意味
聖性と魔性
どんな人間にも、光と闇はある。聖書における『ヘブライ人への手紙』には『父が子供を叱るとき』について、こう書いてある。
『神が自分の聖性を子に与えようとしているのだ。』
更なる詳細を書こう。白鳥晴彦の著書、『超訳聖書の言葉』にはこうある。
つまり人間には『聖性(せいせい)と魔性(ませい)』の両面がある。別に、『天使と悪魔』でも『白と黒』でも『光と闇』でも『善と悪』でも『神とサタン』でも『良心と邪念』でもなんでもいい。

『聖性』があるなら、その対極の『魔性』があることは想像にた易い。『自分の聖性』という表現は、まるで『自分の一部である聖性の部分』という風に言っているのと同じだからだ。『全てが聖性で出来ているもの』であればその様な表現にはならない。『自分の要素の一部である聖性の部分』を、子に与えようとしている、という解釈をする方がつじつまが合うことになる。
そうなれば、父が子を叱った場所には『愛(聖性)』が宿り、『魔が刺した』人間には『罪(魔性)』が宿っていることになる。だとしたら、見えて来るのは『聖性を優位にし、魔性を劣位にする』ということで、そこにあるのは、魔性と聖性の真剣勝負である。(魔が差したを、魔が刺した、とあえて書くのは、魔性に聖性が負けることを表現したいからである。)

ジ・ハード(聖戦)は人殺しを許可しない
更に言えば、昨今一部の狂信者が世界を騒がせているが、 イスラム教における『ジ・ハード(聖戦)』とは、何も人を惨殺することを許可する、という凶悪な概念ではない。
『神の為に奮闘する』ことを意味し、つまり、その『神』というものは、しばしば『愛、真理』と『=』であると考えられるわけだ。例えば、『人に裏切られ、殺意を覚えた』というとき、そこに現れるのは間違いなく『魔性の疼き』であるわけだが、しかし、それを聖性の力で劣位にさせよう、という『闘い』こそが、この『ジ・ハード(聖戦)』なのである。
Wikipediaにはこうある。
極めて重要視される『内へのジハード』

テロリズムで失われた命
私がこのWikipediaで聖戦(ジ・ハード)について調べたのは、日本人二人がイスラム国によって命を失う前だった。その時は、確かこのような納得のいく話は書かれていなかった。
その後その二人の日本人がイスラム国によって殺害され、日本中に激震が走った。その時、亡くなった一人の友人であったジャーナリストの池上彰が、友人を亡くして意気消沈としていた中、何とかテレビに出演してくれて、この『聖戦(ジ・ハード)』についての説明をわかりやすくしてくれたのだ。
彼がそのタイミングでテレビに出て、その件についての発言をするということは、よほどの覚悟と努力が必要だったはずである。私はそれをくんで、彼の言葉を信用し、このサイトの至るところに、
イスラム教における『ジ・ハード(聖戦)』とは、何も人を惨殺することを許可する、という凶悪な概念ではない。『神の為に奮闘する』ことを意味するのだ。
と書いてきた。
私はイスラム圏で生まれなかった。むしろ、この日本においてわずか0.8~1%ほどしかいないと言われているキリスト教徒の両親の下で育ち、キリスト教について嫌というほど考えさせられたクチであり、イスラム教のことを考える暇はなかった。だが、もちろんどこかでその存在のことは頭の片隅にあって、いつかその実態を理解できたらいい、という風に置いておいたのである。
しかし、やはりこの『聖戦(ジ・ハード)』だけがどうしても理解できず、イスラム教に関しては不完全な存在であるという風に、色眼鏡で見てしまっていた。だが、『四聖』に数えられる、儒教の祖『孔子』、キリスト教の礎『イエス・キリスト』、仏教の開祖『釈迦』、古代ギリシャの哲学者『ソクラテス』の教えや、この世を生きた500人の偉人たちの言葉や知性を通し、私の中で蓄積したものと、池上彰のその説明を照らし合わせたとき、私の中で、
それだ!!
と繋がり、一致する感覚を得たのだ。
それならイスラム教の教えは正しい!!イスラム教の教え自体は間違ってない。むしろ、他のどの偉人たちの教えにも劣らない、極めて傾聴に値する意見だ!!
と喜んだものである。
あの事件と池上彰のそのコメントの後に、このWikipediaは更新されたのだと私は推測する。それよりも前は、もう少し情報が大雑把だった印象があった。やはりあの事件がこの国に与えた衝撃は大きく、動いた人間の数も多い。多くの人がその『聖戦(ジ・ハード)』やイスラム教について考えただろうし、日本を含めた世界にいる『本当のイスラム教徒』たちのことを考えても、情報は正確にまとめなければならない。そういう動きがあったのだろうと推測されるのだ。
本当のイスラム教徒
本当のイスラム教徒たちは、イスラム国という呼称に対し、『イスラムという名前をつけないでほしい。あれはイスラム教の教えとはかけ離れている』と主張する。そしてその後、『ISIL(アイシル: Islamic State in Iraq and the Levant)』、あるいは、『ISIS (アイシス: Islamic State in Iraq and Syria)』という名で呼ぶような方向性に変わった。
真のイスラム教の教えは、とても崇高なものである。『世界がわかる宗教社会学入門』にはこうある。

私は、『真のジ・ハード』の意味を知ってから、イスラム教のことを心底から見直したのだ。そしてこの『聖戦(ジ・ハード)』の概念は、何もイスラム教だけではなく、世界中のあらゆる宗教・哲学・教育に目を向けても共通しているのである。
自律の父、ソクラテス
まずはソクラテスだ。『ソクラテス・イエス・ブッダ 三賢人の言葉、そして生涯』にはこうある。
不撓不屈の男、ブッダ
そして、ブッダだ。同じく本にはこうある。
悪魔(サタン)を退けた、キリスト
また、キリストもそうだ。同じく本にはこうある。
自分に打ち克つ、日本の武士
『武士道』ではこうだ。
これらは全て、『聖戦(ジ・ハード)』なのである。別に、言い方などはどうだっていい。この世で崇高な輝きを持ち、威厳を持つ全てのものの近くには、この『聖戦(ジ・ハード)』が存在していて、そして彼らはその戦いに勝利しているのだ。
ドストエフスキーは言った。
『神と悪魔が闘っている。そして、その戦場こそは人間の心なのだ。』(ドストエフスキー)
関連する黄金律

構造分類タグ
54の言葉
探究命題
思考展開点
抽象定義
Core3
goldenrule接続
inquiry接続
非人格化思想


































