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十字軍とエルサレム争奪:サラディンとボードゥアン4世が示す三宗教対立

ローマ帝国(ポエニ戦争)→カエサル・アウグストゥス時代→ティベリウス時代→五賢帝時代・軍人皇帝時代→ローマ帝国の滅亡→中世ヨーロッパの始まり→東西ローマ分裂→十字軍の遠征


ハニワくん

先生、質問があるんですけど。

先生

では皆さんにもわかりやすいように、Q&A形式でやりとりしましょう。


いくつか質問があるんだけど、わかりやすく簡潔に教えて!

1.キリスト教はなぜ十字軍を遠征したの?
2.サラディンは何をした人?

1.イスラム教にエルサレムを支配された…と解釈したからです。
2.イスラム教の英雄で、キリスト教徒にも差別なく平等に対応し、十字軍にも勝利した戦死です。


ハニワくん

なるほど!

博士

も、もっと詳しく教えてくだされ!


エルサレムというのは相当複雑な場所です。

詳しくは下記の記事に書きましたが、見れば分かります。であるからして、この地を巡って色々な人が争ってしまったのです。イスラム教の言い分も、キリスト教の言い分も、そしてユダヤ教の言い分も、

この地を奪還せよ!

です。ローマ教皇がキリスト教の立場で十字軍を遠征させ、この地を奪還しようとしたのも、この地の複雑な事情と、根底にこの発想があるからでした。

サラディンというのは、イスラム教の英雄です。サラディンは、宗教的な憎しみにもとづいた無駄な殺傷は一切行わなかったといいます。そのため、キリスト教側から見ても彼のことを、

キリスト教徒『騎士道精神を持った真の勇者だ。

と評価しているようです。ただ、スポットライトは当てる場所によって景色が全く違って見えます。24歳でこの世を去った『ボードゥアン』という十字軍側の騎士は、そのサラディンにとてつもなく不利な状況で勝ちました。


博士

うーむ!やはりそうじゃったか!

ハニワくん

僕は最初の説明でわかったけどね!

先生

更に詳しく知りたい方は、以下の記事をご覧ください。


目次

十字軍遠征


上記の記事の続きだ。『カノッサの屈辱(1077年)』が起き、キリスト教会はますますその勢力を上げていた。そしてグレゴリウス7世は、ウルバヌス2世にローマ教皇の座を引き継ぎ、1095年に『十字軍の遠征』を命じる。


十字軍

中世に西ヨーロッパのキリスト教、主にカトリック教会の諸国が、聖地エルサレムをイスラム教諸国から奪還することを目的に派遣した遠征軍のこと。

STEP
1095年

法王は初の十字軍遠征を命じる。

STEP
1099年7月15日

エルサレム陥落。それはユダヤ人の殺戮でもあった。

STEP
しかしイスラムの英雄サラディンが阻止

『我々は聖戦を行うのだ!』

STEP
十字軍は失敗となる


エルサレムに先に仕掛けたのは誰だ?

だが、実はこの十字軍のきっかけは、イスラム教国家のセルジューク朝が、ビザンツ帝国を圧迫し、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教の聖地である『エルサレム』を占領したことが原因だった。しかし、イスラム教とキリスト教、一体どっちが先に仕掛けたのだろうか。正直私も、各参考書で言っていることが違うので実態が見えてこない。


上の記事を書いたときには『キリスト教が十字軍を遠征した』ことが原因で、それに『聖戦』という形で対抗するようになったイスラム教徒のイメージが浮かんでいた。しかし、今回世界史の参考書を見ると、『先にイスラム教がビザンツ帝国を圧迫し、エルサレムを占領した』としていて、イスラム教が先にキリスト教に仕掛けたというイメージを連想させるようになっている。


私はせっかく先ほどの記事のときに、


そうか。傲慢に陥っていたキリスト教が先に仕掛けて、それが今もイスラム教が十字軍を恨んでいる理由なんだ


という理解の境地を得たのに、これではまた実態が闇の中に入ってしまう。一体、キリスト教とイスラム教のどちらが先に手を出したのだろうか。


ムハンマドは攻撃された

例えば、以下の記事を見てみよう。


STEP
625年、メディナはメッカから攻撃を受ける

ムハンマドの思想を良く思わないグループが襲撃する。それにはユダヤ教徒やキリスト教徒もいた。

STEP
ムハンマドはこの時ある決意をする

(宗教にも軍事力がいる…)

STEP
ムハンマドは軍を設立する

飲酒も禁止する。そして攻撃してきたユダヤ教徒やキリスト教徒を『敵』だと定めるようになる。


600年代には、ムハンマドがキリスト教徒やユダヤ人から迫害を受けた歴史が残っている。どちらも『エルサレムを奪回する!』と主張しているが、真実はどうなのだろうか。今のところ言えるのは、誰もその場所に固執しなければ解決するということだけである。


しかしとにかく1070年代当時、ビザンツ帝国は西ヨーロッパのSOSを出すほどイスラム勢力に追い詰められていて、そうして当時のウルバヌス2世が、『クレルモン教会会議』を開催し、十字軍の遠征を決定したのである。


[クレルモン教会会議でのウルバヌス2世。1490年ごろ画]


十字軍

打倒イスラム!エルサレムを奪還せよ!


十字軍とイスラム勢力との戦い

そして十字軍とイスラム勢力との戦いは、200年にも及んだ。


第1回十字軍1096年 – 1099年
第2回十字軍1147年 – 1148年
第3回十字軍1189年 – 1192年
第4回十字軍1202年 – 1204年
第5回十字軍1218年 – 1221年
第6回十字軍1228年 – 1229年
第7回十字軍1248年 – 1249年
第8回十字軍1270年
第9回十字軍1271年 – 1272年
[中世の写本に描かれた第1回十字軍のエルサレム攻撃]


参考書には、これらの戦いの行方等について詳細があるが、正直そんなことは私にはどうでもいい。一体なぜこのような争いが行われてしまったのか、その原因はどこにあるのか。それだけが知りたいのである。なぜ私がそこにこだわるかというと、この問題は、現在に至るまで影響が及んでいるからだ。イスラム国を名乗る人間が、『十字軍』という言葉を使っていた。そしてテロリズムによって多くの無辜な命が奪われた。私はただ、こうした問題が二度と起きてほしくないのだ。だからこそ、原因をしっかりと明白にし、前に進んでほしいのである。


  1. 尖閣諸島
  2. 竹島
  3. 北方領土


現在日本は、近隣諸国とこのような問題でもめている。これも、真実は一つのはずだ。これと同じように、曖昧な部分を明白にし、多くの人々に影響を与える重要な問題を一日でも早く解決してほしい。そう考えるのである。


エルサレムの歴史

だがいい機会だから調べてみよう。まず、


  1. イスラエル
  2. パレスチナ
  3. エルサレム


の場所から見てみる。



『パレスチナ地域の、エルサレムに、イスラエルを作った』ということだ。元々、紀元前11世紀頃に『イスラエル王国』が成立したが、それは一度滅んだ。だが、ユダヤ人たちが1948年に再び『イスラエル』を建国した。しかしこれが原因でこの地を巡る宗教対立が再燃したのである。


イエスが死んだ場所

下記の記事にイエス・キリストが十字架刑に処された話を書いたが、この『ゴルゴタの丘』がある場所は『エルサレム』だ。イエスはエルサレムで亡くなったのである。

[『ゴルゴファ(ゴルゴタの丘)の夕べ』ヴァシーリー・ヴェレシチャーギンによる(1869年)、ハリストス(キリスト)の埋葬準備の光景]



また、下記の記事にも書いた、


キリスト

カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返しなさい。


という言葉があるように、イエスがいた時代のエルサレムは『ローマ帝国』の支配下にあった。



ムハンマド時代

また、Wikipediaで『エルサレム』について見てみよう。

エルサレムは、ムハンマドの時代には東ローマ帝国の支配下にあり、「禁域」とならなかった。第2代のカリフであるウマルの時代に征服された後も、キリスト教徒とユダヤ教徒、ムスリムが共存する異教徒禁制とは無縁な国際的な宗教都市であり続けたのである。


ムハンマドは紀元570~632年を生きた人物だ。この時代はまだエルサレムが東ローマ帝国の支配下にあるが、


  1. キリスト教
  2. ユダヤ教
  3. イスラム教


が共存する柔軟性のあるエリアだったようだ。ここは彼らにとって聖地だから、それぞれがそれに対する配慮があったのだろう。



嘆きの壁(ユダヤ教)


ローマ帝国によって壊されたソロモン神殿の一部分で、ユダヤ人にとっては唯一の聖地。


岩のドーム(イスラム教)


ウマイヤ朝のイスラム世界最古の建造物。岩からムハンマドが天国に旅立ったとされる。


聖墳墓教会(キリスト教)


イエスが処刑された『ゴルゴタの丘』の丘に建つ教会で、イエスの墓があるキリスト教の聖地。


ここまでは分かった。先ほど参考書に『先にイスラム教がビザンツ帝国を圧迫し、エルサレムを占領した』とあったが、Wikipediaでもこのあたりのことについて見てみよう。

636年に東ローマ帝国が正統カリフに敗北し、以後オスマン帝国滅亡(1924年)までのほとんどをイスラム教国家の支配下に置かれることになる。1099年に第1回十字軍によりエルサレムが占領されキリスト教国であるエルサレム王国が成立した。


『エルサレム』にはこうある。

313年にはローマ帝国がミラノ勅令によってキリスト教を公認し、320年ごろにコンスタンティヌス1世の母太后である聖ヘレナが巡礼を行ったことで、エルサレムはキリスト教の聖地化した。市名は再びエルサレムに戻され、聖墳墓教会が立てられた。ユリアヌス帝の時代には、ユダヤ人のエルサレムへの居住が許可されるようになった。

638年、アラブ軍による征服でエルサレムはイスラーム勢力の統治下におかれた。イスラームはエルサレムを第三の聖地としており、7世紀末に岩のドームが建設された。970年より、シーア派を掲げるファーティマ朝の支配下に入った。しかし、11世紀後半に大飢饉などによりファーティマ朝が弱体化すると、この地をスンナ派のセルジューク朝が占領した。この征服を率いた軍人アトスズは、占領時に略奪や異教徒を含む住民の虐殺などを禁止しており、エルサレムの平安は維持されていた。


話はつながったようだ。つまりこういうことである。


エルサレムの歴史

STEP
モーセとのエジプト脱出

紀元前1280年頃。

STEP
イスラエル王国建国

紀元前11世紀頃。モーセと共にエジプトの支配から脱出したヘブライ人が、イスラエルを征服して王国を建国。

STEP
ヤハウェ神殿建設

紀元前1000年頃。イスラエル王国ソロモン王によるヤハウェ神殿建設。

STEP
南北に分裂

紀元前930年頃。内乱でイスラエルが分裂した。

STEP
北のイスラエル王国滅亡

紀元前722年。北のイスラエル王国がアッシリアに滅ぼされる。

STEP
南のイスラエル王国滅亡

紀元前586年。南のユダ王国が紀元前586年に新バビロニアに滅ぼされた。

STEP
新バビロニア滅亡

紀元前536年。アケメネス朝によってバビロン捕囚が解放され、ユダヤ人がエルサレムに戻る。ユダヤ教が民族宗教となる。

STEP
パレスチナの地が征服される

紀元前330年頃。パレスチナの地はアレクサンダー大王の東方遠征により征服。

STEP
セレウコス朝の支配下に入る

アレクサンダー大王の死後、マケドニアは分裂し、パレスチナはセレウコス朝(シリア王国)の支配下に入る。

STEP
ユダヤ人の王朝ハスモン朝が成立

紀元前140年。マカバイ戦争を経て、ユダヤ人の王朝であるハスモン朝が成立する。

STEP
ローマ帝国の保護国となる

紀元前1世紀にハスモン朝はローマ帝国の保護国となり、後にローマ帝国の属州ユダヤ属州となる。

STEP
ローマ帝国の一部となる

6年。ユダヤ属州として、ローマ帝国の一部となる。

STEP
イエス処刑

30年頃。イエス・キリストがゴルゴタの丘で処刑される。

STEP
独立を目指してユダヤ戦争勃発

66年。独立を目指し、ユダヤ戦争(第1次ユダヤ戦争)が勃発する。

STEP
ローマ帝国により鎮圧

70年。

STEP
第二次ユダヤ戦争勃発。

132年。バル・コクバに率いられたバル・コクバの乱(第2次ユダヤ戦争)が起き、一時はユダヤ人による支配権を取り戻す。


ここで一度まとめよう。モーセがヘブライ人をエジプトの奴隷から解放させ、『海を割り』、脱出させてから、イスラエル王国ができ、その後、


  1. アッシリア
  2. ペルシャ帝国
  3. マケドニア王国
  4. ローマ帝国


という4つの帝国すべてに支配されてきた歴史を持つのがこのエルサレムだ。そう考えるとかなりこじれた場所である。この4つの帝国はまさに『世界で初めてできた帝国アッシリア』からローマ帝国まで、この順番でヨーロッパの覇権を獲った帝国だから、エルサレムはそのすべてに振り回されてきたということになる。更にそこに『宗教問題』が加わるわけだ。


STEP
再びローマ帝国に鎮圧される

135年。名称もシリア・パレスティナ属州に変わった。新離散ユダヤ人(ディアスポラ)は早い時期から存在したが、この時に数多くのユダヤ人がディアスポラとなっていった。

STEP
ローマ帝国の支配下が続く

135年~。

STEP
聖墳墓教会が建設される

325年頃。キリスト教の聖地化となる。

STEP
ローマは東西に分裂

395年。

STEP
東ローマ帝国が支配する

395~636年。

STEP
イスラム教が東ローマ帝国を圧迫

636年。

STEP
638年

エルサレムがイスラムの支配下に置かれる。

STEP
『岩のドーム』建設

690年頃。

STEP
シーア派ファーティマ朝の支配下になる

970年。

STEP
スンナ派セルジューク朝の支配下になる

1071年。

STEP
エルサレム占領

1071年。ビザンツ帝国もセルジューク朝に敗れる。

STEP
1099年

第1回十字軍でエルサレム王国を建国。

STEP
1187年

サラディンによって再びイスラムの支配下へ。オスマン帝国の支配下で、各宗教間の共存状態となる。


これが十字軍が出るまでの歴史である。こう考えるとエルサレムがこんがらがる理由がよく分かる。そしてこうしてすべての歴史を見てみると、一見すると確かにこのエルサレムという聖地を『先に自分のものにしてしまった宗教』は、イスラム教だった。636年にイスラム教が東ローマ帝国を圧迫し、638年にはエルサレムがイスラム勢力の統治下になった。そこからイスラム教の支配が続き、ついに1071年にエルサレムが占領されてしまったのである。


そして、それを奪回するべく当時のローマ教皇ウルバヌス2世が、『クレルモン教会会議』を開催し、十字軍の遠征を決定したのである。そう考えると、この地を先に荒らしたのはイスラム教ということになるが、しかし彼らは彼らで、『キリスト教を国教としたローマ帝国が支配したエルサレムを奪回する』という名目の上でそう行動したのだ。


キリスト教

お前らが636年からエルサレムに侵入したんだ!

イスラム教

66年のユダヤ人鎮圧からこの地を支配したのはローマ(キリスト教)だろうが!それを返してもらうだけだ!


そう考えると、この地を先に支配していた『ローマ帝国(キリスト教)』に原因があるとも考えられる。なるほど。この話はとても複雑なようである。少しかじっただけで見えてこない理由があったのだ。つまり、ローマ帝国が支配していた時代は、ムハンマド、第2代のカリフであるウマルの時代に征服された後も、キリスト教徒とユダヤ教徒、ムスリムが共存する異教徒禁制とは無縁な国際的な宗教都市であり続けた。だから、ローマ帝国が支配していた方が平和が保たれたわけだ。


しかし、それを打破して今度はイスラム教が支配するようになった。そしてついにはエルサレムまで占領したので、ローマ教皇が十字軍を遠征し、この地を奪還しようとした。こう考えると、


  1. 続いていた平和を壊したイスラム教が悪い
  2. 元々この地を支配していたローマ(キリスト教)が悪い


という、2つの解釈が出てくることになる。そしてそこに更にユダヤ人の話も混入するわけだからややこしさは激増する。


  • 滝が流れる場所
  • マグマが噴出する場所
  • 地震が起きやすい場所


等、地球には様々なエリアがあるが、エルサレムというのはまるで『人間の欲望の渦』である。そのほかのエリアは決してこういう事態にはなっておらず、ここに人間のエネルギーが集中しすぎているようだ。『パレスチナ問題』があり、『中東戦争』が頻発することを見ても、この地に完全な平和が訪れるのにはまだまだ時間がかかるだろう。エルサレムのその後の歴史については下記の記事に書いた。



様々な角度から見た十字軍遠征

冒頭の記事で、グレゴリウス7世がハインリヒ4世を許し、『その後もローマ教皇は味を占めたかのように『破門戦術』を繰り返す』とし、グレゴリウス7世もキリスト教会の権力に腐敗してしまった一人だと書いた。だが、もしかしたら彼は善人だったかもしれない。とにかく、以下の二つの参考書の内容を見てみよう。


グレゴリウス7世の実態

『一度読んだら絶対に忘れない世界史の教科書 公立高校教師YouTuberが書いた』にはこうある。

この事件をカノッサの屈辱といいます。この事件によって人々はローマ教皇の権威の絶大さを再認識することとなり、ローマ教皇自身も、その後、自分に逆らおうとする王が現れるたびに、自らの権威を誇示するかのように『破門戦術』を用いるようになります。


次は『ビジュアル 世界史1000人(上巻)』だ。

許しを与えた皇帝に追い落とされる グレゴリウス7世

ハインリヒ4世を許したのは一時的な和解にすぎず、グレゴリウス7世は面会を拒絶するが、霊的指導者なら罪を認めた人間を許さねばなるまいと赦免する。だが案の定、ハインリヒ4世はローマを包囲。『私は正義を愛し、不正を憎んだ。そのために私は流謫に死ぬのだ。』グレゴリウス7世の最期の言葉だ。


どうだろうか。前者だけ読むと、まるでグレゴリウス7世がキリスト教会の権力に腐敗し、越権行為に走ったようにイメージできるし、後者を読むと、あくまでもグレゴリウス7世は聖人であり、ハインリヒ4世の方がひどい人間だったというイメージが浮かぶはずだ。


私は前回の記事を書いたとき、実は『十字軍問題は、先に十字軍がイスラム教に仕掛けた』という認識を持っていた。しかし、様々な参考書を読み進めていくうちに、そうではなく、『イスラム教が先にキリスト教諸国にちょっかいをだしたことが原因で、十字軍が派遣された』という内容に触れることになった。つまり私は最初、


やっぱりこの時代のキリスト教関係者はみんな権力に腐敗していたか


と考えていたから、このグレゴリウス7世と、そのあとに続いた『破門戦術』の件も、同じような流れにあると考えてしまった。だが、実際には偉人に関して詳細を追求する後者の本には、グレゴリウス7世自体は正義を愛する人間だったという事実が浮き彫りになったのだ。


様々な事実が乱立しているが、正確に言えることだけをまとめると、


  1. アブラハムの宗教(キリスト教、イスラム教、ユダヤ教)はエルサレムやその教えの違いによって古くから揉めている
  2. 中世ヨーロッパのキリスト教会は全体的に越権行為に走りがちだった


ということになるだろう。その中で、善人も悪人も、いたるところに存在した。それが真実だろう。誰が悪いのではなく、善人と悪人はどこにでもいたのだ。それは、現在で考えても全く変わらない、この世の真理である。


イスラムの英雄サラディン

十字軍とイスラム勢力との戦いで一番有名なのが『第3回十字軍(1189年 – 1192年)』で、


  1. イギリスの獅子心王、リチャード1世
  2. フランスの尊厳王、フィリップ2世
  3. 神聖ローマ帝国の赤髭王、フリードリヒ1世
  4. イスラム勢力盟主アイユーブ朝、サラディン


といった人物たちが活躍する戦いである。この中で最もスポットライトを浴びるべきなのは『サラディン』だろうか。


[サラーフ=アッディーン(サラディン)]


リチャード1世はフィリップ2世と行動していたが、フィリップ2世が途中で逃げ出したにも関わらず、サラディンと戦った。だが、戦いに勝ったというわけでもなく、結果はいまいち。そして、フィリップ2世と戦って、肩を矢で射抜かれて死んでしまう。何とも言えない2人なのである。


赤髭王(バルバロッサ)と言われたフリードリヒ1世も小アジアのサレフ川で溺死しているので、どうしてもスポットライトはサラディンに当てたくなる。サラディンは、宗教的な憎しみにもとづいた無駄な殺傷は一切行わなかったという。そのため、キリスト教側から見ても彼のことを、


キリスト教徒

騎士道精神を持った真の勇者だ。


と評価しているようだ。たしかに、前述した部分にも『イスラム英雄サラディンが阻止』としているが、様々な参考書で彼のことを高く評価するのを見かけている。


真の英雄ボードゥアン4世

だが、ここに書き加えるべくもう一人の戦士がいる。『ボードゥアン4世』である。


[諸侯の子弟たちと遊ぶボードゥアン4世と彼の皮膚の病に気付いたギヨーム・ド・ティール(大英図書館蔵)]


1174年、父が死んでボードゥアンは13歳でエルサレムの王位に就いた。そのとき、世はまさに『十字軍時代』だった。彼は、当時不治の病だったハンセン病にかかっていて、顔や手足が変形し、目が少しずつにごって見えなくなることもあった。


エルサレムの最大の敵はサラディン。ボードゥアンは、サラディンのいるカイロを攻撃しようとするが、体調不良で実行できなかった。しかしサラディンはその隙に、エルサレムに2万6千の軍隊を送り込んだ。ボードゥアンはわずか500人の兵士とともに、ボロボロの体で馬に乗って待ち受けた。


しかしサラディンは、王の軍勢があまりにも少ないので、相手にせずにそのまま進軍した。エルサレムの人々は震え上がり、そのまま何もできずにいた。ボードゥアンは大地にひざまずき、十字架に祈りをささげた。祈りが終わると立ち上がり、兵士たちを励まし、油断しきっていたサラディンの軍を完全に打ち負かした。たった500人の兵士を連れた病弱なはずのボードゥアンが、2万6千の軍を引き連れた『英雄サラディン』を打ち負かし、エルサレムを守ったのだ。



ボードゥアン4世は、24歳でこの世を去った。十字軍の歴史を書いたルネ・グルッセは彼についてこう語っている。

その苦痛と克己に満ちた姿は、十字軍の全史を通じても、おそらくは最も高貴な姿であろう。英雄の雄姿は、膿と瘡におおわれながらも、聖人の面影を宿している。このフランスが生んだ王の純粋な肖像を不当な忘却の彼方からひきだして、マルクス・アウレリウス賢帝やルイ聖王のかたわらに置きたい


とにかく、この時代の人々は自分の信じる正義を盾に、命を燃やしたのである。


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論点構造タグ

  • #エルサレム多層支配史
  • #十字軍原因の多視点構造
  • #善悪二元論を拒む歴史理解
  • #イスラム英雄サラディン再評価
  • #忘れられた十字軍側英雄ボードゥアン4世
  • #アブラハム宗教三者の欲望の渦
  • #領土紛争と現代への連続線

問題提起(一次命題)

  • 十字軍遠征は「誰が先に仕掛けたのか」「どちらが悪いのか」という単純な構図では本当に説明できるのか。
  • エルサレムという一点に、ユダヤ・キリスト・イスラム三者の「奪還せよ」という欲望が重なった結果、何が起きたのか。
  • サラディンはなぜ敵側からも尊敬され、なぜボードゥアン4世のような英雄は忘れられがちなのか。
  • この歴史は、現在の中東問題・テロ・「十字軍」という言葉の使われ方と、どう地続きになっているのか。

因果構造(事実 → 本質)

  1. エルサレムの長い支配交代史 → 「欲望の渦」の形成
    • 事実:モーセの出エジプトからイスラエル王国建国、アッシリア・新バビロニア・アケメネス朝ペルシャ・マケドニア・ローマ…と、大帝国に次々支配され続けた。
    • 本質:エルサレムは「一つの民族・宗教の聖地」ではなく、「歴代帝国の覇権と三宗教の聖性」が折り重なった、極端に感情と象徴性の濃い地点になった。
  2. ローマ〜東ローマ支配下のエルサレム:異教共存期
    • 事実:ローマ〜東ローマ支配下の一時期、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教が共存し、異教徒禁制ではない「国際宗教都市」として機能していた。
    • 本質:一つの権力(ローマ)が上に立ち、「聖地を共有する」ルールが機能していた時間も確かに存在した。
  3. イスラムの征服(638年)→ セルジューク朝による占領(1071年)
    • 事実:636年ヤルムークの戦いなどで東ローマが敗北し、638年にはエルサレムがイスラム勢力の支配下へ。ファーティマ朝→セルジューク朝と支配が移る中でも、しばしば略奪禁止・虐殺禁止が命じられていた。
    • 本質:イスラム側の進出は「ローマ支配下の聖地を奪い返す」という論理でもあり、「先に荒らしたのはイスラム」という見方と、「先に支配していたのはローマ(キリスト教)」という見方が衝突する土台になった。
  4. ビザンツ帝国の窮状とクレルモン教会会議 → 第1回十字軍
    • 事実:セルジューク朝に押され、ビザンツ帝国は西へSOSを送る。1095年、教皇ウルバヌス2世がクレルモンで十字軍を呼びかけ、「エルサレム奪還」を掲げる。1099年、第1回十字軍がエルサレムを占領し、エルサレム王国を建国。
    • 本質:「信仰の防衛」と「領土・名誉・免罪・戦利品」が混ざった十字軍は、「正義の戦争」の看板で、複雑な利害が動員される典型例となった。
  5. ムハンマドへの迫害と軍事組織化 → 「防衛としての聖戦」
    • 事実:625年メディナがメッカから攻撃され、ユダヤ教徒・キリスト教徒を含む勢力がムハンマドを迫害。ムハンマドは軍を組織し、「攻撃してきた彼らを敵と定めた」。
    • 本質:イスラム側には、「先に攻撃されたのは自分たち」「自衛のための軍事化」という原体験があり、「聖戦」は攻撃性だけでなく「防衛の論理」も帯びていた。
  6. 十字軍遠征(全9回)と200年の対立の連鎖
    • 事実:1096〜1272年まで、十字軍とイスラム勢力との戦いが断続的に続く。第3回十字軍ではリチャード1世・フィリップ2世・フリードリヒ1世・サラディンらが登場。
    • 本質:「聖地を奪う/守る」という名目は同じでも、それぞれの正義・被害者意識・歴史解釈が異なるため、「原因は誰か」を決めるのがほぼ不可能な構造になっていった。
  7. エルサレムの歴史を俯瞰した結果見える二つの責任論
    • 事実:
      • 636〜のイスラム征服・占領を見れば、「続いていた共存状態を壊したのはイスラム」という解釈が可能。
      • 一方で、「そもそもローマ帝国(キリスト教)がユダヤの地を奪って属州にした」という起点で見れば、「元凶はローマ(キリスト教)」とも言える。
    • 本質:歴史のどこを「スタート地点」とするかで、「加害者」が入れ替わる。そこにユダヤ人の視点も加わり、誰か一人を「絶対悪」とすることが不可能なほど、構造が絡み合っている。
  8. グレゴリウス7世評価の揺れ → 個人と構造を切り分ける必要
    • 事実:ある教科書ではグレゴリウス7世が「破門戦術に味をしめた権力教皇」に見え、別の資料では「正義を愛し、不正を憎んだ改革者」と描かれる。彼はハインリヒ4世の赦免後に逆襲され、流謫の末に死去。
    • 本質:「中世教会全体は越権的に腐敗していた」という構造は維持しつつも、その中に善人・悪人が混在していたという細部を見ないと、歴史が「教団=悪」という雑な理解に堕ちてしまう。
  9. サラディン:宗教的憎悪を抑制した英雄像
    • 事実:サラディンは、無駄な殺傷を行わず、敵であるキリスト教徒からも「騎士道精神を持つ真の勇者」と評価された。第1回十字軍がエルサレムでユダヤ人虐殺を行ったのと対照的な姿として記憶される。
    • 本質:イスラム側にも、宗教憎悪に飲み込まれず「敵を人格として扱う指導者」がいたという事実は、「イスラム=攻撃的」という単純なラベリングを崩す。
  10. ボードゥアン4世:病を抱えた十字軍側の聖なる英雄
    • 事実:ハンセン病に苦しみながら13歳でエルサレム王となり、たった500人の兵士でサラディンの2万6000の軍を奇襲・撃破した逸話を持つ。24歳で早逝。ルネ・グルッセは彼を「十字軍全史でも最も高貴な姿」と評する。
    • 本質:十字軍側にも「純粋な勇気と克己」を体現した人物がいたことを認めると、「十字軍=悪」「イスラム=善」という図式もまた崩れる。

価値転換ポイント

  1. 「どちらが悪いか」から「どうしてこじれたか」への視点転換
    • 起点をどこに置くかで加害者・被害者が簡単に入れ替わるため、「犯人探し」ではなく「構造理解」に重心を移さない限り、同じ対立は解けない。
  2. 「キリスト教vsイスラム教」から「三者+帝国の四重対立」へ
    • 宗教だけでなく、アッシリア・ペルシャ・マケドニア・ローマといった帝国の利害も折り重なっているため、単純な宗教戦争ではなく「宗教+覇権」の複合戦争として捉える必要がある。
  3. 「集団ラベリング」から「個人へのスポットライト」へ
    • サラディン・ボードゥアン4世・グレゴリウス7世など、立場を超えて高貴さや善意を持った個人に目を向けると、「宗教ごとの善悪」という発想の危うさが浮かび上がる。
  4. 「聖地=平和の象徴」から「欲望の集中地点」へ
    • エルサレムは、三宗教の聖地であるがゆえに「平和を祈る場所」であると同時に、「自分の正しさを証明したい欲望」が三方向から集中する「精神版・プレート境界」のような存在になってしまった。

思想レイヤー構造

【歴史レイヤー】

  • モーセ〜イスラエル王国〜アッシリア〜ペルシャ〜マケドニア〜ローマ〜東ローマ〜イスラム帝国〜ファーティマ朝〜セルジューク朝〜十字軍〜サラディン…と続く、エルサレム支配の変遷。
  • 600年代:ムハンマド迫害・軍事組織化。
  • 636〜638年:イスラムによるエルサレム征服。
  • 1071年:セルジューク朝による占領・ビザンツ敗北。
  • 1095〜1099年:クレルモン会議〜第1回十字軍・エルサレム王国成立。
  • 1187年:サラディンによるエルサレム奪回。
  • 以後も中東戦争・テロ・イスラム国など、「十字軍」という言葉が残像として使われ続ける。

【心理レイヤー】

  • 三宗教それぞれの、「この地こそ自分たちの正当な聖地」という強烈なアイデンティティ。
  • 過去の迫害・支配の記憶から生じる被害者意識と、「奪われたものを取り返したい」という執着。
  • 指導者個人の中にある、「敵を憎み切らない」部分と、「正義を守るためには戦わねば」という葛藤。
  • 現代の私たちの側にある、「誰か一人を悪者にして安心したい」という心理。

【社会レイヤー】

  • 聖地を巡る支配者交代が、経済(巡礼・税)、社会構造(誰が市民か)、法制度(宗教裁判・差別)に影響を与える。
  • キリスト教会の権威と腐敗、中世封建社会、イスラムのウマイヤ朝・アッバース朝など、複数の巨大組織がそれぞれ自らの正統性を主張。
  • 領土紛争(尖閣・竹島・北方領土など)とも構造が似た、「過去の経緯と法律解釈の違いから、真実が一つに絞れない」現代問題。

【真理レイヤー】

  • 「誰が先に手を出したか」を延々と争っても、真理=愛=神の視点から見れば、そこで奪われた命・傷ついた心の前では意味を持たない。
  • どの宗教にも善人と悪人が混在し、真理に近づこうとする人と、宗教を利用する人がいるというシンプルな真理。
  • 聖地をめぐる争いは、「神の名の下に自分の欲望を正当化する」人間の魔性を可視化している。

【普遍性レイヤー】

  • 聖地・領土・歴史解釈を巡る争いは、エルサレムだけでなく、世界各地で繰り返される普遍的パターン(宗教・民族・国家)。
  • 情報源や教科書によって「悪者」が入れ替わる構造は、現代のメディア環境でも再現されており、「一次情報を含む多視点参照」の重要性を示している。
  • 善人と悪人はどの時代・どの陣営にも存在し、「陣営ではなく個人のあり方」を軸に見ないと、歴史から何も学べない。

概心命題(4〜6点)

  1. 十字軍遠征は、「キリスト教が悪」「イスラムが悪」という単純図式では説明できないほど、長い支配交代史と三宗教それぞれの被害者・加害者意識が絡み合った結果として発生した。
  2. エルサレムは、帝国と三宗教の歴史をすべて浴び続けた結果、「聖地であるがゆえに争いが集まる」という矛盾した地点=人間の欲望の渦となってしまった。
  3. サラディンやボードゥアン4世のように、立場の違いを超えて高貴さ・克己・他者への敬意を体現した人物は、どちらの陣営にも存在し、「宗教で善悪を切ることの危うさ」を教えてくれる。
  4. グレゴリウス7世に対する評価の揺れは、「権威ある組織の腐敗」という構造と、その中にいる個々の善人・悪人を切り分けて理解する必要があることを示している。
  5. 最も正確なまとめは、「アブラハムの宗教はエルサレムや教えの違いをめぐって古くから揉めており、中世のキリスト教会は全体として越権行為に走りがちだったが、その中にも善人と悪人が混在していた」という、単純化を拒む真理である。

引用・補強ノード

  • ウルバヌス2世:クレルモン教会会議で十字軍を呼びかけたローマ教皇。
  • グレゴリウス7世:カノッサの屈辱・叙任権闘争の中心にいた教皇。教会改革者でありつつ、破門戦術の象徴ともなった。
  • ハインリヒ4世:破門によって諸侯から見捨てられ、カノッサ城で教皇に謝罪せざるを得なかった神聖ローマ皇帝。
  • サラディン(サラーフ=アッディーン):エルサレムを奪回し、敵にも敬意を払ったイスラム側の英雄。
  • ボードゥアン4世:ハンセン病に苦しみながらエルサレムを防衛した若き十字軍側の王。
  • リチャード1世・フィリップ2世・フリードリヒ1世:第3回十字軍に参加した西欧側君主たち。
  • ムハンマド:迫害と軍事組織化の経験から、イスラム教と「防衛的聖戦」の原型を形作った預言者。

AI文脈抽出メタデータ

主題:

  • エルサレムの長い支配交代史と、十字軍遠征をめぐる「原因論・責任論・英雄像」を多視点から再構成し、キリスト教・イスラム教・ユダヤ教の対立構造とその現在への影響を整理する。

文脈:

  • ローマ帝国・東ローマ帝国・イスラム帝国・十字軍・サラディン・近現代の中東戦争・テロ(「十字軍」という言葉の再利用)までの連続線。

世界観:

  • 誰か一つの宗教・民族・文明を「絶対悪」とする視点ではなく、「どの陣営にも善悪が混在し、構造と欲望がこじれを生み、個々の英雄がその中で光る」という、多層的・非二元的な世界観。

感情線:

  • 三宗教のそれぞれの「傷」と「奪われたもの」への執着。
  • 指導者たちの高貴さと傲慢さが交錯するドラマ(サラディン・ボードゥアン・グレゴリウス7世)。
  • 現代を生きる私たちの、「もう同じ悲劇を繰り返してほしくない」という願い。

闘争軸:

  • キリスト教 vs イスラム教 vs ユダヤ教(アブラハム宗教三つ巴)。
  • ローマ帝国・東ローマ帝国・イスラム帝国・十字軍諸国という政治プレイヤー同士の覇権争い。
  • 善意の改革 vs 権力の腐敗。
  • 「誰かを悪者にしたい心理」 vs 「複雑さと向き合う誠実さ」。
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