偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け


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考察
人生というものは、ゴールがない。決められた最終地点が存在しないのだ。
では、どうすればいいのだろうか。ただただ、『生息』するだけで、死を待つばかりなのだろうか。そんな風に人生を考えてしまうから、アイルランドの劇作家、オスカー・ワイルドの言う様に、
あるいはルソーの言う様に、
人生を『迷う』人が後を絶たない。そして、人間は実は、この人生が『虚しい』ものだと、心底の部分で知っている。
山本周五郎は言う。
吉川栄治は言う。
彼らがこう言うのも、『どのみち終わるんだ。この人生は。』という真理に、ある種『妥協』しているからだ。最初からそうなっている。そうなっているなら、せめて、その道のりを全身全霊で歩いてみよう。それが我々人間の意地であり、意志なのだ、と。
では、遠回りをして、一歩一歩気が遠くなるほど真剣に歩いてきたというのに、ある定めた目標に到達してしまった人は、どうすればいいだろうか。そういう人は何か、違う世界に行けるチケットでも手に入れられるのだろうか。不老不死、タイムスリップ、宇宙のワープ、それらを手に入れ、あるいは輪廻として生まれ変わったときにこの意志を継続でき、人間の限界を超えた、次の存在になることができるのだろうか。
ブッダは言う。
たった一度の人生の尊さを説いたブッダは、生まれ変わりなどない、輪廻による身分差別があってはならないと説いた。そうだ。我々はたった一度の人生を生きているのだ。次のステージなどない。あるとしたら、自分が新しい目標を定めた、そのステージだけなのだ。
それでいいのだ。それが人生である。人は前に、上にと歩き続け、血と、知を遺し、そして命を繋いでいく。我々は人間全体として、命のリレーをしているのだ。『最後』のことなど知らない。我々はただ、『最高』のバトンタッチをするだけである。
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