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ヴォルテール『人々が永いこと論争している場合には、彼らの論じ合っている事柄が彼ら自身に不確かな証拠である。』

偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

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ふむ…。

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目次

考察

論争するということは、『どうしても論破したい』理由があるわけで、そこにあるのは『どちらが正しいかをハッキリさせたい』という欲望と、『相手が妙に頑なであり、確かなものに見えるときもある』という疑念である。例えば私と、クリスチャンの母親との間にあったものもそうだ。実に29年間という間、母親が圧倒的優位な立場にあった。父親もそうだったが、17歳の時に他界したので、29年という時間は、母親だけなのである。

なぜ優位な立場にあったかということは3つあり、

  1. 母親の方が大人で、権力もあり、言うことを聞くしかなかった。
  2. キリスト教とは、世界で一番多い宗教である。
  3. 私がそんな母を、論破して心を破壊しようと思うことはなかった。

ということが挙げられたわけである。しかし、20歳になる前に家を出て、29歳で一度実家に帰ってきたとき、相も変わらず私の前で辛気臭く『イエス様』だとか言って祈りはじめ、せっかくの食事を台無しにしようとする。

いや、クリスチャンにとってはそれが当たり前であり、むしろ敬虔な姿だ。謙虚であり、毎日の食事を食べることができて当たり前だ、と思っている傲岸不遜な人間よりは、ずっといい。だが、私の場合は違う。『トラウマ』だからだ。幼少時代に、宗教の強要を通して嫌な思いを腐るほどしてきた。『家出』など序の口だ。氷山の一角だ。ここに全然書ける、何でもないことの一つだ。それをわかっているはずなのに、そういう行動をやめることはない母親。私はついに、29年間の間に蓄積してきた宗教問題の鬱憤を晴らすときがきたと、母親と人生初の、真正面からの『論争』という選択肢を選んだ。

その時すでに私は、キリストだけではない。『四聖』に数えられる、

孔子

孔子

ソクラテス

ソクラテス

ブッダ

ブッダ

キリスト

キリスト

世の偉人たち、

偉人

彼らの言葉と向き合い、それぞれの教えや思想、エッセンス(本質)が何であるかの共通点を見出す為の内省をし、

『真理=愛=神』

という図式が存在するところまで辿り着いていた。

例えばソクラテスは、

と言っているわけで、私のそういう時間の使い方は、極めて価値の高い、重要なものであることを、私は知っていたのだ。かつて、『家出など可愛い話だ』と言っていた血気盛んな私が、そこに辿り着いたのだ。まずは親として、それだけでも正当に評価をしなければならない。しかし母親がその論争で最初に口を出したのはこうだ。

母親
あなたは、真理の探究をする自分が正しいとでも思ってるの?

蔑んだような目、被害妄想でも何でもない。これは事実だ。私はこうして、母親が信仰するイエス・キリストの教えや、決めたルールに逆らうたびに、『他の兄弟はちゃんとやっている』などと言って、私を異端児扱いした。

何という愚かな親だろうか。私は、彼女に気に入られ、そして円満にやっていくためには、妹の様にクリスチャンになるか、兄の様に宗教とは距離を置き、ある種の現実逃避にも似た『隠蔽』的な人生を生きるしかない。まるでそういう決断を迫られているようだった。しかし、私は他の兄弟とは決定的に違う。何しろ、私は私なのだ。この世に唯一無二なのだ。自分の意志がここにあり、自分の信念がある。私はクリスチャンになることが正しいことだとは決して思うことは出来ない。

どれほどの葛藤を重ねて来ただろうか。しかしそれでも私の意志は変わらない。いやむしろ、知を積み重ねる度に、その意志が固くなってきたと言っていい。

パスカルは言った。

今はもう、一度そういう大きな論争を経て、お互いの理解が深まり、人生で一番仲が深まった関係になったと言っていいだろう。暴言を吐いて自分の信仰を守ろうとした母親の立場になり、私が理路整然と論理的に話しを進め、諭したことで、『真理の探究をしている自分が正しいと思っているの?』と言ったことに関しては、その翌日に、

母親
言った覚えはない

などという呆れるレベルの現実逃避はしたが、『もし言ったのなら謝る』などとして、何とか自分の非を認めたことで、私はまずはよしとした。

前述したように、私は別に、母親を論破して、信仰を打ち砕き、心を破壊して、拠り所をなくし、殺そうと思っているわけではないのだ。だから相手の信仰や意志も尊重しながら、それにとどめておいた。そして、もう私の前で自分の宗教を押し付けるように祈りを始めたり、少しでもそれを強要することをしないようになった。私がいるときは、私の聞こえないように、自分の心の中だけで祈り、食事をするようになった。

私の人生では、初めての光景だ。私はまず、勇気を持って論争することを覚悟し、最終的には家族の縁が切れることも覚悟で、意見を主張した自分が誇らしかった。しかし、我々はいつでも、それぞれの固い信仰に対し、批判し、その不確実性の揚げ足を取り、再び衝突する可能性を持っている。それは我々が『人間』だから。そして人間とは、恒久的に未熟な存在なのである。

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補助的分析(AIによる語彙・背景・正確性の中立整理)

※本節では、運営者の内省(言葉だけを見て内省した解釈)ではなく、AI(ChatGPT)による「中立性」と「正確性」を基準に、今回の名言を整理します。名言の多くが出典未確認である現実を踏まえつつ、語彙・背景・意味領域を客観的に位置づけます。

名言提示(再掲)

ヴォルテール『人々が永いこと論争している場合には、彼らの論じ合っている事柄が彼ら自身に不確かな証拠である。』

一般的な解釈

この言葉は、「長く続く論争とは、当事者たちが実は“自ら確信できるほどの証拠や根拠を持たない事柄”について争っている状態である」という趣旨を持っています。
ヴォルテールは啓蒙思想の立場から、真に明確な事実や論理には論争の余地がなく、論争が長期化する問題ほど“曖昧・不確定・証拠不足”であると見抜きました。
この発言は、「明証/不確実」「理性/混迷」「議論/証拠」などの対立軸により、論争の性質を見極めるための鋭い視点を提示しています。

思考補助・内省喚起

この名言は、「自分が議論しているテーマは、本当に確かな根拠の上に立っているか」という問いを与えてくれます。
・感情的信念
・曖昧な前提
・不十分な情報
・思い込み
が議論を長引かせているだけではないか。
また、他者の長い論争を見たとき、それが“真理の難しさ”というより、“当人たちの根拠不足”を表しているのではないかという視点を持つことは、判断の落ち着きと冷静さにつながります。

翻訳注意・文化的留意点

文化的背景:
原文での“論争(dispute / contestation)”は、理性的ディベートというより“決着のつかない争論・対立”を指すことが多い。
啓蒙期には、宗教論争・政治論争・哲学論争などが長期間続き、ヴォルテールはその“根拠の弱さ”を皮肉として指摘した。

語彙の多義性:
「不確かな証拠(preuve incertaine)」とは、“証拠がない”のではなく、“証拠として自信をもって提示できない”状態。
「永いこと(longtemps)」は“終わる見通しのない議論”の含意が強い。

構文再構築:
原意を踏まえた再構成としては、
「長引く論争は、その論点が当事者自身にも確信できていない証拠である」
が最も適切です。

出典・原典情報

※出典未確認
名言集に多く引用されるが、一次資料での確認は取れていない。編集的再構成の可能性あり。

異訳・類似表現

異訳例:
「論争がいつまでも終わらないのは、誰も確かな根拠をもっていないからだ。」
「長期化する議論は、当事者の確信不足を示す。」

思想的近似例(日本語):
「答えのある問題は、議論にならない。」── ※出典未確認

思想的近似例(英語):
“Endless disputes reveal uncertain foundations.” ── ※近縁表現

タグ(思想分類)

#論争の構造 #認識論 #証拠の不確実性 #啓蒙思想 #判断基準 #議論分析 #思考の限界 #価値判断

語義分解(主要キーワード)

用語 定義 補足
論争 決着のつかない争論・対立 理性的討論ではない場合が多い
不確かな証拠 自らも確信を持てない根拠 情報不足・曖昧な前提を含む
永いこと 決定不能で膠着した状態 思考の混迷を示唆

位置づけ構文(思想国家における構文的機能)

この名言は、「論争の長期化は論点そのものが曖昧であることを示す」という命題を再定義する価値主張構文です。
構文分類としては、「対比構造(明証/不確証)」「転換構文(論争=根拠欠如)」「価値主張構文(議論の見極め)」に属し、思想国家内部の〈判断・認識・倫理〉ノードと連動します。

感受対象(思想UX設計における対象読者)

  • 議論・政治・社会問題の本質を見極めたい読者
  • 感情的論争に巻き込まれやすい層
  • 認識論・啓蒙思想に関心を持つ探究層

この言葉を更に5つの視点から再考する

➡ 『人々が永いこと論争している場合には、彼らの論じ合っている事柄が彼ら自身に不確かな証拠である。』をさらに深めて読む
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