目次
考察
自分たちが泣いてこの世に生まれた時、親や周囲の人は喜んだ。だとしたらせめて自分がこの世を去るときは、自分は笑い、人々に泣いてもらえるような人生を送りたいものだ。
ドイツの小説家、ゲレルトは言う。
この世を去るときに笑えるということは、ゲレルトの言う様な人生を送るということだ。この世を去るときに泣いてもらえるということは、『人生に打ち克つ』ことが出来たということだ。
人生とは、生まれた時から死への宣告が決まっている、過酷な道のりである。赤ん坊は、『それ』を知っているから、泣いているのかもしれない。
(なぜこんな過酷な道のりを生きていかなければならないの?)
しかし、それが人生なのだ。だとしたらその、『つい、自分が自分が、という利己的に走りがちなこの儚く虚しい人生』を利他的に生きるということは、『人生に打ち克った』に等しい。
この世を去るとき、周囲の人が泣いてくれるというのなら、それは自分が人生に打ち克った証拠だ。その反対に、泣いてこの世を去ったと言うのなら、人生に屈してしまった証拠なのかもしれない。
人それぞれ強いられている環境は違うが、たった一度の人生だ。その命を使い切って、次の世代にバトンを繋ぎたいものだ。
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