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ウェルギリウス『学ぶこと以外は飽きがくる。』

偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

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ふむ…。

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目次

考察

単調なことが続けばそのうち飽きて来て、あくびがでる。油断が出るのだ。

(どうせずっとこれが続くだろう)

というデータが脳に送り込まれる。そこに油断が生まれる。

(じゃあ省エネで行こう)

などとして、他の領域が使われない為、色々と滞る。

滞ると疲労が溜まる。疲労物質は流さなければならない。その為には単調な動きのリズムを変えなければならない。マッサージやストレッチだ。その違う動きを取り入れることによって、身体全体の機能が低下しないようにケアをする。そう考えると、常に一定の刺激を取り入れないと、単調なことをずっと続けていては人間の機能は滞ってしまうことがわかる。

では、望んで行う、読書やゲームはどうだろうか。執筆活動もそうだ。あれも同じように、テレビやパソコン、デスクの前に座って、同じ姿勢で、同じ画面を見続けて単調な作業を繰り返すはずだ。だが、あれらは『飽きない』。なぜならあれらは、脳をフル稼働させ、常に、未開拓の新しい脳領域を刺激し、あるいはこじ開けて開拓しようとするアクティブな活動である。

従って飽きない。もちろん、今挙げたものも『嫌々』やっていたり、『学ぶことなどない』と思っている人間にとっては、つまらない単調作業である。カギは『主体性』だ。学習する意志だ。それがあれば、一見すると単調な作業に見えても、常に自分にとって新しい分野の開拓の為、飽きることはないのだ。

(今日も同じ毎日が始まった)

という感想を抱く馬鹿が私の部下にいたが、無論、地獄のような説教をした。同じ一日など、一日として存在しないのである。

『学ぶこと以外は飽きがくる。』

追記:この記事から4年。この『馬鹿な部下』はいまだに毎日1時間以上の遅刻をし、その反省文を毎日書いている始末である。入社して10年経ち、それを未だに続けているという現実を想像してみてもらいたい。昨日もだ。昨日は1時間半遅刻した。

遅刻

私の親は、『普通の会社ならとっくに首になっている』と言う。その通りだ。だが私は『異常』だ。だから『普通の人がそうするなら俺はしない』ということで、この現実から逃げるつもりはないのである。私が異常なら彼も『異常』だ。もしかしたら異常と異常が偶然相まって、この異常な結果が生まれてしまっているのかもしれないが、そんなことは関係ない。人は主体性を発揮できないなら埋もれて死ぬしかない。それはどんな場面に目を向けても同じことなのである。

稲盛和夫の『生き方』にはこうある。数百人の経営者が集まって、松下幸之助の話を聞いたときの話だ。彼が余裕のある経営、つまり『ダム式経営』をするように語りかけると、会場からは不満の声が聞こえた。

「ダム式経営ができれば、たしかに理想です。しかし現実にはそれができない。どうしたらそれができるのか、その方法を教えてくれないことには話にならないじゃないですか」これに対し、松下さんはその温和な顔に苦笑を浮かべて、しばらくだまっておられました。それからポツリと、

「そんな方法は私も知りませんのや。知りませんけども、ダムをつくろうと思わんとあきまへんなあ」

とつぶやかれたのです。今度は会場に失笑が広がりました。答えになったとも思えない松下さんの言葉に、ほとんどの人は失望したようでした。しかし私は失笑もしなければ失望もしませんでした。それどころか、体に電流が走るような大きな衝撃を受けて、なかば茫然(ぼうぜん)と顔色を失っていました。松下さんのその言葉は、私にとても重要な真理をつきつけていると思えたからです。

真理

もう一度言おう『会場にいた数百人の経営者が失笑した』のだ。普通、経営者とは主体性の塊である。そんな猛者である彼らが、松下幸之助のこの言葉の意味を理解していなかった。一つは、松下幸之助がこのときはまだ神格化されていなかったからだ。人は愚かだ。言葉そのものの意味よりも、『誰が言ったか』ということでしか見ることができない。例えば今、TwitterやインスタなどのSNSで情報を発信して多くのシェアをされているものの中には、全く内容のない無意味なものが多く存在する。

シェア

それが決定的な証拠だ。世の大勢の人は言葉の意味などは考えない。『誰が言ったか』ということでしか見ることができない。つまり、主体性がないのである。そしてここにいた経営者も主体性がなかった。だが、稲盛和夫も含め、おそらくわずかの人間は、松下幸之助の言葉の意味が分かった。まだ神格化されておらず、会場の人間からそのような『言い返し』を受けるような立場にある松下幸之助の言葉の意味を、主体的に考え、そこから『真理』を見極めたのだ。つまり、私と部下はたしかに異常だが、そんなことは関係ない。私が彼に『正常な対応』、つまり、

  • 病院に連れていく
  • 弱音を吐いて円形脱毛症を患う
  • 首にする

等のことをしたとて、しないとて、どちらにせよ彼に主体性がないなら彼の人生はこのままである。『数百人の経営者』があれなのだ。主体性がない人間は何をやっても、真理にはたどり着かないのである。

それから『英国王のスピーチ』を観ればわかるが、部下と同じ吃音症を患った英国王ジョージ6世を治療する為に、数ある名のある医師たちがやってきて、彼を治療しようと試みた。しかし、彼はその治療で一切吃音症が治ることがなかった。最後に残ったのは植民地出身の平民である言語療法士(ジェフリー・ラッシュ)だ。だが、彼は他の医者とは違って、治療というよりも『治癒』に目を向けるような人間だった。

そして結局、ジョージ6世の吃音が治った『スピーチ』とは、彼の主体性が発揮されたときだった。それ以外のシーンでは何をいくらやっても、彼の吃音は治らなかったのだ。

『学ぶこと以外は飽きがくる。』

これはつまり、主体性がない人間には『捻出できる結果(エネルギー)』は限られているということを意味する。私もかつては、活字の本を読むことなど考えるだけでも嫌だった。だが、今では喜んで本屋に行って本を買い、自分が生み出すエネルギーを強化し続けている。人は、自分のこの唯一無二の命の価値を本当に理解したとき、人生に主体的になれるのだ。

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補助的分析(AIによる語彙・背景・正確性の中立整理)

※本節では、運営者の内省(言葉だけを見て内省した解釈)ではなく、AI(ChatGPT)による「中立性」と「正確性」を基準に、今回の名言を整理します。名言の多くが出典未確認である現実を踏まえつつ、語彙・背景・意味領域を客観的に位置づけます。

名言提示(再掲)

ウェルギリウス『学ぶこと以外は飽きがくる。』

一般的な解釈

この言葉は、「どんな楽しみや快楽もいずれは飽きるが、学ぶという行為だけは尽きることがない」という趣旨を持っています。ウェルギリウス(Vergilius / Virgil)は古代ローマの詩人であり、知性や探求心を重んじるローマ文化の中で、“学びが人生の唯一の無限資源である”という哲学的視点を詩作に込めていました。
この発言は、「享楽」対「学習」、「消費される喜び」対「蓄積される喜び」という対立軸を示し、人間の精神の成長に本質的価値を置く思想として評価されます。

思考補助・内省喚起

この名言は、「自分の喜びは消費型か、それとも成長型か」という問いを与えてくれます。
私たちは、日常の行動や選択において、すぐに飽きる快楽に偏りすぎていないでしょうか。名言が示す基準――学びは飽きず、むしろ人生を刷新し続ける――は、時間の使い方・価値観の軸を見直す内省の起点となり得ます。

翻訳注意・文化的留意点

文化的背景:
古代ローマでは、知性(ingenium)・学問(disciplina)が人格の完成や市民的徳と深く結びついていました。そのため、“学ぶことは飽きない”という言葉には、美徳・教養・社会的成熟の価値観が含まれています。

語彙の多義性:
「飽きる」は単に get bored ではなく、“関心が続かない”“持続価値がない”という広い概念を含みます。
「学ぶ」は単なる study を超え、探求・発見・理解・熟達といった広い知的活動を含むため、learning / seeking knowledge / intellectual growth といった解釈を補う必要があります。

構文再構築:
原文の構造は、対象を総括して「学びだけは飽きにくい」と断言する比較構文です。
現代語では、「学びだけは飽きることがない。」または「他のすべては飽きても、学びは尽きない。」のように再構成できます。

出典・原典情報

※出典未確認
ウェルギリウス名義で広く引用されますが、一次文献の厳密な特定は難しく、後世のラテン語格言からの派生の可能性があります。

異訳・類似表現

異訳例:
「学びほど飽きの来ない楽しみはない。」
「消費する喜びは尽きるが、学ぶ喜びは尽きない。」

思想的近似例(日本語):
「学問に王道なし。」── ※文脈異なるが“飽きない探求”の含意に近い

思想的近似例(英語):
“Learning never exhausts the mind.” ── レオナルド・ダ・ヴィンチ

タグ(思想分類)

#学習 #知的探求 #精神の成長 #ローマ思想 #価値観再構築 #判断軸 #持続的喜び #哲学的生活

語義分解(主要キーワード)

用語 定義 補足
学ぶ 探求・理解・発見に関わる知的行為 人格形成・好奇心の源泉として扱われる。
飽きる 興味が尽き、価値が持続しなくなること 快楽や所有では必ず生じる心理的限界。
人生 時間・経験・学習の連続としての生 消費ではなく蓄積を基軸とする文化的文脈に関連。

位置づけ構文(思想国家における構文的機能)

この名言は、「持続する価値は学びに宿る」という命題の再定義を含み、「消費と成長の対比構文」「価値の転換構文」「知的探求の優位性を主張する構文」に分類されます。思想国家内部の精神軸・判断軸・成長軸と強く連動し、知的行動の中核概念となり得ます。

感受対象(思想UX設計における対象読者)

・成長願望の強い読者層
・自己投資や学習戦略を重視するビジネス層・若年層
・消費型娯楽から離れたいと考える生活者
・ローマ思想・探求哲学に関心を持つ読者

この言葉を更に5つの視点から再考する

➡ 『学ぶこと以外は飽きがくる。』をさらに深めて読む
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