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アダム・スミス『人間とは取り引きをする動物なり。犬は骨を交換せず。』

偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

運営者
ふむ…。

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目次

考察

私は幼少期にある疑問を抱いた。その時私はまだ10歳にもなっていなかった。祖母が運転する車に乗っていた。年の近い従兄弟も乗っていた。私はこう質問した。

男性
なぜお金はあるの?百姓さんが米を作って、漁師が魚を獲って、その他にも、皆がそうやってやることをやって、それを物々交換すればいいんじゃないの?
男性
なにいってんだよ。お金がなきゃダメに決まってんじゃん!

お金

こう即答した従兄弟の意見は、まあいいだろう。年が近いという事は、彼もまだ10歳にも満たない子供である。彼の言葉が支離滅裂で、本末転倒であることは別に責めるべきではない。ただし、その車を運転していて、たまにこの世をわかりきった顔をして偉そうにすることがある祖母が、その質問をスルーしたことは、いささか教育上良くない。(数十年後に似た類の話を聞いても、ちゃんとした回答は得られなかった。)

私の当時の質問は、アダム・スミスのこの言葉の根底にある重要なテーマと共通している。だが実は、この問題を紐解こうと思ったら想像以上に深くまで潜らないと解明できない。まず見るべきなのは、以前、PRESIDENTのインタビューで、リブセンス社長の村上太一氏が言っていたこの話だ。

ビジネスって、社会を最適化する1番のものじゃないかと思います。濁った水をきれいな水に変える浄化剤を提供する日本ポリグルという会社があります。その会社の会長がソマリアに寄付で浄水装置をつくったのですが、1年後にいくと、蛇口が壊れていたりしてうまくいかなかったそうです。そこで寄付じゃなくビジネスにしたところ、警備する人や売り歩く人が現れて、普及していったとか。ボランティアを否定するつもりはありませんが、ビジネスにはそうやって社会にインパクトを与えて最適化していく力がある。私はそこに面白みを感じます。

ビジネス

そして次に観たいのは、『モチベーション3.0』に記載されている『デフォルト(初期設定)』という概念。

「モチベーション 1.0」は「生存や安心に基づく動機づけ」、「モチベーション 2.0」は「アメとムチに駆り立てられる動機づけ」だと定義し、内面から湧き出るやる気に基づく 「モチベーション3.0」こそが、新しい今の時代の生きるモチベーションであるという発想であるが、そのモチベーション2.0を考えた時、我々は”指示、報酬、罰、その他の一切の外的要素”が働かなければ、生きていけないという考えにぶつかる。だが、それは本当なのか?こう考えて生まれたのが、”モチベーション3.0”であるわけだが、ここで考えたい。我々人間の、『デフォルト(初期設定)』とは?人がこの世に誕生するときに、受動的で自力では行動できないようにプログラミングされているのだろうか?それとも、積極的に自発的に行動するようにプログラミングされているのだろうか?

アダム・スミスが『人間』をそう言う様に、あるいはリブセンス村上氏の言う様に、人間は、『まず何かの報酬が貰えるということが前提』でなければ、つまり『その報酬に反応する』という形でなければ、積極的に働いたり、人を助けたりすることが出来ないという、『初期設定(デフォルト)』がされているのだろうか。この本の著者は、『初期設定は受動的ではない』と断言する。それは私も同じ意見だ。

TOYOTAグループの創業者、豊田佐吉は言う。

だとしたら、コペルニクスガリレオが『地動説』に覆したように、『取引をしなければ人間は動かない』という発想は、ただの『勘違い』なのかもしれない。アダム・スミスが言う様に、人間は取引をしなければならず、お金の役割とは、

  • (1)価値の尺度
  • (2)交換(決済)手段
  • (3)価値貯蔵手段

であるからして、『物々交換の合理的な形がお金である』ということであれば、幼少期の私の疑問は一時解決するが、実は、私が抱いていた疑問は、『お金の存在』というよりも、『なぜ取引をしなければならないのか』という、アダム・スミスの言葉にある根本的な疑問であったのだ。つまるところこういうことだ。

『人間が全員モチベーション3.0だったらいいじゃないか。』

そうだとしたら、ソマリアで起きたことは起きないし、報酬、つまり物々交換、その合理的な形であるお金も必要ない。人間が今ある形は『最終地点』なのか。あるいは、豊田佐吉の言う様に『まだ伸びしろがある』のか。あの時私が抱いた疑問から20年近く経ったが、まずは今日、そのことを書いてまとめることが出来たことを、良しとしておこう。いずれまたこの内省が役に立つ日が来るはずだ。

追記:2017年10月。私のこの考え方は、

孔子の発想と似ていたようだ。

孔子

孔子は、一人一人が利他的になり、礼を重んじて徳を積み、仁を得ることが出来れば、この世に法律や刑罰などは必要ないと考えた。儒教の考えは『徳』による支配の為、支配者がしっかりしていれば法律など必要ないと説いている。

しかし、それに異を唱えたのは韓非子である。人間は孔子の言うような高潔な存在ではない。『利己』に走り、損をすることを回避しようとする。それが人間の本性というものである。従って、法律によって刑罰を整えれば、人はそれを回避しようとして、犯罪を予防できる。法さえ完備していれば、国の秩序は保たれるとして、法の重要性を説いたのだ。

韓非子

韓非子
孔子の夢見る徳治で秩序が保てたらそれ以上のことはない。しかし世の中はそうではないのだ!荀子の言うように人間の本性は悪だから、これに合わせて現実政治を行わねばならない!
韓非子
孔子、孟子の言っていることは、古代の人口が少ない時代なら可能だったかもしれん!人口が増え、経済が盛んな時代にはそんなのは絵空事じゃ!

と主張したのである。

参考文献『世界の宗教(教養マンガ)』

『図解「哲学」は図で考えると面白い』

『人間とは取り引きをする動物なり。犬は骨を交換せず。』

残念ながら人間は、2,500年以上の時が経っても孔子の言うような『徳高き主体性ある人間』にはなりきれておらず、アダム・スミスや韓非子の言うように、それぞれの利益を度外視することはできていないようだ。

まだ。

Twitter上の考察意見


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補助的分析(AIによる語彙・背景・正確性の中立整理)

※本節では、運営者の内省(言葉だけを見て内省した解釈)ではなく、AI(ChatGPT)による「中立性」と「正確性」を基準に、今回の名言を整理します。名言の多くが出典未確認である現実を踏まえつつ、語彙・背景・意味領域を客観的に位置づけます。

名言提示(再掲)

アダム・スミス『人間とは取り引きをする動物なり。犬は骨を交換せず。』

一般的な解釈

この言葉は、「人間を他の動物から区別している本質的な特徴のひとつは、『交換・取り引き・契約』を行う能力である」という趣旨を持っています。アダム・スミスは、近代市場経済が形成されていく18世紀のヨーロッパにおいて、人間社会の複雑な分業・商取引・契約関係を、「取り引きする動物」という一言で象徴的に捉えました。「犬は骨を交換せず」という一節は、他の動物も食料や縄張りを巡って争い・奪い合いはするが、「互いに合意して交換する」という行為は基本的に行わない、という対比を示しています。この発言は、人間社会の富や制度の背後にある「交換・合意」の構造を浮かび上がらせるものであり、暴力や一方的な支配ではなく、「取り引き」を通じて利害を調整する存在としての人間観を示す言葉として捉えられます。

思考補助・内省喚起

この名言は、「自分は日常のどの場面で、“取り引きする動物”として振る舞っているのか」という問いを与えてくれます。私たちは、日常的な行為・判断において、金銭の売買だけでなく、「時間と情報の交換」「好意と信頼の取り引き」「義理と恩の交換」など、さまざまなかたちで取り引きを行っています。
そのとき、私たちは本当に「互いの合意に基づいた公正な交換」を目指しているのか、それとも力関係や情報格差を利用して、一方的に得をしようとしてはいないか。あるいは逆に、自分の価値を適切に取り引きできず、過小評価に甘んじてはいないか。こうした点を振り返ることは、感情や通念に流されず、自らの人間観・経済観・対人関係のスタイルを見直す内省の起点となり得ます。

翻訳注意・文化的留意点

文化的背景:
この言葉は、スミスの経済思想の中核である「交換」「分業」「市場」を、人間の自然な傾向として捉える文脈に置かれています。英語圏では “Man is an animal that makes bargains; no other animal does this – no dog exchanges bones.” のように表現され、取り引き(bargain)は単なる売買に限らず、「条件交渉」「利害調整」を含む広い概念です。日本語に訳す際、「取り引き」「交換」といった言葉が、狭い商取引イメージに閉じないよう、文脈で補完する必要があります。

語彙の多義性:
「取り引きをする(makes bargains)」は、金銭の売買だけでなく、「条件を出し合い、合意を形成すること」全般を指します。「動物(animal)」は単なる生物学的区分というより、「本性・本質的性向」を示す言い方です。「犬は骨を交換せず(no dog exchanges bones)」は、経験的事実の断定というより、「動物は自発的に対等な交換をしない」という比喩的な例示であり、「犬」を代表例として挙げているに過ぎません。

構文再構築:
日本語・他言語で意訳する際には、次のような再構成も考えられます。
「人間とは、互いに取り引きをする動物である。他の動物は、犬にしても、骨を交換したりはしない。」
「Man is the animal that trades; no other beast does this — you will not see dogs exchanging bones.」
といった形で、「取り引き」と「犬」の対比を明確にすると、意図が伝わりやすくなります。

出典・原典情報

※出典未確認
この言葉は、アダム・スミスの経済思想を象徴する一節として多くの二次文献や名言集で紹介されていますが、具体的な著作(『国富論』『道徳感情論』など)中の該当箇所や英語原文の細部については、資料によって表記に揺れが見られます。講義録・抜粋・要約を通じて広まった伝聞表現である可能性があります。

異訳・類似表現

異訳例:
「人間とは、取り引きをする唯一の動物である。犬が骨を物々交換することはない。」
「人間を他の動物と分けるのは、取り引きの能力だ。犬が骨を取り替えっこしたりはしない。」

思想的近似例(日本語):
「人はパンのみにて生きるにあらず。」── ※出典未確認(経済活動を超えた人間性との対比として)
「人間は社会的動物である。」── アリストテレス的な人間観に接続する表現

思想的近似例(英語):
“It is the propensity to truck, barter, and exchange one thing for another that distinguishes man from other animals.” ── ※アダム・スミス関連表現
“Man is a social animal, uniquely capable of agreements and contracts.” ── ※出典未確認

タグ(思想分類)

#人間観 #交換と市場 #社会契約 #経済思想 #啓蒙時代 #利害調整 #分業 #コミュニケーション

語義分解(主要キーワード)

用語 定義 補足
取り引きをする 物品・サービス・条件などを、合意に基づいて交換する行為 売買・物々交換・契約・交渉などを含む広い概念
動物 生物学的存在としての人間の一面、あるいは本性を持つ存在 「理性的動物」「社会的動物」といった哲学的用法に連なる
犬は骨を交換せず 動物は自発的・対等な交換を行わないという比喩的表現 実証的主張ではなく、人間との対比を際立たせるための例示

位置づけ構文(思想国家における構文的機能)

この名言は、「人間とは取り引きする存在である」という定義的命題を通じて、経済活動や社会制度を「人間の自然な傾向の延長」として捉え直す構文です。構文としては、「対比構造(人間 vs.他の動物)」「定義構文(人間本質の再定義)」「価値主張構文(交換・取り引きの重要性の提示)」などに分類され、思想国家内部の倫理(公正な交換)・判断(利害調整の仕組み)・責任(契約遵守・信頼)といった構造群と連動可能な核を持ちます。

感受対象(思想UX設計における対象読者)

・市場経済や資本主義社会の原理を、人間観のレベルから理解し直したい読者層
・ビジネス・交渉・契約の実務に携わり、「取り引きとは何か」を哲学的に捉え直したい層
・人間と動物の違い、社会契約・分業・交換といった概念を、歴史的・構造的に考察したい歴史・構造理解層

この言葉を更に5つの視点から再考する

➡ 『人間とは取り引きをする動物なり。犬は骨を交換せず。』をさらに深めて読む
(ここに静的HTMLリンクを手動で貼る)

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