偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け
[say name=”偉人” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/人物アイコン.png”]フランスの詩人 ラ・フォンテーヌ(画像)[/say]
[say name=”運営者” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/シャーロックホームズアイコン1.png” from=”right”]ふむ…。[/say]
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考察
『北風と太陽』で有名なフォンテーヌ。例えば私は、今回のこの言葉の引用元に『であう』と書いてあったのを、『出会う』と勝手に書き直したかったが、やめた。他の言葉にもいくつかミスがあったからという理由で今回もミスだろうと私が勝手に決めつけ、書き換えないようにしたのだ。
私は普段、人間は長い年月をかけて宗教を捻じ曲げて広めたと言っているが、同じように、こういうちょっとしたことが積み重なり、その大河の一滴が『大河』となり、悪気の有無に関係なく歪曲したことは間違いないだろう。
フランスの小説家、プレヴォは言う。
そういうことだ。さて、『であう』という字の話だが、本当にただのスペルミスなのかもしれない。ただ、これが『出遭う』という字だったなら、どういう印象だっただろうか。
『運命に出会う』ではなく、『運命に出遭う』。前者はどこか、運命の恋人にでも会ったかのような晴々した気分を連想させるが、後者はどこか、悲惨な現実や困難な試練に遭遇したような連想をさせる。私が書き換えなかった理由は、フォンテーヌがここで言う『であう』とはおそらく、 『運命に出会う』と『運命に出遭う』、その両方を指し示していると考えたからだ。
例えば彼の作品『北風と太陽』の『北風』や、『金の卵を産むガチョウ』の、『卵を食べた、あるいはガチョウの腹を引き裂いた人間』は、惨めな自分に成り下がるという自分を認めることが出来ず、力づくで解決しようとし、あるいは真実に蓋をし、あるいは今すぐ逃げ出そうとし、保険を奪取することに執着し、その結果、惨めな自分に直面した。
一方で、『太陽』と『卵がニワトリに成長するまで待った人間』は、今の自分など未熟なんだから、潤うべきではない、あるいは、そもそもすぐに結果が出ないのは当然だと考え、現在の自分の力を過信しなかったことで、逆に幸福を手にした。
前者は『運命に出遭うことを恐れ、運命に出遭った』、後者は『今すぐ運命に出会うべく過信を戒め、運命に出会った』。運命に出遭いたくなければ、運命に出会うことを望む気持ちを支配し、戒めることだ。そうすれば運命に出会える。このパラドクス(逆説)を理解するために彼の作品は、力強い威力を発揮するだろう。
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