偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

ふむ…。
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目次
考察
確かその通りだ。それを意識して打破しようとしても、なかなか変えられるものではない。例えば私なら幼少期に両親に理不尽をされ、そして宗教を強要されたことで、根底に誰よりも理不尽を嫌う自分と、誰よりも自由を愛する人格が植えついたわけだ。そしてそれが行動の規範となっていて、今の自分の生活を支配していると言っていい。
これを意識的打破しようとしても、例えば、『窮屈なところに入ってみる』ことをしても、それは長くはもたない。自分の身体が、まるで食べるとアレルギー反応が出て、それ以上食べられないように、拒絶反応を示し、その行動を取れないのだ。
それに、間違っていることだとわかっていることだって出来ない。例えば、オムツで排泄していた『前半戦』の時代の記憶をすっかり忘れる努力をして、それから後に蓄積して覚えたはずの、『トイレで用を足す』という習慣を、今、意識的に覆そうと思っても出来ない。従って、確かにドストエフスキーの言う通りだ。
また、バーナード・ショーはこう言ったが、
そこには『自己愛』という感情も介入しているわけだ。自分がそれまで蓄積してきた経験や思い出、スキル、知識、それらを『無駄にしたくない』と思う心が人間にはある。
以上、様々な理由から人間はドストエフスキーの言う通りだ。ただし、トーマス・フラーが、
と言った様に、習慣は支配されるものではなく、するものでなければならない。
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