偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け


ふむ…。
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目次
考察
私の様に真実のみを追い求める人間は即座に理解することだ。私は、社交辞令や、お世辞、見え透いた嘘、慇懃無礼な態度、見栄、虚勢等、それらすべての『メッキ』に対して、嫌悪を覚える。しかし、世の中には前述したような表層上の事を重んじ、あるいはオブラートに包むような、ちやほやしておだてるような、そういうことを望むような人も大勢いるのが事実だ。それに、例えば『儀式』についてだが、
ブッダはこう言い、
キリストはこう言い、
偶像崇拝をすることを禁止しているのに、教会や仏像の前で手を合わせて祈る人間が後を絶たない。しかし、それをやめることは恐らくないだろう。何しろ、『仏像を彫る』ということが、ある種、尊い作業をしているような感覚が蔓延している。ブッダは『仏(私の)像は造るな』と言っているのに、作ってしまい、そしてそれで金を取り、あるいは崇高な人間を装っている。出来が素晴らしければ、なおの事混沌に陥る。
上に挙げたキリストや、ソクラテスは、
真実に生きたことで、処刑されることになった。真実を理解出来ない人間に。『気の利いたこと(表層上)』に支配された、人間に。
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