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ニーチェ『犠牲行為によって計画される道徳は半野蛮的階級の道徳である。』

偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

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ふむ…。

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考察

やなせたかしはこう言い、

 

トルストイはこう言い、

 

あるいはこうも言った。

 

つまり、『愛=没我』であるという図式を押し出しているのがこの二人で、ニーチェは『いや、それは偽善である』とでも言うかのように、犠牲行為によって計画される道徳は、ほとんど野蛮である、と言ったわけである。だとしたら、この両者の間にある差異は、『キリスト教』だろう。やなせたかしはクリスチャンだ。トルストイもほぼそうだ。やなせたかしの『アンパンマン』は、何を隠そう、あのイエス・キリストがモデルになっているのだ。

 

そしてニーチェはキリスト教が大嫌いだ。

 

と言ったほど、それを拒絶していたのである。私はというと、かつてはニーチェ派だった。両親に、クリスチャンになることを強要されていたからだ。親ごと宗教も、この世から消えてなくなればいいと思っていた。

 

だが、今は違うし、『愛=没我』であるという図式にも信頼を抱いている。ただし、『犠牲行為=野蛮』であるという図式にも、信頼を抱いている。確かに少し、野蛮な印象なのだ。ニーチェのこの言葉から内省できることは、とりあえずここまでだ。前後の文章によって、また違った発想が頭に浮かぶだろう。

 

 

 

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