偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け
[say name=”偉人” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/人物アイコン.png”]古代ローマの詩人 ウェルギリウス(画像)[/say]
[say name=”運営者” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/シャーロックホームズアイコン1.png” from=”right”]ふむ…。[/say]
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考察
だからやめた方が良いのか。あるいは、それでもそうした方が『人間らしい』のか。後者の判断をする人間が圧倒的に多いだろう。そうじゃなければ、この世に存在する全てのお祈り、お参り、儀式、願掛け、それらの一切の事実への説明がつかない。
孔子は、
『窮地にこそ人間の真価が問われる』と言い、それまでは神や仏を軽んじていたくせに、手のひらを反して祈り始める人間を、批判した。私は、クリスチャンの両親の下に生まれ、宗教について嫌と言うほど葛藤し、今では、それに感謝しているぐらい、深い深い闇に堕ちた。感謝している理由は、あまりにも深い闇に堕ちたから、そこから這い上がる時に、自然と体全体に筋肉と、そこを生き延びるだけのノウハウ、免疫力が身についていたからだ。
ライオンは子供を崖から突き落とす、と言うが、それについての真偽はともかく、それと同じ原理だ。だから人一倍、知識がついた。そうすると、前述したような孔子の言葉に遭遇するわけだ。そして、だとしたらキリスト教系の儀式で行う結婚式や、神道が影響している神社での神前式。仏教式の葬式や、『神の命を頂きます』という意味の合掌してからの『いただきます』。
クリスマスに、お祓いに、お参り、願い事、占い、それら全ての『人間に蔓延している慣習』を、蔓延しているからというだけの理由で、それに同調、追従することは、主体性がなく、むしろ孔子の言うように『軽薄』であると考えるようになった。だから、それらの慣習に従わないし、儀式には一切参加しない。すると、『変わり者の礼儀知らず』だと批判されるのだ。それらに追従する人々に。
さて、このたった一度の人生で、悔いの残らない、立居振舞、生き方とは何か。
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