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功利主義の思想と限界:ベンサムとJ.S.ミル、最大幸福原理の課題

ハニワくん

先生、質問があるんですけど。

先生

では皆さんにもわかりやすいように、Q&A形式でやりとりしましょう。


いくつか質問があるんだけど、わかりやすく簡潔に教えて!

1.ベンサムは何をした人?
2.ジョン・スチュアート・ミルは何をした人?

1.『功利主義』という効用と利益を最も重視する考え方を主張した人です。
2.ベンサムのその哲学を完成させた人です。


ハニワくん

なるほど!

博士

も、もっと詳しく教えてくだされ!


『全体の幸福のために何人かの幸福を制限する』のが功利主義の基本です。

これは全体的に考えるととても合理的な考え方です。例えばサッカーやなんかのスポーツで、『よく得点を決める子』と『全く活躍しない子』がいた場合、多くの監督は全者をスタメンに入れて試合に出し、得点を決めやすいポジションに決めます。そして後者は最悪試合には出られません。そういう時に考えられているのもこの『功利主義』です。その采配によって結果的に試合で得点を決め、試合に勝てば、『試合に勝つ』というスポーツの世界において成り立つことになります。もちろん、『活躍しない子を切る』という部分に問題点がありますが、一つ、このような考え方があるということですね。


博士

うーむ!やはりそうじゃったか!

ハニワくん

僕は最初の説明でわかったけどね!

先生

更に詳しく知りたい方は、以下の記事をご覧ください。

目次

オックスブリッジ学派

 

上記の記事の続きだ。上記の記事までに様々な『半啓蒙主義の哲学者』について考えたが、同じころオーストリアの首都ウィーンに哲学者が集まり、『ウィーン学派』というものを作っていた。彼は実用的なものを重視し、形而上的なものを軽視した。プラトンのような抽象的な考え方から脱しようと試みていたのだ。

 

 

それはイギリスも同じだった。オックスフォードとケンブリッジを合わせた、いわゆる『オックスブリッジ学派』が作られた。だがそれはウィーン学派のような正式な学派ではなかったが、どちらにせよ彼らもプラトン哲学を脱するために、現実的で実用的な面に焦点を合わせて考えた。1800年頃。時代がそういう流れにあった。

 

 

功利主義

この頃のイギリスは、資本主義が最も早く勃興した背景もあって、『功利主義』という効用と利益を最も重視する考え方が発達していた。功利主義は、ジェレミー・ベンサムが主張し、ジョン・スチュアート・ミルによって完成された。

 

[ジョン・スチュアート・ミル]


功利主義のキーワードはこうだ。

 

STEP
人間は誰でも自分の幸福を追求する
STEP
だが個人の利益追求は他者とかち合うことが多い
STEP
こうしたことが頻発すると社会全体が損害を受ける
STEP
法でうまく調停する
STEP
社会全体の幸福を増進させ、この幸福を分配するのが望ましいと考える。

 

この結果を『最大多数の最大幸福』と言う。つまり、『法による人工的な采配で、みんなが平等に幸福になる』というわけだ。だがここには問題がある。例えば、100億円の軍資金がある。それを、功利主義的に、『最大多数の最大幸福』を軸にして考えて、1万人いる社員全員に投資するとする。

 

 

吉本興業の例

吉本興業で考えてみよう。芸人が1万人いるとする。しかし、トップは数えるほどしかいない。『ショートヘッド』と『ロングテール』である。

 

(縦:売り上げ 横:芸人)

 

一番左にいるわずかな人たちだけで、吉本興業の売り上げのほとんどを上げているのがわかる。そして、『その他大勢の芸人』たちが、細々とした売り上げを上げている。この一番左の僅かな人たちが『ショートヘッド(頭の短い部分)』であり、それ以降の右にズラーっと並んでいる人たちが『ロングテール(長いしっぽ)』である。

 

吉本興業におけるショートヘッドとロングテール

ショートヘッド明石家さんま、ダウンタウン他
ロングテール売れない芸人たち

 

確かに、ロングテールをかき集めて縦にすれば、明石家さんまとダウンタウンの売り上げに並ぶことになる。だが、吉本興業の場合はそうとも言えないだろう。Amazonなんかの商品で考えるとこのロングテールも武器になるが、吉本の売れない芸人たちの売り上げを1万人分集めても、彼らに匹敵する売り上げを上げることはできないかもしれない。

 

だが、給料は違う。1万人×5万円だったとした場合、それだけでもう『5億円』だ。吉本は売り上げと芸人の数の調整が合っていないので、ロングテールになればなるほど、給料は低いか、あるいは出ないことも覚悟しなければならない。

 

そう考えたとき、吉本にある軍資金はどこに使うべきか。単純に考えると、『全員』となる。しかし、明石家さんまやダウンタウンの番組に経費をかけたほうが、よほど費用対効果(コストパフォーマンス)が高いわけだ。

 

 

実は『最大多数の最大幸福』というのは『最大の幸福を作り出す』のが目的なので、このような事実がある以上、ショートヘッドに投資をしたほうがいい、という結論が出てしまうことになるのだ。『全体の幸福のために何人かの幸福を制限する』という考え方の正当化に繋がるわけである。

 

パレートの法則

パレートの法則』で考えてみよう。

 

パレートの法則

世の中の大体のことが8:2(7:3とか)に分かれている、という法則。

 

 

パレートの法則の例

  • ビジネスにおいて、売上の8割は全顧客の2割が生み出している。
  • 商品の売上の8割は、全商品銘柄のうちの2割で生み出している。
  • 売上の8割は、全従業員のうちの2割で生み出している。
  • 仕事の成果の8割は、費やした時間全体のうちの2割の時間で生み出している。
  • 故障の8割は、全部品のうち2割に原因がある。
  • 住民税の8割は、全住民のうち2割の富裕層が担っている。
  • プログラムの処理にかかる時間の80%はコード全体の20%の部分が占める。
  • 全体の20%が優れた設計ならば実用上80%の状況で優れた能力を発揮する。

 

同じことである。この『売上の8割は、全従業員のうちの2割で生み出している』事実を考えたとき、『2割側(ショートヘッド)』に投資をした方が、費用対効果を得られるという事実から、功利主義的な考え方をすると、

 

まあ、『最大の幸福』を得るためには、何人かの幸福が犠牲になるのは仕方ないよな

 

ということになってしまうわけである。確かに、このような考え方が通用するシーンはあるだろう。私もビジネスをやる人間として、その通りだと考えられるところがある。だが、あくまでも『シーンがある』だけで、人生で起こりうるすべての問題に対してこの考え方を当てはめるのは、いささか首をかしげざるを得ないことになる。

 

 

パーカーを殺して食べた友人

マイケル・サンデルの著書、『これからの「正義」の話をしよう』にはこうある。

『最大幸福原理』ー功利主義

『これからの「正義」の話をしよう(P44)』

1884年の夏、4人のイギリス人の船乗りが、陸から1000マイル(約1800キロメートル)あまりも離れた南大西洋の沖合を、小さな救命ボートで漂流していた。乗っていたミニュネット号が、嵐の中で沈没し、4人は救命ボートで脱出したのだった。持っている食料はカブの缶詰二個だけで、飲み水はなかった。トーマス・ダドリー船長、エドウィン・スティーブンズ一等航海士、甲板員のエドムンド・ブルックー『みんな優れた人格の持ち主』だと新聞は書いている。

4人目の乗組員は雑用係のリチャード・パーカーで、17歳だった。パーカーは孤児で、長期の航海は初めてだった。友人たちの忠告に逆らい、『若者らしい大志を抱いて』契約にサインしたのは、この度が自分を一人前の男にしてくれると思っていたからだ。しかし残念ながらそうはならなかった。

 

 

途方に暮れた4人は、船が通りかかり、自分たちを救出してくれることを念じながら、救命ボートから水平線のかなたを見つめていた。最初の三日間は、カブを分けあって食べた。4日目にウミガメを一匹捕まえた。その後の数日間は、ウミガメと残りのカブで飢えをしのいだ。それから8日間は、食べるものは何もなかった。

そのころには、雑用係のパーカーは救命ボートの隅で横になっていた。パーカーはほかの者の忠告にもかかわらず海水を飲み、体調を崩していた。死にかけているように見えた。厳しい試練の日々が19日目を迎えた時、船長はくじ引きで、誰か死ぬべき者を決めようと提案した。そうすれば、ほかの者は生き延びられるかもしれない。だが、ブルックが反対し、くじ引きは行われなかった。

翌日になった。尚も船の姿は見えなかった。ダドリー船長はブルックに目を逸らしているように言い、スティーブンズにパーカーが死ぬべきだと身振りで合図した。ダドリーは祈りを捧げ、パーカーに最後の時が来たと告げると、折り畳みナイフで頸動脈を刺して殺した。良心からパーカー殺害に加担することを拒否していたブルックも、おぞましい恵みの分け前にあずらった。三人の男たちは、4日間、雑用係の少年の肉と血で命を繋いだ。

(中略)三人の生存者は救助された。イギリスに戻ると三人はただちに逮捕され起訴された。 ブルックは検察側証人になった。ダドリーとスティーブンズは裁判にかけられた。二人はパーカーを殺し、食べたと臆することなく証言した。自分たちはやむにやまれずそうしたというのだ。

 

4人のイギリス人の船乗りのうち3人が生き延びれた理由は、パーカーという仲間を殺して食べたからだ。もちろん、そういう究極的な場面でもあった。パーカーが海水を飲み、体調を崩していて、死にかけているようにも見えた。だから、生き延びるために彼を殺して食べるしかなかったのだ。『全体の幸福のために何人かの幸福を制限する』、『最大多数の最大幸福』、つまり功利主義的に考えたのである。

 

だがこの話には、例えばこういう問題が存在する。

 

  1. パーカーが孤児だったから良かったのか
  2. パーカーは無抵抗だった
  3. パーカーの同意はなかった
  4. 世紀の裁判を得ないリンチに等しくもあった
  5. 人間を食べた

 

彼ら3人の行動が正当化されてしまって、本当にいいのか。正義、道徳、倫理、このような問題を考えさせられるシーンが、功利主義を遂行した延長線上に存在するのである。

 


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論点構造タグ

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  • #ショートヘッド集中投資と少数切り捨て
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  • #個人の尊厳vs幸福総量の計算
  • #「合理性」と「正義」の決定的断絶

問題提起(一次命題)

「ベンサムとJ.S.ミルが打ち立てた『功利主義=最大多数の最大幸福』は、
ビジネスや制度設計の場面では強力な“合理性の物差し”として機能する一方で、
吉本興業のショートヘッド/ロングテール構造やパレートの法則、
さらには『パーカーを殺して食べた友人たち』の事例と重ね合わせていくとき、
その内側には、少数者の尊厳を“計算式の外”に追いやる深い闇があるのではないか──
『全体の幸福のために何人かの幸福を制限する』という考え方は、
どこまで許され、どこから決定的に“正義ではなくなる”のか。」


因果構造(事実 → 本質)

  • 事実:産業革命期のイギリスで資本主義が急速に勃興し、効率・利益・実用性が強く求められた。
  • 事実:その文脈の中で、ベンサムは「効用の最大化=幸福の最大化」を掲げ、ミルがそれを洗練させて『功利主義』として完成させた。
  • 事実:功利主義は、「人間は皆、自らの幸福を求める」「しかし個人の利益追求は衝突する」「だから法や制度が全体の幸福を調停・分配すべき」という筋道を取る。
  • 事実:吉本興業の例のように、現実の収益構造は「ショートヘッド(ごく少数のトップ)」が大半の売上を叩き出し、「ロングテール(その他大勢)」は低収入に甘んじる形になっている。
  • 事実:パレートの法則が示す「8:2(成果の大半はごく一部が生み出す)」という経験則は、ショートヘッド集中投資の合理性を裏づける。
  • 事実:そのロジックをそのまま倫理に持ち込むと、「全体の幸福を最大化するためには、一部の犠牲・切り捨てはやむを得ない」という結論が自然に導かれてしまう。
  • 事実:パーカー事件では、極限状況の中で「3人が生き残るために、1人(しかも孤児で弱っている少年)を殺して食べる」という決断が功利主義的に“正当化”されうる構図として提示される。

本質:

  • 「幸福の総量」を唯一の指標に据えると、
    “誰が”どのように犠牲になっているのか/その人の同意や尊厳はどう扱われているのか
    という決定的な論点が、計算式の外に押し出されてしまう構造がある。
  • ビジネス領域や一部の意思決定場面で有効な「効率の物差し」が、
    人間そのものを扱う倫理領域にまで無批判に拡張されると、
    「多数のためなら少数を切り捨ててもよい」という暴力的な正当化装置に変貌し得る。

価値転換ポイント

  1. 「みんなに均等に投資」→「成果を生む少数に集中投資」
    • 吉本興業のショートヘッド/ロングテールやパレートの法則を前提にすると、
      「全員に平等に資源を配る」より「トップ層に集中投資したほうが全体の成果=幸福総量は大きくなる」という価値反転が起こる。
  2. 「少数者も守るべき対象」→「少数者は“仕方ない犠牲”」
    • 「最大多数の最大幸福」というスローガンの下で、ロングテール側・弱者側は、
      「全体の結果を良くするためにはある程度切り捨てても仕方ない」という扱いに転落しやすくなる。
  3. 「人間は誰もが目的」→「人間は幸福総量を増やすための“変数”」
    • カント的な「人間は目的であって手段ではない」という視点から見ると、功利主義は、
      人間を“幸福計算の変数”として配置し直す危険な価値転換を含んでいる。
  4. 「極限状況でも人間の尊厳は守られるべき」→「極限状況なら殺害と食人も正当化されうる」
    • パーカー事件のように、
      「生存者3人の命を救うために、弱い1人を殺して食べる」という判断が、
      「最大多数の最大幸福」として“正義”に近づいてしまうという倫理の反転が生じる。
  5. 「合理性=善」→「合理的でも“正義ではない”領域がある」
    • 費用対効果の観点からは正しいように見えても、
      「人をどこまで手段化してよいか」という問いの前では、
      合理性と正義は一致しないことが露わになる。

思想レイヤー構造

【歴史レイヤー】

  • 産業革命期イギリス:
    • 急速な資本主義の発展により、「効率」「利益」「実用性」が最重要視される時代背景。
  • ベンサム/ミル:
    • 「効用」「幸福」を数量的に捉え、政治・法・倫理の基準を一本化しようとした近代思想の流れ。
  • オックスブリッジ学派・ウィーン学派:
    • プラトン的形而上学から距離を取り、「実証性」「現実の問題解決」を重んじる潮流。
  • サンデルの正義論:
    • パーカー事件などを用いて、「功利主義的発想では捉えきれない正義」を再検討する現代の文脈。

【心理レイヤー】

  • 多数派心理:
    • 「自分が多数側にいる限り、この仕組みは合理的で心地よい」という安心感。
  • 少数派心理:
    • 「役に立たない側」「切り捨てられる側」として扱われることへの屈辱・不安・恐怖。
  • 極限状態の心理:
    • 飢餓・孤立・絶望の中で、「倫理」より「生存本能」が前景化し、
      「多数の命を救うためなら少数の命を犠牲にしてもよい」と自分を説得してしまう心理構造。

【社会レイヤー】

  • 企業・組織:
    • 売上の大半を生み出すトップ数%にボーナスやリソースを集中し、
      その他大勢を低賃金・不安定雇用に置く構造の正当化に“功利主義的”な発想が使われやすい。
  • 政治・公共政策:
    • 「社会全体としての効率」「財政」「多数派の支持」を理由に、
      少数派・弱者・マイノリティへの負担集中や権利制限が正当化される危険。
  • 法と裁判:
    • パーカー事件のような極端な事例を通じて、
      「多数の命を救うためなら殺害が許されるのか」という境界線が問われる。

【真理レイヤー】

  • 「幸福総量」という概念の限界:
    • 幸福は主観的・質的なものであり、単純な足し算で扱える“量”ではない。
    • そのため、「幸福総量を最大化すればそれが真理だ」とは言えない。
  • 人間の尊厳:
    • 「誰かを単なる手段として扱った瞬間に、真理から逸脱している」という視点。
    • パーカー事件において、少年の人格・同意・背景(孤児であることなど)が切り捨てられている点に真理からのズレが現れる。

【普遍性レイヤー】

  • あらゆる時代・社会で繰り返される構図:
    • 「戦争」「経済政策」「企業合理化」「医療資源配分」など、
      多数の利益を理由に少数を犠牲にする論理は、形を変えながら普遍的に出現する。
  • 普遍的な警告:
    • 「多数派の歓心を買う“合理性”」と「普遍的な正義・尊厳」はしばしば緊張関係にあり、
      後者を見失うと、文明は静かに暴力的になる。

核心命題(4〜6点)

  1. 功利主義は、「幸福総量」という一見中立な物差しによって、少数者の犠牲を構造的に見えにくくしてしまう危険を孕んでいる。
  2. ショートヘッド/ロングテール構造やパレートの法則と結びつくと、「成果を生まない多数」「弱い個人」を切り捨てることが、合理性の名の下に正当化されやすくなる。
  3. パーカー事件は、「極限状況において功利主義が人間の命と尊厳をどこまで踏みにじりうるか」を生々しく示す象徴的なケースである。
  4. ビジネスや政策の一部領域で有効な“効率の論理”を、そのまま倫理・正義の領域に拡張すると、「合理的だが正しくない」判断が大量生産される。
  5. 人間を“幸福計算の変数”として扱う発想に対し、「人間は目的であり手段ではない」という軸を取り戻さなければ、功利主義は必ずどこかで暴力へと転化する。
  6. ゆえに、功利主義は現実の意思決定の一ツールとしては参照し得ても、「正義や真理の最終基準」として据えることはできない、という限界認識が不可欠である。

引用・補強ノード

  • ジェレミー・ベンサム/ジョン・スチュアート・ミル
    • 功利主義の理論的源流と完成形。
    • 「最大多数の最大幸福」というスローガンの思想的出所。
  • オックスブリッジ学派・ウィーン学派
    • 抽象的形而上学から離れ、実用性・効率・明晰さを求めた近代哲学の潮流としての補強。
  • 吉本興業のショートヘッド/ロングテール例
    • 少数のトップが大半の売上を叩き出す構造と、その他大勢の低収入構造を可視化する実例。
  • パレートの法則(8:2則)
    • 成果や富、故障など多くの現象が「少数が大部分を占める」ことを示す経験則として、
      ショートヘッド集中投資の“合理性”を補強するノード。
  • マイケル・サンデル『これからの「正義」の話をしよう』/パーカー事件
    • 「少年1人を殺して食べて3人が生き延びることは正義か?」という問いを通じ、
      功利主義の限界と恐ろしさを具体的に照らし出す現代的テキスト。

AI文脈抽出メタデータ

主題:
功利主義(最大多数の最大幸福)が、産業資本主義・ショートヘッド/ロングテール構造・パレートの法則・パーカー事件などと結びつくとき、
どのようにして「少数者の犠牲」「人間の尊厳の軽視」を合理的に正当化してしまうか、その構造的闇を検証する。

文脈:

  • 歴史状況:産業革命・資本主義勃興期のイギリス、効率・利益重視の思想潮流。
  • 思想系統:
    • ベンサム/ミル(功利主義・幸福総量の最大化)
    • オックスブリッジ学派/ウィーン学派(実用性・明晰さの追求)
    • サンデルの正義論(功利主義批判と正義の再検討)。

世界観:

  • 「何が正しいか」を「幸福総量」「効率」「費用対効果」といった量的指標だけでは決められないという立場。
  • 人間は、成果や数値に還元できない尊厳を持つ存在であり、
    その尊厳を守る原理は、効率や多数決とは別の次元に位置しているという見方。

感情線:

  • 功利主義の説明を聞いたときの「なるほど、合理的だ」という納得 →
  • 吉本興業やパレートの法則に当てはめたときの「ビジネスとしてはわかる」という理解 →
  • それを人間の生死・尊厳にまで適用したときに生じる強い違和感・嫌悪感 →
  • パーカー事件の具体的描写による衝撃と、「それでも功利主義的には正当化されてしまうのか」という戦慄 →
  • 「合理性」と「正義」は別物だという静かな確信へ。

闘争軸:

  • 「効率・成果の最大化」 vs 「個人の尊厳・不可侵性」
  • 「多数派の利益」 vs 「少数派・弱者の保護」
  • 「合理的な判断」 vs 「本当に正しい判断」
  • 「幸福総量という数値」 vs 「数値化できない人間の価値」
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