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モンテーニュ『世界で最もすばらしいことは、自立の方法を知ることである。』

偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

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ふむ…。

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目次

考察

『愛、神、真理』ではなく、『自立』が世界で最もすばらしいこと。そういう風に理解できる話があるとしたら、例えばこういう考え方だ。そもそも、そのうち『神、真理』というのは別に『素晴らしいもの』であるとは限らない。人間の目に時に残酷に映る。それが『神、真理』の実態である。

 

ダリも、

 

と言っているが、『神の目線』とは、本来『人間寄り』の目線ではない為、必ずしも人間から見て『素晴らしい』と感じることだけではないのだ。

 

 

ブッダも、

ブッダ

 

と言っているわけで、だとしたら『のこぎりで手足を切断されても命に執着しない』姿は、必ずしも多くの人間にとって、『素晴らしいもの』にはならないことだろう。

 

では、『愛』はどうだろうか。『愛』なら素晴らしいはずだ。没我であり、犠牲心。与えること、幸せを願うその姿は人としてとても高潔であり、崇高に見える。しかし、例えばこれが、害虫に家や自身の身体、家族を食い荒らされてしまった場合はどうだろうか。その時、前述したように『神、真理』に則って、害虫を『愛』し、彼らの命を尊び、我々は無抵抗を貫くことが出来るだろうか。出来ないのであればそこに『愛』はあるのだろうか。あるのは『利他(愛)』ではなく、『利己』ではないのだろうか。

 

さて、こうやって切り崩して考えていくと、『では自立はどうなのだ』という考え方に当然なるわけだが、モンテーニュは『自立』ではなく、『自立の方法を知ること』だと言っているわけだ。

 

『ソクラテス・イエス・ブッダ 三賢人の言葉、そして生涯』にはこうある。

人間は生まれながらにして自由ではなく、自由になっていくのだということを主張している点で、ソクラテスブッダイエスは一致している。人間は無知から脱却することによって、真実と虚偽、善と悪、正義と不正を区別することを学ぶことによって自由になる。自らを知り、自制心を持ち、分別を持って振る舞うことを学ぶことによって自由になる。

 

なるほど。この記事を書きながら考えた『思慮、分別という自制をしながらの内省、学習』が、『自由になるための道のり』であって、それはつまり『自立する為の方法』なのだ。自立というのは、親元から離れて一人暮らしをする、ということではない。それも含めた、『一切の外部、内部要因からの脱却による、立脚』なのである。

 

 

 

 

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