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フォイエルバッハ『近世の課題は、神の現実化と人間化…つまり神学の人間学への転化と解消であった。』

偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

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ふむ…。

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目次

考察

ヴォルテールは言った。

 

ドストエフスキーならこうだ。

 

どちらにせよ人間は、『神』を必要とする生き物なのである。その答えは単純であり、例えば、『ジャンケン』をしたときに、勝ち負けが決まるわけだが、あれがもし、勝ち負けが決まらないというものであれば、どうだろうか。勝ち負けを決める為にジャンケンを行ったはずなのである。

 

全ての勝負事や、ギャンブル、競争に勝ち負けがあり、いや、『人間に勝ち負けはない』という、精神的な話ではなく、表層的に、何が『勝ち』で、何が『負け』なのか、それがハッキリしていないと、心が虚無に陥るのだ。

 

 

つまり、『○と×』だ。どちらの方向が『○』で、どちらの方向が『×』なのか、それがわかっていないと、人は、自分の足をその方向に迷いなく進ませることが出来ない。私のことで考えてもそうだ。私の足は、その方向が正しい道であり、あるいは悔いのない道だと確信したときにしか、軽くならない。

 

例えば、赤ん坊がいて、部屋を片付けても、すぐに汚れてしまう。だとしたら、完璧主義の綺麗好きの私は、そこを片付けない。なぜなら、またすぐに汚れてしまうからだ。一人の部屋を掃除するときとは勝手を変えて、適当に掃除することになる。そういう風に、人間というものは、その方向が正しくて、『○』で、ゴールがあり、意味があり、悔いのないものに繋がっていると確信しなければ、足取りが重くなる生き物なのである。無意味だと思ってしまったら、捻出されるエネルギーが減衰してしまうのだ。

 

窮極的な話、

 

(なぜ、どうせ死んでしまうのに、生きて努力しなければならないのか)

 

という葛藤に悩まされる。しかし、そんなことをしているのは、地球上では人間だけなのである。答えのない、ゴールのない、ただただ複雑に構成された得体のしれない世界を前にすると、人間は、足をすくめてしまう。そんな時、目の前にスッと道が切り拓けたら、どうだろうか。至極単純に、

 

(そうか。ここを歩けばいいんだ。)

 

と思って、その足取りは軽くなるだろう。例えその道の終着点が、死であったとしても。『神』の存在も、『神の現実化』も『人間化』も、すべて、その根幹にあるのは、『人間の心』である。人間の心が、『腑に落ちる』か、『落ちない』か、ということだけなのだ。腑に落ちていたから、神は神のままでよかった。腑に落ちないから、神を現実化する必要があった。どちらにせよ、カギとなるのは人間の心である。

 

マルクスは言った。

 

 

 

 

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