ポスター画像出典:『ボヤージュ・オブ・タイム公式サイト』
レビュー
この映画の価値が理解できる人はとても賢く、恐らくほとんどの人は『自然探検ドキュメント』程度の表層にしか見えていないだろう。私がツイッターでこの映画の価値を説明しようとしても、
見ました!森羅万象的な!
という、浅薄なコメントをする人がいるだけだった。悪口ではない。私もそういう時期があった。だが、言葉は全てを露呈させる。残念ながら彼はこの映画を理解できていないだろう。それはその後に続く私の説明の話の中で、『それ以外コメントがなかった』ことが何よりの証拠だ。何の言葉に対し、どんな言葉をどのタイミングでかけるか。それですべてが露呈するのである。
私は、監督のテレンス・マリックのその前の映画『ツリー・オブ・ライフ』を観て、それがあまりにもアーティスティック過ぎて理解できなかった為、この類の映画は敬遠していた。いくらブラピやショーン・ペンが出る豪華キャストだったとしても、関係なかった。だがそれは恐らく私が勉強不足だったからだ。その彼と当時の私は、同じレベルだったと言えるだろう。
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私はその後、多くの勉強経験を積んだ。500人の偉人の8000の言葉を内省し、歴史、哲学、宗教、神話を一から学び直し、3000本以上の映画を観た。私自体は無宗教だが、クリスチャン『を自称する』両親に育てられ、宗教に悩まされた身だから、人間心理や哲学について考えることは自然だった。
その映画は最初、考案したパートナーに「気が狂っている」と思われたらしい。やはりそれだけ難易度が高い映画なのだ。実はそっちはまだ見直してはいないのだが、同じ監督の映画であるこの『ボヤージュ・オブ・タイム』を観るのは、私の中で自分の成長を確認するための一つのテストだった。
- ハーバード大学で哲学を専攻
- 1965年に首席で卒業
- オックスフォード大学大学院に入学
- 日常言語学派の哲学者ギルバート・ライルの元で学んだが、キェルケゴールやウィトゲンシュタインに関する意見が合わず、博士論文を出さずに中退
- 1969年にノースウェスタン大学からハイデッガーの著作の翻訳本を出版
- マサチューセッツ工科大学で哲学を教える
これが彼の学歴だ。また、彼の弟は自殺している。これだけで、彼の頭脳がどれだけ優秀で、あるいは内省的かが分かるだろう。映画としては彼は『ダーティハリー』にも脚本家として関わっていて、難解で芸術的な映画が多いが『アメイジング・グレイス』などは私が今まで観た多くの映画の歴史の中でTOP10に食い込むほどの名作だった。
この映画は、『宇宙の誕生と死を探求する内容であり、40年以上にわたって取り組んできた「私の最大の夢のひとつ」』だという。彼ほどの頭脳の人間がそれだけ長い間練りに練って作り上げた啓蒙作品は、言語が分からない遠い異国のこの私にしっかり届いた。

だが、確かに冒頭の彼のような感想を持つ人が大勢出てしまうのはわかる。ほとんどが映像で、ブラッドピットやケイトブランシェットがナレーターとしてポエムのような言葉を少し読み上げていくだけだからだ。
だが、その映像の一つ一つにメッセージ性があり、深遠なのである。私は今監督について調べているくらいだから、彼にこうした学歴があるということは知らなかったわけだ。だが、同じような勉強をした私には、ちゃんと彼の言いたいことが分かった。掘る場所は違えど、『掘った先にある景色は同じ』なのである。
この映画は、学生時代、いや、まだ子供が学生にすらなる前に、家で流しておくべき作品である。そうすればその子供たちは普通に生きていたら得られない『深い視点』と『広い視野』を持つことができ、自分たち人間が地球や宇宙の覇者ではないこと、そして我々が『宇宙船・地球号』の乗組員であることを理解する。

私も彼のように多くを学び、人生を内省し、考察して『見極めた一つの結論』がある。だから彼のようにこうしてそれを世に届ける活動を応援したい。私は宗教を強要され、無宗教として生きていくことを決めた人間だから、宗教の布教のようなことはしたくない。だからブログ以外で一切私が突き詰めた叡智を世に伝えてはいないのだが、内容が難しすぎてもちろん浸透はしていない。恐らく、子供が理解できる内容ではないのだ。
きっと彼の主張も言語化してしまえば同じようになるだろう。だから映像ではほとんど言葉が出てこないのだ。しかしだからこそ映像が厳選されていて、深遠さが磨かれているのである。
確かに冒頭の彼が言うように、表層は『自然ドキュメンタリー』である。だが、例えば猿や数匹の動物たちを終始追っていくなら考えるのはそれらのことでいいが、『切り替わる映像の一つ一つ』は、哲学的に構成されているのだ。だから身構えていなかった私が、映画を鑑賞中に自然と哲学を始めたのである。そのスイッチを入れたのだ。そういう仕掛けがされているのである。啓蒙作品なのだ。
ハーバードを首席で卒業し、MITで哲学を教える彼のすべては理解していないが、この作品はあまりにも素晴らしすぎると、3000本近く映画を観た私が断言しておく。
補足分析(構造限定)
認知・心理構造
・言葉による説明を最小化し、映像の連鎖で「問い」を先に立ち上げる構造(理解は後追いになる)
・「自然ドキュメンタリー」として受け取る認知枠が、哲学的射程(宇宙・生命・時間)を不可視化する
・観客の内部で「意味づけ衝動」が作動し、各カットが“世界観の断片”として統合される心理過程
倫理・価値観の揺れ
・人間中心主義(支配者意識)と、宇宙的無中心性(偶然性・無常)が衝突する局面
・「価値ある人生」という日常規範が、時間スケールの拡張(宇宙史)によって相対化される
・啓蒙(教える)と体験(感じさせる)が交差し、理解の責任が観客側へ移る構造
社会構造・制度背景
・教育や宗教が担ってきた“世界観の形成”を、映像芸術が代替しようとする装置的構造
・レビュー平均(多数派の理解可能性)が、作品の射程(少数にしか開かれない構造)を拾えない制度的ズレ
・知の伝達が「平易化」より「体験化」に寄ることで、受け手の前提差がそのまま結果差になる力学
言葉・定義・前提破壊
・「理解=説明を聞くこと」という前提が破壊され、「理解=自分の内部で立ち上がること」へ転位する
・「自然映像=癒し」という語りが、宇宙・死・生成消滅の連鎖によって反転する
・“物語”ではなく“時間”が主役になることで、因果中心の鑑賞習慣が崩される
現実対応構造
・映画内構造は、世界観(宇宙観/生命観)を言語ではなく体験としてインストールする試みに対応する
・「宇宙船・地球号」的視座(人間は乗組員である)へ観客を移動させる設計と同型である
論点抽出(問い)
- (問い1)理解とは、説明で成立するのか、体験で成立するのか
- (問い2)人間中心主義は、どのスケールで崩壊するのか
- (問い3)宇宙史の視座は、日常の価値判断をどう相対化するのか
- (問い4)言語化しない啓蒙は、教育として成立するのか
- (問い5)世界観は、誰が/何が/どうやって形成しているのか
人間理解ポイント
・人は「説明がない」と苛立ち、「説明がある」と安心する
・意味は外部から与えられるより、内部で立ち上がると強固になる
・スケールが拡大すると、日常の正しさは揺れる
・言葉を減らすほど、前提差が結果差になる
抽象コア命題(普遍層)
- 命題1:(世界観は、言語より体験によって深く更新され得る)
- 命題2:(時間スケールの拡張は、人間中心主義を相対化する)
- 命題3:(理解とは、受け手の内部で起きる構造変化である)
誤認リスク補足
・本作を「自然映像の連作」としてのみ読むのは誤り
・退屈/癒しの評価に回収すると、時間と存在の構造が消える
・知識量の優劣で読むと、作品が要求するのは知識ではなく視座移動である点を見誤る
【テンプレ追記|解釈レイヤー固定文(共通)】
※本テンプレにおける補足分析は、筆者の主張・結論・立場表明を示すものではない。
※各作品は、筆者が内在させている「真理からの距離に対する違和感」や思考過程が、どのように照射・再確認されたかという構造的契機として扱われる。
※したがって、未来予測・価値判断・断言的結論として読むことは想定されていない。
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