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出井伸之『人は組織からの引退や卒業はありえても、自分自身から引退することはできない。』

偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

偉人
日本経営者。元ソニー株式会社社長・会長。生誕1937年出井伸之

運営者
ふむ…。

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目次

考察

SONYには、創業者チーム以外の唯一の経営者がいた。それが出井伸之、その人だ。単なる社員から幾多の優秀な人材の中で群を抜き、世界的大企業に『トップに相応しい』と認めさせた出井は、まさに『プロフェッショナル経営者』の名に相応しい。彼はもう引退したが、今、新しい会社の経営者であるのだ。

 

私がたまに思うのは、『卒業慣れ』という感覚があるのだと思う。幼稚園、小学校、中学校、高校、大学、そういう教育のカリキュラムは、この『卒業慣れ』の為にも重要なのだと思うのだ。

 

つまり、『階段』だとしよう。間にあるのは、『踊場』である。我々は、『人生という階段』を登っているのだ。それなのに、『踊場』でいつまでもダラダラしているのは、その自覚がない人間だ。人生とはひたすら、階段を登っていくもの。いや、我々は登っていける自由を見出したのだ。

 

階段

 

次のステップだ。

 

その言葉はまさに、踊場という一段落を経て、次の階段へ足をかける際に、自分に行う、セルフマネジメントなのである。

 

かつての私のように、階段を登った先に何があるか見いだせない、だから登る意義を見いだせない、踊り場にいたほうがいい、そう思う人もいるだろう。だが登った先、その答えはあまりにも簡単だ。そして70億人に共通している。

 

『死』だ。『死』についてどう考えるかは個人の自由だ。だが、私はその現実を『本当に真正面から受け止めた』とき、一日の重みを思い知ったのだ。そして、自分の取るべき行動が、手に取るようにわかるようになったのである。

 

ドイツの小説家、ジャン・パウルは言った。

 

『わかっていたつもり』だった。しかし、『理解っていなかった』。我々は一生の重みを知った時、一日の重みを知る。そういうことを考えていくと、出井伸之のような言葉が自然と心から出てくるものだ。

 

 

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