偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

ふむ…。
[adrotate banner=”6″]
目次
考察
『思索』というのは、論理的に筋道を立てて物事を考えていくこと。つまりここで言う『思索者』とは、とても冷静沈着であり、他に支配されない、頑固とした意志の持ち主であり、それは決して『頑迷』ではない。他の支配も、頑迷も、自分の思索の足かせになるだけだからである。
『その記憶があまりにもいいという唯一の理由』という言葉からわかるのは、まず『多くの人間』と前置きをしているところからも、『パレートの法則』で考えても、その80%側の人々を、『賢く、賢明である人々』とニーチェが捉えているとは思えない。恐らくは揶揄して批判しているのであり、だとしたら、『記憶があまりにもいい』ということは、高評価ではなく低評価ということになる。デメリットになっているということだ。
だが、普通は記憶力があるということは、メリットのように思える。しかし、それがデメリットになる、ということになるのであれば、考えられるのは一つだ。そもそも、その記憶している一切の概念は、正しいのか?間違っているから思索者になれず、思索者になった者が皆賢人となったのではないだろうか。
[adrotate banner=”7″]
関連する『黄金律』
あわせて読みたい


『人の評価に依存することの愚かさを知れ。依存しないなら強い。』
第14の黄金律 『人の評価に依存することの愚かさを知れ。依存しないなら強い。』 人間には、理解できる範囲とできない範囲がある。では、その事実を受け...
同じ人物の名言一覧
あわせて読みたい


ニーチェの名言・格言一覧
プロフィール 名言一覧 『もし君が悩む友を持っているなら、君は彼の悩みに対して安息の場所となれ。だが、いうならば、堅い寝床、戦陣用の寝床となれ。そうであってこ...