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アンネ・フランク『母親が子供たちにいっさいを話してやらないかぎり、子供は少しずついろんな知識を聞きかじり、そしてそれはまちがった知識にちがいないのです。』

偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

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ふむ…。

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考察

言いたいことはとてもよくわかる。大人にはそれだけの責任があり、子供にはそれほどの見識しかないということだ。しかし、大人にも見識が全くない人間もいれば、子供にも優れた見識を持つ人間がいる。例えば、私の両親はクリスチャンであり、物心がつくまえから私にクリスチャンであることを強要させていた。子供の頃、抵抗できない私に、有無を言わさず強要したのだ。大げさに言うなら、洗脳である。しかし、私はクリスチャンではなかった。それは、物心がつきはじめたときから認識し始めたことであり、拒絶する意志を見せても、尚、強要を止めることは無い親を見続け、私は、両親の言うことを信じることが出来なくなったのである。

 

出はこの場合、『間違った知識』を持っていたのは、子供である私なのか、特定の宗教を強要した大人である両親なのか、どちらだと言えるだろうか。しかし、それらを考えた上でも、事実、私が自分のパラダイム(価値観)を変えることが出来たのは、『大人』のおかげだった。それが、『恩師』の存在と、『本』の存在だった。そしてその後は、

 

孔子

孔子

ソクラテス

ソクラテス

ブッダ

ブッダ

キリスト

キリスト

世の偉人たちとも向き合い、彼らから様々な事を『強化』された。

偉人

 

『教わった』というより、『強化』だ。つまり、恩師や環境の力を利用して、ほとんどの部分は、自分で突き詰めたのであり、前述したような彼らの教えは、ほぼ私が突き詰めたエッセンス(本質)と同じものだった。専門的な知識は遥かに他人の方があるが、こと人間のことで言うなら、私はそれほど人生に悩み苦しんだということだった。

 

かといって、私の今の知識が全て正しいということにはならない。だが、両親という大人も、同じくらい間違った知識を持っていることがある。虐待をし、育児放棄をし、子供を餓死させてしまったり、自殺させるような大人は、もはや『大人』でも『親』でも何でもないが、どちらにせよ大人というものは、とても大きな責任を背負っているということを、忘れてはならないのである。

 

 

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