偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

ふむ…。
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目次
考察
『キリスト教徒はただひとりしかいなかった。そして、その人は十字架の上で死んだ。この瞬間、以後<福音>と呼ばれているものは、すでに彼が生きてきたものの正反対、すなわち<禍音>であった。』
これも、このニーチェの記事に書いたが、
ヴォルテールが言った様に、
こういうことが言いたいわけである。だがそもそもキリスト教は『パウロが作った』のだそしてその『パウロ』は一体、どういう人物だっただろうか。
聖書を徹底的に読む中で、歴史の切迫した事情によって意図的に除外された重要な真実に気づき、宗教学者として、キリスト教が発足する前のイエスの実像に迫る研究を20年近く続けた、レザー・アスランの著書『イエス・キリストは実在したのか?(Zealot the life and times of jesus of nazareth)』にはこうある。
- 『キリスト教は、イエスがつくったのではない
- 『福音書は、実際のイエスを描いていない』
- 『イエスは、過激なユダヤ人ナショナリストだった』
- 『イエスが説いたのは、愛と平和ではなく、武力行使も辞さない革命だった』
- 『ヘロデ王は、赤子大量虐殺などしていない』
- 『ローマ総督ピラトがイエスを三度助けようとしたというのは作り話』
- 『キリスト教は、パウロによって世界宗教となった』
ナザレのイエスとキリスト教、パウロ、そして『2000年前という時代』について、正確な理解をしたい。
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