MOVIE RECIPE
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当記事は半分まで無料で閲覧可能です。また、下記『MOVIE RECIPE1:冒険者たち』が全て無料で閲覧できるようになっていますので、参考までに。

1.『魔性の女』
なぜ魔性とは男に使われないのか。なぜ『魔性の女』という言葉しかないのか。
今回配合するレシピはこちらです!
- 『氷の微笑』
- 『ポワゾン』
- 『アレキサンダー』
- 『ベオウルフ/呪われし勇者』
- 『悪魔のような女』
- 『ロリータ』
- 『マリリン7日間の恋』
- 『HOT SUMMER NIGHTS/ホット・サマー・ナイツ』
- 『アパルーサの決闘』
- 『ブラック・ダリア』
- 『赤い航路』
- 『インセプション』
- 『ウルフ・オブ・ウォールストリート』
- 『ジュエルに気をつけろ』
- 『クレオパトラ』
- 『ビリー・バスゲイト』
- 『マレーナ』
- 『キャットウーマン』
- 『ウォールフラワー』
- 『カジノ』

魔性の女と言えば彼女だ。彼女が取調室で足を組みかえるシーンは、子供時代の世話しない私の脳にも強く焼き付いたのを覚えている。

アンジェリーナジョリーにはもうその手の『魔女』のイメージがついているが、その端緒となったのはこの作品だろう。ミステリアスな女性を演じさせたらピカイチという状況が、当時にはあった。今でも『マレフィセント』でその実力を発揮している。

その3年後の2004年にこの作品でアレキサンダー大王の母、オリンピアスを演じる。1世紀の伝記作家プルタルコスは、オリンピアスが蛇と寝ていた可能性を示唆しているあたり、まさしく魔性の女そのものである。
[オリュンピアスを誘惑するゼウス(ジュリオ・ロマーノによるフレスコ画、パラッツォ・デル・テ)Wikipedia]

更にその4年後の2007年に、アンジーはこの作品で『THE・魔性の女』を演じる。この映画は8世紀ごろの作品が原作で、『ホビットの冒険』や『指輪物語』といった世界初のファンタジー作品と言われる名作の根幹にある伝説の物語。これ自体は大したことないが、極めて重要。そしてその重要な物語の中で、『極めて大きなカギ』を握るのが、彼女が演じる女だ。ラストシーンに注目である。

タイトルにある通りだ。まったく、悪魔のような女である。だがこれは現代ではつけられることがないタイトルだろう。このレベルであれば今は、昼や夕方の連続ドラマでも見ることができる。だがもちろんこれが現実の話であれば、別だ。

ロリータはウラジーミル・ナボコフの小説『ロリータ』に由来し、ここから生まれた言葉が『ロリータ・コンプレックス』いわゆる『ロリコン』である。人間がこれだけいれば、その年齢で男を惑わせる者もいるだろうが、冷静に考えれば警察沙汰である。惑わせても心で(思春期だからな・・)と整理できるのが大人だからだ。

かつてはネグレクトや性的虐待も受けたマリリンモンローだったが、この映画では彼女自体がかなり男を惑わせる魔性の女として描かれている。彼女自身はそうするつもりはなくても、その気にさせるような行動に出たり、距離を詰めたり。それをしておきながら興味がないというのは通用しないわけだから、それを素でやるなら魔性の女である。

マッケイラ・ストロベリーという町で一番の美女と謳われる美貌の持ち主に、青年たちが翻弄されてひと悶着起きる、という展開がある。彼女が食べていたガムですら手を出したくなるほどの美女だという。

アリーという女性が振り回す。彼女に微笑みかけられ、結婚を意識するのだが、相棒のヒッチは、こっそり自分にまで色目を使う彼女を疑い始める。

スカヨハ演じるケイという女性が、元娼婦ということもあるのか、魅力をふりまいて二人の男を振り回す。

エマニュエル・セニエ演じるミミという女性が、まだラブコメの帝王になる前のヒューグラントを振り回す。彼女は4年前に『フランティック』という映画でハリソンフォードの気を引く謎の美女を演じているので、その流れで同じ監督であるロマン・ポランスキーに選ばれたと見える。

主人公の男の潜在意識に強く巣食う彼の妻が、物語で終始彼の足を引っ張り、魔性の女ぶりを発揮する。だが、間違えてはならないのは彼女をそうさせているのはディカプリオ演じるこの男であり、彼女自体に問題があるわけではないのだ。

主人公の妻になるナオミ・ベルフォートが、ど派手な出で立ちで、男の欲望を煽る魔性の女ぶりを発揮している。マゴロビは同年の2013年に『アバウトタイム』でも似たような魔性の女的な女性を演じたが、この作品の存在感が、彼女をハーレイクインにまで結び付けたと言えるだろう。

あまり全盛期と言うのは適切ではないが、リヴ・タイラーの妖艶さが光る伝説の作品。といっても、『メリーに首ったけ』のような方向で、エロコメディ要素が含まれているから特に教訓はないが、美女が光るのは間違いない。

実在する魔性の女と言えば彼女が世界代表だ。世界三大美女にも選ばれたクレオパトラは、『国を支配しているのは男。その男たちを支配しているのは私。』という言葉を残している。

ドリュー・プレストンというニコール・キッドマンが演じる女性が、怪しい美貌で誘惑する。

物語の舞台となるのはイタリア、シチリア島。主人公の少年は12歳でありながら、自分より年上のマレーナに夢中でいた。マレーナは町中の男達にとって女神のような存在だが、町中の女性からは嫉妬の的であった。

ミシェル・ファイファーやアン・ハサウェイのキャットウーマンもいい。美女だから何をやってもいい。だがハル・ベリーのキャットウーマンが持つS気質の妖艶な魅力は、一線を画すものがある。私はMでもSでも何でもないタイプで、逆にSとして殴られでもしたら殴り返すほどだが、それとはまた意味が違った魅力が彼女にはある。

『ブリングリング』のエマワトソンなどもそうなのだが、ここでも主人公の少年の憧れの美少女として、彼女が魔性ぶりを発揮する。年齢も若いから本人にその自覚はなく、ただ女性として生きることを強く自覚し始めた時期というだけなのだが、同じく思春期として異性を意識する少年にとっては、魔性の女である。

現実の世界がクレオパトラが魔性の女の女王なら、映画界の女王は彼女になるだろう。シャロン・ストーン演じるジンジャー・マッケンナは、ジェリー・マクギーという実在する人物。この彼女の怪演は、『氷の微笑』のそれを超えている。

魔性というのは基本女性に使われますが、そこを紐解くとかなり複雑な話になりますよね。古代から考えることになりますから。そこで女性が『男を惑わせる存在』だとかいって、例えば現在でも中東では、女性は顔を隠したりする行為が常識となっています。それを破ればむちで打たれたり、刑務所に入れられ、人によっては殺害されることもあります。女性自身がそのような存在なわけではありません。ただし、こうした側面も持っていることは事実です。逆に男は、なまじ力を持っているので、暴力行為に走りがちです。
2.『プレイボーイ』
魔性の男ではなくプレイボーイ。ここまでに考えて見えたように、男はどちらかというと『狩り』の人生だった。そこにある差は、主体性の有無である。
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- 『アルフィー』
- 『サバイビング・ピカソ』
- 『ドンファン』
- 『カサノバ』
- 『チャーリー』
- 『チャーリー・ウィルソンズ・ウォー』
- 『アメリカン・ジゴロ』
- 『アメリカン・サイコ』
- 『ウエディング・クラッシャーズ』
- 『ラリー・フリント』
- 『サーファーのプライド』
- 『ゴースト・オブ・ガールフレンズ・パスト』
- 『マジック・マイク』
- 『危険な関係』
- 『殺したいほどアイ・ラブ・ユー』
- 『バッドボーイズ フォー・ライフ』
- 『恋愛適齢期』
- 『危険な情事』
- 『恐怖のメロディ』
- 『ブギーナイツ』

要はこの彼のように、率先して、自分から女性を射止めにいくというスタイルが『狩り』に似ていることから、原始時代よりその役目を担っていた男が、『狩りのように女性をナンパし、女性はそれを受け入れるか拒絶する』という一種の流れができたわけだ。

ピカソもなかなかのプレイボーイだったようで、その家庭環境は決して単純なものではなかった。だがホプキンスが演じるとどこか許せるという、彼の根の真面目さのようなものが垣間見えるほっこり作品とも言える。例えば、友人をシャドーボクシングで殴るシーンがあるが、男の私から見ても可愛いと思って仕方ない。

プレイボーイ、女たらしの代名詞と言えばこの男、ドン・ファンである。彼は1,502人の女を虜にしたいう伝説があるが、どうもこの男がそのドン・ファンだというのだ。だが、彼はとっくの昔に死んだはずでは?そもそも実在していたのか。

この男は実在していた。ジャコモ・カサノヴァ(1725年4月2日 – 1798年6月4日)は、ヴェネツィア出身の作家で、彼の自伝によれば、その生涯に1,000人の女性とベッドを共にしたという。ドン・ファンの生まれ変わりというのなら、彼こそがまさにその人物と言えるだろう。
- ジャコモ・カサノヴァ。弟である著名な画家フランチェスコにより描かれた1750年-55年頃の絵姿

チャップリンという男は、実は結構なプレイボーイだった。しかもロリコンである。という言い方は映画ファンとして愛が足りないが、ビシっとした角度で厳しく言うならそう言わざるを得ない事実を持っていたようだ。

この映画では、アメリカの政治家、チャーリー・ウィルソンが主人公で、ウィルソンはCIA史上最大の極秘作戦を敢行した立志伝中の人物として知られる。映画はまず彼が、『金持ちだけが入れる風呂』のような場所で、美女と酒にまみれてパーティをしているところから始まる。

ジゴロというのはまさに、女に養われている男女から金を巻き上げて生活する男、女にたかって生活する男、女から巧みに援助を得る男など)のことをいう。この男もまたビバリーヒルズの金持ち婦人を相手に稼ぎまくるジゴロであった。だが、その仕事上、妙な守秘義務が発生するがゆえ、隠匿されがちになり、それれが原因で事件に巻き込まれる。

生活は何不自由はない。むしろ、良好である。順風満帆というやつだ。だが、人はないものねだりをする。

オーウェン・ウィルソンはその容姿からか妙に軽い人間、ナンパ系の男を演じることが多いが、よく見るとトム・クルーズに似ていて、短髪にすれば違うファンを大きく獲得できそうな潜在能力を持っている。実際、彼の性格はそういうことを軽蔑しているらしい。『ワンダー』や『ミッドナイト』での彼は真面目で誠実だが、事実一切の不自然さはなかった。

ポルノの帝王とも言えるラリーフリントは、「ハスラー」誌の創業者でもある。彼はいささか世間から白い目を向けられがちな生き方をしているが、『戦争とエロ、どちらが健全か』という言葉は、詭弁にも見え、何らかの真実もかすめた重みのある言葉に見えた。

サーファーは、肉体も晒すし、その肉体は仕上がっていることが多く、女性は露出の多い水着姿だから、やはり露出を隠しているエリアや人々と違って、解放的になる。だが、彼の場合は固い意志のようなものもあるようで、そのサーファーのプライドが、この作品を低俗なB級作品にさせていない。

マシューマコノヒーはとにかくナンパ系のプレイボーイ役が多いが、海外ではあまりそれはデメリットになっていないように見える。むしろ、意気揚々としているからだ。この場合の彼も、超が付くプレイボーイ。だが、確かに女にはモテるが、誠実さの欠片もない男として、その欠陥を直す必要を迫られていた。

ここでもそのマコノヒーが登場する。これは、主役のチャニング・テイタムの実際の経験に基づいて作られているが、やはり一筋の健全性はあると言えど、ストリップという行為をして異性の欲望を煽れば、それなりに代償がある。その代償はハードルにも似ているが、その障害を乗り越えて正道を歩けるかどうかが物語を通して問われていく。

ゲーム感覚で秘密の恋を楽しむ未亡人と、プレイボーイの子爵。彼女らの極悪コンビが、とある女性の処女を奪って嘲笑うという悪趣味な計画を作り上げる。

1984年にペンシルベニア州で実際に起こった、浮気性の夫を殺そうとした妻の殺人未遂事件を基にしたコメディ。これを後で実話と知って驚いたが、やはり実話かそうじゃないかというのは、天と地の差がある。もちろん本当の世界では、人はもっと簡単に、死ぬ。

この破天荒刑事コンビも、ウィル・スミス演じるマイク・ラーリーの方はプレイボーイである。基本的に彼の暴走が原因で事態が悪化してしまう。
ジャック・ニコルソン演じる音楽業界で活躍する63歳の男は、30歳未満の女性が恋愛対象の結婚経験ゼロの裕福な独身プレイボーイ。生物学的にその理由は分かるのだが、人間の世界であまり強くそれをまかり通らせようとすると、なぜかそこに不自然さも浮かび上がってくる。

マイケル・ダグラス演じる男が、グレン・クローズ演じる一人の女性に手を出してしまう。彼はそんなことをしなければ温かい家庭で幸せに暮らせたというのに、人はないものねだりをする。彼女には手を出してはいけなかった。前述した『悪魔のような女』の肩書は、彼女にこそよく似合う。

ここでも同じように、クリントイーストウッドがある女性に手を出してしまうところから、悲劇が始まる。

色々な意味で伝説のこの男。だが、私も目が肥えてきたらしい。これといい、『パフューム』といい、あのキューブリックが目をつけていた作品だというのだ。この感想文を見れば私がこの映画とどれだけ真剣に向き合ったかがよくわかるだろう。これからは私を『キューブリックの隠し子』と呼んでいただきたい(嘘)。

このようにして男はプレイボーイと言われます。やはり女性との差は、主体性の有無でしょう。最近では女性も狩りの立場に回るようになってきたかもしれませんが、例えばサッチャー時代なんか、彼女以外に女性がいないような状態でしたからね。クラクションを鳴らす9割は男性だと言われています。テストステロンという男性ホルモンが関係しているんですよね。つまり男は元々、好戦的で、主体的なんです。だから『女性が男性の後をついていく』というスタイルは、自然に発生したんですね。もちろん例外もあります。
3.『奪い合い』
人間は動物であり、心が人間を『人間』という一線を画した動物にさせた。だが、実際は動物なのだ。
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- 『Black & White/ブラック & ホワイト』
- 『バンディッツ』
- 『ブラック・ダリア』
- 『レジェンド・オブ・フォール/果てしなき想い』
- 『コールド・アンド・ファイヤー 凍土を覆う戦火』
- 『遥かなる大地へ』
- 『ラストベガス』
- 『リアリティ・バイツ』
- 『砂漠でサーモンフィッシング』
- 『死の谷間』
- 『アパルーサの決闘』
- 『テキーラ・サンライズ』
- 『ラブ・アンド・ウォー』
- 『少女が大人に変わる夏』

CIA捜査官を演じるクリス・パインとトム・ハーディがリース・ウィザースプーン演じる女性を巡って争うという内容である。とWikipediaにあるが、私はこの映画を観て、このレシピを思いついた。意外とよく見ると、いくつかこういう映画があるのだ。

ケイト・ブランシェット演じる女性が、二人の強盗犯を惑わせる。『或る夜の物語』のような展開もあって、笑えるシーンもある。

スカヨハ演じるケイという女性が、警察であるリーによって救われ、リーと恋人関係になる。だがリーとはあくまでも家族であって肉体関係はなく、もう一人の男、バッキーにはボクサー時代から恋心を抱いていた。結果、ケイが二人を惑わす魔性の女のようになっているという状況だ。

アメリカの山奥で、元騎兵隊の父と牧場で自然豊かに暮らす3人の息子達。だが、第一次世界大戦によってその生活に大きな変化がもたらされる。そして、一人の女性を巡ってもまた、複雑な問題が発生してしまう。

1864年にデンマークとプロイセン王国および関係国の間で戦われた第二次シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争。この戦争で二人の兄弟が、一人の女性をめぐってひと悶着を起こしていく。

時代背景が面白い映画で、アイルランドからアメリカ大陸に夢を見る当時の人々の心境などが、想像できる作品となっている。日本でも『地主と小作』という関係があったが、農民を搾取する領主が許せない男が、ある種の小さな革命心を胸に抱き、身分の違う女性との愛からも目を背けず、人生を創り上げていく物語である。

マイケル・ダグラスとデニーロの豪華共演だけで見ものだが、作品内でも彼らが『共演』しなかった理由があり、その過去の因縁を軸にしながら、物語が展開される。

青春群像劇で、やはり若い男女がシェアハウス的な場所で暮らすとなると、何らかの異性問題が引き起こされる。自他共にそのような生き方は充実して見えるが、充実すればするほど内容が濃くなり、そうなれば必然的にそこで起こるドラマも色濃くなるものである。

もし、恋人や伴侶が戦争で死んでしまったらどうするだろうか。人は大きく失望するだろう。だが、実は生きていたら?感情の乱れがジェットコースターのようにたたみかけ、気持ちの整理をつけられなくなる。それは彼女だけじゃなく、誰だってそうなる。

核戦争によって荒廃した世界。この場合は山の中だが、そこで『珍しく』人間に出逢った。そして気づいたらその人数は3人になっていて、女性が一人という状況に。もし人間が他に80億人いれば選り好みして素通りするが、もし『この人しか異性がいない』可能性があれば、人はどうなるだろうか。

DEA(麻薬取締局)捜査官の男は、麻薬取引の場所だとにらんでいるレストランで、女性オーナー・ジョー・アンと出会い、親密な仲になる。彼女をめぐって麻薬の運び屋とこの捜査官が、複雑な関係になっていく。

ヘミングウェイの代表作の1つ『武器よさらば』のヒロイン「キャサリン・バークレイ」のモデルとされる7歳年上の従軍看護師アグネス・フォン・クロウスキーとの結ばれなかった恋を描いているわけだが、つまりヘミングウェイが、このアグネスという女性をめぐって誰かと恋敵になったということだ。

誰もが10代の頃に体験しただろう。友人を取るか、恋人を取るか。

誰もが友情か、恋愛かを天秤にかけ、特に女性の場合は嫉妬に狂って自分を見失い、愚かな行動に出てしまう時期がある。その意味で、多くの女性が共感できるのではないだろうか。

心が人間を『人間』という一線を画した動物にさせた。もし人間が、欲望をつかさどる脳の視床下部だけで生きていた場合、そこら中でSEXをする動物になっているのです。それを、発達した大脳皮質の前頭連合野で抑えることが出来るようになったわけです。なぜ『野生』は『理性』に昇華したのか。それは恐らく『心』の存在が理由でしょう。それを踏みにじらないように、法律もこの世に誕生しました。しかし、土台は動物であるということが、これらの映画からも見え隠れするんですね。一人だけを健気に愛したくても、心や脳が、勝手に反応してしまうんです。
4.『乱れる性』
欲望のコントロールと解釈次第では、人は堕ちるところまで堕ちてしまう。
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- 『ドン・ジョン』
- 『背徳の王宮』
- 『卒業白書』
- 『ドンファン』
- 『ルーム』
- 『ウルフ・オブ・ウォールストリート』
- 『それでも恋するバルセロナ』
- 『ジゴロ・イン・ニューヨーク』
- 『アメリカン・ジゴロ』
- 『アメリカン・サイコ』
- 『アイズワイドシャット』
- 『チャーリー・セズ/マンソンの女たち』
- 『SHAME -シェイム-』
- 『テッド・バンディ』
- 『ノーマルハート』
- 『ノック・ノック』
- 『彼が二度愛したS』
- 『オン・ザ・ロード』
- 『カサノバ』
- 『ビザンチウム』
- 『シークレット・パーティ』
- 『ホテル・ニューハンプシャー』
- 『マイ・プライベート・アイダホ』
- 『マジック・マイク』
- 『ラブ IN ニューヨーク』
- 『危険な関係』
- 『早熟のアイオワ』
- 『皇帝と公爵』
- 『恋するリベラ―チェ』

この男は、自慰行為の依存症だった。一見するとバカバカしくて、10代の時に観ていればただただ馬鹿にしていただろう。だが実際は、とても深い物語である。

時代は1500年頃の李氏朝鮮(1392-1897年)。時の国王は10代国王燕山君(えんざんくん)である。王に献上されたのは、1万人の美女―朝鮮史上最もスキャンダラスな時代を描く、刺激に満ちた官能エンタテインメントである。やばい。

高校生である彼は優等生だが、頭の中はSEXのことでいっぱい。それはごく自然なことだ。だが、人間の欲望は無限に湧いてくる。その欲望のコントロールと解釈次第では、人は堕ちるところまで堕ちてしまう。果たして彼は、どこまで行ってしまうのか。

前述したように、1,502人の女を虜にしたドン・ファン。だが彼は本当にドンファンなのか。しかしなぜか物語を進めるにつれて、その信憑性が高くなってくる。

2008年に実際にあった、フリッツル事件を基にしている。24年間に渡って自宅の地下室に閉じ込められ、父に考えられないことをさせられていた。日本では、「オーストリアの実娘監禁事件」また「恐怖の家事件」等として報じられたが。欲望のコントロールと解釈次第では、人は堕ちるところまで堕ちてしまう。

人間は『成功者』を目指すが、気づいたら転落して『敗北者』になっているという、不思議な現象が頻発する。では一体なぜそうなってしまうのか。それが理解できる人だけが、真の成功者だ。だが難しいのでもっと簡単に、『女、力、知名度』という楽な図式に目を奪われ、囚われる人は、これからも未来永劫、消えることはないだろう。

監督のウディ・アレン自体が性に関して他の人と少し変わっている考え方を持っていて、あまり日本人ウケしない。だが、世界で考えると逆に彼のような考え方の方が世界規格として通りやすくなっているので、こういう世界観がまかり通る。

この作品もウディ・アレンだが、やはり性に関してかなり解放的なのである。よって、日本ではあまりジゴロという人を見かけることがない。

この作品もジゴロ。ジゴロというのはまさに、女性を相手にしてお金を得る生き方だ。この男もまたビバリーヒルズの金持ち婦人を相手に稼ぎまくるジゴロであった。

彼の場合、性もそうだが、そのほかにもっと乱れてしまっているところがあり、狂気そのものである。欲望のコントロールと解釈次第では、人は堕ちるところまで堕ちてしまう。

キューブリックという名前を少しだけ知っていた時期、彼の名前を悦に入りながら語る映画マニアを嫌っていた。だが、彼が悦に入る理由がこの映画で分かった。

『ワンハリ』で有名な、1969年に女優シャロン・テート殺害などの無差別連続殺人事件を起こしたカルト集団チャールズ・マンソン・ファミリーのチャールズ・ミルズ・マンソン。彼はアメリカに存在したヒッピーのコミューンの指導者という顔があった。そのコミューンつまり小団体は、乱れた行為が常日頃から行われていた。

性の乱れということで言えば、『ドンジョン』よりもこちらになるだろう。欲望のコントロールと解釈次第では、人は堕ちるところまで堕ちてしまう。だがその欲望は、満たしても満たしても、食欲のようにまた次の日には、同じ温度と熱量で、心に込み上がってくるのだ。

彼がなぜここに該当するのかは書かない方がいいだろう。映画を観ただけでもまだわからないかもしれない。本当に知りたければ検索することだが、やめておいた方がいいだろう。私は忠告した。好奇心を煽っているのではない。欲望のコントロールと解釈次第では、人は堕ちるところまで堕ちてしまう。彼がその代表者だ。これは、実話である。

1981年、奔放な性を謳歌していたゲイたちの間に謎の伝染病が広がっていた。ゲイとエイズを結びつけるのは短絡的かもしれないが、やはりこのような事実を見て、思うところはあるのが現実だ。ここまで性が乱れていた彼らに落ち度が何もない、ということは言えないからだ。

かなりアブノーマルな話で、常識に生きる人は中々理解しがたいと言えるだろう。アナデアルマスほどの美女と、女性目線で言えばキアヌ・リーヴスほどのハンサムだからある一線を越えた作品になっているが、もしキャラクターが少し違うだけで全く印象も異なる。だが恐らく作品で出てくる『芸術』というキーワードを考えると、そのキャスティングは計算づくだろう。

物語の鍵となる秘密のクラブが出てくるのだが、それがまさに乱れた性の実態である。

この映画もある種、女性の奪い合いのような展開がある。やはり若い男女が行動と長く共にすると、異性として意識してしまうものである。

カサノバの場合は、ドン・ファンと違って伝説上じゃなくて実在した人物だからすごい。

この映画では、ビザンチウムというあるホテルで行われる風俗行為が描かれる。少し様子が他と違うのは、彼女らがヴァンパイアということである。

コールガールは日本で言うとデリヘル嬢に該当する。ゆえに、その狭すぎる世界観と暗黒面からこの映画が低評価されがちだが、それは愚かな行為だと私は各場所で書いている。彼女らのような人は、実在するのだ。AV嬢も、ポルノ女優も、同じ人間である。

『タクシードライバー』を観て狂ったファンを自称するジョン・ヒンクリーによって1981年にレーガン大統領暗殺未遂事件が発生。この事件に衝撃を受けたジョディ・フォスターは、一時期映画界とは距離を置いたのだが、この映画で本格的にスクリーンへ復帰以降しているあたり、ハーバードを含めた複数の名門に受かるだけの天才である。どう考えてもこの映画での彼女の役は、『普通』じゃない。

売春、同性愛、ドラッグ、近親相姦、ナルコレプシーといったショッキングな設定。だが、亡きリヴァーフェニックスとキアヌ・リーヴスが共演した、貴重な作品だ。彼らは実際に、親友同士だった。

前述したように、チャニング・テイタムのストリッパー時代の過去がもとになっている。

マイケル・キートンの若い時代が観られる面白い作品で、内容もかなり乱れている。

前述したように、ゲーム感覚で秘密の恋を楽しむ未亡人と、プレイボーイの子爵。彼女らの極悪コンビが、とある女性の処女を奪って嘲笑うという悪趣味な計画を作り上げる。

『プリティリーグ』で有名な俳優のロリ・ペティが、自身の少女期の実話を基に描いた作品。これが実話というのがすごい。

ナポレオン率いるフランスと、ウェリントンがいるイギリス軍。しかしこの戦場で、戦死した兵士や市民たちを『凌辱』しようとするシーンがある。記憶に新しいロシアのウクライナ侵攻の際もそうだし、『カジュアリティーズ』等どの場面を切り取ってもそうだが、戦争では人間の信じられない『乱れ』が起きがちである。

1950年代から1980年代にかけて世界的に人気を博したアメリカ人ピアニストのリベラーチェの最後の10年間を描いた伝記映画で、同性愛者であった彼もまた、その手に入れた力をいかんなく発揮し、男性を思うままに扱っていた。欲望のコントロールと解釈次第では、人は堕ちるところまで堕ちてしまう。

欲望のコントロールと解釈次第では、人は堕ちるところまで堕ちてしまう。四聖(孔子、ソクラテス、ブッダ、キリスト)の罪の定義とは、順に『利己、無知、執着、罪』です。キリストの言う『罪』とは、紐解くとラテン語の『的を外す』という言葉に辿り着きます。キリスト教の7つの大罪とは、傲慢、強欲、暴食、色欲、怠惰、嫉妬、憤怒が挙げられるわけですが、それを見てもわかるように、それらは『欲望を間違った方向に向けた結果』であり、キリストの言う『罪』とはつまり、そういうことなのです。いや、利己も無知も執着も全てそう。間違った感情の持っていき方なのです。
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