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ジョージ・エリオット『悪魔が私たちを誘惑するのではない。私たちが悪魔を誘惑するのだ。』

偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

[say name=”偉人” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/02/レディーアイコン4.png” from=”right”]イギリス作家 ジョージ・エリオット画像)[/say]

[say name=”運営者” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/02/シャーロックホームズアイコン2.png”]ふむ…。[/say]

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目次

考察

エレノア・ルーズベルトはこう言った。

 

つまりこれは、最終決定権が自分にあることを意味している。だとしたら、『最終』も『最始』も、別に自分に全ての決定権があるということになる。最終だけに決定権があるわけではないからだ。最初から、この人生の舵は自分が握っているのである。

 

 

この果実を、『リンゴ』と言っているのは、自分の意志なのだ。別に、『アップル』でも良かった。あるいは、それらに逆らって全く違う言葉を使ってもよかった。しかし、既存としてそうなっているからといって、それを理由にして、そのレールに従い、その列車に乗ったのは自分の意志なのだ。

 

スタンダールは言った。

『天才の特徴は、凡人がひいたレールの上に、自分の考えを乗せないことだ。』

 

別に逆らうことは出来たはずだ。

 

ヴォルテールは言った。

 

既存とか、環境とか、運とか、そんなの本当に、存在しているのだろうか。確固としたものなのだろうか。後で絶対に覆されないのだろうか。従うべきなのだろうか。

 

ダンテは言った。

 

聖書における『ヘブライ人の手紙』には、『父が子供を叱るとき』について、こう書いてある。

『神が自分の聖性を子に与えようとしているのだ』

 

つまり人間には『聖性と魔性』の両面がある。

 

 

その内、父が子を叱った場所には『愛(聖性)』が宿り、『魔が刺した』人間には『罪(魔性)』が宿っていることになる。だとしたら、見えて来るのは『聖性を優位にし、魔性を劣位にする』ということで、そこにあるのは、魔性と聖性の真剣勝負である。更に言えば、昨今一部の狂信者が世界を騒がせているが、イスラム教における『ジ・ハード(聖戦)』とは、何も人を惨殺することを許可する、という凶悪な概念ではない。

 

『神の為に奮闘する』ことを意味し、つまり、その『神』というものは、しばしば『愛、真理』と『=』であると考えられるわけで、例えば、『人に裏切られ、殺意を覚えた』というとき、そこに現れるのは間違いなく『魔性の疼き』であるわけだが、しかし、それを聖性の力で劣位にさせよう、という『闘い』こそが、この『ジ・ハード(聖戦)』なのである。善玉菌や、悪玉菌は、さいしょから、『ある』。そのどちらを優位にさせるかどうかは、それを管理する者の手腕一つで決まるのだ。

 

 

 

 

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