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ニーチェ『乞食…乞食は一掃すべきである。げだし何か恵むのもしゃくにさわるし、何もやらないのも、しゃくにさわるから。』

偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

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ふむ…。

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目次

考察

確かにそれは一理あるが、『一掃すべき』というのは、いささか乱暴である。しかも『げだし』とかいう言葉の意味も調べたが出てこない。『すべき』も『すへき』となっているし、まあ引用元が間違えているだけかもしれないから、それはいいが、しかし、確かに一理あることは間違いないので、打たれる覚悟で前に出たニーチェは、言わないで陰でコソコソ呟いている人間よりは勇者だ。

 

また、『一掃』も捉え方次第では全然いい。例えば殺し屋かマフィアあたりが『一掃しろよ』などと言えば、そのあたりにいる人間を全員皆殺しにして、排除する、ということになるが、清掃員あたりが『一掃しましょう』などと言えば、そのあたりにあるゴミを綺麗に掃除して、綺麗に磨き上げる、ということになる。

 

ニーチェが言うように、確かに彼らが働きもしないで義務も全うせず、恵みを乞うたりゴミを漁ったりするのを見ると、腹が立つときがある。それを見て見ぬフリをしなければならない自分にも葛藤が生まれるし、いっそのこと一掃されてしまえば、その様な悩みは消えてなくなるから『楽』だ。

 

だが『楽』をしたいがために一掃するというのは、解釈の仕方によっては倫理的に問題がある。だが、『一掃』の意味が『彼らをきちんと社会的に復帰させて、浮浪者の存在を無くす』という、暴力団に対する締め出しのような考え方で、真剣に取り組むのであれば、あながちニーチェの『一掃すべき』も一辺倒に切り捨てることはできない。

 

マザー・テレサは言った。

『今朝、私は、この豊かな美しい国で孤独な人を見ました。この豊かな国の大きな心の貧困を見ました。』

 

これは日本のことだ。日本を訪れた時、マザー・テレサが日本人に対して感じた素直な感想だ。彼女もある意味で、『乞食を一掃すべき』と言ったことになる。そういう言い回しはしていないだけで、もしかしたらニーチェと同じ考え方だったかもしれない。

 

だが、マザー・テレサは言うだけ言って帰ったのだろう。

『この国のことはこの国が決めること』

 

とか、いくらでもそういう言い訳は言えるが、だとしたら我々とて、

『あの人の人生はあの人が決めること』

 

ということになってしまうだろう。一つ言えることは、私も乞食の様な生活を送っていたことがあるが、決して自分のことを乞食だと思ったことがないし、乞食になるくらいなら死ぬし、死ぬくらいなら全力で生きてから死ぬ。

 

 

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