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バッハ『音楽は世界語であり、翻訳の必要がない。そこにおいては、魂が魂に話し掛けている。』

偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

[say name=”偉人” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/人物アイコン.png”]ドイツ作曲家 バッハ画像)[/say]

[say name=”運営者” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/シャーロックホームズアイコン1.png” from=”right”]ふむ…。[/say]
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考察

確かに、言語の違いというものは、私は『在るべき姿』ではなく、『人為的なミス』でしかないと普段から考えていた。その点、バッハの言う通り音楽であれば、全人類が共通でその感覚を掴むことが出来るので、音楽の力は偉大であるということがよくわかるのである。『1,2,』と言った数字も全人間に共通だが、しかし、もしかしたらとある小さな民族には数字も通用しないかもしれない。しかし、音楽であれば別だ。全ての人が音楽を平等に認識できる。

 

 

だが、その音楽の中でも、クラシックが嫌いな人がいたり、ヘビメタが嫌いな人がいたり、自分の国歌以外の歌は妙に聞こえたり、あるいは国家でさえもあまり好きではないことがあるわけで、だとしたら、『音楽、数字』というものは普遍的ではあっても、やはり全ての人間に、同じような認識、印象、感動を与えているかというと、そうではないということになる。

 

ただ、外国語の歌を聞いたとき、好きになる理由は、別に歌詞の意味は関係ないということが多い。歌詞なんて、実際には母国語のものであっても大してちゃんと見ていない人もいるわけで、だとしたら、確かに音楽を好きになる時は、歌詞や、あるいは歌がついていないような、メロディーやクラシック音楽でも好きになるわけで、そう考えるとやっぱり、音楽は世界語であるということには納得できるわけだ。

 

私などは、感動的な映画に最高の音楽がシンクロするときは、鳥肌が立ち、時空が歪むような感覚に襲われることがあるが、あの現象は一体何なのだろうか。間違いなく私はその時、言葉のわからない外国の映画のドラマと音楽を通して、メッセージを受け取っているのである。

 

 

 

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