『夏→殷→周→秦→漢→三国時代→晋→南北朝時代→隋→唐→宗→元→明→清→中華民国→中華人民共和国』
ハニワくん先生、質問があるんですけど。
先生では皆さんにもわかりやすいように、Q&A形式でやりとりしましょう。
ハニワくんなるへそ!
博士も、もっと詳しく教えてくだされ!
蒋介石の『中国国民党』、毛沢東の『中国共産党』が対立していました。
アメリカの支援を受けた継いだ蒋介石は『国民党』として毛沢東と戦いますが、『共産党』の毛沢東はゲリラ戦を展開し、国民党を打ち払っていきます。そして、1947年に『人民解放軍』と改称し、ソ連の援助を受けて戦い、1949年1月に北京、4月に南京を制圧。南京は、国民党の本拠地でした。そして1949年10月1日に、『中華人民共和国』を建国したのです。
・アメリカ・蒋介石VSソ連・毛沢東
で、毛沢東側が勝利し、中華人民共和国ができた構図ですね。しかし毛沢東は列強を追い越そうとする独裁者気質の強かったで、やり方が強引すぎました。表面的には生産力が急増したと報告しましたが、実際には違ったし、できた鉄鋼の大半は粗悪品。また、食糧増産に成功したという虚偽の報告と現実の帳尻を合わせるために、農民から食料を没収して、それを生産品と偽り、これで数千万人の餓死者が出ました。この後に起こる『プロレタリア文化大革命』を入れれば、毛沢東は『約5000万人』の中国人を死に追いやってしまったと言われています。
また台湾は、『オランダ、清、日本、中華民国』と様々な国が支配した国ですが、いまだに立場は定まっていません。地政学上は『中華民国』が統治していますが、一般に現在も『台湾』と呼ばれています。
博士うーむ!やはりそうじゃったか!
ハニワくん僕は最初の説明でわかったけどね!
先生更に詳しく知りたい方は、以下の記事をご覧ください。
毛沢東

上記の記事の続きだ。中国は、日本は『清』の時代に散々な目に遭ったが、このあたりの時代からまた徐々に力をつけるようになってくる。国際連合による安全保障理事会の常任理事国にもなった。ただ、その後中国は大きな犠牲を払う『暗黒時代』とも言える、辛い時代を迎えることになる。毛沢東の登場である。

毛沢東は、共産党の人間だった。ではここで、下記の記事に書いた流れをもう一度確認してみよう。
日本は中国の袁世凱政府に『二十一カ条の要求』を突き付け、袁世凱にこれを受諾させる。
『中国国民党』、社会主義政党の『中国共産党』は意見が合わなかったが、外部である日本等への問題を通じ、一時的に手を組む形となった。
中国共産党への大弾圧を行う。共産党員を虐殺し、これによって国共合作は破綻。
列車で満州に戻る途中で、列車ごと爆破して、張作霖を爆殺。
日本よりも国内の『中国共産党』を敵視していた蒋介石を西安で拉致して監禁し、説得。内戦停止と共産軍との共闘を約束させる。

『中国国民党』と『中国共産党』
孫文の『中国国民党』、社会主義政党の『中国共産党』が、共闘しては分裂し、を繰り返していたわけだが、『抗日』という共通の目的を失った彼らは、また対立する結果を招いてしまった。そして、1921年に陳独秀が結成した共産党の創立メンバーに、この毛沢東がいたのだ。彼が多くの民主の支持を得て共産党内の指導権を握ったのである。

『中華人民共和国』建国
アメリカの支援を受けながら国民革命軍を招いた、孫文の跡を継いだ蒋介石は、『国民党』として毛沢東と戦うが、『共産党』の毛沢東はゲリラ戦を展開し、国民党を打ち払っていく。そして、1947年に『人民解放軍』と改称し、ソ連の援助を受けて戦い、1949年1月に北京、4月に南京を制圧。南京は、国民党の本拠地だった。そして10月1日に、『中華人民共和国』を建国したのである。
| 党名 | 創立者 | 当時の党首 | 支持国 |
| 中国国民党 | 孫文 | 蒋介石 | アメリカ・イギリス |
| 中国共産党 | 陳独秀 | 毛沢東 | ロシア |
中華人民共和国を成立させた毛沢東は、『中ソ友好同盟相互援助条約』を結び、冷戦構造の中で、『ソ連側 』であることをアピールした。
毛沢東が『人民解放軍』と改称し、ソ連の援助を受けて戦う。
北京、4月に南京を制圧。
周恩来を首相として、『中華人民共和国』を建国。
周恩来は毛沢東の5歳年下で、死ぬまで政務院総理・国務院総理というナンバー2の地位を守り通した。毛沢東への尊敬を忘れない人物だった。天安門楼上に立った毛は、

中華人民共和国は、本日ここに成立した。
と宣言。ソ連は承認し、アメリカは保留を表明する。

数千万人の餓死者が出た理由
毛沢東の中国共産党は、そのスターリンやレーニン同様、『マルクス・レーニン主義』だった。彼らが労働者や農民から多くの支持を得た理由については、下記の記事を見ればわかるだろう。社会主義を唱える彼らは、地主や資本家の土地や資産を没収して農民に分配することになる。


そうした『五か年計画』、『大躍進政策』で、列強を追い越そうとする独裁者気質の強かった毛沢東。やはりその強引すぎるやり方がたたって、数年で実に数千万人の餓死者を出す(その数3,500万人以上とも)。これが、日中戦争以降に中国が払った大きな代償である。
表面的には生産力が急増したと報告したが、実際には違ったし、できた鉄鋼の大半は粗悪品。また、食糧増産に成功したという虚偽の報告と現実の帳尻を合わせるために、農民から食料を没収して、それを生産品と偽る。これで餓死者が出たのだ。
台湾の歴史
その頃、毛沢東率いる共産党に敗れた国民党は、台湾に逃れて国民政府を維持する。中国には共産党、台湾には国民党があり、『どちらも正当な中国である』と主張する構造ができた。
台湾の歴史
オランダ東インド会社による支配。
鄭成功(ていせいこう)がオランダ勢力を駆逐する。
清が鄭氏勢力を倒し、台湾を編入。
日本、台湾出兵。
第二次世界大戦で日本が敗北。中華民国に編入。
『二・二八事件(台湾人の独立運動)』が起きるも、弾圧。
国共内戦に敗れた国民党政府が台湾に移転。
中国の常任理事国の地位が中華人民共和国に移る。
李登輝(りとうき)が総統となる(1988~2000年)。
民主進歩党(民進党)の陳水扁(ちんすいへん)が総統に就任(2000~2008年)
国民党の馬英九(ばえいきゅう)が総統に就任(2008~2016年)。
民進党の蔡英文(さいえいぶん)が総統に就任。

蔡英文
中華民国第14代総統。台湾初の女性総統として就任。
台湾は、『オランダ、清、日本、中華民国』と様々な国が支配した国だが、いまだに立場は定まっていない。地政学上は『中華民国』が統治しているが、一般に現在も『台湾』と呼ばれている。次は、毛沢東が1966年~1977年まで続けた『プロレタリア文化革命』に入る前に、見ておくべきアジア諸国の歴史を見ていこう。
毛沢東は餓死者3,500万人、そのプロレタリア文化大革命でも1,000万人以上の死者を出す。
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