偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け
[say name=”偉人” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/人物アイコン.png”]古代ローマの詩人 ウェルギリウス(画像)[/say]
[say name=”運営者” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/シャーロックホームズアイコン1.png” from=”right”]ふむ…。[/say]
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考察
ウェルギリウスはこうも言っている。
だとしたらおかしい。『愛はすべてを乗り越える』のではないのか。いやしかしそれも、『忘れ去った後にも救いとなって現れる』ということなのであれば、つじつまは合う。例えば私の家庭にあったのは、宗教問題が絡んだ不和だ。かつて、本当に親が死ねばいいと思っていた。理由は単純に、楽になれるからだ。断固として考え(信仰)を変えようとしない両親。そして、その両親に従えないのなら、私はこの家の人間として認められない風潮があった。
そして、本当に父親が死ぬことになった。肝臓癌だ。その余命宣告を聞いた時、私が刹那で抱いた感想は、こうだ。
勝った!俺の勝ちだ!
そして、私がそう思ったその場所は、異常な場所だった。そして私は違和感を覚えた。
親が死んで楽になれる。しかし、元々俺は、人間らしくありたい、自分らしくありたいと願って、親からの信仰の強要を断固として拒絶してきた。しかしどうだ。自分が今いる場所は。そして、親の死の宣告を聞いたと言うのに、涙一つ流さない自分の姿は。本当に人間なのか。
その後、全ての問題が解決したわけではない。しかし、私が今、『四聖』に数えられる、
孔子、
ブッダ、
キリスト、
彼らと向き合って内省している事実を、一体10代の私を知る、誰が予測できただろうか。私がこの『正常な異常行動』を取った理由はなんだ。私を突き動かすエネルギー源は一体なんだ。
それだ。それがウェルギリウスのこの言葉が秘めたエネルギーなのだ。私はかつて、親を宗教ごと呪って死を願った時期がある。だが、今ではそれに感謝している。ちなみに私は生涯、無宗教を誓った人間である。
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