MOVIE RECIPE
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当記事は半分まで無料で閲覧可能です。また、下記『MOVIE RECIPE1:冒険者たち』が全て無料で閲覧できるようになっていますので、参考までに。

1.『至高の狂気』
まずは狂気を描きながらも、品質とクオリティを下げずに上位に君臨する至高の狂気映画だ。
今回配合するレシピはこちらです!
- 『ナイトクローラー』
- 『ゴーン・ガール』
- 『タクシードライバー』
- 『300』
- 『キング・オブ・コメディ』
- 『マジック』
- 『隣人は静かに笑う』
- 『ダークナイト』
- 『ジョーカー』
- 『アウトレイジ』
- 『その男、凶暴につき』
- 『時計じかけのオレンジ』
- 『セッション』
- 『セブン』
- 『アイズワイドシャット』
- 『フルメタル・ジャケット』
- 『カジノ』

事故や犯罪や火事をフリーランサーのジャーナリストとして撮影する社会病質者を描いている。彼は元々『逸脱した思考』を持っている人間だったが、そのうちこの仕事に楽しさを見出すも、元々が変質者気質があったため、そのアプローチが病的で、狂っている。

ある夫婦において、妻が失踪した。大勢は、彼女を真剣に探し始める。だが、どうもこの失踪した妻の様子がおかしい。だが彼女は、おかしくなったのは私に原因があるのではないと思っている。

この映画ではまず、デニーロ演じるタクシードライバーのこの男が、常識人なのか、非常識人なのかという判断を求められる。映画全体に狂気的な雰囲気があり、その狂気の元凶がこの男にあるのか、それとも違うところにあるのか、それを楽しむエンターテインメントである。デニーロ作品の伝説の名作だ。

第二次ペルシャ戦役中のテルモピュライの戦いに300人のスパルタ兵士と共に参戦し、20万人以上と伝えられるペルシア軍にも互角以上に渡り合った伝説の男たちを描く。だが、想像力の豊かな人は気づくはずだ。このあまりにも無謀な戦いに挑む、異常な精神状態を。ある角度から見ると狂気そのもの。だが、男たちは彼らを狂人というよりは『勇者』と判断するだろう。

誇大妄想狂でコメディアン志望の男がいる。普通に考えればその要素で狂気などないが、この妄想癖のある男が次々ととんでもない行動に出始め、しかも本人はあくまでも『一線を越えていない』と考えている。デニーロ史上この作品がNo.1だと言う人も多い、伝説の名作。

腹話術を使って人気を獲得した手品師。だが彼は徐々に、腹話術として語り掛けるその相棒たる人形に対し、特別な感情を持つようになっていった。いや、そうではない。これは、そういうことではない。この人形は喋る?いや、そんなはずがないのだ。

ある日隣にとある一家が引っ越してきた。だが、どうも挙動不審である。その隣人の過去を探っていく。すると、想像を絶する真相に辿り着いてしまう。映画史上でも衝撃のラストが展開される問題作。

クリストファーノーランは、伝家の宝刀アメコミの代表ヒーローに深遠さを与え、ヒーローものが嫌いだったクリスチャンベールがバットマンを一人の孤高な人間と捉え、演じ、それを見たヒースレジャーが呼応する形であの伝説のヴィランを演じた。このジョーカーを超えるキャラクターが今後現れるかどうか、疑問である。

そのジョーカーをもう一つ違う角度から観てみる。すると、先に紹介した『キング・オブ・コメディ』のあの彼との共通点が浮かび上がってくる。

極道映画ならVシネマにも膨大な量があるが、世界に通用する日本の不良映画と言えばこれだ。ただ狂うだけではチープになる。だから、様々な要素が揃っていることが条件なのだ。

本当に殴っていれば大問題なのだが、本当に殴っているように見えるからこの作品の狂気性が増して価値が出るという、不思議な作品。また、北野武が常々考えている『死は突然やってくる』という考え方が不気味に反映されていて、節々で見て取れる残酷な現実が、見る者を釘付けにする。

この宣伝コピーを、『レイプとウルトラ暴力とベートーベンがオレの生きがい。』というセンセーショナルなものに作り上げたキューブリックに対し、当然批判の声は上がった。この映画に触発され、犯罪に走る若者が増えたのだ。だが彼はこう答えた。『芸術家は作品の芸術性にだけ責任を持てばいい』。

主役のマイルズテラーはジャズドラマーを演じるため、2か月間、一日に3~4時間ジャズドラムの練習を続け、撮影で自ら演奏しており、作中の手からの出血はマイルズ本人のものである。作品の内容も、教官も、展開も、その逸話もすべて含め、ある種の狂気に満ちている。

ネタバレになるのでここにはあまり書かないが、衝撃的なラストが鑑賞者を絶望に追い込む。

前述したようにキューブリックは自分の芸術性の追求を妥協しないから、『ロリータ』の時は失望しながらやったという。描けないからだ。だがこの作品では彼の異彩がいかんなく発揮されている。本当はモザイクすらも使いたくないだろう。

この映画は『戦争自体が狂気そのものなのだ』という事実を浮かび上がらせる魔法がかかっている。あまりにも逸脱した戦場の世界を受け入れるだけのキャパは一般人にはないが、こうした日常の狂気だと親近感があって分かりやすくなり、狂気性も際立って見える。だが考えれば分かるように、ここで描かれる狂気はみんな、『戦争』があることが前提なのだ。

この映画のシャロン・ストーンはすごい。彼女の怪演がこの映画の狂気性を数倍引き上げていると言っても過言ではない。衝撃の実話ベースの話であり、この彼女もまたジェリー・マクギーという実在した人物だという。

B級映画になるかどうかのラインとは、品質が保たれているかどうかです。その意味で『マザー!』は赤ん坊の扱いが雑であり、気を悪くする人が出てくる。そのあたりを絶妙に描いてみせるのが鬼才スタンリー・キューブリックや、巨匠マーティン・スコセッシというところでしょうか。デヴィッド・フィンチャーもうまい。しかし、至高の狂気作品はまだまだあるので、下記でもいくつか紹介していきます。
2.『この女に気をつけろ』
その女、狂暴につき。
今回配合するレシピはこちらです!
- 『ゴーン・ガール』
- 『キング・オブ・コメディ』
- 『カジノ』
- 『ネオン・デーモン』
- 『喰女-クイメ-』
- 『キャリー』
- 『イノセント・ガーデン』
- 『恐怖のメロディ』
- 『危険な情事』
- 『深夜の告白』
- 『悪魔のような女』

まずはこれが入ってくる。この女性が魅せる想像を超えた狂気に映画館の気配が変わったのを覚えている。

この映画には主役の男だけじゃなく、もう一人狂った女性が出てくる。彼女の存在もまたこの映画の狂気性を引き立てている。

そしてもちろんこのシャロン・ストーンも入ってくる。

エル・ファニングはまだ20代になったばかりという若さで、様々な役にチャレンジしている。よってB級チックな映画にも出演していて、これもそのラインをギリギリにいくのだが、絶妙にB級に逸れない。至高の狂気にも近い、衝撃の狂気を見せてくれている。

三池崇史もまた作品数が多く、ギリギリの作品も多々ある。だがそれは恐らく彼のチャレンジ精神なのだろうということが、その矢継ぎ早に展開される多様な映画作品を観ると伝わってくる。今回の場合もただのホラーに見え、『四谷怪談』の伝説『お岩さん』を新たな角度から描き、衝撃のラストシーンを見せてくれている。

オカルト系ホラーと言えばそうなのだが、私はそういう風にまとめることはなく、常に人間心理を細かく考える方向に傾く。そう考えた時、彼女が追い込まれたこの状況は、同情に値するものであり、だからこそ狂ってしまった彼女の悲痛の叫びが、心にしみわたる。

ある不思議な雰囲気の家族がいる。主人公は18歳の少女だ。彼女の周辺の人々が次々に姿を消していく。一体なぜ。

ある男は有名なラジオDJだったが、プレイボーイでもあった。ある時、酒場でとある女性をナンパし、関係を持つ。だが、その女性には手を出してはいけなかった。

手を出してはいけなかった女性と言えば、これだ。

同じく。ある女性に誘惑された男が彼女と不倫の関係に陥り、結果、倍額保険金目的の人殺しに荷担してしまう。

これも、愛人関係を許せなくなった女が、猟奇的な行動に出る物語だ。不倫をするなら命懸けである。

しかし往々にしてそのほとんどが『男の裏切り』が原因です。かつて、阿部定事件というものがありました。性交中に愛人の男性を扼殺し、局部を切り取った事件ですが、『私は彼を殺せば他のどんな女性も二度と彼に決して触ることができないと思い、彼を殺した…」というのです。この話の不思議なところは、この事件の後、阿部定に全国の女性から、ファンレターが届いたというのです。『あなたの気持ち、わかります』と。男性諸君。浮気・不倫は命懸けですぞ。
3.『不気味に笑うピエロ』
ピエロは本格的には『クラウン』と言い、ピエロはクラウンの一種である。本来はコメディアンのはずだ。だが、『本当の顔を晒すことを許されず、鬱憤を抱えた男』と捉えると、その得体のしれない本性に不気味さが出てしまう。
今回配合するレシピはこちらです!
- 『ダークナイト』
- 『ジョーカー』
- 『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』
- 『クラウン』
- 『ピエロがお前を嘲笑う』

まずはこのピエロを入れないわけにはいかない。もはやピエロと言えば、ジョーカー以外には頭に浮かばない人が世界の半数を超えるだろう。

そのジョーカーの違う側面を見せてくれるのがこの作品だ。

しかし、ピエロの恐ろしさをいかんなく発揮させているのはこの作品だろう。天才スティーブンキングが展開する、狂気のピエロは、ホラーの枠を超えて最高のエンターテインメントとなっている。

上の二つの方向が圧倒的すぎて他がかすんで見えるが、意外とこの方向も斬新で見ごたえがある。

この『ピエロの仮面を被った連中』もまた、我々をかき乱してくれる。ドイツ映画かつ天才ハッカーという頭脳系の枠組みで展開されるため、予想できない展開が待ち受けている。

ピエロの笑顔が怖いのは、『本当は笑っていないように見える』とか『中身が殺人鬼の可能性もある』とか、色々と妄想を膨らませてしまうからですよね。人間は逃げるとき、『何から逃げているのかがわからない』のが一番怖いといいます。得体の知れない存在は恐怖の対象。何か事件が起きた時も、『そういえばあの人も、いつも何考えてるか分からないわよね。警戒しなきゃ』などという話をする人たちがいます。把握できないものは、怖いんです。
4.『一線を超えるファン』
ヤラカシとは、いわゆる芸能人の追っかけの中でも、特にマナーの悪い人物に対して付けられる蔑称。『リベンジポルノ』という考え方が誕生してしまったこの世界を考えても、ファンと狂気は紙一重である。『ファンほど恐ろしいものはないし、勝手なものはないし、また、ありがたいものはないですね。』松田優作
今回配合するレシピはこちらです!
- 『ザ・ファン』
- 『キング・オブ・コメディ』
- 『ジョーカー』
- 『恐怖のメロディ』
- 『Dolls』
- 『ミザリー』

IT同様に、至高の狂気作品に入れても問題ない名作。どう考えてもおかしいだが、しかしなぜか最後には哀愁が残る。それはこの作品が単純な要素で作られていないことを意味する。

この男もまた、まず最初は一人のファンという立ち位置だった。

そのキング・オブ・コメディと併せて観るべきなのがこの作品だ。

この女性はこの男のファンでもあった。ということはこの話は男がナンパしたのではなく・・。

面白いのは、この映画で狂気的な行動に走ったとあるファンの男は、『鑑賞者』の我々からしたら狂気そのものなのだが、『鑑賞できない』この当事者の女性からすると、狂気とはまた違った感覚を得ているということだ。

これも至高の狂気作品に入れてもいいスティーブンキングの伝説の作品だ。大衆向けロマンス小説『ミザリー・シリーズ』の大ファンである女性が、偶然にもこの作者の怪我の面倒を見る事態に。だが・・。

ネットでの交流が当たり前のようになり、このあたりのトラブルにも耐性がついてきたように見える昨今ですが、例えばある動画配信者がそうした『やらかし』について『うれション勢』と表現していて、彼自身のその他の信憑性はとにかく、その表現は意外と近いように見えます。本人は喜んでいるだけのつもりなのですが、周りからすると排せつ物が漏れているので迷惑でしかない。しかしこれらの作品は、また違う顔を見せるファンの姿も見ることができます。
5.『船上の狂気』
船の上は不安定がゆえ、それだけで恐怖心がある。逃げ場のない大海原で襲われたらたまったものじゃない。
今回配合するレシピはこちらです!
- 『ケープ・フィアー』
- 『デッド・カーム/戦慄の航海』
- 『リプリー』
- 『海にかかる霧』
- 『赤い航路』
- 『喜望峰の風に乗せて』

これはギリギリのところで至高の狂気作品には入らないのだが、しかしギリギリのラインだ。デニーロが演じる狂気の男が、間違いなくこの物語を完全にかき乱していく。

『タイタニック』のインテリ風フィアンセで有名なあの男が、船上の狂気を展開する。こういう風に、淡々と真顔で狂ったことをしていくのが一番怖い。

これはネタバレになるのであまり書けないが、とにかく『船上の狂気』に注目だ。

2001年に起きたテチャン号事件を戯曲化したものを、『パラサイト』のポン・ジュノのプロデュースにより映画化。あまりにも衝撃的な事件が、この船で起きてしまった。これも至高の狂気作品に入れてもいい作品だ。

これもネタバレになるのであまり書けないが、『船上の狂気』に注目だ。

これも同様である。色々な『船上の狂気』がある。これも至高の狂気作品に入れていいが、狂気とはまた別のジャンルで至高の作品と言っていい。

『タイタニック』などもここに入りますよね。あんなに狂気じみた現実はそうそうあり得ません。船の上は不安定であり、それだけで人の恐怖をあおります。私も小笠原諸島に行くとき小笠原丸に乗りましたが、半日走って外を見たら、結構なスピードなのにまだ大海原だったのを観た時、ある種の恐怖を感じましたね。
6.『狂気のタクシー』
タクシーもよく考えると恐ろしいものである。たまに運転手の中に不気味な男がいるのも事実で、もしかしたら酩酊しているときに乗ったそのタクシーは、本当はタクシーじゃないかもしれない。
今回配合するレシピはこちらです!
- 『タクシー』
- 『タクシードライバー』
- 『コラテラル』
- 『陰謀のセオリー』

リュック・ベッソンが関わるカーアクション映画シリーズで、スピード狂のタクシー運転手とダメ刑事がコンビを組む。

そしてこの男もまたタクシードライバーである。

これもまた至高の狂気作品に入れてもいいくらいの名作だが、また微妙に違うニュアンスを持った至高の作品なので、別レシピでまとめている。タクシー運転手が凶悪な犯罪者を乗せてしまい、犯罪に巻き込まれる。

あるタクシードライバーの男が毎日陰謀論についてベラベラと話すのだが、彼はこの仕事の前の記憶がない。一体この男は何者なのか。

タクシーは、必ずしもそうではありませんが、運転手が後ろを向いていて顔が見えなかったり、事実として若い女性にセクハラをする人がいたり、また給料が高いわけではないので鬱憤がたまっている人がいたり、逆に個人タクシーまでいくと傲慢だったり、1対1でおしゃべりをしなければならない環境があったりなどして、これらの要素が結構トラブルの原因となったり、不安要素となったりするんですよね。その不安定さを逆に利用すれば、こういうエンタメが作られます。
7.『元ナチスの狂気』
ナチス・ドイツ自体が狂気そのものだが、『元ナチス』というくくりにすることで限定できる。
今回配合するレシピはこちらです!
- 『ゴールデンボーイ』
- 『マラソンマン』
- 『コレクター 暴かれたナチスの真実』
- 『アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男』

勉強の中でナチスに興味を持った少年が、元ナチスの男を見つけて執拗に関係していく。だが、やはりそこには元ナチスの狂気があった。

走ることが趣味のある男が、元ナチスが関与する重大事件にいつの間にか事件に巻き込まれていく物語。ナチス残党の歯科医が歯にドリルを突き立ててベーブを拷問するという非常に生々しいシーンで有名になった映画。

隠蔽されてきたナチスの実態をオランダ人ジャーナリストが暴いていく実話ベースの物語である。大富豪のアートコレクター、ピーター・メンテンが第2次世界大戦中にナチスに肩入れし、『とある大犯罪』を犯していた。

ナチスの最重要戦犯アドルフ・アイヒマン逮捕の影の功労者であるドイツ人検事フリッツ・バウアーの執念と苦悩が描かれる。アイヒマンはこの時元ナチスという肩書のためこうなるが、ナチスにおいても『最も狂った男』として注目されていて、ドキュメンタリー映画も含め他にいくつも彼の作品がある。

このアイヒマンがどれだけ狂っているかというのは、『アイヒマンの後継者 ミルグラム博士の恐るべき告発』を観れば分かるようになっています。また、ドキュメンタリー映画である『スペシャリスト 自覚なき殺戮者』のタイトルを考えても分かるように、彼は『自覚がない』んです。しかし彼がやったことは、人間史上に残る極めて残酷で、凄惨な大事件。およそ人間とは思えないのですが、前者を観れば、背筋が凍る『共感』をするかもしれません。奥が深いんです。
8.『狂った性衝動』
性衝動は『リビドー』とも言うが、非常に強いエネルギー源である。これをもし『間違った方向』にもっていくと、人間は破綻する。
今回配合するレシピはこちらです!
- 『ドン・ジョン』
- 『マニアック』
- 『SHAME -シェイム-』
- 『テッド・バンディ』

オンラインポルノの視聴による自慰の方が満足度が高い男が描かれる。内容だけに評価が低いが、切実な問題を描いていて、共感する男は大勢いるはずだ。特にこの時代は妄想力の弱い人間を助けるだけの要素があふれていて、ある種の『無限地獄』にハマる人はいる。それが結婚率の低下につながっていると言っても過言ではないだろう。

これに関しては『動機』に注目であり、彼をここまでさせてしまう強いエネルギーは、やはり性衝動である。生物はドーパミンが出るボタンを押すと、止めるのをやめられない。それだけ報酬系物質やそれに繋がる一切の欲望の追求は、依存性がある。

マニアックにはそこまで性的な表現はないが、この映画は問題作である。モザイクなしでは描けないSEX依存症の男が描かれる。

そして、これらの作品が束になっても敵わないのが『実話』のこの映画だ。やばすぎて、映画内でその詳細を描かない。これを観れば、マニアックのような人間の衝動の背景に性欲があるということが分かるだろう。だが、『そこ』までたどり着かない方がいい。詮索しないことをお勧めする。

その他『アメリカンサイコ』も性がらみの狂気が入ってくる名作で、狂気映画の問題作として挙げられます。が、ギリギリで至高の狂気作品には入りませんね。しかしギリギリですよ。私もあれくらい逸脱している方が当たり障りないよりはるかに好きですから。でも、ただ狂うだけならホラーやB級でできるんですよ。もっと狂った映画はありますから。ただ、なるべく名作だけをお届けしたいんですよね。
9.『その演者は繊細で狂人』
人前に立つ人は、どこか精神状態が普通じゃなかったりする。私も数少ないそういう舞台を思い出すと、まるで違う人格が憑依しているが、それは観客に対するサービス精神か、それともなにものかに体を乗っ取られているのか。
今回配合するレシピはこちらです!
- 『ブラック・スワン』
- 『さらば、わが愛/覇王別姫』
- 『キング・オブ・コメディ』

特殊なメイクの力と『白鳥の湖』の音楽の力も相まって、ラストシーンが不気味に描かれる。内容的にも、精神的に追い込まれてどんどん狂っていくという映画で、これも至高の狂気作品に入れられるが、ギリギリで『狂気』とはまた違ったニュアンスがある。

娼婦やアヘン、捨て子に多指症に壮絶ないじめ、そして性的虐待など、内容全体が壮絶なものである。が、最も注目したいのはラストシーンだ。

人前に出ようとする人間はどこかシラフに見えない緊張感を持っている。『ジョーカー』で、自分のことをそう呼んでくれというシーンなどを思い出しても、彼に違う何かが憑依しているような、何かを背負っているような、そういう普通じゃない気配を感じる。

その他『ブルーに生まれついて』や『ウォーク・ザ・ライン/君につづく道』でそれぞれ有名アーティストのチェット・ベイカー、ジョニー・キャッシュが描かれますが、それを観れば更にここでいう意味が見えてきます。シンプルに、それだけの緊張をしなければならない状況があるんですよね。
10.『歪んだ心』
内容は被ってくるが、あえてこのジャンルを作って分けることで、よりその人たちの歪んだ心が浮き彫りになる。
今回配合するレシピはこちらです!
- 『怒り』
- 『渇き。』
- 『凶悪』
- 『セブン』
- 『ケープ・フィアー』
- 『ジョーカー』
- 『ネオン・デーモン』
- 『スペシャリスト 自覚なき殺戮者』

若い夫婦が自宅で惨殺され、犯人は逃走。怪しい人物がたくさん出てくるが、誰が犯人かは最後まで分からない。

小松菜奈の怪演と役所広司の乱れた役柄が、狂った現実をうまく演出している。明らかに変な役所広司だったのに、映画館のトイレで一緒になった男性客は、『役所広司ってあんなに格好良かったっけ』と話していた。

1999年に実際に起きた凶悪殺人事件「上申書殺人事件」を基に、獄中の死刑囚が告発した殺人事件の真相が描かれる。これが実話だと後で知ったから、衝撃的だった。監督はこの後『孤狼の血』シリーズを展開していく。

勉強をしていなければこの犯人のやったことが『完全犯罪』だと思ってしまうだろう。だがキリスト教圏の中で描かれているからこのような不気味なラストになっているだけであり、アジアではこの問題を解決する真理が、2500年以上前に一人の男によって説かれている。彼の名を『釈迦』と言う。のちに『ブッダ(悟った人)』として有名になる天才である。

この映画でもまた、復讐という歪んだ心に支配された男が描かれる。

これと似たような状況に陥った女性の映画に『ブレイブワン』というものがあるのだが、しかし彼の場合は『歪んだ心』が相応であり、彼女の場合は相応ではないという印象がある。

ここで描かれるのは『女性の嫉妬』だが、『男の見栄』とそれは人間の持つ欲望で最も醜いと言っても過言ではない。そしてこの女性の場合、醜いを通り越し、狂ってしまった。

なぜ彼はユダヤ人を無残な形で斬殺してしまったのだろうか。しかもその数、600万人。それを許可したのがこの男、アドルフ・アイヒマンである。「ユダヤ人問題の最終的解決」 (ホロコースト) に関与し、数百万人におよぶ強制収容所への移送に指揮的役割を担った。

心は『ない』ので歪むも何もありません。ペンはありますよね。だから曲げたり折ったりできますが、形のないものを歪ませるのは大抵の場合無自覚であり、それがアイヒマンのような人間を生む結果に繋がります。宗教も、神も、そのあたりの人間の複雑な要素が絡んだ、無宗教者においては頭を悩ませる問題です。その意味でここに『マルコムX』と『ジャンヌダルク』を併せて持ってくることで、更に奥行きが深い話になるでしょう。
11.『裏切りは人を狂わせる』
ニュースでもたまに流れてくる。『自分と別れるつもりなら、死んでもらう』という狂った人の声が。
今回配合するレシピはこちらです!
- 『ジョーカー』
- 『キャリー』
- 『危険な情事』
- 『悪魔のような女』
- 『ゴーン・ガール』
- 『喰女-クイメ-』

裏切りは確かに人の心を大きく狂わせる。私も経験がたくさんある。そのたびに、(自分は絶対にこういうことはしない)と固く誓った。だが、ちょっとでも歯車がズレれば、私とて彼のようになったかもしれない。

裏切りは確かに人の心を大きく狂わせる。私も経験がたくさんある。だから私は彼女の気持ちがわかり、複雑な心境になった。スティーブンキングは人の心境を描かせたらピカイチである。松本人志がとっさのアドリブでの気の利いたコメントが天才的なのと同じだ。

『恐怖のメロディ』ではなくこっちが入ってくる。

その考え方でこの映画も。違いは、主体性である。

これも同じだ。

これも同じ。

前述した阿部定事件が分かりやすい例ですね。しかもその猟奇的な彼女の行動に、共感する人が続出したんですから。しかしそれだけ裏切りというのは、人間を狂わせるのです。一生を共にする人にすべてをささげるつもりで、一途に、健気に、人生を賭けてひた守ってきたすべてが、その瞬間に崩壊することを意味し、それは死と同様の意味がある。そう捉えてしまうからでしょう。『私を殺したのはあなたなんだから、あなたも一緒に死んでよね。その約束をした夫婦でしょ?』。と。
12.『狂った現実』
特に狂った世界が坦々とまかり通っている。どう考えてもおかしい。
今回配合するレシピはこちらです!
- 『スウィニー・トッド』
- 『グリーン・インフェルノ』
- 『バトル・ロワイアル』
- 『スティーラーズ』
- 『アウトレイジ』
- 『ラストキング・オブ・スコットランド』
- 『プラトーン』
腕のいい理髪師ながら、愛用の西洋かみそりで客を次々殺めていくスウィーニー・トッドと、それを助け犠牲者の肉をミートパイにしていた夫人が描かれるが、ミュージカルということもあって、ある種明るくその奇行が展開されるため、逆に『狂った現実性』が増して見える。

1980年のイタリア映画『食人族』をモチーフにしていて、一歩間違えれば私の嫌いな無駄グロB級映画となる。だが、この後に南アメリカ大陸の話を少し学んだのだが、どうもこのペルーあたりのエリアには、昔、カニバリズムがあったとか。そう考えるとこの話はただのフィクションではなくなってくる。

『今日はみんなに、ちょっと殺し合いをしてもらいます』。この時点でこの話は狂っている。

この映画はブラック・コメディ調だからサラっと触れられるだけなのだが、よく考えると背筋が凍る異常犯罪が行われていて、それが常軌を逸している。

まず普通に、極道が存在していることが狂っている。そしてその中で、指詰めだの、殺害だの、外国人を巻き込んでの利権犯罪だのというそこで完全に植えついてしまっているアウトローの常識も、おかしい。

1970年代にウガンダで独裁政治を敷いたイディ・アミンが、政権を奪取してから独裁者へとなるまでを、架空の人物を通して描く。身長193cmの巨漢で、東アフリカのボクシングヘビー級チャンピオンになったこともある猛者だけに、取り扱いは困難を極める。この異常がまかり通っていたのだからまずい。
- アミン(左)とモブツ(右)、1977年

ベトナム帰還兵であるオリバー・ストーンが、実体験に基づき描く。戦地では、アメリカ軍による無抵抗のベトナム民間人に対する虐待・放火、虐殺や強姦、米兵たちの間で広がる麻薬汚染、仲間内での殺人、誤爆、同士討ち、敵兵に対する死体損壊など、およそ想像を絶する出来事が当然のようにおおなわれていた。

この項目は私が『狂っているのに堂々とまかり通っている』という様子を見た時に、振り分けている気がします。それで言うともう狂っていないところを探す方が大変かもしれませんけどね。『サザエさん』や『アンパンマン』、あるいは『ジブリ作品』の世界を子供に見せたがる親の気持ちが分かりますよね。
13.『ネグレクト(育児放棄)』
育児放棄は狂気の一言だ。そして、『育児』と『教育』の違いを知らない人は多い。
今回配合するレシピはこちらです!
- 『ゴーン・ベイビー・ゴーン』
- 『スーパーノヴァ 孤独な少女』
- 『ウィンターズ・ボーン』
- 『普通の人々』
- 『早熟のアイオワ』
- 『ルーム』
- 『マリリン・モンロー 瞳の中の秘密』
- 『タイ・カップ』
- 『モンスター』

この映画が非常に教訓深いのは、この家族の状況が複雑だからである。我々は最後、この選択肢が本当に正しかったのかという問いを突きつけられる。

両親が無責任で刹那的な人生を送っていて、ドラッグにも手を出す。そのような状況で育てられる娘は、家で安心して生活することができない。当然道は逸れるだけ逸れていく。彼女が人生でやりたいことは、その追い込まれた生活によって、押しつぶされていく。果たして彼女は、正道に戻れるか。

母親がおらず、父親が行方不明で、幼い妹たちを育てなければならない10代の女性が主人公となる。生きるだけでも必至だ。そもそも、父親は何をしているのか。生きているのか。それとも、死んでしまったのか。

タイトルからしても一見しても、この家庭は普通。だが、どう考えても普通じゃない。この『静かな異変』にスポットライトを当てたロバートレッドフォードの目に狂いはなく、これで監督賞を受賞したのもうなづける。ここにあるのは育児か、教育か、それとも。

『プリティリーグ』で妹役を演じたロリ・ペティが、自身の少女期の実話を基に描いた作品。14歳のアグネスは、幼い2人の妹と”ポーカーハウス”と呼ばれる家で暮らしていた。夜になると家には、ポーカー賭博や売春目的の男たちが集まってくる。衝撃的な内容だ。

極めて異例なケースだが、これは実話であり、彼女も母親である。このようなケースからも母について考えてみたい。母とは何か。

ロサンゼルスで生まれ育ったマリリンモンローは、幼少期のほとんどを里親家庭や孤児院で過ごしたという。ネグレクトや性的虐待を受け、36歳という若さで謎の死を遂げた映画界の伝説は、わずか10年足らずの活動で、実に2000億円程度の興行収入を作り出した。

大リーグの名打者タイ・カップの真実の姿を、彼の伝記を書くために雇われたスポーツ記者アル・スタンプの目を通して描いた作品。彼の母親であるアマンダは12歳で結婚し、15歳でカッブを出産した。そして、ある凄惨な事件が発生。それも含めて鑑賞したい。

シャーリーズ・セロンの代表作として入れる。彼女の一家は幼い頃からアルコール依存症の父親による家庭内暴力に悩まされていた。15歳の頃、晩に酔って帰ってきた父親に暴力を振るわれ、寝室に逃げると父親は銃を持ってドアに向かって発砲し、娘の命の危険を感じた母親が父親を・・実は上記タイ・カップと似た経歴を持っている。

タイカップやシャーリーズ・セロンの話は映画を通してご自分の目で確かめていただくとして、しかし『育児』と『教育』の違いを知らない人は圧倒的に多いですね。ネグレクト問題の前に、まず(私は育児をちゃんとしている。毎日子供を愛している)と思っている人は、そのことについて自問するべきです。叱るべきシーンで叱り、抱きしめるべきシーンで抱きしめているなら、そこには育児だけじゃなく教育も存在しています。
私は以前仕事の流れでファミレスで休憩することが多かったのですが、そういう昼下がりの時間帯くらいになると、客層は少し特殊な感じになります。何らかのビジネスの勧誘の話が聞こえることもあるし、宗教やねずみ講の話もあるでしょう。池袋の駅前のカフェなんかは借金の話なんかもありましたね。ただ、2、3回見てしまったのは、子供が無邪気にはしゃいでも冷めた顔で淡々と食べ物を食べたり、スマホをいじる母親や父親の姿。
そこには、ネグレクトにも似た気配が漂っていました。子供の陽気なエネルギーとのコントラストで逆にそういう陰気な態度が際立ち、異常な雰囲気を出していましたね。そういうことが何回かありました。案外、『自分はきちんと育児と教育をしている』というほど自分に自信があり、余裕がある人は多くないのかもしれません。親とて人間。自分の人生すらままならないのがこの一生ですからね。しかし子供はそういう無意味に見える人生に光を与えてくれる存在。そのことについて、一度立ち止まってじっくり考えたいものです。
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