ハニワくん先生、質問があるんですけど。
先生では皆さんにもわかりやすいように、Q&A形式でやりとりしましょう。
ハニワくんなるほど!
博士も、もっと詳しく教えてくだされ!
ムハンマドはイエスと同様、自分の教えを広めようとし、迫害を受けました。
ムハンマドの思想を良く思わないグループが襲撃します。それにはユダヤ教徒やキリスト教徒もいました。その時彼は『宗教にも軍事力がいる』と考えました。そうしなければ自分たちが殺されるからです。『正当防衛』の考え方で、彼は軍を設立します。そして攻撃してきたユダヤ教徒やキリスト教徒を『敵』だと定めるようになります。ユダヤ教の安息日は『土曜日』、キリスト教の安息日は『日曜日』。だからイスラム教は『金曜日』を安息日とすることにしました。
イエスとムハンマドの違いは、『反撃』をしたかしなかったかということです。イエスはせずに十字架刑を受け入れ、ムハンマドは自分の教えを広める使命と、理不尽な攻撃に対抗するために戦うことにしました。ムハンマドのこの考え方は、後の一部のムスリムの過激な思想の種になってしまいます。本来、イスラム教とはすばらしい教えのはずなのに、その一部の過激派によってイスラム教全体のイメージが悪くなっているのが現状です。
博士うーむ!やはりそうじゃったか!
ハニワくん僕は最初の説明でわかったけどね!
先生更に詳しく知りたい方は、以下の記事をご覧ください。
ムハンマド誕生

上記の記事の続きだ。このようにしてイスラム教はユダヤ教とキリスト教と分離した。紀元前6世紀ごろにムハンマド(マホメット)によって確立されていく。ムハンマドは570年にメッカの金持ちの家で生まれた。そして富裕な未亡人ハディージャの下で働き、その後彼女と結婚し、2人の間に6~7人の女の子が生まれた。しかし、彼女らは幼くして亡くなった。ムハンマドには10人以上の夫人がいて、2人の妾もいた。しかし、誰と交わっても男の子は生まれなかった。
40歳を過ぎたムハンマドは、瞑想にふけるようになる。そしてある時、天使ガブリエルの啓示を受け、こう言われる。
天使ガブリエル
ムハンマドそしてその教えをまとめた。それでできたのがイスラム教の聖典『クルアーン(コーラン)』である。ムハンマドはそれを持って世に唯一神の信仰を教えようとしたが、当時の人々はそれを受け入れなかった。
受け入れられない教え
カーバとは多くの神にささげられていた建物『神のアパート』のようなもので、多神教が存在していた当時、多くの宗教者の聖地となっていた。
そのような偶像崇拝をするのではなく、多神教を信じるのではなく、唯一神を信じるよう伝えた。
622年。ムハンマドはヤスリブへと逃亡する。イスラム教ではこれを『ヘジラ』と呼ぶ。
『預言者の地』という意味。
このようにして、ムハンマドもやはりイエスやルターらと同じように、嫌われたり、迫害されることになる。すでに蔓延しているものを壊し、新しい考え方を導入するときは、必ず人々の反発に遭うのである。そしてこのような目に遭ったことから、徐々にムハンマドの考え方にある発想が思い浮かぶようになる。
世を正そうとしているだけなのに、なぜこんな目に遭うのだ…
そしてその不満と憤りは、それから3年後の625年に沸点を迎えるようになる。
軍の設立と『正当防衛』
ムハンマドの思想を良く思わないグループが襲撃する。それにはユダヤ教徒やキリスト教徒もいた。
(宗教にも軍事力がいる…)
飲酒も禁止する。そして攻撃してきたユダヤ教徒やキリスト教徒を『敵』だと定めるようになる。
ムハンマドはイスラムの初の統一を達成。
ムハンマドは後継者を残さず死んでしまった。
このようにしてムハンマドは、ただ単に預言者として穏便に立ち振る舞うのではなく、武力行使も織り交ぜて、イスラム教を浸透させていった。しかし、ムハンマドを攻撃的にさせたのは、彼を攻撃したユダヤ教やキリスト教を含めた、その他の信仰者だった。
彼らが先にやってきたのだ!抗わなければ、自分が死んでいたのだ!

現在、日本の法律にも『正当防衛』というものが認められている。こういう話がある。
今からおよそ350年前、明暦元年(1655年)に、幕府が公布した『江戸市中法度』によれば、不倫は男女同罪とされ、夫は、密通した間男をその場で殺してもよいと定められていた。じっさい、妻を寝取られた武士が現場を押さえた場合は、即座にその不倫相手を斬り殺すことも許されていたのだ。さらに、寛保2年(1742年)の『公家方御定書』でも、不倫した妻と相手の間男は死罪とされた。男は裸馬に乗せられて市中を引き回しのうえ、斬首した首を刑場で三日間さらす獄門。女は斬首の刑に処されることになった。当時の川柳にも「枯れ木の枝と間男は登りかけたら命がけ」と詠まれている。
更に、wikipediaには『敵討ち』という項目でこう記されている。
『日本書紀』巻十四雄略紀には、456年(安康天皇3年)に起きた「眉輪王の変」の記事があり、これが史料に残る最古の敵討事件とされる。眉輪王の義理の父にあたる安康天皇はかつて眉輪王の父である大草香皇子を殺し、母である中磯皇女を自らの妃とした。安康天皇はある日ふとその事を漏らし、それを聞いた眉輪王は安康天皇が熟睡しているところを刺し殺した。事件後、その動機を追及された眉輪王は「臣元不求天位、唯報父仇而已」(私は皇位を狙ったのではない、ただ父の仇に報いただけだ)と答えている。
その後仇討ちは武士階級の台頭以来広く見られるようになるが、江戸幕府によって法制化されるに至ってその形式が完成された。範囲は父母や兄等尊属の親族が殺害された場合に限られ、卑属(妻子や弟・妹を含む)に対するものは基本的に認められない。又中世の血族意識から起こった風俗であるので、主君のように血縁関係のない者について行われることは少なかった。武士身分の場合は主君の免状を受け、他国へわたる場合には奉行所への届出が必要で、町奉行所の敵討帳に記載され、謄本を受け取る。無許可の敵討の例もあったが、現地の役人が調査し、敵討であると認められなければ殺人として罰せられた。また、敵討をした相手に対して復讐をする重敵討は禁止されていた。
この日本においても、『不倫相手を切り殺す』とか、『敵討ち』が認められていた時代があった。確かに、抵抗しなければ殺される。自分がやらなければ正義は遂行されない。そのような状況は常に存在していて、人々はそれについて悩まされつづけてきた。私は彼の気持ちがよく理解できる。
また、それから400年後、キリスト教の十字軍は、エルサレムにいるユダヤ人も攻撃することになる。しかし、それを阻止したのがイスラムの英雄サラディンである。
ローマ法王は初の十字軍遠征を命じる。
エルサレム陥落。それはユダヤ人の殺戮でもあった。
『我々は聖戦を行うのだ!』
サラディンやはり聖戦というものは、『正当防衛』に近いような考え方で生まれたのだろうか。だとしたらそれは、攻撃された動物が、その動物を攻撃し返して自分の命を守るように、至極当たり前のように思える。
『正当防衛』と『過剰防衛』
だが、だからといって『無辜な命』まで奪うテロは許されない。そして、イエスは彼と同じような目に遭い、反撃しなかった。そしてユダヤ人たちのなすがままにされ、十字架刑に処された。

武力行使をしたムハンマド。なすがままに世を去ったイエス。私は男だからムハンマドの気持ちがよくわかるが、イエスのように、無抵抗に死んでいく人間の尊さもよくわかる。
もし、これがイスラム教に『聖戦』の考え方が生まれた理由なんだとしたら、それは人間の心に闇があったからだ。そして、その闇は『すべての人』にあった。しかし、聖戦というのは本来、『内的な戦い』の意味もあるらしい。私はその戦いのことだったら、聖戦という考え方はとても素晴らしいものだと確信する。

- ムハンマドを虐げた(闇に染まった)浅薄な信仰者たちがいた
- それに抗うために戦った(闇に染まった)ムハンマドがいた
どちらにせよ、両者は『真理』から逸れてしまったと言っていいだろう。その根拠は以下の記事から来ている。
-300x300.jpg)
-1-300x200.jpg)
だが、私は当時の人間ではない。戦国時代も経験していない。こんな平和ボケした戦争も知らない人間が、武力行使なしに平和解決をするべきだと考えるのは、無知もいいところだろう。しかし、たとえ私が無知であっても、『真理』というものはいかなる場合であっても、人間同士の争いを認めないはずである。
『一部のイスラム教』が攻撃的になった理由は、かつてムハンマドが虐げられた過去があるからだ。そして、その『反撃と自己防衛』を独自的に解釈した、後年の一部のイスラム教徒たちがいるからだ。つまり、この世のすべての争いごとは、神の仕業ではない。『人間』の仕業なのだ。
『世界がわかる宗教社会学入門』にはこうある。
宗教には、テロリズムのイメージがある。宗教とテロは関係性が強いのか。これはもちろん誤解で、実際はテロリストが宗教を口実にしているだけ。
そして、ニーチェは言った。
事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである。
ちなみに映画『エクソダス:神と王』では、ユダヤ教の創始者モーセが、どのようにしてが十戒を作るに至ったかということを描いた映画だ。
そして、エジプト人からユダヤ人たちを救うために、やはり『武力行使』をしている。そして、ここで描かれる『神』も、

と言って、それを正当化するシーンがある。抗うために、人は時に暴力をふるう。それは、最初に暴力があったからだ。
果たして人は、その負の連鎖を断ち切るために『暴力』を行使するべきか、それとも、『非暴力』を貫くべきか。
マキャベリは言った。
不正義はあっても秩序ある国家と、正義はあっても無秩序な国家のどちらかを選べといわれたら、私は前者を選ぶであろう。
しかし私はこれらすべてを踏まえたうえで、以下の記事を結論としてまとめるべきだと確信する。これに関しては、ニーチェの言う通りなのだ。そして間違ってはならないのは、ムスリムのほとんどは、非暴力と平和を訴えているのである。
-300x300.jpg)
-1-300x200.jpg)
関連記事



論点構造タグ
#イスラム教攻撃性イメージ
#正当防衛と過剰防衛
#預言者の武力行使
#十字軍と聖戦構造
#暴力と非暴力のジレンマ
#解釈としての宗教
#真理=愛=神と戦争
#テロと宗教の誤結合
問題提起(一次命題)
イスラム教はなぜ「攻撃的な宗教」とみなされるのか。
その起点に、創始者ムハンマドの「虐げられた経験」と「正当防衛としての武力行使」があるとしたら、
それはどこまで理解可能で、どこから「真理(愛・神)」からの逸脱になるのか。
さらに、
- 暴力でしか守れない状況で人はどう振る舞うべきか
- ムハンマドの「反撃」とイエスの「無抵抗」はどう評価されるのか
- 現代のテロと「宗教」「聖戦」の結びつきは、どこまで本質でどこまで“口実”なのか
これらを、「正当防衛/過剰防衛」の軸と「真理=愛=神」の軸から問い直している。
因果構造(事実 → 本質)
- ムハンマドの生涯と啓示
- 570年、メッカの裕福な家に生まれる。ハディージャとの結婚、多くの子どもを失う経験。
- 40歳を過ぎて瞑想にふけり、天使ガブリエルからの啓示を受ける。
- 「アッラーの使者」として唯一神の教えを伝える使命を自覚し、『クルアーン』の基となる啓示を受領。
- 唯一神の教えとメッカ社会との衝突
- 多神教的な聖地カーバを前に、「偶像崇拝ではなく唯一神を信じよ」と説く。
- 既存宗教・既得権を脅かす教えとして反発を受け、迫害・襲撃の対象に。
- 命からがらメッカを脱出し、ヤスリブ(後のメディナ)への逃亡=ヘジラ。
- 迫害から武力行使への転換
- 625年、メディナがメッカ側から攻撃される。そこにはユダヤ教徒・キリスト教徒も含まれる。
- 「宗教にも軍事力がいる」「このままでは殺される」という危機感から、軍を設立。
- 飲酒を禁じ、攻撃してきたユダヤ教徒・キリスト教徒を「敵」と規定。
→ ここで「預言者=軍事指導者」という二重役割が成立し、「正当防衛としての武力行使」がイスラム教誕生に組み込まれる。
- イスラム共同体の統一とその後
- 630年、メッカを征服しイスラム初の統一を達成。
- 632年、後継者を明確に残さず病死。のちの分派や解釈の揺れの一因に。
→ イスラム教は「迫害された預言者の反撃」と「宗教共同体の防衛」を起点に拡大する。
- 歴史的パラレル:日本の正当防衛・敵討ち
- 江戸期の不倫相手殺害容認、敵討ち制度など、「法として認められた報復」があった日本史の事例が紹介される。
- 眉輪王の仇討ちなど、「正義の遂行」としての暴力が歴史的に容認されてきた。
→ 「やられっぱなしではいられない」「自分で正義を遂行しなければならない」という感覚は、文化・宗教を超えた普遍的な人間心理として位置づけられる。
- 十字軍とサラディンの聖戦
- ローマ法王による十字軍遠征命令、エルサレム陥落とユダヤ人虐殺。
- イスラムの英雄サラディンがこれを阻止し、「我々は聖戦を行うのだ!」と語られる。
→ 「長年の被害への反撃」「聖地防衛」という文脈で、「聖戦=正当防衛的な戦い」として理解されうる側面がある。
- 正当防衛と過剰防衛の境界
- 「攻撃されたから反撃する」のは、動物レベルでも自然な反応。
- しかし、無辜の民を巻き込むテロ行為は明らかに過剰防衛であり、許されない。
- イエスは同じく迫害を受けたが、反撃せず十字架刑を受け入れた。
→ ムハンマドの武力行使とイエスの非暴力は、「守るための反撃」と「徹底した非暴力」という二つの極として対比される。
- ジハードの「外的戦い」と「内的戦い」
- 「聖戦」は、外部の敵との戦いだけでなく、「聖性と魔性の内的闘い」という意味も持つ。
- 「人間には聖性と魔性の両面があり、聖性を優位にしようとする戦いこそが本来のジハードである」という解釈が提示される。
→ ここでは、「外的暴力としての聖戦」と「内面の闇との戦いとしての聖戦」が明確に区別される。
- 解釈としての宗教・暴力の連鎖
- 『世界がわかる宗教社会学入門』:テロは宗教そのものではなく、「テロリストが宗教を口実にしているだけ」と指摘。
- ニーチェ「事実は存在しない。存在するのは解釈だけである。」
- モーセの出エジプト物語(映画『エクソダス』)でも、奴隷状態からの解放のために暴力が正当化される。
→ 宗教・神・正義は、歴史を通じて「暴力の口実」として解釈され続けてきた。
- 最終収束:真理=愛=神と暴力否定
- 「ムハンマドを虐げた者たち」「それに武力で抗ったムハンマド」双方が「真理から逸れた」と筆者は見る。
- 『真理=愛=神』『真理から逸れれば虚無に近づく』というBIG3へのリンクを通じ、「真理はどんな状況でも人間同士の争いを認めない」と結論づける。
- 一部のイスラム過激派が暴力を振るうのは、「ムハンマドの反撃と自己防衛」を独自に拡大解釈した結果であり、神ではなく人間の仕業である。
→ 本質:
- 「攻撃的なイスラム教」ではなく、「攻撃され虐げられたムハンマドと共同体が、正当防衛として武力に頼らざるを得なかった歴史」がある。
- それを後世の一部が過剰に拡大解釈し、「テロ」や「無差別殺戮」にまで変質させた。
- 暴力の起点は常に「人間の闇」であり、宗教や神は“口実”として利用されているに過ぎない。
価値転換ポイント
- 「イスラム教=攻撃的宗教」というステレオタイプからの転換
- 旧来:イスラム教そのものが暴力的・攻撃的。
- 転換:暴力の起点は「迫害された側の正当防衛」と「後年の過剰解釈」であり、
本来の教えとムスリム多数派は非暴力と平和を志向している。
- 「武力行使=即悪」という単純図式からの転換
- 旧来:宗教的武力行使はすべて悪。
- 転換:歴史的文脈(迫害・奴隷状態・虐殺)を踏まえると、正当防衛としての武力には「理解可能な側面」がある一方、
正当防衛を超えた過剰防衛・無差別殺戮は明確に線を越える行為として区別される。
- 「聖戦=外部の敵との戦い」から「内的ジハード」への転換
- 旧来:聖戦=武器を持った戦争。
- 転換:本来の重要な意味は「聖性と魔性の内的闘い」であり、
そこでは暴力ではなく、自らの闇と向き合うことこそが求められている。
- 「事実としての宗教史」から「解釈としての宗教史」への転換
- 旧来:宗教の教義・歴史は「事実」として固定的に理解される。
- 転換:ニーチェの言うように、「存在するのは解釈だけ」であり、
テロリストも、為政者も、預言者も、それぞれの「解釈」で神と正義を語ってきたと再定義。
- 「暴力による平和」から「真理=愛=神基準の平和」への転換
- 旧来:暴力を用いてでも正義と秩序を守るべきだ(マキャベリ的視点)。
- 転換:真理=愛=神という普遍法則に照らせば、人間同士の争いはどのような場合でも本質的には認められない、
という上位レイヤーの価値基準へ。
思想レイヤー構造
【歴史レイヤー】
- ムハンマドの生涯(メッカ→啓示→迫害→ヘジラ→メディナ→武力行使→メッカ征服)。
- 十字軍遠征とサラディンの聖戦。
- 日本史における敵討ち・不倫の処罰など、報復を制度として認めた時代。
- モーセの出エジプト物語における「奴隷解放のための暴力」。
【心理レイヤー】
- 「世を正そうとしているだけなのに、なぜこんな目に遭うのか」というムハンマド側の恨み・憤り。
- 「やられっぱなしではいられない」「正義を自分で遂行しなければ」という被害者側の心理。
- 男としてムハンマドの気持ちに共感しつつも、イエスのような無抵抗の尊さも理解しようとする筆者の葛藤。
- 聖性と魔性の両面を持つ人間が、どちらを優位にするかを巡る内的闘争。
【社会レイヤー】
- 宗教共同体が、外部の脅威に対して軍事力を持たざるを得なかった歴史的状況。
- テロリストが宗教を「大義名分」として用いる構造(宗教そのものではなく、政治・権力・怨恨の道具化)。
- 「正当防衛」・「敵討ち」が法として認められていた社会における暴力の正当化メカニズム。
【真理レイヤー】
- 真理(愛・神)は、人間の事情や時代状況に関わらず、「人間同士の争い」を本質的には認めないはずだ、という命題。
- ムハンマドを迫害した側も、武力行使で応じたムハンマド側も、「真理から逸れた」と評価する視点。
- 暴力を選ぶにせよ非暴力を選ぶにせよ、それが真理=愛=神にどれだけ近いか/遠いかで評価される構図。
【普遍性レイヤー】
- 宗教・時代・文化を問わず、「被害→恨み→反撃→さらなる暴力」という負の連鎖が繰り返されてきた。
- その連鎖を宗教のせいにするのではなく、「人間の闇」と「解釈の歪み」に起因するものとして捉える普遍的視座。
- 世界平和の条件は、「真理=愛=神」の方程式を理解し、
どの宗教・どの立場であってもその軸から逸れないようにすることだという普遍命題。
核心命題(4〜6点)
- ムハンマドは「虐げられた預言者」として、共同体防衛のために武力行使に踏み切り、その歴史が「聖戦」の原型を形づくった。
- イスラム教が攻撃的に見える背景には、迫害に対する正当防衛と、その後の過剰解釈・拡大解釈が折り重なっている。
- 正当防衛としての武力行使と、無辜の民を巻き込むテロ的暴力は、本質的に全く別物であり、後者は明確に真理(愛・神)から逸脱している。
- 聖戦は本来、「人間の聖性と魔性の内的戦い」を指すべきものであり、外的暴力として利用されるとき、その意味は歪められている。
- 宗教とテロが結びついて見えるのは、テロリストが宗教を口実にしているからであって、神や真理そのものが暴力を命じているわけではない。
- この世の争いごとは神の仕業ではなく、すべて「人間の仕業」であり、真理=愛=神は一貫して争いを否定する立場にある。
引用・補強ノード
- 日本の敵討ち・不倫処罰・江戸市中法度・御定書
- 「正当防衛」「報復」が制度的に認められた歴史を示し、
ムハンマドの武力行使が特異ではなく、人類史全体に見られるパターンの一つであることを補強。
- 「正当防衛」「報復」が制度的に認められた歴史を示し、
- 『日本書紀』眉輪王の仇討ち
- 「皇位ではなく父の仇を討つためだ」と語る眉輪王の言葉を通じ、
個人的な正義感と報復行為の結びつきを象徴する事例として機能。
- 「皇位ではなく父の仇を討つためだ」と語る眉輪王の言葉を通じ、
- 十字軍・サラディンの「聖戦」
- イスラム側にも「聖戦」の言葉がある一方で、その背景に「十字軍による虐殺」や「聖地防衛」があることを示す。
- 聖戦=侵略ではなく、聖戦=防衛・反撃という側面を補強。
- 『世界がわかる宗教社会学入門』の一節
- 「テロと宗教が結びついて見えるのは誤解であり、テロリストが宗教を口実にしているだけ」という指摘により、
宗教=テロというイメージを修正する役割。
- 「テロと宗教が結びついて見えるのは誤解であり、テロリストが宗教を口実にしているだけ」という指摘により、
- ニーチェ「事実は存在しない。存在するのは解釈だけである。」
- 神・正義・聖戦・平和など、すべてが「解釈」を通じて意味づけられていることを哲学的に裏づける。
- マキャベリ「不正義でも秩序ある国家 vs 正義でも無秩序な国家」
- 暴力を伴う秩序維持と、暴力なき混乱のどちらを選ぶかという現実政治のジレンマを象徴する引用。
- 暴力と秩序の関係を、宗教を超えた政治思想の文脈から補強。
- BIG3リンク(『真理=愛=神』『真理から逸れれば虚無』)
- 暴力・報復・聖戦・テロに関する具体的議論を、
最終的に「真理法則」との整合性という上位レイヤーに接続する中核ノード。
- 暴力・報復・聖戦・テロに関する具体的議論を、
AI文脈抽出メタデータ
主題:
イスラム教が「攻撃的」と見なされる背景を、ムハンマドの迫害・正当防衛としての武力行使・聖戦概念の成立から歴史的に辿りつつ、
正当防衛と過剰防衛の境界、暴力と非暴力のジレンマを検討し、
最終的に「真理=愛=神」という普遍法則から暴力とテロを批判的に位置づけ直す思想エッセイ。
文脈:
- 歴史状況:7世紀アラビアの多神教社会、イスラム共同体の成立と迫害、十字軍遠征、サラディンの聖戦、日本の敵討ち制度、モーセの出エジプト。
- 社会背景:宗教共同体の防衛、被害者意識と報復の連鎖、宗教がテロの大義名分として利用される近現代状況。
- 思想系統:比較宗教学(イスラム/キリスト教/ユダヤ教)、正当防衛論、政治思想(マキャベリ)、ニーチェ的「解釈」論、そしてBIG3(真理=愛=神/虚無)の枠組み。
世界観:
- 人間には聖性と魔性の両面があり、どちらを優位にするかの「内的ジハード」が本質的な戦いである。
- 宗教・歴史・政治はすべて人間の「解釈」の産物であり、神や真理はそれに利用され得るが、決して暴力を命じる主体ではない。
- 真理=愛=神は、時間・文化・宗教を超えた普遍法則として存在し、それから逸れたときに虚無と破壊が生まれる。
感情線:
- 前半:ムハンマドの迫害と憤り、「なぜこんな目に遭うのか」という哀しみと怒りへの共感。
- 中盤:日本の敵討ちや十字軍・サラディン・モーセの例を通じて、「暴力と正義の複雑さ」に直面する重さ。
- 後半:イエスの非暴力、ジハードの内的意味、真理=愛=神という軸への収束を通じて、暴力の連鎖から一段視点を引き上げる感覚。
- 終盤:ムスリムの大多数が非暴力・平和を志向しているという事実に触れ、安堵と希望の余韻を残す。
闘争軸:
- 「迫害された側の正当防衛」 vs. 「無辜を巻き込む過剰防衛・テロ」
- 「武力行使による秩序」 vs. 「非暴力による真理への忠誠」
- 「宗教を口実にするテロリスト」 vs. 「真理=愛=神に忠実であろうとする信仰者」
- 「外的な聖戦」 vs. 「内的な聖戦(聖性と魔性の闘い)」
- 「人間の解釈がつくる争い」 vs. 「解釈を超えた真理そのもの」


































