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萩原朔太郎『もっとも親しき友人というのは、つねに兄弟のように退屈である。』

偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

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ふむ…。

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目次

考察

『友』の定義をどうしているかで、この言葉の意味の理解の形は変わるだろう。偶然近所に住んでいた人間、慣れ合い、傷をなめ合う人間、顔見知り、知人、戦友、盟友、様々な『友』という人間関係の中で、『真の友人関係』をどう結論付けるか、それがカギである。

 

ニーチェは言った。

 

二人の偉人の言う様に、『安穏と刺激』の両方の居心地がある。こんな友人なら、生涯連れ添えるだろう。しかし私はこの『退屈』という言葉と、『安息の場所』という言葉の意味は少し違うと感じる。正直言って最初の言葉は揶揄だ。悪い評価である。それなのに『もっとも親しき友人』と言っていることを考えると、私はこの言葉をニーチェの言葉とは違う角度から考えた方がいいと考える。

 

言ったようにこれは、揶揄だ。つまり、『それでもっとも親しき友人かよ』というような、皮肉である。例えば私は、10年近く連れ添った悪友が10数人いた。その悪友たちはまるで『家族のように』振舞い、自分たちの仲の良さを、他のグループなどに自慢するような、そういう考え方に酔いしれていた。

 

グループ

 

しかし、彼らは現実を突きつけられたとき、身動きが取れなかった。つまり、普段、悪さをしてゲラゲラと笑いあうのはできるが、真面目な話をして、高みを目指して生きていこうという高い目標を突きつけられると、その事実を隠蔽し、見なかったことにし、今まで通りの『ぬるま湯』に浸かった人生を優先しようとしたのだ。

 

そうなると当然、人間関係にひびが割れてくる。向上心のある人間とそうでない人間との間に『温度差』が生まれるようになる。彼らは間違いなく私にとって『もっとも親しき友人』だった。しかし、彼らがよしとしていること、人生で望んでいることは、私にとっては退屈極まりないものだった。

 

そして我々の人間関係は終わった。それぞれが、それぞれの求める道を選択したからだ。彼らは間違いなく私にとって『もっとも親しき友人』だった。しかし、そんな人たちが必ずしも自分の『真の友人』かどうかは、わからない。

 

 

 

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