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『ファーザー』 レビュー(感想)

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レビュー

この映画の見方はいくつかあるように見えるが、実際には認知症の人の話なので、一つにしておいた方がよさそうだ。要は、『ミステリー』のように見る見方もあるのだが、そこは一つ、誠実にこの病気と向き合いたいのである。私の祖母もまだ95歳で存命中で、10年ほど前から軽く認知症が始まっている。実は一般的に

 

  • 「怒りやすい・短気な人」
  • 「小さなことを気にすぎてしまう人」
  • 「協調性のない人」

 

は認知症にかかるリスクが高いと言われる。それは簡単に言うと、『わがままな人』だ。協調性があり、人の為に自分を『環境』の一つにでき、エゴを押し殺して、武勇伝を語らず、縁の下の力持ちに徹することができる。そういう誠実な人は、認知症にかかりにくい。

 

私の祖母も、このファーザーも、性格は似ている。だが、祖母の場合は私という存在があまりにも『大きな壁』の為、横暴な態度はふるわないようになった。しかし私が彼女を説教するまでは、彼女の傲慢さが目立っていた。だから私はおのずとこの映画を真剣に見てしまうわけだ。ファーザーを祖母に置き換えて。そして、いずれそうなるかもしれない自分の想像しながら、一つ一つの行動を理解していく。

 

私は勘のいい性格なので、幻覚や夢の類に直面しても、ちょっとした矛盾点に気づいてすぐにそれが現実ではないことに気づけるが、認知症になると、その『勘の良さ』さえも衰えてしまう可能性があるから、何の自慢にもならない。

 

確かに祖母を見ていると、意味不明なタイミングで部屋から出てきて、我々に他人行儀で接してきて、『もう出発しますか?』などという支離滅裂な言葉を投げかけてくる。親戚が来ていた時で、一同黙り込んでしまったが、私が状況を瞬時に察知し、『ああ、まだだよ、大丈夫!』などと表面を合わせた返事をし、部屋に戻らせた。

 

あの時、このファーザーのような現象が起きているとなると、確かにその症状は大変なことだ。母に聞くと祖母はあまり弱音を吐かない性格らしいから、自分の中で何が起きているのか、それはこっち側が詳細を想像するしかない。

 

奇しくも、彼女の息子、つまり私の叔父であり、母の弟は、統合失調症であった。『ビューティフル・マインド』を見ればわかるが、あの症状と、今回のファーザーに見る症状は、とてもよく似ている。

 

ビューティフル・マインド の映画情報 - Yahoo!映画

 

祖母は叔父が死んだ後、『私の青春時代がやっと来た』と言ったらしい。それは決して叔父への悪態ではない。だが、数十年という長い間、彼女は叔父の面倒を見てきた。そこにはある種の義務たる閉塞感があったのだ。そこから解放されたのである。

 

その彼女が今度は認知症になった。まずは、『自業自得』である。意味が分からない人もいるだろうが、それは内省不足だ。私が悪態をついているとでも思いたいのだろうが、残念ながら当然違う。

 

年上は、『先生』である。孔子の勉強をして知ったことだが、先生とは、『先に生まれた者』の意味である。つまり、人生の先輩は皆、先生であり、後生、後輩に人生を教育する責務を負っている。

 

それなのに、『自分勝手な性格』という未熟さを保持し続けていたことは、無責任。それによって、まずは自業自得という言葉がお似合いなのである。よって、後生は彼女らを『反面教師』にするしかなく、それは決して教師の姿ではない。反面教師というのはこちら側に柔軟性があって初めて成り立つ関係だからだ。

 

だが、自業自得の次にもちろん考えるのは、『可哀そう』である。だが、可哀そうというのはどこか無責任である。他人事にも見え、自分とは無関係の感じがして、まるで対岸の火事を見ているかのようだし、見方によっては差別でもある。

 

『私は違うが、彼女はそうだから可哀そう』ということだ。そうではないだろう。自分もいずれなるかもしれない症状だ。それに、かけがえのない親子、親族という人間関係に対し、血縁のものが取るべき態度はもっと他にありそうだ。

 

だからもちろん、彼女の症状をなるべく理解しながら、(おそらく幻覚が見えているのだろう)などと想像し、柔軟に対処していくことになる。叔父のときもそうだった。

 

Frustration, challenge and risks concept. young frustrated businessman cartoon character standing feeling doubt with question marks above vector illustration

 

直接世話をする者の苦労もわかる。母の場合そうだから、毎朝同じ質問をされて、同じ答えをしている姿を見ている。たまに口調が強くなっていら立ちを隠せないようだが、私が冷静になるよう何度か諭した。

 

私は完璧主義者で、どんなことにも答えを見つけなければ気が済まない性格だ。だから以下のようなページを作るまでに至り、



この世界のビッグクエスチョンの答えを出した。これによってこの世から宗教はなくなり、『真理、神』についての理解が一歩大きく近づく。では、そんな私がこの問題をどう解決すればいいか。もしこれが不治の病ならその方向を探せばいいだろう。だが、ブッダが生老病死について考えたように、人は決して抗えない運命を背負っている。となると、この答えはこうなる。


フォスディックは言った。


一度切断された腕は、もう二度と元には戻らない。そして最後には、すべての生命がこの世を去るのだ。いつ死ぬかは分からない。早ければ言葉を喋る前に、事故や病気で死んでしまう。そしてある時は、こうして遅くまで生き、脳の病気にかかて意識不明でこの世を去ることもあるだろう。我々にできることは、そのたった一度の人生を、一所懸命生きることだけだ。

補足分析(構造限定)

認知・心理構造
・「現実の連続性」が断たれ、本人の中で整合する別の連続性が生成される構造
・矛盾検出(違和感を察知する力)が弱まることで、訂正よりも“いま見えているもの”が優先される心理過程
・自己像(尊厳・能力・役割)を守るために、記憶欠落が防衛的な言い換えとして現れる局面

倫理・価値観の揺れ
・本人の尊厳(対等)と介助の必要(非対称)が衝突する局面
・「正す/説明する」ことと「安心させる/合わせる」ことの倫理が同時に要請される構造
・家族関係が、愛情ではなく“負荷配分”として露出してしまう瞬間の価値揺れ

社会構造・制度背景
・介護は家庭内に閉じやすく、当事者/家族双方の孤立が進みやすい構造
・支援の有無よりも、日々の反復(同じ問い・同じ応答)が摩耗を生む制度的盲点
・「本人の症状」と「介助者の疲弊」が相互に増幅する循環構造

言葉・定義・前提破壊
・「昨日」「今日」「ここ」といった基礎語の前提が崩れ、会話の土台が揺らぐ構造
・“誤り”が事実誤認ではなく、世界の座標系の相違として現れる前提の破壊
・優しさ/正しさ/合理性といった語が、状況次第で逆効果になり得る転倒

現実対応構造
・映画内構造は、認知の座標系が変化したときに生じる家族内コミュニケーション崩壊と同型
・「当事者の世界」と「周囲の世界」が並走し、交差点で摩擦が生まれるモデルとして対応する


論点抽出(問い)

  • (問い1)当事者の現実と周囲の現実がズレたとき、対話はどの前提を採用すべきか
  • (問い2)尊厳は、対等性の維持によって守られるのか、それとも安心の確保によって守られるのか
  • (問い3)正確さは、いつ関係性を壊すのか
  • (問い4)介助者の疲弊は、どの段階で倫理を侵食するのか
  • (問い5)家族は「愛情」だけでこの問題に耐えられるのか

人間理解ポイント

・人は現実の座標を失うと、別の整合性で世界を再構成する
・訂正は安心を損なうことがある
・疲弊は善意を摩耗させる
・尊厳は“扱い方”で壊れも守られもする


抽象コア命題(普遍層)

  • 命題1:(現実認識のズレは、正しさより安心を要求する局面を生む)
  • 命題2:(介護は、当事者だけでなく周囲の人格も試す)
  • 命題3:(失われたものは戻らない前提で、残りで生きる設計が必要になる)

誤認リスク補足

・本作をミステリー的仕掛けとしてのみ読むのは誤り
・当事者の言動を「性格」や「わがまま」に還元すると構造が消える
・家族の態度を単純な善悪で裁くと、負荷循環(疲弊→摩擦)の論点が見えなくなる


【テンプレ追記|解釈レイヤー固定文(共通)】

※本テンプレにおける補足分析は、筆者の主張・結論・立場表明を示すものではない。
※各作品は、筆者が内在させている「真理からの距離に対する違和感」や思考過程が、どのように照射・再確認されたかという構造的契機として扱われる。
※したがって、未来予測・価値判断・断言的結論として読むことは想定されていない。


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