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パブロ・ピカソ『アクシデントが起きると、人はそれを変えようとするが、人には変えることが出来ない。アクシデントが人の内面を明らかにするだけだ。』

偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

[say name=”偉人” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/人物アイコン.png”]スペイン画家 パブロ・ピカソ画像)[/say]

[say name=”運営者” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/シャーロックホームズアイコン1.png” from=”right”]ふむ…。[/say]
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考察

人が3つ出てきているが、まずこういう解釈が出来る。最初の『人』は、自分も他人も含めた、全ての人だ。そして次の『人』は、他人だ。つまり、アクシデントが起きると、往々にして人間というものは、それを変えようと試みるわけだが、それを変えることが出来るのは本人だけで、他人ではどうしようもない。アクシデントは、その人の内面を明らかにしたわけであり、内面が変わらなければ変わることが出来ないから、他人にはどうしようもないのである。

 

だが、この解釈ではちょっと違和感がある。だとしたら次はこうだ。前述した解釈は全てなかったことにして、『人』は、別に深く考えず、自分であり、他人であり、全てだ。『人というものは』などというときに使うときと同じ解釈である。その『人』だが、アクシデントが起きた時、その『アクシデント自体』を変えようとするが、人が変えられるのはアクシデント、といった『起きてしまった事実』ではなく、『自分の内面だけ』なのであるということ。

 

こっちの解釈の方が正しそうである。

 

ブッダは言った。

ブッダ

 

『木をノコギリで切り倒しても、その根っこが強力なら再びニョキニョキ生えてくる。それに似て、君の心に巣食った欠乏感があまりに強力な呪いであるがゆえ、一時的に落ち着いても根は生きているから、すぐにまたニョキニョキと伸び、苦しくなり、『足りなく』なる。』

 

視点を変えるのだ。視点を『外』から『内』へ変える。『起きた事実』を変えることはできない。そうではなく、そこに責任転嫁をするのではなく、それの後始末に追われる考え方への依存から脱却し、自分の心を変えるのだ。そうすれば、『そのアクシデント』はもう二度と起きない。何しろ、『その心』でいたからこそ、そのアクシデントは起きたのだ。これを、『インサイド・アウト』の発想と言う。

 

 

 

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