偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

ふむ…。
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目次
考察
ウェルギリウスはこうも言った。
単なる『怖れ知らず』では『無謀』だ。勇気と無謀は違う。例えば、自分の頭を思い切り鋭利な角にぶつければ、間違いなく命に関わる重傷を負う。それを知っていてやることを、あまり『勇気』と言うことはない。しかし、例えば真っ暗な道を歩いていたとする。絶望的だ。何しろ、何も見えない。お先真っ暗なのである。だが、茫然と歩いていると、何やら遠い向こうに明かりが見えて来た。
いや、もしかしたら何もないかもしれない。あるいは、地獄への扉が開いただけなのかもしれない。思うことが出来る。しかし、そう思わないこともできるのである。どちらにせよ死ぬのだ。その先に明かりが見えている以上、その方向に自分の目的があると思ってひた進む。
それでいいのだ。
それがいいのだ。
つまり、この答えのない混沌の虚無たる闇に生まれ、儚くも、必ずいつかその命に終わりが来て、しかしそれを歩くことを強いられた全ての生命の中で、前を向き、あるいは子々孫々の繁栄を願った尊い魂は、全て、もれなく、この世の真の大勇者なのだ。
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