index

萩原朔太郎『懺悔者の背後には美麗な極光がある。』

偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

運営者
ふむ…。

[adrotate banner=”6″]

目次

考察

しかし、その『懺悔する』という行為だけが先行し、『懺悔コーナー』の様なものが教会にあって、そこで罪を告白すれば、神はお許しになる、とかいう、わけのわからない常識が蔓延している事実を考えた時、この言葉の真意は、雲に隠れる。『本当に懺悔する』ことが重要なのだ。懺悔の部屋に入ったり、表層的な儀式を行うだけでは何にもならない。表層的なら、むしろそこに漂うのは『死臭』だ。

 

 

そこにいるのは、血の通った人間ではない。何しろ、『懺悔したフリをして罪を隠蔽する』のだから。そこに『極光(オーロラ)』などない。人間が本当に懺悔したのを見た時、魂が揺り動かされるような、そういう心の衝撃を覚える。あの、心ふるえる感動体験を姿形で表すなら、確かに極光という表現は、相応しい。

 

 

しかし、その極光が『懺悔したフリをしている人』の周囲にも現れるかと言ったら、間違いなくそんなことはない。そしてむしろ、死臭が漂う。彼が蓋をして闇に葬った罪の臭いが辺り一面に漂い、その後行われる可能性のある新たな罪の気配と共に、辺りは闇に覆われる。

 

 

 

 

[adrotate banner=”7″]

関連する『黄金律

あわせて読みたい
『どれだけ生きるかではなく、いかに生きるかが重要なのだ。』   第10の黄金律 『どれだけ生きるかではなく、いかに生きるかが重要なのだ。』   生命が、その命を度外視してなし得ることは、尊い。   『人生は物語の...

同じ人物の名言一覧

あわせて読みたい
萩原朔太郎の名言・格言一覧 日本の作家。生誕1886年。男。通称『日本近代詩の父』。(画像) 名言一覧 『幸福人とは、過去の自分の生涯から、満足だけを記憶している人びとであり、不幸人とは、そ...
よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次