MOVIE RECIPE
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- レシピ数:5
- 紹介映画:64
当記事は半分まで無料で閲覧可能です。また、下記『MOVIE RECIPE1:冒険者たち』が全て無料で閲覧できるようになっていますので、参考までに。

1.『~1900年』
1900年までのイギリスの時代を舞台にした映画を、なるべく時系列順で紹介する。
イギリスは『イングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランド』でできている国だ。世界的にはUK(ユナイテッドキングダム)と言うのが普通で、『イングランド』の語源となったのはアングロサクソンだ。アングロサクソン人がイングランドの基盤を作った。375年にゲルマン人の大移動によってヨーロッパを支配していたローマ帝国は崩れていく。
395年にローマ帝国が東西に分裂。409年にローマ帝国がブリタニアを放棄した後、現在のデンマーク、北部ドイツ周辺にいたゲルマン人が、現在のイギリスがあるグレートブリテン島に渡ってきた。彼らは先住のケルト系ブリトン人を支配し、ケルト文化を駆逐した。これが英国における最初のアングロ・サクソン人である。彼らの言葉が英語の基礎となった。
476年にゲルマン人のオドアケルによって西ローマ帝国が滅びる。西洋史では、ここが古代と中世の転換点となる。ちょうどそのあたりの時代を舞台にした『キング・アーサー』は伝説が混じっているが、当時の時代背景を考えるにはいい映画である。下記の記事に詳細は書いたが、アングロサクソン人らがイングランドのあるグレートブリテン島に侵入して『アングロサクソン七王国』を作る。
- アルフレッド大王(871~899年)
- クヌート(1016~1035年)
- エドワード証聖王(懺悔王)(1004~1066年)
と続き、1066年にエドワード証聖王が死ぬと、従妹のノルマンディー公ギョーム2世(後のウィリアム1世)が王位継承権を主張。海を渡ってイングランドへ侵攻する。『ノルマン・コンクエスト』である。その後、
- 獅子心王リチャード1世
- 十字軍
- エドワード黒太子
- フランスとの百年戦争
などの活躍や歴史があり、イングランドが徐々に力をつけてきてエリザベス女王の時代に黄金期を迎える。クロムウェルの時代に英国王チャールズ1世を処刑し、英国史上唯一の共和制を敷くも、すぐに王政が復活し、1689年に立憲君主制が確立。王が勢力を誇ったり、いなくなったり、君臨すれども統治しなかったりして、ヴィクトリア女王の時代に『大英帝国』の最盛期を迎えるが、植民地の独立、戦争などの影響で国力が衰退し、現在に至る。
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今回配合するレシピはこちらです!
- 『キング・アーサー』
- 『ヴァイキング・サーガ』
- 『征服王ウィリアム ソード・コンクエスト』
- 『バトル・フィールド』
- 『ロビン・フッド』
- 『キングダム・オブ・ヘブン』
- 『ブレイブハート』
- 『ジャンヌ・ダルク』
- 『ブーリン家の姉妹』
- 『エリザベス』
- 『ふたりの女王 メアリーとエリザベス』
- 『エリザベス:ゴールデンエイジ』
- 『もうひとりのシェイクスピア』
- 『恋におちたシェイクスピア』
- 『クロムウェル』
- 『リバティーン』
- 『女王陛下のお気に入り』
- 『アメイジング・グレイス』
- 『ある公爵夫人の生涯』
- 『パトリオット』
- 『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ』
- 『マニカルニカ ジャーンシーの女王』
- 『アンナと王様』
- 『ヴィクトリア女王 最期の秘密』
- 『エレファント・マン』

452年。『アーサー王とサクソン人の戦い』。『アーサー王伝説』はあくまでも伝説の域に過ぎないが、この映画を観ると別に彼らのような人が存在していたと考えてもそうおかしくはないと感じる。400年代の『イギリスができる前』の西洋の様子が想像できるのも貴重。

731年頃。内容はぞんざいに見えても、舞台となるノーサンブリア王国とは、アングロサクソン人が築いた七王国のうち最北、現在のノーサンバランドにあったアングル人の王国である。ここにあったリンディスファーン修道院はヴァイキングによって731年略奪を受けてしまうが、その時のシーンを切り取ったものが描かれる。

1066年頃。ノルマン人のウィリアム1世はグレートブリテン島に渡り、そこにあったイングランドを制圧した。『ノルマン・コンクエスト』である。これは、彼がどのようにしてそこまでに至ったかということを幼少時代から遡って描く歴史映画である。色々とクオリティを求めてはならない。

『征服王ウィリアム ソード・コンクエスト』が、『ノルマン・コンクエストに至るまで』という設定の映画で、バトルなどは何の臨場感もない映画とするなら、これはそのバトルに焦点を当てた映画だ。しかも、その映画の話の続きで、ウィリアム1世がイングランドを制圧した後の、同じ1066年の話である。

時代は12世紀末。十字軍の兵士としてフランスで戦っていたロビンフッド。彼は実在しないが、ここにもイギリスの『獅子王リチャード1世』という十字軍の重要人物が登場する。

1200年頃。1000年以上続くパレスチナ問題の最盛期とも言える、十字軍の英雄ボードゥワン4世と、イスラムの英雄サラディンがいた時代。十字軍にはイギリス人も多い。上記作品同様、『獅子王リチャード1世』が登場するシーンがある。

1280年頃。イングランドの支配からスコットランドを救った革命家ウィリアム・ウォレスを主人公とした映画。残虐で冷酷なイングランド王エドワード1世の侵略によって家族を殺害されるも、難を逃れるところから物語が始まる。

1400年頃。フランスの英雄として扱われてきたジャンヌ・ダルクを一人の少女という視点から描いた映画。イギリスとフランスが戦った百年戦争が描かれる。

1520年頃。『エリザベス女王の母アン・ブーリンの壮絶な人生』。アン・ブーリンは、ヘンリー8世と駆け落ち的な恋をして、英国国教会が作られた…というくらいまでなら知っている人もいるかもしれない。だが、エリザベス女王の母親は壮絶な人生を送った。

1560年頃。女王としても世界一有名だが、女性としても世界一有名ではないだろうか。それがエリザベス女王その人である。だが、彼女が英国の女王となるまで、そしてなってからもそれは、平たんな道ではなかった。

1580年頃。カトリックだった異母姉メアリー女王のあとに、プロテスタントのイングランド女王として即位したエリザベス。カトリック大国スペインの国王フェリペ2世のイングランド制圧や、イングランド王家の血を引くスコットランド女王メアリー・スチュアート、スペインとの『アルマダの海戦』等についての歴史が描かれる。

『エリザベス』の続編と言ってもいい。ちょうどあの映画が終わった後に何があったかを切り取った映画で、歴史映画に造詣が深い人にはたまらない作品だ。事実、批評家の評価も高いという。あのエリザベス女王がなぜメアリよりも有名になったのか。そこには、やはりこうしたいくつかのからくりが存在したのだ。そして、メアリ・スチュワートの息子ジェームズ1世はエリザベス女王の跡を継ぎ、その後のチャールズ1世の時に、クロムウェルが登場するのである。

エリザベス1世の治世である16世紀末から17世紀初頭が舞台となる。シェイクスピアの作品が別人によって書かれたとする「シェイクスピア別人説」のうち、第17代オックスフォード伯エドワード・ド・ヴィアを本当の作者とする説に基づいたフィクション。

同時代。『ロミオとジュリエット』の初演を背景とし、若かりし日のウィリアム・シェイクスピアと彼を信奉する上流階級の娘ヴァイオラとの恋愛を描く悲喜劇の恋愛映画。作中にはシェイクスピアを始め、エリザベス1世やクリストファー・マーロウなど、エリザベス朝を彩る歴史上の人物が多数登場する。

1642年、ピューリタン革命を起こしたクロムウェルだが、この男がこの話の端緒となるかもしれない。アイルランドはクロムウェルの征服により、以後イングランドの植民地的性格が強い土地となる。

1660年頃。イギリスに実在した天才詩人、第2代ロチェスター伯爵ジョン・ウィルモットの生涯を描いている。クロムウェルが王を処刑して独裁政権を取るも、死後に王政復古したイギリスは、技術、芸術様々な面で急速に発達していた。

18世紀初頭のイングランドを舞台にアン女王(1665年2月6日 – 1714年8月1日)の寵愛を奪い合う女性2人のしたたかな攻防を描いた宮廷ドラマ。

『イギリスがやめてもフランスが横取りするだけだ!』。この言葉は中々奥が深い。だが、そんな奴隷制度、帝国主義の渦中にあって、ウィルバーフォース(1759年8月24日 – 1833年7月29日)とピットが立ち向かうために燃やした正義の炎は、この世界に永遠に残る、勇気の炎である。

ダイアナ王妃の血筋でもあるジョージアナ・キャヴェンディッシュ (デヴォンシャー公爵夫人)の半生が描かれるが、彼女が嫁いだ場所で、彼女の居場所はなかった。

1780年頃。アメリカがイギリスから独立して『アメリカ合衆国』になる時代を切り取った映画だから、それだけで見ごたえは十分だ。主役のメルギブソンはその戦争のメインキャラクターではなく、あくまでも個人的な戦いとして戦争に参加するところもいい。そっちの戦争も十分見ごたえがある。

シリーズを通して、時代的に欧米列強の侵略に動揺する清朝末期の1860~1900年頃が描かれる。伝説の武道家である黄飛鴻(ウォン・フェイホン)を主役として、中国の歴史と併せながら物語がアクション的に展開される。

1858年頃。インド大反乱の女性指導者ラクシュミー・バーイーを描いている。この場合は上記作品と違って『謎の誇大演出』があるので、見づらい。歴史的にはかなり重要で、専門書にも名前が書いてあることが多い人物だけにもったいない。

1860年頃。『アンナとシャム王』の元になったアナ・リオノウンズの手記『英国婦人家庭教師とシャム宮廷』を原作に映画化された作品。タイは以前、『シャム』と言った。だが、理不尽なしきたりはあった。ここに家庭教師に来たアンナは壮絶な経験をすることになる。

1887年。インド女帝でもある英国のヴィクトリア女王ととあるインド人の奇妙な関係を描いている。

19世紀。『アレクサンドラ妃』が問うじょゆする。彼女はイギリス女王エリザベス2世等の曾祖母にあたる。ロンドン病院に関心が深く、頻繁に訪れていた。彼女の会った患者のひとりに「エレファント・マン」として知られるジョゼフ・メリックがいる。

このあたりを考えると、『KKK』と呼ばれた白人至上主義団体と、アメリカに深く根付いている黒人差別問題の実態が浮き彫りになってきます。マニフェスト・デスティニー(明白なる天命)を掲げ、プロテスタントのアングロ・サクソン人などの北方系の白人のみがアダムの子孫であり、唯一、魂を持つ、神による選ばれし民として、他の人種から優先され隔離されるべきである、と主張する選民思想団体であるKKKは、アメリカ大陸を制圧していった1600年以降の行動を正当化しています。
1607年、北米にイギリス領『ヴァージニア植民地』が建設され、フランスもそれに対抗して『ルイジアナ植民地』を建設し、彼らの衝突は続きました。原住民との争いもあり、1622年3月22日の聖金曜日に、ヴァージニア植民地のジェームズタウンおよび周辺の入植地で、原住民インディアンと白人入植者の間で『ジェームズタウンの虐殺』が起こりました。『フレンチ・インディアン戦争(1755年–1763年)』が起こります。フランスとインディアンの同盟が、その領地をめぐってイギリスと衝突した戦争です。
白人がインディアンや黒人といった有色人種を迫害していき、結果的に勝利を収める。そうした事実が雪だるま式に転がっていって、1865年の『南北戦争』あたりからKKKのような考え方を持つ団体が生まれ、彼らは『我ら、アングロサクソンだけが人種の頂点にいる』という発想で、このイギリスという大国ができた当時の余韻に浸り続けているのです。アメリカ人でもイギリス人でもない。その源流にある『強者・アングロサクソン人』の血筋にしがみついているわけですね。
2.『1900年~』
1900年以降のイギリスの時代を舞台にした映画を、なるべく時系列順で紹介する。
2022年に死去した『エリザベス2世』も記録的な歴史を作った。2015年9月9日には、在位期間が63年と216日となり、高祖母であるヴィクトリア女王を抜いてイギリス史上最長在位の君主となる。2016年10月13日にはラーマ9世(タイ王国国王)の崩御により、2022年4月21日時点(96歳)、存命の君主では世界第1位の長期在位君主となる。
2022年6月13日には在位期間が70年と127日となり、タイのラーマ9世前国王(在位:1946年-2016年)の記録を抜き、世界史上第2位の長期在位君主となる。1位はフランス国王ルイ14世(在位1643年~1715年)であり(在位:72年と110日。ギネス世界記録)、もし2024年5月までエリザベス2世の在位が続けば、この記録が塗り替えられたはずだった。96歳と140日没、在位期間は70年と214日で、イギリス史上最高齢かつ最長在位の君主となった。
今回配合するレシピはこちらです!
- 『孫文の義士団』
- 『未来を花束にして』
- 『アラビアの女王 愛と宿命の日々』
- 『アラビアのロレンス』
- 『インドへの道』
- 『マイケル・コリンズ』
- 『炎のランナー』
- 『パワー・オブ・ワン』
- 『太陽の帝国』
- 『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』
- 『ロイヤル・ナイト 英国王女の秘密の外出』
- 『エリザベス2世 知られざる女王の素顔』
- 『遠い夜明け』
- 『マンデラの名もなき看守』
- 『インビクタス/負けざる者たち』
- 『チャーリー』
- 『ウォリスとエドワード 英国王冠をかけた恋』
- 『ダイアナ』
- 『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』
- 『英国王のスピーチ』
- 『英国王のスピーチの真実~ジョージ6世の素顔~』
- 『HUNGER/ハンガー 静かなる抵抗』
- 『アフガンレポート』
- 『ブレグジットEU離脱』

清末の中国では革命派と清朝廷の対立が激化していた。1906年、革命派のリーダーである孫文が香港入りし、同志たちと会合する事が決定。この情報をつかんだ清朝は大規模な暗殺団を香港に派遣した。実話かどうか定かではないが、孫文を軸に大勢がこうして命を懸けたというところが見どころである。

1910年代のイギリスで婦人参政権を求めて闘った女性たちの姿を描いた作品。心を動かす衝撃的なシーンがある。

20世紀初頭、イラクとヨルダン両国の国境線を引いてイラク建国の立役者となり、“砂漠の女王”と呼ばれたイギリス人女性ガートルード・ベルの生涯を描いている。下記作品の『アラビアのロレンス』も登場する。

1914年、第一次世界大戦がはじまると、オスマン帝国はドイツ率いる『三国同盟』と同盟を組む。するとイギリスは、オスマン帝国を解体させようと画策するようになる。この主人公であるイギリス情報将校T・E・ロレンスというのは、第一次世界大戦中にアラブ人がオスマン帝国へ反乱を起こしたときに派遣された人物。

第一次大戦後の英国の植民地インドのチャンドラボアへ、英国娘が婚約者で治安判事の男を訪ねて来訪する。だが、まず植民地というだけで両者の関係は良好とはいえない。そしてその時期はちょうど、インドが独立する機運が高まってきていた時期だった。第一次世界大戦が終わった直後、イギリスがインド支配に躍起になっていたのは、イギリス自体もその体制を維持するために追い詰められていたからだった。

1920年頃。アイルランドの独立運動家であるマイケル・コリンズの生涯を描いている。IRAの情報部長、アイルランド国軍の司令官、英愛条約交渉においてはアイルランド側の代表の一員などをつとめた重要人物で、IRAと言えば彼を思い出す人がいるほど。

1924年パリオリンピックが舞台となる。走ることによって栄光を勝ち取り真のイングランド人になろうとするユダヤ人のハロルド・エイブラハムスと、神のために走るスコットランド人牧師エリック・リデル、実在の二人のランナーを描いている。

1930年頃。アパルトヘイト体制下の南アフリカを舞台に、1人の少年がボクシングを通して人種の壁を越えて成長していく姿を描いた自伝的なドラマ映画。

1937年頃。イギリスの小説家J・G・バラードの体験をつづった半自伝的な長編小説を映画化。大日本帝国時代に捕虜にされたイギリス人の映画はいくつもあるが、クリスチャンベールの子供時代が見られるだけで貴重。更に、物語自体もスピルバーグが監督をしていることもあってクオリティが高い。

1945年頃。第二次世界大戦中にエニグマ暗号の解読に取り組み、のちに同性間性行為のかどで訴追を受けたイギリスの暗号解読者アラン・チューリングを描く。パソコンの基礎を作った人物として、スティーブジョブズも尊敬する男である。

1945年の4月、ヒトラーが自決したことによりドイツ軍は無条件降伏文書に調印し、6年に及んだ第二次世界大戦における欧州戦線は終戦を迎えた。そのヨーロッパ戦勝記念日(VE-Day)の夜、エリザベス2世が、妹マーガレット王女と共に外出を許され、臣民と共に戦勝を祝った」という史実に着想を得て、一夜の経験を通じて王女の成長を描いたフィクションドラマ。

そのエリザベス2世のドキュメンタリー映画。

1920年頃。チャーリー・チャップリンの生涯を描いた伝記映画。彼に憧れたエンターテイナーは数知れず。ウォルト・ディズニーは1920年代に、チャップリンに憧れて映画を作りたいと言い、キューブリックも「どちらかを選ばなければならないとしたらチャップリンだ」と言って彼に非常に強く影響を受けたと言っている。

1937年。2020年現在の英国女王エリザベス2世の叔父にあたる存在、イギリス国王エドワード8世とアメリカ人既婚女性ウォリス・シンプソンとのロマンス、いわゆる「王冠をかけた恋」を題材にしている。歌手のマドンナが監督をしたということもあり、角度が芸術的である。

イギリス初の女性首相、マーガレット・サッチャーの人生を、戦中の若年期から1990年の首相退陣に至るまで回想を挟みながら描く。

1945年頃。吃音に悩まされたイギリス王ジョージ6世と、その治療にあたったオーストラリア出身の平民である言語療法士ライオネル・ローグの友情を史実を基に描いた作品。私の部下にも吃音省がいるから、他人事ではない。

そのジョージ6世のドキュメンタリー映画。

1961年。評論家からの意見は酷評らしいが、真実を知らない人からすれば何も文句はない。彼女がこういう人生を生きたのだと単に納得するだけだ。ダイアナがチャールズ皇太子と離婚してから亡くなるまでの2年間に焦点が当てられる。

1968年から1990年にかけての南アフリカ。マンデラは実に27年もの間理不尽な収監生活を余儀なくされていた。ジェームズ・グレゴリーは南アフリカの刑務官だった。コサ語を理解できるということで、終身刑を受けたネルソン・マンデラを監視するという任務に就き、1968年に刑務所のあるロベン島に赴任することとなる。

1970年代のアパルトヘイト下の南アフリカ共和国における実話に基づいた作品。アパルトヘイト政権下の南アフリカ共和国で殺害された最も著名な黒人解放活動家スティーヴ・ビコと南アフリカ共和国の有力紙デイリー・ディスパッチ紙の白人記者ドナルド・ウッズとの交友をベースに描かれる。

invictusとは、ラテン語で「征服されない」「屈服しない」を意味する語。27年ものあいだ反体制活動家として投獄されていた、ネルソン・マンデラと、彼の生きる南アフリカで活躍するラグビー選手たちを描く。ラグビーはアパルトヘイトの象徴として、多数を占める黒人の国民のあいだでは非常に不人気なスポーツだった。

1981年に発生した北アイルランドの刑務所でのハンガー・ストライキを中心に、刑務所内での囚人に対する暴力と囚人たちの人としての尊厳のための抗議運動を、ほぼ台詞なしで描いている。

2006年9月、タリバンとの戦いが泥沼化の一途をたどるアフガニスタンの山岳地帯で、パトロール中のイギリス人兵士が地雷を踏んで重傷を負った。その地雷は80年代にロシア軍が撒いたものだ。
イギリスの歴史にとって非常に重要なワンシーン。歴史映画としても重要な作品だ。イギリスのEU離脱(ブレグジット)の是非を問う2016年の国民投票の背後で「離脱派」の投票キャンペーンを指揮した選挙参謀ドミニク・カミングスがどのようにして国民投票を攻略したのかを描いている。

アメリカ合衆国は、元々英語を喋っていたイギリス人で構成された国です。そして前述したように、そのイギリス人の源流はアングロサクソン人ということですね。そう考えると、大英帝国や現在のアメリカ一強のことを考えても、KKKのような人々が生まれるのもうなづける部分がありますね。そう思いあがってしまうほど、彼らは覇権を取ることに長けています。現在の世界は、英語が喋れるだけでかなり有利な人生を生きられますからね。
3.『第一次世界大戦』
1914年、バルカン半島におけるボスニアの都サライェヴォにて、パン・スラヴ主義のセルビア人学生プリンツィプにに暗殺された。この『サライェヴォ事件』でオーストリアはセルビアに宣戦布告し、セルビアの後ろ盾であるロシア側と、オーストリアの後ろ盾であるドイツ側が総動員となり、『連合軍VS連合軍』の戦争へと発展してしまう。第一次世界大戦である。
今回配合するレシピはこちらです!
- 『戦場からのラブレター』
- 『アラビアのロレンス』
- 『ヘル・フロント 地獄の最前線』
- 『1917 命をかけた伝令』

原作はヴェラ・ブリテンの自叙伝『Testament of Youth』である。第一次世界大戦に振り回される姉弟や恋人たちの様子が描かれる。

1914年、第一次世界大戦がはじまると、オスマン帝国はドイツ率いる『三国同盟』と同盟を組む。するとイギリスは、オスマン帝国を解体させようと画策するようになる。この主人公であるイギリス情報将校T・E・ロレンスというのは、第一次世界大戦中にアラブ人がオスマン帝国へ反乱を起こしたときに派遣された人物。

イギリスの劇作家ロバート・C・シェリフが第1次世界大戦での実体験をもとにつづった「Journey’s End」が原作。第一次世界大戦というのは、例のあの洞窟のような、掘りのようなところ、つまり『塹壕(ざんごう)』で戦う塹壕戦がメインとなった。だからこの時代の映画のほとんどが塹壕戦を描く映像となっている。

第一次世界大戦に投入された2人の若きイギリス兵のある1日を全編ワンカットに見えるように密着して追い掛ける本作は全編ワンカットで撮影されたように見えるが、実際には複数回の長回しによって撮影された映像をワンカットに見えるように繋げている。

今回の戦争は今までのそれとはわけが違いました。例えば18世紀にイギリスで『農業・エネルギー・産業』といった3つの大きなが起き、世界の形が大きく変わります。人々はより合理的に活動し、生産力を上げ、より効率的に行動できるようになりました。その中で、様々な技術の進化もありました。
- 戦車
- 航空機
- 毒ガス
- 潜水艦
人間はついに踏み込んではいけない領域へと踏み出してしまったのです。もっとも、片足を突っ込んだのはもっとはるか昔の時代です。この戦争はその延長線上で起きた歴史の踏襲でした。その後、何人かの技術者の手によって、飛行機の活用方法に様々な選択肢が与えらていきます。第一次世界大戦では、飛行機は最初偵察機として使用されます。当初敵の偵察機と遭遇しても「同じパイロット仲間同志」としてハンカチを振り合ったという逸話がありますが、すぐにピストルを撃ち合うようになり、武器自体も機関銃へと進化して戦闘機が生まれました。また敵地上空まで飛んでいって爆弾を落とす爆撃機も誕生しました。イギリスは世界最初の雷撃機を製造しました。
4.『第二次世界大戦』
この戦争は、ヒトラー、ムッソリーニが国家の危機的状況を打破しようとして『開き直った』のが発端で発生した。彼らの国イタリア、ヴァイマル共和国(ドイツ)というのは『第一次世界大戦』の後、アメリカに助けられて存続していたような状態だった。しかし、そのままアメリカの下で窮屈に生きることよりも、革命を選んだのだ。1939年9月1日、ドイツ国とスロバキア共和国がポーランドへ侵攻。『第二次世界大戦』の勃発である。『日独伊三国同盟』で日本もそれに加担した。
今回配合するレシピはこちらです!
- 『ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男』
- 『ダンケルク』
- 『戦場のメリークリスマス』
- 『英国王のスピーチ』
- 『ヒトラー 〜最期の12日間〜』
- 『レイルウェイ 運命の旅路』

1940年頃。首相に就任したばかりのウィンストン・チャーチルを主人公に、第二次世界大戦中の激動の時代を描いた。

第二次世界大戦初期の1940年5月26日から6月4日。イギリス、ベルギー、カナダ、フランスから成る連合軍将兵は、フランスのダンケルク海岸でドイツ軍に包囲され、ダイナモ作戦による撤退を余儀なくされていた。

1942年頃。日本統治下にあるジャワ島レバクセンバタの日本軍俘虜収容所。原作者、ローレンス・ヴァン・デル・ポスト自身の体験を描いたものである。

1945年頃。吃音に悩まされたイギリス王ジョージ6世と、その治療にあたったオーストラリア出身の平民である言語療法士ライオネル・ローグの友情を史実を基に描いた作品。私の部下にも吃音省がいるから、他人事ではない。

1945年。当時、誰もがその名を聞いたら凍り付いた一人の男がいた。ナチスの総統、ヒトラーである。彼は一体何をしたかったのか。そして、どう死んだのか。

1980年頃。『戦場にメリークリスマスなどなかった』。前述したように、『戦場のメリークリスマス』という映画がある。あれは私も大好きな映画だ。音楽など、最高である。だが、我々はそれと併せて、この映画を観なければならない。

第二次世界大戦の前まではイギリスやフランスが強かったのですが、戦争でダメージを負って地位が下がり、アメリカが彼らにお金を貸し、また本国が戦場ともならなかったことで、じわじわと国力を引き延ばし、上に上がり、ソ連(共産主義)と覇権争いをしますが、ソ連が滅亡することでアメリカの一強となり、その後波はあってもその地位を維持し続けているという状態があります。アメリカは、
- ハードパワー(軍事力や経済力などの対外的な強制力)
- ソフトパワー(マクドナルド、コカ・コーラといった軍事力以外のコンテンツ)
を共に力を持った国へと確実に育っていき、世界はアメリカ一強、『パクス・アメリカーナ』の時代に突入したのです。※パクス・アメリカーナ(「アメリカの平和」という意味であり、超大国アメリカ合衆国の覇権が形成する「平和」である。ローマ帝国の全盛期を指すパクス・ロマーナ(ローマの平和)に由来する。「パクス」は、ローマ神話に登場する平和と秩序の女神である。)
5.『イギリスとインドの微妙な関係』
イギリスは大英帝国時代、インドを植民地として支配した。
今回配合するレシピはこちらです!
- 『ヴィクトリア女王 最期の秘密』
- 『マニカルニカ ジャーンシーの女王』
- 『奇蹟がくれた数式』
- 『インドへの道』
- 『ガンジー』

1887年。インド女帝でもある英国のヴィクトリア女王ととあるインド人の奇妙な関係を描いている。

1858年頃。インド大反乱の女性指導者ラクシュミー・バーイーを描いている。この場合は上記作品と違って『謎の誇大演出』があるので、見づらい。歴史的にはかなり重要で、専門書にも名前が書いてあることが多い人物だけにもったいない。

1914年頃のシュリニヴァーサ・ラマヌジャン。それは、インドの天才数学者で、数学を知る人ならだれもが知る人物である。あの核廃絶に対する共通の想いから親交のあったあのアインシュタインと「ラッセル=アインシュタイン宣言」を打ち出したバートランド・ラッセルも登場する、貴重な作品だ。

第一次大戦後の英国の植民地インドのチャンドラボアへ、英国娘が婚約者で治安判事の男を訪ねて来訪する。だが、まず植民地というだけで両者の関係は良好とはいえない。そしてその時期はちょうど、インドが独立する機運が高まってきていた時期だった。第一次世界大戦が終わった直後、イギリスがインド支配に躍起になっていたのは、イギリス自体もその体制を維持するために追い詰められていたからだった。

イギリス領インド帝国を舞台に非暴力・非協力運動を展開したインド独立運動の指導者マハトマ・ガンディーの生涯を描いた伝記映画。この映画では特にイギリスとの軋轢は描かれないが、ガンジーはヴィクトリア女王を、『インドの自由のために尽くす女帝』として敬愛していた、という記述がある。

このガンジーの発言ですが、ヴィクトリア女王と言えば、大英帝国のアイコンとも言えるほど、その最盛期にトップとして君臨していた人です。エリザベス1世の時代から奴隷ビジネスが水面下で行われていたことを考えると、ヴィクトリア女王も同じようにしていたはずです。そうしないとここまで巨大化した組織を運営することはできませんからね。よってこの『インドの自由のために尽くす女帝』という言葉は首をかしげざるを得ません。
ただし、例えばガンジーは最初、外から見たら明らかに理不尽に見えるカースト制度を、職業の分担という観点から肯定的にとらえており、カースト制度そのものの制度廃止には賛成しませんでした。カースト制度を「ヒンドゥー教の根本的な制度」として擁護し、称賛していたのです。ただ、その後に「宗教と何の関係もなく、起源不明の習俗に過ぎない」と考えるようになり、後年『カーストはなくなれ』という小冊子を発行しています。
このことからも、彼は優れた学習能力を持つ人間であったことがうかがえます。普通、人間ならこのように段階的に真理に近づいていく状況を生みますよね。おねしょをして、しなくなって。恥ずかしくて意見を言えなくて、そのうち言えるようになって。そうして子供から大人になり、そして彼の場合は『その先』へ続く道を探究していった。特に彼のように高名な立場にあると、頑迷になりがちです。世界を見渡せば、自分の考えを押し通してついには戦争を仕掛けてしまうような為政者もいますが、彼は『方向転換』という勇気ある行動を取ることができています。そう考えると、このヴィクトリア女王に対する発言も、様々な角度からとらえ、これだけで判断しないようにするべきだということが見えてきます。
ちなみに私もこれを書いている今から数年前に『ガンジーはカースト制度自体は否定しなかった』というテキストの冒頭部分だけを見て誤解し、彼がカースト制度に賛成していた間違った人だった、という印象を持ってしまっていました。よって数年前に書いたこの記事に、
だとすると、傍から見ると首をかしげざるを得ない、『輪廻』や『カースト制度』は、真理かもしれないし、真理かどうかの断定はできないということになる。
と記載してしまっていました。その私もこの数年で少しは成長し、『以前よりも注意深くテキストをよく見る』ことができるようになり、彼が『しかし結果的にはカースト制度に反対した』という事実に辿り着くことができました。私と彼は同じではありませんが、人はこのようにして、段階的に成長していく傾向があります。
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