的に大赤字ということで見てもわかるように、世界にはわかりづらい内容かもしれない。

レイリオッタが女性に『私はグリーンカードを出す仕事をしている』とかそういうことを言うのだが、グリーンカードとは、アメリカ合衆国における外国人永住権、およびその証明書の通称のことだ。

ハリソンフォードも移民税関捜査局『I.C.E』の人間で、全体的に移民とか不法移民についての話だが、確かにメキシコ、テキサスの国境付近で暮らす人にはまさにど真ん中の話だが、日本人はあまりなじみがないテーマなので、共感しづらいかもしれない。そしてそれは日本だけじゃなく世界でも同じことだ。

だが、リオッタがグリーンカードをちらつかせて悪行を働いたように、日本でも外国人に『入管』というキーワードをちらつかせ、怯えさせて言うことを聞かせる人を私は見たことがある。世界には確かに、この問題が切実な人々がいるのだ。

『戦場からの脱出』

ベトナム戦争下で捕虜となった米軍パイロット、ディーター・デングラーの実話を基にした作品。やはり、実話だから圧倒的な見応えがある。製作費よりも売り上げが少ない映画だが、そんなことは私には関係ない。圧倒的な見応えがあった。

ストイック俳優であるクリスチャン・ベールが主演なのもよかった。『大脱走』でも『戦場にかける橋』でもそうだが、脱走を企てるような人間は、一般社会で言うところの『成功者』に近い行動をする。

ルソーは言った。

『慣習とは反対の道を行け。そうすれば常に物事はうまくいく。』

セブン&アイ・ホールディングス代表取締役会長兼CEOの、鈴木敏文ならこうだ。

『人間は自分が思いつかないことには反対します。一方、私は人が思いつかないことには、それだけ価値があると考える。実行すれば、差別化が生まれ、結果として成功に至ります。』

だから、こういった真実の物語には、教訓がたくさん詰まっているのだ。

エピクテトスは言った。

『逆境は、人の真価を証明する、絶好の機会だ。』

『戦場のおくりびと』

2009年のテレビ映画だからwikipediaにも説明ページがないが、ケヴィンベーコンはこの作品でゴールデングローブ賞ミニシリーズ・テレビ映画部門の主演男優賞を受賞した。

戦争映画は様々な角度から描かれることがあるが、それでいい。戦争は、必ずしも銃を撃ち合って殺し合う歩兵たちの前線だけで行われているのではない。海上でも、空中でも行われているし、物資を運ぶのも命懸けだから、『そこには運べない!』『なんとか運んでくれ!』と命がけで怒号をまき散らし、叫ぶシーンもある。

『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』のように暗号を解読し、敵の次の手を読んで前始末をする部隊もある。『パシフィック・ウォー』のように広島、長崎に投下されることになる原子爆弾に使用される部品及び核物質をテニアン島へ運搬する任務に従事する人を描く映画もある。

そして例えば今回のように、戦争で死んだ人の遺体を、きっちりと戻るべき場所に戻す人もいる。そのすべてが戦争であり、戦争関連の話は漏れなく、哀しい現実である。それを世界中の人が全員理解するために、様々な角度から戦争の悲哀を訴えるのは、意義があることである。

『戦場のピアニスト』

映画を楽しむためには、知識と情熱、そして『覚悟』も必要である。この映画が放映されて話題になった2002年、私はそのすべての要素を持ち合わせていなかった。しかし、あれから18年。私は多くを経験し、歴史も一から学び直した。ここで描かれる話がどんなことであれ、すべてを受け入れる覚悟が備わったのだ。

戦場で、一人の男がピアノを弾いている。だが、音色が聴こえない。一体どういうことなのか。いや違う。『弾いてはいない』。そう。弾くとまずいのだ。その音で存在がばれれば、まるでゴミでも扱うように、命を踏みにじられる。これは、ユダヤ系ポーランド人のピアニスト、ウワディスワフ・シュピルマンの体験記を脚色して映像化した映画だ。ユダヤ人がヒトラー率いるナチスにどんな扱いをされたか。我々は『シンドラーのリスト』に匹敵する衝撃的な映像を目撃する。

そしてこのピアニストが弾くピアノは、無情な戦場で、誰に、どんな影響を与えるだろうか。

『戦場のレクイエム』

国共内戦中3大戦役の1つとされる淮海戦役(わいかいせんえきは、国共内戦中の1948年11月6日から1949年1月10日にかけて発生した中華民国国軍と中国共産党の中国人民解放軍による戦闘)を背景に、中国も参戦した朝鮮戦争のエピソードを織り交ぜながら、激戦で全滅した部下の名誉回復に奔走する1人の兵士の苦闘を描いた戦争悲劇。

毛沢東と蒋介石が衝突する真っ最中の中国、そしてあまりスポットライトが当たらないが中国人も確かに参加した朝鮮戦争。かなりシリアスで重い映画だが、戦争とはそういうものだ。命は軽くはない。重いのだ。そう簡単に忘れていいものではないのだ。

『選挙の勝ち方教えます』

2005年のアメリカ合衆国のドキュメンタリー映画『Our Brand Is Crisis』を原作にしているので、ある程度実話が関係しているわけである。

私は政治には一切興味がなく、しかし歴史には興味がある。だが、『歴史マニア』でも何でもないから、無名の大名だか武将だかといったことの話は一切興味がなく、しかし歴史上に出てくる偉人達には俄然興味があり、何なら4年間という時間を使って私は500人の偉人たちの言葉と対話し、内省をする時間を設けたくらいである。

そんな私から見てこの映画は、中々面白い。面白いが『ブレグジット』 と一緒でIntelligenceを前面に出し過ぎると大衆受けしない。それは”重要”だが、人間が”必要”とするのはInformationだ。

だから『レッドクリフ』みたいに壮大な世界観の中で周瑜や諸葛亮孔明が華麗に魅せる舞踏のワンシーンのように描くか、『エンドゲーム』でストレンジとスタークがアイコンタクトで魅せたようにフィーチャーするにしてもその魅せ方を万人が理解できるようにしないとウケない。

実際にその人たちは『理解』はできない。でも雰囲気でなんとなく(すげー)ってなるのが万人受け。選挙や政治ってだけで距離ができてしまうわけだ。だが見事にこの二つでは『孫氏の兵法』を口にするし、服装や戦う場所、時代が違うだけで軍師たちが頭脳戦していた時代と何ら変わらない最高のバトルが繰り広げられる。

プロットに目を向けて映画を観れる人だけが楽しめる映画だ。

『ソウ』

私はホラー映画を、単なるホラー映画だという風に観ないことにしている。『実際にあり得るかも』という見方をするのだ。すると、この映画のリアリティは増し、更に恐ろしさが身に染みて来るようになる。

『それでも恋するバルセロナ』

ウディ・アレンの映画だ。違う映画の感想でも描いたように、ウディ・アレンの映画というのはやはり好き嫌いが分かれる。基本的に、あまり日本人の性質とは合わないかもしれない。往々にして彼の映画では性的な要素をユニークに描くが、海外ではそういうことがジョークで住んでも、奥ゆかしい性質を持つ日本人からすると『破廉恥』であり、美しくはない。

この映画でもまた性に関して乱れている。そういう人間関係を観たい人は面白いだろう。日本でも昼ドラなどはドロドロとしていて、それが主婦層に人気があったりするわけだ。私のように映画を現実と同じように考える人間と違って完全に切り分けて考えている人もいるわけだから、ウディ・アレンの映画が好きな人もいるに違いない。

『そんな彼なら捨てちゃえば?』

洋画にはこの手の映画が多いのだが、意外とこういうシリアスではない映画、つまりコメディや日常生活系の映画の売り上げが大きいのだ。普通に200億円以上売り上げたりする。

『アナライズ・ミー』(1999年)
『ミート・ザ・ペアレンツ』(2000年)

前者は200億円で、後者はコメディ映画では世界で最高の興行収入額を記録した。350億円ほどだろうか。例えば日本映画の興行収入のランキングを見てみよう。

  1. 劇場版「鬼滅の刃」無限列車編 404.3
  2. 千と千尋の神隠し 316.8
  3. タイタニック 262.0
  4. アナと雪の女王 255.0
  5. 君の名は。 250.3
  6. ハリー・ポッターと賢者の石 203.0
  7. もののけ姫 201.8
  8. ハウルの動く城 196.0

200億円というのはジブリ映画や海外の超ビッグ映画級の規模だ。『ミート・ザ・ペアレンツ』のような映画が日本で千と千尋を超えることは、まずありえない。これはお国柄ということになるだろう。

映画館では静かに映画を観るのが日本人だが、感情を押し殺す美学や礼儀をほとんど持ち合わせていないのがアメリカ人だ。逆に、『なぜ笑わせてくれる(ジョークを言った)場面で、笑いをこらえて黙り込む必要があるんだい?笑うのが礼儀さ!』ということなのである。

ということで、このようなカジュアルな映画をよく見ることになる。これらの映画はアメリカではジブリ作品に並ぶほどの大ヒット作なのだ。性のことも下品な言葉づかいも堂々と出てくる。だが、それはとてもカジュアルで、つまり日常的だから共感性が高く、多くのアメリカ人に受ける。では、日本人の私はどうかというと、正直、上のランキングを見て誇りに思うくらいだ。どれも『純粋』が根底にある映画ばかり。下品な要素がある作品が一つもない。

アメリカ批判などすることはないが、私にはこの日本人の感性が合っている。アメリカで生まれ育ったら違っただろう。それだけのことだ。

『早熟のアイオワ』

監督・脚本を行った俳優のロリ・ペティが、自身の少女期の実話を基に描いた作品。ロリペティというのは、『プリティリーグ』でマドンナと見間違えるほど美形で男勝りな様子を醸し出している。終始、どっちがマドンナだか分からなかったほどだ。

これが実話と知っていればもっと楽しめただろう。私はむしろ、まだ幼いクロエグレースモレッツなどがこのような映画に出演していることが気になって仕方なかった。(なんでこんなことするんだ)と。変態を喜ばせるだけじゃないのかと。

まあ人間というものはそうして建前は立派だが、根底のところでは動物と同じである。だからそんな私も自分の好みのグラビアアイドルなどを雑誌の表紙で見れば立ち止まってしまう愚かな生き物の一人だ。

事実、週刊誌は表紙の女優次第で売り上げが変わるという。だが、あまりにもそれは汚らわしい。人間は汚らわしいものは嫌いだ。害虫や排泄物などを好んで見たい人などごくごく稀であり、99%以上の人はそういうことに蓋をするものである。

だが、この事実は蓋をしてはいけないだろう。これが実話なら同じ人間としてきちんと直視し、最低でも人生を真剣に内省しなければならない。一番いけないのは無関心に見て、他人行儀に対岸の火事として冷めた目で見ることだ。わずか90分の映画だが、衝撃的な内容なので忘れることはない。ましてや、これが実話というのだから更に衝撃だ。

『孫文の義士団』

1901年の香港。日清戦争直後の中華エリアは、混乱していた。革命派と清朝廷の対立が激化、清はまだ続けたい。だが、清の皇帝を『ラストエンペラー』にするべきだとするのが、孫文率いる革命はだ。1906年、その孫文が香港入りし、同志たちと会合する事が決定。この情報をつかんだ清朝は大規模な暗殺団を香港に派遣した。だが当然、革命はにも戦闘員がいる。だが混乱の時だ。必ずしも全員が訓練された者たちではない。果たして、孫文を守る彼ら義士団は、無事に孫文を守り切ることができるか。

これは、あたかも実話かのように展開されるが、調べても実話というテキストは見つからない。

た行

『ターミナル』

観終わって調べた後に、スピルバーグの文字が。やはり、名監督の映画は名作が多いという結論に至るのである。とある空港に降り立ち、そこからアメリカに入国しようとする一人の人物がいた。男は、ロシア方向かどこかの国をイメージした『クラウコジア人』という設定で、とにかくその小さな国が問題を起こして、政府が消滅。つまり男は一時的に、『身元不明』の人物となってしまった。入国許可が下りない男は、空港から一歩も出られない不思議な状況に陥る。

言語が違うことにより、様々な誤解が生まれてトラブルが続出するが、持ち前の人の好さにより、気持ちが伝わってそれ以上に問題を解決することが多く、自然と空港の人々の人気者となっていく。そして、いつの間にか彼はこの空港に欠かせない人物となっていった。

『タイムリミット』

デンゼル・ワシントンの演技力と存在感だけで、この映画に重厚な異彩が放たれている。例えば『悪魔を憐れむ歌』ではオカルト的な話、『ラストゲーム』では単なるバスケットボールが上手い受刑者の役で登場時間はそう長くないのだが、普通、このような映画に出てしまうと『そのチープな要素』に足を引っ張られ、俳優ごと映画に足を引っ張られ、チープに見えてしまうものだ。

だが、彼の場合、例えば今回も不倫をするような無責任でだらしなさが否めないような男を演じるのだが、その設定を忘れてしまうほどの演技力で作品を盛り上げている。100分程度の、一歩間違えれば低俗になりそうなこのシナリオでも、彼のおかげによって見事にエンタメ映画に仕立て上げられている。

よく、同じ俳優が出ていても『あの映画はいいが、この映画の彼はだめだ』などという評価を安易にする人がいる。確かにそう思ったことは事実なのだろう。私もディカプリオの映画『レボリューショナリーロード』は、ケイトウィンスレットとの久しぶりの共演なのに、『タイタニック』と比べて全く生き生きしていないと、批判するに至った。

だが、今回のようなちゃんとデンゼルが自分の役をこなしているときは、それをしっかりと評価したいものだ。

『ダウト』

リメイクされているだけあってシナリオ自体は面白い。マイケルダグラスという圧倒的なスパイスも存在しているので、意味ありげな作品に仕上がっている。評論家たちが酷評しているように、観る人が見れば色々と見破ってしまうが、全くの映画素人であれば、中々驚かされる映画になっているだろう。この手のシナリオは好きなので、悪い印象はない。

『タキシード』

ジャッキー・チェンがまだ脂が乗っている時期の映画は、どうやっても面白い映画になる。香港では彼のハリウッド映画はすべて不調だというが、それはエゴが捨てられないからだ。宗教もその一つだが、それは『個性』とも『国民性』とも何とでも言えるが、例えば中東の女性がヒジャーブ(スカーフ)を顔に巻いて顔を出さないことに対し、中東の人間は当たり前でだと思うが、それ以外の人はそうは思わない。

だが、彼らには彼らなりの宗教哲学や神への敬意など、独自の考え方があるのだ。『セックス・アンド・ザ・シティ』でそれをいじると、反発する。また、モーセを描いた『エクソダス:神と王』にはユダヤ人がクレームを入れる。

こうした各地に散らばる『エゴ』に己を支配された人々は、この世界を俯瞰的、かつ包括的に見ることができず、自己中心的である。よって、対立の因子となるし、人間全員が共通で持たなければならない『世界平和』から遠ざかることになる。

この映画を観て、面白くないわけがない。それがまず一つの事実である。だが同時に、確かに日本人が妙に海外で『違う人間』になりきって、必死に合わせにいく姿を見たとき、あるいは変な日本語を使ってその場に対応しようとしているのを観た時、違和感を覚えるのは確かだ。

そういうことを総合的に考えたとき、『ブラック・レイン』の高倉健と松田優作は、日本人が誇れる出演の仕方をした。もしかしたら香港人からすればジャッキーチェンは、高倉健にはなりきれていない、お調子者に見えているのかもしれない。

だが、本来彼の良さとは、そのお調子者にあったのではないだろうか。『酔拳2』の時の彼の真似を、一体この世の誰ができるだろうか。唯一無二の役者、ジャッキーチェンが世界の宝であることは変わらない。

『タナー・ホール 胸騒ぎの誘惑』

2009年の映画で、wikipediaにも詳細がないマイナー映画だが、ルーニーマーラや、『キャプテンマーベル』のブリーラーソンらが出演する、貴重な映画。90分と内容も短いから、若い俳優のテスト映画のような感じか。だが、それにしては中々その年だが十分楽しめそうな青春映画だから、B級扱いはできない。

『ダニー・ザ・ドッグ』

モーガンフリーマンは世界の色々な映画に出ている印象だ。といっても物理的に限界があるが、フランス人監督でジェットリーが主演のこういう映画や、宇多田ヒカルの元夫の紀里谷和明が監督した映画にも出ている。私は好きだったのだが、世界的にはB級扱いで、つまりそういう気配のする映画にもしっかり参加して、作品の底上げをしてくれている印象だ。この映画も彼の精神的大黒柱と、ジェットリーの格闘術があって成り立つ映画である。

『ダンサー・イン・ザ・ダーク』

こんな終わりがあっていいのか。これを観た人の心に残るのは感動か、それとも憤りか。

『チェ』

チェ 28歳の革命』と『チェ 39歳 別れの手紙』。革命的なド派手な演出を求めると失望することになる。チェ・ゲバラ、キューバ革命という印象とのギャップを感じる映画だ。これは、エンターテインメントが上手なアメリカ映画ではないからかと推測したが、アメリカ、フランス、スペインの合作映画だった。ナレーションのないドキュメンタリー映画のような退屈さを感じることになるだろう。

だが、それはあえてやっているのだろう。ゲバラがやったゲリラ活動というのは実際にはとても地味であり、戦車や戦闘機でガンガン戦争をするというわけではない。カストロの裏で確実にキューバ革命を支えた革命のカリスマ、ゲバラが願った共産主義の世界は、その大元のマルクスとエンゲルスが純粋に希望した、平等な世界だった。

『チェイシング/追跡』

この映画がヤフー映画で『★2』という体評価になっている。内容を見ると、全く的外れな意見が並べられている。ただ、ヤフー映画のレビューというのは一つの参考になる。だから別にこのプラットフォームは存在し続けてもいい。もちろん信憑性とは別の問題である。要は、『難しすぎると万人受けしない』のだ。

ゲーテは言った。

『人々は理解できぬことを低く見積もる。』

この映画は洞察力がない人間には見極めることはできない。考え方が偏っている人間、人の気持ちに寄り添えない自分本位な人間、そして、表層に支配されているような浅薄な人間には見極めることはできない。


※ここからネタバレあり

この映画の評価について検索するとすこぶる評価が低く、その理由に『意味不明』とか『肩透かし感』というのがある。 私はたまたまこの映画が言いたいことがわかるのでネタバレありで書く。『ヴィレッジ』も同じようなことを言う人がいたが、『LUCY』然り、まず作家や監督はホラーやパニックものでなく真剣にやっている限り、意味不明なものは世に出さない。必ずメッセージがあり、それを読み解くのも映画の楽しみの一つである。

まず理解したいのは、『この世は自分が思っているよりよほど広い』ということ。自分だけの価値観で考えるとそこには限界がある。ここで押さえたいのは『カフカ』という人物だ。『希望名人ゲーテと絶望名人カフカの対話』という本がありその本では冒頭にゲーテのこういう言葉がある。

『希望は誰にでもある。何事においても絶望するよりは、希望を持つほうがいい。先のことなど誰にもわからないのだから』

多くの人に響くだろう。だが次のページにあるのがカフカのこの言葉だ。

『ああ、希望はたっぷりあります。無限に多くの希望があります。‥ただ、ぼくらのためにはないんです。』

カフカはゲーテと違ってとても悲観的な考え方をする人物だった。やはり、相田みつをの言葉のように、明るい方が多くの人の好みである。アメリカでも話題にならず、日本では劇場未公開に終わり、評価が低いこの作品。確かにそういう気配がある映画だ。だが同時に、とても真剣なのである。

ある少女には自殺願望があった。だからたまたま知った殺人鬼に自分を殺してほしかった。このあたりの描写やラストシーンに首をかしげる人がいる。彼女は最初から殺人鬼だと知っていたのに、なぜその目撃シーンを最後に持ってくるのか分からないというのだ。 そして殺人鬼を追う刑事の病気の妻などの暗いシーンなど、様々な意味不明な場面があって、全体的な評価が低くなっている。 だが、こう考えられないだろうか。

刑事が執拗に彼を追うのは、『命の重さ』を思い知る人生を生きているからだ。だが、その対極として少女は、この人生に生きる意味を見失っていて、死にたいと思っていた。

殺人鬼を目撃したとき、

この人なら自分の目的を叶えてくれる

と思った。最後の呆然と見るシーンは、彼女が彼を、『自分の人生の救世主』として見たからだ。ちょうど女性をゆっくりと川に流すシーンは、『おくりびと』かのようにも見える。 命の重さを知る刑事と、人生の意義を見失った彼女を登場させることで映画全体で『命』について熟考させられることになる。 だとしたらすべての描写やシーンには意味があるのだ。

世の中は広い。自分の目で見た世界がこの世の全てだと思っているのであれば、それは完全な独りよがりの勘違いだ。 自殺はだめだ。だが、16歳という年齢の未熟な人間が、周囲に話し相手がいない中こうした方向に逸れることは、十分にあり得ることである。 私には道を逸れる人間の気持ちがわかる。あまりにも深いテーマについて描いた映画や記事、思想や考え方は多くの人の理解を得られない。それも私のよく知るところである。 だが、熟考したい。そうでなければ、真実は見えない。あまりにも長い間人間が、天動説を信じていたように。

『チャーリー・ウィルソンズ・ウォー』

チャールズ・ウィルソンという政治家が、CIAの諜報員と共にソビエト連邦によるアフガニスタン侵攻に抵抗するムジャーヒディーンを援助する模様を描く。歴史ものや実話が好きな人は楽しめる作品だろう。冷戦当時、アフガンのイスラム武装勢力ムジャーヒディーンは無名だった。それもそのはず、できたばかりの組織だったからだ。

当時、世界の敵はソ連だったから、そのソ連に対抗するための武器を支援したのがこの男だったのである。

そして実際にアフガンからソ連を撤退させたことで、CIAにしか贈られなかった功労賞を文民として初めて秘密裏に表彰した。それだけで、彼が『当時』は相当なやり手だったと認識されていたことがわかる。

だが、実はそのムジャーヒディーンは、その後アルカイダなどとのつながりをもつ危険なイスラム原理主義者として活動してしまい、2001年9月11日には、アメリカ同時多発テロが巻き起こってしまった。

色々な意味で、『映画になる』人物なのである。

『チャーリー・バートレットの男子トイレ相談室』

ロバート・ダウニー・Jrというだけで観た映画だ。色々な意味で、未熟な作品である。だが、アメリカはサプリメント大国で、また様々な種類の薬が飛び交う国でもある。銃もそうだが、そのような自由性が高い国で生きる10代は、それに伴った様々な問題な悩みがある。銃の乱射事件もその一つだ。そもそも銃規制が緩いからそうなる。その意味で、アメリカ人からすると中々共感できる内容なのかもしれない。

『チャーリーとチョコレート工場』

こういう、カラフルで、瞬きをしないようなキャラクターが出てきて、不思議な世界観はアメリカでは普通である。例えば、ディズニーの初期のアニメーション作品などを見ると、大体不思議である。だが、ある特定の人たちは、こうした作品を単なる不思議な作品とはとらえていないらしい…。

『チョコレート』

邦題の「チョコレート」は、年配の白人男性と付き合う若い黒人女性の隠語を意味する。内容としてもそういう映画だ。だが、単純ではない。重要な人物が死んでしまう。女性にとってのそれは、囚人だった夫だ。男にとってのそれは、ネタバレになるからやめておこう。黒人差別が根深いこの男の父親の影響で、この男もそうなってしまっていた。だが、ある人物の影響でその考えを見つめなおそうと思うようになる。

アメリカ人に根付いたその差別発想を改めさせるものは一体何か。60年代などは白人を撃って『よくやった』と言われるほど、その闇は完全に彼らの心底にうずまいて晴れることはなかった。そして、そんな男がすぐに黒人女性と恋愛などできるのだろうか。

『父親たちの星条旗』

第二次世界大戦における硫黄島の戦いを日米双方の視点から描いた「硫黄島プロジェクト」のアメリカ側視点の作品。アメリカは、この硫黄島での戦いが、第二次世界大戦において最大の人的被害を被る戦いだった。すり鉢山を攻略することは、日露戦争で言う『二百三高地(旅順)』の攻略に等しく、ここを制覇することはこの島を制覇することに繋がる。しかし、日本人はそこを死守する。アメリカ軍も命を賭して前進する。実は、アメリカには全くお金がなかった。1929年に起きた世界恐慌以来、アメリカは金策に躍起にならなければならなかった。

アメリカ側のそうした事情を踏まえて真実を直視したとき、硫黄島に立てられたアメリカの星条旗は決して『英雄』の手によって建てられたのではなかった。戦争に勝った戦勝国に課せられた、内省すべきテーマがここにある。

『つぐない』

例えば、『黄昏(1952年)』という映画がある。この映画で主人公のカップルは、悲惨な最後を迎える。観方によっては哀愁があるが、決してハッピーエンドとは言えない、なんとも言えない結末となる。この『つぐない』もそれに似て、妙な人生を見せられる。誤解した少女が一人の人間に罪深いことをしてしまい、それを償いたいという、そういう内容である。両者とも確かに普通ではない。普通とは、家庭を築いて、一軒家を持ち、家族全員が五体満足に暮らし、父親は少しでもいい給料を貰えるよう日々努力し、子供が元気で学校に通い、・・というそういう『型』のことである。

だからそれと比べて普通ではない。いや、普通を壊してしまったのだ。そして壊されてしまった人の人生は過酷になった。そんな、普通ではない狂った人々の人生に興味がある人は、覗いてみるといいだろう。

『追撃者』

ミランダ・リチャードソンは美しく、シルヴェスタスタローンはワイルドである。そういう映画だ。

『デイ・アフター・トゥモロー』

地球温暖化によって突然訪れた氷河期。人類はいつどのような形で終わりを迎えるか予測することができな。あらゆるケースを想定して考える必要がある。それが『来ない』と考えるのは思い上がりでしかない。

『ディファイアンス』

第二次世界大戦時のナチス・ドイツ占領下でのポーランドにおけるビエルスキ兄弟を描く。ほとんどが実話だが、原作の小説『ディファイアンス ヒトラーと闘った3兄弟』の著者は特にエンディングのシーンには脚色として派手過ぎると感じたという。また、ビエルスキ兄弟が率いたユダヤ人組織に対する歴史的評価もポーランド内では分かれている。映画内では彼らを『モーセ』と合わせ見るシーンがあるが、反対に同じポーランド人から略奪することで生き延びた山賊集団と考えた人もいるようだ。

だがどちらにせよ、この時のユダヤ人と言えばナチスにやりたい放題される展開が多いので、彼らのように武力で抗った人間の話は珍しく、斬新である。斬新というのは映画でという意味で、これ自体は実話なのだからそこもまた興味深い。教訓性も高い。彼らがナチスに隠れながら森に住み、そこである種の小国家、あるいは小さな部族集団となるわけだが、その実態が非常に興味深いのである。

『デイブレイカー』

主演のエドワード役のイーサン・ホークは、

『好きではないジャンルの映画だったため最初は参加することをためらっていたが、脚本を読んで典型的なB級映画とは違うと感じエドワード役を引き受けた』

という話があるように、まずの印象が典型的なB級映画である。そして、彼がそう思わなかったというが、その印象があるのが事実だから、それを大きく超えることはできていないと言える。だが、ゾンビやらヴァンパイアやらは世界的には人気なので、興行的には成功している。

『ディボース・ショウ』

私はあまり差別なく映画を観ようと心掛けているのだが、どうしてもウディ・アレンとコーエン兄弟の映画はなぜかあまり好きになれない。

  • 『ファーゴ』
  • 『オー・ブラザー!』
  • 『ノーカントリー』
  • 『バーン・アフター・リーディング』
  • 『シリアスマン』
  • 『トゥルー・グリット』
  • 『マクベス』

そのどれもが、不完全燃焼的なものを抱えて鑑賞を終えてしまう。こうなるともう『それが目的』ということになるだろう。『その方向に持っていくのが狙い』というか。『そういうコメディだよ』という。

韓国人が、日本の芸人のツッコミで頭を叩くことにドン引きし、日本側が『そういう文化やねん』と言うように、私と彼らとの間には謎のそういう壁を感じてしまう。だが、この作品の場合はそこまでその壁を感じなかった。

『ティム・バートンのコープスブライド』

ジブリ映画が200億円平均で売り上げを上げたり、呪術廻戦、ワンピース、鬼滅の刃が100億~400億円という売り上げを作る中、この映画は9億円という規模である。やはり、『好きな人は好き』というレベルで止まるのではないだろうか。例えばそのワンピースの尾田栄一郎は、ティムバートンのファンだから、『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』の世界観をオマージュし、『スリラーバーク』や『ブルック』を生み出した。

だが私は死者の世界やゾンビは好きではない。ジブリ映画には出てこないだろう。どちらかというと、死んでしまわないように、命を大切に生きる様子が描かれる。だが、ひとたび海外に出ると、平気で雑誌やニュースで死体がモザイクなしで公開されたりする。メキシコでは路上に死体が転がっていて、麻薬がらみでマフィアに撃ち殺されたのだという。だからドアに鉄格子がついていないのはあり得ない。だが日本の田舎ではむしろ、ドアに鍵などつけない。

このような考え方が日本では生まれにくく、受け入れられることも少ない。だが、きゃりーぱみゅぱみゅあたりからこの方向に『可愛さ』を見つけるようになり、ハロウィンで10代が街に集合してコスプレすることも当たり前の光景となった。

少しずつジブリ映画のような純粋さが失われ、こういうところからもグローバル化していくのだろうか。

1 劇場版「鬼滅の刃」無限列車編 404.3
2 千と千尋の神隠し 316.8
3 タイタニック 262.0
4 アナと雪の女王 255.0
5 君の名は。 250.3
6 ハリー・ポッターと賢者の石 203.0
7 もののけ姫 201.8
8 ハウルの動く城 196.0

2022年現在のこの日本の映画興行収入ランキングを見ると『純粋さ』が共通していることがわかる。だが、1位に鬼滅の刃が来たように、新しい時代が来ているようにも見える。ティムバートンは全然好きだが、彼のような映画が世界的にヒットすることに関しては、複雑な想いがある。

『デジャヴ』

批評家の感想は賛否両論だったという。映画サイトMetacriticでの32人のプロの評論家の平均も59点。 ABCニュースのJoel Siegelは、映画の技術面では「よくできている」が、タイムトラベルの科学的説明は「お馬鹿で退屈」と評したというのである。しかし、まだ20代前半だった私はこれを映画館で観て、面白かったという印象を得た。

『デス・トゥ・スムーチー』

ロビンウィリアムズとエドワードノートンが共演で、ロビンがピンクの着ぐるみを着ていて、意味深なジャケットとその様相が見えることから、この作品に何か秀逸なものを期待してしまうのだが、すごく心温まるというわけでも、サイコパスに秀でたわけでもないので、期待外れ感が否めない。

この意味ありげなピンクの着ぐるみを目立たせる必要はほとんどなかったという印象を得る。もっとも、何か映画の裏で利益が動いていて、それを押し出す算段があったとか、そういう事情があるなら別だが、どちらにせよ視聴者の心を大きく揺り動かすということはないだろう。

着ぐるみを着て人気になった人物、という人があまりにもニッチ過ぎてほぼいない、という事実も共感をあまり得られない理由だろう。日本では未公開だというが、この年は

  • ハリー・ポッターと秘密の部屋
  • モンスターズ・インク
  • I am Sam アイ・アム・サム
  • スパイダーマン
  • オーシャンズ11
  • ロード・オブ・ザ・リング/旅の仲間
  • バイオハザード

といった名作ぞろいだから、どちらにせよこれでは勝負に勝てなかっただろう。別に最悪は勝てなくてもいいが、だとしたら誰かに強烈に突き刺さるものでなければ映画としての価値を疑われる。『グッドモーニングベトナム』とか、『ファイトクラブ』とか、彼らの代表作と比べてわざと、厳しく評価されてしまう。

『デス・レース』

1975年にアメリカ合衆国で製作され、カルト的な人気を誇った『デス・レース2000年』のシルヴェスター・スタローン主演作品のリメイクである。B級映画の帝王と称されるロジャー・コーマンがプロデューサーを務めていることもあり、全体的にB級の気配が漂う。ジェイソンステイサムが主演ということもあるが、前作同様『好きな人にはたまらない映画』の枠にとどまるだろう。

『デンジャラス・ビューティー』

映画は例えば彼女で言えば『スピード』のように、シリアスで緊張感あふれるサスペンス調のものから、こういう映画のようにコメディ要素が強いものまでたくさんある。アメリカではその両方が受け入れやすく、ヒットしやすい。TOP100はスターウォーズやマーベル、ディズニー映画などが多いが、例えば100位あたりにある『カールじいさんの空飛ぶ家』の300億円クラスのコメディ映画はいくつかある。

200億円にまでなるともっとある。『デンジャラスビューティ』もそのうちの一つである。1位の『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』が1000億円以上という数字だが、これは単純にアメリカが『映画の国』だから映画が人気なのか、と考えがちだが、確かにその要素もある。アメリカはどんなことでも映画にするからだ。

ニクソンの歴史的不祥事を描く『大統領の陰謀』から、ただのキャスターの不祥事を描く『スキャンダル』まで。すべてが映画になるくらい映画の国だから、皆、映画が大好きなエンタメの一つだという認識があるだろう。日本がトヨタ車やSONYといった世界規格の武器をある種誇りに思っているように、アメリカ人も映画に対し、ある種の誇りを持っているだろう。

だが、単純に人口が日本の3倍あるということも大きな理由の一つだろう。そうなると、日本では『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』や『千と千尋の神隠し』が300億、400億円だから、その3倍は900~1200億円。大体アメリカのその売り上げと同じ数字になるのである。そう考えると、日本もアメリカも、映画の人気はほぼ変わらないことになる。

だが、順位の傾向は結構違うわけだ。日本では『デンジャラスビューティ』のような映画はあまり上位に来ない。では、つまらないのかというと、そういうことはない。『デンジャラスビューティ2』と合わせて、気軽に楽しめる、娯楽映画の一つである。

『トゥー・ウィークス・ノーティス』

サンドラブロックとヒューグラントのコンビはあまり見ないので新鮮。しかも見事にはまって大成功していると言えるだろう。サンドラはシリアスもできればコメディもできる。ヒューグラントはこの手のテーマの作品に強いので、両者の持っている力がいかんなく発揮され、潰し合わずにむしろ化学反応を起こした形だ。興行的にも大成功している。

ヒューグラントはあのタレ目の顔だから、『アバウト・ア・ボーイ』のような頼りないダメ男も似合うし、『ノッティングヒルの恋人』のような普通の男も似合う。だが、『ラブ・アクチュアリー』や今回のように、凡人とは距離がある権威ある男の役も似合うし、ラブコメの役も似合うので、マルチに活躍できる名優と言えるだろう。さすがメグ・ライアン(「ロマンティック・コメディの女王」)に対して、「ロマンティック・コメディの帝王」と呼ばれただけある。

サンドラブロックもそれに負けない実力を持っている女優なので、この二人が揃って失敗することは考えられないが、作品というものはそれだけで決まるわけではないので注意が必要。だが、今回に至ってはその心配もなく、シナリオもしっかりしているので人間ドラマが普通に面白いと言える名作だろう。根幹に、愛があるかないかということだけで、作品緒価値は大きく変わるのだ。

『トゥー・ラバーズ』

ドストエフスキーの『白夜』をモチーフにしているだけあってシナリオはいいので、評論家の一定の評価もあるようだ。私はそれを今知ったが、やはりそうかというくらい、暗い。ロシア作品というのは暗い暗いと言われがちだが、本当に暗い。これだけ暗ければ、そりゃあ真逆のアメリカと対立するわな、という気配が漂う。ロシアの全部を知っているわけではないので断片的で無責任は印象に過ぎないが。

だが確かにホアキンフェニックスはこういう内向的で、鬱屈とした性格の役が多いので、それだけはまり役ということかもしれない。『グラディエーター』のあの役だって、内向的な役だ。内に違うものを秘めている役。

あのコモドゥスという人物は、『五賢帝』の最後の皇帝、マルクス・アウレリウスの息子だが、彼が死亡し、息子のコモドゥスに帝位が移った時、ローマ帝国は大きく失墜を迎えたと言われている。

何を考えているか表面ではわからないが、内に確実に何かを秘めているのが似合う。そして内向的がゆえ、それが往々にして歪んでいる。『ザ・マスター』で更にその演技に磨きをかけ、『her/世界でひとつの彼女』でも同じように内向的な人間を演じる。

『マグダラのマリア』ではイエス・キリストという方向でその内に秘めた神秘性を磨き、そして2019年に『ジョーカー』という役に出会うわけだ。彼のこうしたキャリアに繋がる布石の一つとして考えるのも面白い。

『トゥームレイダーシリーズ』

女性が大活躍してくれる映画。こういう役を演じるのは男が多いが、実は、女性が大活躍してくれても全然いい。むしろ、格好良くて華麗な、闘う女性の姿は好きだ。アンジェリーナ・ジョリーだからこそ様になる。私は冒険が大好きだから、この映画も大好きな作品だ。ちなみに映画史『Screen』にて紹介された『アメリカ史に残るヒーロー10人』には、

  1. ダーティハリー
  2. ターミネーター
  3. バイオハザード
  4. ビバリーヒルズコップ
  5. スーパーマン
  6. ロッキー
  7. トゥームレイダー(ララクロフト)
  8. エイリアン
  9. ダイハード
  10. インディジョーンズ

この10人が挙げられている。

『トゥームレイダー ファースト・ミッション』

アンジェリーナ・ジョリーとは違うトゥームレイダーの世界。ゲームを事前にやっている人は数倍深く楽しめただろう。この冒険がどれだけ過酷さを極めるかを身に染みて理解しているからだ。ピッケルと弓矢を使いこなす、新生ララ・クロフトの冒険が始まる。

『トゥモロー・ワールド』

インパクトがある映画なのだが、説明文にはこうある。

この映画で臨場感を呼ぶ最大の要素である「長回し」は画期的な撮影方法に支えられている。

『カメラを止めるな』とか『バードマン』のような類の撮影方法が使用されているので、何だか映像に妙な説得力があるのはうなづける。だが、wikipediaにはこうある。

  • 製作費 $76,000,000
  • 興行収入 $69,959,751

赤字である。演出や世界観がかなり壮大で凝っている割には、評価が付いてこない。私は他人の評価に支配されないのでデータを出すのは客観的な視点をより幅広くするためだが、私からしてもこの映画は

(うーむ、なんだか惜しい!)

という印象でとどまってしまう。イギリスに偏り過ぎということもあるだろう。例えば日本人が、世界恐慌になって混乱したからといって、イギリスに不法入国するということは考えられない。つまり一見すると規模が大きいように見えて、実際には規模(世界)が狭いことが原因で、全世界の人々の心を強く揺り動かせなかったのではないだろうか。主演の面々は『実力派』とも言えるし、『コケてもいいキャスト』とも言える面々である。

『トータル・フィアーズ』

時はチェチェン紛争があったその時期。冷戦は1989年に終わっているし、911の2001年にもなっていない。ちょうどこのあたりの時期のアメリカが、世界とどういう関係にあったのかということを、ジャックライアンシリーズを通して覗いてみる。

  • 第一次チェチェン紛争(1994年 – 1996年)
  • 第二次チェチェン紛争(1999年 – 2009年)

冷戦が終わったとは言え、米ソの関係はそんなにはすぐに修復されることはない。そんな中、もしアメリカに核攻撃が行われたら、アメリカは敵がどこだと推測するだろうか。それはチェチェン紛争に対する強硬手段を取るロシアを目の当たりにしたばかりであれば、頭に浮かぶのはロシアになってしまうだろう。核保有国はそう多くはない。ジャックライアンは、その核攻撃が一体どこから行われたのかを調べる。もしロシアじゃなければ大変なことになるからだ。

『キューバ危機』を代表として、冷戦中に幾度となく想像された核戦争。「ヤルタからマルタへ(“From Yalta to Malta”)」。ヤルタ会談で始まり、マルタ会談で終わった冷戦で、ゴルバチョフは次のように述べた。

世界は一つの時代を克服し、新たな時代へ向かっている。我々は長く、平和に満ちた時代を歩き始めた。武力の脅威、不信、心理的・イデオロギー的な闘争は、もはや過去のものになった 。私はアメリカ合衆国大統領に対して、アメリカ合衆国と戦端を開くことはもはやないと保証する 。— ミハイル・ゴルバチョフ、ソビエト共産党書記長

ブッシュ大統領はこれに対し、

我々は永続的な平和と、東西関係が持続的な共同関係になることを実現することが出来る。これはマルタで、ゴルバチョフ議長と私がまさに始めようとする未来の姿だ 。— ジョージ・H・W・ブッシュ、アメリカ合衆国大統領

と述べた。では、それは冷戦が終結すれば本当に世界の核戦争の脅威は完全に断たれるのだろうか。

ジャックライアンシリーズ

  1. レッド・オクトーバーを追え! (1990年)
  2. パトリオット・ゲーム (1992年)
  3. 今そこにある危機 (1994年)
  4. トータル・フィアーズ (2002年)
  5. エージェント:ライアン (2014年)
『ドニー・ダーコ』

意味ありげなうさぎが出てくるから妙に期待するが、その期待を超えるような展開はない。ホラーというジャンルでもないし、王道ジャンルでも教訓性が高い映画でもないから、名作として人に勧めることはできないだろう。考えても正確な答えが出ない10代で観るなら、ああでもないこうでもないと話し合って、一つのエンタメになるかもしれない。

『ドミノ』

実在した元モデルの女バウンティ・ハンター(賞金稼ぎ)、ドミノ・ハーヴェイの自伝的映画で、一度観ていたのだが内容を忘れた為もう一度鑑賞した。まさか、まずの時点でこれが実話だとは知らなかった。当時はwikipediaがここまで浸透していなかったような気がする。Amazonすらまだ浸透する前だったはずだ。今は簡単にそういう情報がわかるから便利になったものだ。

だが始まってすぐに(これが本当に実話?)と疑ってしまうような、過激映画さながらのシーンが展開される。それが本当に実話なのだからからすごい。日本ではほぼあり得ないことではないだろうか。

最近ではyoutubeで簡単に海外の反応が見られるからそのギャップを楽しめるが、日本でカバンを一定時間置いたり、財布を落としたり、自転車を放置したりするシーンを観て、外国人が声を上げて驚いているシーンを見ることができる。海外ではあり得ない事なのだ。そして警告さえしてくれる。『日本人の皆さんが、海外に出た時に日本と同じ感覚を持たないことを祈ります』と。海外では何もかもが違うのだ。

メキシコでは道路に死体が落ちている。マフィア同士の戦闘で起きたことだ。それを子供が堂々と目撃してしまうわけだ。まるで、カラスや猫の死体を通学路で発見してしまうように。家の窓や玄関には檻がついていて、二重以上の構造になっていることは常識である。日本の田舎のように、鍵が開けっ放しのことは想像できない。そういう治安が、世界に広がっているのである。

そこまで考えれば、確かにこういうことがあってもおかしくはない。おかしくはないが、どう考えてもおかしい。そういう光景が流れる。こういうシーンに直面した時、物怖じしないように精神を鍛えた方がいいのか、それとも日本の方向のように、こういうことが絶対に起きてはいけないというふうに精神をきたえればいいのか。まず最初にそういうことを考えてしまう。

さて作品だが、まあそうはいっても彼女は一般人だ。人生全体で映画のような生き方をしたわけではないだろう。どこかに映画のような演出が入っていると想定できるシーンが入ってきて、どこか内容がごちゃついてしまうので、クールな彼女の映画の割にはスマートさがない。

映画としては内容自体は大したことはないが、しかし彼女のような人生があることに単純に驚きを隠せないだろう。ただし、実際の彼女は終始麻薬中毒であり、35歳の時にオーバードーズで死亡していることからも、元々自分自身が破滅的な方向に進んでいた、という背景があるようだ。ちなみにホイットニーヒューストンも、同じ浴槽で死んでいる。オーバードーズであった。

『ドライヴ』

ライアン・ゴズリングは、『ラ・ラ・ランド』で有名になる前は、こうした内向的で不思議な世界観を持つ男の役が多かった。ラ・ラ・ランドの後に出た『ファーストマン』でも、一人で悩みを抱え込むアームストロングの役を演じたが、この作品では、その彼の持つ世界観に狂気さがプラスされ、独特の世界観を作り上げている。ここで流れる時を刻むことをイメージしたBGMは、『96時間』でも流れたが、映画館の緊張感を最高に高める為にはうってつけの音楽だ。


※2回目

最初に観たときはまだ映画経験が浅く主体性も本気度も薄かったので、この映画の印象は特徴的なBGMと、口数の少ない男、そして結構グロい暴力シーンというものでしかなかった。いかにも映画経験が浅い人間が持ちそうな感想である。主体性がない『客』止まりの視聴者が気づけるのは、せいぜいその程度の表層である。

だが、映画視聴も3000本を超えてくると、様々な視点を持つことができるようになってくる。今回のように、以前観たものをもう一度観たくなるのはその成長した自分でもう一度確かめたかったからである。その意味で言うと、そういう映画は数えるほどしかない。『また見たい』と思えるような映画や、『もう一度観ないと見たとはいえない』という難解な映画がそう多くはないのだ。

ライアン・ゴズリングは口数が少ないクールガイを演じることが多いから、結果、彼の映画は難解なものが多い印象にある。こちらサイドが言葉ではなく、言葉以外の表現で彼の心境や人生を想像しなければならないので、主体性がない視聴者には難解な人物となる。

だが、『ラースと、その彼女』然り、彼はこの手の役をやらせたらピカイチである。ピカイチだからこそ、彼がそういう役をやることが多いのだ。『ファースト・マン』で見せたニール・アームストロングもそんな彼だからこそ選ばれたのだろう。

ラースと、その彼女 の映画情報 - Yahoo!映画

私にもそういう一面があるからわかるが、こういう内向的な人は普段、『耐えている』。口数が少なく、無駄な争いを嫌い、秩序ある毎日を望むことから自らが自身が関与するコミュニティで『耐える』ことで、異なり、軋む歯車の潤滑油の役を買って出ている。

だが、忍耐というのは物理的に限度がある。物質も、ある一定の負荷がかかれば折れたり曲がったり、割れたりしてしまう。堪忍袋の緒が切れるのである。

そして、このように普段耐えている人は、『その分だけ』表面化させるときにツケを払わせる。清算するのだ。そうじゃないと平等じゃないからだ。普段自分が耐えている分、今日はお前らが受けるべきだと、考える節があるのだ。

その危険因子を含んだ内向性と、元々別の部分で培ってきた狂気や人生に対する哲学が一歩狂えば、今回の彼のような行動になって現れる。

元々、そういう因子は彼のような人間だけにあるのではない。平和を求める性格で考えても、彼だけではそのような行動には出ない。だが、この世界には元々、彼以上に狂気を持った人間で溢れているのであり、彼らのような人を生みだすだけの狂気や歪んだ事実が、根深く存在しているのである。

まるで、火に近づけば燃えてしまう紙類のように、それ自体では他に害をなさない物質も、違う危険因子に近づけば他に害をなす物質になり得る。

だとすると今回の話の最も根源的なところにあるのは『この世界の多様性と混沌』だ。火があり、白アリがいて、宇宙があり、酸素がある。岩があり、雪崩があって、地震が起き、生命に寿命がある。

生命には天敵がいて、命は繋がれていて、隕石が衝突すれば死んでしまい、温度が上がっても下がっても生命が死ぬ。この、混沌とした多様性の広がる世界で生きていく『基本設定』が、『彼ら』を生みだし、『彼』を生みだしているのだ。

『トラフィック』

メキシコに実在した麻薬カルテル「ファレス・カルテル」がモデルとなる人物が登場する、麻薬をテーマにした群像劇だ。日本人とアメリカ、メキシコ人のドラッグへの考え方はまるで違う。だから世界三大投資家のジム・ロジャーズがコロンビアの麻薬製造所を買い占めたことも、倫理的に首をかしげることになる。だが、アメリカでは大麻が合法化される。そうした方がマフィアに資金を流すよりマシだからだ。それだけ彼らの社会にドラッグが食い込んでいるのである。

今日見た『ピッチパーフェクト』でもSEXやシャワーシーン、音楽の歌詞や司会のセリフが日本では考えられない過激さを見たが、それが『自由』ということでもある。そして銃も麻薬も、その一部なのだ。銃の乱射事件が起きるたびにその所持についての倫理が問われるが、彼らの社会からそれらが無くなることはなさそうだ。

一言、根深い黒人差別然り、『馬鹿』なのだろうか。銃も麻薬も差別もやめられず、『自由』に依存し、『ソーダ税』をかけられ、医療問題で自己破産する人が後を絶たない。しかし、そんな混沌とした自由な社会だからこそ自律した主体性のあるやり手が出てきて、彼らの『ソフトパワー』で世界は満たされている。

では、この家族の結末はどうなるだろうか。父親が麻薬を取り締まる側であり、娘が依存症だ。自由な国で『幸せ』を見つけることは、難しい。

『トランスフォーマーシリーズ』

トランスフォーマーのCG技術は、アベンジャーズに匹敵するほどの実力。これだけの迫力なら、ロボットやCGを扱う資格がある。かつて、完璧主義な私は映画のぞんざいさな作りにチープさを覚え、映画が嫌いだった時期があったが、これから先ますます映画は私のような人間を楽しませてくれるだろう。

『ドリームガールズ』

ソウル/R&B・レーベルとして知られるモータウンのダイアナ・ロススプリームスをモデルに描かれる有名なミュージカルを映画化。したがって出演する演者はジェニファー・ハドソン、ビヨンセ、アニカ・ノニ・ローズ、ジェイミー・フォックス、エディ・マーフィ、ダニー・グローヴァーと黒人たちが多い。最後の二人は『ビバリーヒルズコップ、リーサルウェポン、プレデター2』などで主演を務める大物。ジェイミーフォックスは彼らほど爪痕を残していなくても、常に見かけることができる実力俳優だ。

それゆえ、歌手出身の3人の女性たちの演技のフォローを彼らが行い、全体的にクオリティは高くなっている。また、ミュージカルということもあってそれは彼女らの十八番。そこではむしろ彼女たちの方が演者を引っ張る側に回るわけで、いいバランスが取れている。歌手の演技力うんぬんという話はあまり気にならないクオリティだ。

  • 1944年:ダイアナロス
  • 1958年:マイケルジャクソン
  • 1963年:ホイットニーヒューストン
  • 1970年:マライアキャリー
  • 1981年:ビヨンセ
  • 1986年:レディガガ
  • 1993年:アリアナグランデ

各時代で活躍するアメリカのディーバ(歌姫)たちだが。その中でもダイアナロスは、アメリカで最も成功した黒人女性歌手の一人であり、ブラックミュージック界の大御所として数えられている。ジャクソン5(マイケルジャクソン少年期)なども登場することを考えても、アメリカの歴史を振り返って考える際に貴重な作品である。また、聞き逃せないセリフもある。

『エルヴィス・プレスリーが黒人の才能を盗んだ』

というもの。その辺りの黒人が受けた風当たりなども注目ポイントである。

『ドリームキャッチャー』

スティーブン・キングの『IT/イット “それ”が見えたら、終わり』『スタンド・バイ・ミー』『トミーノッカーズ』といった作品群をごちゃ混ぜにした作品だというが、スティーブン・キングは「私のホラー小説の映画化された中で、本作は最高の出来だ」と言っているという。

もちろんこれは2003年の話で、その後に『IT』も『ペット・セメタリー』も『キャリー』も更にリメイクされたり、『グリーンマイル』や『シークレット ウインドウ』、『ミスト』など、彼の作品は名作ぞろいだ。

だが確かにこの作品をズラーっとその他の映画作品を鑑賞する流れで観ると秀逸で、(さすがスティーブン・キング)と言わざるを得ない。そこは、(さすがローレンス・カスダン:監督)とは思わず、原作者である彼の名が自然に出てくるあたり、やはり彼は専門家として頭一つ抜きんでている。

このようなことはないのだが、『あったとしたらこうなるのだろうか』という想像をたやすくさせてくれる、これは彼の特殊能力である。

『トロイ』

紀元前1200年代。世界で最初の公式な戦争は、紀元前1285年頃にあったカデシュの戦い (古代エジプトとヒッタイト)である。実際にはもっと以前から存在したが、史上初の公式な軍事記録に残された戦争であり、成文化された平和条約が取り交わされた史上初となる戦いであるともいわれている。これは、ラムセス2世というファラオが参加した戦争だが、おそらく、モーセが存在していたなら、このラムセス2世と同時代だったと考えられている。よって、『エクソダス神と王』では、モーセとラムセス2世は兄弟のような友情で結ばれた友人として演出されている。

しかし、エジプトであったその戦争と同時代のギリシャで、『トロイア戦争』という戦争があった可能性があると言われている。これは、カデシュの戦いに比べて明確ではなく、あくまでもギリシャ神話の域を出ないものである。だから、この戦いに登場するアキレスも、本来ならギリシャの人格神として語り継がれるものである。これは、そのアキレスをあくまでも一人の人間と捉えた、壮大なスペクタクル歴史映画である。同じ時代にあった『アレキサンダー』は、実在したアレクサンドロスを描いた映画だが、その5倍も売り上げた、ヒット作だ。私は両方とも見応えがあり、歴史を学べて良かったととらえている。

『トロピック・サンダー史上最低の作戦』

ベン・スティラーはブラピやディカプリオらのような華は無いが、『稼ぐ力』を確実に持っている俳優だ。正直、彼が出ている映画は大ヒット作品が意外なほどに多い。だからこそこうしたおふざけの映画でも豪華キャストが大勢集まるのだろう。

  • ジャック・ブラック
  • ロバート・ダウニー・Jr
  • マシュー・マコノヒー、
  • トビー・マグワイア
  • トム・クルーズ

このメンツが揃っているだけで見応えは十分である。もったいない気もするが、逆にこうでもしないと『誰が主演をやるのか』という問題になる。誰もが脇役で出て自分の株を下げるわけにはいかない、超一流たちだ。だが、主演のベンステイラーが情けないおふざけキャラでいて、後が同列に並んでいることによって共演が成り立つのだ。いずれこのメンツでもっとガチで共演する日が来るだろうか。楽しみである。

『時をかける少女』

少女は死んでしまった。あの問、死んでしまったはずだったのだ。彼女にはやるべきことがたくさんあった。やりたいこともたくさんあった。会えなくなると寂しい人や、もっと会話をしたかった人や、共に過ごしたい時間がある人が大勢いたのだ。人生はまだまだこれからだった。今、人生が終わるなんて、夢にも思っていなかった。…だが、何か変だ。きっと『タイムリープ』している。

『閉ざされた森』

これは中々面白い。よく考えると、私はサスペンスが好きらしい。何が起こるか分からず、真犯人が明らかでなく、どうなってしまうのかが気になる。連蔵ドラマは『LOST』と『プリズンブレイク』を見たが、その2つもサスペンスだった。先が分からないし、意外な展開になるからこそ続きが気になり、集中力が続くし、あの時は次の回を借りる行為だけでもワクワクしていたものだった。

ジョン・トラボルタの飄々とした演技と、その演技経験も演出の中の一つに組み込まれている。悪役もキーマン役も務めてきた彼だから、一体どっちに転ぶか最後まで全く分からない。

な行

『ナチスの墓標 レニングラード捕虜収容所』

ナチスが支配したユダヤ人に対するホロコーストの話や、収容所の理不尽な話はたくさんあるし、ソ連のホロコーストの話もある。『ヒトラーと戦った22日間』がそうだ。その場合はソ連人のユダヤ人が捕まった話である。だがこの場合、捕まっているのはナチスだ。ドイツ人がソ連人に捕まっている。つまり時代は1946年、第二次世界大戦が終わり、ドイツや日本といった帝国主義国家の敗北が決定した後の出来事である。

更に状況が珍しいのは、男性の囚人であるのに看守が女性であるということだ。ではその場合、看守と囚人との間には一体どんなことが起こるだろうか。

『ニューヨーク 冬物語』

色々と中途半端な作品だ。ファンタジーなのか何なのか良く分からない。1895年、1916年などと細かい設定がある割には、羽のついたペガサスのような白馬が飛んできて、ウィル・スミス演じるルシファーが悪魔の親玉のような立ち位置で登場し、何が何だかよく分からない。こういう映画を観ているといつも、(一体何を見せられているんだ)という気分になる。フィクションならフィクションにしかできないことがあるわけだから、中途半端な作品はヒットしないだろう。タイトルとキャストが失敗したか。

『ニュースの天才』

これは、今から書く内容を見てもいいし、見なくても楽しめる作品である。謎解きではないから必ずしも秘密ではないが、私は知らないまま観て、その終始漂う違和感を楽しむことができたので、同じように楽しみたい人はこの後のテキストを見ない方がいいだろう。これは、1998年に起きたアメリカの権威ある政治雑誌『ニュー・リパブリック』の記者スティーブン・グラスによる記事の捏造事件を描く実際にあった物語である。

『ネバーランド』

ジェームズ・バリーが世に生み出したあの伝説の名作『ピーターパン』。それは一体どのようにしてこの世に誕生したのか。そこにはディズニーが意識してスポットライトを当てる、光がかった幸福の世界があったわけではなかった。だが、世界が闇なら光はより眩しく光り輝く。子供を夢中にして離さない、伝説の物語の誕生秘話を見よ。

『ノウイング』

この映画で私が最も注目したのは、ニコラス・ケイジが最後に取った選択肢だ。これは、家族の物語でもある。私はその最後の何気ないシーンに、大きく心を揺り動かされた。

『ノエル/クリスマスに生まれた奇跡』

wikipediaのも詳細がない映画だが、そこまでB級色は強くない。この年齢の役者が主演であれば、この程度の出来になるだろう。ただ、『この程度の出来』と言っても見下しているわけではなく、ファンタジーの話だが、全体的には心温まるストーリーなので、見て損はしない。リーアム・ニーソンとピアース・ブロスナンという名優が関わっているため鑑賞。

は行

『ハート・オブ・ウーマン』

wikipediaにあるこの説明文を見てから観た方が楽しめるだろう。

広告代理店のニックは母親がダンサーだったことで変わった人生を送ってきた。女性に対して自信満々で、口説き方からベッドで寝るなんてお手の物。そんなニックは離婚を経験し前妻が再婚する事になり、一時的に年頃の実娘と生活するが、今までまともに父親らしいことをしてこなかったせいか完全に馬鹿にされている始末。

私は見ずに映画を観たから、彼の母親がダンサーだったことは見逃してしまっていた。なるほど、だからああいう場面があったのか、ということになるので、これは読んでおいていい。不思議な現象が起きる話だが、B級方向には逸れず、むしろA級の名作として数えてもいい作品である。

メルギブソンが器用で、役柄をこなしているということが大きなポイントになるが、『相手の心が読める』というのはなかなか現代においても教訓ポイントが高いと言える話だ。

例えば、『老害』云々と言って、昭和世代の話を令和世代に押し付けるな、などと言うだろう。それは人間が生きている限り永久に繰り返され続ける茶番イベントの一つだが、男女間の考え方の違いや、一方通行の人間関係しか築けないで、それで『うまくいっている』と思い違いをしている人は結構いるから、そういう人が相手の声を読めるようになったらどんな反応をするか、どういう変化が起きるか、ということは、心理学を学ぶことが好きな人間としては、興味深い内容だった。

『パーフェクトストーム』

1997年にセバスチャン・ユンガーが実話を元に執筆したノンフィクション小説『パーフェクトストーム -史上最悪の暴風に消えた漁船の運命』の映画化作品。『パーフェクト・ストーム』は、1991年秋の大嵐で行方不明になったアンドレア・ゲイル号を巡る人々を描いた書籍である。1991年のマサチューセッツ州であったメカジキ漁船の話だ。船乗りというのは彼らだけじゃなく、常に危険と共にある。『海の近く』に住んでいるというだけで危険だということは、東日本大震災を経験している日本人なら誰もが知っていることだろう。

大勢の実在した人の命が関与しているだけあって当然見応えがあり、教訓性が高いが、あと一歩名作にならない理由としては、ここに『一線を超えたフィクション』が演出されているからだろう。例えば、イエス・キリストがよみがえったという事実は誰も分からない。だが、よみがえったと信じているのがクリスチャンであり、しかしそれ以外の人々にはそれは首をかしげるしかないわけだ。

今回も、同じようなことが描かれている。誰も確認できないはずなのに、展開されている人間ドラマがある。それが、もし本当のことなら感動を抑えられないのだが、そればかりは分からないわけだ。それは例えば9.11の映画『ナインイレヴン 運命を分けた日』と同じことが言える。あの映画でも実在したあのテロを背景に、あったであろう事件を元に描かれるが、あのドラマがあったかどうかは定かではない。

あのドラマもこのドラマも『もし本当であれば感動する』のだが、これは同じように考えた演出家が作り出した、『もしこういうことがあればきっと皆は感動する話』に過ぎないのではないだろうか。もしそうなら拍子抜けである。それならいっそ、『マンオブスティール』のケビンコスナーのように、最初から完全にフィクションと分かっていた方が感動することができる。同じ海の話で、ケビンコスナーなら『守護神』もそうだ。

だが確かに、蓋然性はある。要は、分かっている部分は彼らの性格なわけだ。それは、生き残った家族や友人たちに聞けば見えてくる事実である。例えば『赤い服が好きだった男』が、その日も赤い服を着ていたことが想像できるように、ある程度の性格がわかっていればその人がその時、どういう行動に出るかということは想像できる。

『彼ならきっとこう言っただろう』

ということで、ある程度の蓋然性ある言動は予測できるわけだ。だがやはり、それだけでは世界を騙すことはできない。この映画が『タイタニック』を超えられないのは、タイタニックが沈没した船よりも、その上で起きた儚いラブロマンスに重点を置いているからであり、この映画はタイトルからしても、この天災に重点を置いてしまっているから、どうしても『リアリティ』を求めてしまい、そこに意図的な何かがあれば、違和感を覚えてしまうのだ。

同じ天災を土台にした映画なのに、『タイタニック』はラブロマンスに見え、『パーフェクトストーム』からは捏造された事実の印象が拭えないのは不思議なところである。

『ハーフネルソン』

世界全体の評価は低いが、評論家からの評価は高い。また、ライアン・ゴズリングはアカデミー主演男優賞にノミネートされている。確かに、彼の演技が忘れられないのでいい演技をしている。要は、私がこれを書いているのはラグがあるので、膨大な数の映画を思い出しながら、一度に1000作品ほど溜めていたものを思い出しながら書いているわけだが、(なんだっけこの映画)となるのもあるわけだ。

その中で、調べていくうちに思い出し、そして今回の場合はライアンゴズリングが麻薬に依存しているシーンなどを主にメインで思い出すのである。そうして人の薄れていく記憶に確実に爪痕を残す演技をしている彼のおかげで、この作品の存在感が出ている。更に私は、この映画を『観るべき映画』としてチェックを入れているのだ。蛍光ペンを引いていた。

1957年に公民権裁判があり、

1971年にアッティカ運動、

1977年に政治家のハーヴェイ・ミルクが暗殺、

そういうアメリカのちょっとした歴史に触れてもいて、色々と考えることが多い映画でもある。

『パニック・フライト』

90分で、スリラー系だからチープな作りかと思いきや、しっかり短時間で映画としてのエンタメ性を押さえてくれてる。ちょうどいいスリルがあるから多くの人が楽しめるであろう映画だ。売り上げも制作費の3倍以上稼いでいるから、成功した作品と言えるだろう。

『パフューム ある人殺しの物語』

かなりリアルな設定だから、つい『パフューム 映画 実話』と誰もが検索しているようだ。サジェストが存在している。原作はパトリック・ジュースキントの1985年の小説『香水 ある人殺しの物語』であり、実話ではない。だが、それくらい臨場感があるのだ。まるで、本当にそういう男がいたかのように描かれる。この映画がホラーと同じ恐怖レベルなのに単なるホラーじゃない理由は、

  • 彼の生い立ちから描いている
  • 脅かす音楽が鳴らない
  • 彼は真剣そのものである

というところにある。私は『無駄』グロと言って、無駄という言葉を使うが、そういうものに触れるのは10代で終わっている。ただグロい映画を観る時間は無駄である。だが、こうやって『真剣に歪んだ人間を描く』なら無駄ではないのだ。彼はやむを得ずそう生まれて、やむを得ずそう育って、真剣にそれに従って生きただけに過ぎない。

やったことは許されない。もし自分の娘が同じ目に遭ったら彼を殺すかもしれない。だが、こういう人間の人生もあるということは、決して見て見ぬふりはできない。

製作費は5000万ユーロ(約6370万ドル)であり、最も高額なドイツ映画のひとつとなっているようで、映画の外観を定義するためにスタッフは、『スリーピー・ホロウ』、『アマデウス』、『オリバー・トウィスト』、『バリー・リンドン』、『フロム・ヘル』、『エレファント・マン』、『ドラキュラ』、『ジェヴォーダンの獣』、『ヴィドック』、『レ・ミゼラブル』などの時代劇を鑑賞したという。

たしかに私は関連映画に『エレファントマン』を挙げようとしていた。それはマイノリティという意味でだが、ここに挙げられている映画はすべてうなづける作品である。

『バンコック・デンジャラス』

確かにこれはいつも通り、ニコラスケイジの『借金返済プロジェクト』の内の一つである。彼は借金返済に苦慮していることから、仕事を選ばずに多くの映画に出演した。数年掛けて46本もの映画に出演したことが功を奏し、現在は全ての借金を完済済みであるという。

ということでその『選ばなかった仕事』のうちの一つと見るのが賢明で、あまりハードルを上げ過ぎない方がいい。映画というものは色々な形がある。スピルバーグのように磨き上げて計算された映画もあれば、アマチュアがテスト的に作ったものもある。

松本人志はどうだ。彼は映画監督をやりたかったのか。それともお金ができたから映画を作る余裕があったのか。色々な人が色々な事情で映画を作る。そのことを頭に入れるべきである。

だが、今回の映画は中々どうして見応えがあった。興行収入的には赤字だが、意外としっかりとしたシナリオが軸にあるのが見えた。それは恐らくこの映画がリメイク作品だからだろう。リメイクしようと思うほどしっかりとしたシナリオだったからだ。

『ハンニバル』

『羊たちの沈黙』の続編にあたるが、監督はリドリー・スコットということもありレベルは高い。

  • 『ブラック・レイン』
  • 『テルマ&ルイーズ』
  • 『グラディエーター』
  • 『キングダム・オブ・ヘブン』
  • 『アメリカン・ギャングスター』
  • 『ワールド・オブ・ライズ』

これが彼の映画の代表作の一例である。前作ではFBI特別捜査官のクラリスが主人公だったが、今回はハンニバル・レクターにスポットライトを当てるため猟奇的なシーンが多く、ホラーレベルも上がっている。

だが、前作はTwitterの映画アカウントで映画ファンが厳選した『映画TOP4』の一つに選ばれるほどの名作だ。『ダークナイト、BTTF、タイタニック』に並ぶその名作は、この男の狂気が裏で支えていることは間違いない事実だ。

だが、一つ決定的、いや致命的な問題としてクラリス役は、「同じ役は引き受けない」として断ったジョディ・フォスターに代り、ジュリアン・ムーアが担当したことだ。彼女は名優で、彼女の顔を知る人は多いのが実際だが、しかし、『では一流なのか』と聞かれたとき、大声で断言できる人はいないだろう。そういう役者なのだ。

ジョディ・フォスターほど追い詰められた女性を演じるのが上手い俳優はいない。もし彼女がまたクラリスを演じていれば、この映画の価値は更に引き上げられていただろう。

『ハンニバル・ライジング』

『羊たちの沈黙』シリーズ4作目となる映画で、ハンニバル・レクターの幼少期から青年期にかけてを描いている、時間軸では1番目の作品なので、ここから見ても面白いかもしれない。正直、キャストが弱くてB級感が否めないのだが、ハンニバル・レクターの過去を見れる面白さが勝つ。

ここで2つの名言を見てみよう。

『環境が人を作るのではありません。環境は私たちに私たちがどんな人間であるかを教えてくれるだけなのです。』-ジェームズ・アレン

『人物が偉大であるほど立派な環境を作る。人間ができていないと環境に支配される。』-安岡正篤

これを『インサイド・アウト』という。その逆で、環境や周りが人生のすべてを決めるという発想を『アウトサイド・イン』という。世の多くの人間が後者に支配されて人生を生きている。

では、彼の場合はどうか。『彼が幼少期に強いられた環境』は?あなたがもし同じ環境を強いられた時、それでもあなたは、そのアウトサイド(外部要因)に一切の影響も受けず、人生を生き貫けるだろうか。

『花の生涯〜梅蘭芳〜』

京劇の名女形・梅蘭芳の生涯を描いた伝記映画だが、似たような映画に京劇役者を描いた『さらば、わが愛/覇王別姫』があるから、ちょっとその爆発的な威力のせいで実話と言えど、押し負けてしまっている。

『花様年華』

これのすごいのが、本作でトニー・レオンがカンヌ国際映画祭にて男優賞を受賞。その他、

  • モントリオール映画祭最優秀作品賞
  • 香港電影金像奨最優秀主演男優賞(トニー・レオン)
  • 最優秀主演女優賞(マギー・チャン)
  • 金馬奨最優秀主演女優賞(マギー・チャン)
  • ヨーロッパ映画賞最優秀非ヨーロッパ映画賞
  • 2001年セザール賞外国語作品賞

など多数受賞し、更には英BBCが選んだ「21世紀 最高の映画100本」で、2位に選ばれているというべた褒めぶり。『2位』って。相当凄いですね!・・しかし私は全く価値がわかりませんでした!退屈な映画でしたね。私はあまり不倫ものが好きではないのかもしれません。不倫ものとか、ウディ・アレンが描く性を大々的に前面に大っぴらに押し出したものに拒絶反応が。これは国民性でしょうか。武士道精神が関係しているのかもしれませんね。

『ヒストリー・オブ・バイオレンス』

一度観ていることに気づいたが、その時は相当映画に興味がなかったのだろう。全く内容を覚えていなかった。90分程度しかないことも関係していたか。だが実際には2005年度アカデミー賞では脚色賞と、ウィリアム・ハートが助演男優賞にノミネートされていて、アメリカの評論家から絶賛され、『ローリング・ストーン』誌の2005年のBest top 10で1位に選ばれているという。

確かに、前回見たときよりも主体性のある私が見ても、(こんなに面白かったか)というクオリティではあった。当時はヴィゴモーテンセンのこともエドハリスのことも知らなかったし、名前を聞いても覚えようともしなかっただろう。そういうことも関係している。

時間も短いし、映画好きの人なら見て損はしない作品と言えるだろう。役者やそれらの人の活躍映画を多く知る人なら、(こういう映画もあったのか)となる映画である。

『ビッグ・バウンス』

wikipediaにもない映画で、皆の評価もやたらと低いが、だからといってB級作品ということにはならない。それらは一つの基準ではあるが、それで完全には決まらない。そろいもそろって全く的を外れている時もある。

今回は、確かに全体を通して大きな教訓はないし、世界でヒットするような要素はないだろう。だが、ハワイというのがいい。舞台がハワイで、美男美女が海の近辺でうろついているだけで、『夏に流す映画』として気持ちがいい。

私は夏にyoutubeにある綺麗な海辺の映像を流すが、その意味で、夏にお酒を飲みながら内容にこだわらず適当に見る分にはいいのではないだろうか。『サーファーのプライド』などと同じジャンルである。

『ヒトラー 〜最期の12日間〜』

『第二次世界大戦』の決定的な首謀者、ナチス・ドイツのヒトラー。彼は『日独伊三国同盟』でイタリア、日本という全体主義(ファシズム)、帝国主義の勢いを味方につけ、この世界を震撼させた。だが、結局『第一次世界大戦』同様、ドイツの連合は負けることになる。さて、歴史的問題児、ヒトラーの最期とはいかに。

『ピンクパンサー』

誰もが一度は聞いたことがある、あの名曲『ピンクパンサーのテーマ』と、ピンク色の豹のアニメ。あの実写版・・ではないが、アニメキャラクターにもなっているあの作品の、実写映画での表現、ということだろう。

第1作『ピンクの豹』はデヴィッド・ニーヴン演ずる怪盗ファントムを主人公とし、世界屈指のダイヤモンド「ピンク・パンサー」をめぐるロマンティック・コメディとして製作された。しかし、今回も主演を務める準主役であったピーター・セラーズ演ずるパリ警察のクルーゾー警部のキャラクターが好評であったため、クルーゾーを主役としてシリーズ化された。

今回もそのクルーゾー警部がいい味を出している。恐らく、吹き替えで観ても面白いのではないか。これを書いているのはラグがあるので私が見たのがどっちだか忘れたのだが。

『ファイヤーウォール』 

インターネットの歴史を考えてみよう。

検索エンジンの必要性の高まりと乱立と競争が起き、2000年代には企業がインターネット上の枠組みを活用して、本格的に商業的サービスを提供するようになる。

この映画は2006年の映画だ。

2000年代には、電子メールやウェブサイトなどに慣れた人々が多数派となり、ほとんどの国で、インターネットは一種の「社会インフラ」のひとつともなった。さらに2010年代にはスマートフォン(スマホ)の爆発的な普及を見せる。

この映画は2006年の映画。またスマホが普及される前の、インターネット黎明期に近い時代のもの。すでにFacebookは2004年に作られていたし、SNSもいくつかはあった。youtubeが産声を上げ始めたのもこのあたりだ。

だが、その辺りのプラットフォームはとにかくまだ化ける前で、まだまだWebサイトのアクセスは、当然パソコンからがほとんどだった。現在は7割以上がスマホからのアクセスで、これはもう10年ほど続いている現象だが、とにかくこのように、時代が少し違うだけで世の人々の心境も行動も大きく変わってくる。

検索エンジンの世界は、かつて『SONY』と打ち込んだら一番上にアダルトサイトが来るようなぞんざいなシステムでしかなかった。この映画は2006年の映画だ。よって、まだスマホが普及される前であり、人々がようやくインターネットに慣れ始めた頃で、すなわちそれは様々な混沌が存在していたことを意味する。youtubeもインスタグラムも、最初は『あってはいけない動画・画像』のオンパレードだった。

ある種、『その何でもあり』がうけて世界中にあっという間に蔓延したといってもいい。そのうち規制が厳しくなり、現在の状況になったが、からくり的に、最初にそうして大ぶろしきを広げ、戦略的にさも途中で気づいたかのようにして規制を厳しくし、徐々にその世界に秩序を作っていったようにしか見えない。いきなり厳しくするということは、つまり門を狭くする行為に等しいわけで、そうすれば認知も低いままだし、人が集められなければビジネスは展開できない。

さて、そういう時代背景を考えた後、ようやくこの映画に向き合ってみよう。当時の人々はインターネットに対してどのような目を向けていたか。そして、そこにはどういうリスクが存在していたか。この当時だからあり得る、未知の領域に対する不安で作られた、インターネットサスペンスである。

『ファウンテン 永遠につづく愛』

『ブラック・スワン』の監督で有名なダーレン・アロノフスキーは、聖書関連の話を持ち出すことが多く、かなり攻めた内容が多い。『ノア 約束の舟』や『マザー!』などがそうだ。そのほとんどが賛否両論が生まれる映画になっている。

彼は『アメイジング・グレイス』の監督テレンス・マリックと似たような学歴を持っている。マリックはハーバード大学で哲学を専攻し、1965年に首席で卒業。ローズ奨学金を得てオックスフォード大学大学院に入学した。日常言語学派の哲学者ギルバート・ライルの元で学んだが、キルケゴールやウィトゲンシュタインに関する意見が合わず、博士論文を出さずに中退した。

また、ダーレンの場合も、ニューヨーク・ブルックリンのロシア系ユダヤ人の家系に生まれ、ハーバード大学で人類学やアニメーションを学んでいる。ユダヤ人というのは『賢い人間が辿り着く場所』という一つの見解があるので、『賢い×賢い』で、ちょっと凡人では理解できないような的を射ることがあるのだ。

その為、あまり賢すぎると凡人がついてこれず、首をかしげてしまう結果に終わる。今回もそうした作品の一つである。私はギリギリ、マリックの『ボヤージュオブタイム』の『意味』を映像から理解したが、それは左脳的熟考と内省をふんだんにしてきた経験があったからだった。だが、だからといって後のことすべてが理解できるわけではなく、(恐らく意味があるのだろう。話を聞けば納得するような内容なのだろう)とは思うが、今回に関してはそこまで深追いをしようとは思わないような作品だ。

『ファッションが教えてくれること』

『ヴォーグ』の編集長アナ・ウィンターに密着したドキュメント。彼女はあの『プラダを着た悪魔』に登場する鬼編集長のモデルとなった人物である。ファッションが好きな人、キャリアウーマンとして働く人、また映画を最大限に楽しむために見るのがおすすめ。

『フールズ・ゴールド カリブ海に沈んだ恋の宝石』

アドベンチャーもので、『カリブ海』、『スペイン財宝艦隊の財宝』など、かなり冒険心がある人の心をくすぐる要素が揃っている。だが、映画にするにしてはもう少し女優側が万人受けするような美女だった方が良かったかもしれない。

違う作品で息が合ったコンビということなのだが、一線を画すことはできない理由が確かに存在してしまっている。マシューマコノヒーの方は『サハラ』でもこれでも、海が似合う色男として絵になるが、どちらかというとあっちの方が、ペネロペクルスがパートナーだから絵になった。

映画は様々な要素が複雑に絡み合ってシナジーを起こし、ヒットにつながる。『ハムナプトラ』では2までレイチェル・ワイズがいいコンビをしてみせたが、3でマリア・ベロが演じて、やはり前作以上の面白味はなかった。

だが、興行収入自体はそう変化がなかったので、やはり映画は色々と複雑だ。『オズはじまりの戦い』なども賛否両論だったが、興行収入は成功した。今回の映画も単純に考えればヒットしそうなもので、アメリカでは2008年2月8日に公開され、初登場1位を記録し、130億円以上の売り上げを上げたが、『インディジョーンズ』や『パイレーツオブカリビアン』、『ハムナプトラ』のそれには及ばない出来となった。

これなら、美男美女が見れる『イントゥ・ザ・ブルー 』でジェシカアルバやポールウォーカーを観た方がいい、という印象でしか焼き付かないかもしれない。ただ、常に海が見れることもあって、夏の夜にこれを流せば絵になることは事実だ。皆こういう雰囲気は好きだ。

『フェイク シティ ある男のルール』

修行して善で悪を追い出す『性善説』。外部から後天的に善を積み上げる『性悪説』。黒幕は暗に荀子の性悪説を説いたが、私は『どちらも正しくて、どちらも不完全である』と見る。両方が混在している。人はそのバランスを整える使命を負っているのだ。

『フライ・ボーイズ』

第一次世界大戦というのは、はじめて戦争に飛行機が導入された戦争だ。アメリカのライト兄弟は、1903年12月17日に飛行機(動力を備えた重航空機)「ライトフライヤー号」による世界初の本格的な有人飛行を行った。彼らは別に戦争でこの飛行機を使ってほしいと思っていたわけではなかった。彼らはただ、空を飛んでみたかっただけだったのだ。

その後、何人かの技術者の手によって、飛行機の活用方法に様々な選択肢が与えらていった。第一次世界大戦では、飛行機は最初偵察機として使用された。当初敵の偵察機と遭遇しても「同じパイロット仲間同志」としてハンカチを振り合ったという逸話があるが、すぐにピストルを撃ち合うようになり、武器自体も機関銃へと進化して戦闘機が生まれた。また敵地上空まで飛んでいって爆弾を落とす爆撃機も誕生した。イギリスは世界最初の雷撃機を製造した。ライト兄弟の弟オーヴィルは、第二次世界大戦で飛行機が戦争に使われ、自分の人生を後悔したという。

さてこの大戦で、アメリカ合衆国が未だ参戦を決めかねていた時期に、様々な事情から外人部隊としてフランス空軍に志願入隊し、ドイツ軍と戦ったアメリカ人の若者たちがいた。彼らの所属した実在の中隊「ラファイエット戦闘機隊」は実在する部隊だ。同じように戦闘機乗りを描いた『メンフィス・ベル』よりも人間ドラマが多く描かれるので、それよりは見やすい映画となっているだろう。

『プライド&グローリー』

最後のシーンは見ものである。ただ、コリンファレルというのは常に『惜しい』。彼の映画は『アレキサンダー』以外は、ほぼ惜しい。何かが足りないということだ。なんか、おお化けしそうな気配を醸し出すのだが、大化けしない。そういう作品ばかりが目立っている。

賞もかろうじてゴールデングローブ賞を受賞しているが、『ヒットマンズ・レクイエム』という、3000本も観ている私でも見ていない映画だ。『デッドマン・ダウン』はよかったが、『トータルリコール』も、なぜかシュワちゃんのそれを超えなかった。この映画も、惜しい。何だか分からないが、あと一歩名作にならない。決して嫌いな俳優ではないので、彼が何とかもっと日の目を見る日が来ることを祈る。

『プライドと偏見』

18世紀末のイギリス。とにかくかつての時代を覗くと人間が理不尽な扱いをされている。黒人や女性だ。これはそのどちらにも該当しない私のような人間が声を大にして言わなければならない現実である。しかし、私の声など到底届かない頑強な要塞で塗り固めた巨大権力は、そう簡単には砕けない。女性では相続権がなく、父親が死んだら遠縁の男性が遺産を相続する。誰もがそういう状況を強いられた時、彼女らのように『理想の男性』を夢抱き、待ち焦がれるのではないだろうか。

では彼らのケースはどうか。確かに財産ある男性が現れた。金目当てという単純なことではなく、命に関わるのだ。自分や家族、そして生まれてくる子々孫々の命の種が『金持ちの男性』というエネルギー源に宿っている。しかしこの男、どうも様子がおかしい。『傲慢』に見える。彼女にとって彼は、理想の男性になりうるのだろうか。

『ブラザーフッド』

1945年から朝鮮半島は『北朝鮮』と『韓国』に分裂する動きがみられていた。そして、1950年には南北で朝鮮戦争が起こる。そこで暮らしていた人々は、強制的にその戦争に参加させられることになった。これは、民族間での戦争であり、アメリカで言うところの南北戦争である。エンターテインメント性が高く、悲惨な戦争のシーンも取り込みながらも、映画ならではの見応えもある。少しでも多くの人が戦争に興味を持つために、このような作品は存在するべきである。

『ブラック・ダリア』

タイトルが格好いい。1947年にロサンゼルスで実際に起きた猟奇殺人事件「ブラック・ダリア事件」を題材としていて、実話というところもいい。また、スカヨハやジョシュハートネットなどキャストが豪華なども凄い。だが、それらが凄いから期待値が上がり過ぎて、内容がついてきていない映画だと言えるだろう。

元々はデヴィッド・フィンチャーが監督するはずの企画だったようで、フィンチャーはこの後、当作品のテーマと同じく、別のある未解決事件を描いた『ゾディアック』を手掛けている。

彼がこの映画を作ったらどうなっていたかが気になる。私のように何の差別もしない人間が、彼の映画をすべて面白いと思ったのだ。えこひきいなど一切していないのに、面白いと思った映画を後で調べたら、彼の名前が出た。そして先日『ゲーム』を観た時に改めて彼の監督した映画を観たら、もうそのすべてが面白いという事実に気づいた。

  • エイリアン3 Alien³(1992年)
  • セブン Seven(1995年)
  • ゲーム The Game(1997年)
  • ファイト・クラブ Fight Club(1999年)
  • パニック・ルーム Panic Room(2002年)
  • ゾディアック Zodiac(2007年)
  • ベンジャミン・バトン 数奇な人生 The Curious Case of Benjamin Button(2008年)
  • ソーシャル・ネットワーク The Social Network(2010年)
  • ドラゴン・タトゥーの女 The Girl with the Dragon Tattoo(2011年)
  • ゴーン・ガール Gone Girl(2014年)

キューブリック映画ですらそういうことはない。彼の後年はすべて最高だが、昔過ぎて私が追いつかないところもある。

彼はどうも完全主義者として知られており、ひとつのシーンの撮影のために、俳優に100回以上のリテイクを出すことも珍しくないという。私も完璧主義者なので、そこにシンパシーを感じたということかもしれない。もし彼がメガホンを取っていたなら、恐らくジョシュハートネットはもっともっと、『巻き込まれていく』感じになるのではないだろうか。スカヨハはもっと魔性の女になり、アーロンエッカートは『ダークナイト』のトゥーフェイス以上に狂気があるように描かれる。

ジョシュハートネットは大ヒット映画があまりなく、まだまだ超一流とは言えない俳優なので、その非凡性を潰すためにも、『ブラック・ダリア事件』という謎の闇にもっともっと飲まれて、人格を失っていくように描けば、彼のデメリットが消える。残りの二人も、もっと今回以上にできるだろうから、デヴィッド・フィンチャーであればもっと輪郭をハッキリさせ、ミステリアスな部分にもっとスポットライトを当てて、この事件をもっと有名にすることができたはずだ。

だが、今回の監督のブライアン・デ・パルマも凄い。

  • 『キャリー』
  • 『スカーフェイス』
  • 『アンタッチャブル』
  • 『カジュアリティーズ』
  • 『カリートの道』
  • 『ミッション:インポッシブル』

と、名作が揃う。だが、フィンチャーのようにすべてが面白いわけではないので、その辺りのマッチ度が今回に影響したか。

『ブラックブック』

オランダの映画はあまり世に出ていない。そういう印象を得るが、それはオランダの人も同じように思っているかもしれない。(日本の映画はあまり知らないなあ)と。彼らにとっての邦画は、オランダ映画なのだ。だから勝手に日本人である私に『マイナー映画』と言われるのは癪だろうが、そのマイナーな映画の類を観るといつも考えることがある。それは、(どこの国でも人がいて、同じようなドラマがあるんだなあ)ということである。

とりわけ、この映画はハリウッド映画に匹敵する迫力と演出があり見応えがある。そこで、あえて『違い』を考えてみる。するとすぐに思い浮かぶのが、浅薄な実態である。例えば、美男美女かどうか。あるいはその俳優がどれだけ有名で、絵になり、主役たるカリスマ性があるかどうかという、本来は枝葉末節なはずのいくつかの要素である。

やはり人間がエンターテインメントに求めるものは、絵になる世界なのか。例えばゲームに登場する女性キャラクターたちは往々にして絶世の美女ばかりだが、こういう面白い見応えのある映画を観た時、その知名度と評価が伴っていないといつも、不思議な感覚に襲われる。だが、そのような観点を持つくらい映画鑑賞者としての経験が多く積まれるようになった今、改めてスピルバーグの作品を観ると、鑑賞したことに非常に高い満足を得ている自分に気づく。

レディー・ガガはこう言い、

『作品には“奥深さ”と“わかりやすさ”の両方が共存していなくてはいけないとわかってきたの。』

ユニクロ社長、柳井正はこう言ったが、

『「オレたちはいいモノを作っている」という自負だけでは商品は売れません。』

どちらにせよこの映画は、見ごたえのあるいい映画だ。

『ブラッド・ダイヤモンド』

『ブラッド・ダイヤモンド』とは、紛争の資金調達のため不法に取引される、紛争ダイヤモンドである。アフリカ・シエラレオネの内戦(1991年 – 2002年)を舞台に、ブラッド・ダイヤモンドを中心としたアウトローたちの物語が展開されていく。作品内で奥の深い言葉が登場する。『とうの昔に神はこの地を見捨てている』。『ホテル・ルワンダ』のエンディングでも、我々は『アフリカと神』について熟考させられるが、現在も20万人以上存在すると言われる少年兵たちや、麻薬、強奪、強姦、虐殺といった、あまりにも無残な現実を考えたとき、この話の奥行きは、何回層も深くなっていく。

ブラッドは、『血』である。この作品で流れたブラッドには、一体どのようなメッセージが込められているのだろうか。

『ブラッドワーク』

自分が誰かに生かされていることが分かったら、その人に対する忠誠心が芽生える。それも、そこに微塵として強制や嫌味がなく、一方的でもなく、自分の為に本当に犠牲になっていて、しかも本人はそれを『犠牲』とは思っていないことが分かった場合、普通、人ならその人に対し、忠誠心が芽生える。

元来、人がそこに生きているなら、そこには祖先がいる。自分の目には見えないという理由で、彼らや彼らの想いをリセットしてしまうのは愚かだ。心臓移植手術のことを考えて内省しようと思ったが、『木を見て森を見ず』だとすぐに悟った。別にこのような特殊な環境じゃなくても、人はその命を無下にしてはいけないのだ。

もちろん、異常犯罪者になることなどもってのほか。問題外である。

『フランス外人部隊 アルジェリアの戦狼たち』

『アルジェの戦い』で有名なアルジェリア戦争(1954年から1962年)を背景に、男たちの友情と戦いを実話に基づいて描かれる。『フランス外人部隊』というのは、フランスにある『外国人で形成された部隊』のことだから、フランス人ではない人たちの部隊だ。

フランスの植民地であるアルジェリアに配属された男が、過酷な訓練を通して隊員と絆を深める。外人部隊は、アルジェリア独立を掲げる自由軍と壮絶な攻防を繰り広げる。やがてフランス大統領シャルルドゴールがアルジェリア独立を容認したため、独立反対派の植民者ピエ・ノワールを支持する外人部隊はフランスと対立してしまう。

『プリティ・プリンセス』

まずこの手の映画を男の私が前のめりに『観よう』とはならない。女性向けの映画だ。女性からすれば楽しい要素が盛りだくさん。女性は誰もがシンデレラストーリーとして『白馬の王子様』を求めているが、現実の男性のほとんどは、それとはかけ離れた存在。だから、男性は半ばやけを起こすかのように、そっぽを向いてしまうのだ。

だが、興味のない男性も、これを聞くと興味が出るかもしれない。監督のゲイリーマーシャルは、『プリティシリーズ』と言っていいほど、プリティがつく映画を作っている。

  • プリティウーマン
  • プリティリーグ
  • プリティヘレン
  • プリティブライド
  • プリティプリンセス

やはり何と言っても『プリティウーマン』だろう。これを作った監督が作っていると聞けば、もしかしたらそれらの延長戦かなにかという感覚で、これらの映画を観賞しようと思うかもしれない。また彼の映画の

  • バレンタインデー Valentine’s Day (2010)
  • ニューイヤーズ・イヴ New Year’s Eve (2011)
  • マザーズ・デイ Mother’s Day (2016)

という記念日に特化した映画も中々面白いし、『プリティリーグ』は実は妹のベニーマーシャルが監督なのだが、彼も出演していて、これも中々面白い。若き日のマドンナも出演しているし、色々と見応えがある。

さて、そう前置きしたが、実はいざ見てみると男の私でも十分楽しめる内容だったのだ。それは続編の『プリティ・プリンセス2/ロイヤル・ウェディング』でも同じことだった。女性の恋愛相手は男なんだし、意外と女性向け映画というのは、実は男性向けなのではないかと頭に浮かぶことになるだろう。

『プルートで朝食を』

性別不合の人の人生はあまり共感できないものが多く、毎回勉強のために観ている。それに悩む人が命を絶つ話も近くであるし、(そこまでする必要はない)と考えているが、同時にやはり複雑な目を向けてしまうのが現実なのである。そして彼ら、彼女らにそれだけ理解者が少なく、死が頭をよぎるほど苦しんでいるというのならと、理解したいからこそ、学ぶ目を向ける。

『異物』のように見えるのはもうあとわずか数十年のことなのかもしれない。若い世代は多様性を受け入れるべきだ、『という初期設定』の中で生まれ育っているから自然と受け入れやすくなっているが、また違う初期設定の中で生まれ育った世代は当然、違う受け止め方になる。

だが、この映画が意外と受け入れやすかったのは、ドラマがしっかりとしているからだ。『さらば、わが愛/覇王別姫』でもまったく同じことが言えるが、性別不合ではない人間に、『同性愛の良さ』を押しとおされても、抵抗感がある。

それは別にこのテーマだけに限った話ではない。私の性格上、どんなことでも押し付けは抵抗感がある。親に宗教を強要されて育ったからだ。私がこのテーマの映画を観る時よく首をかしげてしまう理由は、彼ら・彼女らが映画を通して(私たちを理解して!)と訴えたいがために、その主張が押し付け的な逆効果になってしまい、逆に距離ができてしまう現象が起きてしまっているからだ。

だが、『さらばわが愛』もそうだし、今回の場合も近いのだが、ドラマがしっかりしている場合は他のドラマ映画と同じように観ることができる。私はこの感覚が一つのカギのように見える。

『プルーフ・オブ・マイ・ライフ』

ピュリッツァー賞やトニー賞を受賞した舞台劇『プルーフ/証明』を映画化していることもあり、シナリオ自体は面白い。興行的には赤字だが、完成度は高いので見るべき映画として人に勧められる。もちろん、冒頭の賞のことは今調べて初めて知っているので、それは後付けで作品の価値には関係ないことだ。知る前から私はこの映画のメモとして、蛍光ペンを引いていた(面白い映画には引く)。

ゲーテは言った。

『人々は理解できぬことを低く見積もる。』

私にとっても本当に縁が深いこうしたテーマ。その乖離を、無知な人の為に埋めなければならないことに私は意味を見出せない。教師ではないからだ。そして私が実際には教師になる要素を持ち合わせているのにしないのは、人のことを自分よりも愚かだとは思っていないのである。

親は子供にものを教える時、自分より『無知で無力』だと知っているからものごとを教える。だが、それがいつまで続くかは分からない。ある時期から自立を促す意味でも教えなくなるケースも多い。たいていの場合、私が言う『人』とはその年齢に達している人である。おこがましいのだ。自分が人を自分より無知と決めつけて物を教えることは、越権行為のように思える。

また、主体性は親の例で言ったように放置することで促される事実もある。何もかも指示、指導することは私の人生では日常茶飯事なのだが、そうすると目の前にいるのはいつも『YESマン』だ。恋人でさえそうだった。自分で物事を決めず、人形のようだとして、別れたこともある。そこにはどこか、無責任ささえ覚えた。

あるとき、筆一本で食べていこうと決意した尾崎行雄が福沢を訪ねたときの話だ。尾崎が『識者(物事の正しい判断力を持っている人。見識のある人)』にさえわかってもらえればそれでいいから、そういう本を書きたいと話したところ、福沢は、

馬鹿者!

と一喝した後、こう言ったのだ。

『猿に見せるつもりでかけ。おれなどはいつも猿に見せるつもりで書いているが、世の中はそれでちょうどいいのだ。』

さしずめ私は、尾崎行雄である。本当に賢い人というのは福沢諭吉のように乖離を埋められる人だということは分かっている。だが、往々にして自分の理解を求めてアピールする時、虚しい。

『自分の証明が正しければ賞なんて必要ない。』

そう言った鬼才、グリゴリー・ペレルマンのように、孤高の道を歩こうとしてしまう。

『プルーフ・オブ・ライフ』

ある日夫が南アメリカで反政府ゲリラに誘拐され、救出の為に、元イギリス陸軍特殊部隊のプロフェッショナルに交渉してもらうことになった。交渉には忍耐強さが必要だ。しかし、いたずらに時間が過ぎていると感じる妻は、交渉人に感情をぶつけ、いつの間にかお互いの心底に信頼関係が生まれ、やがて彼らは恋愛感情にも似た感覚を覚え始める。だが、彼女には夫がいる。そして男も、一流のプロフェッショナルだ。果たして、夫の行方は。そして二人の恋の行方は。

『プレシャス』

自分以外に人間がいなければ、比較する対象がないから劣等感に陥ることはない。自分以外に人間がいなければ、相手の価値観を一方的に押し付けられ、精神的に苦しむこともない。だが、自分以外に人間がいなければ、この奇跡の出会いはない。人間は、今日もこの多様性が混沌とした矛盾だらけのこの世界を、ただ、ただ、生き抜くだけだ。

『プレステージ』

映画を100%楽しむためには、知識と情熱が必要である。私が最初にこの映画を観た時は、それがなかった。だからこの映画の価値もクオリティも、奥行きも何もかも理解していなかった。ニコラ・テスラがエジソンをしのぐ可能性を持っていた人物であるということさえ知らなかったのだ。あれから13年。私は歴史や偉人や、様々なことを学んだ。そして知ったのだ。この映画の本当の面白さを。映画は思っているより、深く、楽しいエンターテインメントだ。

『ブロークバック・マウンテン』

私はノーマルだから、男同士の関係には抵抗を覚える。『キャロル』なら美人同士だからいいし、『リリーのすべて』も俳優が迫真の演技をするから見応えがあった。だが『ムーンライト』はだめだった。では今回はどうか。観終わった後私はこの映画を、このジャンルにおけるトップ3に入れるべきだと考えた。1位にしてもいいかもしれない。

ちなみに『マイレフトフット』で有名な名優ダニエル・デイ=ルイスは、ヒース・レジャー死去直後の2008年全米映画俳優組合賞、主演男優賞の受賞スピーチにおいて、自分に映画界復帰の気持ちを与えてくれた俳優としてヒース・レジャーの名前を挙げ、

『ブロークバック・マウンテン』での彼の演技は、比類なく、完璧でした。映画の最後のあのトレーラーの場面は私が今まで見た全てのシーンのどれにも引けを取らないほど感動的でした。

と言ったという。私もそのシーンでこの映画に対する評価が急激に変わったのだ。最後の最後まで、この作品から目を反らしてはならない。

『フロスト×ニクソン』

1977年に放送されたイギリスの司会者デービッド・フロストによるリチャード・ニクソン元アメリカ合衆国大統領のインタビュー番組を描いた作品。大統領辞任後のニクソンと、有名番組の司会者であるデービット・フロストの対談。単なる対談がなぜ映画になるかというと、『映画になるレベル』であった『ウォーターゲート事件』について、重要なシーンが描かれるからだ。

『フロム・ヘル』

原作自体は19世紀末に起きた「切り裂きジャック」事件を題材としていて、内容のほとんどがは厳密に史実に基づいているが、この映画版は脚色が加えられている。ジョニー・デップは同じような伝説的な事件を題材にした映画『スリーピーホロウ』にも出演していて、その翌年に公開されたことを考えると流れがあったのだろう。私は今まで観た映画を似たような作品で並べてまとめているが、やはり同じような種類の映画に同じキャストが出ていることが多い。それは、映画を観た関係者が配役を決める際にそれに影響される可能性があることを意味している。

実際に起きた事件ということで時代背景や登場人物はリアルである。ヴィクトリア女王の統治する時代に中国(清)とインドとイギリスの三国で『三角貿易』が行われ、イギリスは銀を回収する。綿織物をインドに売りつけて、代わりに阿片を中国に流して依存症にさせる。清の最高幹部がアヘン中毒になったおかげで、清がアヘンの輸入を公認するわけだ。そしてそのせいで清にあった銀がイギリスに大量に流れてしまうことになる。イギリスの作戦勝ちということである。

だが、それは歴史の断片的な表層。実際、阿片が世界の人々の生活をどのように変えたかを考えるのには、『グリーンデスティニー』、『ワンスアポンタイム・イン・アメリカ』、またあるいはこのフロムヘルなんかでもその様子をうかがうことができる。

(ここでもアヘンが出てくるか。阿片というのは中国人だけじゃなく、当時、世界の隅々にまで蔓延し、秘密裏にそれを吸う人々が続出したのだ。)

そういう発想が頭をよぎることになる。そこまで考えた時、歴史的未解決事件であるこの「切り裂きジャック」の真相とは、いかなるものだったのか。それは例えば今回の映画でまとめたような方向だったかもしれない。それは、我々がヴィクトリア女王を『大英帝国の最盛期』として歴史で学んで認識することと似ている。それはとても断片的である。しかし実際に植民地となったインドその他の国々の人生を具体的に目の当たりにしたとき、あるいはこの阿片問題などを考えた時、我々は彼女らの帝国に差す後光に禍々しさを覚えることになる。

その禍々しい後光から生まれた怪物。それが『地獄から来た(フロムヘル)』魔物だったのかもしれない。

『不都合な真実、2』

1,2を通して温暖化や地球環境問題、例えば太陽光とかの自然エネルギーの活用を実現させて、グラフ化してプレゼンして、 わーっ と皆が盛り上がるシーンがある。だが、『クリティカルパス』という40年前の本には、この現実より遥かに先を読んだ展開の話があるのだ。そこにも同じように地球環境問題が書いてあるが、『宇宙船地球号』という表紙の記載から既に群を抜いてる。 『俺たちは地球という宇宙船に乗ってるんだ。その地球の資源は有限なんだ』という理解をさせて、 太陽 ・水 ・風何かの無限エネルギーを有効活用する方法が書いてある。

例えばトイレをする。それが地下に落ちる。それがそのまま肥料となる。そうしたあらゆるからくりがある家を作って皆が住めば、

  • 人:無駄な支出
  • 地球:無駄な資源浪費

をしないで済む。震災の時にエコハウスの話が話題になったが、それよりも30年も前にこの本が出ている。 6000円もする本だが、やはり相当賢い本なのだと、このドキュメントを2本観て理解した。なんせ、アル・ゴアはこの『不都合な真実』でノーベル平和賞を受賞したのだから。この著者のバックミンスターフラーは天才すぎて、人々の理解が追い付かなかったのかもしれない。

『ヘアスプレー』

ミュージカル映画で、雰囲気は全体的に明るく、使用される色がカラフルなで、かつ人種や人々の多様性が見られるから、アメリカに受けそうな映画だ。だが、こと明るさだけで言えば世界共通の規格なので日本でも人気の映画だ。とにかく明るかったり、よく笑うというのはそれだけで見てる人の目を惹きつける。

例えば日本のゲーム配信youtuberで売れている人の共通点が『よく笑う人 』だという。確かにそれは私もこの目で確認しているが、ゲームというのはどうしても一人でやりがちだから、一人であまり明るく大笑いしながらやる人はいないわけで、どちらかというと(ちっ)などとぶつぶつ言いながらやっていくものだ。

どちらがゲーマーかというと後者である。後者はそう言いながらもコントローラーから手を離さずに黙々とやり続け、最後には全クリするものだが、前者は『全クリするより楽しみたい』という発想を持っているように見え、『楽しめないならゲームじゃない』と思っているように見える。このことから、ゲーム、映画、云々関係ない次元で、『明るく、笑顔になる要素』というものは世界共通で人に受け入れられやすいという事実が存在するだろう。

だから、キアヌリーブスの若き日の映画『ビルとテッドの大冒険』だとか、ジムキャリーの名作『マスク』など、奇妙な映画でも明るさがあるだけで十分エンタメとして成立してしまうところがある。

今回は、60年代アメリカが舞台で、黒人差別が今よりももっと強かった闇の事実を描くことになるが、それ以上に明るい雰囲気が強いので、観終わってしばらくした後の感想も『明るい映画』として残っている。

『ベオウルフ 呪われし勇者』

この内容自体はB級としか言いようがないぞんざいなものだが、この『ベオウルフ』という話自体は人間にとってとても貴重なものである。だから、これをもっと面白く展開させることが人間の責務だろう。

だが、監督が『BTTF』のロバートゼメキスなのだから、あまり責めようがない。映画史における最高の映画、NO.1に選ばれることも多々あり、私もそう思っていて、私を映画好きにさせてくれたその映画の監督の作品とあれば、あまり悪口は言えない。

が、この作品自体はボツである。ただし、やはり『ホビットの冒険』や『指輪物語』への影響が常に指摘されているくらい、ファンタジーの世界にとっては重要。何しろ、それらの作品こそが『史上初のファンタジー作品』と言われているからだ。

それを作ったのがJ・R・R・トールキン。そしてトールキンこそが、このベオウルフの研究者の重要な一人だった。キャストは一流なのにB級レベルで終わるという残念な着地だが、言ったように演出次第では人類史上極めて重要なファンタジー映画になるだろう。

『ベティ・サイズモア』

妄想癖のある女性の話で、男からしたら正直何だかよく分からないという人が多いはずだ。それは主演のレネーゼルウィガーの『ブリジット・ジョーンズの日記』が、圧倒的に女性ファンが多い事実からも証明されている。だが、何だか妙に引き込まれる感覚がある。事実、彼女はこの映画でゴールデングローブ賞 主演女優賞 (ミュージカル・コメディ部門)を受章していたりして、評価が高いのだ。

こういう確固たる基礎が彼女を『ジュディ 虹の彼方に』に導いた。彼女はその作品で第92回アカデミー賞において、主演女優賞を受賞したのだ。ブリジットでもノミネートされているが、『コールド マウンテン』然り、確かな一歩の積み重ねにより、女優としての確固たる地位を築いた。特別美人というわけでもない女優が、見事にその実力を世界に知らしめた。そういう彼女の布石の一つ一つを見ているようで、ある種の感慨を覚える。

『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』

80歳で生まれ、若返っていく男の物語。時間間隔が人と異なる数奇な運命を背負った男は、一体どういう人生を送ればいいというのか。ようやく逢えたかつての最愛の人は老い、そして自分はまた一歩、赤ん坊に近づいていた。

『ボーダー』

ロバート・デ・ニーロとアル・パチーノがなぜ『夢の共演』なのかを知っている人は、中々の映画通だ。そういう人は、ただそれだけの理由でもこの映画を楽しむことができるだろう。そして、更に展開も面白い。熟練の俳優だからこそにじみ出る深みと凄みを見よ。

『ホステージ』

これはブルースウィリスの映画だが、なんといっても悪役のベンフォスターが異彩を放っている。こういう何をしでかすか分からない、かき回す役がいると作品の注目度が引きあがる。目が離せなくなるということだ。

時折優しさを見せたり、本当に何がしたいのか分からない悪役を見事に演じていることから、流れ次第では彼がいずれ『ジョーカー』を演じてもおかしくないほどの腕前だ。だが、そうはなっていないのには理由があるのだろう。悪役にうんざりしているか、2022年現在、まだ41歳という年齢ということも関係しているかもしれない。

私はいつも彼を映画で観ると(相変わらず顔つきが悪いな)と思うのだが、うまく作品をかき回してくれるので、いいスパイスとしていつも喜んでいる。だがもしかしたら『いつまでもスパイスどまり』というコンプレックスを抱えているかもしれない。とにかくこの作品での彼はいい味を出している。

『ホット・ファズ -俺たちスーパーポリスメン!-』

『ミッションインポッシブル』で顔なじみのサイモンペッグがいかんなく活躍する破天荒刑事映画で、あの映画での彼の立ち位置があまりにも印象的だから、彼が何をしても一流の真似事にしか見えないというデメリットが浮き彫りになっている。

だが、興行的には成功しているからそれなら問題はないだろう。また、なんと映画評論家の水野晴郎が生前最後に観た映画だという。それは貴重な作品ではないか。彼はこの映画について「編集が面白い」と評していたという。

『ホテル・ルワンダ』

1994年、アフリカのルワンダでフツ族の過激派がツチ族を大量に虐殺する大事件が起きた。ホテルの副支配人だった実在の人物、ポール・ルセサバギナは、その民族同士の争いのど真ん中の立場に立たされ、究極の判断を迫られ続けることになる。自分が死ぬか、家族が死ぬか、多くの仲間を見殺しにするか。ホテルマンとして、人間として、その究極の状況で取るべき行動とは一体何だろうか。これは、エンドロールに流れる最後の歌の歌詞までがセットの作品だ。私はこの最後の歌の歌詞を見たとき、この映画が当サイト映画ジャンル別ランキングの『宗教編』のトップ3に入れるべき作品だと確信した。

『ホリデイ』

嘘や不誠実が当たり前のように蔓延している世の中でも、確実に『優しい人生』を生きる誠実な人がいる。『愛』とは人間が勝手に名付けた概念だが、なぜかそれに触れると人の心は、虚無から遠ざかる。愛の正体も、繊細な人間の心も、とても尊い。

『ポワゾン』

当時、確か映画館で見た気がするのだが、とにかく一度観ているがあまりにも前のことで詳細を忘れてしまっていたので再鑑賞した。私はこの映画で観た『恋は奪うもの、愛は与えるもの』という名言を忘れたことがなく、当時の未熟な私でもこの言葉に逆らえず、割と基礎を積んだその後の私が考えても、この言葉には逆らえないままなのだ。

この映画の根幹にあるのはそれである。この根幹を理解していれば、この映画が2倍楽しくなるだろう。興行的には赤字で失敗していて、18禁の映画で、私もなぜかそういう方向の映画だと間違って記憶していたが、改めて見ると全然そういうことはなく、『大人の映画』くらいのものだった。だから大人の私が見て面白かったのだ。アンジーに関しては『ツーリスト』にも似た雰囲気がどこかにあって、セットで考えて鑑賞しても面白いかもしれない。

『抱擁のかけら』

ペネロペクルス目的で見たが、アメリカ映画じゃない映画は、大体こういう不思議な感じの映画が多いので、仕方ない。

『僕はラジオ』

ジェームズ・ロバート・ケネディという男がいる。彼は妙だ。妙な動きをしていつもその辺りをうろついていた。だが、悪気はないらしい。知的障碍者のようだ。彼のような人間は『誰に出会うか』が運命を決める。悲惨な末路を迎えた実話もある。韓国の『7番房の奇跡』の主人公は、無実の罪なのに刑務所に入れられてしまった。転んで頭を打ち死んでしまった少女を生き返らせようとして、血流の確保の為にズボンのチャックをおろし、人口呼吸をする。だが、それを偶然見てしまった老婆に、その光景を『完全に誤解』されてしまった。彼はその事情説明をきちんと行うことができず、当時の警察たちの恣意的推論によって冤罪として懲役刑を受け、いわれもない最低なレッテルを張られ、人権を侮辱されたのだ。

ケネディもまた、一歩間違えればそうなるリスクを負っていた。彼は『ラジオ』というあだ名をつけられた。それは一体どういうことだろうか。彼はとても素晴らしい人間関係を築き上げられたようだ。彼の持つ健康状態、その当然ではない『奇跡の出会い』、そして、『彼ら』が生み出した奇跡とは。

ま行

『マーシャルの奇跡』

1970年11月に起きたサザン航空932便墜落事故で選手とコーチの大半を失ったマーシャル大学アメフト部の復活の実話に基づいている。日本では劇場未公開で、2008年6月11日に『マシュー・マコノヒー マーシャルの奇跡』のタイトルでDVDが発売されていてわざわざタイトルに『マシューマコノヒー』とつけられていることからも、『そうでもしないと注目を集められない』という事実があるからだ。

だが、それは事実に対する侮辱でもある。映画で成功させることを考える興行的にはどんな手も使った方がいいだろうが、飛行機が墜落し、選手やコーチなど合わせて75名が亡くなった事実を、しっかりと受け止めたい。私はアメフトは一切見ないが、実話であり、それだけの命が失われ、その後に遺された人々の人生を見る以上、真剣に観た。

『マイ・ドッグ・スキップ』

アメリカの作家、、ウィリー・モリスの『My Dog Skip』の原作で、自身が少年期に体験した愛犬スキップとの思い出が綴られた自伝小説を元にしている。やはり、『実話と犬』というのは、つまらないわけがない。動物の動画はもちろん終始笑顔で見てしまうタイプだ。だが同時に、『皆がやっていることと同じことをやってどうする』という気持ちが常にあるから、意識的に避けているところもある。

だが犬は可愛い。それが本音だ。

ちなみに以上のシーンで、父を『高圧的な人』と説明してるが、実際には一切そんなことはない。この語りは子供が成長してからの語りだから、大人目線のはずだが、ケビンベーコン演じる彼は決して高圧的な人ではなく、『威厳がある人』だった。その証拠に、裏でとても子供や犬の事を気にかけていて、悪態をさらしたり、暴力をふるったりすることは一切なかった。犬との絆を描いたいい映画だったがそこが引っ掛かった。

『マイ・ブルーベリー・ナイツ』

一度は誰もがお洒落に夢中になるから、こういう映画があってもいい。タイトルイメージのように甘いラブロマンスもある。その感じもお洒落。20代の特定の層に強い人気がありそう。美男美女ばかりというところも絵になる。ポスターが印象的だが、このシーンがどこで回収されるのか、というところも見どころの一つだ。

『マイ・ボディガード』

人の使命はその文字通り、『命を使い切る』ことだ。命を救う立場にある医師は、一人でも多くの患者を救うために全力を尽くしたいと願う。では、まだ幼い無辜な命を奪われた人間が取るべき選択肢とは?人はその時どう判断するのが最善なのだろうか。

『マイケル・ジャクソン THIS IS IT』

私は、彼もhideも、死んでから興味を持ったクチである。決してミーハーではないのだが、年齢が若かったこともあって、多少そういうこともあったかもしれない。しかし、意識したいのはそういうことではなく、もう二度と会えなくなってしまった、類まれな才能い対する敬意だった。史上最も売れた音楽家の一人であり、「キング・オブ・ポップ」と言われたマイケル・ジャクソンの最後の物語だ。

『マイ・ブラザー』

同じタイトルの映画は多いがこれは、

  • トビー・マグワイア
  • ジェイク・ギレンホール
  • ナタリー・ポートマン

の出演作品である。デンマーク映画『ある愛の風景』(2004年)をリメイクしているということもあって、見ごたえのある内容である。普通、リメイクされる作品にはそういう力があるものだ。

途中までは『よくある戦争映画』だ。戦争映画にそういう表現を使ってしまうこと自体が間違っているのだが、戦争に行く前は平和で、やむを得ず戦争が始まり、戦争に行くことになる、という、展開としてはよく見かける内容である。

だが、この映画の人間模様はとても複雑でよくできている。繊細で、緻密で、難易度の高い積木が、何度も何度も何百回も失敗を重ねてようやく積みあがってきたという時に、『その積木は積み上げてはいけなかった』というような、そういう青天の霹靂的な展開が広げられるのだ。

また、『トリアージ』としてもテーマが難しい。(では、どうすることが正解だったのか)という問題も突き付けられる。考えることが多く、教訓性が高いこの人間ドラマは、最後の最後まで展開が読めず、視聴者を楽しませてくれるだろう。

『マイレージ、マイライフ』

脳科学や心理学を勉強していると、こういう疑問にぶち当たることになる。『人間はただドーパミンを得るためだけに生きているのではないか?』仕事、慈善事業、食事、SEX、麻薬、タバコ、ショッピング、検索。何から何までそれを達成した時、厳密には求めている間にドーパミンが出て、人間は充実感や多幸感を得られる。

マイレージを溜めたり何かをコレクションするのも同じだ。ドーパミンが出る。だが登山のハイライトが山頂ではなく登山中にあるように、それを達成してもそこにゴールを求めるとすぐに虚無が襲ってきて、それを緩和してくれるのは『新たなドーパミン』である。

彼はとても孤独な人間である。だが、この世界にはそういう人間にしかできない仕事があるのかもしれない。

『マゴリアムおじさんの不思議なおもちゃ屋』

ダスティンホフマンとナタリーポートマンという二人の名優があっての子供映画だ。

『マザー・テレサ』

彼女ほどの大人物の映画なのに、Wikipediaにその映画詳細が無いのは不思議だ。インドにおいて、宗派を問わずにすべての貧しい人のために働いたテレサの葬儀は、1997年9月13日にインド政府によって国葬として荘厳に行われた。インド人ではない、ギリシャ、マケドニアの彼女がインドで国葬されるということが、彼女がどれだけの人物だったかがわかるワンシーンだ。2011年にサイババが国葬されるまで、唯一彼女だけがインド人以外で国葬された人物だった。

それだけではない。1973年のテンプルトン賞、1979年のノーベル平和賞、1980年のバーラト・ラトナ賞(インドで国民に与えられる最高の賞)、1983年にエリザベス2世から優秀修道会賞など多くの賞を受けた、1996年にはアメリカ合衆国史上5人目の名誉市民に選ばれている。全世界からその活動を称賛されたその大人物の映画がWikipediaにないのが不思議だということだ。

『マザーテレサからの手紙』を先に観ていた私は、その内容と比べながら観たわけだが、あまり大差は無かった。どれも残された記録を元に作ったのだろう。多少角度が違うので、二つ観れば彼女のことをよく理解できるわけだ。私の両親はクリスチャンを名乗る人間で、もう30年以上は教会、あるいは集会に通い続けている。だから私には彼女らのような人間の行動は非常に興味がある。そして、やはり名だけではなかったのだ。タゴール、ジャワハルラール・ネルー、チャンドラ・ボースらを考えても、ガンジー、そしてマザーテレサを超える人間は、そう簡単には出ないだろう。

『マジェスティック』

1951年、アメリカは第二次赤狩りの真っただ中。つまり、米ソ冷戦の影響をモロに受ける時代である。ふとしたことで交通事故に遭い、記憶喪失になりながらもなんとかたどり着いた町『ローソン』では、第二次世界大戦に行ったきり帰らない男たちを待つ人々で溢れていた。男は町を歩く。すると、なぜか町の人がざわつく。一体なんだというのか。自分は一体誰なのか。

『マシニスト』

人間の精神は、とても繊細で、複雑である。しかし、『神の目線』にも似た俯瞰的な視点から見ると、その構造は虫や動物と同じ。『生き残ること』を優先しようとする。問題は、『何が』生き残ろうとしているかだ。そこが動物と人の差である。

『マリー・アントワネット』

プレス試写でブーイングが起き、フランスのマリー・アントワネット協会の会長も

「この映画のせいで、アントワネットのイメージを改善しようとしてきた我々の努力が水の泡だ」

としたらしいが、制作側は『スポットライトを当てた場所が違う』として反論したという。例えばナポレオンも、犠牲者のことを考えると英雄視などできないが、生い立ちや悲劇の境遇などにライトを当てれば、人生の正当化というより『一人の非凡な人間の人生の資料』になる。

そもそも、マリーアントワネットは『イメージを改善する』必要があるかどうかが怪しい。『マリーアントワネット協会』ではなく、フランスのもっと幅広い王道の協会なら分かるが、狭く身内に近いところからブーイングが出ても、あまり意味はない。

例えばカルト教団が凄惨な事件を生み出して、その教団ごと『悪徳カルト教団』として取り上げた時、『いや、必ずしもそんなことばかりじゃない』と身内は主張するに決まっている。そこに人がいて、積み上げてきた人生があり、それらすべてが否定されたと思った人々が、自己防衛と自己の正当化の為に、そうするのだ。

マリーアントワネットの映画はいくつもあるが、どれを観ても内容はほぼ同じである。『マリー・アントワネットに別れをつげて』という映画では、彼女を『朗読係』という側近からの目線で見てどう映るかという視点が描かれるが、そうしていくつもの視点から見ることが、真実に近づくために必要な要素である。

彼女が第三市民の人生とは大きく乖離した人生を生きていたことは間違いなく、『その乖離自体が問題』だということは、彼女がルソーに傾倒していたことを考えれば分かるはずだ。『パンがなければ』が彼女の言葉だとかルソーの『告白』の言葉だとかそういうことはどうでもよく、彼女自体は乖離していた。そしてルソーは『そうした乖離はそもそも人間に存在しなかった』としているのだから、『第三身分』というシステムが存在したいたこと自体が問題だったのだ。

そりゃあ私でも『一生頭が上がらない、一生かけても超えられない身分や人々がいる』などという、天竜人のような存在を突き付けられた時、はらわたが煮えくり返り、いつか下剋上してやろうと燃えるに決まっている。そういう生命が持つ本来のエネルギーを無視して無理矢理偏った人間が一方的に理屈を固めても、生命の心底までは、納得させることはできないということだ。

そこまで考えた上で、『彼女もそんな時代とシステムに巻き込まれた犠牲者の一人だ』と考えることはできる。

『マンデラの名もなき看守』

南アフリカにデクラーク大統領が登場するまで、国のトップを務めたのはアパルトヘイトの完全撤廃を求める国際世論に対して抵抗し、その権威主義的な姿勢から独裁者とも批判されたピーター・ウィレム・ボータである。ネルソン・マンデラは、彼がその座に居座ったことも手伝って、27年という想像を絶する時間を人種差別を食らいながら過ごした。

この映画の主人公は『名もなき看守』だ。確かに、マンデラと比べたら彼の名はかすむことになる。だが、マンデラにとって長い間時間を共に過ごした彼が一体どれくらい大切な存在か。それは、長い間塀の中という、社会から隔離された閉鎖空間で生活した人間じゃなければ、理解できないだろう。だが、そんな大切な彼も、マンデラの意志なくしてはあり得なかった。

『刑務所の鉄格子の窓から、二人の男が外を見た。一人は泥を眺め、一人は星を眺めた。』

マンデラと南アフリカという題材だけでいくつもの映画が作られている。それだけ、彼が激動の人生を生きたということなのだ。

『ミート・ザ・ペアレンツ』

ロバート・デ・ニーロ、ベン・スティラーのコメディ映画で、コメディ映画では世界で最高の興行収入額を記録したという。世界でおよそ『$330,444,045』。これは大体『400億円』だ。とんでもない数字である。

更にダスティンホフマンが登場したその続編の2では、約『660億円』。あの『パイレーツ・オブ・カリビアン』に匹敵するレベルの爆発的なヒットである。3で少し落ちたが、それでもその辺りの映画を100個並べても敵わないくらいの規模でヒットしている。

マリファナを吸ったり、セックスを大々的に主張したりということもあって日本ではそこまでヒットしていないが、『世界でヒットする要素』というものは、こういうものなのだということで、一つ教訓になる映画となる。

私はこのデータを観ずにこの映画を観て、普通に(2も面白そうだなあ)として、一気に3まで観たほどだ。コメディ映画を観たいと思うことはあまりないのだが、名前だけは聞いたことがあり、それに伴った実力を持った映画だった。製作総指揮にはスピルバーグもいる。全く相変わらず彼は、どのヒット作にも携わっているようである。

『ミス・ポター』

『ピーターラビット』で有名な児童文学作家であり画家でもあったビアトリクス・ポターの伝記映画である。とにかく実話というのはどんなことでも教訓になる。よく、『それは漫画の世界でしょ』と言って一辺倒に切り捨てる人がいるが、その漫画を描いている人は人間であり、我々はその漫画やキャラクターを通して人間を観ているのであり、それを想像できない人こそ、漫画がぽんとこの世界に急に登場したとしか想像できない、想像力が欠如した哀れな人間である。

つまり、メルヘン溢れる世界に触れた時、そういう人は『漫画でしょ』として侮るが、実は(この世界を創り出した人は、どのような考え方で、何を目的にこの作品を創り出したのだろう)ということを想像することは、とても想像力のいることであり、普通の人ではできない。

子供ならピーターラビットを見て『かわいー』と何も考えずに遊んで触れていていい。だが、そのような見下されがちなファンタジーの世界の単なるうさぎのキャラクターが誕生した経緯や歴史は『ファンタジーの世界ではない』のだ。確かに存在する。

20歳を過ぎて社会人になったら、もう後は『どれくらい生きるか』ではなく『どういう人生を生きたか』というテーマを背負うことになる。無邪気にうさぎに触れる幼心は持っていてもいいが、同時に彼女のような偉人に近い非凡な人間の人生を、真剣に学ぶ気概が必要である。

『ミスト』

ある時、街に妙な『ミスト(霧)』がかかった。血だらけの男曰く、その霧の中には何かがいて、襲い掛かってきたというのだ。私がもう少し経験がなければ、この映画を単なるSFの一種だとして片づけただろう。だが違う。想像力を働かせるのだ。すると、この話を完全否定することはできないことを知り、物語に信憑性が増してくる。あなたがこの立場に陥ったらどうするだろうか。

そして、『宗教がどのようにして広がっていくか』ということについても、客観視できる。

『ミリオンダラー・ベイビー』

自分の寿命はいくつだと思うか。80歳?70歳?それともその半分以下?

ゲレルトは言った。

『ほがらかに死んでいくために、私は生きようと思う。』

キーワードは『ブラックジャックとドクターキリコ』だ。この問題は各々で考えなければならない。

『みんな元気』

正直、デニーロがこういう役を演じるだけでもう作品の価値が下がってしまう第一印象を得る。彼に期待しているのはもっと違うイメージだからだ。その後、しばらく思った通りの『情けない』彼の様子が展開されていく。

だが、実は情けないのは彼だけじゃないということがわかってくる。そして意外と最後には心が温かくなり、(うん、これはいい映画と言わなきゃ嘘になるな)という感想が強くなっているのだ。売上自体は400万ドルの赤字だが、豪華な俳優陣の実力も相まって、これはなかなか侮れない映画である。

『耳に残るは君の歌声』

世界大戦の時代、『ユダヤ人』というだけで生きるのは大変だった。現在もアメリカで黒人たちが白人至上主義から差別され続けているが、当時のユダヤ人はもっとひどく、窮屈。それにプラスして、外国人という要素が加わって言葉も分からないというなら、それだけでどれほど孤独か。だが『歌』だけは違った。

バッハは言った。

『音楽は世界語であり、翻訳の必要がない。そこにおいては、魂が魂に話し掛けている。』

数人の『似たような境遇』の人たちとドラマを繰り広げながら、彼女はまた心底が平安に包まれた状態で歌を歌う日を、望む。

『ムーラン・ルージュ』

この映画でニコールキッドマンが歌う『ダイヤモンドは女の親友』という歌は、かなり聞き捨てならない言葉である。ネガティブなことではない。聞き捨てならない、つまり軽はずみに無視できない話ということである。それは、『花の命は短い』ことをよく理解しているすべての女性の、よく知るところではないだろうか。私は、某有名な『バラエティの女王』が30歳になったとたんに『干された』のを目の当たりにした。

まさかあの女優が干されるとは。こうも年齢の壁というのは大きいのか。確かに彼女以降に登場した女性は皆フレッシュで、若い女性は星の数ほどいるということを思い知ったのである。ニコールキッドマンも絶世の美女で、『観るべき名作映画』の大体に彼女が登場するほどの名優。中には、『ビリーバスゲイト』だったりこれだったり、その美貌の美しさだけで選ばれているような映画もあり、だとすると、それは『期間限定』を意味し、その儚さと、彼女が劇中で歌う歌が妙に深く突き刺さり、感慨を覚えたのである。一つ言えることは、ニコールキッドマンの美貌がより光り輝いて見えるのは、

  1. ムーランルージュ
  2. コールドマウンテン

の2つだということだ。

『ザ・メキシカン』

ブラッド・ピットとジュリア・ロバーツの豪華共演だけで『面白そう!』という声が聞こえてくる。実際にTwitterでもそういう反応があった。だが実際にはあまり期待はしない方がいいだろう。ハードルを上げ過ぎないことでようやく調整できる映画だ。だが、ただただ『絵になる美男美女が見たい』という人で、あまり深い内容など映画に求めていない人もいるので、そういう人は問題なく映画を楽しめるはずだ。

『めぐりあう時間たち』

人にはそれぞれ、窮屈な抑圧が少しはあるものである。それをバネにして高く跳ね上がる者もいれば、そのまま押しつぶされて死んでしまう者もいる。私の周りには言葉が喋れなくなった者も、衰弱死してしまった者もいる。宗教に走った者もいる。私自身がとても繊細な心で、かつ複雑な思考回路をしているからゆえ、そういう人たちの気持ちはよくわかる。

わかるが、私はあえて楽観的に生きる道を選んだのだ。トーマス・マンは言った。

『命というものは、儚いからこそ、尊く、厳かに美しいのだ。』

『メメント』

これは映画というより芸術である。普通、美術館に行って芸術を見る時、そこに非常識な光景が広がっていても、むしろそれが逆に嬉しい。そこに常識や効率、合理性などを求めないのである。これもそれを楽しむ映画だ。迷路や芸術を楽しむつもりでこの世界観に没入すればいい。

『メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬』

トミー・リー・ジョーンズの初監督作品だというが、一体なぜこの映画を撮ることにしたのか分からないという人は大勢いるだろう。製作総指揮にリュックベッソンがいることを考えても、染みすぎて世界でヒットすることはあり得ない内容だ。だが何となく事情がwikipediaで見えてきた。これはテキサス州在住のトミー・リー・ジョーンズと脚本家ギレルモ・アリアガがもともとハンティング仲間であったことから企画がスタートしたという。

アメリカ人のメンタリティに大きな影響を与えるメキシコと国境をモチーフにした映画をつくってみたかった、というのが当初の意図であったようだ。そして、主演のギャラを省くために出演する予定がなかった自分が出演。こういう事情を考えると、特に長年計画してきた大きな野望的計画が実行されたわけではなく、テキサスというアメリカの端っこで生活していて何気なく目に入ってきた実態が、彼の心に入り込んで、映画人だった彼が、それを映画にして表現した、ということだろう。

事実、メキシコとの国境では不法移民など常に問題が多く、中には射殺される人もいるだろう。そういう光景がすぐ近くにあるのに、何も感じない人はいない、ということなのではないだろうか。

『モナリザ・スマイル』

リベラル志向の美術教師、ジュリアロバーツ演じるキャサリン・ワトソンは、夢であった名門ウェルズリー大学へ新任するが、、米国一保守的といわれる大学で学ぶ学生たちはリベラルから程遠いものだった。

バーナード・デ・マンデヴィルは言った。

『人間の強い習慣や嗜好を変えるものは、いっそう強い願望のみである。』

果たして彼女は、この名門に植えついた思想を転換できるか。名門に通えるくらい頑固な意思を動かすのは簡単ではない。『教育よりも確実な人との結婚』が幸せに結びついているというある種の模範解答は、それ以上の大きな枠で固められた模範解答でしか、打ち砕けない。

『モンゴル』

モンゴル帝国の創始者であるチンギス・ハーンの生涯の前半が描かれている。モンゴル帝国とチンギス・ハンというのは歴史的にも非常に重要なキーワードだ。だが、ローマ帝国を潰したゲルマン人の『アッティラ王』同様、あまりここに焦点を当てて掘り下げられた映画がない。それは恐らく、この世界の映画の中心が英語圏のアメリカやイギリスであることが原因だろう。その証拠に、動画配信サービスが普及されるようになってあらゆる国の映画が見られるようになり、鑑賞すると、ロシアや中東などにもしっかりと映画があり、『何を軸にして描くか』で視聴者に与える影響が大きく異なることが分かった。

だが、この映画はその動画配信サービスにも存在しておらず、DVDを購入しなければならなかった。多くの映画を鑑賞した私だが、そこまでして観る映画は無いに等しい。しかし、そこまでして観るべき映画(歴史的ワンシーン)だと知っていたからこそ購入したのであった。

この映画は、ドイツ・カザフスタン・ロシア・モンゴル合作映画で、主役の浅野忠信は日本人。登場人物には中国人も出るし、その他フランス人スタッフなど世界各地の人々が集まって製作している。それだけ重要な人物を描くということだ。偏りがあってはならない。では、結果はどうか。確かに『偏り』はないだろう。どんな人物にも過去があり、幼少期から悪魔のような人間はいない。

これは決定的な事実だ。だが、チンギス・ハンを悪魔だと思う人間は、この世界に大勢いたことだろう。それが『帝国を拡大する』ということだ。どちらにせよ、この世界で最も領土を拡大したと言われるモンゴル帝国の創始者。彼や大英帝国の話を知らずしてこの世界を生きるわけにはいかない。

『毛皮のエロス/ダイアン・アーバス 幻想のポートレイト』

これだから映画は面白い。いや、今この映画について感想を書くために詳細を調べているのだが、まずこの映画が実話ベースだとは知らなかった。ダイアン・アーバスというアメリカの写真家の奇妙な逸話を元に作成されている。

また、wikipediaにも説明ページがなく、他の人の評価も低い。この時点で、まず人はこの映画が内容の奇天烈さから考えても、『B級スリラー』のような、その程度の目しか向けられなくなってしまうだろう。冒頭からいきなりモザイクなしで男女の裸体がさらけだされる。アートの類なのだと解釈し、我々は鑑賞を進めるしかない。そのようにして、確かにそう捉えられてもおかしくないような感じがある。だから私は今情報を調べるまでは、この映画に蛍光ペンを引いていなかった(見るべき映画としてチェックしていなかった)。

だが、なぜニコール・キッドマンとロバート・ダウニーJrという名優がこういうキワモノ系の映画に出ているのかということが、少し違和感があった。ここからは、この映画の価値を知る為に必要だから、少しだけネタバレのような話をする。

何とこのダイアン・アーバスという写真家は、あのスタンリー・キューブリックに写真家として影響を与えている人物で、名作『シャイニング』のあの双子の少女は、彼女の写真が元になっているのである。シャイニングのポスターなら私の家にも貼ってある。つまり、私は彼女の写真に知らないうちに密接に接触していたのだ。

『ルック』という雑誌において、後に世界的映画監督となるスタンリー・キューブリックの先輩としてキューブリックを指導した彼女だったが、その後、この映画にもあるようにフリークス(肉体的、精神的な障害者、肉体的、精神的に他者と著しく違いがある者、他者と著しく異なる嗜好を持つ者など)に惹かれ、次第に心のバランスを崩しニューヨークの自宅アパートのバスタブで自ら両手首を切って自殺した。

この映画は、彼女が全裸になって被写体に近づくところで終わる。彼女がよりフリークスに心身を近づけていった、という着地なのだろう。だが、『こうして彼女は心身を近づけすぎ、心のバランスを崩して自殺する』ことになるのだ。そこまではこの映画で描かれない。ニコール・キッドマンはキューブリックを強く認めていて、彼の最後の監督作品『アイズ ワイド シャット』(1999年)にも出演しているので、彼女とこの映画は、無関係ではなかったのだ。

や行

『ヤァヤァ・シスターズの聖なる秘密』

『ヤァヤァ・シスターズ』ってなに?というのが本音。だが、個人の話に潜っていけば必ずそういうわけのわからない、本人たちだけが知る合言葉のようなものが存在する。この映画はそういう個人にスポットライトを当てている。極めて個人的で、そこにはプライバシーがある。意味は、

「個人や家庭内の私事・私生活。 個人の秘密。 また、それが他人から干渉・侵害を受けない権利。」

だ。まさにプライバシーという言葉の意味そのものが、この映画の肝になっている。問題なのはなぜそれを『秘密』にしているかだ。恐らく、そのわだかまりを解決することが、彼女たちの人間関係が円満になる為の鍵だ。

『ヤギと男と男と壁と』

ジョン・ロンスンによるノンフィクション本『実録・アメリカ超能力部隊』を原作としたコメディだから、実話がベースになっている。もちろん超能力の時点で実話だかオカルトだか分からないのだが、そこをコメディにして薄延ばしにしている印象だ。

実際に、FBIやCIAで超能力を使った研究があったという話があり、アンソニーホプキンスの映画『アトランティスのこころ』では、その事実が前提の中での不気味な展開が行われる。

『余命1ヶ月の花嫁』

一人の女性が送った闘病生活を題材としたノンフィクションで、『イブニング・ファイブ』にて「24歳の末期がん」ドキュメンタリー特集として放送され、放送終了後も大反響を呼び、同年7月17日に特番『余命1ヶ月の花嫁/乳がんと闘った24歳 最後のメッセージ』が高視聴率を記録。そして本が刊行40万部を突破し、その流れの中でこの映画が作られ、その後舞台まで上演された。

  1. 特集
  2. 特番
  3. 映画
  4. 舞台

という流れである。末期の乳がんに冒されていたので、本当に一か月で世を去ってしまった。私の父は肝臓がんで、同じように言われて3か月持ったからそういう事もあり得るのだが、一か月だったのである。本当にあった話で関連する人物が大勢いるから不謹慎なことはできないが、このシナリオだけを考えると多くの人の心を動かす注目に値するものではないだろうか。

私もこれを知ったときからこれを見る今の今まで、常に頭の中に焼き付いてた内容である。タイトルを見れば内容は分かるし、私利私欲のことで頭がいっぱいの当時の私からすれば『遠ざけるべき煙たい内容』だ。だが、それと同時に心底ではこの物語から得られるものがたくさんあるとわかっていた。

正直、展開される日本の当時の若者文化といった表層のそれはどうでもいい。これは同じ時代を生きる同年代の人から共感を得るだろうが、そうではない人からはそうはならない。例えば100年後には全く違う目を向けられているだろう。だからそういうソフトはどうでもいい。それは揶揄する意味ではなく、『本質はそこではない』という意味だ。本質たるハードは他にある。『人間の命の重み』。そして、儚く虚しいこの人生を、尊く意義のあるものにするために人間は何をして、どのように生きればいいか、という普遍的かつ不変的な深遠なメッセージがここにあるのだ。

ら行

『ラースと、その彼女』

明らかに歪んでいる。だが、邪悪さは限りなく少なく、極めて繊細で、純粋な世界。時代に乗って多様性を主張している人に観てもらいたい。あまりにも深く、ライアンゴズリングだからこそ表現できる人間心理。『マニアック』とは対極でホラー要素なんて微塵もない。もちろん最初は『常識』が抵抗心を煽る。だが、徐々に理解していくのだ。それは、彼らがとても純粋で、真剣で、愛に溢れているからだ。

私の叔父も、実家の隣人も、偶然統合失調症だった。だから『ビューティフル・マインド』は他人事ではない。人間について考えることが多い人生だったから、映画鑑賞も人間の勉強で見ているところがある。

人生の悩みをくぐった人や、専門家として活動できるほど知識を掘った人、あるいは深い内省をした人。そして、『人間』を諦めていない人しか理解できない映画だ。価値がある映画はこういう映画だ。

『ライセンス・トゥ・ウエディング』

B級映画に見えて、意外と共感できる人は多いのではないだろうか。私の周りにも本当にセオリー通り、結婚前の憂鬱、マリッジブルー的な混乱と優柔不断に悩まされる人がいた。その根幹にあるものは何だろうか。例えばよく言う『ビビッと来た。この人と絶対結婚すると思った』という人達が結婚した場合、そういう迷いはほぼない状態で結婚しているように見える。ある人には『結婚式』という儀式を通し、その意思を固めていくのかもしれない。

『ライフ・オブ・デビッド・ゲイル』

どうしても ケヴィン・スペイシーの現実での不祥事が頭にあるから、内容が入ってこない。『ユージュアルサスペクツ』など、名作は多くあるのにもったいない。

ジョニー・デップもあのまま奥さんとの泥沼裁判で負けていたらもう映画で観れることはないかもしれないほどだった。ビルマーレイはルーシーリュウを人種差別していたというし、やはり俳優には常に透明な存在であってほしいものだ。

そうしないと、他の役者や大勢のスタッフが関わって、時には命を賭けた作品の価値が、廃れてしまう。ただし、この映画もそういう偏見的な目を向けながら観てしまうが、意外と最後まで観ると、(面白かったかもしれない)という感想を覚える。だからこそもったいない。

『ラッキー・ユー』

往々にして人間は環境で性格が象られ、長い間それが固着するとそれ以外の人生は考えられなくなる。身の回りも似たようなもので埋まり始めるから、いつの間にかその固着時間は長くなる。

だが、不特定多数の多様性が広がるこの混沌とした世の中で人生を生きていれば、例えば不慮の事故に偶然遭ってしまうように、いつ違う要素の『異物』がその自分の人生の渦の中に混入してもおかしくない。

その要素は『異物』というくらいだから今までの自分の人生の渦の中では見たことがない要素だ。だから最初はもちろん抵抗感を覚え、拒絶反応のなすがままになるが、例えば偶然自分の人生という迷路で壁にぶつかった時、そういう『異物』が役に立つ。

松本人志は言った。

『曲がり角があるなら曲がったら良いんですよ。』

彼は異物代表のようなものだが、猪突猛進を止められない頑迷なエゴがそこにあった場合、例えば彼のような異物は、人生の役に立つ。

『ラッキーナンバー7』

ジョシュハートネットは完全に一流路線を逃してしまった感がある。名作になりそうな映画に出て、すべてがあと一歩というズレがある。『パールハーバー』は日本人から酷評されるし、『ブラックダリア』も名作臭が漂うのに駄目だ。今回も、モーガンフリーマン、ベンキングスレー、そしてブルースウィリスという大俳優が揃っているというのに、主役としてそれらに負けてしまっている。

今回も同じだ。タイトルやキャストからして非常に面白そうな展開が期待できるのだが、名作まで一歩届かず終わった感じだ。だが、そうやってハードルを下げて貰いたいのだ。そうすれば、今回の映画は中々楽しめる。最後のシーンまで目が離せない、というやつだ。

『ラブ・アクチュアリー』

正直に言おう。これが光であるなら、私は闇にいた。だから公開当時の私には無縁の話だった。観たが、何一つ内容を覚えていなかった。あれから随分経った。多くを学び、多くの失敗をした。その上でもう一度この映画と向き合った時、私はこの映画がこの世界に存在するべき作品だと、確信したのだ。

『ラブソングができるまで』

ここまで来るとヒューグラントは、『どんな女優とラブコメするか』というメグライアンさながらの帝王ぶりである。さすが、メグ・ライアン(「ロマンティック・コメディの女王」)に対して、「ロマンティック・コメディの帝王」と呼ばれただけある。

『ノッティングヒルの恋人』ではジュリアロバーツ、『ラブ・アクチュアリー』ではマルティンマカッチョン、『トゥー・ウィークス・ノーティス』ではサンドラブロックと共演し、そのどれもが納得のいく物語を作ってくれている。

オーウェンウィルソンなどもそうなのだが、男からしてあまり好みではない顔つきというものがある。男は基本、雄々しい人間に興味を持つからだ。だが、オーウェンも彼も、男受けしづらい容姿をしているのに、そんな偏った私のような男が演技を観ても、納得してしまう実力を持っているのだ。こういうケースの場合、確実に実力がある。

今回はドリューバリモアがヒロインだが、やはりはまっている。誰とラブコメをしても上手いことやってしまうのだからすごい。こうして私が自然に感想を抱くように、他の人も大勢そう思うからこそ、帝王と呼ばれるのだろう。しかも私はラブコメに興味はないのである。前述したように、偏った男だからだ。そんな人間に認めさせるのだからすごい。

『ラブリーボーン』

最初サムネが子供ファンタジーっぽかったから期待していなかったが、意外に意外。内容の芯はかなりエグイ。つまり決して子供向けじゃないが、フィクションだからこれくらいじゃないと見応えがない。後で見たら、やはり製作陣にスピルバーグが。もう彼は視聴者のニーズを確実に押さえてくれると言っていい。角度が斬新だから★3.5になっているが、その斬新さが逆にたくさん観ている私からすると、新鮮で良かった。同じような映画になるとコモディティ化(似て価値が減り埋もれる)してしまうからだ。

だがこの映画、実は更に奥行きがある。これだけでも見応えがあるのだが、実はそれは『おまけ』でつけている評価の一面もある。少しだけ作品には違和感があるのだ。『大名作』にあと一歩届かない妙な違和感がある。実は、原作者のアリス・シーボルドは1999年に自身の強姦被害や裁判を記した回想録『ラッキー』を寄稿し話題となる。2002年には出版された。同年に小説『ラブリー・ボーン』を発表、全米で250万部のベストセラーとなった。

だが、ここからwikipediaの詳細を見てみよう。

2021年11月23日、シーボルドの強姦犯とされていたアンソニー・ブロードウォーターの有罪判決が取り消された。ブロードウォーターは1982年に有罪となり16年間服役、1999年に出所後も性犯罪者リストに名前が掲載されていた。

ブロードウォーターは当初から一貫して無罪を主張していたのに加え、同犯罪について記したシーボルドの回想録『ラッキー』映画化の過程で、製作総指揮を務めるティモシー・ムシャンテが原作と脚本の矛盾に気づき、私立探偵を雇って証拠を再検証、その結果をブロードウォーターの弁護士に渡した。

当時の裁判でシーボルドは犯人はブロードウォーターだと証言したが、警察の面通しでは別の人物を選んでいた。そして「顕微髪分析」の結果も証拠に使われたが、現在これは信頼性が低いとされている。30日、シーボルドは公式声明を発表、ブロードウォーターに謝罪した。『ラッキー』の映画化は中止となり、出版社スクリブナーは同書の販売中止を発表した。

もし『ラッキー』が映画化されていたら、それはきっと『今回のように』エンタメ性があって面白かったかもしれない。だが、この人物はどこか、一線を超えている要素がある。その要素が今回の映画の狂気となってエンタメ化していたのだが、その未熟さが、今回の映画にちょっとした違和感として残っているのかもしれない。

『リーグ・オブ・レジェンド/時空を超えた戦い』

アベンジャーズ、ジャスティスリーグに対抗できるとしたら、この方向しかない。オスカー・ワイルド、マーク・トウェイン、ロバート・ルイス・スティーブンソン、ハーバード・ジョージ・ウェルズ、メルヴィル、錚々たる偉人たちがこの世に生み出した伝説のキャラクターたちが時空を超えて集結。興行的には失敗しても、内容的にはあまりにも贅沢な至高の作品である。

『リトル・ミス・サンシャイン』

ぷにぷにしていて可愛らしい赤ちゃんのような存在の少女を、複雑な事情を抱えた様々な大人たちが、その抱えた事情に押しつぶされそうになりながらも、必死に守り抜こうとする。彼らは相当こじれた現実と向き合っていて、いつでも腐って破綻しそうなのに、なぜかそうならない。そこにはきっと、この少女の存在がある。

別に、少女が特別な存在というわけでもないのだ。ただ、純粋に少女として生きているだけ。ただそれだけなのである。その純粋さはきっと誰にもあったものだ。彼らにもあった。そう考えると、彼らは彼女を通して、自分の心底にあった『最も大切なもの』を観たのかもしれない。

『リプレイスメント』

フットボールは全く興味がないから『タイタンズを忘れない』等のドラマがしっかりしている映画じゃなければあまり見る気が起きないのだが、この映画は意外とそっちのタイプだったので中々面白かった。

試合の間だけ出所してきているアール・ウィルキンソン、元相撲取りのジャンボ・フミコ(日本人)、元サッカー選手のナイジェル・グリフ、耳の聞こえないブライアン・マーフィーなど、個性的な選手がかき集められ、フットボールの試合すらまともにできないんじゃないか、というレベルなのが万人受けできていい。

フットボールをガチでやってしまうと一気に専門的になってしまうので、これくらいがちょうどいいのだ。

『リベリオン』

この映画がどれだけ貴重な素材かというのは、集大成記事を読まなければ理解できない。斬新で爽快なアクションだけ楽しんでもいい。だが、それよりも重要なのがこの筋書きである。人間を強力な『外圧』で統制していくことで世界平和をもたらす。それが人間として本当に正しい姿なのか、そして違うのであれば、どうすればいいのか。おそらく、遠い未来でこの筋書きについて熟考しなければならない時が来るだろう。

私は本一冊分ほどの文字数である記事を書いたのだが、それは 『人間の最終到達地点』 というテーマだ。歴史を宇宙創造から学び直し、徐々に人間が進歩してきたことを見た。だが、いつまでも変わらないのものもある。人間は恒久的に未熟な存在なのである。

世界史、日本史にて何度も見てきたが、世界初の帝国が誕生したアッシリアの時代から、現代にかけての世界の覇権の推移を見てみよう。


ヨーロッパの覇権の推移

STEP
アッシリア

紀元前7世紀の前半~紀元前609年。オリエントの統一王朝を成し遂げるが、アッシュル・バニパルの残虐性のせいで帝国が破綻する。

STEP
アケメネス朝ペルシャ

紀元前525年~紀元前330年。キュロス、カンビュセス2世、ダレイオス1世また統一し直し、インド北西部からギリシャの北東にまで勢力を伸ばす。

STEP
アルゲアス朝マケドニア王国

紀元前336~紀元前323年。フィリッポス2世がギリシャを、アレクサンドロスがペルシャを制圧。

STEP
ローマ帝国

紀元前27年~1453年5月29日(完全な崩壊)。カエサルが攻め、アウグストゥスが守る形で『ローマ帝国』が成立。

STEP
モンゴル帝国

1200~1300年。チンギス・ハンが大モンゴルの皇帝となり、5代目フビライ・ハンの時にはアレクサンドロスよりも領土を拡大。

STEP
オスマン帝国

1453年5月29日~。かつてのローマ帝国は、『神聖ローマ帝国』と『ビザンツ帝国』の東西分裂をしていて弱体化していた。1453年5月29日、メフメト2世がビザンツ帝国の首都コンスタンティノープルを征服。

STEP
スペイン帝国

1571年、スペインは『レパントの海戦』であのビザンツ帝国を滅ぼしたオスマン帝国を破り、地中海の制海権を奪取(正確にはまだオスマン帝国に制海権があった)。更に、『ポルトガルの併合(1580年)』で『スペイン帝国』は最盛期を迎える。

STEP
オランダ

1588年、『オランダ独立戦争』、『アルマダの海戦』に勝ったオランダは、急速な経済成長を遂げ、アムステルダムは世界の貿易・金融の中心地となり、スペインに代わって世界貿易をリードする『栄光の17世紀』を迎える。

STEP
イギリス

1677年、1651年から続いた『英蘭戦争』の結果、覇権がオランダからイギリスに渡る。


そしてこの後だ。規模もヨーロッパから『世界』へと変え、まとめ方は『世界で強い勢力を持った国』とする。


17世紀のイギリス以降世界で強い勢力を持った国

STEP
フランス

1800年前後。ナポレオンがヨーロッパで暴れまわるが、イギリス・オランダ・プロイセンの連合軍に敗れ退位。

STEP
イギリス

1830~1900年頃。ヴィクトリア女王の時代に『大英帝国』黄金期を迎える。パクス・ブリタニカ。

STEP
ドイツ帝国

1870年頃~1918年。ドイツ帝国率いる『三国同盟』とロシア率いる『三国協商』の『第一次世界大戦』が勃発。

STEP
三国協商

1918~1938年頃。ナチス・ドイツが現れる前はまだこの連合国が力を持っていた。

STEP
連合軍

1945年~。特にアメリカ・ソ連。『第二次世界大戦』に勝った連合国は、引き続き国際的な力を保持。

STEP
アメリカ

1990年頃~。ソ連が崩壊し、アメリカ一強(パクス・アメリカーナ)の時代へ。


アッシリアからはじまり、ペルシャ、アレキサンダー大王のマケドニア、ローマ、モンゴル帝国と、この世界を『支配』する人が後を絶たなかった。当然『なぜ』そうしたのかもすべて学んだ。すべて頭に入って理解している。関連映画もほぼすべて見た。現在はアメリカがトップで、次に来るのは中国がロシアだと言われている。 だが、一向に世界平和が訪れない。それはブッダやキリストが息をした時から現在に至るまで、ずっとだ。

そこでまとめたのが以下の内容だ。


STEP
『人間』が誕生
STEP
『神話』が誕生
STEP
『宗教』が誕生
STEP
『哲学』が誕生
STEP
『法律』が誕生
STEP
『義務教育』が誕生
STEP
しかし『神話、宗教、哲学、法律、義務教育』だけでは秩序が保てなかった
STEP
人間の過剰増殖
STEP
より秩序が保てなくなる
STEP
人類滅亡の危機に瀕する

秩序が限界まで混沌に近づき、争いが絶えなくなって最後には大勢の人が死ぬ。

STEP
人間は大きな『パラダイム転換』を求められる

『神話、宗教、哲学、法律、義務教育』以外の強力なツールが必要だと思い知る。

STEP
全員が『ブッダ』になる道を避けて通れないと知る

人が増えるのはいいが、人が人として生きるためには必ず『ブッダになるための資格試験』を受ける、あるいは『人生の免許』を取る必要が出てくる。

STEP
より高次元の人間に生まれかわることにより、人類は自然淘汰から逃れる



ここで言う『ブッダ』とは、仏教的な話ではなく、仏教の開祖のあの『ブッダ』と同レベルの精神を持った人間のこと。最低でも、『真理』が何かを『システム2』で熟考した人間のこと。

神話、宗教、哲学、法律、教育、という人為的な一切が生まれ、だが、この世は相も変わらず混沌としたままである。私がたどり着いたのは、 『全員がブッダになる』というものだ。私はもちろん無宗教である。意味は『熟考する人』だ。インサイドアウトとは『内から外へ』という意味。つまり、『自分の心が変われば自分の周りは変わっていく』と発想する。 その逆がアウトサイドインだ。『すべての鍵は外にある』という発想。当然、真理は前者である。それがブッダらすべての聖人がたどり着いた共通の答えだ。

人間全員が自主的に『熟考する人』になるのはほぼ不可能である。周りを見渡してもそんな人は1割いるかどうかだ。ほとんどすべての人が『認知の歪み』という言葉の意味すら理解しないで生きている。では逆に、この世界を『圧倒的な外圧で支配する』のはどうだろうか。この世界で何人もの帝国の支配者たちがやろうとしてきたように、この世界を外圧で支配するのだ。 そのイメージを教えてくれるのが『リベリオン』なのである。

この映画はほぼ全員がその圧倒的なアクションに目がいってしまうだろう。だが違う。この映画でイメージできるのは『圧倒的な外圧で支配する世の中』についてなのだ。自分の心を押し殺し、インサイドアウトを見出した聖人たちとは『真逆』のアウトサイドインの方向で生きる人間の末路。 それがこの映画で観ることができる。これは、ずば抜けた教材なのだ。

『レイチェルの結婚』

10年間薬物治療のリハビリ施設の入退院を繰り返していた女性が、姉の結婚式の為に戻ってきた。この映画は本当に結婚式の様子が作品全体を通して描かれている。鑑賞しながらその理由を考えると、コントラストの原理がそこに見えてくることになる。普通の、平凡な結婚式は、人が集まり、歌って、踊って、楽しいものである。だが、そこにどうも異質な存在がある。我々はそれを俯瞰で見て、どんな人間にも存在する心底に抱えたある種の闇と、幸福に対する執着にも似た渇望の心の是非を、自問することになる。

幸福は誰もが追っていたはずだった。だが、ある人の人生は道中で方向転換を余儀なくされ、ある人の人生は予期せぬ土砂崩れにより道半ばで終わってしまった。人は、幸せを求めていいのか。何があって、幸せと言えるのか。結婚式はそんな人々の心の不安と闇に蓋をする、麻酔薬に見える。

『レイヤー・ケーキ』

名もなき麻薬ディーラーのXXXXをダニエルクレイグが演じる。その彼の名前が謎ということもそうだが、よくあるクライムムービーと比べても、中々飽きずに最後まで観れる痛快な映画だ。ほどよく色々なエッセンスが含まれているからそう感じるのだろう。ちなみに私はこの映画で初めて『レイヤー』の意味が『断層』だと知った。絵を描くツールにレイヤーというのは常にあったが、意味が分からないので無視していた。

だが、これが断層と知っていたらもっと早く使いこなしていただろう。要は、1断層目は、ミッキーマウスで、2断層目はミッキーの上着、3断層目は帽子と、断層を分けて絵を描くことで、後でそのレイヤー(断層)だけを赤にするとか、青にするとか、移動させるとか、そういうカスタマイズができるわけだ。それがレイヤーという意味である。

では、この映画でいうレイヤーとはどういうことだろうか。

『レイン・フォール/雨の牙』

椎名桔平はいい役者であり、ゲイリーオールドマンも世界的俳優なのに、長谷川京子の馬鹿みたいなぶりっ子的な演技がこの映画を台無しにしている。また、ゲイリーオールドマンも直接彼らと接することがほぼないので、日米合作というよりは、日本が背伸びした映画だ。

『レールズ&タイズ』
  • 事故
  • 自殺
  • 孤児

とんでもなく重いテーマだらけだが、最後まで見ることでそれら全てが晴れ晴れしくなれる、教訓性の高い映画だ。ケビンベーコンは好きな演技派俳優で、フットルースなんかは神がかってるわけだが、唯一前回見たのでも感じたのだが、

『ふとケビンベーコンの素になることがある』

のが気になっってしまう。役柄は普通の人のはずなのだが、銃をやけに使いこなしたり、歩き方がモデルのように格好良かったり。だが役の人というのはもっと自信がない感じが漂ってたりするわけだ。私が良い映画だって思うのは、そういう一切の『気になる要素』がなく、映画の世界に没入させてくれて、時間を忘れさせ、人生に教訓を与えてくれる映画。演技が最高なだけに、玉に瑕である。

『レクイエム』

北アイルランド紛争のさなかに起きたテロ事件から30数年後の加害者と被害者の弟の対面を描いていて、史実とフィクションを織り交ぜて描かれる。アイルランド問題と言えば『マイケルコリンズ』のリーアム・ニーソンだから、彼がこの手の映画に出れば説得力が出る。だが彼の場合『オペレーション・クロマイト』と言い、ちょっと出るだけのケースも結構あるので、当たり外れがある印象だ。今回は彼の無駄遣いというか、彼の実力はいかんなく発揮されていない。

『レッド・ドラゴン』

『羊たちの沈黙』で登場するFBI捜査官クラリス・スターリングに出会う直前までを映像化していて、シリーズとしては『3』ということになる。だが、前作の前日譚だからまた全然違った角度からハンニバル・レクターを観ることができる。

順番としては、時系列的にこれを最初に観ても面白いかもしれない。とにかく前作がアカデミー賞受賞作品となっただけでなく、『ダークナイト、BTTF、タイタニック』に並んで、Twitterの映画アカウントで映画ファンが厳選した『映画TOP4』の一つに選ばれるほどの名作。

その奥行きが広がっていくことは単純に面白い。また、それだけじゃなくエドワードノートンとレイフファインズという主役級が怪演して、映画をとことん盛り上げていく。ハンニバルの力なしでも十分通用するサスペンス映画だ。

『レディ・キラーズ』

大きな報酬が得られるミッションを遂行する場合、最も留意しなければならないことは『損失回避』である。つまり、その報酬を得られたはずなのに得られなくなる。これが一番のマイナスだ。だから往々にして企業なども仕事をする時、複数の企業で提携したりして確実にミッションをこなす。当然、配当は分散されるが、それをケチると元も子もない。その場合、元々そこで得られるマージンが数十%だったのだと判断するべきである。単純に収入があるときに我々は税金などで差し引かれ、手取りが数十%になるはずだ。それと同じ考え方である。そこで納税をケチって脱税すると、得られたはずのその数十%の利益すら入らなくなる。これが最も避けるべき事態なのである。

では、彼らは今回このクライムミッションで、どれだけの利益を得られるだろうか。タイトルにあるようにこの話には『ある女性』の存在がカギを握ることになる。『女性を殺す』となれば、たとえ利益を得たとしてもリスクが高すぎて、その喜びも刹那のものとなる。では、女性にばれないようにやるか。あるいは、女性を丸め込んで仲間に入れるか。しかしこの女性は幸か不幸か、敬虔なクリスチャンだった。

『レプリカズ』

事故で家族を失った天才科学者が、クローンや意識の転移によって家族の複製(レプリカ)を作ろうとする。この手の作品はいくつも作っておいていいだろう。そう遠くない未来でこのようなことが起きる可能性が十分あり得る。クローン、AI、レプリカ、様々なケースを想像し、そのイメージトレーニングをするのだ。もし自分の家族が死んでしまって、その家族を生き返らせることができるかもしれない場合、我々はそれを遂行していいのだろうか。それとも。

『レボリューショナリー・ロード 燃え尽きるまで』

『タイタニック』のレオナルド・ディカプリオとケイト・ウィンスレットが夫婦役で再共演していることを考えた時の期待値を超えることはさすがにできない。

だが、ケイトウィンスレットは第66回ゴールデングローブ賞主演女優賞 (ドラマ部門)を受章しているだけあって、確かに迫真の演技がいくつかある。ジョディフォスターの『告発の行方』のように、女性が、しかも第一線にいる女優が体を張ると、賞が出やすい。『モンスター』のシャーリーズセロンも同じ賞を受賞している。

だが、冷めた目で見ているのではなく、事実その2つの映画は本当に面白い。だが、この映画はどうだろうか。やはり、『いくつかある』と表現したように、『終始』ではないので、本当に120分だったかを疑ってしまうほど長く感じてしまう退屈さはあった。

ディカプリオの無駄遣いのようにも見えた。『ウルフ・オブ・ウォールストリート』だとか、『ザ・ビーチ』だとか、彼が躍動する映画はいくつもあるが、それらの作品の中ではかなり下位に来てしまう役柄だっただろう。

『レモニー・スニケットの世にも不幸せな物語』

ティム・バートンが監督を打診された時期もあり、その時にはジョニー・デップがオラフ伯爵を演じる予定だったという。ここではジムキャリーになっている。確かに、それでも案外はまり役になるイメージが浮かぶ。つかみどころがない奇抜で狡猾で諦めの悪い妙な男だから、ジムキャリーでもいいしジョニー・デップでもいい。

ジムキャリーの場合は少しコメディ要素が増えて不気味シリアス要素が減るから、もしかしたら全体の様子を見るとジョニー・デップの様が良かったかもしれない。

この伯爵に終始子供たちが振り回されるシナリオなので、『世にも不幸な』というこの奇妙なタイトルとの一致性を引き上げるためにも、ティムバートンがもっと不思議な世界に作りこんだらもっと面白かったかもしれない。

『恋愛適齢期』

ジャックニコルソンが名優というのは『ディパーテッド』を観れば分かるのだが、意外と古すぎる俳優だから彼の昔の映画にはキョトンとする映画もいくつかある。『チャイナタウン』や『ファイブ・イージー・ピーセス』、『愛と追憶の日々』などがそれだった。

だが、今回の場合は違う。熟年の恋愛という自分とはまだ遠いテーマのはずなのに、中々面白い。ダイアン・キートンという名女優と、脇を固めるキアヌリーブスらの存在も関係しているだろう。案外、キアヌリーブスが脇を固める映画には名作が多い。例えば、

  • 50歳の恋愛白書
  • シークレット・パーティー
  • エクスポーズ 暗闇の迷宮

などがそうだ。どれも私ほど映画を真剣に見ていない人には駄作に映るだろうが、名作である。

『ローグアサシン』

日本人と日本要素が洋画に出ているとB級作品を観た気分になる。それは『海外の日本のイメージ』を押し出さられることが多いからだ。間違った日本語や、ちょうちん、だるま、看板、カタカナ、寺、寿司、忍者など、常に偏った日本要素ばかり押し出され、往々にしてそれがメッキだからである。

だから、映画監督のJ・J・エイブラムスが日本の映画館鑑賞者向けに発信したメッセージの中で『ドモ、アリガトォ』ではなく、『ありがとう!』という正しい日本語のイントネーションで喋った時、たったそれだけで『本物志向』という印象を得た。

このローグアサシンは世界的ヒットとは言えない。だが、ジェイソンステイサムのその他の映画はたくさんヒットしている。そこに日本の要素は見られない。

『世界でウケる為に、別に日本要素に真剣に触れる必要はない』

そう感じられる。だが、世界で真剣に戦う石橋凌の姿は、とても凛々しく映っていた。そこで、今彼の事を調べたら、彼の尊敬する偉大な先輩に、松田優作がいるという。彼は松田から厳しい演技指導を受け、俳優としての道を確固たるものにしていった。納得である。腑に落ちた。

『ロード・オブ・ザ・リング』

ロードオブザリングは『ハリー・ポッターと賢者の石』と同じ年の2001年に公開された。そのせいもあってか、その時は今ほど熱心な映画ファン、とりわけファンタジーファンではなかったので、『観るとしたらどちらか一方』という自分の中での謎の取り決めがあった。そして、兼ねてから私とある程度の関与があったハリーポッターを観ることに決めたのだ。そしてそれから20年近く、この映画を観ることはなかった。

その間に私は歴史や哲学などを勉強し、この『指輪物語』がイギリスのJ・R・R・トールキンによる長編小説で、『最初のファンタジー小説』と言われていることを知る。

まず自由な形で『神話』が生まれ、ルールを求めて『宗教』が作られ、それに逆らう形で『哲学』が誕生した。様々な事象に大きな影響を与えているという歴史的価値の観点から見ても、この物語はいつか観ないといけないと、悟っていった。

そして今回ようやく見ることができ、『3』まで観たわけだが、結論を言うと、『ハリーポッターより面白い』ということになる。

ハリーポッターは残念ながら最後になるほど内容が暗くなって、よくわからない感じになっていった。最初の方は、子供達が可愛くて無邪気で魔法があって、純粋にファンタジーの世界が広がって、純粋にリアクションし、思わず子供が魔法の国に憧れるような、そういう世界が広がっていたのだが、どんどんシリアスになっていって、例えば『ディズニー』のそれのように、明るくハッピーな気分に包まれるシンプルな図式から離れるから、最後まで観た人の中には、(ここまで見てきたから・・)として仕方なく観た人もいることだろう。

だが、『ロードオブザリング』はちゃんとこの3作品でまとめて仕上げてきた。私は『エルフ』や『ドワーフ』の世界観があまり好きではなく、大好きなファイナルファンタジーでもそれらがリアルに映像化されてからは、妙な距離を感じてしまって、嫌だった。

ドワーフがミスリルを掘って、という世界観などまさにFFそのものなのだが、耳の長いエルフなどを見るとあまり興奮はせず、むしろ冷めてしまう。それが私の本音である。よくは分からないが、人間の姿をしているのに、明らかに人間じゃないあたりが、ファンタジーになりきれていなくて、入っていけないのかもしれない。

だが、そんな私がこの世界観にどっぷり浸かって楽しむことができたのだ。これはこの物語が秀逸であることを意味している。ただ表層だけがファンタジーっぽく仕上がっているのではなく、実際に物語がよくできていて、あまり隙がないのだ。それゆえ、この世界にうまいこと没入でき、最後まで世界を楽しむことができるのである。

『ロード・トゥ・パーディション』

この映画は日本の『子連れ狼』に影響を受けている。それだけでも日本人なら興味深いが、そうじゃなくてもこのシナリオが面白い。配役もいい。単なるアウトロー映画ならトム・ハンクスは主役にならないが、この作品で彼が主役を演じるには理由があるのだ。

すべてが実話ではないにしろ、ルーニー一家や、アル・カポネというのは実在したマフィアだ。だからその歴史を知る人なら余計に面白い。『アンタッチャブル』なんかと併せて観るのをお勧めする。

『ロスト・イン・トランスレーション』

日本を舞台にしていてそこにビルマーレイやスカーレット・ヨハンソンなどの名優が登場するからそれだけで日本人は期待できる。だが、世界の評論家が称賛するほどの名作ではない、と日本人なら思うだろう。

完全なる視点の違いだ。監督のソフィアコッポラ自身が若いころ日本に滞在しており、その体験をもとにした半自伝的作品のようだから、視点が外国人なのは当然だ。『マダムinニューヨーク』などもそういうことになるだろう。

ただこの映画を観れば私が常々心底で理解している『元々言語の違いは必要ない』という真理に触れることができるだろう。同じ人間として生きているのに、それだけは全く必要のない差異だ。

この映画によってソフィア・コッポラが有名になり、渋谷スクランブル交差点が世界中に知れ渡り、その後の外国人観光客の来訪も大幅に増えたので、名作の一つとして数えられるだろう。

だがビルマーレイは『チャーリーズ・エンジェル』でルーシー・リュウに人種差別的な態度をとっていたというので、それを考えると彼の演技に妙にリアリティが出る。(本当に嫌いやん)ということでね。そうした、ちょっとした人種差別のような『溝』を、ビルマーレイは必要以上に演じてしまっているように見える。

『ロック・スター』

オハイオ州出身のヘヴィメタルボーカリスト、ティム・オーウェンズ。彼のサクセスストーリーを「メタル・ゴッド」というタイトルで映画化するという計画が持ち上がり、具体的な段階まで進んでいたが、内容が軽薄であるとバンド側が反発したようだ。また、「メタル・ゴッド」という名称はロブ・ハルフォードの登録商標であったことなどからプリースト側は映画との関係を絶ち、結局この映画は「ロック・スター」というタイトルで発表された。

だが、主演のマークウォールバーグはクリス“イジー”・コールという名前の役であり、言われなければ素人にはそれは全く分からない。だが、これらがある種の実話であると知ると、やはり圧倒的な見応えが生まれるものである。だが、同じ系統の『ボヘミアン・ラプソディ』との売り上げの格差がすごい。

  • ロックスター:約20億円程度(赤字)
  • ボヘミアン:約1300億円程度(大黒字)

内容はほとんど同じなのだ。音楽で一発当てたアメリカ人が、成功して美酒に酔いしれ、ドラッグでも性の部分でも乱れる。人間が大金を持つと皆同じ行動をする、という教訓の部分で完全に一致している。しかも、マークウォールバーグのこの歌声がガチに見えるから、これが本気なら歌声は完全に負けていない。あるいは勝っている。

だとしたらやはり、『アナ雪』辺りからの『歌って鑑賞する』時代の流れと、『クイーン』と『ヘビメタ歌手』という圧倒的な規模の違いが関係しているだろう。ボヘミアンの方は、クイーンに馴染みがある日本人もとても多く、日本だけで130億円の売り上げを上げている。それはまさに『アナ雪2』に続く、歴代21位に輝く売り上げランキングである(2022年)。

作品は中々面白かったのだが、やはりその人物が『よく知らない人』と『馴染みある人』との違い、そしてジャンルが『ヘビメタ』と『ロック』では、世界に出た時に格差が出てしまうだろう。

『ロックンローラ』

イギリスでは公開された週の興行収入1位を記録したらしいが、世界には通用しない。内容的にもありきたりだからコモディティ化しているし、監督ももちろんこの作品で世界を獲るつもりはなかっただろう。

キャストのファンなら楽しめる映画である。

『ロング・エンゲージメント』

男が戦場で戦い、女が同じくらい心で痛い思いをする。それが戦争である。それは世界どこでも共通の話だ。日本で言えば特攻隊をやるしかなかった男と、見送るしかなかった女の実話を描いた『永遠のゼロ』。アメリカでは『コールドマウンテン』などの話も、そういう映画になるだろう。ジョディフォスターが流ちょうなフランス語を話し、マリオンコティヤールも脇を固める。かなり豪華なキャストが揃った贅沢な映画である。

わ行

『ワールド・トレード・センター』

2001年9月11日。ニューヨークのアメリカ同時多発テロ事件で崩壊したワールドトレードセンターを舞台にし、実話を元に製作されたノンフィクション映画。かなり事実に忠実にされたことがポイントで、オリバー・ストーン監督が消防署員に演出を変更しようとしてもアドバイザーたちはそれを拒絶したという。様々な911映画と併せて観たい映画である。

『ワンダー・ボーイズ』
  • マイケル・ダグラス
  • トビー・マグワイア
  • ロバート・ダウニー・Jr

という名優が揃う豪華な映画で、ボブ・ディランによる曲「シングス・ハヴ・チェンジド」は、ゴールデン・グローブ賞主題歌賞とアカデミー歌曲賞を受賞したが、何だかよくわからない映画だった。彼らほどの名優がこの映画の失敗で共演しないようになるのはもったいない。興行的にも赤字で終わっている。

『ワイルド・スピードシリーズ』

音楽、水着、暴走。夏の解放感にピッタリの映画。このシリーズが放映されるときは、映画館が普段映画館に来ないような人で溢れる。多くの人に訴求し、心底にある欲求を刺激する映画だ。

ワイルド・スピード SKY MISSION

シリーズの序盤で主演を務めたポール・ウォーカーが死んだ。事故死だ。人間の死は虚無であり悲しい。だが、それを『虚しくてたまるか』と叫ぶ人間の意地に心を打たれて、私はしばらく席から離れられなかった。このシリーズは一度ここで、完結したのだ。

『ワルキューレ』

1944年、第二次世界大戦の真っ最中に、ヒトラーの味方であるはずのドイツのクラウス・フォン・シュタウフェンベルク大佐は、なぜかヒトラーを殺そうとしていた。そう。ヒトラーは同じドイツ人にとっても脅威の対称だったのだ。やはり、ハリウッド映画とトム・クルーズというキャストがタッグを組めば、そのエンターテインメント性は格段と引きあがる。映画には色々な作品があってもいいが、多くの映画を観た私からすると、映画はやはりこのくらいのメリハリがあった方がいい。

『私がクマにキレた理由(わけ)』

多くの人が設定している人生の理想道には、往々にして『成功者』という名に相応しい地位や名声が備わっている。それゆえ、『それさえあればそれでいい』という短絡的な考えになり、知らぬ間に人の道から外れることになる。自分が道から外れたことを教えてくれるのは真理だ。だが、その真理を認識するのは様々な形である。今回は住み込みの子守『ナニー』がその真理に忠誠を誓ったようだ。

『私の中のあなた』

アンドレ・マルローは言った。

『死体を前にして初めて『なぜ』とつぶやいた時、この世に人間が生まれたのである。』

この物語を観て『想像を絶する悲劇』と捉える人もいれば、恐らく『羨ましい』と思う人もいるだろう。これがこの世界の不思議なところである。人は必ず死ぬ。早くその使命を遂げた人は、それを教える恩師である。

『私の頭の中の消しゴム』

もちろん問題は残る。『ロング、ロングバケーション』のように高齢でアルツハイマーになった場合と、この場合は違う。若いからこそ美化されるところもある。だがあえてそれを除いて考えた場合、ここにあるのは切なく、儚い純愛である。もしこの映画を好きな人がいる時に映画館で観たのなら、私は間違いなく最後まで席を離れることはできなかっただろう。

英数字

『10日間で男を上手にフル方法』

こういう映画だが意外と売り上げは高く世界で200億円近い興行収入を得ている作品である。普遍的なのだろう。世界どこでも男女の話は共通だから、ある人にとっては浅薄な印象があっても、浅瀬では子供すら遊べるというわけだ。

また、意外とシリアスを好む人であっても見応えはあると言っていい。よくいる男女と言えど、『されど人間』だ。よくいるからこそ『むしろこれが人間の実態なんだ』という現実を突き付けられる。

勉強を積むと、『男女差別があってはならない』という昨今の世界情勢とは違う次元で、『完全に区別されるべき存在』という事実が見えてくる。だからこそ人間はこれからも未来永劫、

『だから女は!』『なんで男ってそうなの?』

と言い続けるだろう。その差異ゆえにドラマは複雑になるが、だからこそそこに見応えが生まれるのである。

『1408号室』

これがスティーブン・キングだ。シャイニング、IT、ペッセメみたいな要素が盛りだくさん。最後までからくりがわからない!『からくり』なのかさえもわからない。ITみたいなピエロみたいな、変なのが出る!!怖い!!

『15ミニッツ』

タイトルの由来は、アンディ・ウォーホルの「15分で誰でも有名人になれるだろう(In 15 minutes everybody will be famous.)」という名言だという。もっと言うと、ウォーホルはこう言っている。

「誰もが15分間なら有名人になれる。いずれそんな時代が来るだろう」僕は60年代にそう予言したけど、それはすでに現実になった。僕はもう、この言葉には飽き飽きしているんだ。もう二度と言わない。これからはこう言う。「誰もが15分以内に有名人になれる、そんな時代が来るだろう」。

この映画は、その両方の意味を持っていると言っていい。もちろんウォーホルがどういう意図で言ったかということは、名言を8000個も内省した私にとって、あまり関係ない。私ほど名言を内省した人間も少ないだろう。多くは誰かの、何タラという名言が好きで座右の銘かなにかにして生きているものだ。

その場合は正確性を求めるだろうが、私くらいになるとどうでもいい。つまり、『言った当人を超えてしまっていい』わけだ。例えば当人がブッダについて学んでいなかったとしよう。そして言葉がたまたまブッダの説いた真理と同じ的を射ていたとして、私がそれに気づいたとしよう。その時、私はその言葉を当人よりも超越した領域で理解して受け止めたのだ。

もちろん、私が超人ということではない。ではどういう意味を考えられるか。つまりこういうことだ。

『人は真理から逸れることができるが、遅かれ早かれ、引き戻される』

派手な殺人をすればそりゃあニュースに載るだろう。それが最初の意味に該当する。そしてそれは同時に最後の意味にも該当する。逮捕された後、あるいは撃たれて死んだ後に、何日かも経たないうちに皆は彼の事を忘れるだろう。

『人の噂も七十五日』。それは、何も75日ピッタリで起きる現象のことを指すのではない。同じようにこの『15分』という数字も、必ずしも15分ピッタリで起きる現象のことを言うのではない。だが、そんな『たかだか15分』の為に尊い命が失われた場合どうする。断じて許されることではない。その一線を越えたからこそ人々はざわめき、ニュースになり、結果的に有名になるが、『そんなことの為に命を侮辱するな』という人間の怒りと矜持が、この作品からにじみ出ていて、心を打つのだ。

ロバートデニーロが演じる男が大きなカギを握る。彼の人生がこの作品に火をつけ、その価値を爆発的に引き上げている。

『17歳の肖像』

主演のキャリーマリガンは、この時23歳。とてもキュートで17歳と言われても文句は出ない美貌を持っている。だが、実は現在(35歳)の彼女の写真を見ると、あまり当時のように素直にはそう言えない劣化が起きてしまっている。これは悪口でも何でもない。ただ写真写りが悪い人というだけなのかもしれない。だが、何十枚と写真を見つけたが、この時の彼女を超える写真はなかった。

酷な話だが、あのオードリー・ヘップバーンでさえ20代の写真しか注目が集まらない。彼女とて、年を取ってからも活躍していたし、その時の写真もある。だが、人々が目を向けるのはどうしても最盛期。それが現実だ。逆に言えば、若者はその事実を利用して、若い時にしかできないことをすれば利益を得られる。そのように考えるのが賢明だろう。

キャリーマリガンのその後の作品は、ドライヴ、華麗なるギャツビーといくつかあるが、それも含めてそれ以外の代表作を、ファンではないあなたがどれだけ言えるだろうか。しかし、確かにキュートな彼女がいて、その時に作り上げた作品がある。そこにぜひとも注目をしたいのである。私とて、そして誰もが、若い時にしかできないことがある。アスリートは30歳になれば多くの人が引退を余儀なくされるように。

さて、主人公の彼女はタイトル通り17歳。しかし、まずは16歳から物語が始まる。これを冷静に考えるとちょっと気持ち悪い。『ロリータ』という、この世に『ロリコン 』という言葉を捻出した作品があるが、『愛を読むひと』同様、これも正直ギリギリのロリコン話である。ピーターサースガードがその気持ち悪い男役をはまり役として演じ切っている。彼のうつろな目は変態にピッタリだ。言い方は悪いが、何を考えているか分からない目をしているので、彼が演じられる役は多い。その意味でとても有能と言えるだろう。彼の活躍ならよく見かけるのである。

では、その変態野郎にキュートな16歳がどのような目に遭ってしまうのか。誰もが少年少女時代には、一日でも早く大人になりたいと願い、子供扱いされるのを嫌がる。大人扱いをしてもらいたいのである。

サルトルは言った。

『青春とは、奇妙なものだ。外部は赤く輝いているが、内部ではなにも感じられないのだ。』

大人はその逆で、一歳でも若く見られると気分がいい。これは、10代のうちに観ておきたい、無知な青春時代の教訓である。

『2012』

古代マヤ人が2012年の冬至ごろに訪れると予想した人類滅亡に関する幾つかの仮説を元に製作された。マヤ人のそれというのはノストラダムスのそれとはレベルが違い、説得力が高い。

例えば、『宇宙について知っておくべき100のこと: インフォグラフィックスで学ぶ楽しいサイエンス』にはこうある。

1000年以上前に中央アメリカに住んでいた古代マヤ人は、天文学の達人だった。彼らは、太陽や月、恒星や惑星の周期的な運動を、ほぼ99.9%以上の精度で予測することができたんだ。マヤ人は、地球の365日の周期のはじまりと、金星の584日の周期のはじまりとが、8年ごとに一致することを発見した。

このマニアックではない万人に分かりやすくイラストでまとめられた宇宙の本には、マヤ人についてこうある。『99.9%』以上の精度で天文のことについて把握していたという驚異の事実があるのだ。また、『ノアの箱舟』の考え方も考えさせられるものがある。人間は一度はこの状態をイメージしておく必要がある。『誰が乗り、誰が降りる』か。人類の歴史として極めて重要なシーンとなる。

『3時10分、決断のとき』

1957年に公開された『決断の3時10分』のリメイク。私はそっちを観ていないのでこれが初見だ。西部劇というのはその存在の意味を知らない時は嫌いだった。だが、歴史を知って、なぜ彼らがあのような『荒野』にいるのか、そしてガンマンであり、アメリカでよくそれが流れるのか。それを知るとスムーズに受けいれることができるようになった。要は、日本でいうところの『時代劇』なのである。

時代劇というのは日本ではお侍さんがいて、というイメージだが、そのアメリカ版が、西部劇なのである。もちろん時代劇というのは『その時代を切り取った舞台や映像作品』であるからして、イギリスの場合は大英帝国時代の、カツラやドレスを着て貴族がいて、というそれが時代劇となる。西部劇というのは、アメリカの西部の話だからそう名付けられている。東部には首都のワシントンやニューヨークなどがある。西部にはカリフォルニアやテキサス、そしてロスアンゼルスなどがある。

西部は昔、先に居ついた東部と比べて『未開拓エリア』だった。だから荒野が多かったわけだ。イギリスとフランスから宗教的な背景を抱えながら白人が新天地を求めてアメリカ大陸にやってきた。インディアンと呼ばれる先住民はいたが、彼らを迫害しながらエリアを拡大。そしてアメリカ合衆国を作るようになる。その最初が東部だ。

そして西部の方にも手を伸ばす。西部には金鉱があり、ゴールドラッシュを狙って人々が押し寄せた。土地も欲しい。鉄道を作ってエリアを確保し、人を流入しながら雇用し、働き、とにかくこの地をアメリカ人のものにしようと躍起になったのである。BTTFで言うと『3』の時代がそうだ。だからあそこで鉄道が一つのカギとして話の主軸に出てくる。

また、ガンマンがいる理由は彼らが『通用した』からだ。要は、まだ土地もインフラもない荒野のそのエリアは、警察組織もままならかった。保安官はいたが、彼らがまとめる秩序の光は弱く、闇たる悪人たちがのさばりやすい状況下にあった。youtubeやインスタも、最初はエロ、グロが簡単にまかり通っていたが、あれに似ている。大勢の人が集まり、徐々に現在の社会のように、ルールが敷かれて秩序が作られていく。

そんな時代背景を知ることができれば、西部劇はもう最高のエンタメだ。果たして彼はそういう状況下の中、何に重きを置いて生き貫くのだろうか。混沌とした世界だからこそ、人々が心底に抱える信念の槍の形が、浮き彫りになる。

『50歳の恋愛白書』

主人公の女優は『フォレストガンプ』で注目を浴びたが、知名度としてはあまりないだろう。そしてこのタイトル。高齢者以外は寄せ付けないようなそういう印象を得て、多くの人が敬遠しがちである。

だが実際にはこの映画は本当に教訓性が高い。私とは対極にいるような彼女の人生がここまで自分に突き刺さるとは想定していなかった。

一見すると普通のおばさんで、普通こういう人からは何も期待しないわけだ。保守的に生き、親として子供に振り回されながら、しかし愛して縁の下の力持ちに徹する。そういう役割を持つ場合がほとんど。だが、彼女の場合は破天荒だった若き時代があったせいか、行動がなかなか思い切っていて、見応えがある。

ジョージ・エリオットは言った。

『なりたかった自分になるのに、遅すぎるということはないの。』

『60セカンズ』

1974年の映画『バニシングin60″』のリメイク。映画自体は『ワイルドスピード』の展開に似ている。また、高級クラシックカー専門の強盗団である兄弟を描いた『スクランブル』も似ている。これらの映画を見れば車泥棒かつ、やむを得ない車泥棒というシナリオは観尽くした感に浸れるだろう。ただ、2000年のこの時はこれが最先端だ。当時の人々からすればワイルドスピードのような刺激をこの映画で堪能したのである。

『7つの贈り物』

全体的に暗い雰囲気が流れるが、それはただ主人公が『死』と向き合うからであり、そこで観るのを諦めない方がいい。人間は普通、向き合いたくない現実から目を反らして生きているもので、排泄物や死体の処理、あるいは世界との外交や政治等において、『考えるのが面倒』あるいは『見たくない』『分からない』等の理由から、他者に権限移譲をし、『楽・得・安全』に依存している。

だが、映画を真剣に観ることくらいはできるはずだ。そう考えれば、雰囲気がどんなに暗くても受け入れることができる。とりわけ、このケースの場合は内省にもつながる。

『自分の場合ならどうするか』

として、自分と向き合うことができる。もし想像を絶するほどの苦痛と捉え、絶対に避けたいなら、それがそのまま『心のブレーキ』となる。そのおかげでその後自分は、『こういう事故』を起こさないように気を引き締めるようになる。ちょうど、免許センターで交通事故のVTRを観るのと同じだ。それだけで観る価値が生まれる。

またこの映画は、映像だけで全容をすぐに理解できない人もいるので、『謎解き』のような形で観る楽しみ方もある。最後まで観て、その意味を理解した時、包まれた暗い雰囲気は晴れ、生きる喜びを実感しているだろう。

『80デイズ』

1956年の映画『八十日間世界一周』のリメイク作で、ディズニー作品。120億円の製作費をかけられたが、80億円程度の着地で失敗に終わる。ジャッキーチェンも「リメイク作品はもうこりごり」と言うに終わった。

だが、やはりそれだけの規模だけあっていかにも名作っぽい雰囲気が作られている。だから私がこの映画に出会ったときは、(え、こんな名作っぽいやつまだ観てなかったのか・・)という気持ちになった。

だが、実際にはその着地通りの中途半端な出来になったと言える。たとえば、『酔拳2』のウォンフェイフォンという伝説の武道家をサモハンキンポーが演じたり、ヴィクトリア女王や、ライト兄弟といった実在の有名人が出るが、『出るだけ』でその素材を活かしきれいているとは言えない。それなら、酔拳や『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ』のようにがっつりとウォンフェイフォンの神髄を披露した方が、中途半端ではないということだ。

『8mile』

デトロイトを舞台にした、エミネムの半自伝的な作品。タイトルは距離を意味しているが、色々な意味がある。『白人と黒人の距離』とか、『富裕層と貧困層』の距離とか。8マイルは大体『15㎞』くらいで、池袋から六本木の東京タワーが10㎞くらいだから、それよりも更に距離がある感じだ。それくらい距離があるとさすがに『都市と郊外』に分かれてくる。そしてその境界線は、ここでは白人と黒人とを分けるラインになっているのである。

貧困から抜け出すために、人はどんなことでもする。だが、自分に才能があると分かれば、人はその才能を信じたいものである。才能とは『やり続けること』だとある人は言った。やり続けるためにはそれをやることが『好き』でなければできない。彼は『距離』を感じている。彼が感じた夢への距離は競合たちと競い合うだけのそれだけではなく、もう一つの意味が込められていた。

『ALI アリ』

この映画の評価が低かったため、常に評価を疑っている私であっても、やはり思い込みによって遠ざけてしまっていた。偶然にも動画配信サービスに存在しないこともそれを手伝ってしまっていた。(つまらないから登録されてない)のだと。だが、実際には非常に興味深い内容だった。いつも思うのだが、そもそも皆は映画の『何を見て』評価をつけているのだろうか。

60~70年代というのは、多くの黒人指導者が亡くなったわけである。黒人の公民権運動家の代表格メドガー・エヴァースが暗殺されたのが1963年、マルコムXが暗殺されたのが1965年、キング牧師が暗殺されたのが1968年。ジョン・F・ケネディもその弟のロバート・ケネディも暗殺された。彼はマルコムXと非常に仲が良い人間だったから、ムスリムでもあり、彼の名を取って『カシアスX』として活動。このアメリカの重要な歴史を考えても、モハメド・アリという人物をピックアップすることは非常に価値のあることである。

したがって、評価は決して低くない。

『ALWAYS 三丁目の夕日』

1958年の昭和。この時代のことなら、現在おじいさんやおばあさんの世代の人々にとって、とても懐かしく感じることだろう。冷蔵庫、洗濯機、テレビは『三種の神器』と言われた。日本人の生活に徐々に欧米色が彩られていく初期のこの時代は、しかし、まだまだ日本古来のノスタルジックな光景がそこら中にあった。こういう映画はハリウッドのダイ・ハードとかターミネーターなどと比べれば、地味である。だが、そんな地味だが確かな現実を切り取った平和な日常は、皆が求めている素晴らしい日常だ。

『Dr.パルナサスの鏡』

ヒース・レジャーが急死してしまったことが原因なのか、あまりまとまりがなく、観ても観なくてもどちらでもよかった作品だ。ぶっ飛びすぎているわけでもなく、感動的でもない。彼の最大の遺作は、『ダークナイト』だ。

『GAMER』

ロボやAIとは少し違うが、自分の意識を誰かに乗っ取られ、コントロールされるとどうなるかを想像出来る。刑務所収監中の囚人たちは、自分達をコントロールさせる代わりに、刑の軽減を狙う。人間の欲望の禍々しさを見ることができる。

『HACHI 約束の犬』

1987年(昭和62年)に公開された日本映画、『ハチ公物語』のリメイク作品。私はオリジナルを観ていないので、この映画で大いに感動してしまった。私も犬を飼っていて、亡くなった後にその名前を会社名にして起業した。そしてそれ以来15年以上犬を飼っていない。それが私と犬との関係だ。安易には近づけない。それほど愛おしくて、守るべき、尊い存在なのだ。

かつて、本当にそういう犬がいた。そしてそれが渋谷駅のハチ公となって今も街のシンボルとしてこの世界で主人を待ち続けている。私も正確には知らなかった。きっと多くの人とて同じだろう。知らずして待ち合わせ場所にして、ハチ公のことより待ち合わせている恋人との時間のことしか考えない。ハチに思いを寄せる人は1割いるかいないかだ。

それを俯瞰・客観視点で1000倍速で見たい。とんでもない数の人が行き来し、あっという間に夜が来て、かと思ったら朝が来て。秋になり、葉が落ち、冬になり、雪が積もり、春になって温かい希望のエネルギーに満ち溢れ、そうして一年が過ぎ、二年が過ぎる。しかし、周りに一時的に集まる人たちは流行の波に流されながら服装や言葉遣い、持ち運ぶアイテムは変わるが、やることは同じだ。知らずして待ち合わせ場所にして、ハチ公のことより待ち合わせている恋人との時間のことしか考えない。ハチに思いを寄せる人は1割いるかいないかだ。

しかし、ハチ公はじっと動かない。銅像だからではない。彼は生前もそうして待ち続けていたのだ。その狂おしいほどの健気さが愛しくて、私は逆に、泣かなかった。泣いて感動して満足し、自己満足に陥るのは失礼だと判断した。私は敬意をもって彼の一生と向き合った。

『HUNGER/ハンガー』

この映画を観る時は事前にいくつかの知識を入れておくのがいいだろう。どういう意図でこの映画があるのかを知る必要がある。これは実際にあった話だ。北アイルランドがイギリスにどのような仕打ちを受けたのか。そして、その事件で踏みにじられた『人の命』は、どれくらい重いのか。彼らの生きざまと覚悟から伝わる、命の重みを見よ。

『JUNO/ジュノ』

これは『あと1センチの恋』と併せて観てもいい映画だ。両方とも願わぬ子供の命を授かってしまうわけだが、両者の展開は違う。2008年3月、ローマ教皇庁は新たな七つの大罪を発表した。それは、

  1. 遺伝子改造
  2. 人体実験
  3. 環境汚染
  4. 社会的不公正
  5. 貧困
  6. 過度な裕福さ
  7. 麻薬中毒

である。もちろん、中絶について強く諭す教えもあり、それは宗教に関係なく倫理道徳として、この映画の中にすらも登場する考え方である。切実な問題だ。彼女はまだ16歳の女子高生。私の周りには中学生で子を産んだ人がいたが、男は逃げ、大変な人生を送っているように見えた。私は男ならではの壮絶な10代を生きたが、女にも女の壮絶な人生がある。

『Mr.&Mrs. スミス』

スパイというよりも暗殺者だが、暗殺者でありながらスパイ活動も行う。何度も観ると飽きてしまう作品なのだが、一発目は相当見応えがあった。一体なぜだろうか。それだけ強く頭に焼き付く、インパクトと見ごたえのある作品だからだ。主演の二人の人気も実力もずば抜けている。そしてこの作品の中のキャラクターもずば抜けた能力の持ち主だから、見ていて爽快である。彼らはこの作品以降に結婚しているため、彼らにとっても思いで深い作品となった。

決して交わることの許されない二人は、実体を隠したまま知らぬ間に結婚していた。理性や常識に従うなら、二人は一緒になることは許されなかった。だが、お互いの心底の声は知っていた。彼(彼女)が、自分の人生の伴侶であるということを。

『Mr.ブルックス 完璧なる殺人鬼』

名優たちが揃うのに名作扱いにはならない。色々と惜しい映画である。彼らであればもっと面白くなりそうなのだが。この映画の公開された2008年というのは、

  • ダークナイト
  • セックス・アンド・ザ・シティ
  • インディ・ジョーンズ
  • 奇跡のシンフォニー
  • ハンコック
  • アイアンマン
  • ワールド・オブ・ライズ

といった名作が揃う。完全にその陰に追いやられて埋もれた作品だ。浮上する力もそう強くはない。

『N.Y.式ハッピー・セラピー』

私はシリアスな映画の方が教訓性があって好きなのだが、コメディ映画でも面白いものは面白い。ただ、漫画と同じで、それを言えばすべての作品を観なければならなくなるから、観れば面白いのはわかるが、極力避けたいところだ。だが、ジャックニコルソンほどの人物の映画は全部みたい。結果は、まあまあ面白い、という着地だろう。

『NANA、NANA2』

矢沢あいによる漫画を映画化したもの。中島美嘉歌や、伊藤由奈の歌が有名になったので一度は見ておきたいと思っていた。中島美嘉が歌った主題歌「GLAMOROUS SKY」は原作者の矢沢あいが作詞、L’Arc〜en〜Ciel の hyde がメンバー初の楽曲提供による作曲・プロデュースが話題になり、オリコン週間チャートで2週連続1位を記録、2005年度年間ランキングでもトップ10入りする大ヒット。伊藤由奈が歌った挿入歌「ENDLESS STORY」も初登場2位で、長期にわたってロングヒット。2人は年末の歌番組に相次いで出演し、共に『NHK紅白歌合戦』へも出場したという。

女性目線の恋愛ものには、バンドをやっている男性が出てくることが多い気がするが、それはただの時代だろうか。ギターが弾けるだけで格好いいという時代があった。ビジュアル系も、ロックも、バンドブームも色々あった。だがとにかく、この2人の歌声は本物なので、音楽を聴くだけでも観る価値はある。

『Ray/レイ』

レイ・チャールズの伝記映画。かなり波乱に満ちた人生を送っていて、かつ彼の音楽は多くのアメリカ人の心を躍らせるほどのソウルがあるので、映画化は全く不自然ではなく、むしろ興味津々で彼の人生を覗く人が多いだろう。

黒人というだけでとてつもないハンデを背負うのに、それにプラスして視力を失い、実の弟を幼少の頃に失うという難しい人生を強いられる。普通はもう音を上げるだろう。それくらい生きるのは相当苦痛だったはずだ。

だが、『強いられて偉人になる』。もしもそれだけ難易度の高い人生を強いられ、見事にそれを生き貫いたのなら、往々にしてその人は、偉人になる。

麻薬との付き合いも大変だ。盲目の人に麻薬を教えるなんて異常犯罪に近いが、常識というものは時に常軌を逸する。ソクラテスが『無実の罪』なのに大勢の裁判員に『死刑投票』されたせいで刑死したように、その時、そこに広がっている強いエネルギーには、逆らえないことがある。だが、レイは音楽というエネルギーを創り出す。その光は、闇をどれだけ照らすか。彼の生き様を見届けたい。

『Shall We Dance?』

耳に胼胝ができるほど聞いたこの音楽が、『王様と私』のものだとは知らなかった。私の中でそれはジョディ・フォスターの『アンナと王様』であり、ミュージカルのそれではない。とにかく、ダンスというものはいい。凝り固まった鬱憤を晴らすだけのカタルシス的な効果もあって、命が躍動するのを覚える。だからこそ彼ら夫婦も、このような形になったのだろう。

『TAKESHIS’』

キャッチコピーは「500% KITANO」「たけしがたけしを演じる」「『たけし』が『たけし』に出会う。たけし曰く「100人の評論家が見て、7人しか分からない映画」と言うが、私はそのうち93人側だった。たけし映画で最も意味不明な映画である。しかし、『LUCY』などは私が成長したときにもう一度見たら意味が理解できていたので、この映画もきっといつか理解できる日が来るだろう。

『THE ONE』

唯一無二で全能の存在(ザ・ワン)になろうとするジェットリー演じる格闘のプロが、実に125のパラレルワールドが存在している世界観で、『自分を全員殺す』ことで、その存在になれるとし、暴走し始める。アルゴアが大統領を務める世界と、ブッシュ大統領が大統領を務める世界があったり、ジェットリーとジェイソンステイサムが共演するあたりが見ものだ。

『U-571』

第二次世界大戦中、ドイツの暗号解読機(エニグマ)を奪取するためにドイツ海軍のUボートへ潜入した米海軍兵たちの敵地脱出作戦が描かれる。多少脚色があるが、連合軍が、エニグマを奪取するためにUボートを捕獲し、艦内に突入したという出来事は、実際の戦史に存在するという。

やはり、実話ベースということもあって映画の価値は高い。また、エニグマの存在は様々な戦争映画で常に描かれてきていて、特にベネディクト・カンバーバッチの『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』あたりと合わせて見ると、中々面白い映画に化けるだろう。それぞれが別々の映画ではなく、同じ映画の違うシーンだと思えばとても豪華なエニグマ映画になる。

『Vフォー・ヴェンデッタ』

観る前に舞台設定を理解しておいた方がいい。

第三次世界大戦後。かつてのアメリカ合衆国が事実上崩壊し、独裁者アダム・サトラーによって全体主義国家と化したイングランド。

これが設定だ。これならまず初期設定として皆の頭の中に(うーむ。このヒトラーみたいな帝国主義の形態がいいわけがないだろう・・)として、片隅に『誰かがテコ入れしなければ』という正義の最適化案が生まれる。

この初期設定があるとないとではこの映画の印象がまったく変わってしまう。ないと、『謎の仮面の男』の印象と相まって、何が何だかよく分からない感じになってしまい、途中で挫折しかねない。

またこの仮面だが、火薬陰謀事件の加担者として有名なガイ・フォークスの顔を様式化したものである。この事件は1605年11月5日にロンドンの国会議事堂を爆破してカトリックの国家元首を復活させようとするものだった。

この事件の首謀者のガイ・フォークスの顔を、『Vフォー・ヴェンデッタ』が漫画と映画で重要アイテムとして用いているわけだ。また、2006年頃に英語圏の匿名掲示板「4chan」で結成された、インターネット上のハクティビスト(ハクティビズムと呼ばれるハッカー思想の実践者)が緩やかにつながった国際的な連携組織である『アノニマス』がこのマスクを使っていることでも有名だ。

とにかく、何かを転覆させようとするとき、このマスクが使われるわけだ。『カトリックの国家元首の復活』というと妙に偏った印象があるが、『火薬陰謀事件』を紐解けば分かるように、この事件は、イングランド国教会の成立に伴う半世紀以上にわたるカトリック教徒への迫害を止めさせ、カトリック教徒の君主に挿げ替える企てであった。

イングランド国教会、つまり英国国教会はカトリックを迫害していたので、それをやめさせるためにやったことだ。カトリック云々というわけではなく、『越権行為をする巨大組織に立ち向かう』という意味で、この仮面はつけられるのだろう。

またこれは余談が、その英国国教会を作ったヘンリー8世と熱愛した愛人の『アン・ブーリン』を演じたのが、今回のヒロインであるナタリー・ポートマンであるのも面白い関連性だ。

ローマ法王から『カトリックの守護者』と称えられたヘンリー8世は、アン・ブーリンを愛するようになり、妻と離婚したかったが、カトリックでは離婚が認められなかった。そこでヘンリー8世は、ローマカトリックから分離し、『英国国教会(イギリス国教会)』を作ったのだ。

とにかくこれは、一見すると良く分からないが、よく調べてみると中々奥行きがあって、その存在感も大きい無視できない映画となっている。

『WASABI』

世界ではこれがB級映画として片付けられているようだが、確かにそういう片鱗はある。大体日本を描く場合はそうなる。キアヌリーブスの『47RONIN』ですらその気配がある。『もののけ姫』や『千と千尋の神隠し』の真似をしても空虚に終わるだけだ。基礎と哲学があってこその宮崎作品だからだ。

だが、私は個人的に面白かった。広末涼子が奮闘していたこともそうだが、単純にがっつり日本が舞台になっていて楽しかったし、挿入されたBGMによくクラブで聴いていた音楽が流れて、感動した。




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