偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け
[say name=”偉人” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/人物アイコン.png”]イングランドの哲学者 トマス・ホッブズ(画像)[/say]
[say name=”運営者” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/シャーロックホームズアイコン1.png” from=”right”]ふむ…。[/say]
[adrotate banner=”6″]
考察
法がある場所に、義があって、法のない場所に、義が無い、ということならわかる。しかし、『法のない場所に、不義がない』というのはどういうことだろうか。『不義』というのは、人として道を外れた行為のこと。要は、方がない場所だからと言って、そこに不義があるということではない、むしろ、『とは限らない』というよりも、『不義はない』として、断言している。ほぼ完全に、という印象を受けるわけである。
そんなことがあるだろうか。矛盾していないだろうか。普通に考えて、その不義をなくすために、法が制定されたのではないだろうか。だとしたら、法がある場所にこそ、不義がなく、法が無い場所には、不義があるというのが、まず真っ先に浮かぶ発想だ。
では、『法』の解釈を変えてみたらどうだろうか。ここで言われているのは『法』である。『法律』ではないのだ。辞書には、『法律』以外の意味で、こうある。
- 事物。物。存在。 「諸-無我」
- ㋐ 真理。根本的な規範。 ㋑ 教え。教説。教義。
なるほど。『①』ならつじつまが合う。何しろ、そこに『存在』がないのだ。だとしたら義も不義も、何もかもない。
[adrotate banner=”7″]
関連する『黄金律』
[kanren id=”23028″]
同じ人物の名言一覧
[blogcard url=”https://www.a-inquiry.com/tomashobs/”]