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フーコーと主体性:権力・知・規律が人間の可能性に与える影響

ハニワくん

先生、質問があるんですけど。

先生

では皆さんにもわかりやすいように、Q&A形式でやりとりしましょう。


いくつか質問があるんだけど、わかりやすく簡潔に教えて!

1.ミシェル・フーコーは何をした人?
2.ジャック・デリダは何をした人?

二人とも『ポスト・モダニズム』の時代として過去の哲学を否定した人です。


ハニワくん

なるほど!

博士

も、もっと詳しく教えてくだされ!


ポスト・モダニズム』の記事と合わせて読むと理解が早くなります。

まず時代的に戦争等が起こって多くの人々の思想に大きな影響を与えました。そこで、その記事で書いた人、あるいは今回出てくるフーコーやデリダといった人物たちが中心となり、『新しい哲学(現代哲学)』を考えるようになりました。

フーコーは、『逆らうと処刑する!』と言われていた近代までの時代と比べ、自由になったのはいいが、今度は『この常識に従わないと生き残れないぞ!』という脅しを受け、『規格化された人々』が増えてしまったことを懸念しました。つまり、主体性がなくなってしまったと言ったのです。デリダは昔の哲学が『上下関係がある』と言って、そこに当然のようにあった『差別』の感覚が古いと指摘しました。

このようにしてポスト・モダニズムの哲学は行われたわけですが、『現代哲学』は『過去の否定』だけして、『未来をどうするべきか』と主張していません。哲学はまだまだ発展途上にあるのです。


博士

うーむ!やはりそうじゃったか!

ハニワくん

僕は最初の説明でわかったけどね!

先生

更に詳しく知りたい方は、以下の記事をご覧ください。

目次

人間の主体性と可能性の埋没


上記の記事の続きだ。戦争という人類史上最大の失態と新しい局面を通し、人間の思考も大きく変化した。そして、マルクーゼやリオタールといった哲学者が、人間の主体性と可能性の埋没について警鐘を鳴らした。そして、フランスの哲学者ミシェル・フーコーも同じようなことを考えた。


[ミシェル・フーコー]


各人の誕生年

マルクーゼ1898年
サルトル1905年
レヴィ・ストロース1908年
リオタール1924年
フーコー1926年


生の恐怖

近代の人間には一見して『主体性』があるが、実際には今まで出てきた考えと同じで、そうではないと。近代以前の権力者は、


逆らうと処刑するぞ!


として『死の恐怖』で人を操ったが、近代は、


この常識に従わないと生き残れないぞ!


という昔とは違った角度で、人を操るようになった。つまり『生の恐怖』を煽るようになったのだ。これをフーコーは、功利主義の哲学者ジェレミー・ベンサムが好感した『一望監視施設(監獄)』を引き合いに出した。まず、普通の刑務所はこういう感じである。



この場合、看守が一つ一つの房を見て回らなければならない特徴がある。だが、『一望監視施設』ではこうなる。大きな画像は出典元を見てもらいたい。



『監視者の姿は見えないが、囚人は監視者不在時でも監視を意識する』とある。囚人は常に、監視者に見張られているプレッシャーとストレスを強いられることになるわけだ。たとえ監視者が寝ていたとしても、囚人にはそれが見えないのだ。フーコーはこの例を持ち出し、近代社会がこの一望監視施設のような状態になっていると指摘する。これが『生の恐怖』が煽られていると言った理由なのである。


  • 職場
  • 学校
  • 軍隊


どこにいても人々は『規格化』されることになる。



するとどういう人間が生まれるようになるか。例えば以下の記事に書いたような『東大生』のような人々である。東大生ならまだいいが、多くの場合はそうではない。つまりそこにいるのは『規格化された人々』であり、それは=主体性のない人々なのである。



こう考えると今も昔も人間などそうたいして変わっていないように見えるが、このように、主体性のない人々に対して警鐘を鳴らし、人類の潜在能力の埋没に首をかしげるようになったのは、一つの進化と言えるだろう。



この動画が表すように、現在でもまだ名残は消えていないが、人間同士の不要な格差や身分差別をなくし、多様性と個々の主体性を尊重する流れがあるのは間違いない。


オリエンタリズム

例えば、ジャック・デリダはオリエンタリズムを批判した。



各人の誕生年

マルクーゼ1898年
サルトル1905年
レヴィ・ストロース1908年
リオタール1924年
フーコー1926年
デリダ1930年


白人の傲慢がそこに存在したのだ。デリダは、啓蒙主義以降の西洋合理主義を批判した。彼の哲学を『解体主義(脱構築)』と呼んだ。


オリエンタリズム

世界を西洋と東洋に分けて考える考え方。トルコから日本を含めた東洋(オリエント)を馬鹿にし、ヨーロッパを世界の中心と考える傲慢。


[ウジェーヌ・ドラクロワの「アルジェの女達」。退廃的で官能的でもある、この作品は西ヨーロッパ人の持った東方世界のイメージの現れ]


始源論『無知と傲慢の上に成り立つ哲学』

西洋の哲学は『始源論』であると。始源論とは、


  • プラトン⇒イデア
  • アウグスティヌス⇒神
  • デカルト⇒コギト
  • ヘーゲル⇒絶対精神


と以前の哲学者たちが『求めたもの』、『見た方向にあったもの』は虚構に過ぎないという考え方だ。確かにそれらの存在を証明することはできない。デリダは西洋哲学が、『無知と傲慢の上に成り立つ哲学』だと批判した。まずこれらの存在は対立していて、それは左右ではなく『上下』である。



例えばプラトンの『イデア』は、個体よりも上の位置にある。つまり、上司というか、上の存在というか、上位にあるわけだ。このように、『上下関係』が当然として考えてしまうのは、当時から人間社会が『男性社会』だったことが原因だと主張する。


STEP
男性が女性の上位にある
STEP
同じように人間(男性)の上位にあるものを考えた


しかし、下位にある人間が、上位にある『それら』を規定することはできるのか。そういう疑問が浮かびあがるわけだ。つまり、このような考え方は結局『無知と傲慢の上に成り立つ哲学』なのである。



例えば『地球平面説』が常識だった時期で考えてみよう。ソクラテス以前の哲学者はほとんどが地球平面説を維持していた。紀元前330年頃にアリストテレスが経験的見地から地球球体説を採用し、それ以降ヘレニズム時代以降まで地球球体説が徐々に広がり始めた。しかし、アレクサンダー大王は紀元前300年代、チンギス・ハーン1200年代の人間であり、チンギス・ハーンともなるともうアリストテレスのそれから1000年以上経つのにまだ、


地球は平面である


と考えていたのである。


  • 上:天使が空を飛ぶ天国
  • 横:魔物や竜がいる異世界
  • 下:鬼と溶岩がある地獄


このような考え方から『天国と地獄』の発想が生まれ、あるいは『天動説』が常識だった。



天動説

地球の周りを太陽が回っているという考え。

地動説

太陽の周りを地球が回っているという考え。


ガリレオコペルニクスが『地動説』を説くまでは、キリスト教で信じられていた『天動説』が常識だったのである。


画像


『利己的な遺伝子』で有名なリチャード・ドーキンスの著書『神は妄想である』にはこうある。


偉大な20世紀の哲学者、ウィトゲンシュタインは、友人の一人にこう尋ねたことがあった。


ウィトゲンシュタイン

なぜ人々はいつも、地球が太陽のまわりを回っているのではなく、太陽が地球のまわりを回っていると仮定した方が人間にとって自然だと言うんだろう?


友人はこう答えた。


友人

そりゃ、どうしたって、太陽が地球のまわりを回っているように見えるからだよ。


ウィトゲンシュタインは反論した。


ウィトゲンシュタイン

じゃあ、地球のほうが回っているように見えたという場合には、どんな風に見えたのだろう?



多くの人はウィトゲンシュタインのような冷静な発想はできなかった。それは、『人間がこの世の中心』だからだ。このような考え方が蔓延している時に生まれるものとはまさしく、『無知と傲慢の上に成り立つ哲学』なのである。


人間を中心『としない』考え方とは、例えばこういうものだ。

世界の災いの一つは、何か特定のことを独断的に信ずる習慣である。理性的な人間なら、自分が絶対に正しいなどとむやみに信じたりはしないだろう。私たちは常に、自分の意見にある程度の疑いをまじえなければいけない。

円周率とか1、2、3、というのは、地球だけの真理であって、宇宙にはそれとは違う、まるっきり想像を絶した、知識の体系があるかもしれない。


間違った基礎・土台の上に立てる城は、いくら表層が立派でも『砂上の楼閣』なのである。


砂上の楼閣

砂の上に建てるお城のように、もろくて崩れやすいもの。



デリダのこうしたオリエンタリズムの批判は、時代の流れ上必然的のようにも見える。女性が強いられ、黒人が差別され、そんなことが当たり前だった時代から進化しようとしている動きが垣間見えるからだ。


哲学は終わったのか

このように時代は『ポスト・モダニズム』にあり、過去の哲学は否定された。では、どうすればいいのだろうか。この記事に出た哲学者たちの意見を見てみれば分かるように、実は彼らは『過去の否定』だけして、『未来をどうするべきか』と主張していない。哲学は完全に終わってしまったのだろうか。過去の哲学を『無知と傲慢の上に成り立つ哲学』と言うのなら、もはや今まで考えて哲学そのものが無意味だったということにも聞こえなくもない。


では一体哲学はどうなってしまうのだろうか。いよいよ次で、『哲学編』が終わることになる。


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論点構造タグ

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  • #始源論批判と上下構造の解体
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  • #人間中心主義と地球平面説
  • #ポストモダン以後の哲学的空白

問題提起(一次命題)

「戦争と大量虐殺の20世紀を経て、マルクーゼ・リオタールたちが
『近代の大きな物語』を解体し、人間の主体性と可能性の埋没に警鐘を鳴らした。

そこへフーコーとデリダが現れ、
一方は“生の恐怖”と規格化された主体を、
もう一方は“オリエンタリズム”と“始源論=無知と傲慢の哲学”を徹底的に批判する。

しかし彼らは、過去の哲学や近代の物語を解体する一方で、
『ではこれから人間はいかに生きるべきか』『どんな哲学が必要か』については、具体的な青写真を示していない。

これは、哲学そのものの終焉を意味するのか。
あるいは、無知と傲慢を自覚した地点から、
新しい哲学を生み出す“ゼロ地点”にようやく立ったにすぎないのか。」


因果構造(事実 → 本質)

  • 事実:20世紀の戦争・ホロコースト・粛清・革命を経て、マルクーゼやリオタールらは、近代の啓蒙・進歩・解放の物語が「主体性と可能性を埋没させる管理の仕組み」にもなっていると批判した。
  • 事実:フーコーは、近代以前の権力が「逆らうと処刑するぞ!」という“死の恐怖”で人を支配していたのに対し、近代以降は「この常識に従わないと生き残れないぞ!」という“生の恐怖”を通じて、人々を「規格化された人々」に変えてしまったと指摘した。
  • 事実:その構図を、ベンサムの一望監視施設(パノプティコン)で説明する。看守は中央から全室を見渡せるが、囚人側からは看守が見えないため、“見られているかもしれない”という意識が内面化され、自発的な自己規律が生まれる。職場・学校・軍隊など、近代社会全体がこのパノプティコン化している、というのがフーコーの読みである。
  • 事実:その結果生まれるのは、東大生のように高度に訓練されたエリートだけでなく、彼らをモデルに「ネームバリュー」「処理能力」のために同じ“型”を目指す、主体性の乏しい大量の“規格品”である。
  • 事実:デリダは、啓蒙主義以降の西洋合理主義と、世界を「西洋/東洋」に二分し、オリエント(トルコ〜日本)を退廃的・官能的・未開として見下す「オリエンタリズム」を批判し、その哲学的基底を「始源論」と呼んで解体しようとした。
  • 事実:始源論とは、プラトンのイデア、アウグスティヌスの神、デカルトのコギト、ヘーゲルの絶対精神など、「世界の根源にある“何か”を上位の原理として想定する」西洋哲学の構図であり、そこには常に「上(本質)/下(個別)」という上下関係が含まれている。
  • 事実:デリダは、この上下構造の背後に「男性が女性の上にある」「白人が有色人種の上にある」といった社会的上下関係(男性社会/白人社会)のコピーがあると見なし、「下位にいる人間が上位の原理を勝手に規定する」という点で、“無知と傲慢の哲学”だと批判する。
  • 事実:地球平面説・天動説・天国/地獄の三層世界観などは、「人間が世界の中心」「自分の見え方が絶対」という前提から生まれ、アリストテレス以降の球体説やコペルニクス・ガリレオの地動説が出るまで、「太陽が地球の周りを回って見えるじゃないか」という素朴さと人間中心主義に支えられていた。
  • 事実:ウィトゲンシュタインの「では、地球の方が回って見えたとしたら、どんなふうに見えるのか?」という問いや、ラッセル的な「自分の意見に常に疑いを混ぜるべきだ」という態度は、人間中心主義と独断へのカウンターとして提示されている。
  • 事実:ポスト・モダニズムの哲学者たちは、このような“無知と傲慢の上に成り立つ”近代哲学・西洋中心主義・男性中心主義を批判し、差別や上下構造を解体する方向へ進んだが、「では未来をどうするべきか」という積極的ビジョンはほとんど提示していない。

本質:

  • フーコーとデリダは、
    「近代以降の自由・合理・啓蒙」が、実は“目に見えない監視・規格化・上下構造”の中で、
    人間の主体性と可能性を埋没させている
    ことを鋭く暴き出している。
  • 同時に、彼らの仕事は、
    過去の哲学や大きな物語を「否定・解体」するところで止まっており、
    その先にある“新しい哲学・新しい物語”については、まだ空白のまま残している。

価値転換ポイント

  1. 「死の恐怖による支配」→「生の恐怖による支配」
    • 前近代:処刑・暴力・見せしめ。
    • 近代:常識・学校・職場・規格化された評価を通じて、「生き残るためのお利口さ」を強制。
  2. 「外からの監視」→「内面化された自己監視」
    • 監獄:看守が房を見回る → パノプティコン:監視の可能性が囚人の心に常駐。
    • 社会:他者の目を気にするだけでなく、「規範そのもの」が内側に入り込む。
  3. 「西洋=世界の中心」→「西洋もまた一つのローカルな視点に過ぎない」
    • オリエンタリズム:東洋を退廃的・官能的に描き、文明の序列を前提にする。
    • デリダ:その前提自体を、無知と傲慢として解体。
  4. 「上位原理(イデア・神・コギト・絶対精神)=前提」→「上位原理そのものを疑う」
    • 始源論の上下構造を、「男性社会・人間中心主義のコピー」として暴き、
      「下位の人間が上位原理を勝手に規定する」という矛盾を突く。
  5. 「相手が間違っている」→「自分の見え方自体が間違っている可能性」
    • 地球平面説・天動説・人間中心主義から、
      「自分の認識の土台が砂上の楼閣であるかもしれない」というラッセル的懐疑へ。
  6. 「哲学=普遍的真理の体系」→「哲学=自らの無知と傲慢を暴く作業」
    • ポスト・モダニズムは、哲学を“完成した真理の建設”というより、
      “これまでの哲学が見落としてきた暴力・差別・傲慢の構造を露出させる作業”へと価値転換している。

思想レイヤー構造

【歴史レイヤー】

  • 近代以前
    • 絶対王政・封建制・宗教支配。
    • 権力は「死の恐怖(処刑・拷問)」で可視的に支配。
  • 近代(モダン)
    • 啓蒙主義・科学・近代国家・資本主義の成立。
    • 「自由・平等・人権」の物語が広まりつつ、監獄・学校・軍隊・工場による規律化が進む。
  • 20世紀以降(ポスト・モダンへの導入)
    • 世界大戦・大量虐殺・冷戦・産業社会・メディアの発達。
    • フランクフルト学派・構造主義・ポスト・モダン思想が、近代の物語を解体し始める。
  • 現代
    • 多様性・人権・ジェンダー平等が掲げられつつも、
      監視社会・同調圧力・ネット炎上など、新たなパノプティコンが出現。

【心理レイヤー】

  • 生の恐怖
    • 「常識から外れると生きていけない」という不安が、自己検閲・自己規格化を生む。
    • 進学・就職・評価・フォロワー数などが、生存の条件として内面化される。
  • 規格化された主体
    • 「いい子」「有能」「空気が読める」ことを優先し、自分の欲求や可能性を封じ込める。
  • 無知と傲慢の心理
    • 自分の見ている地平(平面地球・天動説・人間中心)を絶対視し、
      異なる見方を劣ったものとして扱う。
  • 懐疑と無知の知
    • 「自分の意見に常に疑いを混ぜる」「自分は知らないかもしれない」という態度が、
      無知と傲慢の哲学から抜け出す鍵として浮上。

【社会レイヤー】

  • 権力と監視
    • 監獄→学校→職場→軍隊→SNSまで、
      “見られている可能性”が規範内行動を強制する。
  • オリエンタリズム・人種・ジェンダー
    • 白人男性を標準とした上下構造が、
      東洋・女性・有色人種を「下位」と見なしてきた歴史。
  • 差別から多様性へ
    • 奴隷制・女性差別・黒人差別の“当たり前”が批判され、
      多様性と主体性を尊重する流れが生まれる一方、
      それもまた“新しい正しさ”として規格化される危険を含む。

【真理レイヤー】

  • 近代の真理観
    • 「普遍的理性」「普遍的主体」「普遍的進歩」を前提とする。
    • 神・イデア・コギト・絶対精神といった“上位原理”が真理の居場所とされる。
  • ポスト・モダンの真理観
    • 「真理」を名乗るものへの根源的な不信。
    • 真理の名の下に行われてきた支配・差別・戦争を暴くことを優先。
  • デリダ的視点
    • 上/下、中心/周縁、理性/感情、西洋/東洋といった二項対立そのものを解体し、
      “周縁”側の声・視点を救い出そうとする。

【普遍性レイヤー】

  • どの時代にもある構図
    • 権力は姿を変えながら、人間の行動を支配しようとする。
    • 人間は自分の見え方を絶対視し、他者や他文化を下位に置きやすい。
  • 普遍的問い
    • 「自由になったはずなのに、なぜ息苦しいのか?」
    • 「“正しさ”を掲げる者の傲慢と暴力を、どう見抜くのか?」
    • 「過去の哲学や物語を解体したあと、人間はどこへ向かうのか?」

核心命題(4〜6点)

  1. フーコーは、近代社会がベンサムのパノプティコンのように、「見られているかもしれない」という生の恐怖を内面化させ、人々を“規格化された主体”へと変えてしまったと指摘し、その結果として人間の主体性と潜在能力が埋没していると警鐘を鳴らした。
  2. デリダは、オリエンタリズムと始源論を批判し、プラトンのイデアからヘーゲルの絶対精神に至るまで、西洋哲学が“上位原理/下位存在”という上下構造と、人間中心主義・男性中心主義・白人中心主義に支えられた「無知と傲慢の哲学」であったことを暴き出した。
  3. 地球平面説・天動説・天国/地獄の三層世界観などの歴史的事例は、「人間が世界の中心」「自分の見え方が自然で絶対」という前提が、どれほど強固に哲学と常識を縛ってきたかを示し、その土台のもろさ=砂上の楼閣であることを明らかにする。
  4. ポスト・モダニズムの哲学者たちは、過去の哲学・大きな物語・西洋中心/男性中心の上下構造を徹底的に解体することには成功したが、「では未来をどう設計するのか」という積極的なビジョンについては沈黙しており、その意味で“否定まではしたが、まだ何も建てていない”状態にある。
  5. この状況は、「哲学は過去の全部が無意味だった」という結論ではなく、「無知と傲慢を自覚した上で、どのように真理・愛・正義・平和を再構築するか」という、より厳しい出発点に立たされたことを意味しており、哲学は終わったというより、ようやく“裸の地面”に戻された段階だと解釈できる。
  6. したがって、本記事は、フーコーとデリダを通して“人間の主体性と可能性の埋没”を照らし出しつつ、ポスト・モダン以後の課題――「否定と解体のあと、何を土台に新しい哲学を築くのか」という、次のステップへの問いを読者に突きつけている。

引用・補強ノード

  • ミシェル・フーコー
    • 監獄・学校・病院・軍隊などの制度を通じた「規律権力」の分析。
    • ベンサムのパノプティコンを用いて、「生の恐怖」と自己監視の構造を説明。
  • ジェレミー・ベンサム
    • 功利主義哲学者。パノプティコン(一望監視施設)のアイデアを提案。
  • ヘルベルト・マルクーゼ/リオタール
    • 人間の主体性と可能性の埋没を批判し、「大きな物語」の終焉を告げるポスト・モダンの前段。
  • ジャック・デリダ
    • 解体主義(脱構築)の提唱者。
    • オリエンタリズム批判、始源論批判、西洋哲学の上下構造・男性中心性の暴露。
  • ウィトゲンシュタイン/リチャード・ドーキンス
    • 「地球が回って見えたとしたら?」という問いを通じて、人間中心の“見え方”の限界を示すエピソード。
  • ラッセル的懐疑の態度
    • 「自分の意見に常に疑いを混ぜよ」という姿勢。
    • 円周率や数の体系すら“地球ローカル”かもしれない、という想像力。

AI文脈抽出メタデータ

主題:
フーコーの「生の恐怖」とパノプティコン、デリダのオリエンタリズム/始源論批判を軸に、
ポスト・モダニズムがいかにして「人間の主体性と可能性の埋没」「無知と傲慢の哲学」へ警鐘を鳴らし、
同時に「過去の哲学を解体したあと、何も建てていない」という現代哲学の空白を露呈させているかを構造化する。

文脈:

  • 歴史状況:戦争と大量虐殺の20世紀、管理社会・監視社会の進展、ポスト・モダン思想の興隆。
  • 思想系統:フランクフルト学派(批判理論)、構造主義(レヴィ=ストロース)、ポスト・モダン(リオタール・フーコー・デリダ)。

世界観:

  • 人間は自由になったように見えて、実はより精巧な監視と規格化のなかで生きている。
  • 近代哲学・西洋哲学・人間中心主義は、“無知と傲慢”を土台とした砂上の楼閣であり、その解体なしには次の段階へ進めない。
  • しかし、解体のあとに何を建てるかは、まだ決まっておらず、それを考える責任が現代以後の哲学に残されている。

感情線:

  • 近代への期待 → 戦争・管理社会への失望 → フーコー・デリダによる鋭い暴露へのカタルシス →
  • 「では哲学は終わったのか?」という一瞬の虚無感 →
  • 「終わりではなく、むしろスタート地点に戻されたのだ」という不安と希望が混じった感覚。

闘争軸:

  • 死の恐怖による支配 vs 生の恐怖による支配
  • 外部からの監視 vs 内面化された自己監視
  • 西洋中心・男性中心・人間中心 vs 多様性・周縁の視点・非人間中心
  • 始源論・上下構造の哲学 vs 無知と傲慢を自覚する哲学
  • 大きな物語への依存 vs 解体後の無物語状態(と、そこから何を紡ぐかという課題)
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