偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け
[say name=”偉人” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/人物アイコン.png”]アメリカの作家 ノーマン・メイラー[/say]
[say name=”運営者” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/シャーロックホームズアイコン1.png” from=”right”]ふむ…。[/say]
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考察
逆に格好いいことから想像してみると、泥だらけになりながら、世のため人の為に身を捧げている人間がイメージできる。
- 高い金を払って買った洋服が汚れる
- 悪友や異性からダサいと言われる
- つるんでいる友人から興味を持ってもらえない
- 好意がある人にそっぽを向かれる
- 大金を稼いで遊んでいる人間と比べて虚しい
『だからやらない』。
精神が若ければ若いほど、見栄と虚勢に支配され、そういう軽薄な判断をしてしまうことだろう。私とて同じだった。
だが、モンテーニュはこう言っている。
外聞や体裁どころか、自分の命まで失うかもしれない場面は、ある。その時に、見栄のことばかり考えている人間は、どういう選択肢を取るだろうか。
『本当に大事なことで、格好つけたままやれることは一つもない。』
ノーマン・メイラーはこう言うが、実際には、本当に大事なことを真剣にできる人ほど格好いい人間はいない。つまり、『格好をつける』という概念に支配されている人間を、彼は少し軽蔑視しているのである。
どのくらい軽蔑視しているかはわからないが、少なくともある程度はある。私もあるからだ。もちろん、それが度合いを過ぎてしまうほど、軽蔑視してしまうこちらに問題が出てしまうので、極めて微小なまでに抑えているのが現実だが、しかし厳密にはあるのだ。前述したような例の『周囲に流されている』人間を見たとき、人は本当にそのような人間を心から尊敬しているだろうか。それとも、少なからずの軽蔑視を向けているだろうか。そういうことなのである。
だが、それでいい。まるで、善人が悪人に対して軽蔑視をしないと、この世から悪が消えないのと同じだ。いやもちろん、『行い憎んで人を憎まず』だ。悪人を軽蔑視するというよりは、『悪行』を軽蔑視するのが正解である。しかし、善人が悪人を軽蔑視するとき、100%の要素で『悪行だけ』を軽蔑視することはできない。いかに成人といえようとも、悪人の方に1%は軽蔑視を向けてしまうものである。それが人間なのだから、それは全然いい。
ノーマン・メイラーは、どれだけ人目にとらわれた人物を軽蔑視していたかはわからない。それはどうでもいい。だがとにかく『そういう人』と『そうでない人』との間には完全なる境界線が引かれていて、彼は『そういう人になるな』と強く諭しているのである。
『本当に大事なことで、格好つけたままやれることは一つもない。』
買ったばかりの高い洋服が台無しになるからといって、目の前で泥沼で転んだ子供や老人を助けない人間の、どこが格好いい人間なのだろうか。しかし現実には、ここまで具体的で『退路の少ない』選択肢以外の場面で、多くの人は見て見ぬふりを続け、人生を生きながらえている。見るべきなのは以下の黄金律だ。
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太宰治は言った。
今日も人間は自分の命やその体裁をひた守る。今でもこの世界のどこかで、理不尽に落とされる命があるというのに。
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