ハニワくん先生、質問があるんですけど。
先生では皆さんにもわかりやすいように、Q&A形式でやりとりしましょう。
ハニワくんなるほど!
博士も、もっと詳しく教えてくだされ!
エリザベス女王が死去し、スコットランドの王ジェームズ1世がイギリス王を兼ねるようになりました。
彼は、エリザベス1世の父であるヘンリー8世から受け就いだ『英国国教会』の立場からピューリタン(清教徒、カルバン派の一派)を弾圧し、議会との対立が深まってしまいました。ピューリタンを中心とする議会はが国王に抵抗し、『ピューリタン革命』が始まったのです。
ジェームズ1世の次にイギリス王となったチャールズ1世の処刑を指示したクロムウェルは、議会派での反対派を追放し、独裁権を得ていました。イギリスには結果的には『共和政』という『王がいない時代』が到来したので、共和制イギリスのこの時代、国のリーダーはこのクロムウェルとなったわけです。彼は『英蘭戦争』に勝ち、ヨーロッパの覇権を獲ったので勢いはありました。しかし傲慢なやり方に不満があり、彼が死んだ後のイギリスは、再び『王様』を必要とするかしないかで、揉めることになります。
博士うーむ!やはりそうじゃったか!
ハニワくん僕は最初の説明でわかったけどね!
先生更に詳しく知りたい方は、以下の記事をご覧ください。
エリザベス女王の後のイギリス

記事としては上記の記事の続きだ。こうしてイギリスはエリザベス1世が女王となり、ライバル国フランス、スペインを押さえ、『英蘭戦争』でオランダも制圧して、ヨーロッパの覇権を握った。
ピューリタン革命
そしてエリザベス1世は死去し、スコットランドの王ジェームズ1世(在位:1603年7月25日 – 1625年3月27日)がイギリス王を兼ねるようになった。『処女王』だった彼女に子供はいなかったのである。
メアリ・スチュアートの子だった彼の時代はスチュアート朝となった。彼は、エリザベス1世の父であるヘンリー8世から受け就いだ『英国国教会』の立場からピューリタン(清教徒、カルバン派の一派)を弾圧し、カトリックも取り締まったが、これによって、議会との対立が深まってしまった。ピューリタンを中心とする議会はが国王に抵抗し、『ピューリタン革命』が始まったのである。

[内戦勢力図。黄色は議会派、赤は王党派。 左上:1642年、右上:1643年、左下:1644年、右下:1645年。]
1642年から内乱がはじまり、当時英国王だったチャールズ1世(在位:1625年 – 1649年)はその内乱によって処刑された。クロムウェルが指導した議会派が勝利する形となったのである。

[オリバー・クロムウェル]
ちなみに、これによって、国家の基盤、存在自体が危ぶまれてしまったので、精神面の動きにあっては、イギリスの哲学者、トマス・ホッブズが『社会契約論』を主張して、国家がいかに必要であるかを説いたのであった。その詳細は下記の記事にまとめてある。

共和制イギリスと指導者クロムウェル
チャールズ1世の処刑を指示したクロムウェルは、議会派での反対派を追放し、独裁権を得ていた。王が処刑されたイギリスでは、トマス・ホッブスら思想家たちの活躍もあったが、結果的には『王がいない時代』が到来した。これを『共和政』という。共和制イギリスのこの時代、国のリーダーはこのクロムウェルとなったわけだ。このクロムウェルの時代に、冒頭の記事に書いた『英蘭戦争』があったのだ。
英蘭戦争
| 1640~1649年 | ピューリタン革命 |
| 1649年 | 共和政が成立 |

[ネイズビーの戦い後の風景(1645年)]
| 1652~1654年 | 第一次イギリス=オランダ戦争 |
| 1665~1667年 | 第二次イギリス=オランダ戦争 |
| 1672~1674年 | 第三次イギリス=オランダ戦争 |

[第2次英蘭戦争中の1666年6月11日から14日にかけて海戦が行われた(エイブラハム・ストーク画)]
オランダの代わりに世界の貿易市場をリードすることになったクロムウェル時代のイギリスは勢いがあった。しかし、クロムウェルは徐々に軍事独裁色を強め、自らを『護国卿』という役職にし、終身的に、その地位を確保しようと画策した。
王政が復古(名誉革命)
だが、その強引なやり方に民衆の反感を買う。チャールズ1世が死んだ10年後の1658年にクロムウェルが死去すると、チャールズ2世が英国王の跡を継ぎ、1660年に共和政の時代が終わり、『王政』が復古する。しかし、専制的な国王と議会の対立は続いてしまった。
チャールズ2世はフランスのルイ14世と密約を結び、国内のカトリック化を図る。弟のジェームズ2世が1685年に即位すると、宗教裁判の復活をはじめ一連の反動的な政策を展開した。そして議会を解散させて独裁の構えを見せる。だが、1688年、議会は彼の追放を決議し、メアリ2世(在位:1689年2月13日 – 1694年12月28日)とウィリアム3世(在位:1689年2月13日 – 1702年3月8日)の夫妻を共同統治王として迎えることにした。

[メアリ2世とウィリアム3世]
無血で行われたこの革命は『名誉革命』と呼ばれた。名誉革命後、追放されたジェームズ2世はフランスに亡命し、ルイ14世の援助を受けアイルランドに上陸するが、ボイン川の戦いでこのウィリアム3世に敗れた。両王は、『王よりも議会が優位である』ことを宣言した『権利の宣言』を認め、『権利の章典』として国民に発布し、これによって議会が政治を主導するイギリスの立憲王政が確立した。

[権利の章典]
『王は君臨すれども統治せず』
ウィリアム3世の死後、ジェームズ2世の子、アン(女王、在位:1702年4月23日 – 1707年4月30日)が即位する。アンはイングランドとスコットランドを合同し、『グレート=ブリテン王国』を成立させた。だが、アンの子が幼くして亡くなっていたため、1714年にはスチュアート朝が断絶。そしてドイツのハノーヴァー候が『ジョージ1世(英国王としての在位期間は1714年8月1日から1727年6月11日)』として英国王となる。
実は彼とアンには縁談があったが、アンが嫌ったため、破談になっていた。ドイツ育ちの国王は英語が喋れなかった。54歳という高齢で即位したことも手伝って、政治は議会出身の政治家たちに一任された。こうして、
『王は君臨すれども統治せず』
という原則が固定化されたのである。そして、ロバート・ウォルポールが1721年から1742年まで、20年にわたり事実上の『首相』を務め、土地税を最大時の4分の1まで下げる一方で、商業や工業、貿易の振興を図ることで税収を増加させることに成功する。また、対外的には戦争をできるだけ避け、安定と平和を追求し、この後にイギリスで起こる『産業革命』へとつながるのである。戦争は避けるが、広大な植民地を持っていた。産業革命を起こすだけの資金が蓄えられていったのである。
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論点構造タグ
#王権神授説から立憲王政へ
#ピューリタン革命と名誉革命
#議会主権と「王は君臨すれども統治せず」
#宗教対立(国教会vsピューリタンvsカトリック)
#共和政イギリスと軍事独裁
#英蘭戦争と覇権移行
#社会契約論と国家正当性
#産業革命前夜の構造整備
問題提起(一次命題)
「イギリスはなぜ、王を処刑するほどの内戦と共和政を経験しながら、
最終的に『王は君臨すれども統治せず』という立憲王政へとたどり着いたのか。
その背後で、宗教対立・議会 vs 王権・対外戦争・思想家の議論がどのように絡み合っていたのか。」
因果構造(事実 → 本質)
- 【エリザベス以後の宗教と王権】
- エリザベス1世死去 → 子がいないため、スコットランド王ジェームズ1世がイングランド王を兼ねスチュアート朝成立
- ヘンリー8世以来の「英国国教会」を継承したジェームズ1世は、
- ピューリタン(清教徒/カルヴァン派)を弾圧
- カトリックも取り締まり
→ 国教会以外に対して強権的姿勢をとり、議会(ピューリタン中心)との対立が激化
- 【ピューリタン革命(清教徒革命)の爆発】
- ジェームズ1世の後、チャールズ1世が在位
- 課税や宗教政策で議会と対立し、内戦へ(1642年〜)
- 国王側(王党派) vs 議会側(議会派/ピューリタン中心)
- クロムウェルが議会派の軍事指導者となり、ネイズビーの戦いなどで決定的勝利
- 1649年、チャールズ1世を処刑 → 王を裁き、処刑するという「王権への根源的挑戦」
- 【共和政とクロムウェル独裁】
- 王なき国家=共和政イギリスが成立
- クロムウェルは議会内反対派を追放し、「護国卿」として実質終身独裁に近づく
- 対外的には英蘭戦争に勝利し、オランダから貿易覇権を奪うなど成果を上げる一方で、
- 軍事独裁・宗教的厳格さへの不満が蓄積
- 国家の正当性危機の中で、ホッブズが『社会契約論』『リヴァイアサン』を通して
「なぜ国家が必要なのか」を理論化
- 【王政復古と再び宗教対立】
- クロムウェル死去(1658) → 共和政の求心力低下
- 1660年、チャールズ2世が即位し王政復古
- しかしチャールズ2世はルイ14世と密約を結び、国内のカトリック化を志向
- 弟ジェームズ2世が1685年に即位すると、
- カトリック復活・宗教裁判の再開・議会解散など反動的政策を連発
→ 再び「専制的国王 vs 議会・プロテスタント」という構図が鮮明化
- カトリック復活・宗教裁判の再開・議会解散など反動的政策を連発
- 【名誉革命と立憲王政の確立】
- 1688年、議会はジェームズ2世追放を決議し、
- メアリ2世(ジェームズ2世の娘)とオランダ総督ウィリアム3世を共同統治王として迎える
- 無血で政権交代が行われたため「名誉革命」と呼ばれる
- 追放されたジェームズ2世はアイルランドでの反攻に敗北(ボイン川の戦い)
- ウィリアム3世とメアリ2世は
- 『権利の宣言』を承認 → 『権利の章典』として発布
→ 「王よりも議会が優位である」「議会が政治を主導する」という原則を明文化
- 『権利の宣言』を承認 → 『権利の章典』として発布
- 1688年、議会はジェームズ2世追放を決議し、
- 【『王は君臨すれども統治せず』の定着と産業革命への布石】
- ウィリアム3世死後、アン女王がイングランドとスコットランドを合同し、グレート=ブリテン王国成立
- 1714年、スチュアート朝断絶 → ハノーヴァー朝ジョージ1世がドイツから招かれる
- 英語が話せず高齢 → 政治を議会出身の政治家に委ねる
→ 「王は君臨すれども統治せず」という慣行が実務として固着
- 英語が話せず高齢 → 政治を議会出身の政治家に委ねる
- ロバート・ウォルポールが実質的「最初の首相」として20年在任
- 土地税を軽減しつつ商工業・貿易振興で税収増
- 戦争を極力避け、平和と安定を優先 → 植民地と貿易から得る富を蓄積
→ 後の「産業革命」を可能にする資本と制度が静かに整えられる
⇒ ピューリタン革命〜名誉革命は、
「王権の絶対性」を一度破壊し、試行錯誤の末に「議会主導+象徴王制」という
イギリス独自の統治モデルを作り上げる歴史的プロセスであった。
価値転換ポイント
- 【王が“神の代理人”から“契約の一要素”へ】
- それまで:王権神授説に基づく「王は神の代理人」
- ピューリタン革命:王すら裁き、処刑の対象となる
- 名誉革命:『権利の章典』により、王は議会と国民の権利を承認する側へ
→ 王権の正当性は「神」からではなく、「議会・法・国民の合意」に再定義される。
- 【絶対王政 → 議会主導の立憲王政】
- クロムウェル独裁やジェームズ2世の専制を経て、
「強い王」への幻想より、「権力を分散・制限する仕組み」への信頼が強まる
→ 「王は君臨すれども統治せず」という原則が、
安定と繁栄の条件として受け入れられる。
- クロムウェル独裁やジェームズ2世の専制を経て、
- 【宗教的正統性 → 政治的実利と寛容】
- ジェームズ1世・チャールズ1世・ジェームズ2世は、宗教的一体性を強権で守ろうとする
- しかし、そのたびに内戦・革命・追放が起こる
→ 名誉革命以後は、- 「どの宗派か」よりも「権利・法・議会主導」が優先される実利的価値観へ。
- 【軍事的栄光 → 貿易・産業・平和の重視】
- クロムウェル期:軍事力と海戦勝利で覇権を取りにいく
- ウォルポール期以降:戦争回避と商業・産業振興が重視され、
「平和な期間に蓄積された資本」が産業革命の土台になる
→ 「強さ=戦争の勝利」から、「強さ=経済基盤と制度の安定」へ価値軸が変わる。
思想レイヤー構造
【歴史レイヤー】
- エリザベス1世によるスペイン・フランス・オランダを出し抜いた覇権確立
- スチュアート朝成立(ジェームズ1世)と宗教弾圧
- ピューリタン革命 → 王党派 vs 議会派内戦 → チャールズ1世処刑・共和政成立
- クロムウェル独裁と英蘭戦争による覇権争い
- クロムウェル死去 → 王政復古(チャールズ2世・ジェームズ2世)
- 名誉革命 → メアリ2世・ウィリアム3世の共同統治 → 権利の章典 → 立憲王政
- アン女王・グレート=ブリテン王国成立 → ハノーヴァー朝 → ウォルポール体制
- その先に産業革命と「世界の工場」としてのイギリスが出現
【心理レイヤー】
- 王側:
- 「神に選ばれた王として、宗教と国家を一体に保たねばならない」という使命感とプライド
- ピューリタン・議会側:
- 国教会に抑圧される不満
- 神の前の平等観・禁欲的倫理観からくる「腐敗した王・貴族」への嫌悪
- 民衆:
- 王処刑・内戦・独裁・再度の専制など、急激な変動への不安と疲弊
- その中で、「強い英雄」ではなく「安定した仕組み」を求める心情が育つ
- ジェームズ2世追放の場面:
- 血を流さない「名誉革命」を選んだのは、
再び内戦を起こすことへの本能的な拒否感の表れでもある。
- 血を流さない「名誉革命」を選んだのは、
【社会レイヤー】
- 封建貴族の没落と議会勢力(ジェントリ・商人)の台頭
- 宗教対立(国教会 vs ピューリタン vs カトリック)が、
- 内政だけでなく、対外戦争・同盟(例:対オランダ・対フランス)にも影響
- 共和政〜王政復古〜名誉革命〜立憲王政という連続の中で、
- 議会が「王の相談相手」から「政治の主体」へとステップアップ
- 植民地と貿易からの富→国内税負担の軽減→商工業の活性化という、
「グローバルな搾取構造」と「国内の安定」が連動する社会構造。
【真理レイヤー】
- 「国家の正当性」は、
- 王の血筋でも宗教的一体性でもなく、
- 社会契約と権利保障を通じて支えられる、というホッブズ以降の発想。
- 強力なリーダー(クロムウェル)が短期的成果を出しても、
- 権力が制限されねば、長期的には不満と反発を生む、という権力の性質。
- 制度は、一度の革命や英雄で完成するものではなく、
- 「革命 → 反動 → 再革命 → 妥協と制度化」という複数ステップを経て形になる、という歴史法則。
【普遍性レイヤー】
- 宗教対立と王権強化が重なったとき、
- 内戦・革命・独裁・反動が連鎖しやすい構造は、
他地域・他時代にも見られる普遍パターン。
- 内戦・革命・独裁・反動が連鎖しやすい構造は、
- 「王を倒せばすべて解決する」のではなく、
- その後にどのような権力構造とルールを作るかが本質である、という普遍的教訓。
- 安定と繁栄は、
- カリスマではなく、
- 地味な制度(議会・権利章典・首相職・税制・対外平和戦略)の積み重ねから生まれる、という普遍的真理。
核心命題(4〜6点)
- ピューリタン革命は、国教会による宗教弾圧と王権の専制に対する議会・ピューリタンの抵抗から生まれ、「王を処刑する」という極限まで王権神授説を否定する事件となった。
- クロムウェルによる共和政と軍事独裁は、絶対王政の否定でありつつ、「権力の集中」が再び独裁を生むという矛盾を露わにし、国家正当性への理論的補強として社会契約論を必要とした。
- 名誉革命は、無血で王をすげ替え、『権利の章典』によって議会優位を明文化することで、「王と議会のどちらが上か」という長年の争いに一つの決着をつけ、立憲王政の枠組みを確立した。
- 「王は君臨すれども統治せず」という原則は、ハノーヴァー朝とウォルポール政権のもとで現実の政治慣行として定着し、戦争を抑制しつつ商業・産業・貿易を育てることで、産業革命と大英帝国の土台を作った。
- ピューリタン革命と名誉革命を貫く本質は、「誰が神に近いか」ではなく、「どのような制度が人間社会を安定させるか」を巡る試行錯誤であり、その結果としてイギリスは、王権・議会・国民のバランスに基づく「近代国家モデル」の一つの完成形に到達した、という点にある。
引用・補強ノード
- ジェームズ1世
- スチュアート朝初代としてイングランド王を兼ね、国教会の立場からピューリタン・カトリックを弾圧し、議会との対立を深めた起点の王。
- チャールズ1世
- ピューリタン革命で議会派に敗北し、近代ヨーロッパで初めて公開裁判の末に処刑された国王。
- オリバー・クロムウェル
- 議会派軍を率いて王党派を破り、共和政を樹立したが、「護国卿」として軍事独裁色を強めた指導者。
- トマス・ホッブズ
- 内乱と王殺しの時代に、社会契約論と『リヴァイアサン』を通じて「国家の必要性」と「強い主権」の理論的根拠を提示した哲学者。
- チャールズ2世・ジェームズ2世
- 王政復古後に専制・カトリック化を進め、再び議会との衝突を招き、名誉革命の背景を作った兄弟王。
- メアリ2世・ウィリアム3世
- 名誉革命で迎えられ、『権利の章典』を承認して議会主導・立憲王政を認めた共同統治王。
- ジョージ1世・ロバート・ウォルポール
- 言葉も通じない王と、実務を担う議会政治家の組み合わせとして、「王は君臨すれども統治せず」を現実の政治スタイルにしたハノーヴァー朝と初代首相格。
AI文脈抽出メタデータ
主題:
ピューリタン革命と名誉革命を軸に、イギリスが王権神授の絶対王政から議会主導の立憲王政へと移行し、
その過程で宗教対立・内戦・共和政・王政復古・無血革命・社会契約論・対外戦争などがどのように連鎖し、
最終的に産業革命と大英帝国の土台となる統治構造を作り上げていったかを解き明かす。
文脈:
- 歴史状況:エリザベス朝覇権、スチュアート朝成立、ピューリタン革命、共和政とクロムウェル独裁、王政復古、名誉革命、ハノーヴァー朝、英蘭戦争、覇権のオランダ→イギリス移動。
- 社会背景:国教会とピューリタン・カトリックの対立、議会勢力の台頭、商工業と貿易の発展、封建貴族の没落。
- 思想系統:王権神授説、清教徒倫理、社会契約論、立憲主義、議会主権。
世界観:
- 国家や王権は「神から降ってきた絶対物」ではなく、人間の恐怖・欲望・信仰・合理性が折り重なって作る暫定的な構造であり、
それは革命や内戦を通じて何度も書き換えられる。 - 安定した自由と繁栄は、英雄的リーダーではなく、
「権力を分け、縛るための退屈な制度」の中から生まれる、という冷静な歴史観が根底にある。
感情線:
- 王処刑・内戦・独裁・再専制・追放・無血革命と続く中での緊張と不安。
- クロムウェルの勝利と、彼の軍事独裁への失望。
- 名誉革命による「血を流さない政権交代」への安堵と、
長い試行錯誤の末にたどり着いた「ようやくの安定」への静かな達成感。
闘争軸:
- 国王(ジェームズ1世・チャールズ1世・ジェームズ2世) vs 議会・ピューリタン
- 国教会 vs ピューリタン vs カトリック
- 共和政・軍事独裁(クロムウェル) vs 王政復古
- 王権神授説 vs 社会契約・議会主権
- 戦争と拡張を志向する発想 vs 平和と商業・産業を優先する発想



































