偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

ふむ…。
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目次
考察
ディオゲネスは、かのアレクサンドロス三世に向かってこう言った。
なんという男だろうか。しかしディオゲネスにとってはそれでよかった。『食欲も性欲のように、自慰行為で収まればいいのに』と言う自由奔放なディオゲネスの生き様を見て、アレクサンドロス大王はこう言った。
『私がアレクサンドロスでなければ、ディオゲネスになりたい』
大皇帝と言われる人間に嫉妬されたディオゲネスの生き様は、もしかしたら『人間の第二の最終終着地点(プランB)』なのかもしれない。
ルソー言った。
ルソーが『人間不平等起源論』で説明するのは、
『たとえ対象が家族でさえも、人のために働くとなると、それは自由と呼べるのだろうか。 何らかの義務や責任が発生しているその状態は、隷属状態ではないのか。』
ということ。
リヒテンブルクがここで言う『幸福』とは、ディオゲネスやルソーの言う様な、『半ば無責任』とも言える『解放状態』を指すのだろうか。
シレジウスは言った。
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