ハニワくん先生、質問があるんですけど。
先生では皆さんにもわかりやすいように、Q&A形式でやりとりしましょう。
ハニワくんなるほど!
博士も、もっと詳しく教えてくだされ!
フィリップ4世が死去した後、フランスの王位をめぐって争いが起き、それが『百年戦争』の原因となりました。
フランス王になったフィリップ6世は、先王のフィリップ4世の血筋ですが、同じくイングランドのエドワード3世もフィリップ4世の女系の孫だったので、王位継承権を要求します。しかしそれははねのけられ、フィリップ6世がフランス王に即位しました。その後、国王フィリップ6世と対立していた、義弟のロベール3世・ダルトワは、エドワード3世にフランス王を主張することを勧める。
エドワード3世『フランス王に、俺はなる!』
フィリップ6世『ははは!戯言を!我が真の継承者だ!』
そうして始まった百年戦争ですが、前半は『黒太子(ブラックプリンス)』と呼ばれたエドワード3世の子『エドワード黒太子』が大活躍しました。1356年には『ポワティエの戦い』で、4倍の兵力のフランス軍を打ち破り、国王ジャン2世を捕虜にすることに成功し、スペイン遠征でも勝利をおさめます。しかし、後半になるとフランス軍が優勢になります。
(フランスを救え…フランスのために立ち上がるのだ)
という神のお告げを聞いた16歳だったジャンヌ・ダルクは、廃位を求められたシャルル王太子のもとに駆け付け、自ら軍隊を先導してオレルアンを解放。2か月後に王太子は、シャルル7世として戴冠しました。これによって彼女は『オレルアンの乙女』として名を知られることになります。結果的に彼女はイングランドに捕らえられ、処刑されますが、その後愛国心が芽生えたフランス国民が決起し、百年戦争はフランス軍の勝利で幕を閉じました。
博士うーむ!やはりそうじゃったか!
ハニワくん僕は最初の説明でわかったけどね!
先生更に詳しく知りたい方は、以下の記事をご覧ください。
百年戦争

上記の記事の続きだ。こうしてスペインからオランダに覇権が移り、17世紀後半に、3度にわたるイギリスとの戦争『英蘭戦争』で敗れると、覇権はオランダからイギリスに移るのである。さて、冒頭の記事でスペイン・ポルトガル、ドイツ、オランダ、イギリスについてまとめ、下記の記事で少しフランスについてまとめたが、もう一度中世のフランスについてちゃんと見てみよう。

フランスの尊厳王フィリップ2世
中世のイギリスでは、フランスとの『百年戦争』、内乱である『バラ戦争』と戦乱が続き、疲弊した封建貴族が没落し、それに代わって国王の権力が強まった。今回中心として考えるのは、この『百年戦争』である。下記の記事で、十字軍とイスラム勢力との戦いで一番有名な『第3回十字軍(1189年 – 1192年)』で戦った、
- イギリスの獅子心王、リチャード1世
- フランスの尊厳王、フィリップ2世
- 神聖ローマ帝国の赤髭王、フリードリヒ1世
- イスラム勢力盟主アイユーブ朝、サラディン
について少しまとめたが、フィリップ2世はイギリスのジョン王に勝利し、フランス内のイギリス領を奪い返し、王の権威を高めていた。

[フィリップ2世、フランス・カペー朝第7代の王(在位:1180年 – 1223年)]

聖王ルイ9世、端麗王フィリップ4世
『尊厳王』フィリップ2世の孫、ルイ9世(在位:1226年 – 1270年)は『聖王』の称号を受け、更にフランスの士気を高めていた。更にその孫のフィリップ4世(在位:1285年 – 1314年)は、『端麗王』と呼ばれた。下記の記事で書いた『アナーニ事件』の当事者である。フィリップ4世が国内の聖職者へ課税を行うのだが、教皇ボニファティウス8世に謝罪するよう突き付けられる。しかし、フィリップ4世は謝罪せず、むしろ家臣を使ってボニファティウスを襲撃したのである。

[アルフォンス·マリー·アドルフ=ドヌー「教皇ボニファティウス8世の捕縛」]

このあたりから『権力者=教皇』という図式は『権力者=国王』という図式に塗り替えられ始めていた。そんな中、イギリスとフランスが中世ヨーロッパの覇権をかけて『百年戦争』を始めるのである。
エドワード3世の王位継承権要求
当時、そのフランス王フィリップ4世の子供であるシャルル4世(在位:1322年 – 1328年)が死去すると、カペー朝が断絶。ヴァロワ朝フィリップ6世(在位:1328年 – 1350年)が国王になる。フィリップ6世はヴァロワ朝初代のフランス王となるわけだ。だが、野心家だったイングランドの王、エドワード3世が王位継承権を要求した。彼はフィリップ4世の女系の孫だったのだ。
だが、フィリップの即位は異議なく受け容れられ、両者の間には遺恨が残っていた。その後、フィリップ6世と対立していた彼の義弟のロベール3世・ダルトワを巡って亀裂が生じる。彼がエドワード3世に、フランス王になることを勧めたのだ。そしてエドワード3世は親英家のフランドル伯を味方につけ、フランスに上陸、そして1337年、『百年戦争』の火ぶたが切られることになる。

[エドワード3世]
黒太子(ブラックプリンス)エドワード黒太子
戦争の結果は、前半がイギリス、後半はフランスの勝利だった。前半で活躍したのはエドワード3世の子である『エドワード黒太子』だった。『黒太子(ブラックプリンス)』と言われた時の王太子エドワード黒太子は、黒い鎧に身を固めたイギリスの猛将であり、軍事的才能があった。16歳の時、『クレシーの戦い』で勝利し、1356年には『ポワティエの戦い』で、4倍の兵力のフランス軍を打ち破り、国王ジャン2世を捕虜にすることに成功し、スペイン遠征でも勝利をおさめる。

[エドワード黒太子]
オレルアンの乙女ジャンヌ・ダルク
だが、後半にフランスで活躍したブラックプリンスよりも有名な人物がいる。それこそが、『ジャンヌ・ダルク』その人である。
フランスを救え…フランスのために立ち上がるのだ
という神のお告げを聞いた16歳だったジャンヌ・ダルクは、廃位を求められたシャルル王太子のもとに駆け付け、自ら軍隊を先導してオレルアンを解放。2か月後に王太子は、シャルル7世として戴冠した。これによって彼女は『オレルアンの乙女』として名を知られることになる。

[『シャルル7世年代記』の、ジャンヌとシャルル7世が描かれたミニアチュール。]
だが、ブルゴーニュ軍に捕らえられ、イングランド軍に売り飛ばされ、宗教裁判にかけられた彼女は、19歳の若さで火刑に処せられ、この世を去ったのであった。1431年5月30日に火刑に処された彼女の命がつないだのか、同年、リールにおいて、ブルゴーニュ公フィリップ善良公とシャルル7世の間に6年間の休戦が締結される。
これを機にシャルル7世はブルゴーニュのアングロ・ブルギーニョン同盟破棄を画策し、1435年にはフランス・イングランド・ブルゴーニュの三者協議においてイングランドの主張を退け、ブルゴーニュとアラスの和約を締結、フランス・ブルゴーニュの同盟を結ぶことに成功した。

[ヘルマン・スティルケが1843年に描いた『火刑台のジャンヌ・ダルク』(エルミタージュ美術館、サンクトペテルブルク)。ジャンヌは白いロングスカートを身に付け、頭には罪人を示す被り物がある。]
その後更にいろいろあるが、1453年7月17日、フランス軍はカスティヨンの戦いに大勝し、イギリス軍人タルボットが戦死、10月19日に再度ボルドーが陥落し、百年戦争は終息する。結果的には、フランス軍がイギリス勢力のほとんどを大陸から追い出す形で戦争が終結したのである。
バラ戦争や戦後
しかしこの後のイギリスは『バラ戦争』という内乱が起きるし、フランスはフランス王ヴァロア家と、神聖ローマ皇帝のハプスブルク家が60年間戦った戦争『イタリア戦争(1494年 – 1559年)』が起きたりして、まだまだ戦乱は続いていく。

[百年戦争の変遷、フランス(黄)、イングランド(グレー)、ブルゴーニュ(黒)]
さて、これで14~16世紀のヨーロッパ、
- スペイン
- ポルトガル
- ドイツ
- オランダ
- イギリス
- フランス
の動きの輪郭を見た。冒頭の記事にも書いたように、ヨーロッパの覇権の推移は以下のとおりである。
ヨーロッパの覇権の推移
エリザベス女王の時代に、イギリスがヨーロッパの覇権を握ったわけだ。

[背景に描かれているスペイン無敵艦隊に対する勝利(1588年)を祝うエリザベス1世の肖像画。エリザベスの手は地球儀に置かれ、彼女の国際的な力を象徴している。]
しかし、イギリスの最大の脅威はスペインとこの『フランス』だった。1560年、スコットランド、フランスとの和議を締結し、不毛な争いを終結。これによってフランス軍をスコットランドから排除し、スコットランドにおけるプロテスタントの優位を確立させる。こうしてイギリスはライバル国を出し抜き、ヨーロッパの覇権を握ることに成功したのだ。
ちなみにその和議の翌年に即位したフランスの王はシャルル9世(在位:1561年 – 1574年)だった。フランスの貴公子アンリは、カトリックである王家が新教徒(プロテスタント)の旗手を婿に迎えれば、両者の対立が緩和するのではないかという考えでマルグリット王女と婚礼をあげるが、数日後、結婚を祝う新教徒たちの集団にカトリックの一群がなだれ込み、流血騒ぎとなる。それが下の図、『サン・バルテルミの虐殺(1572年)』である。

[「サン・バルテルミの虐殺」 フランソワ・デュボア作]
彼はこの2年後、惨劇の重圧に耐えられず、24歳の若さで亡くなった。ジャンヌ・ダルクは19歳、エリザベス女王の母、アン・ブーリンも『あってはならない密通』によって若くして処刑されたが、戦争で亡くなった多くの人々と同様、第一線で先陣を切る要人たちもまた、安穏たる日々とは無縁だったようだ。戦争、宗教(思想の違い)、無知、傲慢といった『人間から生まれた概念』が、地球を生きるこれだけの人々に強く影響を与えたのである。
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論点構造タグ
#百年戦争の構造
#王位継承争いと国家形成
#ジャンヌダルクと国民意識
#教皇権から国王権へ
#宗教対立と戦乱連鎖
#ヨーロッパ覇権リレー史観
#個人の悲劇と構造暴力
#「人間が生んだ概念」の暴走
問題提起(一次命題)
「百年戦争とは、単なるイギリス vs フランスの長期戦ではなく、
王位継承争い・教皇権から国王権への移行・宗教対立・覇権争いが絡み合う中で、
ジャンヌ・ダルクのような個人の人生をも巻き込みながら、ヨーロッパの構造そのものをどう変えていった戦争だったのか。」
因果構造(事実 → 本質)
- 【王位継承争いの表層原因】
- カペー朝フィリップ4世の系譜が途絶え、シャルル4世の死でカペー朝断絶
- ヴァロワ朝フィリップ6世が即位
- 一方、イングランド王エドワード3世もフィリップ4世の女系の孫として王位継承権を主張
- フィリップ6世の義弟ロベール3世・ダルトワがエドワード3世にフランス王主張を唆す
→ 両者の遺恨が顕在化し、1337年の挑戦状を皮切りに百年戦争へ
- 【フランス王権の地ならし】
- 尊厳王フィリップ2世:イギリスのジョン王からフランス領を奪還し王権強化
- 聖王ルイ9世:敬虔な王としてフランスの求心力を高める
- 端麗王フィリップ4世:アナーニ事件で教皇ボニファティウス8世を襲撃
→ 「権力者=教皇」から「権力者=国王」への図式転換が始動
- 【百年戦争前半:イングランド優勢】
- エドワード3世が親英的なフランドル伯を味方にしフランスへ上陸
- 黒太子エドワード:
- クレシーの戦い(16歳で勝利)
- ポワティエの戦いで4倍の兵力のフランス軍を破り、ジャン2世を捕虜に
→ 長弓・戦術でフランス騎士階級を圧倒し、「イギリス軍無双」の時代
- 【後半:フランス反転とジャンヌ・ダルク】
- 戦乱の長期化の中でフランスの求心力が低下しつつも、「フランスを救え」という神の声を聞いたジャンヌが登場
- 16歳のジャンヌがシャルル王太子のもとに駆けつけ、オルレアン解放を先導
- 2か月後、シャルル7世として戴冠 → 王の正統性が可視化
- その後ジャンヌは捕縛・宗教裁判・火刑(19歳)
→ 彼女の死後にかえってフランスの愛国心・王権への結集が進む
- 【戦争終結とその後の連鎖】
- 1431年:ジャンヌ処刑と同年、ブルゴーニュとの休戦成立
- 1435年:アラスの和約でブルゴーニュがイングランドから離反し、フランスと同盟
- 1453年:カスティヨンの戦いでフランス大勝・ボルドー陥落 → 百年戦争終結
- 結果:フランスが大陸からイングランド勢力のほとんどを排除し、ヴァロワ朝による事実上の統一へ
- しかしその後:
- イングランドはバラ戦争に突入
- フランスはイタリア戦争など新たな大戦へ
- 【覇権リレーと戦争構造の大局】
- 記事後半では、アッシリア→ペルシャ→マケドニア→ローマ→モンゴル→オスマン→スペイン→オランダ→イギリスと続く覇権リレーを再掲
- 百年戦争期のフランス・イギリスの戦乱は、
- のちのスペイン・オランダ・イギリス覇権争いへと接続する「ヨーロッパ内力学」の一部であることが示される
- 宗教戦争(サン・バルテルミの虐殺など)と合わせて、
「戦争・宗教・無知・傲慢」という人間由来の概念が、人々の生と死を大きく左右した時代として総括
⇒ 王位継承争いをきっかけにしたこの長期戦は、
「教皇から国王への権力移行」「国民意識の芽生え」「覇権リレーの節目」として、
ヨーロッパの政治・宗教・感情構造を組み替えた戦争だった、という本質に収束する。
価値転換ポイント
- 【教皇中心 → 国王中心】
- アナーニ事件:教皇を襲撃する王
→ 宗教的権威よりも、現実政治としての王権が前面に出る転換点。 - 百年戦争は「ローマの教皇が命じる聖戦」ではなく、「国王同士が自らの王位・領土のために戦う戦争」へと性格が変化。
- アナーニ事件:教皇を襲撃する王
- 【封建的主従関係 → 王国単位の戦争】
- 「○○領主の家臣」として戦場に出る世界から、
「フランス」「イングランド」という“国”を意識して戦う世界へ。 - ジャンヌ・ダルクは、王太子個人のためというより「フランスのために立ち上がる」象徴に。
- 「○○領主の家臣」として戦場に出る世界から、
- 【騎士の英雄譚 → 民衆と乙女の物語】
- 前半:黒太子のような騎士が戦場を支配
- 後半:農民の娘であるジャンヌが、神のお告げを受けた存在として国の運命を動かす
→ 貴族戦争から「民衆も巻き込む国家の戦争」へと感情構造が変わる。
- 【一部エリートの戦争 → 広範な悲劇としての戦争】
- 最後のまとめで、ジャンヌ(19歳)、アン・ブーリン、シャルル9世など、
若くして命を落とした「先頭に立つ人々」の悲劇に触れる
→ 戦争や宗教・無知・傲慢は、一般兵士だけでなく、
指導者・改革者・王族・民衆すべてを巻き込む“構造的悲劇”であるという視点への転換。
- 最後のまとめで、ジャンヌ(19歳)、アン・ブーリン、シャルル9世など、
思想レイヤー構造
【歴史レイヤー】
- 十字軍・教皇権の時代 → フィリップ4世とボニファティウス8世の対立(アナーニ事件)
- フィリップ2世・ルイ9世・フィリップ4世と続くカペー朝王権の強化
- カペー朝断絶 → ヴァロワ朝成立 → 百年戦争勃発
- 戦争前半:エドワード3世・黒太子の活躍によるイングランド優勢
- 戦争後半:ジャンヌ・ダルク登場、シャルル7世の戴冠、フランスの反転勝利
- 戦後:イングランドのバラ戦争、フランスのイタリア戦争など新たな戦乱へ
- その後の覇権リレー(スペイン→オランダ→イギリス)への接続
【心理レイヤー】
- エドワード3世:
- 「自分こそ正統なフランス王だ」という野心とプライド。
- フィリップ4世・フィリップ6世:
- 教皇や対立王からの圧力に屈したくない王権の自尊心。
- ジャンヌ・ダルク:
- 「フランスを救え」という神の声への絶対的な信頼と使命感。
- 16〜19歳という年齢に似合わない強烈な覚悟と孤独。
- フランス国民:
- 度重なる敗戦・占領への屈辱 → ジャンヌの行動を通じて芽生える愛国心と一体感。
- シャルル9世:
- サン・バルテルミの虐殺後の重圧と罪悪感に押し潰される心理。
【社会レイヤー】
- 封建領主と王権のパワーバランスが、戦争を通じて「王権強化」の方向に傾く。
- フランス・イギリス双方で、長期戦による封建貴族の疲弊と没落 → 王権・中央集権の基盤に。
- 宗教改革・宗派対立(カトリック vs プロテスタント)が、
- 各国内の内乱(ユグノー戦争、ブラッディ・メアリー政権)
- 国際関係(スペイン vs オランダ・イギリス)
に直結する社会構造。
- 戦争・宗教・覇権争いが、民衆の生活・王族の婚姻・個人の生死にまで浸透する全方位的な影響。
【真理レイヤー】
- 「戦争・宗教・無知・傲慢」といった概念は、自然現象ではなく「人間が生み出したもの」でありながら、
その人間自身を破壊する力を持つ、という逆説。 - 正義・信仰・名誉といった名目が、
- 実際には権力欲・恐怖・プライドと結びつき、
- 若い命や民衆の生活を踏みにじる結果を生む構造。
- それでもなお、
- ジャンヌ・ダルクのように「自分なりの正義・使命」を信じて立ち上がる人間がいる、
という点に、人間の尊厳と危うさが同時に現れている。
- ジャンヌ・ダルクのように「自分なりの正義・使命」を信じて立ち上がる人間がいる、
【普遍性レイヤー】
- 「覇権をめぐる長期戦」「宗教やイデオロギーを旗印にした戦争」「若い英雄の悲劇的死」は、
時代や地域を超えて繰り返される普遍パターン。 - 権力構造の転換期(教皇権→王権、封建→主権国家)は、
必ず戦争・内乱・粛清を伴い、多数の犠牲を出す傾向がある。 - 個人レベルでは愛・信仰・忠誠から生まれた選択が、
集合レベルでは国家・宗教・覇権争いの材料として利用される、という普遍的なねじれ。
核心命題(4〜6点)
- 百年戦争は、エドワード3世とフィリップ6世の王位継承争いという表層を超え、「教皇権から国王権への移行」「封建社会から主権国家への胎動」を内包した構造転換の戦争である。
- 前半は黒太子エドワードの軍事的才能によるイングランド優勢、後半はジャンヌ・ダルクとシャルル7世を軸にしたフランスの反転勝利という形で、戦況が劇的に反転した。
- ジャンヌ・ダルクの行動は、単なる英雄譚ではなく、「フランス」という共同体意識と王の正統性を可視化し、国民的愛国心を呼び覚ます触媒となった。
- 百年戦争は終わっても、イングランドではバラ戦争、フランスではイタリア戦争、さらには宗教戦争・覇権争いと、戦乱は形を変えて続き、ヨーロッパ覇権リレーの一コマとして連結していく。
- 戦争・宗教・無知・傲慢といった、人間が生んだ概念は、ジャンヌやアン・ブーリン、シャルル9世のような個人の人生をも巻き込み、多くの若い命や民衆の生活を犠牲にしてきた、という厳しい人間史の本質が示されている。
引用・補強ノード
- フィリップ2世(尊厳王)
- イギリス王ジョンに勝利し、フランス内のイギリス領を奪還して王権を強化。
- ルイ9世(聖王)
- 聖王として敬愛され、フランスの道徳的求心力を高めた王。
- フィリップ4世(端麗王)とアナーニ事件
- 教皇ボニファティウス8世を襲撃し、教皇>王から王>教皇へという権力構図の転換点に。
- エドワード3世
- フィリップ4世の女系孫としてフランス王位継承権を主張し、百年戦争の口火を切ったイングランド王。
- エドワード黒太子(ブラックプリンス)
- クレシー・ポワティエなどで大勝利を収めたイングランドの猛将。
- ジャンヌ・ダルク
- 神のお告げを受けた「オルレアンの乙女」としてオルレアンを解放し、シャルル7世の戴冠を導いたが、捕縛・裁判・火刑に処された。
- シャルル7世
- ジャンヌの支援を受けて戴冠し、その後アラスの和約や同盟再編を通じて百年戦争終結を引き寄せた王。
- シャルル9世とサン・バルテルミの虐殺
- カトリックと新教徒の対立の中で大虐殺が起き、その重圧の中で若くして世を去ったフランス王。
AI文脈抽出メタデータ
主題:
フランスとイングランドの百年戦争を中心に、中世末〜近世初頭のヨーロッパで、
王位継承争い・教皇権から国王権への移行・宗教対立・覇権リレーがどのように絡み合い、
ジャンヌ・ダルクら個人の悲劇を伴いながら「国家」と「戦争」の構造を変えていったかを描く。
文脈:
- 歴史状況:十字軍後の教皇権の揺らぎ、カペー朝からヴァロワ朝への転換、百年戦争、宗教改革・宗教戦争、イタリア戦争、スペイン〜オランダ〜イギリス覇権リレー。
- 社会背景:封建制の疲弊、王権強化、宗教分裂、民衆の愛国意識の芽生え。
- 思想系統:
- 「権力者=教皇」から「権力者=国王」、
- 封建国家から主権国家、
- 宗教絶対主義から現実政治・構造暴力への自覚へ。
世界観:
- 歴史は、王や英雄の物語であると同時に、「人間が作った概念(戦争・宗教・国家・名誉)」が暴走し、
多数の人々の生を飲み込んでいくプロセスでもある。 - しかし、その中でもジャンヌのように自らの信じるもののために立ち上がる人間が存在し、
その行為が国の方向や時代の空気を変えてしまうこともある。
感情線:
- 王位継承争いと長期戦の中で、国土が荒廃し、民衆が疲弊していく重苦しさ。
- 黒太子の快進撃におけるイングランド側の高揚と、フランス側の屈辱。
- ジャンヌ登場による希望と熱狂、その直後の捕縛・火刑による衝撃と喪失感。
- サン・バルテルミの虐殺・若き王や王妃たちの早すぎる死に伴う虚無。
闘争軸:
- フランス王位をめぐるエドワード3世 vs フィリップ6世・ヴァロワ家。
- 教皇権 vs 王権(アナーニ事件)
- イングランド vs フランス(百年戦争)
- カトリック vs プロテスタント(宗教戦争・ユグノー戦争・ブラッディ・メアリー政権)
- 戦争・宗教・無知・傲慢といった概念の暴走 vs 個人の尊厳・使命感・愛国心。


































