偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

ふむ…。
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目次
考察
『私はキリスト教に対するこの永遠の弾劾を壁という壁、壁さえあればどこでも書き付けたい。私は盲目でも読める文字を持っている。私はキリスト教を一大呪詛と呼ぶ。』
私も両親にクリスチャンになることを強要されたから、気持ちはよくわかる。わかるが、『一大呪詛』と言って糾弾するということまでには至らない。なぜなら、両親が確かにその『キリスト教』によって、救われているのをこの目で見てきているからである。例えば母親は、早くに姉を亡くしていて、弟は精神分裂病にかかって、数十年治ることなく、数年前にそのまま亡くなった。詳しくは効いていないが、子供もおろしたことがある。
私がもし母親の身であれば、もしかしたら自殺しているのかもしれない。それを阻止してくれるのがこの『キリスト教』という信仰だったのであれば、私はそれを、一辺倒に切り捨てることはできない。しかし、ニーチェにこうして断言してもらって、スッキリするというのも本心だ。そうじゃなければ私もこうして、キリストのページを作ることはなったのだから。
私は彼を『人間』だと捉えているのである。
考えることはたくさんある。しかし、もしこれが『パウロ』を含めた、多くの弟子たちによって作られた『寓話』が発端なのであれば、まったく、『呪い』と言っても過言ではない話だ。
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