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ラッセル『最悪なのは、あらゆる人間を分類して、わかりやすいレッテルを貼ることである。この不幸な習性の持主は、自分が相手に適切だと思うタグを貼りつける時に、その相手について完全に知っていると考える。』

偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

[say name=”偉人” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/人物アイコン.png”]イギリス哲学者 ラッセル画像)[/say]

[say name=”運営者” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/シャーロックホームズアイコン1.png” from=”right”]ふむ…。[/say]
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考察

『自分にとってわかりやすいレッテルを貼る』ということがポイントだ。要は、自分こそは、全てを理解できる人間である、という自負を抱きたいのである。

 

相手のことは、理解しているに決まっている。『だって自分の子供だから』、『年下だから』、『格下だから』等々、とにかく人間は無限の言い訳の中から、さも正論っぽい意見を引き出してきては、そのレッテルを相手に貼り、相手を理解した、支配した、という気分に浸ろうとするところがある。つまり、人間というものはエゴイストなのである。

 

ラッセルはこうも言った。

 

つまり、人間はニーチェの言う通り、

『論理は完全な虚構の見本である。現実の中には論理などは存在せず、現実はまったく別の複雑極まりないものである。我々は実際の出来事を思考においていわば簡略化装置で濾過するように、この虚構を図式化することによって記号化し、論理的プロセスとして伝達および認識可能なものとする。』

 

 

自分が認識できる記号に目の前の現実を置き換えることで、虚無たる混沌のこの宇宙の闇と複雑さを『簡易化』し、フワフワと浮いてしまう自分の心、精神を『落ち着かせる』。それで自分の精神を安定させようとするのだ。

 

人間は、得体のしれないものに対して、ひどく恐怖を覚える生き物なのである。だから逃げるとき、『何から逃げているか』を確認しようとするところがあって、それを確認すると、その前と比べて、少し精神が落ち着きを取り戻す。

 

ショーペン・ハウエルは言った。

 

そして、『思い込みい』のだ。得体のしれない世界に生きている事実や、得体のしれない相手に対して、恐怖を覚えてしまうからであり、自分の心を安定させるために、そのような『わかりやすいレッテル』を貼ろうとするわけだ。

 

しかし、手塚治虫がこう言った様に、

 

あるいはここで出てきている偉人たちが口を揃えて言っている様に、その解釈には『エゴ』が含まれているのであって、『実態』及び『真実』と相違ある可能性がある点について、目を逸らすべきではない。私も、よく『わかりやすいレッテル』を貼られたクチだ。というか今もそうであり、それはこれからも間違いなくそうだろう。私が自分で、自己主張の方法を変えない限りは。

 

 

 

 

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