ハニワくん先生、質問があるんですけど。
先生では皆さんにもわかりやすいように、Q&A形式でやりとりしましょう。
ハニワくんなるほど!
博士も、もっと詳しく教えてくだされ!
『打倒日本』になった理由は、領土拡大を狙って日本が積極的に他国を侵略していたからです。
更にその張作霖爆殺事件が起き、実際に日本軍がそれに関わりました。そうした日本に抗うという意味で『抗日』という考え方が生まれました。ただ『中国国民党』の蒋介石はどちらかというと抗日には興味はなく、同じ国内の『中国共産党』を警戒していました。むしろ、爆殺事件の裏にはその蒋介石がいたとも言われています。
・日本軍(関東軍)&蒋介石(北伐軍)
ですね。しかし、張作霖の息子だった張学良(ちょうがくりょう)は、日本を敵視します。そして、日本寄りでもあった蒋介石を拉致して監禁し、説得。内戦停止と共産軍との共闘を約束させます。そして『第2次国共合作』という、『中国の同盟』が作られました。これで、
・中国VS日本
という構図が作られやすくなってしまいました。それがこの後起こる日中戦争の原因になる『満州事変』に影響していきます。
博士うーむ!やはりそうじゃったか!
ハニワくん僕は最初の説明でわかったけどね!
先生更に詳しく知りたい方は、以下の記事をご覧ください。
大日本帝国の領土拡大

上記の記事の続きだ。こうして日露戦争が終わり、その5年後、1910年に日本は、『大韓帝国』を併合した。大韓帝国とは、1897年から1910年までの間李氏朝鮮が使用していた国号である。
『第一次世界大戦』についてはヨーロッパ編で書く。今はアジア地域の世界史をまとめているため、別記事に詳細を書こう。ここで追及していくのは、『日中戦争』までの経緯である。
ドイツへの宣戦布告・中国への『二十一カ条の要求』
『清』の滅亡2年後、1914年、サライェヴォ事件を契機としてヨーロッパで第一次世界大戦が勃発し、欧州諸国は4年にわたる長期戦を受けて、手一杯となる。それを好機と見た日本は、手薄になったアジア、中国大陸での勢力拡大を狙った。日本は、『日英同盟』にて連合軍入りしているということで、第一次世界大戦に参戦し、ドイツに宣戦布告する。
中国には、青島(チンタオ)を中心とする山東半島、赤道以北の南洋諸島といったドイツ領の島があったが、日本はここを狙って中国で自国の領土を拡大しようとしたのだ。更に日本は中国の袁世凱政府に『二十一カ条の要求』を突き付け、袁世凱にこれを受諾させる。

つまり日本は、日露戦争に勝ち、列強の仲間入りをして『思い上がり』、自国の領土を拡大しようと躍起になっていた。中国、ドイツを敵に回し、本格的に自分たちの力を世界に知らしめようと画策していたのである。
文学革命
しかしこの時、北京大学の学生たちが中心となったデモ、『文学革命』が起こる。
- 雑誌『新青年』の陳独秀
- 作家、胡適(こせき)
- 作家、魯迅(ろじん)
らを筆頭に、抗日的な思想が巻き起こることになる。胡適は北京大学の学長を務め、魯迅は日本に留学した経緯もある。同じ日本に滞在した孫文とは違い、日本には悪い印象しか持たなかったようだ。それもそのはず、その『二十一カ条の要求』があまりにも一方的で理不尽だったのだ。
五・四運動
しかし、第一次世界大戦での『パリ講和会議』でこの要求を列強が承認。それを受け、北京大学の学生を中心に、5月4日、『五・四運動』が起きる。中国はますます日本への嫌悪感を抱くようになっていった。

第一次国共合作
しかしこの『五・四運動』は、中国内部での結束を固めるような側面もあった。孫文の『中国国民党』、社会主義政党の『中国共産党』は意見が合わなかったが、外部である日本等への問題を通じ、一時的に手を組む形となったのだ(第一次国共合作)。しかし国共合作は長くはもたなかった。
その頃、中国の激しい北伐戦が始まっていた。北伐は軍閥を討つために孫文が発案していて、それを蒋介石(しょうかいせき)が引き継いでいた。蒋介石は、中華民国の初代総統の地位にある人物である。

蒋介石は、反共産主義だったため、北伐過程で労働運動を抑え、浙江(せっこう)財閥などと手を組み、中国共産党への大弾圧(上海クーデター)を行う。共産党員を虐殺し、これによって国共合作は破綻。蒋介石は、孫文の興した『中国国民党』だけを率いて軍閥を破り、北京に入って北伐を完成させ、国民党による中国統一を宣言した。
軍閥は、相互対立と内部腐敗でガタガタの状態だったのだ。蒋介石は日本との衝突を避けながら、北京に入城し、満州にいた張作霖(ちょうさくりん)を追い払い、退避途上で爆殺された張作霖に変わり、長男の張学良が蒋介石に従属し、ついに全中国の統一が成し遂げられた。
張作霖爆殺事件
この張作霖が満州で爆殺された事件を『張作霖爆殺事件』と呼ぶ。爆殺したのは日本軍(関東軍)だった。彼が列車で満州に戻る途中で、列車ごと爆破して、彼を爆殺したのだ。実は、この事件にはその蒋介石率いる『北伐軍』が関係しているともいわれている。

言ったように、北伐軍は軍閥を討滅しながら中国の統一を行っていた。しかし、その途中にもちろん『満州』がある。張作霖は、満州の軍閥だった。最盛時には36万もの兵力を誇るほどで、日露戦争でロシア側スパイとして捕まり、日本に寝返っている人物でもあった。袁世凱の引き金で軍閥の首領に成りあがった彼は、北伐軍からすると、打倒の対象だと考えられた。
彼がいなくなれば、満州の進出が容易になり、そして北伐軍が中国を統一しやすくなる。『張作霖爆殺事件』の裏にあったのは、様々な政治的陰謀だったと考えられているのである。では、蒋介石は日本とつながりがあったのか。蒋介石は、日本の高田の砲兵学校で軍事教育を受け、日本に亡命した際には日本政財界による支援で清朝打倒に奔走するほか、宋美齢との結婚式を日本で挙げることを希望していたなど、その後敵味方に分かれて戦うことになった日本と、生涯に渡り深い関係を持っていた。

第2次国共合作
蒋介石は日本軍との戦いには消極的で、むしろ中国共産党を警戒していた。しかし張学良による西安事件が起こり、共産党と協力して、日中戦争から1945年までは日本軍と戦う事となったが、その当時の自身の日記では一転して日本を「倭寇」と表記し終始蔑んでいた。彼は明治天皇を尊敬する一面も持っていたという。
しかし、今出てきたように、爆殺された張作霖の息子である張学良は、日本が嫌いだった。彼は、抗日の為に蒋介石の国民政府の支配下に入る。そして、命令によって共産軍の討伐をするが、内戦の停止を呼びかける共産軍の方に同調することになり、蒋介石を西安で拉致して監禁し、説得。内戦停止と共産軍との共闘を約束させる。そして『第2次国共合作』を成立させることになる。
日本は中国の袁世凱政府に『二十一カ条の要求』を突き付け、袁世凱にこれを受諾させる。
『中国国民党』、社会主義政党の『中国共産党』は意見が合わなかったが、外部である日本等への問題を通じ、一時的に手を組む形となった。
中国共産党への大弾圧を行う。共産党員を虐殺し、これによって国共合作は破綻。
列車で満州に戻る途中で、列車ごと爆破して、張作霖を爆殺。
日本よりも国内の『中国共産党』を敵視していた蒋介石を西安で拉致して監禁し、説得。内戦停止と共産軍との共闘を約束させる。
そしてそのあと、日中戦争の原因になる『満州事変』が巻き起こってしまうのである。
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論点構造タグ
#張作霖爆殺事件
#軍閥割拠と北伐
#袁世凱以後の中華民国
#二十一カ条要求と抗日感情
#第一次国共合作と破綻
#張学良と西安事件
#第二次国共合作と「中国VS日本」構図
問題提起(一次命題)
張作霖爆殺事件とは何だったのか。
・爆薬を仕掛けた実行犯は関東軍だが、
・それを「待っていた」勢力は誰で、
・その結果、中国はどういうかたちで「統一」に近づき、どうやって「対日戦争」という一本の矢印にまとまっていったのか。
この事件を、単なるテロや暴走ではなく、「日中戦争前夜の構図づくり」として捉え直すと、何が見えてくるのか。
因果構造(事実 → 本質)
- 日露戦争後の日本と中国
- 日本:日露戦争勝利 → 列強の一員として「思い上がり」、大韓帝国併合(1910)、中国大陸にも利権拡大を狙う。
- 中国:清滅亡(1912)→ 袁世凱の中華帝国3か月 → 軍閥割拠の時代へ。
- 第一次世界大戦と「二十一カ条の要求」
- 欧州列強が欧州戦線で手一杯の隙を突き、日本は日英同盟を理由にドイツに宣戦布告。
- 山東半島や南洋諸島などドイツのアジア拠点を奪取。
- 1915年、中国の袁世凱政府に「二十一カ条の要求」を突きつけ、遼東・山東での利権拡大を迫る。
→ あまりに一方的な内容に、中国知識人の間で強烈な「抗日感情」が生まれる。
- 文学革命・五・四運動と第一次国共合作
- 北京大学の学生を中心に、「白話文」導入や封建制批判を掲げた文学革命が起こる。
- 『新青年』の陳独秀、胡適、魯迅らが新文化運動を牽引。
- 1919年:パリ講和会議で日本の山東権益が認められると、「五・四運動」が勃発。
→ 怒りの矛先は日本と同時に、自国政府の弱腰にも向く。 - これを機に、中国国民党(孫文)と中国共産党が「日本など外敵に対抗する」という一点で手を組み、第一次国共合作が成立。
- 北伐と国共決裂
- 孫文が構想した北伐を、蒋介石が引き継ぎ実行。目的は「軍閥を討ち、中国を統一すること」。
- 蒋介石は反共産主義であり、北伐途中で中国共産党を大弾圧(上海クーデター)。
→ 第一次国共合作は破綻、国民党のみが北伐を継続。 - 軍閥は内部分裂・腐敗で弱体化しており、蒋介石は日本との正面衝突を避けながら北京に入城。
- 張作霖と満州の位置づけ
- 張作霖:満州の軍閥首領。最盛期には36万の兵力、元はロシア側スパイ→日本に寝返った経歴。
- 地政学的に、満州は
- 日本(満鉄・関東軍の利権)
- 国民党の北伐軍
の両方にとって、最後のピース。
→ 「ここを押さえた側が、中国支配の主導権を握る」。
- 張作霖爆殺事件
- 1928年、張作霖が列車で満州へ戻る途中、関東軍が線路を爆破し、列車ごと爆殺。
- 表向きの実行犯は関東軍だが、
- 北伐軍にとっても、張作霖が消えれば満州進出が容易になる
ため、「北伐軍関与説」も根強い。
→ 実行:関東軍/利益:日本+蒋介石の北伐軍、という「利害の一致」が疑われる。
- 北伐軍にとっても、張作霖が消えれば満州進出が容易になる
- 張学良・第二次国共合作・「打倒日本」の構図
- 張作霖の息子・張学良は、父を爆殺した日本を強く敵視。
- 満州軍を率いて蒋介石の国民政府に従属し、「抗日」の側へ。
- 蒋介石は当初「共産党抑圧>抗日」を重視していたが、西安事件で張学良に拉致・監禁され、説得される形で路線転換。
→ 内戦停止+共産党との共闘=第二次国共合作。
→ 「中国VS日本」というシンプルな構図が、国民党+共産党の合意事項として成立しやすくなる。 - ここから「満州事変(1931)」→「日中戦争(1937〜)」への流れが加速していく。
価値転換ポイント
- 「張作霖爆殺=日本軍の暴走事件」
→ 確かに関東軍の独断行動だが、- 満州を巡る国民党の北伐戦略
- 張学良の抗日路線
と絡めて見ると、「複数の思惑が重なった政治的転換点」として再解釈できる。
- 「蒋介石=一貫した抗日指導者」
→ 実際は長く「共産党抑圧>抗日」で動いており、- 抗日に強く傾いたのは、西安事件以降。
- 日本とも深い人的関係(留学・亡命・結婚式希望)を持っていた二面性のある人物。
- 「中国統一=国民党の単独成果」
→ 蒋介石の北伐は事実だが、- 軍閥の自壊
- 張作霖の爆殺
- 張学良の合流
といった要因が揃って初めて「国民党による統一」の形になった。
思想レイヤー構造
【歴史レイヤー】
- 1914:第一次世界大戦勃発。
- 1915:二十一カ条要求 → 対日嫌悪の高まり。
- 1919:文学革命・五・四運動。
- 1924:第一次国共合作。
- 1927:上海クーデター → 国共決裂。
- 1928:張作霖爆殺事件。
- 1930年代:満州事変 → 日中戦争へ。
【心理レイヤー】
- 日本側(関東軍)
- 日露戦争・日清戦争・二十一カ条要求で得た成功体験からの「思い上がり」。
- 満州を「生命線」「既得権」と見なし、「邪魔者(張作霖)は排除しても構わない」という暴走心理。
- 蒋介石
- 反共産主義を優先し、日本との正面衝突を避けたい現実主義。
- しかし二十一カ条要求や抗日感情の中で、「完全な親日」にはなりきれない微妙なバランス。
- 張学良
- 父を爆殺された怒りと、満州を守りたい責任感。
- 「内戦している場合ではない、まず日本と戦うべき」という路線への傾斜。
- 中国国民・学生
- 二十一カ条要求・パリ講和会議・五・四運動を通じた「自国政府への不信」と「対日憎悪」の同時進行。
【社会レイヤー】
- 軍閥政治
- 袁世凱以後の中華民国は、「国号はあるが、実態は軍閥の寄せ集め」。
- 蒋介石の北伐は、この軍閥構造を崩す試み。
- メディア・文学
- 陳独秀・胡適・魯迅らの活動は、「抵抗の言語」を中国社会に与える。
→ 抗日・反封建の思想が広がる土壌に。
- 陳独秀・胡適・魯迅らの活動は、「抵抗の言語」を中国社会に与える。
【真理レイヤー】
- 「共通の敵」は、内部対立を一時的に止める接着剤になる。
→ 第二次国共合作は、「内戦を止めて日本と戦う」という一点で、敵同士を同盟させた。 - 暴走する一部(関東軍)の行動は、
- その場では「現場判断」として正当化されても、
- 長期的には国家全体を巻き込む巨大な火種になる。
- 個人の「遺恨」や「私怨」(張学良の対日感情)は、
- 国家の大きな戦略(抗日統一戦線)に組み込まれ、歴史の流れを変えることがある。
【普遍性レイヤー】
- 国家間の対立は、
- 「国 vs 国」だけではなく、
- 国内の派閥・軍・革命勢力・留学経験者・亡命者など、多数のレイヤーが絡んだ結果として現れる。
- 「誰が真犯人か」という問いに対しては、
- 一人の名前ではなく、「この行動で最大の得をしたのは誰か」「どの構造がそれを許したのか」を見る必要がある。
核心命題(4〜6点)
- 張作霖爆殺事件は、関東軍の独断行動でありながら、蒋介石の北伐軍や張学良の抗日路線とも利害が一致していたため、「誰か一人の犯人」というより「複数の勢力の思惑が重なった政治的事件」だった。
- 蒋介石は、長く「共産党抑圧>抗日」で動き、日本とも深い個人的関係を持っていたが、西安事件で張学良に監禁され、第二次国共合作で「抗日統一戦線」の中心に立つことになった。
- 張作霖の死と張学良の転向は、「中国国民党+中国共産党 vs 日本」という構図を作りやすくし、その後の満州事変・日中戦争の土台になった。
- 清が倒れ、中華民国が成立しても、列強の中国分割・軍閥割拠・日中対立の連鎖は止まらず、「政治的独立」と「実質的半植民地化」が同時進行する時代が続いた。
引用・補強ノード
- 二十一カ条の要求:日本が袁世凱政府に突きつけた対華要求。
- 文学革命・五・四運動:北京大学を中心とする新文化運動・反日運動。
- 第一次国共合作:孫文の国民党と共産党の一時的提携。
- 上海クーデター:蒋介石による共産党弾圧事件。
- 張作霖:満州軍閥の首領。列車ごと爆破され爆死。
- 張学良:張作霖の息子。西安事件で蒋介石を拉致して第二次国共合作を成立させた。
- 蒋介石:国民党の指導者。反共産・親日的側面と抗日指導者としての側面を併せ持つ。
AI文脈抽出メタデータ
主題:
張作霖爆殺事件を軸に、
- 第一次世界大戦後の日中関係(対華二十一カ条要求〜文学革命〜五・四運動)
- 国共合作と北伐
- 軍閥割拠と中国統一
- 抗日統一戦線の形成(第二次国共合作)
を一本の線として整理し、「真犯人は誰か」「この事件が中国統一と日中戦争にどう繋がったか」を構造的に捉える。
文脈:
日本開国→日清戦争→日露戦争→第一次世界大戦→対華二十一カ条要求→文学革命→国共合作→張作霖爆殺→満州事変→日中戦争…という長い流れの中で、張作霖爆殺事件を「戦前最大級の転換点」として位置づけるパート。
世界観:
歴史は、単純な「国 vs 国」では動かない。
・軍
・政党
・革命家
・留学経験者
・感情と遺恨
が絡み合い、小さな爆破事件一つが、やがて「国全体の進む方向」を変えてしまう。
張作霖爆殺事件は、その縮図である。
感情線:
日露戦争までの日本の「成功体験」 → 二十一カ条要求と中国側の怒りに「やりすぎたな」と感じる → 文学革命・五・四運動の高まりに「中国の内側も変わろうとしている」と気づく → 北伐と上海クーデターで、国民党 vs 共産党の対立に重さを感じる → 張作霖爆殺と張学良の抗日に「ここで完全に日本が『敵』になってしまったのか」と胸が詰まる → 第二次国共合作と「中国VS日本」の構図が固まっていく流れに、引き返せない段階に来ている感覚を覚える。
闘争軸:
- 日本の帝国主義的拡張 vs 中国の主権回復・統一の試み。
- 国民党 vs 共産党(内戦) vs 日本(外敵)の三重対立。
- 蒋介石の現実主義 vs 張学良の抗日主体性。
- 「短期の利権拡大(満州)」 vs 「長期の宿命的対立(日中戦争)」。


































