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黄巾の乱と『黄色』の意味:張角兄弟の反乱

ハニワくん
先生、質問があるんですけど。
先生
では皆さんにもわかりやすいように、Q&A形式でやりとりしましょう。

黄巾の乱って何?わかりやすく簡潔に教えて!

度が過ぎた政治家を懲らしめるために起こした反乱です。

なるへそ!
も、もっと詳しく教えてくだされ!

当時の皇帝は『0歳、2歳、8歳』等、とても幼い段階での即位が続きました。

当然その幼い皇帝では政治はできませんから、近くにいた大人が代わりにやるわけです。しかし、その近くにいた大人が権利を乱用し、彼らのやり方に逆らう者を弾圧したりして、力づくで物事を推し進めようとしました。地方では農民も圧迫され、農民の反乱が相次いでいました。そこで、『張角』という人物を中心に大きな反乱を起こします。彼らは黄色の布を頭に巻き『黄巾賊(こうきんぞく)』と呼ばれました。彼らが起こした反乱だから『黄巾の乱』というわけですね。

 

しかし黄巾賊は流民や農民が中心であり、政府側には後の『三国志』で活躍する猛者たちがいたためか、一年足らずでこの反乱は鎮められました。

うーむ!やはりそうじゃったか!
僕は最初の説明でわかったけどね!
更に詳しく知りたい方は、以下の記事をご覧ください。

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目次

黄巾の乱

夏→殷→周→秦→漢(黄巾の乱

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上記の記事の続きだ。しかしこの後漢も、前漢同様『宦官(かんがん)』や『外戚(がいせき)』たちによって支配され、滅亡の途を辿ることになる。光武帝と次の『明帝』は30歳を超えていたが、その後の皇帝は、

 

  1. 19歳
  2. 10歳
  3. 0歳
  4. 13歳
  5. 10歳
  6. 2歳
  7. 7歳
  8. 14歳
  9. 12歳
  10. 8歳

 

という幼少の皇帝が続いたため、彼らは裏で暗躍しやすかったのである。そして、その『宦官』や『外戚』の暗躍に逆らう形で起きた反乱が『黄巾の乱』である。彼らに反対する者は弾圧され、政治は荒れてしまっていた。この黄巾の乱というのは、中国史で最も人気のあるあの『三国志』の時代の一歩手前の歴史である。次の三国志を考える前に見ておく必要がある事実だ。

 


STEP.1
184年未明
太平道首脳邸で信徒数万を集め、3月4日に挙兵する計画が立てられる。張角の弟子、唐周により、反乱の計画が政府に密告される。政府により信徒の捕縛、処刑が行われる。

STEP.2
2月
事が露見したことを知った張角ら黄巾族は、各地で一斉に蜂起。緒戦で善戦する。

STEP.3
3月
皇甫嵩(こうほすう)、朱儁(しゅしゅん)ら討伐に向かう。

STEP.4
11月
張宝、皇甫嵩に討たれる(すでに張角は病死、張梁も討たれていた)。

STEP.5
12月
黄巾の乱、一応の鎮圧をみる

 

 

黄色い頭巾の意味

黄巾の乱は、『張角』という人物が中心となって起こした反乱である。

 

[清代の書物に描かれた張角]

 

張角
道教の源流の一つである太平道(たいへいどう)の創始者。その教えは、懺悔と呪文による病気の治癒を中心とする。

 

黄色い頭巾をかぶって武装蜂起をしたことから、『黄巾の乱』と呼ばれるようになる。中心人物の、

 

  • 張角
  • 張宝
  • 張梁

 

彼らは兄弟であった。彼らの黄色い頭巾の意味は、漢の王朝が『赤』を使っていたため、次の色である『黄』を用いたという。これは、彼らが重要視していた陰陽五行説による、

 

 

にのっとった形だ。火の次が土で、土徳の色が『黄色』だったのである。

 

漢(赤)じゃない!次の王朝の時代(黄色)だ!

 

 

参加した重要人物

実は、この反乱を治めるために後漢が用意したのが、才知人望高き『皇甫嵩(こうほすう)』らだったわけだが、義勇兵を募って集まったのが、後の『三国志』の中心人物となる、

 

  • 孫権
  • 劉備
  • 曹操

 

だったのである。

 

[清代の書物の黄巾の乱、劉備関羽張飛の三人]

 

この絵は、劉備が兄弟のように親しくしていた、『関羽(かんう)、張飛(ちょうひ)』の2人と戦う、黄巾の乱でのワンシーンである。彼らも次の『三国志』において、重要な人物となるのだ。黄巾賊は、流民や農民が中心であり、政府側にはこのような猛者たちがいたためか、一年足らずでこの反乱は鎮められた。

 

道教と言えば、孔子と対立した老子の教えだ。そして漢は、孔子の教えである儒教を国教としていた。そう考えるともしかしたら、ここにあったのはある種の『宗教戦争』ともいえるのかもしれない。

 

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もちろん大きくは違うだろう。宦官らの暴走が、儒教のそれとは関係がないからである。だが、もし彼らがみんな、同じ宗教や思想を重んじていた場合、このようなことは起きなかったとも言えなくもない。そう考えるとやはり、思想の多様性というのは、自由の証でもあり、同時に争いの火種でもあるのかもしれない。

 

さて、次はいよいよ、『三国志』の時代に突入する。

 

 

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