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『グッドナイト&グッドラック』 レビュー(感想)

ポスター画像出典:『映画.com

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レビュー

『赤狩り』とは、政府が国内の共産党員などを公職を代表とする職などから追放することを言う。この時代にあった冷戦とは、


アメリカを筆頭とする資本主義VSソ連を筆頭とする共産主義


で、そのソ連共産のシンボルマークの色が赤いことから、『アカ』とか『赤狩り』などとして隠語が当然のように飛び交っていた。


これは、その「赤狩り」の猛威が吹き荒れる1950年代のアメリカを舞台とする実話で、実在したニュースキャスターであるエドワード・R・マローとCBSの番組スタッフが、真実の報道のために赤狩りの代表格である政治家、ジョセフ・マッカーシーと「マッカーシズム」に立ち向かう姿を描いたノンフィクションドラマである。マッカーシーとそのスタッフは、「マッカーシズム」と呼ばれたアメリカ合衆国政府と娯楽産業における共産党員と、共産党員と疑われた者への攻撃的非難行動で知られている。


では、このエドワードは共産主義なのか。違う。実はマッカーシーは、自分の意にそぐわないものを「共産主義者」と決めつけ攻撃する暴挙が有名だった。そんなマッカーシーの手法に対して疑問をもつ良識的なアメリカ人も多かったが、誰もが自分自身が標的にされることを恐れ、マッカーシーの手法を表面だって批判する者はいなかった。


そんな中、彼はニュースキャスターという逃げ場のない立場にありながら、真正面からマッカーシズムに対立する。この映画のタイトル『グッドナイト&グッドラック』というのは彼が務めるそのニュースでのお決まりの挨拶だ。この問題が起きる前なら聞き流すような言葉だが、覚悟を持って勇気ある行動に出た彼の放送の後に口にされるこの言葉からは、彼の仕事に対する信念と覚悟を感じることができる。


当時の状況をよりリアルに体験するために全編が白黒であり、ド派手な銃撃戦はないが、信念と覚悟の人間の生きざまはいつの時代も別次元の異彩を放っている。


[エドワード・R・マロー(本人)]

補足分析(構造限定)

認知・心理構造
・恐怖が共有される環境では、沈黙が合理的選択として内面化される構造
・権威ある言説が反復されることで、疑念そのものが「危険思想」として排除される心理過程

倫理・価値観の揺れ
・国家安全の名目と、表現・良心の自由が正面衝突する局面
・事実報道と自己保身が同時に要請され、職業倫理が試される構造

社会構造・制度背景
・冷戦下の政治的緊張が、立法・行政・メディアに横断的圧力を及ぼす力学
・放送局という組織が、商業性・スポンサー・政治圧力の三重制約を受ける構造

言葉・定義・前提破壊
・「共産主義者」というラベルが、具体的証拠を要さず排除を可能にする装置として機能
・定型句(Good night, and good luck)が、日常語から覚悟の表明へ意味転換する前提の転倒

現実対応構造
・映画内の構造は、非常時における言論統制と、それに抗する報道倫理の普遍モデルと同型である


論点抽出(問い)

  • (問い1)恐怖は、どの段階で社会的合意を歪めるのか
  • (問い2)報道は、権力からどの距離を保つべきなのか
  • (問い3)沈黙は、自己防衛か共犯か
  • (問い4)ラベリングは、なぜ思考停止を生むのか
  • (問い5)個人の勇気は、制度的圧力をどこまで相殺できるのか

人間理解ポイント

・人は恐怖の中で沈黙を合理化する
・権威は疑念を封じやすい
・言葉は人を守りも縛りもする
・勇気は孤立を伴う


抽象コア命題(普遍層)

  • 命題1:(恐怖政治は、沈黙を通じて成立する)
  • 命題2:(報道の独立性は、常に圧力に晒されている)
  • 命題3:(言葉への責任は、行動の覚悟を伴う)

誤認リスク補足

・本作を単純な反マッカーシー映画として読むのは誤り
・時代特有の問題として切り離すと、構造的教訓が失われる
・個人英雄譚と、制度的抵抗の違いを混同しやすい


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