index

ジョン・ミルトン『悪魔は羞じろうて立ち、善のいかに怖るべきかを感じ、徳のその像いかに愛しきかをみる。』

偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

運営者
ふむ…。

[adrotate banner=”6″]

目次

考察

『羞じる』というのは『恥じる』という意味だから、まずこのシーンには、『悪魔』と『善、徳』の性質を持った『像』があって、ということになると、恐らくこれは、『善と悪』の両面が対立している、そういうシーンの可能性が高いわけである。

そして、その悪魔の方が、その善の方の像を見て、己を恥じ、目が眩み、恐れおののき、しぶしぶと退散していく、というシーンが思い浮かべられる。まるで、ライトを照らされた暗闇が、光の力に凌駕され、その効力を無力化されるように、『光の前では闇は歯が立たない』という、そういう印象を強く得ることになる。

ミルトンは400年前の人間だ。日本で言うと、織田信長や宮本武蔵が生きた時代であり、そうなってくると、これは遥か昔に残された言葉であり、言い回しがいちいちわかりづらいことに意味はなく、その当時は、それで意味が通用しただけに過ぎない。聖書ともなると2000年前。『結局は何が言いたいか』ということに焦点を当てて考えた場合、恐らくこれは、『光の前では闇は歯が立たない』という真理を突いた話なのであろう。

『正義は必ず勝つ』とか、『愛こそが虚無を打ち払う』とか、この真理から考えることはたくさんあるが、ここであえて付け加えたいのは、『白が黒に勝つ』ということではない、ということだ。

むしろ白は、黒の圧倒的な実力によって、凌駕される。だが、『光』になるまでその白いエネルギーを燃やし続けるならば、相手が『闇』にまでエネルギーを高めようが、負けることはない。『正直者が馬鹿を見る』と言って、『白なのに負けたじゃないか』と言っている暇があれば、自分がその白を『光』にまで昇華させなかった自分に落ち度がなかったか、自問するべきである。真理こそが『真理(間違っていないもの)』なのだ。『人間の心』は別に、真理ではないのである。

[adrotate banner=”7″]

補助的分析(AIによる語彙・背景・正確性の中立整理)

※本節では、運営者の内省(言葉だけを見て内省した解釈)ではなく、AI(ChatGPT)による「中立性」と「正確性」を基準に、今回の名言を整理します。名言の多くが出典未確認である現実を踏まえつつ、語彙・背景・意味領域を客観的に位置づけます。

名言提示(再掲)

ジョン・ミルトン『悪魔は羞じろうて立ち、善のいかに怖るべきかを感じ、徳のその像いかに愛しきかをみる。』

一般的な解釈

この言葉は、「悪を体現する者でさえ、圧倒的な善や徳の前に立つと、畏れ・羞恥・憧憬を抱かずにはいられない」という趣旨を持っています。ミルトンは『失楽園』において、堕天使サタンの心理を描きながら、善と徳の持つ絶対的な力が悪の内面を揺さぶる構造を示す意図をもってこの言葉を発しました。
この発言は、「善/悪」「徳/罪」「羞恥/憧憬」という対立軸の観点からも評価され、人間の倫理的本質を照らし出す象徴的な断章として捉えられます。

思考補助・内省喚起

この名言は、「自分の中の ‘悪しき部分’ は、善や徳の前でどのように反応するのか」という問いを与えてくれます。
私たちは日常的な行為・判断において、善を前にしたときの心のざわつきや、徳の輝きに対する羨望・羞恥をどう扱っているでしょうか。
感情や通念に流されず、自らの中に潜む弱さを見つめ、その反応から倫理的成長を促すための内省の起点となり得ます。

翻訳注意・文化的留意点

文化的背景:
ミルトンの善悪観はキリスト教神学に深く根差し、「悪魔(devil)」は単なる象徴ではなく「堕落した精神」「義より離れた存在」の具体像です。日本語訳では宗教的精度が弱まり、美的・比喩的表現へと傾きやすいため、文脈への補足が必要です。

語彙の多義性:
「羞じろうて立つ(stand abashed)」は、“威光・徳に触れて打ち砕かれた羞恥” を意味する。
「怖るべき(dreadful)」は、恐怖ではなく “畏敬と震撼” に近い。
「愛しき(amiable)」は “美徳の魅力” を示し、恋愛的な「愛しさ」とは異なる。

構文再構築:
原文 “The devil stood abashed, and felt how awful goodness is, and saw virtue in her shape how lovely.” に即した意訳は、
「悪魔は羞じ入り立ち尽くし、善の畏るべき力を感じ、徳の姿のいかに美しく愛すべきかを見た」
となる。

出典・原典情報

ミルトン『失楽園(Paradise Lost)』Book IV より、サタンの内的反応を描いた象徴的な一節。
善と悪の心理対比をもっとも鮮烈に示す文学的引用のひとつとして知られる。

異訳・類似表現

異訳例:
「悪魔は羞じて立ち尽くし、善の偉大さに震え、徳の美しさに目を奪われた」
「悪しき者も、真の善の前では恥じ、畏れ、惹きつけられる」

思想的近似例(日本語):
「邪は正に勝てず」── 古来の価値観
「清らかさは、汚れを照らし出す」── ※一般的感覚

思想的近似例(英語):
“Virtue is bold, and goodness never fearful.” ── シェイクスピア
“Light shines and reveals all shadows.” ── ※出典未確認

タグ(思想分類)

#善悪論 #徳倫理 #宗教思想 #内面葛藤 #羞恥と畏敬 #心理描写 #17世紀イギリス #比喩構文

語義分解(主要キーワード)

用語 定義 補足
悪魔(devil) 堕落・邪念・悪の象徴 具体的存在としても比喩としても使われる
善(goodness) 正義・純粋性・神的秩序 「畏るべき善」は崇高さの表現
徳(virtue) 道徳的美・品性・倫理的卓越 形(shape)として人格化され表現される
羞じろうて立つ(abashed) 恥じ入り、威に打たれた状態 単なる恥とは異なり、善の力に屈した姿

位置づけ構文(思想国家における構文的機能)

この名言は、「善と徳には、悪を沈黙させる絶対的な力がある」という命題を再定義し、倫理的価値体系の根幹に “善の威光” を据えるものです。
構文としては、「対比構造(善/悪)」「価値主張構文」「心理転換構文」に分類され、思想国家内部の倫理・判断・人格形成の構造群と強く連動します。

感受対象(思想UX設計における対象読者)

・倫理・善悪・徳性の本質を探究したい思想層
・自らの弱さや悪性と向き合う過程にある読者層
・宗教・文学的象徴に関心を持つ読者層

この言葉を更に5つの視点から再考する

➡ 『悪魔は羞じろうて立ち、善のいかに怖るべきかを感じ、徳のその像いかに愛しきかをみる。』をさらに深めて読む
(ここに静的HTMLリンクを手動で貼る)

関連する『黄金律

投稿が見つかりません。

同じ人物の名言一覧

あわせて読みたい
ジョン・ミルトンの名言・格言一覧 イギリスの詩人。生誕1608年。男。ジョン・ミルトン(画像) 名言一覧 『雄大な詩を作ろうとするならば、その生活を雄大な詩にしなければならぬ。』 『地獄を天国となす...
よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次